河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。
全ログ0013まで修復済161024

2425- 神々の黄昏、新国立、飯守泰次郎、読響、2017.10.11

2017-10-11 23:19:36 | オペラ

2017年10月11日(水) 2:00-8:00pm オペラパレス、新国立劇場、初台

新国立劇場 プレゼンツ
ワーグナー 作曲
ゲッツ・フリードリッヒ プロダクション
New production for opera-palace originally based on Finnish National Opera 1996

神々の黄昏  35+73、63、76

キャスト(in order of appearance, also voices’ appearance)
1-1.第1のノルン、竹本節子(Ms)
1-2.第2のノルン、池田香織(Ms)
1-3.第3のノルン、橋爪ゆか(S)
2.ブリュンヒルデ、ペトラ・ラング(S)
3.ジークフリート、ステファン・グールド(T)
4.ハーゲン、アルベルト・ペーゼンドルファー(Bs)

5-1.グンター、アントン・ケレミチェフ(Br)
5-2.グートルーネ、安藤赴美子(S)

6.ヴァルトラウテ、ヴァルトラウト・マイヤー(Ms)

7.アルベリヒ、島村武男(Br)

8-1.ヴォークリンデ、増田のり子(S)
8-2.ヴェルグンデ、加納悦子(Ms)
8-3.フロースヒルデ、田村由貴絵(Ms)

合唱、新国立劇場合唱団
飯守泰次郎 指揮 読売日本交響楽団

duration
プロローグ 35
第1幕 12+23+38
第2幕 63
第3幕 76


二日目の公演はこちら
2421- 神々の黄昏、新国立、飯守泰次郎、読響、2017.10.4


前3作の感想はこちら。

1999- ラインの黄金、千秋楽、新国立劇場、2015.10.17

2199- ワルキューレ、三日目、新国立劇場、2016.10.8

2358- ジークフリート、飯守泰次郎、東響、2017.6.7



2幕大詰め20分におよぶハーゲン、ブリュンヒルデ、グンターの悪だくみ三重唱。この最後のところで突然、弦が7小節に渡りフォルテを頭にしてトレモロを奏でる(*)。三人が歌う中、安定調で現れた結末の実行予告。あまりに見事な音楽の表情。ここを聴くたびにワーグナーのインスピレーションのきまり具合に、劇の表情、音楽の表情というのはこういうことをいうのだろうなぁと恍惚感とともに、慄然とするものを感じないわけにはいかない。
6時間劇、台本も音楽も全部が見えていたワーグナーならではの千変万化のつくり込み。すごいもんです。

(*)
dover1982-p411の5小節目から。(Noch etwas bewegterの34小節前から)
H 宝は俺のものにならなければならない。
B&G ジークフリートは血で償え。
H 指環をもぎ取る。
のシーン。
今回の公演では三重唱を舞台で歌ううち3人が前に出てきて一度幕が下り、手前で三重唱のところ。
このあと舞台は、幕が再度上がりカップル×カップルのお手々つなぎシーンとなり、ブリュンヒルデが振り向きハーゲンを指さしストップモーションでフィニッシュ。光が落ち幕が下り、再度幕が開き、聴衆にそのきまりぐあいをもう一度魅せてくれる。
(*)


今日の2幕は殊の外激しいもの。キャスト、指揮者、オーケストラ、至る所で大盛り上がり。二日目に観た時と時間を比べてみました。

プロローグ+第1幕 115 : 108
第2幕  68 : 63
第3幕  80 : 76
全体で16分縮みました。これは激しい。

最初は特に気に留めていませんでしたが、第2幕のあまりの激しさにこれは一体どうなっちゃってんの、という雰囲気が濃厚に。60~70分に5シーンが詰め込まれているのでそもそも動きの多い幕だけれども、前へ前へとのめっていく演奏。オーケストラはブラスセクションはじめ高密度の大咆哮。荒れ狂うめくるめく展開。本当にクラクラしてきた。
二日目の公演では全体が大きく波打つような展開。今日は部分も全体も激烈な演奏で、なにやら怒りすら感じる。

プロローグ。ノルンが去る前に現れたブリュンヒルデは、彼女たちが千切ったもしくは自然にもげた綱を梳く上げ千切る。夜明けドーンの前触れのフレーズの頭に合わせて2度千切る。色々とゲッツも細かいと、あとで思う。

第3幕3場、ハーゲンがグンターを殺り、仰向けになって死んでいるジークフリートの右手から指環をもぎ取ろうとすると、ブリュンヒルデが現れジークフリートの右腕が上にあがってきてハーゲンが躊躇する。ブリュンヒルデが先かジークフリートが先か、どうなんでしょう。少なくとも彼女にはまだ神ぢからが残っていたのだと思わせるシーン。
ワルハラファイヤーしてグラーネとともに火に飛び込む。のではなくて、白い布で自分を包み最後まで残る。音楽が怒涛のように揺蕩う中、最後の瞬間、腕を広げ現れたブリュンヒルデ、この結末、おお、そうだ。プロローグ、ノルンが去る前に現れたブリュンヒルデではあったのだ。
ペトラ・ラング、3幕はヘトヘトで声が泳いでいるようなところが散見されましたけれども、モーションは全幕どこを切り取っても悉くきまる、ワーグナーのサマになる、絵になるラング、プロ中のプロを強く感じさせるもの。
この最後のシーン、いい顔してました。すがすがしいともいえるもので、これがブリュンヒルデの結末だったのか、はたまた、芸術を全うした高みの顔なのか、一種名状し難い感動に襲われた。

ラングの動きの素晴らしさ、そしてみなさんの強烈なワーグナー声、オケの読響もパーフェクトなワーグナーサウンド。

グールドのツボは3幕、ハーゲンに殺られる前の、過去を振りむき夢見るような絶唱。なめし皮のようにしなる。かどがまるでないシームレスでしなやか、黒光りするヘルデンテノール、美しい。
思えば、ラインの黄金のローゲ、ワルキューレのジークムント、ジークフリートのジークフリート、そして今回の、神々の黄昏のジークフリート。指環フル出場、分けてもローゲは大変に印象的でしたね。どれもこれも鮮やか、鮮明な印象がちりばめられた指環でした。
ダイエットが要りますが、あの体躯がパワーの源かと思うと痛し痒しのところもありますね。

ハーゲンのペーゼンドルファー。ちょっと不調と事前アナありましたけれども特にそのようなところはみられず。
まぁ、このキャラのきまり具合は尋常でない。限りなき悪に染まりながらもダースベイダー的、尾根の淵からどちらに転ぶか、そのような影をも感じさせてくれる。見事なもんです。むろん、声あっての称賛。深みともども前に出てくる押し出すようなバス。
舞台での立ち位置が非常にいいですね。主役になるところと影になるところをきっちりと分けている。演出の妙でもあるわけですが自然に陰に溶け込めるキャラ、お見事。

H愛を醸し出す兄妹、グンターとグートルーネ。安藤さんのスキニーで洗練された動き、身のこなし。ビューティフル。ポイントになるところでの歌の締め具合もいい。押し殺したような歌でワーグナービンビンになる局面もあり、変幻自在の優雅さです。
お兄さんのケレミチェフは安藤さんともどもスタイルがいい。役は煮え切らないものですけれども堂々とした声でものすごい存在感。
このお二方、劇中とは言わずなんだかお似合いのカップルのように見えますね。役的には近親相姦、これにハーゲンもおそらくその中にいる。ゲッツの人物描写はまことに見事で、こういったことが中心的なテーマではないと思うが、色々と散りばめられている。

第1幕の3場のヴァルトラウテのヴァルトラウト・マイヤー、姿みえずの第一声は、前回聴いた時は作為的なPA失敗かと思いましたが、これは計算された効果音的なものですね。声をホール奥で響かせ、そのあとすぐに舞台に姿を現す。
自分の役をわきまえた歌唱、派手に目立つものではなくて役のなかで最善の歌唱となる。見事なもんです。
若いときはマイクで拾えないデカい声という印象ありましたけれども、今は違う。

ノルンたちは一つ綱のように一人ずつ連鎖するかのような斉唱。かたや第1幕1場でラインの娼婦として、手、から出てきた乙女たち。あすこでジークフリートから指環を奪っていれば事は起こらなかったという思いがある中、最後は娼婦から、ラインの黄金同様、ピュアな乙女になり、ハーゲンを引きずり下ろす、彼女たちの重唱の美しさと力強さ。
女声3名×3名。コントラスト、お見事。印象的で味わい深いものでした。

もう一回観る予定です。
おわり







 

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2423- 蝶々夫人、森谷真理、二期会、デスピノーサ、東響、2017.10.7

2017-10-07 21:37:19 | オペラ

2017年10月7日(土) 2:00-4:50pm 東京文化会館

東京二期会 プレゼンツ
プッチーニ 作曲
栗山昌良 プロダクション
蝶々夫人

キャスト(in order of appearance)
1-1.ゴロー、升島唯博(T)
1-2.ピンカートン、宮里直樹(T)
1-3.スズキ、山下牧子(Ms)
2.シャープレス、今井俊輔(Br)
3.蝶々夫人、森谷真理(S)
4.ボンゾ、勝村大城(Br)
5.ヤマドリ、鹿野良之(Bs)
6.子、渡島小春
7.ケイト、和泉万里子(S)

合唱、二期会合唱団
ガエタノ・デスピノーサ 指揮 東京交響楽団

(duration)
ActⅠ 46
Int
ActⅡ 48
ActⅢ 29


今日は森谷さんお目当てで。

最近観た蝶々夫人、これは面白かった。
2277- 蝶々夫人、笈田プロダクション、バルケ、読響、2017.2.18

森谷さんの歌は、昨年のこれで聴いた。
2220- 後宮からの逃走、川瀬賢太郎、読響、2016.11.11

今年になってからびわ湖ラインの黄金の二日目にフライア役でも出ました。
2286- ラインの黄金、ハンペ、沼尻、京都市響、2017.3.4
2287- ラインの黄金、ハンペ、沼尻、京都市響、2017.3.5


今日の蝶々夫人は二期会4回公演の二日目。この二日目と四日目に森谷さんが出演。
最初ちょっと緊張していたように見受けられました。硬くて、ビブラート多め。ピッチが動く。存分に楽しめるところまではいきませんでした。声の大きさが一段違うなあという思いはありました。余裕の身のこなしで物腰は堂々としたもの、世界の舞台で鳴らしているだけのことはありますね。
相手役の方は今一つこなれていない。最もポピュラーな演目でホールをうならせるのは至難の技だろうが、奇を衒った演目ではなくてこうゆうものでうならせると羽ばたけるんだろうなあと思うところはありますね。
脇はよい布陣で総じて楽しめました。また、今回は二期会の着物の話を先に読んでいたのでその意味でも色々と興味深いものがありました。
『蝶々夫人』を彩る着物の世界

この舞台は何度か観ていて、自然ないいものです。
それから、日本語の縦字幕の効果は絶大ですね。これが有ると無いでは理解に天と地ほどの違いがあるような気がする。
指揮のデスピノーサは、良いものそうでないもの、コンサートで聴いてきたわけですが、オペラの指揮、明確に振りぬくところと歌うような流れになるところメリハリ効いた棒でした。

プッチーニの泣き節、堪能しました。
おわり









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2421- 神々の黄昏、新国立、飯守泰次郎、読響、2017.10.4

2017-10-04 23:50:18 | オペラ

2017年10月4日(水) 4:00-10:00pm オペラパレス、新国立劇場、初台

新国立劇場 プレゼンツ
ワーグナー 作曲
ゲッツ・フリードリッヒ プロダクション
New production for opera-palace originally based on Finnish National Opera 1996

神々の黄昏  38+77、68、80

キャスト(in order of appearance)
1-1.第1のノルン、竹本節子(Ms)
1-2.第2のノルン、池田香織(Ms)
1-3.第3のノルン、橋爪ゆか(S)
2.ブリュンヒルデ、ペトラ・ラング(S)
3.ジークフリート、ステファン・グールド(T)
4.ハーゲン、アルベルト・ペーゼンドルファー(Bs)

