河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

PC版に一覧等リンクあり。
OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

2687- マーラー2番、復活、カトリン・ゲーリング、森谷真理、上岡敏之、新日フィル、栗友会、2019.3.30

2019-03-30 22:27:25 | コンサート

2019年3月30日(土) 2pm サントリー

マーラー 交響曲第2番ハ短調 復活  23-9-11-6-35

ソプラノ、森谷真理
アルト、カトリン・ゲーリング
合唱、栗友会合唱団

上岡敏之 指揮 新日本フィルハーモニー交響楽団


全編で90分に渡るリザレクション、冒頭から上岡独特の長めのアタックがこのオーケストラによく合うもので柔らかな物腰の復活は騒ぎ立てるものでは全く無くて、作品の一つの姿を指揮者オケ共々、照らす強いて言えばクール、静かな興奮が満ち溢れてくる説得力のあるものでした。

方針がよくわかる長い第1楽章に続き、思いの外深刻さを見せることの無い力まずの第2楽章、そして突き刺す一撃から始まる第3楽章は折り返し点的沸騰さを垣間見せてくれた。

原光から大団円の終楽章、併せて40分を越えるもの。激しくのたうち回る演奏の真逆をいく、歌心に満ちた静かなクライマックスは精神のおちつきとシンクロしているようでもあり、大きく弧を描きスウィングしていく様は方舟に帆が有ったらこうなっていただろうなと、精神の救いまで思わせてくれる共感度の高いものだった。

さらに、曲の表情に絶妙の味付けと深みをつけてくれた二人のソリスト。惚れ惚れする歌唱。
カトリン・ゲーリングは一昨年、同指揮オケ伴奏で、圧巻のヴェーゼンドンクを披露、当地でも上岡の振るパルジファルでも共演したことがあるということで、阿吽の呼吸だったのだろうねもともと。彼女の、込めた力が抑え気味にコントロールされ下ごしらえ十分な歌い口で発せられると抜群の安定感と深みが自然に鼓膜に心地よい振動となって伝わってくる。
隣の森谷さんの集中力が凄い。今日はみんな凄いピアニシモなワールドで、わけても森谷さんのppからfまでの歌いっぷり、滑らかで気品があって仕草や物腰が絵になる。
この二人のソリストが上岡復活に寄与、明々白々。
合唱も意を汲んだもので見事な斉唱、一つの音程が幅広く感じられて、精度はもっと上げられると思う。

上岡の作り出す音楽は大人の音楽で、ひとつ例えると、音楽監督や常任指揮者、それと客演で現れる指揮者達、彼らが合わさってオーケストラに表現の厚みや幅が完結するようなところがある中、上岡はそういったものを一人で内包していて多様な表現が出来る、とびっきりの指揮者だと思う。

今日のフライングは興味深いもので、値の張る2階センター前方から始まる。ばつが悪いと思ったのか一旦止み、改めて仕切り直しの拍手が全体に湧くというものだった。この位置の席からフライングが始まるというのはあまり記憶にない。彼らもたまにはフライングしてみたいのだろう。
おわり









 

 


2686- ジュノム、ドゥ・ラ・サール、エロイカ、スダーン、OEK、2019.3.28

2019-03-28 23:07:39 | コンサート

2019年3月28日(木) 7pm サントリー

モーツァルト 皇帝ティートの慈悲 序曲K.621  5

モーツァルト ピアノ協奏曲第9番変ホ長調K.271ジュノム  11-12-11
  ピアノ、リーズ・ドゥ・ラ・サール
(encore)
ドビュッシー 前奏曲第1集より 亜麻色の髪の乙女   2

int

ベートーヴェン 交響曲第3番変ホ長調op.55  18-14-5-11


ユベール・スダーン 指揮 オーケストラ・アンサンブル金沢


スダーンを聴くのは2017年のガル祭り以来。あれとは一味も二味も違う、下ごしらえ十分、峻烈でエネルギッシュでパワフルなエロイカ堪能。目の覚めるような演奏だった。もう、はねつけるようなサウンドは初めから残響に依存しない激烈できりりと引き締まった鮮やかな演奏であった。
今日のスダーンOEKを聴いて思い出しました。オルフェウス室内管の、あの、全員キュッキュッと靴が鳴るようなシャープな物腰のサウンド。カミソリパワーで行けるとこまで行っちまう感じ。

この日のOEKはあのガル祭りの慌ただしさとは随分と異なりベストコンディションだったのだろう。このホールをデッドにさせるような力がみなぎっていて、クリアで明瞭、明確な輪郭。快速テンポを1拍子系ではなく概ね3拍子振り、沸き立つようなエロイカ。なんだかガラリと若返った感じ。ホールをねじふせるエロイカの若返り。
スダーンのシャープな棒。思っていなかったからか余計うなってしまったところもあったかと、あまり、過去の事やまわりに引きずり回されずに聴いたほうがいいねと再認識。そういったことを色々と反省させてくれるところもあって、もの凄く印象的なエロイカとなりました。


ジュノムのオケ伴がかなりシンフォニックな中、ラサールはモツソナの世界に傾斜していく中間楽章。あれはモツソナモードですな。彼女のピアノはお初で聴きます。
初楽章のクルリとしゃくりあげるような独特な弾きっぷり、終楽章の活力のあるソロ。
ひとつ先を行く様な前進するジュノム、前のめりとはちと違う。余裕の歌い口と見ました。素敵なジュノム節、堪能しました。


