河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。
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1499- ドヴォルザーク、チェロ協奏曲、アルトシュテット、グラズノフ、四季、小泉和裕、都響2013.7.22

2013-07-24 20:40:00 | インポート

2012-2013シーズン聴いたコンサート観たオペラはこちらから
2012-2013シーズン
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2013年7月22日(月)7:00pm サントリー
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ドヴォルザーク チェロ協奏曲
  チェロ、ニコラ・アルトシュテット
(アンコール)
バッハ 無伴奏チェロ組曲第1番より「サラバンド」
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グラズノフ 四季
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小泉和裕 指揮 東京都交響楽団
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前半の伴奏においてもこのオーケストラが一段上をいっているのがよくわかる。具体的にうまく表せないのだが、昔聴いたLPはトップレベルのオーケストラのものが多く、解像度が高く、マスの鳴りよりもアンサンブルや同一セクション単位の響きの良さ、それからボテボテしていなくてきっちり引き締まっている、そのような具合のLPをたくさん聴いてきてそれが当たり前みたいになってしまっている部分もあるわけだが、実際に生演奏を聴くとそうでもなかったりする。ところがこのオーケストラは昔聴きまくったLPと同じようなハイレベルのサウンドを醸し出している。
一言で言うと、粒立ちの良さ。
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国内のオーケストラは昔とは本当に比べ物にならないぐらいうまくなったのだが、その中でもこのオーケストラはいつ頃からこんな感じになったのだろう。きっかけみたいなものもあるのだろうか。
アンサンブルの粒立ちの良さは、むろん個々人のレベルの高さからくるものであろうが、どうもそれだけとは思えぬ。
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というわけで前半のコンチェルト。アルトシュテットの素直で自由な語り口、伴奏する解像度の高いオケ。滑らかに流れるチェロとガラスのように透明なオーケストラサウンドの響きが、双方溶け込むことはないが、それであればなおさら協奏曲の味。分離されたものどうしの美しさ。明晰です。
ですので、ドヴォルザークの、この覚えやすい節だらけの、そしてお国の節まわしだらけの曲であっても、情感とかそういった部分での思い込みのある演奏では、全く無い。第1楽章第2主題における無機的とさえいえるホルン・ソロ等を聴いているとその思いが強い。(先週の金曜のウルフ&読響のトップでしたけれど)
全体にこのような鳴りが多いのは、気持ちがはいっているいないとか、無機質とかそういったものではなく、一流オーケストラになる途中ステップであり、そのプロセスの真っただ中にあるように思える。うまくなる途中ではこのように一聴、機械油が必要最小限で一番効率のいい動き、そのようなプロセスの時が必ずあるものだ。これを越えると本当の自分たちの音が出来るに違いない。自分たちで作った音であれば、かのクリーヴランドのようにセル後何十年経っても独特の響きで一流であり続けているようなことが視野に入ってくるのではないか。
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粒立ちのいい響きは気持ちがいいもので、後半の四季は、混ざりけのない水滴同士がぶつかっているような美しさで何も言うことはない。光に照らされた宇宙の内側を見ているような響きの美しさで、これがオーケストラサウンドの醍醐味。
指揮者もこんなに気持ちのいいことはないだろう。
グラズノフ、満喫しました。
ありがとうございます。


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1498- ショスタコーヴィッチ、ヴァイオリン協奏曲第2番、ジュリアン・ラクリン、交響曲第5番、ヒュ