5-1.グンター、アントン・ケレミチェフ(Br)
5-2.グートルーネ、安藤赴美子(S)

6.ヴァルトラウテ、ヴァルトラウト・マイヤー(Ms)

7.アルベリヒ、島村武男(Br)

8-1.ヴォークリンデ、増田のり子(S)
8-2.ヴェルグンデ、加納悦子(Ms)
8-3.フロースヒルデ、田村由貴絵(Ms)

合唱、新国立劇場合唱団
飯守泰次郎 指揮 読売日本交響楽団

duration
序幕+第1幕第1場+2場3場 38+35+42
第2幕 68
第3幕 80


前3作の感想はこちら。

1999- ラインの黄金、千秋楽、新国立劇場、2015.10.17

2199- ワルキューレ、三日目、新国立劇場、2016.10.8

2358- ジークフリート、飯守泰次郎、東響、2017.6.7

序幕、ノルンたちが太い綱をもぎ、歌い終える前に被さるようにブリュンヒルデが現れる。切れかかった綱をブリュンヒルデがさらに千切る。
第3幕結末、狂ったブリュンヒルデはギービヒ家に火をつけ、それがヴァルハラのお城まで延焼。大きめの白い布に隠れたブリュンヒルデ、リング最後の一節は布を取り払い、腕を広げた彼女を音楽が取り巻きながらエンディング。
おお、何やら次がありそうな気配、と感じさせながらワーグナーの飽くなき咆哮で、とりあえず、リング・サイクルは完結したのだろうかと思わせぶり感を漂わせながらの終止。

序幕で早めに現れたブリュンヒルデに次いでジークフリート登場。ドーン&ラインジャーニーのシーケンス。ここにハーゲンが現れる。
ブリュンヒルデもジークフリートもハーゲンも、みんな早めに出てくるのだな。
ハーゲンのペーゼンドルファー、このキャラの合い具合ビッタンコです。全身、悪という感じでそうとうに濃い。
主役2人はこの序幕では声が出ておらず、頂点のひと声のみはきっちり決めるというプロならではのツボ技。グールドの倍ほど開けたラングの口は怖ろしい映画をこれから見るような気持ちとなる。

早めに現れた3人衆の展開だが、1幕への場面転換のところで一度薄幕が下りる。2場に移る前も同じく幕が下りました。あとは、第2幕の悪だくみ三重唱の前で一度下りて、その手前で歌うというところがありましたが、他では明確な場面転換は無し。
他場面にももげた綱が床にある、セッティングは基本のところは動かずでスタティックな印象。第1幕がバタバタしなくて、いいですね。


第1幕は、既にいるハーゲン、それにソファーかベッドかわからないが半月形の傍らにグンターとグートルーネがいちゃついて座っているという兄妹H愛を感じさせるもの。あとで、グートルーネにハーゲンがまたがるシーンもあるので、この3人ともあやしい関係でしょうな。そこに双子親の息子が出てくるわけだから、もはや、近親そうかんクローズアップ。
こういったワンシーンが展開に大きく絡んでくるという事では必ずしも無いと思うが、色々と舞台上に動きがちりばめられており、劇としての振幅が大きくなっている。舞台セッティング、小道具、人物の動き。特に動きへの配慮が細やかで練られた劇の面白さがよく見えるものとなっており、前3作で感じた古さのようなものを今回は全く感じなかった。刷新された印象。

キャラ決まりのハーゲンペーゼンドルファー、バスの声までに憎々しいほど冴える。そしてグンターのケレミチェフ、殊の外よくとおる声でザラッと雰囲気を醸し出す。役的には受け身のものでその細身の体躯がどことなく弱々しくて優柔不断、これまたビッタンコのキャラなんですが、出てくる声は強い意志を感じさせるもの。
グートルーネの安藤さんは周りの男どもといちゃついて欲しくないという願望を感じてしまうほどの見事な身のこなし、巨人族ぞろいのなかにあってスキニーで優雅、歌が映える。
グンター、グートルーネ、ともに印象的であとあとまで残るものでした。良かったですね。
ここでいったん、幕。

第2場はワーグナーがストーリーを展開させるところ。忘れドリンク。
ハーゲンペーゼンドルファーの悪役っぷり、見事なモノローグ。滑るように第3場へ。
マイヤーの登場なんだが、頭のひと声デカい、姿見せず天井からものすごい声、PAかけすぎだと思う。オケコンサートで聴衆席から鳴らすバンダを探す客、みたいな雰囲気になりましたから。登場後はそれもおさまって、彼女の歌をじっくりと楽しめました。ここらへん、余計な心配せず、楽しむという事がポイントですね。
序幕では声が出ていなかったラング。この第1幕ではステージの前の仕切りの前まで出て来ての熱唱、圧唱。尋常でない激しさで、狂いっぷりの先倒しみたいなモード、激しい。

第2幕、合唱とオーケストラが圧巻。声がかたまって前に出てくる合唱の圧力。読響のびっしり詰まった正三角錐音場、双方絡まり、圧巻。
悪だくみ三重唱、お三方の位置関係がいいですね。途中幕が下りその幕の前で歌う。もう一度幕が開き、カップル×カップルの構図が出来つつも、見るところは別というストップモーションがビッタンコと決まりまくり、エンド。お見事。

悪だくみ三重唱、オペラの醍醐味満喫。ブリュンヒルデのラングはますます冴えてきて、もはや、狂気に両足を突っ込んでいる。鬼気迫るラング歌唱。エキセントリックな味わいが濃厚になってきた。第2幕、急カーブ、エキサイティング。


終幕。抜けるようなホルン。そしてすぐに、尾を引く様に第2幕のフレーズ。終わりそうで終わらない。
おとなしくしていたグールド、槍を突き刺されたところで、絶品の歌。二夜ジークフリートでブリュンヒルデが起き上がるあの目覚めの動機。対をなすかのように、ここであれが出る。
グールド、ここ一点、聴きごたえありました。スバラシイ。
ワーグナーの作為のストーリー、この2場のドラマチックな展開、息をのむような見事なシーンでした。

ブリュンヒルデの狂いっぷりは理想のジークフリートの堕ちた言動、それはドリンクを飲まされたことも含めた行動批判、やりどころのない怒り。果ては悪だくみへの自己嫌悪、そしてその先にある自己憐憫も感じていたのではないか。怒りまくったまま、腕を広げたブリュンヒルデで終わるカミタソではあるのだが。
おわり

もう2回観る予定。









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2419- 角笛、ゲルネ、ワルキューレ1幕、フォークト、パンクラトヴァ、ツェッペンフェルト、ペトレンコ、バイエルン、2017.10.1

2017-10-01 23:35:11 | オペラ

2017年10月1日(日) 3:00-5:25pm NHKホール

マーラー こどもの不思議な角笛から  3-8-3-5-3-6-7′
 バリトン、マティアス・ゲルネ

Int

ワーグナー ワルキューレ第1幕  3+12+20+26′
 ジークムント、クラウス・フロリアン・フォークト(T)
 ジークリンデ、エレーナ・パンクラトヴァ(S)
 フンディング、ゲオルグ・ツェッペンフェルト(Bs)

キリル・ペトレンコ 指揮 バイエルン国立管弦楽団


1.ラインの伝説 3
2.きれいなラッパの鳴るところ 8
3.地上の暮らし 3
4.原光 5
5.むだな骨折り 3
6.死んだ鼓手 6
7.少年鼓手 7

メインプロのお三方はピッチを作りにいくところがあったかと思います。かたや前半35分におよぶ大きなプログラムを歌ったゲルネは出来ることを素直にしているようで、ある意味ストレート。自由奔放という事ではなくて、抑制の美学もストレートにという話。
合唱を含まない14曲中7曲35分をゲルネの判断した順番で歌唱。息をコントロールし尽したバリトンの美声。ラインの伝説を出始めに、最初の山場は兵隊物のきれいなラッパの鳴るところ。極めて注意深く縁どりされたオーケストラの伴奏のもと、両者同じ色合いで進行。
残念ながら気の利かないNHKは字幕を付けていないので1000円プログラムにあるリブレットを下目で見ながら。
最初から悲劇が想定される兵隊物3ピースはどれも味わい深い。印象的なタイトル2曲目は平地の広がりを感じさせてくれる。きれいなラッパの鳴るぼくの住まいは一体どこなのか、戦場か、死にゆくところなのか。抑制されたゲルネ表現からにじみ出てくるもの。吐露するかのような歌い口がまことに素晴らしい。乗り移ってますね。
ペトレンコ、バイエルンは伴奏越え、とうに忘れていたアンサンブルメインの演奏を思い出させてくれる。個を抑制し同じインストゥルメントが溶け込む。時折魅せるソリスティックなフレーズはゲルネ歌唱と同じであって、ここにもう一つの溶解がある。素晴らしすぎる。抑制された美学から誘導された表現は多種ならずともただ深い。両者の歌い口の出し入れは微に入り細に入り。もう、これだけで十分。兵隊物のアヤが出る。人生模様ですね。美しくも悲しい、味わいがよく出ていて、感動した。
次の、地上の暮らし、ここで死はもっとはっきりとしたものでドラマチックな悲劇。
一服おいて、原光。素朴とさえ言えそうなまみれていないラッパに導かれバリトンの美声が響く。ディープにえぐるようなところはない。表面(おもてづら)を撫でるような具合でもない。ゲルネのコントロールは指揮者オケと同じ肌ざわり。極めて考え抜かれたものが自然に流れ出る。フォルテ以下でさぐるような演奏はペトレンコのインスピレーションのようでもありナチュラルなタレントのようにも聴こえる。バイエルンは手兵という言葉よりむしろ一体化しているというにふさわしい演奏です。いやぁ、凄いもんですな。
切り替えて、むだな骨折り。なにやら少し明るくなった気がする。自分の肩も緩む。
兵隊物最後の2ピース。死んだ鼓手は投げやりな風景が明るく悲しい。これと最後の少年鼓手、ゲルネは作品以上の明確なコントラスト。伴奏も同じ。やっぱり、この表現力ですね。説得力ありまくり。6曲目で終曲が明らかに見える。悲しい予兆。ピースの繋がり、シーケンスがよく見えてくる演奏。素晴らしきゲルネ、ほとぼり冷めやらぬ。ペトレンコバイエルンの人工的ではない、忘れていたアンサンブルDNAをオケに気付かせ思い出させたようなマジックタクト。いい角笛でした。満足。


序奏 3
第1場 12
第2場 20
第3場 26

今回タンホイザーとジークムントを歌ったフォークトは昨年2016年、新国立でローエングリンを歌ったのを聴きました。
2124- ローエングリン、新国立劇場、2016.6.1

今回ヘルマンとフンディングを歌ったツェッペンフェルトは2007年のドレスデン国立歌劇場の来日公演で聴きました。演目は今回と同じくタンホイザー、役どころはヘルマンではなくビテロルフ。準メルクルの棒、コンヴィチュニーの奇抜な演出でした。
477- タンホイザー ドレスデン国立歌劇場 2007.11.17

フォークトは昨年の事なので覚えていますが、10年前のそれもビテロルフだとツェッペンフェルトの事は残念ながら覚えていない。居た記憶はあります。それともそのあと何かで見ているかもしれない。今は思い出せない。

今日のワルキューレの主役はペトレンコとバイエルン。ワイドレンジを競うのはもはや時代遅れ。霜降り、サシの脂肪成分は過ぎ去りしレガシー。ピアニシモからフォルテまでのアンプリチュードで波打つ演奏はデリケートで、むろんこの振幅でこそ表現できるうねりの実現性の実践。演奏しているほうも昔はこう演奏したこともあったということを忘却の彼方から思い出した。この潜在的DNAにペトレンコの棒は触れたのだと。
ウィンド4セクション、同列左にホルン。これら2段グループひな壇の後ろにブラスセクション。計3列。
正面から聴くとウィンドは強め、ブラスはこの強度に合わせた吹きとなっている。しもてホルン、かみてワグナーチューバ。これらブラス布陣は五月蠅くならずかき消さずのバランス配慮。アンサンブルとは他の楽器のことを聴きながらするもの。これをそのまま地でいっている。その気づきをさせて結実させたペトレンコ棒は見事というしかない。
ブラスの微妙な動きは、比較的大胆なウィンド、それにストリングに非常によく絡まる。この一体感のあるオケの演奏、もはや、ワーグナーも考えていなかったようなデリカシーで伴奏越え、ワーグナー越え、軽々と。
律動無しギトギト感無しだったタンホイザー、静謐であった。今日のワルキューレ第1幕の音楽は劇的なつくりではあるものの全体印象はタンホイザーと変わらない。