今日の演奏会、やっぱり、一曲目のティートの決まり具合が半端なかった。活き活きしている。指揮者、オーケストラともにやる気十分。
冠コンサートだったのかそのての連中がうじゃうじゃいて、客待ち、お上待ち、リーマン世界満開でちょっと心配したが、この一曲目で静まらせて、払拭。
充実のコンサートを満喫しました。ありがとうございました。
おわり


 







2685- 悲劇的序曲、シェロモ、リプキン、ショスタコーヴィチ5番、インバル、都響、2019.3.26

2019-03-26 23:08:46 | コンサート

2019年3月26日(火) 7pm 東京文化会館

ブラームス 悲劇的序曲op.81  12

ブロッホ ヘブライ狂詩曲 シェロモ  26
 チェロ、ガブリエル・リプキン

Int

ショスタコーヴィチ 交響曲第5番ニ短調op.47  15-5-13-11

エリアフ・インバル 指揮 東京都交響楽団



リプキンの強靭でしなやか、そして隅々まで丹念に弾き込んだチェロ。インバルの共感棒もあってか見事なもので聴きごたえありました。

ショスタコーヴィチは作為が目立つ。例えば、終楽章中間部のホルンソロの最後のフレーズの引き伸ばし的リタルダンド、そのあとどうするのだろう、次の節(セツ)とのバランスが崩れている。等々、歯切れとは別の事を始めたのかな、作り込んだテンポ、細かい揺れ、妙な5番だった。
おわり


2684- 新国立、マスネ ウェルテル、二コラ・ジョエル演出、ポール・ダニエル、東響、2019.3.26

2019-03-26 22:00:18 | オペラ

2019年3月26日(火) 2:00-5:15pm オペラパレス、新国立劇場、初台

新国立劇場 プレゼンツ
マスネ 作曲
二コラ・ジョエル プロダクション

ウェルテル

キャスト(in order of appearance)
1.大法官、伊藤貴之 (Bs)
1.6人の子供
2.シュミット、糸賀修平 (T)
2.ジョアン、駒田敏章 (Br)
3.ソフィー、幸田浩子 (S)
4.シャルロット、藤村実穂子 (Ms)
5.ウェルテル、サイミール・ピルグ (T)
6.ブリューマン、寺田宗章 (T)
6.ケッチェン、肥沼諒子 (S)
7.アルベール、黒田博(Br)

合唱、新国立劇場合唱団
児童合唱、多摩ファミリーシンガーズ
ポール・ダニエル 指揮 東京交響楽団

(duration)

第1幕  5+41
Int
第2幕  2+29
Int
第3幕  2+33+
第4幕  4+15



このプロダクションは何度か観ている。元ストーリーともども、やはり、なぜとかホワイとか質問を投げかけてはいけないのではないかと思う。あまり意味のない事だ。
独り妄想のウェルテルは、最初から死んでいて最後にそれに自ら気がついたという映画があったがあれを思い出す。
3幕4幕のソロ、デュエットともに圧巻。線がクリアで大きな声の圧唱シャルロット藤村、見事につられたかウェルテルのピルグの光り輝く名唱。それにアルベール黒田はじめ周りが充実。一滴も漏らさない歌唱や動き。こういったあたりの積み重ねというのは本当に劇を濃いものにしている。
1幕から終幕にかけてじっくりゆっくりとテンション上げ密になっていく。用意周到なオペラと思う。滔々と敷きつめられた見事な音々が隙間なく劇を埋めていき、ダニエル東響が今日最強の克明な一撃で愛のそぎ落としに幕。峻烈なオペラワールド。秀逸な伴奏は欠かせない。

前回はウェルテル、シャルロット、アルベール、この3人が外国組だったが、今回は、ウェルテル以外はすべて日本人で、ジックリと時間をかけて場づくりが出来たのではないかと思う。シャルロットの藤村の存在が大きいですね。


千円の別売プログラムはその場で全てを読むことは出来ない。オペラが終わってうちに持ち帰りゆっくりと読む。読み応えのあるものですね。最近、活字飢え読みたい病がまたぞろ出てきたのでいい感じではある。
おわり

 










