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箕面三中もと校長から〜教育関係者のつぶやき〜

2015年度から2018年度に大阪府の箕面三中の校長を務めました。おもに学校教育と子育てに関する情報をのせています。

いま求められるリーダーとは

2025年08月23日 05時34分00秒 | 教育・子育てあれこれ

日本の学校教育では、伝統的に集団の和や規律を重んじます。


それにはいい面もありますが、弊害もあります。幼い子どもの頃から、自分だけが突出しないように、集団から外れないようにという集団力学が働きがちです。


個人が自己主張をすると「わがまま」と見なされ、同調圧力がはたらく傾向があります


こうした学校教育の弊害として、子どもが自分がどういう人間か、何をしたいのかを考え、自分の軸を確立していくことを難しくします。


その結果として、日本の経営者や組織のリーダーは管理者としての傾向が強く、たとえば日本の社会の未来をどう考えるのかというようなビジョンを語れる人が少ないのです。


人の管理は一定程度できますが、成長の可能性のある新しい分野へ、業務を移行させることには苦手な人が多いのです。


では、今どのようなリーダーが求められるのでしょうか。


それは、その人が組織にいることで、「化学反応」が起き、メンバー同士の前向きな議論が行われ、目標に向かっての協力を促進できる人です。


その人がいることで、メンバーをエンパワーするのです。


つまり、カリスマ的なリーダーではなく、積極的な調整役のリーダーと言っていいかもしれません。


上からトップダウンするでもなく、下から支えたりするのではなく、真ん中にいて、メンバーの可能性を開花させ、組織の共通目標に向かわせる人です。


そのためには、まず、双方向のコミュニケーションが重要です。


上からの一方通行の指示方伝達をするのではく、部下を尊重し、物が言える組織にすることが大切です。


また、チーム全体で結果が作り出せる状態を整えるには、リーダーが結果への強いこだわりを言葉と行動で示すことです。










 


謙虚であれ

2025年08月22日 06時29分00秒 | 教育・子育てあれこれ

自分が経験した高校のときの授業は、今思い出してとひどいものでした。

順番に先生が当てていきます。

授業で当てられたが答えられないと、「すわれ」と言われます。当時の私は、緊張して恥ずかしがりて、自分が当てられる前から緊張して、顔が赤面しているのが自分でもわかるほどでした。

また、教師になって間もない頃には、仕事で失態をやらかしました。

大分恥ずかしい思いをしました。

ただ、恥のほとんどは突きつめれば体裁の悪さに過ぎず、悔い改め克服すれば、「若気の至り」と済ますことができました。


失敗や恥ずかしいことは誰にでも起こりえます。


ただ、そんなときこそ、真摯でありたいのです。裏表のない潔さで、謙虚さが必要になります。


歳を取ってもそうありたいと思います。



何に価値を置くのか

2025年08月21日 06時03分00秒 | 教育・子育てあれこれ
先日、初めて卒業生を出した学年の同窓会がありました。

年齢はもう55歳ほどになる卒業生でした。

教え子もこの歳になると、仕事上の役職や経済的地位の差がはっきりと現れてきます。

彼らは口にこそ出しませんが、その差を感じているように、わたしには思えました。

人は他者と自分を比較します。そして、他人の成功に対抗心を燃やしたり、なぜ自分だけがこんな目に遭うのかと悲観したりするのです。


この問題を考えるときに大切なのは、自分は何がしたくて、どんな人生を送りたいかという揺るぎない軸をもっているかです。


出世することが幸せだ、つらくても勤め続けなければいけないなどと考えていたら悩みは深まるばかりです。


しかし、そうした「こうあるべし」という思いは、自分の信念か、ひょっとして周囲から押しつけられた考え方ではないか・・・...と自らに問うてみるのです。


そうすることで、自分が何に価値を置いて生きるかが、見えてくるでしょう。


そこがはっきりすれば、自分と他人を比べて不安になることは減るでしょう。


若い世代が進める平和学習

2025年08月20日 05時23分00秒 | 教育・子育てあれこれ


戦後80年になり、ヒロシマ、ナガサキへの原爆投下以降、平和を求める市民の運動が幅広く展開されてきましたが、今、被爆者の高齢化といった問題に直面しています。

平和活動と聞くと、なにか堅く難しいと感じる児童生徒が多いものです。


今の若い世代に戦争体験はありません。日常生活で核兵器の脅威をとくに感じることも少ないのです。


だからこそ、過去を学び、被爆者の声にしっかりと耳を傾けることが必要になるのです。


そんな中、ヒロシマではいま「ピースカルチャービレッジ」という団体に所属する 10代、20代の若い世代が、修学旅行生向けの平和教育プログラムとオンラインによる平和学習に力を入れています。


