河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

PC版に一覧等リンクあり。
OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

1127- カンブルラン 読響 ドビュッシーペレメリ コルンゴルトVn協 ヴィヴィアン・ワーグナー マーラー作曲ブリテン編曲 野の花々が私に語ること シューマン4番第1稿 2010.11.29

2010-11-30 17:26:45 | インポート

.
2010-2011シーズン聴いたコンサート観たオペラはこちらから
.

2010年11月29日(月)7:00pm
サントリーホール
.
ドビュッシー 「ペレアスとメリザンド」交響曲
.
コルンゴルト ヴァイオリン協奏曲
 ヴァイオリン、ヴィヴィアン・ハーグナー
.
マーラー
(ブリテン編曲:オリジナルは交響曲第3番第2楽章)
  野の花々が私に語ること
.
シューマン 交響曲第4番(第1稿)
.
シルヴァン・カンブルラン指揮
読売日本交響楽団
.

4曲並べたコンサートは最近珍しい。こうゆう手応えのある演奏会をもっと聴きたい。
この日の演奏で一番気に入ったのがシューマン。筋肉質で締まっていて音場が磁極にひかれるように一定の方向感をもって鳴る。聴きごたえがありました。また、第3楽章のトリオにおけるウィンドとストリングの流れるような美しさは川面に流れるビロード、何本もの線がゆらゆらと揺れて流れる様はこよなくきれいで透明で美しかった。満点。
曲自体特に第1,4楽章はリズムがつんのめっているような感じで、前ではなく上下に走っているような錯覚を覚えたりしますが、正確性を前面にだすとこうなる。従ってカンブルランの面目躍如ということになります。そしてときおりアクセントをきかせたこぎみの良いスタッカートが曲の流れを整え変則リズムの快感を再認識させてくれます。曲の味わいというものをあらためて感じました。よかったですよ。
カンブルランとしてはどちらかというとシューマン以外の3曲をやりたかったのではないかと思えますが、結果はえてしてこのようになったりするものです。
.
1曲目のペレメリは、この指揮者セレクトのシェーンベルク、フォーレに続くものです。3回のペレメリでは今回のが聴く方としては一番困難をともなったのではないでしょうか。
クラウディオ・アバドはウィーンとの全曲盤やベルリン・フィルと断片を録音していて、そこらあたりを愛聴盤にしている人とか、最近のアルミンク&新日フィルのオペラ公演を見た人たちなら、違和感なくすんなりはいっていけて、さらにものたりない、というところまでいっちゃう感想だと思うのですけれど、そうでなければ、なにがなんだかわからない。音の広がりが武満よりはあるなぁとか、澄み切ったもやもや感、など不思議どまりだったかもしれませんね。
録音で聴くペレメリなどよりも、この日の演奏は断然締まっていて行き先明瞭でクリア、大きなリズムまで感じることが出来るやっぱりカンブルランの得意技といえますね。この指揮者、今が絶好調というのがよくわかります。
.
2曲目のコルンゴルト。これはやっぱり、ジャナンドレア・ノセダ&N響の公演(1049-)が決して忘れられませんね。ヴァイオリニストは誰だったのか忘れてしまうぐらいすさまじい棒でした。
ヴィヴィアンさんは割と太めの音で、なぎ倒す感じではありません。どちらかというとストイックで、第3楽章などもウキウキ感より誠実に一つずつフレーズを進めて弾いていくそんな感じですね。この曲がなかなか流行りきらないのは第1,2楽章の難解さ、馴染みにくさにあると思います。よくわからない、というのが正直なところ。ただ、負の色ではないなとは思います。出来れば明るい目で流してほしい。
カンブルランはノセダのような爆発棒ではありません。難渋な曲を真摯に振っていたと思います。伴奏ということもあって彼のレパートリーではないと思いますが、感覚的に振りこなせる感じ。
.
マーラー。このような編曲は初めて聴きます。オリジナルとの違いを調べるような調子で聴く必要もないと思います。編成は少し小粒ですが、締まったサウンドで流れるようないい曲ですね。3番は昔はあまり演奏会で取り上げられることがなかったのですが、最近は割と頻繁。マーラーイヤーですのでこれからも続くでしょうね。
ブラ1の第4楽章の例のメロディーそのものといった感じのホルンで始まるマーラー3番第1楽章ではありますけれど、約40分の第1楽章か、なんて昔聴いたときはびっくりしましたことを覚えてます。ここだけでモーツアルト2曲聴けるなぁ。
それで、オーケストラが全奏で回転し第1楽章をおえて、ようやくこの静かで素朴な第2楽章を聴くことが出来る。脳裏での聴き比べ。
マーラーイヤーにふさわしい選曲と演奏でした。
おわり
.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人気ブログランキングへ