2683- モーツァルト5番トルコ風、エーベルレ、ショスタコーヴィチ4番、ウルバンスキ、東響、2019.3.25

2019-03-25 23:28:53 | コンサート

2019年3月25日(月) 7pm サントリー

モーツァルト ヴァイオリン協奏曲第5番イ長調K.219トルコ風 9-8-10
 ヴァイオリン、ヴェロニカ・エーベルレ

(encore)
プロコフィエフ 無伴奏ヴァイオリンソナタ ニ長調Op.115 第2楽章より  2

Int

ショスタコーヴィッチ 交響曲第4番ハ短調op.43  27-9-26


クシシュトフ・ウルバンスキ 指揮 東京交響楽団


大曲、ショスタコーヴィチお得意の3楽章形式、ヘヴィーな4番。譜面を開いていたが見ていたのかどうかは判然としない見事なウルバンスキ棒はスタイリッシュなもの。
ドロドロしたものや、音色旋律風味なところ、マーチ、ワルツ、分断と連結、等々。15番の引用系とは、やはり違うものだなと、納得させてくれる。ここにきて、ようやく、まだまだ分からない曲だということが改めて分かった。4番と15番は辿り着いた先は同じかもしれないが発想の道筋が違っている。そうゆう気持ちを持って4番を聴いてみないといけない。特に、音量強大な爆なところに耳を奪われては、全くいけないと認識。指揮者の認識も同じと見る。
ウルバンスキの棒さばきというのは終始、胸より上で動く。下にさがらない。プレイヤーたちによく見えるものだろう。正確な棒で、みんなが、よくわからない曲だから一緒に学ぼうね、という気概に満ちている。
これまで持っていた4番のイメージを刷新させてくれたウルバンスキ東響、これでますます噛み締めながらこの作品を聴くことができるようになった。
東響の艶やかさというのは円錐形では無くて縦向き円筒形。ベースの音量が少し弱い気がする。



前半のヴァイオリン、エーベルレはたぶんお初で聴くと思う。素晴らしくきれいな音で、一点の曇りもない。モーツァルトのトルコ風、洒脱なプレイ、堪能しました。
おわり

 












2682- オルフェウスの庭、瀬川裕美子ピアノリサイタル vol.7 2019.3.23

2019-03-23 21:29:11 | リサイタル

2019年3月23日(土) 4pm トッパンホール

瀬川裕美子 ピアノ リサイタル vol.7 オルフェウスの庭

バッハ オルガン・コラール 汝の玉座の前に今や歩み寄り BWV668  4

ブーレーズ ピアノ・ソナタ第2番(1948)  6-9-2-9

ピート=ヤン・ファン・ロッスム amour (2018) 世界初演  12

Int

ストラヴィンスキー ピアノ・ソナタ(1924)  3-5-3

近藤譲 三冬 委嘱新作(2019) 世界初演  7

バッハ パルティータ第6番ホ短調BWV830  22

(encore)
ブーレーズ 12のノタシオン 第2曲   0:30

バッハ コラール 我らの苦しみの極みにあるときBWV432 (弾き歌い)  1


以上

ピアノ、瀬川裕美子


瀬川さんを聴くのは2度目。今年のテーマはオルフェウスの庭。これはパウル・クレーの絵の事ですね。
充実のプログラム冊子はとてもその場で読み切れるものではなくて、じっくりとあとで読むことに。

プログラムは6作品。最初と最後にバッハ。前半と後半に世界初演がひとつずつ。練られたプログラム、充実の演奏、納得の冊子、申し分ないもの。お目当てはブーレーズかな、などと思いつつ6つの庭に足を踏み入れてみる。


最初にバッハの庭。オルガン・コラール。
バッハ最後期の作品で、彼女の解説文を待つまでもなくかなり考えぬかれたというか、言いたいことが沢山ありそうな内容。ブーレーズを絡めた解説は面白いし深みを感じますね。バッハの音は太くて、重い。


ブーレーズの庭。一曲目で暗示させたブーレーズが2曲目。
12音の解体、それなのになぜ楽章は4つのままなのだろうという思いは、それはやっぱり、中に入らないと解体できないということなんだろう。充実の作品で何度聴いても飽きることがない。作曲家のインスピレーションや閃きの持続を感じる。一瞬ではなくて連続する閃き。この時代のやっぱり天才技。
瀬川さんのプレイは速めで、どんどん先に進んでいく。響きはとってもまろやか風味。極度な峻烈さを前面に出さずとも分解能を味わえる。終楽章のアップテンポは迫力ありましたね。加速、そして、ひとつ呼吸を置いてゆっくりと終止。機械に油が注がれたような瞬間でした。お見事でした。
12個の音の配列が、譜面にある内は分かりやすいが、一旦音になるとわからなくなる。鳴れば理解できる音楽ではなく、鳴ればわからなくなる音楽。感覚が真逆なものを意識することなく12音屋さんは作ってしまったのか。ブーレーズはどうなんだろう。今日の2番、たしかに、ワルトシュタイン聴こえませんか。


3曲目はロッスムの庭。amour愛、世界初演。
12分ほどの曲。上昇音形の進行、湧きたつハープのような響き。甘いメロディーも印象的です。
この作品を作ったご本人登場。


以上、前半3曲。休憩を置いて後半へ。


ストラヴィンスキーの庭。
ストラヴィンスキーのピアノソナタはクラッシックな型にはまっていてわかりやすい。このての作品は規模感あってもどんどん吸収できる。
演奏はまろやかさとメリハリの融合。頭の中できっちりと整理整頓できてる感じ。


後半二つ目は近藤の庭。
タイトルの三冬とは冬の三ヶ月、神無月・霜月・師走のこと。委嘱作品の世界初演。
途切れる音、ちょっとイメージがわかない。ピンとこないものがある。音楽ではないものへの思いも譜面に書いているような感じだ。


最後は再びバッハの庭。
パルティータは大きな作品。前半のブーレーズ、後半のストラヴィンスキー、両ソナタの空気圧を一気に解放感しているような趣きで、一気呵成な流れで素晴らしくノリの良い演奏。まろやかピアノ、リラックスバッハ。鮮やかでお見事。


