『至福八端』
『真福八端』とも言われる、真の幸せに導かれる、八つのイエスの教えです。
今日は6月12日。年間第十月曜日。
『今日の福音 イエスの御言葉』
『イエスは腰をおろされると、弟子たちが近くに寄って来た。そこでイエスは口を開き、教えられた。
『山上の説教』
「心の貧しい人々は幸いである、天の国はその人たちのものである。
悲しむ人々は幸いである、 その人たちは慰められる。
柔和な人々は幸いである、 その人たちは地を受け継ぐ。
義に飢え渇く人々は幸いである、その人たちは満たされる。
憐れみ深い人々は幸いである、その人たちは憐れみを受ける。
心の清い人々は幸いである、 その人たちは神を見る。
平和を実現する人々は幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる。
義のために迫害される人々は幸いである、天の国はその人たちのものである。」』
マタイ福音書 5章1-12節
『天の国』は、
『心の貧しい人々』と『義のために迫害されている人々』には保障されているのですね。
皆様!
『八つの幸せ』の内で、あえて一つ、あなた様にとって、どの幸せが一番良いですか?
私にとって。
どの幸せが一番かな? 考えてみました。 『神の子と呼ばれる』 ことだと考えました。
では!
『神の子』 とは何? 神の子と呼ばれるために『実現しなければならない平和』 とは何?
『平和』と考え・・・
一番に思いつく 『イエスが実現する平和』 です。
『わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。
わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない。心を騒がせるな。おびえるな。』
ヨハネ福音書 14-27
『心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい。
わたしの父の家には住む所がたくさんある。
もしなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろうか。
行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える。
こうして、わたしのいる所に、あなたがたもいることになる。』
ヨハネ福音書 14章1-3節
『イエスの平和』 は
『世が与えるように与えるのではない。』
この世で考える平和とは、一味違う平和のようです。信仰における平和ということです。
『世が与える平和』は、問題解決で、平和がもたらされると考えますよね。
『キリストが与える平和』は、
問題がありつつも、心騒がすことがない、『神との関係において充足状態にある』 平和です。
神の愛を信じ、キリストの十字架上の贖罪を信じ、『天国での我が場所』のあることを信じることです。
信仰による『平安』です。 心騒ぐことがない 『充足状態』です。
『神の子』と考え・・・
一番に思いつく 『イエスは神の独り子』 です。
『神の平和』をもたらす人が、『神の子』なのです。
私たちも、
お人に、物ではなく、『心の平安』をもたらし・・・『神の子』と呼ばれましょう!
頑張りましょう!
皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
皆様の『心の平安』はどこから生まれますか? 私の平安は信仰からです。