2013-07-24 20:00:00 | インポート

130719_200601
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2012-2013シーズン聴いたコンサート観たオペラはこちらから
2012-2013シーズン
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2013年7月19日(金)7:00pm サントリー
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ムソルグスキー ホヴァンシチーナ、前奏曲
ショスタコーヴィッチ ヴァイオリン協奏曲第2番
 ヴァイオリン、ジュリアン・ラクリン
(アンコール)バッハ
 無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番より、サラバンド
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ショスタコーヴィッチ 交響曲第5番
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ヒュー・ウルフ 指揮 読売日本交響楽団
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このヴァイオリン協奏曲はなにがなんだかさっぱりわからないのです。ただこうゆうふうに作曲年で並べると少し風通しがよくなりそう。
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SQ11-1966
VCcon2-1966
Vcon2-1967 ●
SQ12-1968
SYM14-1969
SQ13-1970
SYM15-1971
SQ14-1973
SQ15-1974
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なるほどここらあたりの年代の怪物か。ふだん聴くことはまるで、無い。ラクリンが弾くことだし予習するべきだった。なんだかもったいないものが通過してしまった気分。
手遅れなので、復習をするつもり。音源あるかな。
どうも、弾く人の前に投げ出されたような曲で、プロコフィエフの2番のピアノ協奏曲みたいな雰囲気。
演奏家の前にほっぽりなげておいて、あとは頼む、みたいな感じですね。復習あるのみ。
ラクリンがまだ青年期の頃、彼の演奏を聴いた記憶がある。曲は覚えていない。今は立派な大人だが、体躯的にはスキニーというより鍛えて締まっている感じに見える。
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【復習用音源】(内緒の音源含む)
・ジュルジ・パウク、コンドラシン指揮南西ドイツRSO. 
1981.1.18ライブ
・オイストラフ、スヴェトラーノフ指揮旧ソヴィエト国立SO. 
1968.8.22ライブ
・クレメル、ハイティンク指揮ウィーン・フィル 
1994.7.31ライブ
・ヴェンゲロフ、ロストロポーヴィッチ指揮ロンドンSO. 
1996.9TELDEC
以上.

後半の交響曲、ほどよい速度で進む。過激ないじくりまわしはない。音楽が一番生きていたのが、第4楽章中間部ホルン・ソロが終わったあたりから、音楽が沈み込みはじめ、ぐっと溜めて、今度は逆方向に少しずつ高まりエンディングをむかえる。ここらへんの音楽の造りがよかったと思います。作曲家の影の部分が少しでも出たような雰囲気がありました。
おしなべて、第3楽章など静かな音楽が流れるあたりで音楽を聴かせてくれる。このようなスタイルもいいと思います。ウルフは、はったりのない棒でスコアに素直。
好きな指揮者の一人だが、前の晩の若者バスケスなどを聴いた後だと、多少色褪せるところも感じる。全くこちら側の感性によるものですが。
本当にたくさんの来日指揮者が行きかい印象をとどめる暇もない。
おわり


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1497- ブラボー・バスケス!幻想、ブラコン、前橋汀子、クリスチャン・バスケス、東フィル2013.7.18

