箕面三中もと校長から〜教育関係者のつぶやき〜

2015年度から2018年度に大阪府の箕面三中の校長を務めました。おもに学校教育と子育てに関する情報をのせています。

自然の恩恵を受けて

2022年02月28日 08時08分00秒 | 教育・子育てあれこれ

街を歩けば家の庭の植え込みに花を見つけることができます。

街路樹の木々は新芽を吹き、やがて緑の葉をつけます。

鳥はさえずり、風が頬を打つ。

自然は、私たちのまわりに息づいています。

そんな季節の移り変わりを感じることが少なくなったという人もいるでしょう。


でも、太陽は人間だけでなく、動植物にくまなく光を注ぎます。雨は大地を潤し、豊かな実りをもたらします。また、飲み水にもなるのです。

このような自然の恩恵にあずかっている私たちは、自然の大きさをあらためて実感するのです。

中学生がかわったのは、教師がかわったから

2022年02月27日 08時30分00秒 | 教育・子育てあれこれ
中学校では、「問題行動」の中でも生徒どうしの校内暴力は最近減りました。

わたしが教師になった1980年代は、全国で吹き荒れた校内暴力の波がピークを過ぎ出したころでした。

しかし、ピークが過ぎたとはいえ、その後もずっと起きていました。

中学校の「生徒指導」は、校内暴力への対応案件が多数を占めていました。

ところが、わたしの実感では2010年代途中から校内暴力は少なくなりました。

かわりに、いじめや不登校の問題が増えてきて現在にいたっています。

わたしは、暴力は生徒のエネルギーが外向きに出た行為だと考えています。

しかし、最近の生徒はエネルギーが内側に向くようになり、かわっていじめや不登校としてあらわれていると考えています。

校内暴力が減った理由はほかにもあると思います。

それは、教師から生徒への暴力(体罰)が減ったからだと思われます。

以前は、教師は暴力的で、なぐったり、けったり、大声でどなったりすることは日常的に行われていました。

だから、生徒間でも暴力が横行していたのです。

考えてみれば当然のことです。

教師が学校という環境で暴力を是認している。

殴られた生徒は、自分の思い通りにいかないことがあると暴力で解決しようとする。

つまり、教師から生徒への暴力が生徒間で再生産されていたのです。

しかし、今はどんな事情があれ、教師からの体罰は認められません。

暴力や大声で相手を威圧すると、話しあうことを萎縮させます。

対等な人間関係に基づく対話が教育の中で求められるが、いまという時代です。

孤立する人が増えている

2022年02月26日 08時02分00秒 | 教育・子育てあれこれ

コロナ災禍により、私たちの生活はかなり変わりました。

感染を防止するため人と出会う機会が大きく減りました。

とくに生活に困っている人に気を見つけ、支援につなぐしくみ(セーフティネット)が働きにくくなりました。

人が社会的に孤立するケースが増えたのです。

そして、「適応障害」をもつ患者が増えてきています。

適応障害とは、職場や環境になじむことができず、そのストレスから気分が落ち込んだり、不安を抱えたり、睡眠がとれない、めまいなどの身体症状が現れる病気です。

そのような人たちを支えて、サポートする社会のしくみが弱体化してきています。

心が傷つき心を病んだ人を受け入れ、人間関係につないだり、社会復帰を促す機関、企業や団体の相談窓口・サポート担当が縮小しています。

コロナ災禍で失業したり、店を閉めたりした人の理由がコロナであっても、ウイルスが対象では怒りのもって行き場がなく、自分の中に抱え込みます。

コロナ災禍で増えている孤立と絶望を解消するサポート体制を整備することが急務です。

知っていたい 中学校夜間学級

2022年02月25日 09時04分00秒 | 教育・子育てあれこれ

大阪府には大阪市も含め、11の中学校夜間学級があります。

義務教育年齢を超えた人で、中学を卒業していない人や十分な教育を受けることができず中学を卒業した人など、多様な事情を抱えた人が通っています。

大阪府に住んでいれば、国籍に関係なく学ぶことができます。10代から90代の人がいっしょに学んでいます。

修業年限は3年が基本で、授業はいたい17時ごろ開始され、21時頃終わります。



夜間中学の設置は、全国的にみた場合、2021年で12都府県の36校にとどまっています。

不登校で十分学校に通えなかった人や増加する外国籍市民が中学校教育を受ける場として、2016年に教育機会確保法が成立して、徐々に増えてきています。

ただ、多様な人が通うので、その生徒に対応するためサポート役の教員が必要になる場合も多くありますが、教員配置は十分でない学級も散見されます。

山田洋次監督の映画「学校」(1993年~2000年)には、それぞれの生徒が自分の生きてきた道や生きざまを語る場面が登場します。

中学校夜間学級でも多様な事情を抱えた人が、学ぶ意味を自ら問い直す場になっている側面もあります。

じっさい、夜間学級では、年配者や外国籍の人がいるので、「どのように話すと言いたいことを伝えることができるか」を生徒が考えたり、若い子が年配者に人生の意味を教えてもらったという感想を持つ生徒がいます。

