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箕面三中もと校長から〜教育関係者のつぶやき〜

2015年度から2018年度に大阪府の箕面三中の校長を務めました。おもに学校教育と子育てに関する情報をのせています。

若い世代が進める平和学習

2025年08月20日 05時23分00秒 | 教育・子育てあれこれ


戦後80年になり、ヒロシマ、ナガサキへの原爆投下以降、平和を求める市民の運動が幅広く展開されてきましたが、今、被爆者の高齢化といった問題に直面しています。

平和活動と聞くと、なにか堅く難しいと感じる児童生徒が多いものです。


今の若い世代に戦争体験はありません。日常生活で核兵器の脅威をとくに感じることも少ないのです。


だからこそ、過去を学び、被爆者の声にしっかりと耳を傾けることが必要になるのです。


そんな中、ヒロシマではいま「ピースカルチャービレッジ」という団体に所属する 10代、20代の若い世代が、修学旅行生向けの平和教育プログラムとオンラインによる平和学習に力を入れています。


若い世代ならではの平和を考える視点をもち、学習を進めます。


「あなたにとっての平和とは?」というテーマで、スタッフが参加者と共に学び合い、平和を考えます。


共に学び合うという意味で、その若いスタッフは「ピースバデイ」と呼ばれています。


5年間で延べ約180人がバディをつとめ、2024年からは長崎でも始まっています。


ふつう、修学旅行では1クラスに一人のガイドがつきますが、8人から10人に一人のガイドがつけますので、グループ活動が可能になります。


いまの子どもたちの「社会の捉え方」としては、自分にとって社会を遠いものと考えているという特徴があります。


その理由はおそらく、地域で活動したりする機会が昭和時代に比べ格段に少なくなったこと、「子どもは勉強だけしていればいい」という大人の考え方が主流になったためと考えられます。


ところが、上記の平和学習を経験した修学旅行生は、「わたしに自分の国や社会を変える力がある」と考える生徒の割合が、大きく増えたという報告があります。


若い子が積極的に自分の居場所を見つけ、自分がどんな使命を胸にして生きていきたいのか、どのように社会に貢献していきたいのかを考えます。


その過程にこそ、一人ひとりの「平和」が存在し、信念に基づく行動がそのまま平和活動になるのだと思います。


平和を考えるとき、すぐ対比の対象になるのが「戦争」というのが従来の平和学習だとすれば、これからの平和学習は、若い子が自分に対して問いかける「自分との対話」であり、自分らしく一歩踏み出すことが平和学習になるのでしょう。





同様の活動が始まった。

オンラインスクールは、21年かの前と後で18名から56名へ跳ね上

修学旅行生へのガイドは1クラ

ら始めた取り組みだ。半年間のカがっている。「平和」を自分の事

スー人が主流だが、PCVでは8リキュラムで、自分の好きなものとして考えてくれた証しだろう。




やりがいを求めて教師になるのではない

2025年08月19日 07時43分00秒 | 教育・子育てあれこれ

今、教職という仕事に魅力を感じない学生が増えていると言われます。


教師の時間外勤務の長さと多忙さが強調して報道され、労働条件が劣悪な教師に「やりがい」などあるのかと疑問をもつ学生が増えているのです。


それほど、教師という仕事を否定的に見ているのであり、教師を志望する学生が減るのは当然と、納得します。


教師になったとき、「やりがい(=学習指導や生徒指導をすることの充実感や価値)があるか」という視点で仕事をみるのとは違うとわたしは考えています。


目の前の生徒から即時の見返りを期待してしまいかねないので、注意が必要です。


一般的に仕事にやりがいを感じたいという人は多いでしょう。しかし、やりがいを得ること自体が目的となるものではありません。


目標や信念をもって仕事をするなかで生まれる「副産物」がやりがいであると私は考えています。


とくに教育という営みはすぐに結果があらわれるものではありません。


また、結果を一概に数値化できるものでもありません。


そういう言い方をすると、「だから、学校の先生は甘いんだ。民間では通用しないぞ」というそしりを受けそうです。


しかし、実際に教育とはそういうものなのです。


児童生徒との時間を積み重ね、卒業までの長期的視点で支援・指導していくのです。


「あのとき先生が言っていたことが数年経った今も思い出される」ということもあるでしょう。


声をかけても授業からエスケープする生徒、時間をかけて指導をしても誤りを繰り返す生徒も確かにいます。


でも、そんな状況に直面したとき「できない生徒がいるから、教師が必要である。繰り返し繰り返し指導する」と自分が教師になった理由を思い返すのです。


もちろんそんなに時間のかかる場合ばかりではありません。

目の前の生徒がすぐに応えてくれることもやりがいを感じる一つです。


たとえば、最初は頑なな態度だった生徒が今日は笑顔で返してくれた。「授業がわからない」と言っていた生徒が声かけによって取り組むようになったとき、教師は喜びを感じます。


日々小さなやりがいを感じられるのが教職です。


彼らがすぐに応えてくれなかったとしても、やりがいがない、「そのことをするだけの価値がない」ということにはならないということなのです。


こういうことは、現場に身を置いてこそ考えることです。


教師になる前から、やりがいだけを第一に求めて、教職を志すものではないと、わたしは考えています。


子どもの権利

2025年08月18日 06時19分00秒 | 教育・子育てあれこれ

日本の社会では、子どもの貧困問題はますます深刻化しています。


物価が高騰して米代も値上がりし、子どものいる経済的困難な状況にある世帯の生活はかなり苦しくなっています。


とくに今の時期は夏休みで給食がありません。


そこで、長期休みに合わせ、無料で食品や文房具を送る活動をしているボランティア団体もあります。



おとなは、すべての子どもたちの権利が実現される社会をめざすべきです。


国連「子どもの権利条約」は、児童の生存及び発達を可能な最大限の範囲で確保するよう求めています(第6条)