2013-07-22 22:00:00 | インポート

2012-2013シーズン聴いたコンサート観たオペラはこちらから
2012-2013シーズン
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2013年7月18日(木)7:00pm サントリー
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レブエルタス センセマヤ
ブラームス ヴァイオリン協奏曲
 ヴァイオリン、前橋汀子
(アンコール)バッハ パルティータ第3番よりガヴォット
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ベルリオーズ 幻想交響曲
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クリスチャン・バスケス 指揮 東京フィルハーモニー交響楽団
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お初です。1984年生まれというからプラザ合意の前年、来年30の大台。ベネズエラのカラカス産の若手有望株ですね。
指揮ぶりは先生に教わった通りの棒という感じです。上から下への塩ふりかけ系とアッパーカット系がハイブリッド、左腕の動きは音楽の感情、ダイナミクス表現系と楽章のエンディング合図に。見た目、いつ空振りしてもおかしくないような危うい指揮ですが、曲をルーチンワーク風にしないで、緊張感を持続、非常に集中した指揮で、つまるところ張りつめた緊張の緒が最後まで切れないで、持った、ところがすごい。
日本初登場の若干の緊張感もあったような気もします。日本のオーケストラはN響を除けば、本当に若くていい指揮者を世界各地から招いていると思う。昔ならまずなかったような現象で、オケの腕もかなりあやしく両者ともにひどい時代もあった。(聴衆は気が楽だが、危なさに緊張して身構えて聴いていた時もなくはなかった。)
N響はいまだに老いの指揮者たちを追い求めているが、他のオーケストラはだいぶ異なる。聴く方はN響あわせ、いろいろな演奏家、指揮者を聴けるのでそれはそれでいいのだが。
オーケストラが昔に比べてベラボーにうまくなったことと、こうやって若手有望株を招くことができるようになったことに関連性があるのかどうかわからない。けれど、今の状態は、うまいオケがあって指揮者が招かれる光栄があるようにすら見える。これは悪くはない。
バスケスにとってこの日の棒は、日本での成功体験、エポックメイキングなものであったに違いない。音楽の中身では無い部分での緊張感がひしひしと伝わってくるもので、一曲目にある程度手慣れた曲をおくのは緊張緩和措置としては正解。それでも2曲目のブラコンでは前橋の前に子供のようでさえあった。アンコールでは「あなた、引っ込んでいていいのよ」といった前橋、余裕のしぐさの前に「音をたてずモーション」で退散したバスケスが大いに新鮮に見えた。
これで後半、幻想では逆にいけそうな気がしてきた。
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リピートありのせいだけでなく、一時間越えと思われた幻想。全く中だるみのしない緊張が敷き詰められたいい演奏となった。このオーケストラのいつにない、とは言わない、お得意のイタリアオペラの演奏を思わせるような弦の大胆な単旋律が非常にウエットで美しく響いたのが印象的で、それは指揮者の有り余るロングヘアーの髪量のしなやかさと、内面のナイーブさが波長一致した答えであったような気もする。実際のところ、この指揮者は思ったよりデリケートな気がする。大胆な音楽表現は繊細さの中から。
例えばアゴーギクといった言葉がやたらと古めかしく感じるというか、そのようなものは頭の中にないのではないか。たとえ同じような表現があったとしてもそんなもの結果が同じだっただけでプロセスが全く違うし、そもそも別の感性の発露があるように思える。確固たる方針の表現というよりもテンションの高さとか、パッションの熱さが前面に出た演奏で、この日はそれがよくきまった。
それにしても、テンション、パッションでうなされるだけの演奏ではなく、どうも繊細でデリケートでナイーブなところがあるように思える。いろいろなものが中和されずそのままストレートに出た感じ。ベルリオーズにはよく合っている。ですが、感情の爆発だけの指揮者ではなさそう。
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第1楽章は後半のブラス爆発よりも前半の鬱っぽい表現の方に力点が置かれている。自然に音楽に幅が出てくる。
第2楽章は美しいワルツと最後のせわしないコルネットまでもっていく流れの良さ。
第3楽章もおしなべてドラマティックな方向にはもっていかず。イングリッシュホルンと陰のオーボエ、そしてここまで、前半3楽章はベルリオーズ特有の単旋律がこのオーケストラから非常に美しく奏でられる。それにここらあたりから音楽に緊張感が増している。第1楽章からずーっと弛緩しない演奏がいよいよ緊張をはらみ断頭台へ。
効果狙いのアタッカ攻撃はバスケスはしないようです。第4,5楽章きっちり間をおき音楽の緊張感をかみしめてから次の楽章に移る。シンフォニックとさえ言える。
第2楽章の最後のワルツの加速表現で若干コルネットが追いついていないように感じました。この第4楽章においてもブラスの歯切れについてはもっと腕を鳴らしてほしいところがありました。第5楽章についても同様なことがいえますが、バスケスが求めているのはブラスをうるさく鳴らすことではないと思え、それであればなおさらキッチリと揃えてほしいところではあります。
ダムの決壊のようなブラスによる雪崩れが続き、最終音はあっけないほどあっというまに終わり。ここにきて、「おー、なるほど、指揮者の意思がたくさん入っていたんだろうな、」とあらためて実感。
いつまでたっても魅惑的な曲ではある。
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一曲目のセンセマヤ。派手な割にはあまり鳴っている感じがしない。相撲で言うところの肩透かしっぽい。指揮者&オケ、楽器あたため。
二曲目のブラコン、伴奏の音量がもう少しコントロールされて欲しい気がしました。全部ピアニシモでいいのではないか。ちょっと極端ですが。
ブラームスの伴奏はあんまり鳴らし過ぎると、少々埃っぽくなってしまい、うるさく感じたりする。ニュアンスに濃淡をもっとつける等、ソロを聴きながら出し入れが出来ればよかったかと。伴奏の域を出ないものでフラットな鳴りでした。もちろんソリストのニュアンスもビンビンきてほしかった。
アンコールは手慣れたもので、次から次と滑るように奏するさまは一大芸風。
おわり

