今、教職という仕事に魅力を感じない学生が増えていると言われます。
教師の時間外勤務の長さと多忙さが強調して報道され、労働条件が劣悪な教師に「やりがい」などあるのかと疑問をもつ学生が増えているのです。
それほど、教師という仕事を否定的に見ているのであり、教師を志望する学生が減るのは当然と、納得します。
教師になったとき、「やりがい(=学習指導や生徒指導をすることの充実感や価値)があるか」という視点で仕事をみるのとは違うとわたしは考えています。
目の前の生徒から即時の見返りを期待してしまいかねないので、注意が必要です。
一般的に仕事にやりがいを感じたいという人は多いでしょう。しかし、やりがいを得ること自体が目的となるものではありません。
目標や信念をもって仕事をするなかで生まれる「副産物」がやりがいであると私は考えています。
とくに教育という営みはすぐに結果があらわれるものではありません。
また、結果を一概に数値化できるものでもありません。
そういう言い方をすると、「だから、学校の先生は甘いんだ。民間では通用しないぞ」というそしりを受けそうです。
しかし、実際に教育とはそういうものなのです。
児童生徒との時間を積み重ね、卒業までの長期的視点で支援・指導していくのです。
「あのとき先生が言っていたことが数年経った今も思い出される」ということもあるでしょう。
声をかけても授業からエスケープする生徒、時間をかけて指導をしても誤りを繰り返す生徒も確かにいます。
でも、そんな状況に直面したとき「できない生徒がいるから、教師が必要である。繰り返し繰り返し指導する」と自分が教師になった理由を思い返すのです。
もちろんそんなに時間のかかる場合ばかりではありません。
目の前の生徒がすぐに応えてくれることもやりがいを感じる一つです。
たとえば、最初は頑なな態度だった生徒が今日は笑顔で返してくれた。「授業がわからない」と言っていた生徒が声かけによって取り組むようになったとき、教師は喜びを感じます。
日々小さなやりがいを感じられるのが教職です。
彼らがすぐに応えてくれなかったとしても、やりがいがない、「そのことをするだけの価値がない」ということにはならないということなのです。
こういうことは、現場に身を置いてこそ考えることです。
教師になる前から、やりがいだけを第一に求めて、教職を志すものではないと、わたしは考えています。