以上6作品おわり。アンコール2曲。
アンコール2曲目はバッハの弾き歌い。昨年も声があったので驚くことはないけれど、知らないとびっくりだったかもしれない。彼女の歌は自由を感じさせてくれるところがあって、こういってはなんだがガチの解説プログラム冊子とは一味違うところを魅せてくれる。
そういえば、アンコール1曲目のノーテーション2番。これでも一声あったよね。なんだか晴れた感じ。

本編共々濃い内容のリサイタルでした。
それと、トークしないのよね。これがすごく良い。トークどころではないのかもしれない。集中力の要る仕事。
今年もありがとうございました。
おわり














2681- モーツァルト、パリ、ラヴェル両手、クレール=マリ・ル・ゲ、マニャール4番、上岡敏之、新日フィル、2019.3.22

2019-03-22 23:18:18 | コンサート

2019年3月22日(金) 7pm トリフォニー

モーツァルト 交響曲第31番ニ長調K.297 パリ  7-3-3

ラヴェル ピアノ協奏曲ト長調  7-10+4
 ピアノ、クレール=マリ・ル・ゲ

(encore)
ラヴェル 組曲「鏡」第2曲 悲しげな鳥たち  4

Int

マニャール 交響曲第4番嬰ハ短調op.21  10+5+11+8

(encore)

ボワエルデュー 白衣の貴婦人 序曲  7


上岡敏之 指揮 新日本フィルハーモニー交響楽団


パリの味わいプログラムだろうか。とにかく音が軽い。音が軽いというか、空気が軽い。モーツァルトの自然な息づかいと流れ。余計な力はまるで無くて本当にいい感じ。軽やかでさわやかな、いい天気。天空を刺すスカイスクレイパーではなく、平野の中にある起伏、取り込んだ自然を感じさせる音楽。空気を感じさせてくれる演奏。最後のすっと力を抜くフィニッシュね。これがフランス式というのだろうか。絶妙なモーツァルトでした。ビューティフル。

ピアノのクレール=マリ・ル・ゲさん、金髪ポニーに黒のロングドレス。素敵なピアノ。
これも力が抜けたいいプレイ。自然体という言葉がピッタリ。マリさんのピアノは絶妙な強弱の模様、各楽章それぞれ別の色あいを魅せてくれる。それと、なにか、キャバレエの誰かの歌の伴奏ピアノの様に聴こえてくるときがあって、これがまた自然。
冒頭のグリサンドの滑らかさ軽さ、変幻自在プレイ。そしてキャバレエで聴こえてきそうな粒立ちのよい素敵なプレイ。あの雰囲気が醸しだされる。
スッと立っているような粒立ちの良さ、音が立っている姿が見える。キャバレエ、劇場での歌の伴奏ピアノに時折聴こえてくるですよ本当に。なんだか新鮮に感じる。不思議なさわやかさ。

上岡NJPは、もはや、味わいが深すぎる。得も言われぬ極美のオケ伴でした。ビューティフル。




今日は2階のかぶりつき席、1階を見るとほぼ満席。チリチリした熱気も空気に乗って泳いでいそうだ。

後半はお初で聴くマニャール、4番シンフォニー。フランス近代物の位置づけ感覚で聴く。型としてはソナタで申し分ない手応えの長尺もので、4つの楽章のバランスが良い。
雄弁なコントラバスが終始、文字通り幽玄のベース軸。インフラ、ライフラインの様な具合でユラユラと大きくスウィングしながらのベースの安定感。豊かな歌、これだけで気持ちがいいもの。
そこそこの息の長さで各楽器がコントラバスの上で歌う。浅い波でなかなかフォーカスさせてくれない面もある。おそらくフィーリングの違いなのだろう。ソナタの形が決まっているので、こういったことを楽しめば良くて、魅力を探し出す楽しさ、そういったものがある。繰り返し聴きたくなる。

上岡NJPの共感の音楽作りは万全で、これまた、申し分のないもの。柔らかなハーモニーの美しさが際立っている。ビューティフル。
マニャールのコーダ、フィニッシュのあとの長い静けさに生演奏の醍醐味をひしひしと感じる。ぎゅっと唇を3回ぐらい噛み締めるほどの長さだった。いい空白だった。


例によってアンコール有り。結構長めで新鮮。シビレマシタ。とにかく味わいが深すぎて、噛んでも噛んでも全部は噛み切れない、もったいないぐらい。
昔はこの曲、アンコールでよくやったという話しだけれど、自分はそんな記憶はまるで無くて、新鮮な気持ちでいっぱい。面白いほどよく決まりましたね。上岡、NJPに大拍手です。
ありがとうございました。
おわり

 























2680- スラヴ行進曲、チャイコン、ユーチン・ツェン、ハチャトゥリアン、スパルタクス・アダージョ、交響曲第3番、ミハイル・プレトニョフ、東フィル、2019.3.15