3人衆の歌唱も同じ方針で統一感がうまく取れている。
フォークトはデカいホールの空気をピシッと張りつめさせる。脂ギトギト感を求めてはいけない。違うものだから。
バックのオケはタンホイザーの舞台時のオケピットのうち半分ほどを使う勢いで手前に大きく迫った仕切り舞台に乗る。かなり手前にセッティングされている。でもオケサウンドはデカくない。このオケ前に歌い手。演奏に絡むように歌われるフォークトのジークムント。ヴェルゼトーンでもそれは変わらない。これが今風ワーグナーということだろうと思うところもある。それにもまして、ペトレンコの、かつてのブーレーズ&シェロー的なある意味意識された時代アンチテーゼ的な表現とは違った、無意識的な時代の先取り感覚、それは忘れていた過去の潜在DNAに触れられてアンサンブルを思い出したということだったかもしれないし、そんなこととは違った別の新鮮な感覚なのかもしれないけれども、いずれにしても、今無かったものをペトレンコによって得たという意識、触発させたもの、ペトレンコのインスパイアーがプレイヤー、歌い手、それぞれのインスピレーションを引き出した。このような一体感、同一方向性の純音楽的な表現というのはそういうことの結果であり、今起こっていることでもある。

繊細でデリケートな歌は次のフレーズのピッチを整えていく気配を感じるところもあった。あのような歌唱だと毎回限界ギリギリの神経をすり減らすことの連続ではないのかなと思ってしまう。芸術の極みは不断の努力の結果、その連続かと思うとぞっとしてしまう。聴衆で良かった。
ヘルデンテノールにもっている自分の印象というのはペーター・ホフマンがあごを引き気味にして本人はこれ以上ない強い歌でも全く五月蠅くならずむしろ強く歌うことは歌に芯を作ること、そのように聴こえてきたあの歌唱、比べるような話ではないのだけれども、フォークトに高望みするとすれば、その、芯なのかもしれないとふと思った。

ジークリンデのパンクラトヴァは方向感の一致は見事だがドラマチックなものが欲しい。ちょっと表現が平面的になってしまった。今回のようなスタイルの演奏でドラマを魅せるというのはこれまた至難の技に違いないとは思うものの、冒していい危険はあったと思う。

第2場のみの出番となったツェッペンフェルトの線は、今日のワルキューレに合わせたような太さだったと思う。別演目で、思う存分歌うところをもう一度聴いてみたい。インパクトのある役で。

ということで、ペトレンコのワルキューレ第1幕は速めの61分。気がつくと角笛とは随分と違っていたなぁと思った。伸び縮みのアゴーギクの世界は中心に無いと思うし、ある程度決めた型での進行。自分でフレームを作りながらもそういったことをあとあとまで感じさせないあたりはやっぱり、見事だった。


NHK音楽祭2017。前半後半歌唱のプログラムにもかかわらず字幕なし。日本語は縦に書くということを忘れているNHKには自分たちが日本人であることを思い出してほしい。
縦書きは字幕メリット大きいですよね。これは失敗企画。
それに、NHK音楽祭という名称はいかにも仰々しい。来日演奏団体のスケジュールに合わせた日付飛び飛びのイベントで隙間だらけ。音楽祭というのもおこがましい。諸外国にあるような、また日本国内でも多数あるようなフェスティバルのようにつながりのあるお祭りにして欲しいものだ。
突発性騒ぎではなくて。
おわり

















 

 

 

 

 

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2418- タンホイザー、フォークト、ダッシュ、ゲルネ、ペトレンコ、バイエルン、2017.9.25

2017-09-25 23:29:50 | オペラ

2017年9月25日(月) 3:00-8:00pm NHKホール

ワーグナー 作曲
ロメオ・カステルッチ プロダクション
タンホイザー  (ウィーン版にもとづく)

キャスト(in order of appearance)
0.弓を射る女性たち(in overture)
1.ヴィーナス、エレーナ・パンクラトヴァ(S)
2.タンホイザー、クラウス・フローリアン・フォークト(T)
3.ワルター、ディーン・パワー(T)
3.ビテロルフ、ペーター・ロベルト(Bs)
3.ハインリヒ、ウルリッヒ・レス(T)
3.ラインマル、ラルフ・ルーカス(BsBr)
4.ウォルフラム、マティアス・ゲルネ(Br)
4.ヘルマン、ゲオルグ・ツェッペンフェルト(Bs)
5.エリザベス、アンネッティ・ダッシュ(S)

テルツ少年合唱団
バイエルン国立歌劇場合唱団、管弦楽団
キリル・ペトレンコ 指揮


Duration
Act Ⅰ 68′ (ov:20 sc1:28 sc2:20)
Int
Act Ⅱ 68′
Int
Act Ⅲ 52′


タンホイザーとヴァルトブルクの歌合戦、本当に歌合戦なんかあったっけ、覚えていない。といった感じで、圧倒的な静けさが全幕を覆い尽くしていた印象しかない。
歌えば場に静謐さを漂わせるフォークト。ペトレンコ&バイエルンの絶妙にして美ニュアンス、弱音コントロールが限りを尽くす、合唱のチリチリしたあまりに充実した清い響き。白黒基調のシンプルな舞台。大量動員された人が音をたてず動きを作る。おそろしく静かなタンホイザ-だった。思ってもいない別の可能性をモロに魅せられたというのが率直なところです。

第1幕の三分の一近くを占める序曲。どんな演出でもだいたいここは何かする。
白い緞帳に一点、矢が刺さっている。序曲が始まると神か半神かよくわからないけれども何人かがシルエット風なパントマイム。彼らが去ると何故か矢もなくなっている。影に引き抜かれたのかな。
上半身ヌードで弓矢を持った女性たちマックス24人(たぶん)が舞台奥の面にスクリーンされた巨大な目、そして耳に向かって一列整列で矢を放つ。最初から意味が分からなくて面白い。
彼女たちはヴィーナスと神、半神たちの手下なのだろうか。ならば矢の先にタンホイザーがいるのはおかしい。はたまた、官能の愛に対する清き愛への矢なのか。などと、序曲が長いので色々と邪推する時間がある。
ペトレンコ棒はオケに騒々しい音を出させない。抑制の効いたカツ全力弾きというようなもので音がたくさん詰まっていて締まったオケサウンド。さすが。
中間部ではウィンド刻みを前面に出して活力を際立たせる。また、吠えるブラスは無しにして短いアクセント風スフォルツァンド風味で減衰させる。まぁ、独特ですね。結果、この序曲を聴いただけでも全くうるさくない。きっと、このあとも同様な展開なのだろう。

明らかな場面転換でブヨブヨヴィーナス。まわりにも同じようなブヨブヨがたくさんいる。肉がつきすぎてロクに動けない。官能の愛も目を醒ませばこのようなものなのかもしれないな、などと思いながらヴィーナスの歌、そして少したってから現れるタンホイザー。
この場は紗幕が下りている。そのせいかどうかお二方の声のとおりがあまりよくない。声が小さい。そもそも脂肪分ゼロの歌唱ではあるとは思うのだが。
快楽シーンのインパクトは、弓を射る女性たちに比べればごく小さいものとなってしまった感がある。

ここで再度明らかな場面転換。今度は領主、仲間のいる巡礼一行とヴァルトブルクへ。ここまででメインキャスト9人衆のうちエリザベスを除く8人衆まで出そろった。
仲間との出会い、決意。しかし、音楽は一向に力強さをみせない。静かなくらいだ。ホント、独特。
シンプルな舞台で静かな動き、オーケストラは音で縁どりをしていく。宇宙のスローモーションのようだ、

ヴィーナスが抜けた7人衆、男だらけだが全員ピュアな歌いくちできれいすぎて静かさが勝る、というよりもその方向にセンテンスをシフトさせるようなことなのだろう、意図としては。
極めてユニークな演奏で、この舞台演出と軌を一にしている。ぴったりとはまった感じ。
ペトレンコの1幕フィナーレへの持っていきかたは、エンディングに向かうラッパが、その随分前に時折短く現れていて、短いものだがものすごく雄弁に響いており、その、点のラッパ音が心的つながりを次々と感じさせるようにしており、最後に、それまでの断片体がまとまりをみせてフィニッシュ。ものすごく効果的。この方針で前進すれば最後をうるさくする必要もなくてごく自然に音楽のつながりを感じることか出来る。納得です。

第2幕の舞台はさらにシンプル。天井から吊るした白いカーテンの動きとバックの黒が基調。衣装も同じく白黒。モノトーン配色。安いと感じさせるか、いいと感じさせてくれるか、大挙した人物たちの動きしだい。ストップモーション的な味わいも含めスローな動き、それに余計な音がしないのがいい。この統一感の良さが空虚な舞台を大きく見せてくれたところもある。

一体、歌合戦はあったのかと聴後感はそういった印象が強い。タンホイザーの背中に刺さる1本の矢。女性たちは清き愛だったのだろうか。
ドラマチックな鋭角的カーヴを排したような舞台と演奏。ゲルネとフォークトは潤滑油が注がれ本調子に向かう。
ローマへ、に至る滑るようなペトレンコ、バイエルンの演奏。弦を中心に大変に締まったサウンドが心地よい。煽ることになく緻密なアンサンブルの積み重ね、インテグラルな集積は精度が高く、スロープを頂きまで登りつめる技は美しき尾根でも見ているかのような美の極み。素晴らしく自然でエキサイティングな登り傾斜。
エモーショナルな心的ドラマ、音楽で内面を魅せてくれるペトレンコ棒。その表現のうまさが際立っているということになる。静かさは緻密なアンサンブルの成果でペトレンコの求めているものであるわけで、結果、このオペラのスタティックな面を大いに感じさせてくれた。見事というほかない。
フォークトの最後の一声はよくきまりました。これで3幕の絶唱への下ごしらえが出来たものと、後付けではあるが、そう感じた。

記憶がかすんでしまったが、3幕ウォルフラムの夕星の歌の前、「死の夕闇が大地を覆い、 黒い喪服が谷をつつむ。」のあたりで亡骸7変化の1体目があったと思う。その前に生身のタンホイザーとエリザベスがいわばゼロ体目として横たわり、彼らとの入れ替わりで1体目が置かれ、生身のタンホイザーは姿が明瞭に見えるが、エリザベスは薄くなり見えなくなる。
夕星の歌、そして、超ロングにして筆舌に尽くしがたいフォークトの美声に唖然のローマ語り。パーフェクトな歌。なにやら空虚にしてだだっ広いNHKホールを逆手にとって空気の流れをうまくつかみ振動させたかのような神業だった。茫然として聴き惚れている間に亡骸の7変化が次々に起こる。最後は灰になるわけだが、この推移の醜さ、リアルさ。腐臭さえ感じる。ふと、カラマーゾフのゾシマが頭をよぎる。この表現はいったいなんだろう。どっかからの引用なのだろうか、カステルッチの死の美学か。ローマ語りより長い亡骸7変化。つまり彼らは夕星の前に既にこの世のものではなかった。科白内容との時間軸のずれを狙ったものなのか。「死の始まりは、死の夕闇が大地を覆い、」のあたりまで前倒しされた予告の死だったのだろうか。ドラマチックなインスピレーションの具体的な舞台化と言わざるを得ない。

1場のウォルフラムとエリザベスの秋雨のようなやり取りの合間を縫うほどの長さでしかないが、巡礼、極度に磨き抜かれた合唱の素晴らしき響き。オペラの神髄の醍醐味を満喫。
ウォルフラムのゲルネは見た目のゴツゴツさは無くて慎重にこのオペラのペトレンコ様式への集中をうかがわせてくれた斉唱。エリザベスのダッシュはごくまれにぶら下がりのピッチを感じさせるものの、ピュアなままでの力強さがある。味わい深かった。