その意味で、学校の教員なら一度は見学に行き、人が学ぶことの意味を考える機会をもつことができます。

「感情」への配慮をもとめる

2022年02月24日 08時50分00秒 | 教育・子育てあれこれ

沖縄が5月15日で本土に復帰してから今年で50年になります。

1972年5月15日のことでした。私が中学2年生の時でした。

担任の先生が教室の黒板の右端に縦書きで、黙っておもむろに「沖縄が日本に返還されましま」と書きました。

当時の私には、意味がわかりませんでしたが、大きな意味のあることなんだろうと感じました。

その後、教職に就くことになり、途中で沖縄修学旅行を大阪府箕面市の中学校で初めて始めることになり、沖縄へ行き始めたのが1996年のことでした。

一から、沖縄戦のことや基地問題を知り、海、文化、遺跡などを巡り、沖縄の人たちと出会ってきました。

沖縄の人たちから、教えてもらったことはたくさんありました。


さて、稲嶺恵一もと沖縄県知事が、沖縄本土復帰50年に寄せて以下のように語っておられます。

*********************

本土側(=政府)は沖縄の基地問題を「国際情勢」という視点で考えます。

しかし、沖縄側は「線」で考えます。つまり、過去からのつながりや歴史を理解して基地問題を見るのです。

「線」として基地問題を見るのと、国際情勢や日本が置かれた環境だけから見るのとでは全然違うのです。

本土側は物事が一度決まると、法的に正しいかという「理性」で進めようとします。

しかし、人間には「理性」と同じだけの「感情」があります。

沖縄戦で軍隊が沖縄に来たから攻撃されたと沖縄の人たちが考える感情の問題があるのを忘れてはならないのです。

普天間飛行場の名護市辺野古への県内移設など基地問題が好転しないのは、(本土から沖縄への)配慮が足らないからです。

日本政府は27年間の米国統治下で築き上げられた状態のまま、沖縄に基地を押しつけようと考えているのではないか。

県民感情を大事にしながらギリギリまで頑張り。落としどころを見つけること。ベストではなく、ベターを模索する姿勢が必要だ。

      (2022年1月19日『毎日新聞』より引用)
*********************

私もよく考えることがあります。

人間の行動は理性や論理で説明されることが多いです。

たしかに、AとBは同じ。またBとCも同じ。だから、Bが出たから、AをするかわりにCをした。

筋が通っています。これで人の行動は説明できます。

でも実際の場合、人には感情が起こります。A.B.Cより、わたしはとにかくDが好きだから、Dをした。とにかくDが好きやねん。

このように、人は理性や論理、または科学的であるより、感情や直感で行動すること多いのです。

だから、大事なことは、人の行動について判断したり、評価したりするとき、その人の感情を推し測り、その気持ちに共感を寄せることが必要なのだと思います。

地域への貢献を掲げる美術館

2022年02月23日 08時46分00秒 | 教育・子育てあれこれ
「大阪中之島美術館」が今年の2月2日に開館しました。

外観は黒色で、展示室の総床面積はおよそ3100㎡で、20世紀の西洋絵画の巨匠の作品など、展示数は6000点を超えます。

この美術館は、あたらしく「地域への貢献」を掲げています。

隣接する国立美術館との連携、大学の研究室と連携する「横のつながり」を重視します。

コロナ渦は人や作品の移動に制限をかけました。それで、有名な海外の美術作品を集めた収益の大きい大型展もできません。

そこで、地域の市民に愛される美術館として君臨し、近隣の市民にリピーターとなってもらうことを重視し、他の美術館の作品を借り入れ、企画展を行う経営方針をたてました。

そもそも、人が作品を好きになる理由は、その多くが個人的な思いや経験と結びつくものです。
市民のそれらの思いや経験に訴えかける美術館をめざします。

このコンセプトを聞き及ぶにつけ、次の論文に通じる点があると思いました。

▪️▪️▪️▪️▪️▪️▪️▪️▪️▪️▪️▪️▪️

新型コロナウイルスの影響を受け、美術館/博物館も一時休館に追い込まれた。美術館・博物館は社会で果たす役割について、改めて問われることになった。

美術館でこそ可能な体験とは何か、魅力ととも語ってもらった。

アメリカのニューヨーク近代美術館の鑑賞プログラムを当時「VISUAL THINKING CURRICULUM」と呼んでいた。

作者や作品名などの情報から理解するのでなく、視覚的にとらえて、ものから対話を通じて自分の解釈や感想を言語化して、作品理解を深める方法である。

一見わかりにくい作品に対しても「何だろう、なぜだろう」と疑問を持ち、みずから考えそしてみずからの言葉で表現すること。

こうした訓練を重ねることによって、あいまいなものへの対処法や思考する方法をアートから学びとることができる。

人間が人間として生きるためには、一人では生きられない。他者を知り自分とちがう価値観があることを知る必要がある。

美術作品に向き合うということは、足を運んで美術館に赴き、五感を使って鑑賞するということである。(逢坂恵理子・国立新美術館長)

『毎日新聞』2021年10月15日 朝刊 「アートの森」(美術業界の最新動向、サステナブルな取り組みを紹介)より

▪️▪️▪️▪️▪️▪️▪️▪️▪️▪️▪️▪️▪️▪️

「男はおおざっぱ」「おんなは細やか」って本当?