2019-03-15 23:00:02 | コンサート

2019年3月15日(金) 7:00-9:10pm コンサートホール、オペラシティ、初台

チャイコフスキー スラヴ行進曲変ロ短調op.31  10

チャイコフスキー ヴァイオリン協奏曲ニ長調op.35  18-7+10
 ヴァイオリン、ユーチン・ツェン

(encore)
タレガ アルハンブラ宮殿の思い出  2

Int

ハチャトゥリアン スパルタクス より アダージョ  10

ハチャトゥリアン 交響曲第3番ハ長調 交響詩曲  26
  オルガン、石丸由佳

(encore)
ハチャトゥリアン 仮面舞踏会 より ワルツ  4


ミハイル・プレトニョフ 指揮 東京フィルハーモニー交響楽団



今日は同定期2回目。1回目はこれでした。
2679- スラヴ行進曲、チャイコン、ユーチン・ツェン、ハチャトゥリアン、スパルタクス・アダージョ、交響曲第3番、ミハイル・プレトニョフ、東フィル、2019.3.13 

ホールを変えての定期、15本のトランペットはどこにセットアップされるのかというあたりに興味が行く。
このホールはオルガンレヴェルは狭い通路になっていて客との交錯は無い。サントリーも基本的には同じスタイルなのだが、15本はオンステージだった。今日はオルガンレヴェルの狭い通路にずらっとトランペットが並んだ。ステージ上のオーケストラ音場と上のオルガンレヴェルの音場がくっきりと分かれ、これは爽快。
それはそうと、トランペットは15本のソロという着想にびっくりするわけだが、それよりもなによりも、冒頭のトランペットのファンファーレに続いて出てくるオルガンの技が凄い。あれ以上速く指がまわることは無いのではないか、過激なタッチが息つく間も無く連続する。ピアノの高速パッセージがそのまま乗り移ったような弾き、あれで出てくる音響は一瞬が全部、全部が一瞬のように塊り、ほぐれて、複雑な音響色模様となる。もう、これだけで圧巻ですね。
1600人規模のホール、色々なものがよく見えました。もちろん音は浴び尽しました。


静かさが漂うスラヴ行進曲。プレトニョフの繊細で端正な音楽作りがいい。
ツェンのヴァイオリンは折角の名器を鳴らし切っているとは言えない。もっと突っ込んだパフォームが欲しいですね。
スパルタクスのアダージョはプレトニョフの思い入れみたいなものがよく伝わってくる佳演でした。

おわり







 


2679- スラヴ行進曲、チャイコン、ユーチン・ツェン、ハチャトゥリアン、スパルタクス・アダージョ、交響曲第3番、ミハイル・プレトニョフ、東フィル、2019.3.13

2019-03-13 23:43:42 | コンサート

2019年3月13日(水) 7:00-9:10pm サントリー

チャイコフスキー スラヴ行進曲変ロ短調op.31  10

チャイコフスキー ヴァイオリン協奏曲ニ長調op.35  18-7+10
 ヴァイオリン、ユーチン・ツェン

(encore)
タレガ アルハンブラ宮殿の思い出  2

Int

ハチャトゥリアン スパルタクス より アダージョ  10

ハチャトゥリアン 交響曲第3番ハ長調 交響詩曲  26
  オルガン、石丸由佳

(encore)
ハチャトゥリアン 仮面舞踏会 より ワルツ  4


ミハイル・プレトニョフ 指揮 東京フィルハーモニー交響楽団



ハチャトゥリアンの作風はどのようなものなのか、改めて考えてみると何もわかっていない。そこそこ聴いてはいるはずだが、フォーカスしないのは自分のせい。トランペット15本という奇抜なアイデアの思考経路をたどってみたくもなる。

プレトニョフによるオール・ルッシアン・プログラム。彼が振ると派手さは遠のく。最初の3曲の静かだったこと。プレトニョフは東フィル相手に毎回、きっちり仕上げて本番に臨んでいる。隅々まで素晴らしく整理整頓、コントロールされた演奏には血がかよい生き生きしている。

スラヴ行進曲に突進のようなものはまるで無くて、しつこく下降を繰り返すメロディーラインをインテンポで淡々と語り尽す。つんのめっていかないオーケストラは一聴の価値がある。指揮者のコントロールが極めてよく効いている。こうゆうところを聴いていると、あまり中身のない曲だななどという話しはたちどころに忘れ去る。マーチだったという実感や手応えが出てきますね。帝政ロシア国歌のコントロールなど涙ものの制御力。
味わい深い演奏に聴き惚れる。

次のチャイコンもオケ伴が凄い。オケの整い具合が異常な完成度。伴奏を聴く醍醐味という言葉が浮かぶ。
ユーチン・ツェン、お初で聴きます。細身でなかなかスタイルがいい。弾きっぷりも同じような感じで、直線や鋭角な折れ曲がりの味わい、曲線はなかなか出て来ない。明るい音色で時折魅せる水しぶきの様な幅広で鋭いサウンドが魅力的。精密な伴奏とこのヴァイオリンソロ、方向性が揃うあたりの透徹した響きが心地よい。まあ、いずれにしても、指揮者、出色のパフォームでした。凄いもんです。ソリストはどんな思いで弾いているのだろうね。

休憩で一服。
後半はハチャトゥリアンが2曲。最初の曲はアダージョ。元々静かと言ってしまえば身も蓋もない。プレトニョフの棒はむしろ力感に溢れている。最後の締め具合など共感以外の何ものでもないのだろう。夜の甘さ、それに、この渋さ。プレトニョフの棒にはホント、何度でもうならされてしまう。味わいが深すぎる。