そして先ほど書いた夕星、亡骸7変化、ローマ語り、一気に場は進みあっという間に終わってしまった。
シンプルながら強烈なインパクトの演出とフォークトをはじめとする歌唱の素晴らしさ。9人衆お見事。

ということで、静かな印象が全編を覆う。ワーグナーの絶叫も律動もない。それ以外のすべてのもので満たされたペトレンコのウルトラ・ワールド。タンホイザー、未体験ゾーン、満喫しました。ありがとうございました。
おわり


 

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2404- オテロ、バッティストーニ、東フィル、2017.9.8

2017-09-08 23:32:51 | オペラ

2017年9月8日(金) 7:00-9:55pm オーチャードホール

Bunkamura プレゼンツ
ヴェルディ 作曲
アンドレア・バッティストーニ プロダクション
ライゾマティクスリサーチ 映像プロダクション
オテロ  (コンサートスタイル)

キャスト(in order of appearance & voices’ appearance)
1.モンターノ、斉木健詞(Bs)
1.カッシオ、高橋達也(T)
2.イアーゴ、イヴァン・インヴェラルディ(Br)
2.ロデリーゴ、与儀巧(T)
3.オテロ、フランチェスコ・アニーレ(T)
4.デズデーモナ、エレーナ・モシュク(S)
5.エミーリア、清水華澄(Ms)
6.伝令、タン・ジュンボ(Bs)
7.ロドヴィーコ、ジョン・ハオ(Bs)

新国立劇場合唱団
世田谷ジュニア合唱団
アンドレア・バッティストーニ 指揮
東京フィルハーモニー交響楽団

(duration)
ActⅠ 31′
Pause 2′
ActⅡ 34′
Int
ActⅢ 39′
Pause 2′
ActⅣ 31′

今年2017年春に初台の出し物でカリニャーニが振ったオテロと、その指揮者と主役3人が違っているだけで、他はオケまで含め概ね同じ。
バッティの振るオペラは以前リゴレット、イルトロを観劇。コンサートは江副記念の伴奏や東フィル公演を。観て聴いているほうとしてはヒート感はなくてコントロールしない棒という印象が聴く毎に強くなる。そんな中、
今回のオテロのプログラム冊子に彼の特別寄稿「オテロ、もしくは二元論の」というのがあってそれを読んでみると、一文に、私のオテロ解釈は楽譜というよりシェイクスピアの原作から引き出されたもう一つの重要な前提にも基づいている。と明確に書いてある。
結末、指揮台の下で絶したオテロを、指揮台に片足上げて見下ろすイアーゴ。これはプロダクションとしてクレジットされているバッティストーニ自身が付けたものであろうし、音楽の激しさはオテロ否定までの道のりだった。コントラストの妙を、強烈な味付けで表現したわけですね。うまいへただけで騒ぐものとは一線を画するような話だろうとは思う。
1,2幕の激しさが3幕まで突き抜けていてあまり聴くことの無い激流の音作りにびっくりしたのだが意図はよくわかるものだった。荒々しさがここまで必要だった。

ハンカチの勘違い策略がとんでもない妄想まで引き起こすものかどうか、圧倒的で威圧的な第1幕冒頭からの音楽、そしてこのストーリー、斜め見することが多いオペラオテロではあるのだが今日はそんな気持ちは湧いてこなかった。コンサートスタイルといいつつ、演技と歌は舞台上のオケの前と、オケと奥の合唱の間という2ラインで行う。このためオペラ的遠近感が相応に取れるものとなっている。ただ、策略謀議の妙までは出て来ない。そういうところはあるのだが、コンサートスタイルという要素で音が純化、精度が高まる、といったありきたりの結果を求めたものに無いのはバッティの上記解釈の表現が精度追及に勝ったのかもしれない。

バッティは殊の外、身が軽そう。ポンポン縦の動きが軽快。音楽からエネルギーをもらっているかのようだ。この身体躍動感、演奏はそれをもらい律動よりもむしろ音圧で応えている。冒頭の激しい音楽があとで場違いじゃなかったのかなといういつもの思いを蹴散らしてくれる持続の音楽でもあった。各幕内で完結するドラマ的な対比は強調するような音楽作りにはなっていなくてバッティ特有のフレージングも強調されない、全幕が最後の一点に向かう構成感で動いていく。
主役3人衆。
モシュクはデズデーモナを今回初めて歌うとのこと。コンサートスタイルで良かった的なところがあったかもしれない。無難にこなした。彼女は2013年スカラ座来日公演でリゴレットのジルダをドゥダメルの棒で歌ってますね。
アニーレとインヴェラルディは声質を別にしてキャスティングが反対ではないかとちょっと思いましたが、進んでいくうち納得したところがあります。両者、場数を踏んでいて場慣れしている感があり安心して聴ける。ドラマのツボを心得ている。ドラマ作りに長けている。
アニーレはよくのびる声でこのホールを満たす。インヴェラルディはこのバッティ意図劇には少し優しすぎるところがあるけれども、わるいものではない。両者の対比の妙がコンサートスタイルではなかなか出づらいというのもある。
概ね楽しめました。

それから、当公演では映像の事がクローズアップされておりました。ライゾマティクスリサーチが担当。オペラの数値化(データ化)実現のために、鑑賞者に登場人物になってもらい心的変化をデータ化解析、それと指揮中指揮者の動きをデータ化解析。阿部さんの文は抽象的なところが多く判然としない箇所が多いが、概ねそういったところ。
これらを作用子として、このホールの要素を三次元的に情報化したものに作用させたプロジェクション・マッピングということだろうと思われる。立体構造の正規化されたモデルに歪みのサンプルを作用させたものと理解。物理的な解説のところにアナログ、感情そういったものが入り込んでいてわかりづらい文章となっている。
それから例えば、見える化という言葉は使用法が違うのではないか、単に可視化の事をいっているようで、そういったところの気負いのようなものも感じる。言葉の定義の明確化が必要。
結果、データ解析して数値化したものが、何故、抽象的な映像にならなければならないのか。意味を含んだもの止まりと言わざるをえない。舞台を持ったせわしない芝居小屋オペラでもこのようなものは転がっている。裏切られた気持ちですね。
かえって、映像が出ない時、音楽が雄弁になる。これではその効果を狙ったものと少し苦笑いでもしたくなる。残念。

バッティの解釈はこれから変わっていくと思います。この作品だけでなく、スポットライトの当て方が変わっていけば解釈も変化成長する。
おわり



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2388- ばらの騎士、ヴァイグレ、読響、2017.7.29

2017-07-29 23:39:00 | オペラ

2017年7月29日(土) 2:00-6:00pm 東京文化会館

国内6団体 プレゼンツ
シュトラウス 作曲
リチャード・ジョーンズ プロダクション Glyndebourne Festival Opera Production
ばらの騎士 originally performed in the Glyndebourne Festival 2014
66′ 51′ 56′

キャスト(in order of appearance)
1.マルシャリン、林正子(S)
2.オクタヴィアン、小林由佳(Ms)
3.オックス、妻屋秀和(Bs)
4-1.ヴァルザッキ、大野光彦(T)
4-2.アンニーナ、石井藍(A)
5.歌手、菅野敦(T)
6.レオポルド、光山恭平
7.ファニナル、加賀清孝(Br)
8.マリアンネ、栄千賀(S)
9.ゾフィー、幸田浩子(S)
合唱、二期会合唱団

セバスティアン・ヴァイグレ 指揮 読売日本交響楽団


幕が開くと、ど真ん中奥で朝シャンするマルシャリンから始まる。衝撃的と思う人もいればそうでもないと思う人もいるだろう。壁上の劇中時計は朝の8時半を指している。そこからスタートし、第1幕が終わるころには9時40分。この70分ほどでこの劇、時間通りに第1幕を終えたことになる。パンクチュアルな進行に違和感はない。ジョンジーモードか。

印象に残ったのは、全幕通して、ドレスアップしたマルシャリンのそのドレスや動きがどうもマネキン風だなぁ、レプリカント風だよね。といったことや、3幕での全員ダンシングはスリラーの写しみたい。そういったことが目につく。奇抜なところは散見されるが想定内、添え物としては面白い。

大きく仕切られた2幕での絨毯はその模様にステージ前から奥に縦ラインが入っている。おそらく遠近法錯覚で奥に行くほど狭まっているとは思われる中、手前でゾフィーとオクタヴィアンが向き合って、ひとめぼれシーン。そして前後に揺れる。その揺れ具合が絨毯の縦ラインと非線形なゆがみとなり、それがお互いの揺れる気持ちを巧妙に後押ししている。ジョーンズの作為はこういったところまで考え抜かれているのだろう。とりあえず、サイド席からだとわからないといった話は別のところでしないといけない。

3幕、角部屋風に仕切られた居酒屋、ソファが突き出てきてベッドに早変わりするアクセント。角を中央奥に配したセッティングでは左右の壁が斜めに前方にメガホンのように広がってくるので音の通りが、1,2幕と明らかに違う。
1幕でのオックス妻屋は精彩を欠いているのか、早口なシュトラウス歌を扱いにくそうにしているように見受けられたのだが、この3幕では一変、前に声が出てきて活力が増してきた。遅きに失したところはあるものの。

この3幕の舞台はブルー系中心で大変に柔らかい感じ。暖かみさえ感じさせるもの。曲線というほどではないのだが、シャープな作りを極力排した居酒屋。音響にも相応な影響を与えていたと思う。結末の重唱が頻発するシーン、ここ、納得の舞台でした。

無料プログラムには堀内さんの解説や、ジョーンズとエリソンの対談が載っている。階級の話や男性社会の話題がある中、ジョーンズのトークはいまひとつポイントをつかめないけれども、西洋の没落はお互いの阿吽の呼吸の中に隠されているのだなといたく感じた。

ほぼオールジャパニーズのキャストのバラ。オクタヴィアン小林は冒頭から声の出具合も動きもいい。ズボン役が女装するという逆説的なあたりも含め最良な出来だったと思います。マルシャリン林は危なげないという感じ。
1幕でのオックス妻屋はさっき書いたようにあまり聴こえてこない。早口の歌過ぎるのかもしれない。
場がゴチャゴチャしてきてテノールシンガーによる歌唱が始まるが、まわりの雑然とした中に埋もれてしまい冴えない。ここはひとつ日本最高峰のテノール歌手を出して破格の斉唱を聴かせてほしい。これはそういう趣向のオペラですよ。
日本最高峰は誰なのか、とりあえず第九出演回数が最も多い方でもいいです。

3幕でのオックス妻屋は大きく声が出て動きも良くて、彼の洒落た劇も楽しめた。尻つぼみ的に去るオックス。ああだこうだと言わず全て飲み込み去る。後先を考えて規範行動をする。西洋の没落も近い。

残った女性陣による三重唱、二重唱、美しい重唱が奏でられました。あまりに綿々と流れる音楽。

ジョーンズ・プロダクションは色々と面白い。これでこの作品を終わらせてはいけない。別の角度から光をあてた演出を観たいものだ。

昨年の今頃、読響を振ったヴァイグレ。

2167- ヘーヴァー4LS、ヴァイグレ、ティル、家庭、読響、2016.8.23
2171- モツクラ協、オッテンザマー、ブラ1、ヴァイグレ、読響、2016.8.27

オペラの棒はこれまで観たことがあったかどうか今記憶にない。個別インストゥルメントへの指示はほぼ無い。舞台の上の歌い手への指示も無い。両腕で全体フレームを作っていく。既にそこに上質のオペラハウスのオーケストラがあって毎晩伴奏をしている、そのようなオケを前にしたような指揮ぶりだ。
テンポ移動は歌の変わり目で大きい。デリケートな歌唱での動きは理にかなったもので目立つことはない。自然な流れ。