若い世代ならではの平和を考える視点をもち、学習を進めます。


「あなたにとっての平和とは?」というテーマで、スタッフが参加者と共に学び合い、平和を考えます。


共に学び合うという意味で、その若いスタッフは「ピースバデイ」と呼ばれています。


5年間で延べ約180人がバディをつとめ、2024年からは長崎でも始まっています。


ふつう、修学旅行では1クラスに一人のガイドがつきますが、8人から10人に一人のガイドがつけますので、グループ活動が可能になります。


いまの子どもたちの「社会の捉え方」としては、自分にとって社会を遠いものと考えているという特徴があります。


その理由はおそらく、地域で活動したりする機会が昭和時代に比べ格段に少なくなったこと、「子どもは勉強だけしていればいい」という大人の考え方が主流になったためと考えられます。


ところが、上記の平和学習を経験した修学旅行生は、「わたしに自分の国や社会を変える力がある」と考える生徒の割合が、大きく増えたという報告があります。


若い子が積極的に自分の居場所を見つけ、自分がどんな使命を胸にして生きていきたいのか、どのように社会に貢献していきたいのかを考えます。


その過程にこそ、一人ひとりの「平和」が存在し、信念に基づく行動がそのまま平和活動になるのだと思います。


平和を考えるとき、すぐ対比の対象になるのが「戦争」というのが従来の平和学習だとすれば、これからの平和学習は、若い子が自分に対して問いかける「自分との対話」であり、自分らしく一歩踏み出すことが平和学習になるのでしょう。





同様の活動が始まった。

オンラインスクールは、21年かの前と後で18名から56名へ跳ね上

修学旅行生へのガイドは1クラ

ら始めた取り組みだ。半年間のカがっている。「平和」を自分の事

スー人が主流だが、PCVでは8リキュラムで、自分の好きなものとして考えてくれた証しだろう。




やりがいを求めて教師になるのではない

2025年08月19日 07時43分00秒 | 教育・子育てあれこれ

今、教職という仕事に魅力を感じない学生が増えていると言われます。


教師の時間外勤務の長さと多忙さが強調して報道され、労働条件が劣悪な教師に「やりがい」などあるのかと疑問をもつ学生が増えているのです。


それほど、教師という仕事を否定的に見ているのであり、教師を志望する学生が減るのは当然と、納得します。


教師になったとき、「やりがい(=学習指導や生徒指導をすることの充実感や価値)があるか」という視点で仕事をみるのとは違うとわたしは考えています。


目の前の生徒から即時の見返りを期待してしまいかねないので、注意が必要です。


一般的に仕事にやりがいを感じたいという人は多いでしょう。しかし、やりがいを得ること自体が目的となるものではありません。


目標や信念をもって仕事をするなかで生まれる「副産物」がやりがいであると私は考えています。


とくに教育という営みはすぐに結果があらわれるものではありません。


また、結果を一概に数値化できるものでもありません。


そういう言い方をすると、「だから、学校の先生は甘いんだ。民間では通用しないぞ」というそしりを受けそうです。


しかし、実際に教育とはそういうものなのです。


児童生徒との時間を積み重ね、卒業までの長期的視点で支援・指導していくのです。


「あのとき先生が言っていたことが数年経った今も思い出される」ということもあるでしょう。


声をかけても授業からエスケープする生徒、時間をかけて指導をしても誤りを繰り返す生徒も確かにいます。


でも、そんな状況に直面したとき「できない生徒がいるから、教師が必要である。繰り返し繰り返し指導する」と自分が教師になった理由を思い返すのです。


もちろんそんなに時間のかかる場合ばかりではありません。

目の前の生徒がすぐに応えてくれることもやりがいを感じる一つです。


たとえば、最初は頑なな態度だった生徒が今日は笑顔で返してくれた。「授業がわからない」と言っていた生徒が声かけによって取り組むようになったとき、教師は喜びを感じます。


日々小さなやりがいを感じられるのが教職です。


彼らがすぐに応えてくれなかったとしても、やりがいがない、「そのことをするだけの価値がない」ということにはならないということなのです。


こういうことは、現場に身を置いてこそ考えることです。


教師になる前から、やりがいだけを第一に求めて、教職を志すものではないと、わたしは考えています。