最後の締めは同じハチャトゥリアンの交響曲第3番。
作品完成までの経緯を考えれば派手なところが当然あるものだろうが、だからといってトランペット15本とは。どのような思いでこうなったのか。天才も人それぞれなのだろうか。まあ、生の実演に接する幸福感を聴くほうは満喫しなければならない。

いきなり、スタンディングした15本から派手に始まる。でも、驚天動地という言葉を使うならそれは、続けざまにプレイされたオルガンにこそふさわしいものだろう。
ごく短い音符の塊パッセージが荒れ狂う。壮絶早業悶絶神技オルガン。これ、圧巻。なんだか、とんでもないものの現場に座っている。
自席少し遠めでよくわからなかったが、あらかじめオルガン正面に貼ってある譜面を、一枚ずつ剥がしながらのパワープレイに見えた。いずれにしても、嵐の様な演奏が続いた。
15トランペットの着想よりもこっちのほうに興味がわく。どうすれば、ああなるのか、ハチャトゥリアン。凄い現場。
そしてようやく静けさも出て来て、うねるような進行。オーケストラのインストゥルメントはそれぞれお互いに、なにやら幾何学的な色合いで、その音の長さを測っているいるかのようなモノローグ風味の内容が続いていく。わりとやにっこい。
と、ふと、プログラム冊子を見てみると、ハ長調と書いてある。副題は交響詩曲だって。
たしかに、そういわれてみればそうかもしれないが、そんなことよりもむしろ、前衛の作曲家の意気込みを感じる。かなり、先取りした音楽ではないだろうか。現音好みからするとここらへんのスリル、どうなんだろうのサスペンス。ワクワクしてきますね。作曲家が一番冷静だったのだろうが、指揮者はもっと冷静に振らなければならない。聴いている間中、今思うと指揮者の姿が見えなかった。意識から消えました。凄い指揮者の凄まじさ、感じましたね、あとで。終わったところで、ぼーっと立ち尽くした、気持ち。

とんでもねぇ曲だ。

このドデカサウンド、それよりも先取り音楽のやにっこさ、中和剤のアンコールではなかったか。定期でのプレトニョフのアンコールあったっけ、今浮かんでこない。
この中和剤のワルツ。幅広でドデカい。でも、プレイヤーも指揮者も冷静。今日の最初からの流れをじっくりと思い起こさせるような内容。圧倒的な膨らみ、抜群のテンポ感、ややエキサイティングなそぶりを見せつつも、今日のひと仕事もパーフェクトな出来だったなとプレトニョフが思ったかどうかは別にして、それ、両手をこすって埃を振り落としたのは聴いている自分だった。

ありがとうございました。
おわり



















2678- マーラー10番クック版最終稿、齋藤栄一、オーケストラ・イストリア、2019.3.9

2019-03-09 19:22:39 | 編集中

2019年3月9日(土) 2pm 大ホール、武蔵野市民文化会館

Gustav Mahler
a performing version of the draft for the 10th Symphony prepared by Deryck Cooke

マーラー 交響曲第10番 (クック版最終稿)  27-14-4-14+25

齋藤栄一 指揮 オーケストラ・イストリア



一橋大学由来のオーケストラ、お初で聴きます。
めったに聴くことのない全曲公演、最近はポツポツあるのかなという気もしますが、はずせません。
終楽章のデカい太鼓サウンド。バスドラでしたね。インバルもカナフィルも小さめのティンパニをスネアの撥のようなマレットでポコッとやっていてなんともさえないものでしたけれども、久しぶりにクルト・ザンデルリンクNYPのバスドラサウンド思い出しました。もう、これで十分聴けた、という感じ。

第1ヴァイオリンと他セクションとのレベル差が少しありすぎるかなあと思いますし、棒もちょっとフラットに過ぎて色々と大変なところもあるのでしょう。指揮しだいでオケの能力をもっと引き出すことが可能と思えた。彼らの能力もっと大きいと感じました。
それやこれやはあれ、全曲の色々な音聴くことができました。
おわり


2677- イベール、寄港地、フルート協、サラ、ドビュッシー、前奏曲集、海、カンブルラン、読響、2019.3.7

2019-03-07 23:31:21 | コンサート

2019年3月7日(木) 7pm サントリー

イベール 寄港地  7-3-6

イベール フルート協奏曲  5-8-9
 フルート、サラ・ルヴィオン

(encore)
ドビュッシー シランクス  2

Int

ドビュッシー(ツェンダー編) 前奏曲集 (日本初演)  3-5-2-4-4

ドビュッシー 海  10-7-9


シルヴァン・カンブルラン 指揮 読売日本交響楽団


読響の常任指揮者カンブルランの任期は今月2019年3月までで、最終公演は3月24日。今月も濃いプログラムが盛りだくさんだが、他の演奏会を聴けないのが残念。ただ、これまで多くの作品を演奏してくれてたくさん聴いたので満足。

今日のプログラムは、フランスもの一色、前半がイベール、後半がドビュッシー。
前半はイベールが2曲。フルート協奏曲と寄港地ではダンチだと思いました。が、こうやってカンブルランの棒で寄港地を聴くと一味も二味も濃くなる。当地の情景、風景を思い浮かべながら、洒落た演奏で楽しめましたね。

