今日は夫はゴルフ。 3日間続くコンペに参加です。 夫は初日のメンバーでした。
コンペ順位結果は、全員のゴルフが終わってから、三日後に出ます。
今日は参加賞のみ。 『ミニ胡蝶蘭』
運転して帰宅した夫は、玄関に倒れ込んだ。座り込んだのです。
実は・・・夫は、今朝のシャワーの時、ぎっくり腰を起こしていたのです。
今朝出発前の夫婦の会話。
「やめた方がいいのでは?」 と私。
「いや、大丈夫!行ってくる。」 と夫。
帰宅の車が到着した時の夫婦の会話。
「いかがでしたか?」 とぎっくり腰の様子を聞いた私。
「なかなか好い線を行けたよ。ひょっとして・・優勝!」と試合の様子を語る夫。
試合中は、ゴルフを普通にこなしたそうです。
帰宅後は、ゴルフクラブを車から降ろすこともできなく、玄関に座り込んだ夫。
ゴルフは、メンタルスポーツといいますよね。
今日の夫のゴルフは、長年のゴルフを重ねる経験によって築き上げた『アスリート根性』が成せるゴルフでした。
夫の体にとって、良いのか悪いのか分かりません。
ただ。
夫のゴルフの『アスリート根性:精神力と集中力』には、いつもながら、只々、敬服で頭が下がる私です。
そして。
今日午前中は私は聖書講座。
『わたしがおまえを憐れんでやったように、お前も自分の仲間を憐れんでやるべきである。』
マタイ福音書 18章33節
テーマ:
何故? 人は人を赦すのか? 何故? 赦さなくてはいけないのか?
それは・・・
自分では償うことができない罪を、キリストの十字架上での贖罪によって許されたのだから、
私達も人を赦すべきということです。 赦すのは人間として当たり前のことなのです。
人間として当たり前のことをしないことは、不自然なことなのです。
それは・・・
イエス御自身が、憐れみの心で、人類のために、十字架にかかったのだから、
神の赦しに応えて、人も、隣人兄弟の罪を赦すことは当然である。
それでは・・・
全てを赦すまでに人は成長できるのでしょうか?
私達も兄弟を赦すことにより、少しずつ、キリストの十字架に近づくことができるのです。
逆説のようですが、
私達も、大きな苦しみや犠牲の伴う、身を削るような赦しを重ねていくうちに、初めて、
『キリストの愛』を実感出来るようになるのです。
人を赦す経験をしていくことで、『クリスチャン根性:許し』 が身につくのです。
『赦す』 は、英語では 『FORGIVE』 です。
『FOR GIVE』は、日本語では 『与える』 意味です。
人類に自分の命すら与えるキリスト。 借金の帳消し。自分の意見も消し去る。損することなのです。
以上。聖書講座の一部でした。
『アスリート根性』も『クリスチャン根性』も、継続して努力して、初めて身につくことですね。
皆様!
ご訪問に感謝申し上げます。
皆様は、どんな根性に挑戦しておいですか? 挑戦は、苦しいですが、人生の醍醐味ですね!
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今日:11日の運動: ウォーキングのみ。足跡8375歩