河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

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1117- アンドレア・シェニエ 絶好調ファンティーニと東フィル 新国立劇場オペラ・パレス2010.11.18

2010-11-20 12:55:45 | インポート

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2010-2011シーズン聴いたコンサート観たオペラはこちらから
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2010年11月18日(金)7:00-9:40pm
新国立劇場、オペラパレス、初台
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ジョルダーノ アンドレア・シェニエ
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フィリップ・アルロー プロダクション
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アンドレア・シェニエ ミハイル・アガフォノフ
マッダレーナ ノルマ・ファンティーニ
ジェラール アルベルト・ガザーレ

合唱、新国立劇場合唱団
フレデリック・シャスラン 指揮
東京フィルハーモニー交響楽団
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今日の東フィルはよく鳴った。ファンティーニと同じぐらい良かったね。
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アンドレア・シェニエは以前、ジャコミーニの斉唱を観たことがある。15年ぐらい前のことですね(注1)
どうも、やにっこいというか、これ二調なのかな。それともたまに無調とか。
吹き上げるイタオペではありませんので。浸りきれないもどかしさが少なからずあるんです。ちょっとジョルダーノは1948年まで生きていたんですね。ほんの少し前ですね。このオペラ自体は1896年ものですから、やっぱり遠いかな。
でもこの音楽のやにっこさはやっぱりよくわかりません。歌う方はどうなんだろう。歌いづらいのではないのかな。
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今日の出演者は全部良かったんですけれど、それはそれとして、
「どんなオペラでも必ずいいところは一ヶ所はあるもんだ」
というのが自説、まぁ、自説と言うほどのもんでもありませんが、たくさん観てきましたけど、いいところを探そうとする意志が働くのか、どこかいいいとこ早く来い、という感じでみたりすることもありました。決してこのオペラがダメとかという話ではありません。
けど、昔、ツァンドナイのフランチェスカ・ダ・リミニを観たことがあるのですが、レナータ・スコットが炎の中奮闘していた割には、オペラそのものはあまり印象的なものではなく、派手さはあるが緊張感が続かない、みたいな感じでした。でも必ず一ヶ所はいいとこあるんですね。出合いとか別れといったあたり。
アンドレア・シェニエは緊張感が結構続くオペラではありますが、いまひとつ波に乗れないというか、調とかといった話だけでなく、ストーリーの希薄さが絶唱でカバーできるようなところがあまりないんですね。4幕物で最後の幕はあっという間に終わる。別に悪くありませんけど、第4幕は一回だけ盛り上がって終わる。ドラマが希薄で最後に相応に首ちょん切られ終わる。看守に金を渡して自分を殺させる仕様を作る。なんともやりきれない結末ではあります。
そんななか、第2幕のアンドレアとマッダレーナの実際の出会い。あすこはいいですね。私はオペラのああゆうところに惚れっちまってるんです。現実的ではありませんけど、夢でいいじゃないですか。
昔、オペラさえあれば、オペラの夢を観つづけていれれば、あとは何もいらないという時代がありました。オペラの中でトラヴィアータのファイナルのように、現実の体と魂がかい離して空中浮遊して終わる。あのような、ま、どちらかというと、むなしいものではありますけれど、そのような夢を観つづけてかい離できれば、あとは何もいらない、この安眠をいつまでもむさぼり続けて死んでいきたいと思ったものですよ。今日はなにかそのようなことを思いださせてくれました。
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シャスランという指揮者は初めて聴きました。もしかしてアンドレア・シェニエのオーソリティーなのかな。最終幕の結尾における音の鳴らしかた、ふきあげるようなブラスの鳴り、断頭台の露と消えた二人がこのオペラのあとに結ばれていくような様がまるで眼前に浮かぶような強烈にして悲しくもハッピーな、そのようなことを思い起こさせずにはおかないような見事なエンディングでした。そこは一番最後のところなんですけれど、第1幕からオーケストラの鳴りが非常に良く、今日の東フィルはどちらかというと絶好調。10月の新国立での公演の伴奏とはまるで人が(オケが)替わったかのような見事さでした。これはひとえに指揮者に負うところが大きいと思います。テンポをやや早めにとり、細部の泥炭をとらない非常に明確な棒と見受けました。このような見事な棒であればこそ、歌い手も浮かばれる。
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今日のメインキャスト3人は全部よかった。
マッダレーナ役のファンティーニはオペラ肝っ玉がすわっていて、そのようなことはつい最近歌ったヴェルレクでも明らかであって、その才をこの日は図らずも証明することになりました。彼女は中低音域も不明確にならず伸びがある。明快で劇的、圧倒的な歌唱で役になりきる。タイトルロールの上をいっている。
そのタイトルロールのアガフォノフは、バリバリのテノールというわけでもなく、どちらかというと少しだみ声っぽいところもある。伴奏が消え地で行くところは安定さに欠くところがあった。でもおしなべてよく、一面、ファンティーニにつられて才以上の才が出た部分もあるのではないか。
もうひとり、ジェラール役のバリトンのガザーレ、この人よかったですね。どっちがタイトルロールなのかわからなくなる局面もあったりして完全にくってました。
声が聴きとりやすく、この人もファンティーニと同じく中高低が万遍なく出ているのでそうなんでしょうが、安定感と聴いていて安心感がある。
ジェラールとマッダレーナのドラマ性、劇的なもの、彼女を奪い切れない、なにか人間の目覚める理性、そして悲しさ、見事であったと思います。
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マルローのプロダクションは赤と白を明確にしたもの。舞台は回るが、回り舞台というよりも、一段引いているので、前面とのかい離が少し気になる。つまり回り舞台のそれぞれのシチュエーションのなかでの演技とはなっていない個所が多数あり、舞台を回して舞台をつくるというよりも、景色的な背景が都度変化していくといった傾向が強い。ただ、幕間を緞帳とはせず、斜めに切れたった壁が、なにかギロチン的鋭さを暗示しているようでもあり、とにかく舞台に丸みを帯びたところが一切なく、鋭角的な角度を伴ったものだらけで、この物騒なストーリーにあっていると思いました。
おわり
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注1:
この時点で、1994年聴いたコンサート観たオペラはまだアップしてませんので、データだけ書いておきます。
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藤原歌劇団創立60周年記念公演
1994年7月2日(土)、5日(火)、8日(金)
6:30pm東京文化会館
ジュゼッペ・ジャコミーニ
ジョヴァンナ・カゾッラ
パオロ・ガヴァネッリ
菊池彦典 指揮 東フィル
(7/8河童潜入)
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