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1496- 東京フィルハーモニック・プレゼンツ、「ヘンツェを語り、奏でる夕べ」2013.7.17

2013-07-21 14:00:00 | インポート

2012-2013シーズン聴いたコンサート観たオペラはこちらから
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2013年7月17日(水)7:00pm
ドイツ文化会館ホール
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第1部
講演「ヘンツェのイントロダクション」長木誠司
対談「ヘンツェ回想」高島勲、長木誠司
座談会「10月定期演奏会の愉しみ」
    長木誠司、高島勲、沼尻竜典、小菅優
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第2部
「ヘンツェを奏でる」
・無伴奏ヴァイオリンソナタより第1,3楽章
  ヴァイオリン、荒井英治
・セレナーデ
  ヴァイオリン、荒井英治
・ケルビーノより第2番
  ピアノ、小菅優
・ヴァイオリンとピアノのためのソナタより第2,4楽章
  ヴァイオリン、荒井英治、ピアノ、小菅優
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レセプション
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レセプションでヘンツェの好んだケーキが出たようでしたが食べそこねました。グラスワインをいただき、小雨の中を帰りました。
充実した企画でよかったと思います。
ありがとうございました。
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この日の登場人物は有名な方ばかりで名前も顔もみんな知っていると思います。個人的に知っている方はもちろんおりませんが、長木さんについては著書のブゾーニ本を随分前に読んだことがあり、今でも折に触れて引っ張り出したりしている。新橋の居酒屋が合いそうな方です。(雰囲気)
あのブゾーニ本を読んで以来、大変に尊敬するようになりました。
マエストロ沼尻は、棒以外の場では初めて見ましたが、動きも声も完全にイメージどおりでした。日本の指揮者としては大野さんとともに好きなタイプです。
高島さんは他のオーケストラの話しからはいって、読響のパルジファルの演出、アルブレヒトの棒のものかな、あれは面白かった。高島さんが一番経験豊富なせいかよくお話をされていました。
小菅さんは、なにか、自由で独創的な雰囲気。
結局、第1部、長木さんの回転のよさもありあっという間の一時間でした。面白くて内容のある話でした。
ヘンツェのオペラ作品の話しが割と多かった。個人的には、ヘンツェを知ったのは、1978年5月14日(日)に買ったイエローレベルの自作自演のトリスタンのレコード、突然出てくるブラ1冒頭、最後の奇妙な声と心臓のバクバク音。あれは強烈で忘れられない。その後、この曲は自作自演も含め何度か実演に接している。
他の曲はよくしらないが、このトリスタンへの興味一点でヘンツェとはつながっている。
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第2部、ピアノの小菅さんとコンマスの荒井さんの組み合わせによる室内楽演奏。
個人的には理解不可能な音楽でした。なぜ音楽をあすこまでギリギリ追い込まないといけないのか、響きは斬新なのか、形式はどうして昔のまま存在し続けなければならないのか、ヘンツェの思いのようなものはある程度伝わってくるような気がするが、苦渋が充満している。最後のヴァイオリンとピアノのソナタは少し聴きやすくなりました。ヘンツェの曲は出来れば人数の多いオーケストラ作品を聴きたいというのが本音です。
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好企画で盛況な一夜。このようにクローズアップしてスポットライトをあてられた作曲家は幸せ。そしてなによりもこの日の登場人物たちがその価値を大いに高めている。勉強になりました。
ありがとうござました。
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1495- キャンディード、ニュー・イングランド、パリアメ、ウエストサイド、ヒュー・ウルフ、読響2013.7.13

