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こずえの遊び日記

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2020-08-01 | Weblog
先月(2020年7月4日~買いました編~も覗いて見て下さいね)  今 はまっているコミック‘ゴールデンカムイ’を買った時に、表紙を外すと、アイヌの衣装のイラストが描かれているのを紹介しましたが、先日、10~22巻まで買い、表紙の衣装イラストを紹介していなかったので  今回、いろいろと衣装の種類があったので、調べてみました  アイヌ 狩猟採集民族で、物々交換をし、独特の文様を持つ文化  織物や服装に文様が入り、体にも刺青を入れていて、住居は、北海道のアイヌは‘チセ’と呼んでいます。アイヌの毛皮や海産物と、当時、日本人を和人と呼んでいましたが、和人と米や食料、漆器や木綿、鉄器と交換し、和人の他にも大陸の人との交易も行っていました。アイヌの人のDNAは、琉球民族の人とが一番近く、縄文人と近いそうです 北海道アイヌの文化には、‘イオマンテ’ [ヒグマなどの動物を殺して、祭壇にヒグマの頭部を祀り、酒食などを捧げて、その魂であるカムイを神々の世界に送り返す儀式。地域によっては、シマフクロウやシャチを祀りました] や、男性の耳環や女性の入墨があり、明治4年に、女性の口の周りの入墨と、‘チセ・ウフイフカ’と呼ばれる、老女が死ぬと、遺体を墓地に土葬した後、個人の持ち物の家を炊き上げる儀式が政府によって禁止となりました  アイヌには、北海道地域だけでなく、北海道の北にある樺太の北緯50度付近、南樺太に樺太アイヌ。北海道の根室の先にある千島列島には、千島アイヌが居住ている民族  樺太・千島列島も戦後は、ロシア領になり、千島アイヌは文化を継承できる人はいないと考えられているそうです  かつては、明治時代になり、蝦夷地と呼ばれた地は北海道と呼ばれ、日露戦争後に、樺太の北緯50度以南は、日本の領土となっていたそうです  樺太アイヌ  北海道アイヌと少し違う文化もあり、住居は、夏はエゾマツの樹皮を用いて屋根を葺いていた ‘サハチセ’・冬は竪穴住居の‘トイチセ’と2つ持っていて、青森県の三内丸山遺跡の縄文時代の土葺き竪穴住居に、煙突がついている住居だったそうです  ‘トンコリ’という5弦の弦楽器が樺太アイヌ独自の楽器  衣服は、樺太は北海道より寒冷地だったので、イラクサの樹皮や、トナカイやジャコウジカの獣の皮を使ったもの、イトウやアメマスなどの魚の皮で作られ、クマや山猫では作らず、晴れ着は、肩に文様が入ったものでした  千島アイヌでは、繊維用の資源が乏しいので、海鳥などの羽毛皮を使ったものを衣服としていました  
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