河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

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0007- ベリーニ イ・プリターニ 日本初演

2006-06-29 22:55:45 | 音楽夜話

1_7

 

 

 

 

この間、バーでお酒を飲んでいたら、なぜか、ベリーニに話題が舞台転換してしまったので、ちょっと、清教徒、日本初演を思い出した。

ときはバブル真っ盛り、1989年2月という後れてきた日本初演だ。エルヴィーラは歌うしぐさがカラス似と言われていたルチア・アリベルティ。アルトゥーロはアルド・ベルトロという知らない人。カルロ・フランチ指揮東京フィル。藤原歌劇団公演。

注目はテノールのアルトゥーロのハイ音、歌う方もそのためにわざわざ来たのだと思う。全部完璧に出したのかどうか河童の記憶はここでも溶解し始めている。

1発目→3点cis。2発目→3点d。3発目→3点d。4発目→3点f。

こうやって書くだけで気持ちがブルーになってくる。ファルセットではなかったと記憶する。ベルトロはわりと小柄でアリベルティとアンバランスな感じではあったが、本気モードで頑張っていたようだ。高音を出すときの目の動き、顔の雰囲気がホセ・カレラスっぽかったような気もする。

曲自体が日本初であるため、いろんな人が来ていたと思うが、ハイ音の心の準備をしてきた人はあまりいなかったのではないか。みんなバブルに浮かれていたし、また初物だ、と言う感じ。アルコールで日本国中ボーッとしていて思考が停止していたのかもしれない。

でもみんな頑張った。カラス似と言われたアリベルティは、弱音を歌うときあごをひき、伏し目がちになる。一瞬カラスみたいな気がしないでもない。ただ、あごをひくときと声をはりあげるときで音質が異なってしまう為、2色音声のようだ。でも要所は決める。オケも初物にしてはホルンのソロをはじめベリーニ特有のひたすら流れる音楽に身を浸すことが出来た。たしかNHKのテレビ放送があったはずなので、是非DVDで出して欲しいものだ。これは上野なので音もいいはずだ。メト座の河童はサザーランドのエルヴィーラを見たような気がするぞ。それに連隊の娘とかも。別途。

アリベルティはその後も何度か来日した。オペラにガラコンサートにと日本でも活躍した。


‘Pretty night tonight

‘Thanks

‘When you back again?

‘I don’t know

‘Who knows?

‘Nobody knows

‘Nobodyelse knows?

‘I give you my autograph, bringing too much.

‘Thanks

こんな河童会話を最後に、最近は来ていないような気がする。


河童のプリターニ狂時代のアイテムをメモっておく。今手に入るかどうかはわからない。また、ハイ音の上げ下げは聴いて確かめて欲しい。


1.マリア・カラス/ジュゼッペ・デ・ステファノ

ピッコ指揮メキシコ  1952

2.マリア・カラス/ジュゼッペ・デ・ステファノ

セラフィン指揮ローマ 1953(ANGEL RECORD)

3.ジョン・サザーランド/ルチアーノ・パヴァロッティ

ボニング指揮ロンドン  1973

4.ルチア・アリベルティ/アルド・ベルトロ

フランチ指揮東京フィル 1989(NHK-FM)

5.ビヴァリー・シルズ/ニコライ・ゲッダ

ルデール指揮ロンドン  1973

6.マリエラ・デヴィーア/ウィリアム・マテッチ

 ボニング指揮マッシモ・ベリーニ 1989

7.エディッタ・グルベローヴァ/ジャスティン・ラヴェンダー

 ルイージ指揮ミュンヘン放送 1993

8.エディッタ・グルベローヴァ/マルチェルロ・ジョルダーニ

 プラシード・ドミンゴ指揮ウィーン国立 1994(NHK-FM)