2013-07-21 10:00:00 | インポート

2012-2013シーズン聴いたコンサート観たオペラはこちらから。
2012-2013シーズン
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2013年7月13日(土)2:00pm 東京芸術劇場
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バーンスタイン  キャンディード、序曲
アイヴス  ニュー・イングランドの3つの場所
ガーシュイン  パリのアメリカ人
バーンスタイン  シンフォニック・ダンス
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ヒュー・ウルフ 指揮 読売日本交響楽団
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芸劇と略すらしい。(以前はこのような略はしてなかったと思うのだが)
しばらく来ていなくて、例の長いエスカレータが無くなり二つ折れの新たなエスカレータに替わってからはじめて来た。この地はどうも足があまり向かない。この日はウルフの指揮だったので来てみた。そういえば、前回ここで聴いたのはウルフの第九だったかと。
当日券をチケット売り場で買った。お奨めに従って買ったのが3階両翼センター寄りの2列目。2階の中腹より下に下がっているのではないかと思うぐらい低位置で3階とは名ばかりで2階レベル。非常に見晴らしがよく、オーケストラの配置やステージの奥行き等がよくわかる。このホールには何十回ぐらいは来ていると思うが、街がどうも馴染まない、違和感のようなものがいまだにある。空中ホールというのも少し抵抗を助長している。
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この日のプログラムは短いもので、休憩はガーシュインのあとなので後半は一曲のみ。パリアメがやたらとでかく感じたコンサートだった。
聴く前は、アイヴスの曲お目当てだったのだが、鳴り具合を比べると一番小規模で結局、他の曲に耳が奪われてしまった。一曲目のキャンディードが終わった後、プレイヤーがごっそりいなくなった。半分とまでは言わないが、本当にステージから人がいなくなった。これでニュー・イングランドの第2曲がうまく鳴るのかなと思うぐらい少な目。生で見聴きするとこんなものなのかもしれない。ノリよりもむしろひかえめで響きを大切にするような演奏だった。第2曲目が曲全体から見れば違和感ありすぎな鳴りなんだろう、きっと。
何十曲織り込まれているのか知らないが曲の絡み合いでは同一コンセプトと思われる交響曲第2番の方が格段に面白い。(付け加えると2番のエンディングの不協和音はバーンスタイン&NYPのDG盤がユニーク。)
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それでこの日のオール・アメリカン・プログラムはショート・プログラムでこれ以上並べられたらおなかが一杯以上になってしまうので、腹八分目ぐらいでちょうどよかったのかも。
ウルフは、曲のノリの部分で聴かせることはせず、飽くまでも大編成のオーケストラの響きと構成力で聴かせる。
一曲目のキャンディード、日本の指揮者たちがよく見せる逆輸入したような「小躍り似せノリ」といった見苦しい動きが皆無。これだけで100点満点としたい。ハーバードのノリなのか?
曲の内面というとまた具体的にどうゆうこと?という話になるのだが、表面的という言葉をうわべだけで、音の効果狙いと換言出来るとすれば、ウルフは音楽の内面に光りをあてた考え抜かれた演奏ということができる。のって滑っていくような落ち着かない解釈は作曲者の考えたものを十分に出しているとは言い難く、こうやって落ち着いて構成感をだしながら演奏を進めていくと作曲家の思いというものがよく理解できるようになる。縁取りが非常に明確な演奏。ただ、このスタイルで劇にはいっていくとそれはそれで少し大変かなという気もする。かなり真面目な指揮者ではあるし、縦に進む圧倒的な演奏ではありました。
2曲目のニュー・イングランドは結果として第2曲の唐突さ加減に違和感が残る。彼の交響曲の面白さをある程度知っていれば、前提有りで聴きとおせると思うのだが、初めて聴く場合戸惑う曲かと。アイヴスの場合まず、「答えのない質問」で彼の少なくとも片面の理解は進むと思うので必聴。そして交響曲第2番のフィナーレ。
3曲目のパリアメ、こうやってあらためて聴くとかなり大がかりな曲と感じ入る。普通に聴いているぶんには、水平的で重心が軽く、音響の色彩と技で聴かせる、そんな感じの曲だと思うのだが、この日の演奏はウルフの棒のせいなのか、このオーケストラ独特の重心の位置のせいなのか、薄っぺらさが無い。音の層が何層にもなって聴こえてくるから不思議。このようなバランス感覚はシンフォニックなものであると思う。オーケストラと指揮者が紡ぎ出した音、心地よい。
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後半は20分強のピースが一曲のみ。ウエストサイド・ストーリーを編曲したシンフォニック・ダンス。曲名通りで、まさしくこの日の指揮者の方針そのものだろう。シンフォニックなものはドラマチックな表現が似合うかもしれないが、ウルフは過度の劇的表現をするわけではない。ひとつひとつきっちりとフレーム感を明確にし、それを積み重ねていくだけなのだが、それはやはり良質の音楽表現であると思わざるをえない。
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読響の重量感溢れる見事な演奏は「アメリカもの」のイメージを一掃した。このオーケストラの特色と指揮者の思いが見事に合致したいい演奏会でした。
ありがとうございました。
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ちょっとくどいですが、次回来日の折は、アイヴスの答えのない質問と交響曲第2番を是非お願いします。これでは時間が余るので、コープランドも合わせて、こんな感じで。