2022年02月22日 07時04分00秒 | 教育・子育てあれこれ


中学校教育を通して言えるのは、いま生徒会長や行事の実行委員長になる人は性別に関係ないのがふつうになっているということです。

わたしが教員になった頃は、○年○組の生徒名簿は、男子が先に五十音順にならび、そのあと、女子が五十音順に並んでいました。

でも、いまは男女混合の五十音順に並び、それが定着していますし、とくに教育活動上の不都合はまったくありません。

ただ、男女別名簿の時代は、それとなく「長」のつく役割は男子がするものという雰囲気が合ったように思い出します。

今から20年ほど前に勤務していた中学校で、生徒会役員がすべて女子になったことがありました。

そのときは珍しがられ、新聞社からの取材を受け「女子ばかりの生徒会」という見出しの記事になりました。

それ以後、学校では男子、女子に関係なく、生徒会長や学級委員長、実行委員長をする時代になり、今にいたっています。

さて、大人の世界ではよく言われますが、「男性はおおざっぱ、女性は細かいことに気がつく」という「定説」がまことしやかに言われます。

中学校でも、女子生徒の方が、何かをクラスで話し合うとき、男子生徒よりもまわりへの気遣いや細かい配慮ができるという見方をする教員がいます。

しかし、それはジェンダーロールによるものだとわたしは考えています。ジェンダーに基づき社会的に期待される役割のことです。

「男なら泣くな、めそめそするな」とか「女だからおしとやかにしなさい」というように男らしさ、女らしさを求める周りの環境(家庭、地域、社会)があるのです。

そのすり込みを受けて育ってきた中学生は、意識してか無意識のうちにその役割を演じているのだと考えています。


大人社会では、男女差だけでなく、社会的・経済的な差が、その人の言動に影響を与え、「男性らしさ」、「女性らしさ」を演じるよう強いられているのです。

そもそも、個人差を考えずに「男だから」、「女だから」というきめつけは公正でないし、必要ありません。

可能なのか 脱炭素

2022年02月21日 08時22分00秒 | 教育・子育てあれこれ


今は地球上の気候変動への対策(温暖化対策)が世界の大きな課題になっています。

市場経済を維持しながら持続可能な社会を実現するにはどうすればいいかが懸案になっています。

電力供給を化石燃料(原油等)を使わず、太陽光発電や風力発電、水力発電などの再生可能エネルギーで供給することで、脱炭素化を図る取り組みが検討されています。

ただし、現状では再生可能エネルギーを拡大すると、それらのコストは大きくなり、製品・電気代・燃料などの価格が上がります。

そうなると、所得が少ない人びとの大きな重荷となります。日常生活が圧迫されていくことになるでしょう。

その点で、気候変動への対策は、社会保障とセットにして進められなければならないのです。

しかし、そもそも、いまの資本主義を維持したまま、地球温暖化に歯止めをかけることは可能なのかという疑問に突き当たります。

資本主義とは、つねに経済成長を追求しますが、その資本主義が地球温暖化をもたらしたのです。

資本主義に基づく経済成長は必要ないとして、いまの消費生活を捨て去る覚悟は一般庶民にも為政者にもないでしょう。

となると、「エコロジー的(自然環境を保存しながら)市場経済」を維持していくのが得策のように思えます。