9.ミレイラ・フレーニ/ルチアーノ・パヴァロッティ

 ムーティ指揮ローマ 1969

10.クリスティーナ・ドイテコム/ニコライ・ゲッダ

 ムーティ指揮フィレンツェ 1970

11.モンセラ・カバリエ/アルフレッド・クラウス

ムーティ指揮フィルハーモニア 1979

12.アドリアーナ・マリポンテ/アルフレッド・クラウス

 ガヴァッチェーニ指揮カタニア 1972

13.クリスティーナ・ドイテコム/アルフレッド・クラウス

 ヴェルトゥリ指揮ブエノス・アイレス 1972

14.ルチア・アリベルティ/ジュゼッペ・サバティーニ

 パテルノストロ指揮ベルリン放送 (ハイライト)

15.ジョン・サザーランド/ピエール・デュヴァル

 ボニング指揮フィレンツェ5月音楽祭 1963

16.ミレイラ・フレーニ/アルフレッド・クラウス

 ヴェチ指揮モデナ 1962

17.カティア・リッチャレルリ/クリス・メリット

 フェッロ指揮シチリアーナ 1986

18.ジョン・サザーランド/ジャンニ・ライモンディ

 セラフィン指揮パレルモ   1961

19.Lina Pagliughi/Mario Filippeschi

 プレヴィタール指揮ローマ 1952

20.ステファニア・ボンファデルリ/ステファーノ・セッコ

 クーン指揮カタニア  2001

21.ジョン・サザーランド/ロックウェル・ブレイク

ボニング指揮メト 1986(WQXR)


ANGELのカラスの歌は、美空ひばりがスコアを見ながら歌っているようないざとなったときの正確性に驚く。

指揮者では、リッカルド・ムーティがいかに若いときからものすごい連中とやりあっていたかわかる。日本ではぱっとしないが、昔河童が生聴きしたフィラデルフィアとのスクリャービンの3番はすごかった。彼はこれが得意でウィーンでもベルリンでも振っている。

それはそれとして、ここにリストアップした清教徒、みなさん聴きまくりオペラのつぼにはまりましょう。

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0006- 演奏は曲を超えた ムラヴィンスキー シベセブン

2006-06-28 00:04:25 | 音楽夜話

解釈の為に存在する曲。こんなとんでもない演奏はいまだかつて聴いたこともなかったし、これからもありえないだろう。まさに空前絶後という言葉がぴったり。河童推定で1972年に手に入れた新世界レコード。ムラヴィンスキー&レニングラード・フィルの1965年モスクワのライヴ録音。何度聴いたことか。掘れて白くなっている。白すぎるのはシベリウスの交響曲第7番。この演奏解釈を何にたとえよう。唯一、第2次世界大戦中のフルトヴェングラー指揮による運命の第4楽章コーダにおける超アチェルランド。トランペットのもつれるタンギング。ものともせず駆立てるフルトヴェングラーの震える波状攻撃の棒。並ぶのはこの演奏しかない。それほどすさまじいムラヴィンスキーの超シベリウス解釈。とにかく跡に残ったのはすさまじい解釈とオケの実力だけ、と言った感じ。

曲は約20分。交響曲とは言いながら自由な曲想で進む。主にテンポや雰囲気が変わるところを羅列してみる。聴きながら河童のお皿いをする人は是非、音量をオケの定位が明確に感じられるほど、あげて聴いて欲しい。