1126- ショパン協2番ダン・タイ・ソン ブルックナー8番 スダーン 東響2010.11.27

2010-11-30 15:26:31 | インポート

101127_173001


2010-2011シーズン聴いたコンサート観たオペラはこちらから
.

2010年11月27日(土)6:00pm
サントリーホール
.
≪ショパン 生誕200年≫
ショパン ピアノ協奏曲第2番
 ピアノ、ダン・タイ・ソン
.
ブルックナー 交響曲第8番(ノヴァーク版第2稿)
.
ユベール・スダーン指揮
東京交響楽団
.

いまどきブルックナー1曲でおしまいというのがはやりで、このような長めのプログラミングはわりとめずらしい。
11月12月は在京のオケ、何故か知らんがブルックナー8番だらけ。全部聴く必要もないが、ちょっと前に高関さんという人のハース版の8番を聴いた。ちょっとむずかしいと思う。
.
この日のスダーンさんはどうなんでしょう。この指揮者はたぶん初めて聴くような気がします。昔はスーダンって呼んでたのかな?英語読みなら、ヒューバート・スーダンで決まりだと思いますけど。でもオランダ人ですからね。
.
それでブル8ですけれど、その前にこの指揮者の動き、ブルックナーというよりもまるでチャイコフスキーとかプロコフィエフでも振っているような仕草棒なんです。ナッツクラッカーとか思い浮かべてみてください。あの棒でブルックナー振られたら出したい音も出てこないのではないか、そんな感じです。
外見は中身ほど大切というわけではありませんので、とりあえずはなるべく上の方を眺めながらの鑑賞となりました。
簡単に言うと、第1,2,3楽章はプレイヤーも指揮者も流れが悪く、おそるおそるやっているわけではありませんが、ノリの悪い演奏に終始してました。それが終楽章の提示部第3主題あたりからようやくノリはじめ、バランスとか縦の線とかいちいち気を使わなくてもフレージングがきれいに流れはじめました。この第4楽章はよかったと思います。演奏に対する安心感みたいなものが出てきましたのでね。ですので、翌日同じプログラムがあるかと思いましたが、きっと頭からいい演奏が聴ける確率が高いと思います。指揮者とオケともに慣れていない感じでしたからね。
いくら技術的に相応にこなしていてもそれがいい演奏というわけでもなく、今回の例で言うとぎこちなさを一度解消してから、もう一度演奏してほしい。通しやってたんですかね。
タイミングはだいたい以下
Ⅰ:16分
Ⅱ:14分
Ⅲ:22分
Ⅳ:21分
トータル:73分
一番深みがないのがブラスが強奏するところ。ただ、バーンとベニヤ板が上の方にしなったような、トクホンをお腹に貼ったような、なんとも味気なの無い深みの無い音。
ズッシーン、とこない。
これ、ブルックナーの音の出し方慣れていないからなんですね。バーンとくるから弦やウィンドがかき消され、ブラバンモード。
ズッシーン、という出し方は、まわりの、気配の音、を聴きながら、ギリギリどこまで待てるかみたいな感じの究極ポイントで下方から泉が湧き出るようにサウンドが上方に広がる。感覚の問題だ。指揮者がたぶん慣れていない。ヴァントが昔、N響でブルックナーを振っていたときは、完全に、この作曲家の曲を移植しに来たという感じだったのだが、スダーンにそのような具合のかけらもない。自分本人がこれから作り上げていくか、とりあえず横においてしまうのか、といったあたりが選択肢ではあろうかと思います。
フォルムに関しては、フォルムの前に深みがない。そんなところです。
第4楽章はよかったので、再度言っておきますが、翌日の演奏はおそらく良かったと思います。
.