オーケストラはあまりよろしくない。指揮者のせいとも思えない。2幕弱音パッセージでのティンパニのずれは頻繁で緊張感無く、他楽器にもザッツずれ感染。もう少し丁寧に演奏して欲しいものだ。指揮者のほうをまず見るべきと思います。
全体に普通の出来。ホルン日橋はじめ濃厚なフレーヴァーが欲しくもあるが、そこらあたりのことは指揮者の匙加減かもしれない。コンマスは萩原さん。
おわり







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2374- ノルマ、藤原歌劇&日生劇場、2017.7.2

2017-07-02 22:13:31 | オペラ

2017年7月2日(日) 2:00-5:00pm 日生劇場

JOF プレゼンツ
ベッリーニ 作曲
粟国淳 プロダクション、ニュー
ノルマ

キャスト(in order of appearance)
1.オロヴェーゾ、田中大揮(Bs)
2-1.フラーヴィオ、小笠原一規(T)
2-2.ポッリオーネ、藤田卓也(T)
3.アダルジーザ、米谷朋子(Ms)
4.ノルマ、小川里美(S)
5.クロディルデ、但馬由香(Ms)
5.子供(黙役)

合唱、藤原歌劇団合唱部、びわ湖ホール声楽アンサンブル

フランチェスコ・ランツィッロッタ 指揮 東京フィルハーモニー交響楽団

(duration)
序曲 6′
第1幕 74′
Int
第2幕 60′


デヴィーアの2公演の合い間に国内組による当公演が1回。それ相応なレベル内容になるものと期待していたが、残念。
先般の蝶々夫人で良かったのが印象的なタイトルロール、ノルマは難曲過ぎたのだろうか。頂点が全くきまらない。ベルカントの世界はまるで見えない。
細くてキーンな声質は、むしろアダルジーザと逆配役のほうが良かったのではないか。としてもこの女声2名のデュエットでもソロでも、どっちにしろそうとうきびしいもの。
ポッリオーネは歌いっぱなしという感じでちょっと雑。

全体にリハ不足なのか技量不足なのか問題公演でした。
演出はニューという事だが真ん中に置かれたデカい筒のようなものが開いたり閉じたり、中が回ったりという動きのみ。目新しさはない。
それから、千円プログラムにご本人の演出ノートという記事掲載があるが、読むと、当公演の演出については一滴も書いていない。
おわり

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2370- ラ・ボエーム、日生劇場、伊香、園田、新日フィル、2017.6.24

2017-06-24 22:28:06 | オペラ

2017年6月24日(土) 1:30-4:00pm 日生劇場

日生劇場 プレゼンツ
プッチーニ 作曲
伊香修吾 プロダクション
ラ・ボエーム  (宮本益光新訳による日本語上演)

キャスト(in order of appearance)
Before Act  (黙役)
1.マルチェッロ、桝貴志
1.コッリーネ、三戸大久
1.ショナール、近藤圭
1.ムゼッタ、高橋絵里
2.ロドルフォ、樋口達哉

Act
1-1. マルチェッロ、桝貴志(Br)
1-2. ロドルフォ、樋口達哉(T)
1-3. コッリーネ、三戸大久(BsBr)
1-4. ショナール、近藤圭(Br)
2.ベノア、押見春喜(Bs)
3.ミミ、北原瑠美(S)

4.パルピニョール、青柳貴夫(T)
5-1.アルチンドロ、小田桐貴樹(Bs)
5-2.ムゼッタ、高橋絵理(S)

合唱、C.ヴィレッジシンガーズ
児童合唱、パピーコーラスクラブ

園田隆一郎 指揮 新日本フィルハーモニー交響楽団


(duration)
無言劇+ヴォイスオーヴァー的な会話 5′
ActⅠ 33′
会話 3′
ActⅡ 20′
Int
会話 2′
ActⅢ 24′
語り 3′
ActⅣ 29′

暗くなり指揮者登場はわからないまま幕が開く。少しだけ光がさす。舞台は空っぽで何もない。唯一真ん中手前に小さな墓石だろうか。そこにロドルフォを除く3人とムゼッタが花を添える。少し置いてロドルフォが現れお花を。そして5人四方に散らばっていく、と、この5人と思しき会話が映画のヴォイスオーヴァーのように流れる。
悲劇ラ・ボエームの結末のそのあとのお墓参りのようなシーンから始める演出はインパクトの強いものであった。5分ほどの動きと会話がおわり、いつの間にかポーディアムに立った指揮者のもと第1音が奏でられる。
1幕から2幕への場面転換、3幕前、同じように会話が入る。それに3幕から終幕の場面転換では会話ではなく語りですね。

前奏曲も序曲も無いエキスのみで出来上がっているこのオペラにまことにふさわしい印象的なシーン。このオペラの冒頭にそのような曲があればそれに乗って無言劇が行われるところだろう。無い事を逆手に取った演出ですね。
日生劇場に響く新日フィルのシルキーで心地よいサウンドの中、舞台が始まる。

演劇的な要素が濃い演出、オペラが始まっても同じように色々とある。
冒頭から4人の動きが激しい。これだけ動いてまともに歌えるのだから、相応なリハなどを積んでいると思う。終幕あたまでの1幕冒頭回帰、そしてダンスとここらへんの動きも達者。日本語上演なので歌うほうでの余計な負担が軽減されているところもあるのではないか。
全般にわたってこのように動きがいいとキャストのメインロールがどうだこうだという話はあと回しで良くて、まずこの劇をまとめるにはロール全員が同じように動くことが一つのポイントになってくる。
これをみながら昔、もっともっと演劇性の強烈なボエームの事を思い出した。

364- ラ・ボエーム、ベルリン・コーミシェ・オーパー、クプファー・プロダクション、1991.6.13 (1991-13)

クプファーの演出はひとつの頂点だと思う。この上演はドイツ語でおこなわれております。

今回の上演は宮本益光さんの新訳による日本語上演でこれに日本語の字幕がつくという非常にわかりやすいもの。
日本人が日本語で歌うというのは本当に負担軽減になるものなのかどうか、それはこっちが勝手に思っていることであって実際のところは聞いてみないとわからない。
観ているほうとしては例えば第1幕のあたまと終幕冒頭は相似形でありながら、言葉で含みを持たせたようなところがあるし、そういったところは言葉で意図されたものがこちら側により浸透してくるといった効果もあったかに思う。母国語で歌われるとそういったところの理解がすすみ易い。

言葉や動きの事だけでなく舞台の動きも練り込まれている。終幕4人のダンスは最初明るいものだが、ガラス窓の外は少しずつ風が強くなっていく。そして少しずつ全体が暗くなっていく。観ているほうの心の動きまで掌握しているような演出。
2幕モミュス、ムゼッタはマルチェッロのほっぺを思いっきり殴って手を握り合い二人で去る。2幕の舞台はゴチャゴチャと混みいったもの、そんな中で6人衆の動きをきっちりわかるような配置の妙。
3幕の行商人と兵のやり取り、日常のやり取りが暗い中でしっくりと表現されている。
等々、このプロダクションは6/18とこの日だけの2回公演のようですが、こういった面白みを観るにはもっと多い上演が望まれるところではある。リヴァイヴァル上演、貸出上演、これから先もっとやってほしいものだ。細部がよくきまっていて、終わる前にそういったことが脳裏をよぎる始末。

結局、こういった細部の丹念な積み重ねが濃い演劇性のみならずドラマチックで躍動する舞台を築きあげる要素になっている。
ここニ三十年、序曲の中でパフォームするといったことがやられていて、ワーグナーのようなスタティックなものだとかなりサマになるのだが、イタオペだとどうも安い感じがしてしまう。付け足しのように見えるんですね。ワーグナー物からのアイデアの真似だからかなあと勝手に思っているのですが、そういった事が多くて、たまに濃い演出もあった記憶はありますが全体的にはどうも今一つという印象があったのです。今回の伊香演出はそういったことを全く感じさせない。クプファー演出を思い出したけれども、古さは感じない。古さというのは陳腐と置き換えてもいいが、そういった事を感じさせない。むしろ何か新しい新鮮な現代性を感じさせてくれた。新鮮というのはこちらが周りの事を知らないという事に寄るのかもしれない。でも一つの方向性は感じる。それはもしかして日本語上演によるところがあるのかもしれない。そこらあたりが微妙にうまく絡み合っているのかもしれない。
演出は古くなり、音楽だけが残る。だから演出は何度でも創作し続けなければならない。そうかもしれない。現代性は問われ続けられるものかもしれない。それはこれからの話だろう。

4幕ラストシーン直前。ミミが二人だけになりたくてベッドで一芝居打って、二人になりそこでこれ以上ない糸を引く様な音楽がつながる。第1幕のデュエットシーンでの歌そのもののフシが今度はオーケストラだけで奏される。二人がするのは動き。渾身のパフォーム。プッチーニ節ここに極まれり。園田、新日フィル、身も心も中から砕け散るようなウルトラ絶品の演奏。
そして、仲間たちがもどり、ミミはこの世を離れる。コラージョ、ここからあっという間にエンディングとなるのだけれども、伊香プロダクションではもうひとつ動きを作る。
屋根裏部屋が左右にツーと動いて消える。ミミとそのベッドは奈落の底に沈みこむ。舞台は空になる。そして奈落から墓石があがってくる。そこにいるのは5人。冒頭でオペラが始まる前の無言劇的なシーンに戻るのである。
ラ・ボエーム、ソナタ形式を思わせる構造、第1幕導入提示展開と終結、2幕スケルツォとトリオ、3幕見事に弧を描くアダージョ、終幕では1幕再現と展開それにフィナーレ、この強固な形式を後押しするような冒頭、結尾の見事な演出というほかない。秀逸な演出で見ごたえありました。
プログラム冊子を拝見すると、五島記念文化賞オペラ新人賞研修成果発表と書いてありました。

ロドルフォ樋口は歌、動きともに好調。彼の歌はこれまで何度も聴いてますしなじみのあるもの。舞台は総じてグレイな色合いの中にブラウンな色調があり、光が効果的。シックでいい舞台。樋口ロドルフォの色はそれにしっくりと合うもので、深みがあって息が続き歌い込まれているもの。1幕でのソロ、デュエット見事な歌でした。3幕での弧を描くミミとの絶唱、シルキーなオーケストラサウンドに乗って、無限の美しさ。
ロドルフォを入れた4人衆はバランスが良く取れていて、激しい動きの中でもきっちりとした歌唱でしたね。マルチェッロの立ち位置はわきまえた加減を感じるもの。
ミミ北原は最初から役になり切っている。最初ちょっと弱すぎるミミと感じたがあれは動きのほうですね。歌のほうは少しドライで中太な線が安定感の高いもので、いつか崩れるといった余計な心配もない。役とは別の強さと芯を感じさせてくれた。
ムゼッタ高橋はまず、サマになるというか絵になる。気が強そうでわがままで実は寂しいのかもしれない複雑な女性を見事に演じましたね。ワルツは魅力的。ここ、ミミをくいました。
洒落た2幕、悲劇の4幕、両面感じさせてくれました。素晴らしかったです。ビューティフル。

オペラ振り園田の棒、これも鮮やか。ピットでの新日フィルのサウンドがいつも聴いているオンステージでの音と同じ。前向きで積極性のあるタクトだったのだと痛烈に思う。
プッチーニに泣き節全開とはせず、締めるところはサッと切り上げたりする。ムーティの妙技とオーヴァーラップするところがある。プッチーニは振らないムーティ、でもなんだか冴え技はそんな感じ。
オーケストラとともに舞台の上を見ながらの指揮姿、説得力ありますね。自在な棒はこのようなオケでさらに躍動する。鮮度高し。秀逸な伴奏を終始展開してくれました。

ラ・ボエームにジャストフィット、みんな最高!、ボエーム最高!!