【ヒュー・ウルフ指揮YSO、次回来日希望プログラム】
1.コープランド 市民のためのファンファーレ *ブラスのスタンディング演奏で
2.アイヴス 答えのない質問 *ホール全体を使った弱音演奏で(ステージだけでなく)
3.コープランド エル・サロン・メヒコ *ヘビーな読響サウンドで爆進願います。
休憩
4.アイヴス 交響曲第2番 
*最近のスタイルではなくバーンスタイン時代モードに切り替えた演奏をお願いします。

以上です。


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1494- コリオラン、皇帝、ペリアネス、田園、ヒュー・ウルフ、読響2013.7.6

2013-07-12 20:30:00 | インポート

2012-2013シーズン聴いたコンサート観たオペラはこちらから
2012-2013シーズン
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2013年7月6日(土)6:00pm サントリー
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ベートーヴェン・プロ
序曲、コリオラン
ピアノ協奏曲第5番 皇帝
 ピアノ、ハヴィエル・ペリアネス
(アンコール)ファリヤ アンダルシアのセレナータ
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交響曲第6番 田園
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ヒュー・ウルフ 指揮 読売日本交響楽団

名曲ぞろいのプログラムで、本格的で手応えありの演奏でした。
ピアノのペリアネスは、鍵盤に手が吸い付いていくように見えるスタイルで、なんだかピアノから求められている、彼の指を動かしているのはピアノではないのかと思ったくらい。弾いている最中も、休止の間も、指揮者の棒をずっと見続けている。彼のスタイルなんでしょう。また、前後の挨拶のしぐさも含めバレンボイムとよく似ている。どのくらい深い師弟関係なのか知りませんが、しぐさがよく似ている。指揮者のエッティンガーほどではありませんが。
それでまず、コリオラン。シンプルで非常に魅力的な曲。第1,2主題の極端な違いに見られるように劇的要素がもともと内包されている。なんか最初から、ピアニシモのこの終わり方しか有り得ない、そんな感じが濃厚。ウルフは曲以上にドラマティックなものは求めませんが、それでもこの重厚な雰囲気は、このあとの2曲の方針が、「軽い飛び跳ね系」ではないことを予感させます。聴きごたえのあるいい演奏でした。ウルフは非常にスキニーで余計な脂肪は無いように見えます。両腕を蝶のようにしながら縦振りする姿からあのようなヘビーなサウンドが出てくるのは一つの驚きではあります。
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皇帝は完全に伴奏の域を越えていて、特に第1楽章は聴きごたえがありました。ペリアネスは好き勝手ということが全くなく、ウルフの棒を始終、凝視。オーケストラに自然に絡み合って一緒にプレイ。ウルフのサウンドより少し重心が高いような気がしますが、かえって音の階層が埋まって全体的に隙間のない音響空間が出来ました。これもよかったと思います。
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後半の田園。これがエロイカならもっと良かったなどとは言うまい。
ウルフの棒はオケまかせに見えない。厳格に統制しているようには見えないのですが、かといって、ここは勝手、気ままに演奏して、みたいなところも皆無。きっちりちゃんと指揮している、それだけで十分という気もします。少し前方左方向に向き、蝶のように振る姿はユニークだがおそらく遠目にはまるで目立たないと思う。オーケストラに向かっているというより音楽に対面しているという感じがある。オーケストラが自らをアンサンブルさせる力がウルフの魅力。この物語風な曲をシンフォニックな度合いはそこそこに、また重厚さも感じさせながら祈りで終わる。うちに帰ったら自然にCDを取り出し田園を聴きたくなるような、これまたいい演奏だったと思います。
ありがとうございました。