それでも脱炭素化がすすまないなら、対話と納得を引き出しながら、次の方針をつくりあげるしかない。

いずれ、私たちは近い将来、この分岐点に立つことになるでしょう。

学校教育の中では、脱公害や環境にやさしい取り組みを「環境教育」と呼び、今まで実践してきました。

でもいまは、どのように持続可能を維持しながら、発展をはかるかという、難しいSDGs教育を児童生徒に進めていくことになるのです。

人は個人として尊重される

2022年02月20日 08時19分00秒 | 教育・子育てあれこれ

新型コロナウイルス感染症の拡大は、よく「コロナ渦」と呼ばれますが、これはある意味で「災害」です。

その意味で、「コロナ渦」というよりは「コロナ災禍」と表現してもいいものだと、わたしは考えます。

わたしもこのブログの記事では、コロナ渦という言葉のかわりにコロナ災禍という言葉を使っているときがあります。

このような視点に立つと、私見ですが、災害対策関連法を適用してもいいものだと考えます。


「災害対策基本法」は、昭和34年(1959年)9月の伊勢湾台風をきっかけに、災害対策を総合的・計画的に進め、広範囲の大規模な災害に対応する体制を整備するために制定されました。

国土や国民の生命・身体および財産を災害から保護し、社会の秩序を維持し、公共の福祉に資することを目的とした法律です。

そして、「災害対策関連法」は、防災に関する責務の明確化、防災に関する組織、防災計画、災害対策の推進、財政金融措置、災害緊急事態などについて定めています。

ただ、これらの法はすべて自然災害を取り扱い、感染症対策は含まれていないようです。

しかし、コロナ災禍に対しても災害対策関連法を適用して支援対策を講じる必要があるほど、新型コロナウイルス感染症による影響や被害は深刻です。

医療従事者やその家族への誹謗中傷、落書き・投書やワクチン未接種者の解雇、入店拒否、脅迫などの影響や被害はすでに顕在化し、深刻化しました。

新型コロナウイルス感染症による誹謗中傷は、平常時には潜在していた課題が災害時にあらわれたものです。

だから、平常時に課題を解消しておく必要があるのは言うまでもなく重要なことです。

たんに「新型コロナウイルス感染症」に対する差別や偏見はあってはならない、許されない」と教育したり啓発するだけでは、効果が薄いのです。

平常時での揺るがぬ価値や根拠は日本国憲法にあります。

「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他国政の上で、最大の尊重を必要とする」(日本国憲法第13条)

命の選別になる現行の「在留資格」

2022年02月19日 10時50分00秒 | 教育・子育てあれこれ


グローバル時代のなか、日本で就労する外国人が増えています。

一時期はコロナ渦のため人数が減りましたが、今秋に入国制限が緩められました。

しかし、そのさなかにオミクロンの第6波感染が広がり、また入国制限を強めました。

しかし、国内での労働力不足、日本が行う入国制限への国内外からの批判を受け、今年3月から技能実習生の入国制限を緩めます。

これで、待機している技能実習生は日本に来やすくなります。

ではこれでOKかといえば、次は入国後の問題があります。

外国人も当然病気やけがをします。そうなると医療機関にかかる必要がありますが、このとき「在留資格」があるかないかで、十分な医療が受けられるか受けられないかが決まるのが日本の健康保険制度です。