おわり

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2358- ジークフリート、飯守泰次郎、東響、2017.6.7

2017-06-07 22:17:02 | オペラ

2017年6月7日(水) 2:00-7:50pm オペラパレス、新国立劇場、初台

新国立劇場 プレゼンツ
ワーグナー 作曲
ゲッツ・フリードリッヒ プロダクション
New production for opera-palace originally based on Finnish National Opera 1996

ジークフリート  80、75、81

キャスト(in order of appearance, also voices’ appearance)

1. ミーメ、アンドレアス・コンラッド (T)
2. ジークフリート、ステファン・グールド (T)
3. さすらい人、グリア・グリムスレイ (BsBr)

4. アルベリヒ、トーマス・ガゼリ (Br)
5. ファフナー、クリスティアン・ヒューブナー (Bs)
6. 森の小鳥、
6-1. (黄) 鵜木絵里 (S)
6-2. (白) 吉原圭子 (S)
6-3. (赤) 安井陽子 (S)
6-4. (緑) 九嶋香奈枝 (S)
6-5. (青) 五月女遥 (ダンサー)

7. エルダ、クリスタ・マイヤー (A)
8. ブリュンヒルデ、リカルダ・メルベート (S)

飯守泰次郎 指揮 東京交響楽団

(duration approx.)
ActⅠ 29+25+26
ActⅡ 24+30+21
ActⅢ 17+15+49


初台ジークフリート3日目。
初日公演感想はこちら
二日目公演感想はこちら

第1幕は場面転換無し。この楽劇はもともと場面転換の音楽が濃くなくて、この幕は場面ではなく登場人物の入れ替わりだけです。さすらい人は2場のミーメとの質問ごっこのシーンだけではなくて1場3場にも歌わなくてもつなぎのように登場してくる。
ノートゥングを鍛える小屋はカミテにセットしてあるがカミテ過ぎ。かつミーメ、ジークフリートともに右寄りでの歌唱が多い。R側の聴衆は何も見えなくて状況確認のため左のほうへ首を長めて観るか音だけ聴くことに。特に3場は最悪と思う。前回書いた通り問題の多いセッティングで、演出というよりもここのホールの角度、多数の観えない席等の顕在化している問題点を把握しているはずのスタッフが調整すべき事項のように思える。小屋の左にあるミニチュアが見える人は限られている。

第2幕も場面転換無し。1幕同様登場人物の移動でシーンが進む。ナイトヘーレと森が同じ舞台で、森はもうちょっとなにか広々感というか工夫があってもいいかと思う。森の小鳥は4羽で、森の木のあちら側から現れて歌う。その前のホルンはちょっと線が細い。
その後の展開、ミーメのモノローグはジークフリートに接近しすぎている。この日は、ミーメがジークフリートにやられるシーン、決まりませんでしたね。両者このシーンの前は離れているほうがより効果的な気がします。

第3幕は動きがある。第1場は何もないところでさすらい人の歌、そしてその舞台が上に持ち上がって下にエルダ。上下の舞台。シンプルですっきりしている。ここは警告シーンではないもののエルダと小鳥は警告面でダブって見える気がする。
2場は、さすらい人が歌った上の舞台に戻り、そこでジークフリートとやりあう。1場2場は合わせて30分ほどで、このあと長大な3場となる。が、2場の最後で剣を折られたさすらい人はすぐには去らずカミテギリギリのところで3場への場面転換のマジックファイアの音楽が鳴るまで立ち尽くす。効果的なつなぎです。が、R側上階だと全く見えないと思う。
その3場はワルキューレを思い出させる炎、横一線の炎が奥から手前に移動、岩山はメタリックな台。その上にブリュンヒルデ。
怖れを知ったところで舞台奥一点から手前にレーザー光線、非常に効果的ですね。心模様とレインボーのような光線が見事に錯綜する。レーザー光線の動きは無し。
ブリュンヒルデのメルベート、惚れ惚れするのは歌だけではない。身体全体中央に縦軸があるかのように左右対称。口よりも大きくひらいた眼も圧倒的、まして歌唱の顔全体が対称性を実感させるもので正しく精密な歌唱を導いているような気がする。シンメトリックな西洋美学を感じさせてくれる。正確でドラマチックなソプラノ、お見事というほかない。

グールドは前2回に比べ1幕から飛ばす。楽に声が出るようになったのではないか。力まずきれいなヘルデン斉唱が素晴らしい。ミーメとさすらい人の掛け合いもいい。
飯守棒は活力があり滑るように進んでいく。快調です。オーケストラの弦が大変に充実していてグイッと持ち上げられた力強さと透明感、スバラシイ。これに比して本日、ブラスは粗雑過ぎた。特に一幕。緊張感足りない。大雑把な吹奏、もう3回あるので気合いを入れなおしてほしい。

2幕は大蛇ファフナーとミーメがお隠れになる修羅場シーンがあれど、それぞれのキャラクターが良く決まっていてなんだかのびのびと歌ってる。みなさんよくとおる声で聴いていて気持ちがいい。アルベリヒとミーメの掛け合い、ファフナーの存在感。ジークフリートも憧憬な味が出た。

終幕1場のさすらい人、グリムスレイは大きく声が出ており大迫力。舞台が持ち上げられるので声の角度もあるのかもしれない。1幕2場から終幕次の2場まで、間髪をいれずの大活躍でした。それにこの場、強靭なエルダ、ぶつかり合うさすらい人。上下の舞台で双方見えていないと思うが息の合ったもので指揮の飯守の見事さも感じるもの。
2場から3場への場面転換は書いた通り。さすらい人は炎の中に眠るブリュンヒルデを確認してから去る。
長大な二重唱。圧巻のカタルシス。1幕からさえていたグールド、ここにきてもうワンステップ踏み込んで大馬力。メルベートとのぶつかり合いは愛というより横綱相撲。唖然茫然の二重唱、今日も心地よくぶっ飛びました。大したもんだ。よかったよかった。
おわり



 

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2357- ジークフリート、飯守泰次郎、東響、2017.6.4

2017-06-04 22:24:49 | オペラ

2017年6月4日(日) 2:00-7:50pm オペラパレス、新国立劇場、初台

新国立劇場 プレゼンツ
ワーグナー 作曲
ゲッツ・フリードリッヒ プロダクション
New production for opera-palace originally based on Finnish National Opera 1996

ジークフリート  80、77、84

キャスト(in order of appearance, also voices’ appearance)
1. ミーメ、アンドレアス・コンラッド (T)
2. ジークフリート、ステファン・グールド (T)
3. さすらい人、グリア・グリムスレイ (BsBr)

4. アルベリヒ、トーマス・ガゼリ (Br)
5. ファフナー、クリスティアン・ヒューブナー (Bs)
6. 森の小鳥、
6-1. (黄) 鵜木絵里 (S)
6-2. (白) 吉原圭子 (S)
6-3. (赤) 安井陽子 (S)
6-4. (緑) 九嶋香奈枝 (S)
6-5. (青) 奥田花純 (ダンサー)

7. エルダ、クリスタ・マイヤー (A)
8. ブリュンヒルデ、リカルダ・メルベート (S)

飯守泰次郎 指揮 東京交響楽団

(duration approx.)
ActⅠ 30+24+26
ActⅡ 25+30+22
ActⅢ 19+14+51


初台ジークフリート2日目。
初日公演感想はこちら

終幕終場二重唱、大団円。
オペラ始まってほぼ歌いっぱなしのジークフリート、かたや5時間待ちのブリュンヒルデ。精力果てそうな男と眠りから覚めて回復力めざましい女のぶつかり合いの歌は、歌詞を追うとどうもやにっこくてすっきりしない。ワーグナーらしいといえるのかもしれないが、急がば回れ、でも廻って予定調和になるものだろうか。破滅への道を描いたようなものだ。
「愛こそは光り輝き、死さえも笑っている!」
「光り輝く愛、哄笑する死!」
わからなくもないが、なにもフィニッシュで使う語でも無いような気もする。屈折、言葉の選び、ストーリーテラーとしての作曲家は言葉一つで次のカミタソへの興味をつなぐことが出来る、この操りにやられてしまうんだよね。
一見、大団円。実は真逆。

グールドは初日同様、日本式に1幕2幕、エネルギー温存を画策。なるべく小出しにしてこの最後に備える。1幕より2幕のほうがエネルギー発散上昇気味に思えるのは喉の滑り具合がよくなったからだろう。あのはらなので動きで極力息があがらないようにしているところもある。
メルベートはこの場だけ。初日同様めざましい歌。口よりも目のほうの開き具合が大きいのではないかと思わせるような鬼形相。
両者それぞれのスタイルで歌う駆け引き、そしてデュエット。オペラを観る醍醐味、ここに極まれり!

屈折した歌詞、壁をかきむしる、怖れを認識したジークフリート、そこにレーザー光線。たぶん初演当時は斬新なものだったろうと思う。1点光源は下のほうの席でないと見えない。上では縦の光の平面的な広がりが見えるだけと思う。演出のインパクトはなるべく多くの聴衆が見えるようにしなければならない。ゲッツの演出は古いものだがそれよりもセッティングの偏りが目立つ。1幕1場の小屋がカミテに寄り過ぎてる。前のラインの黄金でも神様ダンスがカミテ過ぎた。この終幕ではなにやら上方を隠しているような気配があるので構造的に何か問題があるのかもしれない。いずれにしてもポイントになるところでの配置の悪さは演出というよりもここのスタッフの推敲がたりないせいではないか。
まぁ、興ざめになるところまではいかないが、この演出でもう一度、前2オペラみたいかというとそうでもない。

歌はお二方の全力投球。渾身の歌唱。色々と変化していく歌詞とともに揺れ動く心の微ニュアンス、動き。大胆で圧倒的な歌唱。シームレスでエナメルのような光り具合。何層もありそうな強靭な声。そしてコントロール。
メルベートはやや硬めでホールを抱擁するような鳴りというよりはストレートな声で、声量の加減がそのままホールでの響きの強さに比例するような感じ。オーケストラの音量に負けない馬力には恐れ入る。
グールドは初シーズンのラインの黄金でのローゲのインパクトが今でもありありと思い浮かべる、というかずっと残っていてそれを払しょくするのは簡単ではない。ジークムントを経てジークフリートへ。なめし皮のような光沢、黒光りするヘルデン、もげない吊り橋のようなしなり具合。素晴らしい。
終場、二重唱、堪能しました。

指揮の飯守の弁。
この終幕終場大詰め、指環全体の一つの頂点をこれまで実感してきた。しかし、二重唱に含まれる半音階の動き、双方の歌詞内容にあるすれ違い意味の陰りを看過すべきでない。と感じるようになった。最高潮という印象になりがちな幕切れを、より深い意味を孕んだドラマとして演奏したい。

といったあたりのことをプログラムノートに書いてある。演奏はまさにその実践だったように思います。
3幕の1場2場はあわせて30分ほど。そのあと長大な二重唱となるわけですが、初日より5分ほど長くなった演奏。初日は力感が勝っていたと思う。今日はほぐれた感じで余裕のある響きのなか、歌唱の流れは自然になり、歌詞に合った屈折、半音階のあたりの味わいもまことに深いものがありました。そんな中、ダイナミクスの振幅の大きさ、ピット内最大限のパースペクティヴ感。圧倒的。濃い棒でした。
このオーケストラの反応の速さ、そして全体性能の良さ、飯守は安心して自分の解釈をオーケストラにゆだねている。その分、左手を中心としたソリストたちへの指示はそうは多くは無いものの増して雄弁になり、それが生きて功を奏しまことに味わい深い、かみしめて聴く様なコクのある表現となりました。
ピクリと動く手に圧倒的なサウンドを奏でる東響のプレイの凄さは筆舌に尽くし難い。驚嘆のオーケストラ伴奏。これがあってこその7人衆の見事な歌唱が出来上がる。

1幕でのミーメ、それにヴォータンとの掛け合い。
2幕でのアルベリヒのきまりキャラ。ミーメとのやりあい。ファフナー最期歌唱。
3幕エルダの強靭でホールを席巻する声。
オールスターキャストの凄さを全部堪能しました。よかったよかった。
おわり


 

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2355- ジークフリート、飯守泰次郎、東響、2017.6.1

2017-06-01 23:25:08 | オペラ

2017年6月1日(木) 4:00-9:45pm オペラパレス、新国立劇場、初台

新国立劇場 プレゼンツ
ワーグナー 作曲
ゲッツ・フリードリッヒ プロダクション
New production for opera-palace originally based on Finnish National Opera 1996