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1493- ブルックナー、交響曲第7番、他、大野和士、新日フィル2013.7.6

2013-07-12 19:14:00 | インポート

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2012-2013シーズン
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2013年7月6日(土)2:00pm トリフォニー
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シャリーノ 夜の肖像 (日本初演)
ツィンマーマン 「ユビュ王の晩餐のための音楽」
ブルックナー 交響曲第7番ホ長調 (1954、ノヴァーク版)
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大野和士 指揮 新日本フィルハーモニー交響楽団
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指揮ぶり、シリアス度、演奏の濃さ、プレイヤーの納得度、等々、どれをとっても他の日本人指揮者よりワンランク上だと思います。ですから総合的にみるとツーランク上になります。音楽の締まり度が明らかに違う。聴く方の姿勢にもよるのだろうが、「前向きにさせる度」が異なる。「指揮者の魅力」といった言葉とは別の次元の話で、もしかすると単に指揮技術力や音楽理解度が、数多の指揮者たちより上なだけなのかもしれないという単純な答えがまずそこにあるのかなとも思う。それがまず起点にあり、起点がしっかりとしたもので、そのすそ野が広ければ広いほど頂点はかなり上の方にあるのかな、といった感じです。
この日のブルックナーは構造を浮き彫りにするというより、すっきりとコンパクトにまとめあげたもので、力まず、サウンドは非常に引き締まったものであり、大げさを排したいい演奏であった。これから向かうブルックナー感動演奏への狼煙でしょう。
20分、22分、10分、12分。
3主題ソナタ、第1主題は大きな溜めや呼吸を生むちょっと前ぐらいのテンポ設定が自然で力まない、第2主題はさりげないアップテンポ、第3主題への経過句は濃い移り変わりの味わい直前ぐらいのこれまたさりげなさで、第3主題のブラスセクションは幅広なわりにふやけない。アダージョ楽章も主題、副主題の違いを明確にアウトラインしわかり易い、また眠気を誘わない。この2楽章、力を入れて聴けばあっという間に終わる。音響のクライマックスに向けた演奏解釈構ではない味わいがありました。
この日のブルックナー、リタルダンドとかアチェレランドなどといった言葉があんまり思い浮かばない演奏で、唯一最終楽章のコーダがやたらと快速でびっくりしたぐらいで、そのため最後に向けて速度を落とさないといけないことになってしまった、あすこは印象的。
この7番はブルックナーの形式を強調しすぎると、どうしても第4楽章の弱さが浮き彫りになる。構築物としては最終楽章が少し小さい。大野の棒はそこらへんあまりつっこまず締まったいい演奏を求めた。このスタイルを6番で踏襲すると非常にいい演奏を聴けそうな気がする。
.
前半2曲目のツィンマーマンはブルックナーのアペタイザーにはひねくれ度満点で、いいかもしれない(ご本人はまじめ)。一度、生で聴いて損はない。
一曲目のシャリーノは宵ではなく真夜中みたいな感じ、よくわかりませんでした。日本初演というふれこみですが、この先流行るとは思えない。シャリーノは昨年サントリーの夏の現代音楽で聴いた。う~ん。
ブルックナーを前に、前半にこれら2曲並べた意気込みをかいたい。
おわり