1. Adagio ティンパニの弱音(ピアノ)による導入。

1.1 mezza voce(22小節目) 弦楽器による流れるようなメロディーライン。

1.2 (60小節目)トロンボーン・ソロ。

1.3 (71小節目 練習番号D)ティンパニの打撃。

2. Un pochett meno adagio ~poco affrett(練習番号Fの前後)テンポ徐々にアップ。

3. Vivacissimo(練習番号J)スケルツォ風。

4. Adagio(練習番号L)トロボーンのソロに導かれ金管の彷徨。

5. Allegro molto moderato 流れる弦と木管。

5.1 (練習番号T)弦の驚異的なハーモニー。素晴らしい。

6.  Vivace さらなる加速。

7.  Presto シベリウスのギザギザ音。

8.  Adagio トロンボーン再帰。

8.1 (練習番号Y)ティンパニ炸裂。

9.  Largamento (練習番号Z)全金管炸裂。

10.  Affettuoso 最後の準備。

11. Tempo I


(1)抑え気味のティンパニに続いて2分の3拍子で弦が先を急ぐように上昇する。この時点でムラヴィンスキーのはがねの意志とレニングラード・フィルの実力のすさまじさを聴き取る事が出来る。(1.1)そしてすべるような長い長い弦楽器主体の柔らかなフレーズ。飛行機から見る眼下の流れる雲。魔法のじゅうたん。

そして曲想は一気に盛り上がり最初のクライマックスをむかえる。(1.2)圧倒的なトロンボーン・ソロ。向かって右側に定位したトロボーンが、ムラヴィンスキーによりこれまた圧倒的に静寂を奏でるべくコントロールされた他の楽器のもと、まるでトロボーン・コンツェルトなみに朗々と吹きまくる。目の前にトロンボニストのバジングが、アンブッシュアが、濡れた唇が、震えるビブラートが、なんという大胆な響き。これぞまさしく、何も足さない何も引かないムラヴィンスキーの楽譜のみを信じる鉄の意志からしか生まれえない偉大な解釈であろう。

(1.3)しかし真のクライマックスはこのあとにやってくる。トロボーンを引き継いだホルンがシベリウス的イディオムのショートフレーズでこのメロディーラインを切り上げた直後だ。強烈なティンパニの一撃。撥が飛び皮が破れそうなティンパニ。そしてそれを克明に超リアルにとらえた録音。スコアに強弱記号はない。それに続く木管の鬼気迫るユニゾン。これこそが真のクライマックス。思い起こせば、冒頭の第一音もティンパニがピアノで奏でられていたのだ。ここまで我々は息をつく暇も無いではないか。我にかえり、他のどの指揮者の演奏でもいい、あまたある演奏を少し思い浮かべてみよう。いかに凡庸であることか。ムラヴィンスキーの異形に畏怖の念をおぼえ頭がクラクラしてくる。

(2)テンポは加速を2度重ね、(3)スケルツォ風のヴィヴァーチェシモにはいる。一度だけ弦の合奏が不ぞろいになるが、その一箇所のライヴ的瑕疵を除けば、あとはレニングラード・フィルの圧倒的な腕。腕。腕。日本のオケの皆さん。よく聴いてください。こんな合奏やったことありますか。

(4)そしてトロンボーン・ソロに導かれ、大伽藍の圧倒的な金管の彷徨が始まる。まるで宇宙が共鳴するようなこれぞ真のロシアのブラスの響き。炸裂ではあるがこんなきれいな音きいたことない。そして再度スケルツォ風にもどり、すぐに(5)弦楽器と木管による流れるような音楽が始まる。なんと素晴らしい弦楽器のハーモニー。進むにしたがい曲は少しずつ刻みが短くなり始める。中低弦の刻みをベースにヴァイオリンの流れるハーモニー。(5.1)ここで我々はまたしても忘れがたい弦の響きに遭遇するのであった。