フルート協奏曲は聴きごたえありました。モイーズのために作られた作品。奮っている。
技巧を尽くす。オーケストラとの色合いが鮮やか。カンブルランによる伴奏オケのコントロールも見事。くっきりソロ楽器が浮き出るのは作曲者の技だろうけれども、キラキラとした響きの妙、それがものすごく立体的に鳴る。指揮者の味付けは絶好調。オーケストラと一体となった演奏。ソリストのサラさんはフランクフルトの歌劇場のプリンシパル等、活躍している方。
見事な作品であることがよくわかる演奏ですね。管弦楽の演奏会と同じくオーケストラの中央、その前方で繰り広げられる素敵な演奏。


後半はドビュッシー2曲。はじめは前奏曲集からのピックアップをツェンダーが編曲したもの。

1-2 帆
1-11 パックの踊り
2-6 風変わりなラヴィーヌ将軍
1-6 雪の上の足跡
1-5 アナカプリの丘

演奏順もこのように自由に動かしている。特筆すべきは楽器編成。とりわけ叩きを入れるものの種類がたくさん。でも、同時に鳴らす訳では無くて音は薄められている。従って音の色のバリエーションが増え、たくさんの色彩を順序良く聴いていく楽しみを味わうことが出来る。ピアノという単色的な音をオーケストラルに絶妙に編曲。ツェンダーのデリカシーとカンブルランのミクロ分析なタッチが、見た目、ピッタリよく合っている。経路は似ているが行き着く先はやや違うのかもしれない。

最後に置かれた海。ドビュッシーの海を現代音楽風にやるとこうなるんだよ、とカンブルランは言いたかったのかどうか知るところではない。夜明け中間部のチェロの歌、いつも聴いている音とはだいぶ違う。チェロ通過。管を強めに。サッパリ、潔癖、手垢のロマンをさらりとワイプアウト。だいたいこのような感じで進行。そういったことで音楽がわかりやすくなるとは限らない不思議。まあ、現音を聴き慣れしてよ、と、カンブルランが言っているようだ。
おわり













2676- 近藤伸子ピアノリサイタル、2019.3.5

2019-03-05 23:17:46 | リサイタル

2019年3月5日(火) 7pm 小ホール、東京文化会館

ベートーヴェン ピアノソナタ第1番ヘ短調op.2-1  4-5-3-4

ベートーヴェン ピアノ三重奏曲第1番変ホ長調op.1-1  8-5-6-9
  ヴァイオリン、佐藤まどか、チェロ、藤森亮一

Int

ベートーヴェン ピアノソナタ第29番変ロ長調op.106 ハンマークラヴィーア
12-3+16+13


ピアノ、近藤伸子


お初で聴きます。ベトソナシリーズの1回目という事で勇んで聴きに来ました。2曲目にピアノトリオが挟んであって、こうゆうプログラムビルディングは見たことが無い。
恥ずかしながらピアニストの事を知らなくて、そのままリサイタルに臨んだ。とは言っても始まる前にプログラム冊子は読ませていただいた。とりあえずのキーワードとしては、バッハと現音の生スペシャリストで、今回からベトソナに注力、と。
もう、これだけで、なにやら、情報のほとんどがインプットされた気になるから不思議なものだ。

この日のリサイタルは最後のハンマークラヴィーアを終えてご本人の一言があっただけで、言葉もアンコールも無い。凝縮の高濃度リサイタルであった。自分にはこのような舞台が一番むいている。

虚飾を排した29番は端正とも違う。力みの一切ないプレイはリラックスした演奏ではない。全く妙な言い方になるが、あえて言えば、経験ばかの正反対の演奏という話しだ。
実践したものだけ、やってきたものだけ得意に出来る。そうではなくて、そのような実践の積み重ねに加えて、分野を広げて本を読む、研究を重ねる、文献を知る、そういったことというのは、つまり、段々と、本を読むだけである部分、実践の世界を経験することが出来るようになる。本を読むという事は、行ったことの無い世界に、まるで行ったかのように色々な事を経験させてくれて、幅が広がる。もうひとつ例えると、今みたいに世界が狭くなる前の時代、外国に出て行って色々な事を経験し知ること。アメリカという一国に行っただけなのに、まるで何十か国も経験したような気持ちになる。あの世界観に似ている。

まあ、知的経験の多様性や深さを実感させてくれるプレイでした。現音フィーリングやバッハの感触を思わせてくれるベートーヴェン、そういった軽い話では無くて、同じ思いで弾いているなあ、という感じ。
近藤さんの他の演奏はこれまで聴いたことは無いけれど、何故かそうゆうふうに思わせてくれる演奏でしたね。バッハもシュトックハウゼンも見える。