プログラム前半のショパンの第2番はメロディーだけ聴いているといつの間にか頭の中が第1番と第2番をさまよったりしてしまいます。通奏低音だけのようなオケ伴など飽くまでもピアノ個体を聴く曲でしょう。
タイ・ソンは見た目はあっさりしたものですが、指の見えるような近くだと、両腕を必要以上に上げ下げせず比較的軽めのタッチで流すように弾いていきます。さらっとしたもんです。
結果、ショパンの美しさが際立ったものであることを理解できる。作曲家の音を妨げない。綺麗な並びのオタマと美しさが沁みる演奏でした。
.

人気ブログランキングへ


1125- ウィルヘルム・フルトヴェングラー命日~ゼロからの回帰

2010-11-30 13:53:45 | インポート

今日11月30日はフルトヴェングラーが1954年に68才で亡くなってから56年となりました。思えば長いようで短い、時代の移り変わりは容赦なく。
この命日にあわせてまた本が一冊刊行されました。
.
「巨匠フルトヴェングラーの生涯」
アルファベータ社 504ページ
2010年11月30日発売
4700円(税別)
とりあえず買ってしまいましたがすぐに読み始めるかどうかはわかりません。自分でも。
.
日本フルトヴェングラー協会というのが昔からありまして、早い時期から入会していて、今でもそうなんですが、ひところだいぶ興ざめになったこともありますけれど、別に退会する必要もないのでそのままとなってます。いまは年会費制になっておりますね。
それで、いつ入会したのか調べてみたら、昭和49年1月某日でした。1025足して1974年ですね。会員番号は一度リナンバーされております。桁が増えただけですけど。
.
また、興ざめの時期にヤフオクで、音源、書籍等を大量処分しましたので、ご存知の方もいらっしゃるかと思います。最近の乱立音源を除けばほとんどがプレミアムが大幅についてかなり値がつりあがりました。CDで一番落札金額がつりあがったのは定価の33倍でした。などなど。
ただ、全部処分したわけではなくて、まだ、あります。たまに聴いてます。印象的なのは時代とともにウラニアのエロイカの音質がよくなっていること。あとは、聴く方のスタイルとして、実況録音については、当時のプログラムの順番で聴き演奏会イメージを頭の中で作り上げて。そんな感じはあります。
まぁ、どっちにしろ一度通過しました。
それで最近は、他の20000枚のCDを聴くときと同じような平衡感覚で、たまに、聴く。そんなところですね。
今日のブログタイトルの「ゼロからの回帰」というのは、ですから、自分自身のフルトヴェングラーに向かう、今の姿勢のことをいっていることになります。
大量処分して、いっぺん頭をワイプアウトして、骨董品収集みたいに集めることが目的みたいなそんなことをやめれば、なんだか自由になれるというか、なにもなくても頭の中に残っていたことだけで書けるというか、残像の寄せ集めなんだと思うのだが、それなりにひとつの像が出来上がってきますね。
.
河童メソッドのブログでもフルトヴェングラーものは折を見ては書いてましたので、一覧を下にリンクしておきます。
内容としては稚拙、ダブりあり、古い、などありますが、最初に書いた時のままですのでしょうがないです。若い番号の方から読むとそれなりの順序になってますので、これからフルトヴェングラーファンになる人とか、そうでない人、同じような人、興味関心のない人、どなたでもよろしいですので、一度、よろしくお願いします。
今ならもう少しましな文面で書けますが、それだからといって内容の掘り下げもできるかと言ったら怪しいので、とりあえず、ママとしてます。ゆくゆくは整備対象ではありますけれど。

.

.

935- フルトヴェングラーの命日に寄せて

457‐ フルトヴェングラー現る

456‐ 終わりそうで終わらない日本F協会

455‐ 五里霧中にさせてくれる日本F協会

374- フルトヴェングラーのニューヨーク・フィル定期 1926-1927シーズン

307- フルトヴェングラーのニューヨーク・フィル定期 1925-1926シーズン

229- 同曲同演フルトヴェングラー

228- フルトヴェングラーな夜

227- フルトヴェングラーのニューヨーク・フィル定期 1924-1925シーズン

048- ニューヨーク・フィルハーモニック with フルトヴェングラー

047- 決死のイヴェント前夜に聴きたくなるフルヴェン

046- フルトヴェングラー Taking Sides

045- フルトヴェングラー 交響曲第1番 日本初演

044- フルトヴェングラー 対 大木さん

043- 経年変化に耐え続けるフルトヴェングラー

042- フルトヴェングラー エキセントリック・コンサート