(6)音楽はさらなる加速をしながら、(7)最後のプレストに突入する。シベリウス特有の執拗な弦楽器の刻みの中、(8)アダージョで例のトロンボーン・ソロが再帰する。1.2と同じ進行だが、(8.1)このあとの真のクライマックスの再帰。つまりティンパニの強打。スコアではここはピアノからデクレシェンドするトレモロと書いてある。しかし、響く音は指定とは全く異なる大強打。ムラヴィンスキーの曲の縁取り感覚がものの見事に決まった瞬間であろう。フィナーレが近くに来ているので、ここで我々は興奮、静かなる熱狂を感じることになる。実に素晴らしい解釈だ。(9)音楽は急速にブラスの響きが急降下し、ウルトラ超フォルテッシッシッシモで、八分音符をかなでる。擬音で言うと、グワッ、という風に聴こえる。(10)弦が長い音をクレシェンド、デクレシェンドしながら最後の、たった5小節だが、内容てんこ盛りのクライマックスを導く。(11)弦がシンコペーションを繰り返すなか、ブラスセクションがメゾピアノから一つの音をクレシェンドしはじめる。トランペット、トロンボーン、ホルンが、メゾフォルテからフォルテッシモまでたった四分音符7つ分のなかを一度デクレシェンドし、すぐにクレシェンドするのだ。この解釈!そして見事すぎるほどに吹いてしまうレニングラード・フィルの恐るべき力。そして最後の炸裂のなか、ちょっと待て、この最後の炸裂音の響きは他の指揮者と全く異なる。バランスが異なるだけではないとみる。その最後の炸裂音、彷徨のなか、全ての弦がユニゾンで二つの音、全音符+2分音符、2分音符、をブラッシングしながら終わる、だけならよいのだが、録音を聴くとムラヴィンスキーはこの弦の全奏にホルンを重ねている。まさに朗々と宇宙的響きをかもしだす。そして、最後は、全音符+2分音符、2分音符、で本来なら、他の指揮者がやっているように、ざーーーーざぁ。と切り上げなければならないところ。音価は全く逆。というよりも、ざーーーー、ざーーーーーーーーーーーぁ。と終わる。どこまで伸ばして終わるのか、きっとレニングラード・フィルの強烈なビブラートが果てしも無く続き、全員のビブラートさえも完璧にピッチがあい共鳴し始めるその瞬間を狙って終わるのだ。ああ完璧な解釈だ。素晴らしい。

この演奏の素晴らしさを30年以上訴え続けてきた河童だが、誰も振り向いてくれない。一人を除いて。


ムラヴィンスキーがいかに無から音楽を始めているか。唯一信ずることが出来るのは楽譜だが、だからといってそのまま響かせるわけではない。彼の意思が入り込んでいる。ちょっと聴くと異形のようではあるが、しかし、レニングラード・フィルの実力ともども、双方の長い年月にわたるたゆまぬ努力と、ムラヴィンスキーの天才技がミラクルを生んだ瞬間。現場で起こった必然性のある解釈、屈服させられてしまう解釈。芸術は異形なり。

有名なベト4は全く方針の異なる曲だが、同じプロセスを踏むことにより、結果的には両曲ともアンビリーバブルな演奏であるとともに、透明性、ダイナミック、几帳面性など相似形の演奏となっている。生で聴いた田園など思い起こすと、強烈なコントロールなどといわれたものとは全く別の響きがそこにあったのは事実。あの演奏も忘れがたい。シベセブンは日本でのライブもあるが、録音のコンディションが悪いのと、それ以前に、やってる場所が悪い。なにしろN●Kホールですから。あすこでミラクルな演奏なんてめったにない。ホールが演奏を壊す。

あと、シベリウスの曲で、対極の路線から出発して、結果として同じような強烈な感動をもたらす演奏解釈として、クーレンカンプフのヴァイオリン、フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィルのシベコン、戦中ライブがある。もう少しましな音で聴きたいものだが、残っているだけでよしとしよう。ヴァイオリニストの心臓が指揮者の強烈な演奏解釈につられてしまって、完全に煽られ、同一の意識レベル、高みまで達した稀有の例。クーレンカンプフの心臓がバクバクと音をたてている。駆り立てるフルトヴェングラー。これまた解釈がスキルを超えた録音である。また、バックを務めるベルリン・フィルのダイナミックレンジは覗うべくもないが、想像はつく。

オケの皆さん、このとおりやれ、などとは言わない。だけど、少なくともこのような志で音楽に向かっていって欲しい。真の芸術が真のエンタメを生む。聴衆は気が楽かもしれないが、ハイレベルな意識のなかで共同体を形成したいものだ。継続するエンタメを。