ジークフリート  80、74、79

キャスト(in order of appearance, also voices’ appearance)
1. ミーメ、アンドレアス・コンラッド (T)
2. ジークフリート、ステファン・グールド (T)
3. さすらい人、グリア・グリムスレイ (BsBr)

4. アルベリヒ、トーマス・ガゼリ (Br)
5. ファフナー、クリスティアン・ヒューブナー (Bs)
6. 森の小鳥
6-1. (黄) 鵜木絵里 (S)
6-2. (白) 吉原圭子 (S)
6-3. (緑) 九嶋香奈枝 (S)
6-4. (赤) 安井陽子 (S)
6-5. (青) 五月女遥 (ダンサー)

7. エルダ、クリスタ・マイヤー (A)
8. ブリュンヒルデ、リカルダ・メルベート (S)

飯守泰次郎 指揮 東京交響楽団

(duration approx.)
ActⅠ 30+23+27
ActⅡ 23+28+23
ActⅢ 18+14+47


初台ジークフリート。
7人衆、オールスターキャストによる6回公演の初日。

第1幕の舞台は森の中、カミテ手前四分の一ほどをノートゥングの鍛え小屋。ちょっと窮屈な舞台。グールド扮するタイトルロールはこの幕の3場を中心にこの小屋の中で歌うことが多くて、屋根があることからポジション的には声が通りにくくなる。会場に声が相応に聴こえる範囲が、この制約が無ければ聴こえていたはずの位置の人たちにおよんでしまい、あまりいい舞台配置とはいえない。
グールドはおなかのあたり、肥え過ぎ。身動きがとれない。ロールの動きとはかけ離れたもので、声もあまりでていない。特に長いフレーズはこなれていない。長丁場なので抑えているのかもしれない。
この幕は3人だけしか出なくて、2場のコンラッドのミーメ、グリムスレイのさすらい人、この二人による掛け合いが見事でしたね。
コンラッドは1場から出ずっぱりで独特の芯のある通る声、明るくて気持ちの悪いテノールでキャラクターもきまっている。憎めない悪者イメージでかたまっている。
グリムスレイのさすらい人は風体がきまっている。高低滑らかに一律な声質で前に出てくる。素晴らしい。
この二人のキャラがきまっていて、相違が際立ってよくわかる。キャラのぶつかり具合まことにお見事で聴き応え十分。
3場は最初に書いた通り、グールドのノートゥング鍛えながらの歌唱は、迫力はあるが全力という感じではない。歌う位置がよくないのも影響しているかもしれない。ここでもコンラッドのほうが充実しています。それに東響のカミソリサウンドが気持ちよく響いてくる。
それから、終盤、ミーメが白水玉模様の赤い傘をさして歌い始めるけれども、このてのアクセントはやりつくされている。1996年というから20年以上前のゲッツのプロダクション、古さが否めない。今となってみれば陳腐なもの。

第2幕はアルベリヒから。1幕のミーメのキャラとはがらりと異なる。本当に兄弟なのだろうか。陰と陽。ミーメに無いところを全部アルベリヒが持っているという感じ。シリアスなヒール感満載のガゼリ。1幕の3人衆は初日だからかきれいに髭剃ってましたがガゼリは結構伸びている。
2シーズン前のラインの黄金で同役。色々と思い起こしますね。
ジークフリートでのアルベリヒは地を這いまわっている。彼がいると場が締まる。ミーメから一段下がった声でドスが効いている。滑らかで兄弟の歌唱としては納得できる。凄味のあるバリトン。
ちなみに、ラインの黄金とこのジークフリートは役どころが似ていて、かつキャストは2シーズン前と同じです。違うのはグールドがローゲからジークフリート役になっていること。それにさすらい人。

ラインの黄金を観ていないと、ファフナーの大蛇出現は唐突感ありまくり。ストーリー的には納得できるものだが、舞台上の出来事を視覚的な流れで観るとやっぱり、突然変なものが出てくる感じで多少の違和感あります。まぁ、ここが無いと指環が手に入らないのでポイントになるシーンではあるのでしょうけれど。
ヒューブナーは大蛇的な歌で威厳さえ感じさせてくれる見事なバス歌唱でした。ジークフリートでなくても、ファフナーの死に際にもの思うところがあると感じてしまうような説得力のあるものでした。

と、両腕があって大きな指が舞台に出てきてヤラレタところで風船の空気が抜けるようにしぼむ。ファフナーに戻ったヒューブナーはそこにごろりと転がる。舞台中央。
そのままの状態で、ミーメとジークフリート、毒薬がどうだこうだとやりあってミーメがヤラレテ、彼も舞台上にごろりと転がる。二人ともお陀仏。場がかなりゴチャゴチャしている。舞台が狭い。

最終的に舞台は片付けられたような具合になりジークフリートが第3幕をめざす。
ラインの黄金と違い場面転換の音楽が際立っていないジークフリート。舞台も連続したもの、スタティックなもので動きが無いなか、森の小鳥を4人で歌い分ける。黄白緑赤の鳥衣装、そしてダンサーの青の小鳥とブリュンヒルデをめざす。
グールドの歌唱は2幕になって少し楽になったように見うけられる。

第3幕になって初台の舞台がようやく動く。中央一人でさすらい人の歌唱。進むにつれて床が上に動いていって下からエルダが出現。お互いの立ち位置がまるで見えないポジションながら両者見事な歌唱でした。指揮者を凝視することになると思いますが、なかなか素晴らしいものでした。エルダのクリスタ・マイヤーはいつもながら出番は少なくてもキーポイントになる役で、はずすことはできない。力感溢れるメッゾは自信の塊、幅広の声がホールに響く。ラインの黄金でのエルダそのもの。よかった。

2場のジークフリートとヴォータンのやりとり。ここらへんからグールドがさえてきた。きれいに響くヘルデンテノール、美しい。なめし皮のようなおもむきでブレスさえ美しく。伸びもよくなりハリも出た。これならヴォータンの槍を折るのも時間の問題と。

終幕終場大詰め。舞台が始まって5時間待ちのブリュンヒルデが目覚める時。ここの舞台転換、前シーズンのワルキューレの大詰めでのファイヤーが奥から手前に移動。久しぶりに初台の奥行きを感じる。大きな丸い鉄板のようなものの上に仰向けのブリュンヒルデ。5時間待ったが簡単には歌わせてもらえない。レーザー光線の中、ジークフリートの長い歌唱、不安と自信喪失が綯い交ぜになったようなものでグールドの歌唱が響き渡る。日本式に最後まで力をとっておいたのだろうか。1幕出足はいまひとつであったのがここでは取りあえず全開モード。
初台では主役を色々と歌っているメルベートが、口と同じぐらい目を大きくあけものすごい形相で聴衆を見据えながら圧倒的な歌唱。目と口に飲み込まれそうになる。
やや硬めだと思うのだが強い歌なので突進してくる芯の強さをまず感じる。丸みより鋭角な歌いっぷりでしなるように弧を描いて鮮やかに歌い切る。ジークフリートは手の中で踊らされているようなものなのか。
めでたしめでたしという歌詞ではないものの、一旦、ジーフリートとブリュンヒルデの思いは叶いオーケストラが大きなうなりを上げならフィニッシュ。

飯守の棒は作品のドラマチックな譜面以上の追い込みは特にしていない。濃厚な停滞、スカスカ猛速といった伸縮はそれほどでもなくて、むしろこの雄弁なオーケストラを存分に鳴らし彫りの深い演奏をしている。カミソリサウンドが強烈に鳴る中、ソリストたちの声が全くかき消されることなく前に出てくるのは指揮者の貢献有りますね。左手でソリストへの指示は割と見えるが大きなアクションではない。歌うほうがきっちりと見ているので乱れが無い。3幕の2場あたりでさすがにへばったような響きが感じられたオケでしたけれども、全体的には高レベルのアンサンブルで堪能。雄弁なオーケストラでした。

皇太子殿下臨席。全幕観劇。
取り巻きが多数でその周りも空席にしているため、2階センターはまわりもエンプティーシートだらけ。平日午後公演のため大きな影響なし。
おわり





   

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2354- ラインの黄金、インキネン、日フィル、2017.5.27

2017-05-27 21:11:37 | オペラ

2017年5月27日(土) 2:00-4:50pm 東京文化会館

JPO プレゼンツ
ワーグナー 作曲
佐藤美晴 プロダクション
ラインの黄金    149′

キャスト(in order of voices’appearance)
1-1.ヴォークリンデ、林正子(S)
1-2.ヴェルグンデ、平井香織(S)
1-3.フロスヒルデ、清水華澄(Ms)

2.アルベリヒ、ワーウィック・ファイフェ(Br)

3-1.フリッカ、リリ・パーシキヴィ(Ms)
3-2.ヴォータン、ユッカ・ラジライネン(BsBr)

4.フライア、安藤赴美子(S)
5-1.ファーゾルト、斉木健詞(BsBr)
5-2.ファフナー、山下浩司(BsBr)

6-1.フロー、片寄純也(T)
6-2.ドンナー、畠山茂(BsBr)

7.ローゲ、ウィル・ハルトマン(T)

8.ミーメ、与儀巧(T)

9.エルダ、池田香織(Ms)

ピエタリ・インキネン 指揮 日本フィルハーモニー交響楽団

(duration approx.)
序奏 5′
第1場 21′ (場面転換含む)
第2場 45′ (場面転換含む)
第3場 29′ (場面転換含む)
第4場 40′
第4場ハンマー 9′


前日に続き日参。定期公演で二日続けてやってくれる。スバラシイ。
前日キャンセルしたウィル・ハルトマンがローゲ役をどうしてもやりたいということで、スタッフの前アナ付きで出場。アナが出てきて言い訳がはいるときは、まぁ、本調子じゃないけど出ます的な内容がほとんどで、途中で調子崩しても大目に見てね、と相場は決まっている。

ミーメは昨日同様、代打出場。

インキネン棒は前日より若干伸びた。伸縮が出ましたね。24時間おかずの上演ですから気持ちの再セットはオケも歌い手もそう簡単ではないと思う。指揮者が引き締めないといけませんね。オーソリティの風格さえ漂うインキネンのアッパー棒。前日は普段見せないような体全体の激しい前のめりなどあったりしたのだが、今日はそれほどでもなくて、そのかわり少しの動きに大きく反応するオケが大迫力。ニーベルハイムの高速処理の見事さはシンフォニーオーケストラの面目躍如たるもの。
昨日今日と一番感じたのはオケがオンステージで後方からデカい音をたてているのに、前に位置しているシンガーの声が全くかき消されないこと。キャスティングが凄いというのはもちろんあるが、このオーケストラ特有の奥行き感を感じさせつつブラスなどは、上に舞い、上方奥から前に降りかかってくるような具合の音で、うるさくない。弦アンサンブルがウィンド、ブラスとバランスしているからだと思う。均整のとれたいいもです。

ローゲのハルトマンは動きを作りすぎていてちょっとやにっぽい。歌のほうはテノールの魅力を今一つ感じることが出来ず、まぁ、普通の出来栄え。文字通り体調不良だったのだろう。リヴェンジお願いします。

むさくるしかった空気を取り払うドンナー。言われてみればこの2時間半ずっと鬱陶しいシーンの連続だった。ノンビブでホールを包むようなドンナーの一声。かなりユニーク、チューニングをしているような雰囲気を醸し出しつつ際どいピッチで進みハンマーの一撃。ティンパニーが驚天動地のうなり声をあげる中、入城開始。


色々ありましたが、二日とも客席はほぼ埋まり、むしろ普段定期で聴いている連中で、いつもと違う雰囲気だわと思った方々がいたようで、初日は1階席可視範囲で7名途中棄権。
二日目土曜の定期会員ですので、土曜は自分も含めみなさん時間に余裕をもってきてる感じ。
今回の企画はインキネンの力が大きかったと思う。会場の入りもよくて熱気もありました。早く続編を観たいですね。
おわり

PS
ラインの黄金はざっと思い出すだけで20回ぐらい、たぶん30回ほど観ているかもしれない。


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2353- ラインの黄金、インキネン、日フィル、2017.5.26