また、子どもたちが意見を表明する権利を持ち、意見を聞いてもらえる機会が与えられると明記しています(第12条)


困窮している子どもの声に耳を傾け、それを施策に活かせていくしくみづくりが必要です。



どうする 日本の発電

2025年08月17日 06時35分00秒 | 教育・子育てあれこれ
日本の発電設備、エネルギー調達の歴史を簡単に振り返ってみます。

19世紀のエネルギーの主役は石炭でした。日本は国内の炭鉱開発を推し進め、ドイツやアメリカから石炭火力発電設備を輸入して、国内の炭鉱から石炭をとり発電してきました。

1901年創業の八幡製鉄所を支えたのも筑豊炭田などの国内炭鉱でした。


この点で、戦前の日本はエネルギーのほとんどを自国でまかなっていたのでした。


しかし、エネルギー環境は徐々に変化していきました。1900年に入ると、世界の石炭価格が高騰し、国内から産出する石炭だけでカバーするのは難しくなったのでした。


そこで、水力発電所として、山梨県にはじめての水力発電所を稼働させるなど、徐々に水力発電を拡大し、1910年代初頭には発電量で水力が火力を上回るようになったのでした。


そして第二次世界大戦後、日本は高度経済成長期を迎え、電力の需要は著しく拡大しました。これを支えたのは火力発電でした。1960年代初頭には国内の発電は石油による火力発電が主流になりました。


火力発電の主力燃料は従来の石炭から石油に移り、その石油の調達先は海外からの輸入に頼るようになったのでした。


それでしばらく推移しましたが、1973年には日本のエネルギー状況を大きく揺るがす第1次石油危機(オイルショック)が起こりました。

中東の石油輸出国機構(OPEC)が、原油価格を大きく値上げしました。


火力頼りの現状に危機感を覚えた日本は、世界の唯一の原子爆弾による被爆国でありながらも、原子力発電を重大な決意をもって促進する方向に舵を切りました。


火力発電に比べ、少量の原料で安定した運転ができる原発を安価な電源として、日本各地に原子力発電所の建設を推し進めたのでした。


しかしながら、2011年に発生した東日本大震災による福島第1原発事故で、政府や電力会社がアピールしていた原発の「安全神話」は崩れ去りました。


にもかかわらず、東日本大震災後しばらくしてから、日本は原発の運転期間の延長を可とし、新たな原発建設も進める方針を打ち出しました。

関西電力は福井県の美浜原発で、新たな原子炉の建設に向けた地質調査を再開します。


しかし、使用済み核燃料の行き先など、積み残してきた課題はそのままで未解決のまま原発を稼働させようとしているのです。


その一方で、日本は2050年までに温室効果ガス排出量を実質ゼロにする「カーボンニュートラル」の実現を掲げています。

2040年までに太陽光や風力などの再生可能エネルギーを電源の主力に据える方針を明確にしましたが、実現するかどうかは、かなり困難だと思われます。


日本は現在、総発電量の7割弱を火力発電に頼っており、23年度のエネルギー自給率は、G7の国の中で最も低いのです。

再生可能エネルギーは資源小国の日本にとって、海外依存の脱却と脱炭素を同時に進める「切り札」になると期待されています。


再生可能エネルギーの電源の主力にするため、2040年度には総発電量の4~8%を風力でまかないたいと考えられています。その主軸は洋上風力ですが、このご時世での資材高騰の逆風が強まっています。

洋上風力はあまりにもコストがかかりすぎ、なかなか再生可能エネルギーの拡大は難しいのです。


かといって、原発を継続させるのは被爆国日本のとる選択ではないのは明らかで、このままでは立ち行かなくなる危惧があります。








就職氷河期世代のいま

2025年08月16日 08時48分00秒 | 教育・子育てあれこれ

1990年代前半から2000年代前半に、学校を卒業して社会に出た人たちは「就職氷河期世代」と言われています。


わたしの中学校での教え子もこの世代に含まれる人が多くいます。



就職氷河期世代の数は1700万~2000万人以上いると言われています。


そして、その世代は現在も不安定な生活を強いられている人は多いのです。



4年制大学を卒業した人の就職率はバブルが崩壊した1991年の8l・3%から大きくさがり、2000~2005年は50%台にまで落ち込みました。


なんとか内定をもらったが、業績悪化を理由に取り消しとなった人もいました。


運良く就職できても、数年後には突然倒産する会社もありました。


非正規雇用が増え、安定した生活ができずに、現在も不安定な生活を強いられている人が少なくないのです。


それに、年齢があがるにつれ、病気になる人がいて、働けなくなり、家に引きこもる人もいます。


それに、昨今の物価高が追い打ちをかけます。


氷河期世代に限定しないセーフティーネットを設けるべきです。これまでの国の施策は就労支援などが中心でしたが、年金の底上げや住宅確保といった社会保障面の支援を充実させることも喫緊の課題です。