とにかく、ムラヴィンスキーの指揮による1965年モスクワライブは音がよいので、シベリウスの交響曲を始め、全部聴いて欲しいものだ。孤高の指揮者による、今では考えもつかない当時のハイレベルなレニングラード・フィルの恐るべき力が永久に輝き続けている。

おしまい

 

 

 

 

 

 

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0005- バレンボイム リング の DAT

2006-06-25 22:39:06 | DB

おととい、昔聴いたパペの第9の第一声が脳裏から離れない、といったような感じのことを日記にした河童だが、紐解いてみたら2002年の出来事だった。4年前、河童時間でいったらほんの4日ぐらい前の話であった。やはり記録と記憶が妖怪、溶解し始めているようだ。皿のお水もなくなってきた。バレンボイムとベルリン国立歌劇場が来日してリング・サイクルを3回敢行したときの歌い手の一人としてパペも来た。第9は朝缶コーヒー前。

クラシックカテゴリーのブログを眺めていると、国内外在住のプロの方、練習もきっちりとやってその合間のといった、プロとして当然の宣伝日記的部分もあると思うが、それらのくくりと、他には、Wikipediaなみのデーータ配列重視の路線などがあるようで、サラリーマンなどが書き込む余地は無い、誰も読んでくれそうもない独白日記はあまり出る幕無し。ちょっと側面デーータでも。

リングのときに誰かさんの板に書いたことがあるので少し繰り返しかもしれないけど。

2002年ダニエル・バレンボイム指揮ベルリン国立歌劇場

リングサイクルのタイミング。

DB/Staatskapelle Berlin/Ring Cycle

2002.1.16. R2:27

2002.1.17. W-①1:071:331:07

2002.1.19. S-①1:151:151:22

2002.1.23. G-①2:011:071:20

2002.1.27. R2:28

2002.1.30. W-①1:051:301:10

2002.2.1.  S-①1:171:161:21

2002.2.3.  G-①1:581:051:17

2002.2.6. R2:26

2002.2.7.  W-①1:011:311:09

2002.2.10. S-①不明②不明③不明

2002.2.13. G-①1:581:051:16

2.10.のジークフリートはN●Kホール地獄席(2階奥)の為チケットを譲った。(定価で)

コンサート

2002.1.25. アルトラプソディ-0:13 ブラレク-1:18

2002.1.28. ベトVコン ベト7

2002.1.29 ブラVコン ベト5

2002.2.9. 第九①0:17②0:12③0:18④0:25

以上、河童の皿力。

感想と言えば、

●高揚度

第一位 Cycle1のR終結部のはないちもんめ。

第二位 Cycle2のG第2幕の撥が折れ皮が破れたと思われたティンパニの強打。

第三位 Cycle3のW第2,3幕のヴォータンの歌舞伎技。

●特別賞

同率第一位 ベト7の第4楽章の圧倒的インテンポ。

同率第一位 第九の歓喜の歌第一声いきなりルネ・パペ・ワールド。聴衆5センチ浮上。

次点 第九の地を這うコーダ。

●歌手頑張り度(常連省略)

第一位 クリスチャン・フランツ

第二位 メッテ・アイシング

 

 

     疲れたで賞

第一位 ホルン

第二位 Rのロボコップ達

     バット・マナー賞

第一位 指揮をする聴衆

第二位 貧乏ゆすらー

第三位 ガム食べ人間

第四位 どこにでもいるフライングブラボー

     総合評価

表記タイミングは河童が現場で計ったもの。完成度の非常に高いプロダクション。箸の上げ下げまで計算されつくしている。同メンバーによる1997年のW3回公演も同一プロダクションで、今回とほぼ同じような感じ。