といった具合で29番最初のひと押しから始まる。激烈な深さとさらりとした流れ、思わせぶりの全くないタメ、さりげないナチュラルな呼吸。殊更の巨大性は横に置き、しばし淡々と音楽は始まり第1主題後半の、四分音符と後打ち八分音符がまるでエコーのように響き冴えわたる。後打ち八分音符はまるで実体のあるエコーのように響く。明瞭でクリアな弾きは正確性からくるもので、まず、第一に、その正確性を求める、というのは正しいことだろうと思う。技巧と言ってしまえば身も蓋もないが、こういったあたりにバッハもシュトックハウゼンも見えてくる、言葉のトリックではなくて。
充実のパフォーム、第1楽章が済んだところでハンケチに手をやりひと拭き、と、何かに気がついたかのようにすぐに短い2楽章へ。そして3,4楽章はほぼ連続プレイ。なんか、ホントは全楽章このようにやりたかったのかもしれない。ハンケチの癖が出たのかもしれない、などと余計な事を思ってしまった。
長いアダージョは型を感じさせる。やや、アカデミックな雰囲気を醸し出しつつ、深すぎず浅すぎずの押しはあっさりと実にシンプルに音がつながっていく。音楽がこんなにもあっさりとつながっていっていいものだろうか。きれいな響きで引き際がすっきりとしている。実体のある緊張感は邪念、雑念が無くてミュージックそのものだ。
このソナタ形式の表現がまた良くて、ここから展開、ここから再現、といった切り替えが殊更に見せることが無く、つまり、つなぎの卵や片栗粉無用の高純度な物体の自然接着を思わせるのだ。バッハや現音はこういったところにちらりと見えたのかもしれない。実にピュアな演奏。
終楽章のアプローチは、あまり聴いたことが無い異色のもの。何が違うかというと響きのバランスと音のはじけ具合、こんなに飛んではじけて、こんな楽章だっけと多少びっくり。ユニークな表現と思うのだが、出どころは自身であり、自分が身をもって作り上げたもの、その真実の表現という納得のアプローチだったように思う。

ということで、全く長さを感じさせない29番でした。
31番の嘆きの歌がこの29番のアダージョで垣間見える。結局のところ29番から32番まで、どっぷりとつながった音楽精神構造の同質性、そんなあたりのことも色々と感じさせてくれた。いい演奏でした。


最初に演奏された1番。弾く前のじっくりと時間を置く姿が印象的。
瑞々しく駆け上がるステップは、ビリー・バスゲイトが地下鉄降りて駅の階段をステップして駆け上がり地上に出てくるような初々しくて、朝のすがすがしさを思わせる。ベートーヴェンのソナタは1番から魅力がたくさん。
近藤さんの演奏は四つの楽章が並列に配されたような聴後感。そしてすこし幅広に置かれた感じ。大人の表現でしたね。

次の二曲目はベトソナでは無くて、ピアノトリオ。
近藤さんが書いたプログラム解説を読むとわかるが、ベルリンで聴いたバレンボイムトリオの奇跡的名演に触発されてここに置いたと。
ベトソナリサイタルにこのような挟み込みは聴いたことが無い。新鮮な驚き。
3人の音と表現が充実の極み。冴えわたるビューティフル・パフォーマンスに舌鼓。それもそうだわ、なにしろ、ヴァイオリンがまどかさん、チェロは藤森さんときている。もはや、明白。何が明白かと言うと、彼らが持ち合わせている技術レベルが一段と高いのだろう。色々な事が彼らの水準という名のもとに易々とクリアされている。このデフォレベルの高さ感。
びっしりと、三人で隙間なく埋められた音の、この充実感。ベートーヴェンも大喜びだろうなあ。まどかさんの熱くて濃い表現、藤森さんの涼し気なクリスタルチェロサウンド、そして、近藤さんのひたすら感。ベートーヴェンもよくもまあ難儀な三重奏曲を書いてくれたものよ。作品1の1だって。
なんだか100倍得した気分。峻烈にして鮮やかな滑り、素晴らしくマーベラス。言うことなし。

ところで、当夜のリサイタルのプログラム冊子解説は近藤さん自らが書いたもの。全部読みました。譜例を入れた解説で、その譜例は冊子とは別になっている。別の紙。だから読みやすいですね。
このプログラム冊子はよどみなく流れる、躍動感あふれる文体、実に素晴らしい書きっぷりと内容の濃さ。書いてるときはもしかして何も見ずに書いているのではないか。博学輻輳した知識が次から次へとあふれ出る。専門的な事を書いてありながら、読み口は、素人や単なるクラヲタにもよくわかるもので、音楽の世界にスルスルとはいっていける。境界を排したような書きっぷりで実にわかりやすく、カツ、素直に専門職分野の世界に入っていける。ほれぼれするもので、ベトソナの世界に益々のめり込みたくなる。納得の解説。

ということで、いいこと尽くめのリサイタル、心の底から楽しめて、カツ、勉強になった。ベトソナ小型スコアを自然と手に取りたくなるような、いいリサイタルでしたね。

上野の小ホールはほぼ満席。席種が自由席のみということで、ホールに着いた時には、列が小ホール手前の坂からロビーの売店まで延びていて、そこで一旦列が折れ180度ターンしてまだ続いている。これは大変。並ぶのはあきらめて最後にゆっくりとあきらめモードでエンプティシートを探す。たまたま、鍵盤側の前よりに空席がありラッキー、じっくりと聴けました。とにかく大人気なピアニストでしたね。才気爆発のかたと見うけました。
楽しい一夜でした。ありがとうございました。
おわり