マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

アスリート根性  そして  クリスチャン根性

2015-09-11 22:16:30 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。

 今日は夫はゴルフ。 3日間続くコンペに参加です。 夫は初日のメンバーでした。
  コンペ順位結果は、全員のゴルフが終わってから、三日後に出ます。

  今日は参加賞のみ。     『ミニ胡蝶蘭』
  
   運転して帰宅した夫は、玄関に倒れ込んだ。座り込んだのです。
   実は・・・夫は、今朝のシャワーの時、ぎっくり腰を起こしていたのです。

 今朝出発前の夫婦の会話。
    「やめた方がいいのでは?」 と私。
    「いや、大丈夫!行ってくる。」 と夫。
 帰宅の車が到着した時の夫婦の会話。
    「いかがでしたか?」 とぎっくり腰の様子を聞いた私。
    「なかなか好い線を行けたよ。ひょっとして・・優勝!」と試合の様子を語る夫。

     試合中は、ゴルフを普通にこなしたそうです。
 帰宅後は、ゴルフクラブを車から降ろすこともできなく、玄関に座り込んだ夫。

      ゴルフは、メンタルスポーツといいますよね。
今日の夫のゴルフは、長年のゴルフを重ねる経験によって築き上げた『アスリート根性』が成せるゴルフでした。

     夫の体にとって、良いのか悪いのか分かりません。
         ただ。
夫のゴルフの『アスリート根性:精神力と集中力』には、いつもながら、只々、敬服で頭が下がる私です。


そして。
今日午前中は私は聖書講座。

 『わたしがおまえを憐れんでやったように、お前も自分の仲間を憐れんでやるべきである。』
                                       マタイ福音書 18章33節

     テーマ:
       何故? 人は人を赦すのか? 何故? 赦さなくてはいけないのか?

    それは・・・
 自分では償うことができない罪を、キリストの十字架上での贖罪によって許されたのだから、
    私達も人を赦すべきということです。 赦すのは人間として当たり前のことなのです。
    人間として当たり前のことをしないことは、不自然なことなのです。

    それは・・・
 イエス御自身が、憐れみの心で、人類のために、十字架にかかったのだから、
    神の赦しに応えて、人も、隣人兄弟の罪を赦すことは当然である。

            それでは・・・    
       全てを赦すまでに人は成長できるのでしょうか?

  私達も兄弟を赦すことにより、少しずつ、キリストの十字架に近づくことができるのです。
         逆説のようですが、
 私達も、大きな苦しみや犠牲の伴う、身を削るような赦しを重ねていくうちに、初めて、
                         『キリストの愛』を実感出来るようになるのです。
     
  
    人を赦す経験をしていくことで、『クリスチャン根性:許し』 が身につくのです。

             『赦す』 は、英語では 『FORGIVE』 です。
         『FOR GIVE』は、日本語では 『与える』 意味です。 
人類に自分の命すら与えるキリスト。 借金の帳消し。自分の意見も消し去る。損することなのです。

                                     以上。聖書講座の一部でした。

    『アスリート根性』も『クリスチャン根性』も、継続して努力して、初めて身につくことですね。
        

皆様!
ご訪問に感謝申し上げます。
皆様は、どんな根性に挑戦しておいですか? 挑戦は、苦しいですが、人生の醍醐味ですね!

*************
今日:11日の運動: ウォーキングのみ。足跡8375歩