DBはヒートしていく指揮者であり、都度成長を繰り返している。一曲の中で、あるいはまとまった公演の中で、ヒートと成長をくりかえす。例えばRのように成長する音楽がDBには良く合う。計算され尽くしているけれど新鮮。どことなくフルヴェンに似てなくもないが、音楽に対する指向が同一結果を招いていると言えるかも。指揮・オケ・歌手・演出・聴衆が「”五”位一体」になった結果。無尽蔵とも思えるエネルギーはどこから出てくるのか。何故やる度にこうもリフレッシュされているのか。パソコンではないけれど彼の背中にはリセットボタンがついているのかも。演奏自体は緩急自在。テンポのゆれはかなりなもの。棒を見ていると小節の拍子をとるというより、小節の縦振りを取り払った水墨画風タッチ。ポイントを突く振り方で、完全な掌握。

とまあ、こんな雰囲気であったのだが、だからなんだといわれてもノーアンサー。

今年のゲルギエフのリングは2回公演のうち1回と二分の一だけ拝見。別途。

 

 

ついでに、バレンボイムのバイロイトのリングだけピックアップしてみた。(年末放送)

DB/Bayreuth/Ring Cycle

1988.7.27. R2:35

1988.7.28. W-①1:071:381:12

1988.7.30. S-①1:181:181:21

1988.8.1. G-①2:071:071:20

1989.7.27. R2:33

1989.7.28. W-①1:05②③

1989.7.30. S-①1:161:171:21

1989.8.1.  G-①2:011:091:22

1990.7.27. R2:35

1990.7.28. W-①1:071:361:12

1990.7.30. S-①1:161:171:21

1990.8.1.  G-①2:011:051:18

1991.7.27. R2:33

1991.7.28. W-①1:041:341:12

1991.7.30. S-①1:181:161:21

1991.8.1.  G-①2:051:071:20

1992.7.26. R2:37

1992.7.27. W-①1:071:371:13

1992.7.29. S-①1:181:181:21

1992.7.31  G-①2:031:071:20

これも、だからなんなんだ、と言われても応えようがまるでない。

ワーグナーはひところはやったDATで聴くと、とっかえひっかえしなくてよく、楽だったが、今あるデッキが壊れたらDATテープだけ残ってしまう。河童の皿力でもどうしようもない。結局オープンリールデッキやDATから保存用DATに編集コピーを聴きながらしていたときが一番聴いていたのかも。

 

 

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0004- アントン・ザイドルは鎮まったのか。

2006-06-24 23:23:46 | 音楽夜話NYP

今まで数々の演奏を見聴きしてきた河童だが、この演奏会は見逃してしまった。
かれこれ100年以上もたってしまった。
この日の演奏会のプログラムは、

1898年4月2日(土)8:15p.m. カーネギーホール

FRANK VAN DER STUCKEN 指揮 ニューヨーク・フィル
バッハ プレリュード、コラールとフーガ
HENRY HOLDEN HUSS  クレオパトラ
ウェーバー  オイリアンテ序曲
ベートーヴェン  交響曲第9番第1、2、3楽章
ワーグナー  ジークフリートの死

第9が第3楽章で終わり、続けてジークフリートの死が響くときの心理的感興はどんなものなのだろうか。CDを組み合わせればすぐに聴くことが出来るのであろうが、このような形での哀悼というよりも限りない敬意の表現。このような演奏会に遭遇したことがある人がいればどんな気持ちであったのか是非訊いてみたいものだ。
ザイドルが亡くなって5日目のメモリアルコンサート。きわめて大きい存在であったというのは想像に難くない。ワーグナーの手足となり、業績の大きさはそのまま音楽的歴史となっていたはずだし、その音楽の全てをニューヨークに移植しにきた、その道半ばでの早すぎる死であった。

せんだって、大植英次とハノーファー北ドイツ放送フィルを聴きに行った。
そのときのプログラムが、

ワーグナー  リエンツィ序曲
ワーグナー  ジークフリート牧歌
ワーグナー  ワルキューレ第1幕
(アンコール)
ワーグナー  騎行
ワーグナー  ジークフリートの死