在留資格がない、または90日以内の短期の在留資格では、日本の健康保険に入れないのです。そのため、医療費は高額を支払わなければなりません。

とくに重病の場合は、100%負担の高額な医療費を本人が支払わなければなりません。

これでは、病院にもかかることができません。

もし、がんなどの重病の場合、支払額は数100万円になります。

くわえて、在留資格がないと就労も禁止されます。かつ生活保護も受けれません。

お金がないので治療を受けることをせず、手遅れになる場合も散見されます。

これが福祉国家日本の、「外国人に冷たい」福祉の実情です。

生活困窮者に無料で医療を施す「無料定額診療」という事業があります。

これは患者の国籍に関係なく受けられますが、加盟している医療機関は全体の1%以下なので、医療を必要とする外国人には届きません。

留学生や技能実習生として日本にやってきて、さまざまな事情で在留資格が切れると、入管施設に収容されますが、ここに入れば十分な医療が受けられるのでもありません。

帰国もできず、働くことも許されない、生活保護も受けられない。どのようにして高額な医療費を払えるのでしょうか。

「制度だからしかたがない」ではすまされない問題です。

川は流れ続ける

2022年02月18日 08時53分00秒 | 教育・子育てあれこれ


わたしのふるさとを流れる川があります。その谷川は、大阪府と兵庫県を流れる猪名川(いながわ)の源流となる川です。

谷川の清水は清らかです。以前に比べればいくぶん濁りが入るようになりましたが、おおむね清らかです。

「山は青きふるさと、水は清きふるさと」と「ふるさと」の歌でうたわれます。

また、「ゆく河(川)の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」(『方丈記』鴨長明)