2017-05-26 23:17:47 | オペラ

2017年5月26日(金) 7:00-9:50pm 東京文化会館

JPO プレゼンツ
ワーグナー 作曲
佐藤美晴 プロダクション
ラインの黄金    146′

キャスト(in order of voices’appearance)
1-1.ヴォークリンデ、林正子(S)
1-2.ヴェルグンデ、平井香織(S)
1-3.フロスヒルデ、清水華澄(Ms)

2.アルベリヒ、ワーウィック・ファイフェ(Br)

3-1.フリッカ、リリ・パーシキヴィ(Ms)
3-2.ヴォータン、ユッカ・ラジライネン(BsBr)

4.フライア、安藤赴美子(S)
5-1.ファーゾルト、斉木健詞(BsBr)
5-2.ファフナー、山下浩司(BsBr)

6-1.フロー、片寄純也(T)
6-2.ドンナー、畠山茂(BsBr)

7.ローゲ、西村悟(T)

8.ミーメ、与儀巧(T)

9.エルダ、池田香織(Ms)

ピエタリ・インキネン 指揮 日本フィルハーモニー交響楽団

(duration approx.)
序奏 6′
第1場 20′ (場面転換含む)
第2場 44′ (場面転換含む)
第3場 29′ (場面転換含む)
第4場 39′
第4場ハンマー 8′


日フィル東京定期は通常サントリーホールで金土。サントリーが改築中の為、上野での公演。
指揮のインキネンはリングの実績を積んでいるし、日フィルとはワルキューレ第1幕や、ジークフリート抜粋、カミタソ抜粋もやっている。今回は日フィル・リングサイクルの初年になる。

プログラムクレジットは特にないがセミステージでの上演。ソリストはステージ上のオケの前で衣装付き、動きありでの歌唱。指揮者よりも手前で歌うので、指揮者とソリストは阿吽の呼吸、それとアイコンタクト。呼吸は良く合っています。
プロンプター代わりに4台のモニターがシモテからカミテまで並べてある。

今日の初日は2人体調不良でキャンセル。代役ローゲの西村とミーメの与儀は、先達て3月のびわ湖ホールでのラインの黄金の初日に出ている。

2286- ラインの黄金、ハンペ、沼尻、京都市響、2017.3.4 


ホールを暗くし、譜面の明かりだけが光る中、やや音色相違のある複数ホルンソロによる序奏から開始。
1場が始まるところでカミテから歌う順番にノースリーブの思い思いのロングドレスでラインの乙女たち3人衆が登場。
2場4場、それに3場も、ワーグナーのストーリー全部入れてこの長さだと話がごちゃごちゃしていてもう少し長くてもいいような気がするし、2場でローゲが、愛を断念したものが一人だけいるというくだりの下ごしらえとしての1場のレングスは内容も含めてちょうどよいぐらいで、この1場のストーリー展開の比率で言ったらやっぱり2,3,4場はもう少し相応な長さとなってもいいような気がする。特に2場4場はたて込んでいますね。

14ロール中、2場で8人が同時に乗っかるあたりは舞台としても特にたて込んでいる。が、
この8人目の役どころローゲ代役西村が出てきたところで場がギュッと締り、ストーリーを追う面白さも倍増。ホールの空気感が変わりました。3月にびわ湖で同役で出ていたのが大きいですね。あのときはややかたさが見られたが、今日はリラックス、余裕のリラックス。ここの場から最後まで出ずっぱりですし、主役モードですね。動き、ナチュラルなウィット感、役の積み重ねを実感します。歌う劇場がたくさんあればそれに越したことはない。演じて歌う場所があればいくらでもうまくなっていきそうな気配。

1場。
まず3人の乙女たち、動きが結構あるとはいえやっぱり準コンサートスタイルならではのコンディションの良さを感じます。お三方とも声が前に出ていて、と言いますかこのあとの役どころのかたがたも含め全員、歌唱では正面を向くので声の出具合を十分に味わうことが出来る。快感ですな。
この3人の声の強じんさとバランスがとてもいい。最初から堪能。
これにアルベリヒが絡んでくる。ファイフェのバリトン声、魅力的です。ザラザラしてなくて滑らかで高低が自然で良く出ていて聴きやすいもの。少し幅広な声で、突き刺すようなところがなくて最初から最後までものすごくよく出ている。つまり日フィル的な声。
それと動きがいい。アルベリヒの哀しさみたいなものまで透けて見えてくる。俄然素晴らしいアルベリヒ。

2場。
神様夫婦の登場。ラジライネンはもう、何回観たかわからない状態。このオペラではローゲに役をくわれる、その前によく歌っておこうといった気配でもない。通常のジョブですな。
フリッカのパーシキヴィは初めて聴く。大柄で声も大きい。やや硬めの声質。ダンナにとっては山の神みたいなもの。その雰囲気よく出ている。このシーンの二人のやりとりを見ておいてワルキューレ2幕にはいれば、また味わいも格別だろう。フリッカは裏表の陰がないストレートな歌唱でした。

フライアが可憐な歌唱をする中、巨人二人が人間サイズで登場。ちょっと裏社会的ななり。ファーゾルトがメインとなる歌唱。ファーゾルト斎木はアルベリヒと同じく柔らかい声で大きく歌う。聴きやすい声質ですね。キャラクター的にもきまっている。ファフナーの声での出番は最初の方はあまりありません。この場と4場、要所を突くきかん坊的な歌いくちでこれもはまっていました。

フライア窮地に兄弟登場。フロー片寄の黒光りテノール。贅沢なキャスティング。力強いテノールで素晴らしい。次作のジークムントお願いします。

ということで2場、ここまで7人登場。8人目が冒頭に書いたローゲ西村ということになります。ストーリーもここから面白くなるし、自然な振る舞い、ローゲキャラ全開。余裕ですな。この役どころ、歌い込むほどに引き締まったいいテノール声にさらに躍進できそうな気配です。2場のここから、それと次の3場。ほとんどローゲが主役の大活躍。絶賛拍手。

インキネン棒は、オペラにあるような極端な濃淡はせず、歌い手とのコンタクトをうまく取りながらオーケストラを煽り立てることなく抑揚コントロール。場面転換はなだらかな表現で場そのものと同じく流れが自然。オーケストラはインキネンについていくようなところもありますが、自分たちが音楽を作っていくという強い意思、張り切り具合、それに研ぎ澄まされた神経、コンセントレーションがコンマス以下全員に。編成上ブラスにトラは多いもののミスタートロンボーンをはじめとしてトランペットからチューバまで、見事なプレイ。ブラスセクションの柔らかい力感、奥行き感は、同じ指揮者によるワルキューレ第1幕を思い起こすに十分な演奏で、お見事!

3場。
ミーメ、短い役どころながら与儀さんの歌いこまれたテノール。ここも贅沢キャスティング。キャラ越えか。
3人のやりとりでは、ヴォータンは歌の出番があまりなくて、アルベリヒのファイフェとローゲの西村のやりとりは聴きごたえ満点。アルベリヒがだんだんと気持ちが動いていくさま、ローゲの変わらない策士ぶり、双方秀逸。ストーリー展開が陳腐に陥らずハイレベルの歌唱を堪能。大蛇は天井にそれらしき姿があらわれたが蛙はそうもいかず。

4場。
エルダがストーリーを割らないと先に進めない。大事なポイント。先のことが見えるエルダというのなら、ヴォータンがそのまま指環をせしめた時空もあるということか。
エルダ池田も、もう何度も見ている。役得のように思えるのはオネーギンのグレーミンみたいなものか。
14キャラ中エルダのみ舞台前面ではなく、シモテからオケに向かい雛壇中腹あたりでの歌唱。透る声でオケサウンドをものともせず強じんなエルダぶしを唱える。彼女用の音場がステージ全体に広がっていくようだ。スバラシイ。

この4場はストーリーがたくさんあってたて込んでいる。50分ほどの中に詰め込まれてしまっている。ここ100分は欲しいですね。
シリアスな神様連中、半神ローゲのウィットなたたずまい。音楽はどっちに寄っているのだろうか。神様たちにか。
ハンマーの後、神様ワルツが盛大に鳴る中、入城。そのワルツはワルキューレ冒頭の3拍子へと続く。
おわり




 

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2318- オテロ、カリニャーニ、東フィル、2017.4.19

2017-04-19 23:33:27 | オペラ

2017年4月19日(水) 2:00-5:05pm オペラパレス、新国立劇場、初台

新国立劇場 プレゼンツ
ヴェルディ 作曲
マリオ・マルトーネ リヴァイヴァル・プロダクション
オテロ

キャスト(in order of appearance)
1.モンターノ、伊藤貴之(Bs)
1.カッシオ、与儀巧(T)
2.イアーゴ、ウラディーミル・ストヤノフ(Br)
2.ロデリーゴ、村上敏明(T)
3.オテロ、カルロ・ヴェントレ(T)
4.デズデーモナ、セレーナ・ファルノッキア(S)
5.エミーリア、清水華澄(Ms)
6.伝令、タン・ジュンボ(Bs)
7.ロドヴィーコ、妻屋秀和(Bs)

新国立劇場合唱団
世田谷ジュニア合唱団
パオロ・カリニャーニ 指揮
東京フィルハーモニー交響楽団

(duration)
ActⅠ 30′
Pause 3′
ActⅡ 34′
Int
ActⅢ 38′
Pause 2′
ActⅣ 32′


長々ともたもたと気ままな準備吹き弾きが続く中、定刻10分過ぎにようやくチューニング、そして指揮者の登場。
段取りがよくない開始でしたけれども、長々準備が良かったのかどうかラッパはじめとんでもない爆発サウンドでスタート。びっくり仰天の咆哮。嵐。
負けじとヴェントレの力強いエナメルのような声、ヴェルディのヒロイックなキャラクターにふさわしい。木っ端みじんにぶっ飛びました。最初から圧倒的。

気持ちを落ち着けてデズデーモナの出まで待ってようやく一服。結局のところ、ヴェントレ、ストヤノフ、ファルノッキア、この3人舞台、わかっていることとはいえ迫力ある舞台でした。

その舞台は征服したキプロスをヴェネチア風にしたのであろうか水の都のセッティング。大掛かりに水を張っているので、場面転換は無いだろうなぁとちょっと先が見えてしまうところもある。中央にセットした寝室がまわるだけ。むしろ、ライトによる反射や光と影のコントラストなどが美しい。

カリニャーニの大音量攻めが続く。疲れを知らぬヴェントレ、黒光りする英雄テノールが気持ちよい。デズデーモナのファルノッキアにも伝染したのかリリックというよりはハードな勢い、イアーゴのストヤノフだけが冷静に悪だくみを遂行している。キャラクターのきまり具合もいい。ヴェントレ対ストヤノフの世界が繰り広げられる。イアーゴの存在感がとても大きいウエイトを占める舞台ですね。
カリニャーニは大音量だけで攻めているわけではなくて、ストーリー展開に合わせた筆の運びが素晴らしい。大胆なフレージング、息をのむようなピアニシモ。大音量の部分ではかなり音が汚れるがその上をいく、手足の長いこの指揮者独特のグイグイひっぱり棒、これはこれで物語に切羽詰まった緊迫感を常時与えている。作品とプロダクションに合った指揮振りと思います。息をつかせぬスリルとサスペンス。お見事。

1幕最終シーンのオテロ、デズデーモナの二重唱、2幕それぞれの妻を絡めた歌のあとのオテロ、イアーゴの二重唱。3幕で重唱が次々と輪を広げ合唱と混ざり合う迫力。終幕の殊の外長い柳の歌シーンからの一連の展開。どれもこれも聴きごたえ満点。オペラの醍醐味に浸る。

デズデーモナはオテロの手にかかり仰向けに倒れる。右腕はヴェネチアの水に浸かる。オテロは自刃し水の中を這うようにデズデーモナのもとに。ヴェネチアの悲劇。

余りにリアルで明快なキャラクター3人衆。舞台の引き締まり具合。連続する緊張感。ドラマチックな舞台はエンタメ向きと多少言えなくもない。インパクトのある劇、存分に楽しめました。
おわり





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