という内容だったので、つい100年前を思い出してしまったのだ。オールワーグナーで、この曲で締めくくるというのは日常の演奏会でもなかなか見かけない。
この日の演奏会は、ロバート・ディーン・スミスの異常に超ロングな「ヴェルゼ、ヴェーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーールゼ」がサプライズであったが、大植がスローで細かな部分に気を配って全体を構築していくあたりはトレンドどおりだ。リエンツィの丁寧さ。オケはつやはあまりないが技術レベルとアンサンブルのよさが耳をひく。ジークフリート牧歌の美しすぎる演奏はこころのこもり具合が日本のオケとちょっと違う。

カミタソは悪だくみ3重唱あたりからいたたまれなくなってくるが、やがてジークフリートは殺され、カタストロフィーが世界を覆い、考える間もなく、澱は全部クリーンアップされ、もう一度世界は始まるらしい。ザイドルはワーグナーに始まり、ジークフリートに比類する存在の大きさが、巨大な功績となって残りその死はあの曲でオーヴァーラップされたのだ。カミタソの速度を増す最後の展開が彼をその音楽に乗せ、輪廻へ向かわせたと信じよう。彼が鎮まれば我々はまたラインゴールドを聴き始められる。
おわり

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0003- ドミンゴ 日本デビュー30周年

2006-06-22 01:54:38 | 音楽夜話



昨晩はメトのワルキューレ公演最終日。N●Kホールは相変わらずダメサウンドだが、このミラクルキャスト見ないてはない。
ジークムントのドミンゴは1941年生まれ、と2,500円のプログラムに書いてある。65歳!
「日本デビュー30周年」と、第2幕が終わったところで今日は3つある字幕に書いてあった。
この字幕は対訳だけでるわけではなさそうだ。母音がむき出しにならずドイツヘルデンテノールの黒光りする輝きがあまり感じられないのは年齢のせいか、母国語の関係かよくわからない。
いずれにしてもオールスタークラクラキャスト。
両デボラによるガチンコは、声の強靭さと響き、広がり、の点でジークリンデのボイトの勝ち。
ブリュンのポラスキはこのロール全て知り尽くした安定感があるもののその昔から声質自体に特段魅力があると言うわけでもない、が持続するパワーが消耗戦の真昼のサッカー決闘選手の上をいくすごさがある。
ヴォータンのモリスはそのピアニスティックな響きが意外とはいえ、あの巨大ダメホールでよくあれだけ弱音で観客をうならせてくれた。
パペは昔第九の第一音を聴いてから尊敬しっぱなし。昨晩もグーなフンディング。
指揮のアンドリュー・デイヴィスはピアノも達者なはずで、今回レヴァインの代役で稽古をしたのかどうかよくわからないが、オーケストラの微妙なアンサンブルがしっかり、丁寧にきまっていた。
指揮者の功績か、それとも最近のこのオケの傾向か。弱音アンサンブルが決まっている分、しまりのある演奏。チェロは7本。全体に小ぶり。半分ぐらいしかメンバーが来ていないのはないか。

それにしてもだ。もっと若いジークムントみたい。メト座の河童はその昔、ドミンゴのパルジファルも、ローエングリンも、カヴァラドッシも、ホフマン物語も垣間見た。こうもりでは棒も振っていたようだ。グノーのロメジュリにアルフレッド・クラウスが出たときも棒を振っていたような気がする。記憶と記録が溶解し始めているが、当時の若さパワーも今は昔。早く出て来い。マジテノール。

写真は昨晩のプログラムのキャスト表。右側にキラキラかがやくチケットの鋳型は、このオットー・シェンクのプロダクションのワルキューレ初日1986年9月22日の記念物のようだな。
メト座の河童も今日は5時間公演で2キロ減った。トラヴィアータとドンジョヴァンいけばもう4キロダイエットできそ。