そのように、川の水はつねに動き続けているのです。つまり、流れ続けるとは動き続けることです。立ち止まらないことです。

その水はよどまないので、濁りが少なく、澄んでいます。

人も同じ場所や同じ職場に居続けるとよどみが生まれます。

「あの人に任せておけば大丈夫」という安定感がありますが、組織や経営を刷新したり、新しい風を入れるという面では、マンネリ化しやすくなります。

人事的に言って、同じ人があまり長く居続けない方がよいようです。

SNSの匿名性

2022年02月17日 08時36分00秒 | 教育・子育てあれこれ

たくさん人が集まっています。

その集団の中の一人をねらって、誰も見ていない隙にボールを投げました。

ボールはある人に当たりました。

不意をくらった人はボールが飛んできた方向を見ます。

でも、誰がボールを投げたかはわかりません。

いまのSNSでの個人への中傷や悪口は、このようなものです。

誰が投げたかはわからない。でも投げられた側の体だけはその痛さを知っている。

SNSでの匿名性とは、このようなものです。

学校教育のなかでも、SNSの扱い方、他者へのコメントや意見を発する場合には、匿名性の問題点をとりあげ、小学生うちから計画的に教えていく必要があります。

観光と教育

2022年02月16日 07時16分00秒 | 教育・子育てあれこれ

「観光」とは、「外国や他の土地(場所)を見て歩くことや景色、史跡、風景や景色を見てまわること」という意味をもっています。

つまり、ふるさとや生まれ育った土地以外の場所を見てまわることです。

観光によって、自分が生まれ育った土地と他の場所の文化や景色のちがいや共通点を知ることができます。

2000年代後半ごろから、観光学部や観光学科をもつ大学が増えてきました。現在、およそ50大学にあります。

学部や学科はなくても、観光コースや科目を設けている大学を加えると100以上の大学になります。

観光に関係した教育では、文化が場所により異なることを学習することができます。

グローバル時代にあって、児童生徒は多様な国、多様な文化や民族、くらしをする人びとと出会い、働いたり、活動することになるでしょう。

Diversity(多様性)を受け入れて、多様性が豊かさと感じられる人になる。

その意味で、「観光教育」という新しい教育分野がいま、徐々に注目されつつあります。

観光教育は観光関係の業界に従事する人材育成をすると思われることもありますが、もっと幅広いねらいをもっています。

今年度から高等学校では商業科の科目として、「観光ビジネス」が設置され、観光教育は学習の領域として認知されはじめています。

それは、自分の地域の見直しにつながることもあるでしょう。

新型コロナウイルスのような感染症が出てくる今の時代にあって、人と人の関係やライフスタイルが変化し始めています。

観光教育もその変化を取り入れ、これから推進されていくことになると考えられます。

ワクチンの接種は個人の判断で

2022年02月15日 08時27分00秒 | 教育・子育てあれこれ


そもそも、新型コロナウイルスのワクチン接種は任意です。

任意であるということは、他者が本人に強制することができないのです。

「ワクチンを打ちなさいよ。なぜ打たないの」と直接的に強制することができないのはもちろん、接種しないことで本人が間接的に不利益を受けることもあってはならないのです。

しかし現実はそうなっていません。


「ワクチンを接種していないなら、仕事をやめてもらいます」(解雇)

「ワクチンを受けていない人の入店はお断りします」(拒否)

「接種していないのなら、実習へは行かせられません」(脅迫)

実際に、このように勤務先や学校からワクチン接種を強制されたという相談が、相談機関に寄せられています。

ワクチン接種が任意であるのにもかかわらず、有効な対策がとられていないのにはいくつかの事情があるように思います。

まず、公正であるはずの自治体が予防接種を奨励しており、かつて例のなかった予防接種を大規模ですすめてきました。


また、ワクチンを接種しないことで、上記の被害を受けたときの救済方法が限られています。その結果ワクチンを打たないことで被害を受けた人が救済されず、問題が顕在化しにくい状況が生まれます。


くわえて、ワクチン接種を強制することは不当なものではないと見なされがちです。
「非接種の人が感染したら、まわりの人に迷惑をかけるでじゃないか。なんでワクチンを打たないのだ」という同調圧力がはたらくのです。

もっといえば、「自分が接種するかしないかをきめているのだから、不利益な扱いをうけても当然だ」という主張が正当化されやすい危険もあります。
このような考えをする人は、少なくて特別にかわった考え方ではないようにも思います。




しかしながら、新型コロナウイルスワクチンの接種についてとりまとめた予防接種法の改正(2021年9月)の付帯決議では「接種するかしないかは国民自らの意思に委ねられるものである」と明文化されているのです。

したがって、打たない自由も認められるべきなのは明らかであり、打たないことで非難されたり、不利益を受けたりすることはあってはならないのです。

人を大事にする

2022年02月14日 07時17分00秒 | 教育・子育てあれこれ


コロナ災禍によって、非正規の日本人労働者や日本にいる外国人技能実習生からの相談が急増していると、相談機関は伝えています。

「賃金が低いといったらやめさされた」「パワハラがひどすぎる」・・・。

新型コロナウイルス対策でテレワークが認められるのは正規社員だけで、非正規社員は認められていない。条件の改善を求めたら解雇された。

また、正社員には休業手当が支給されるのに、非正規社員には支払われない。

このように、不安定な労働条件や不当な解雇が非正規社員には横行しているのが、日本の現実です。

この状況は、2008年のリーマン・ショックに端を発します。契約社員や派遣の労働者がたくさん解雇されました。年を越せないということで、日比谷公園に年越し派遣村ができました。

また、外国人労働者への冷遇も際だって多いのが日本です。

新型コロナウイルス感染拡大で、給料が下がり、住居費の支払いだけすませるとあとは手元に残らない。このような窮状を訴える技能実習生もいます。

このように人を大事にしない、「使い捨て雇用」が常態化しているのです。日本では、2013年頃から景気拡大の対策を進めてきましたが、この間賃金はほとんど上がっていないのです。

さらに、2012年には非正規労働者は約990万人でしたが、2020年には約1200万人へと増えているのです。

人を大事にして、だれもがあたりまえに暮らせる生活を保障しなければならないのが、日本の雇用上の課題です。