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0002- 終演予定時刻20:29

2006-06-20 00:53:59 | 音楽夜話

2年前の5月に、サラステがN響を振った。ブル5とマラ6の2曲で2週うめた。
ブル5はぬぐい難い違和感があったが、マラ6は普通。自己主張型練習もやっていたように思えた。シベリウス的マーラーなどと言ったら、生知らず頭でっかちのレコ芸的文章の表現に終始していると言われても、はいそのとおりです、と言うしかない。
終楽章の、打たれない3打目のハンマーの前のところで、ティンパニを含めたパーカッション5人がごそごそと全員立ち上がりシンバルを持ち始めた。まさか全員でドンシャリすることもあるめぇ、と思ったのも束の間大音響でパシャーとやった。
シンバルの数え方はわからないが5人で5個。計10皿?


ところで、この写真は、演奏会場でよく見かけるものだ。
特に休憩等がない演奏会の場合は、素人向けに事前のお知らせの意味をこめて立ててある。
よく見ないとわからないが、終演予定時刻20:29とある。
何故このようなことがわかるのであろうか。かなり笑える。
この日は2晩目なので昨晩のタイミングから算出したのであろうか。
現代指揮の機械的な演奏に対するブラックジョークにもとれる。
(2004.5.15 サラステ&N響)

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0001- クレンペラーの指揮台叩き

2006-06-18 16:07:10 | 音楽夜話


YouTube: クレンペラーの指揮台叩き

クレンペラー「おめぇら。なめんじゃねぇ。俺の言うとおりにやれ。」

フィルハーモニア管弦楽団「シーーーーーーーーーン。」

この映像は、プロのオーケストラにエグモントの稽古をしてあげてるとこ。

いまどき、こんなことしたらオケのメンバーに総スカンされるのがオチ。

だけど、どうやったら、今の根性もしまりもない、上滑りの、薄っぺらな音、存在するのは才能の無い指揮者ばかり、の状態をもとに戻せるの?指揮のかたもオケの皆さんも気をいれて演奏してね。演技はもういいから。

クレンペラーの、なめんなよ発言に文句言えるオケメンバーがいるとは思えない。マーラーとともに生き、当時の現代音楽に息吹を与え、音楽の歴史を綿綿と創造してきた人間の吐く言葉に誰が文句をいえるものか。一言たてついたら1000返ってくるだろう。そしてその言葉は全て正しいのだ。きっと。

歴史を作ってきた人たちの凄み。その歴史を今こそ受け継いでいかなければならない。その使命に燃えているのか。それともエンタメ学芸会とのバウンダリーで生きていけばいいと思っているのか。

出て来い。日本人根性指揮者。ところで、みなさんはジャナンドレア・ノセダの指揮姿をみたことありますか。あのバーンスタインも遠く及ばない、超指揮。手足がモゲテ飛んでいってしまいそうなトンデモ棒なのだ。だけど、見て聴いていると全く理屈にあったエモーショナル。1ミリのわざとらしさも無ければ、演技意識も無い。この棒にしてこの音楽ありなのだ。才能があるというのはこんな現象のことを言うんだろうね。きっと。

出て来い。日本人指揮者。君が音楽を作り、歴史を創り、ホールを造り、我々の耳を洗い、文化を創造するのだ。一心不乱にやるしかないんだよ。

ところで、クレンペラーは自分が死んだのも忘れ、日本人に根性を入れるために、ある日、わざわざN●Kホールまで担架に乗ってやってきた。指揮も担架の上。彼は練習でいきなり一撃をかました。「なめんじゃねぇよ。こんなホールで演奏なんか出来るわけねぇだろ。2階の奥なんか地獄席じゃねぇか。あんなとこ、カネいくら積まれたって座りたくねぇだろ。客も。」

ということで、これから巣立つ棒振りはホールを作らせるぐらいの頑張りを見せてほしいものだ。自前ホールがあればオケも育つ。他のセクションの音も聴こえないようなホールでいいアンサンブルなんか出来るわけがない。アンサンブルとは他人の音を聴く、ということでした。第1回目の日記でした。

 

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