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1492- シベリウス5番、シューマン3番、ダニエル・ハーディング、新日フィル2013.6.28

2013-07-05 21:00:00 | インポート

2012-2013シーズン聴いたコンサート観たオペラはこちらから
2012-2013シーズン
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2013年6月28日(金)
サントリーホール
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シベリウス 交響曲第5番
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ヴィトマン トイフェル・アモール (日本初演)
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シューマン 交響曲第3番ライン
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ダニエル・ハーディング 指揮
新日本フィルハーモニー交響楽団
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3曲ともに30分軸の曲、前半の2曲で1時間越え、オール16型、お尻の底から絶えず振動が伝わるような巨大編成で、それが指揮者の意であることを絶えず考えさせるような演奏。
ヴィトマンは横に置くとして、シベリウス、シューマン、こうゆうのをシンフォニックな響きとでも言うのでしょうか、低弦が地べたをのたうち回りながら突き進む。かなりの迫力です。分解能ではなくマスサウンドの威力。張りぼてにならないのはオーケストラの能力。これだけぶ厚くてもきっちり流れていくから大したもんだ。マスの流れだけ取るならば昔の巨大編成オケのほうが一枚上で、堰き止めダム湖の決壊みたいな演奏は今は流行らないのだろう。
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シベリウスは正三角形の音場が、そのままの状態を保ったまま進んでいく感じ。迫力あり。大海の弦サウンドのなかに、漂い浮遊するようなウィンドも魅力的。第1楽章の細かい振動のエンディングはエキセントリックにならず、シンフォニックな響きだなぁ。ものすごい迫力だ。(席のせいもあるかも)
フィナーレは、この指揮者の一つの特徴通り、スローさ繊細さを加えていき、最後の打撃音なんて一個多かったんじゃないかというぐらいパウゼが効いていた。ここでもオーケストラの響きを堪能できました。
5番は6番ほどウェットではなく、このオーケストラに合っていると思います。ハーディングはマーラー・チェンバー・オーケストラも抱えてますし、今はそれぞれ響きの多様性を楽しみながら経験を広げているようにも感じます。彼のこの5番聴きものでしたね。
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シューマンの方針はシベリウスと同じです。この3番ウェットな感じはあまり出ず、晴れ続きのライン川というところか。
昔、ライン下りをしたとき、ローレライのあたりになると、船のスピーカーから「ローレライ」が流れ、ローレライ方向を見るとブリキのような看板にカタカナで「ローレライ」と書いてあった時代、古い話で恐縮ですが、あれがインターナショナルだとはだれも思わない。あのように日本人旅行客をむかえてほしくはないような微妙な気持ち。(なんか田舎者同士みたいな)
ハーディングの棒は、泥臭さを排した今風のインターナショナルな表現で、それにしてはヘヴィー級のサウンドとオーケストラ編成で、無理やり軽快さを出しているような気配はないのですが、これはこれでシンフォニーのハーディング流表現であるのだと思う。
一つの都市に行ってそこで彼の演奏を聴くと、そこから世界につながっていくことが出来そうな気持にさせてくれる、都市型の演奏ですね。
ヘヴィー級のサウンドがハリケーン状に縦にゆらゆらと揺れながら進行するさまは、オーケストラを聴く醍醐味そのもの。
清涼飲料水的な鳴りとはまた一味違う、生理的快感がはしる響きと海原のような流れ。満喫しました。
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前半2曲目のヴィトマンは、音の流れを追ったものではない。音楽は律動、流れであるということを拒否したもので、単に音をそこに置いていくだけの駄作。「音楽」ではないと思う。やらなきゃわからないだろう、という同時代としての演奏行為の意義はあるかもしれない。それにしても長すぎた30分。
おわり

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1491- ショパン、pf協2、ヤン・リシエツキ、ヤクブ・フルシャ、英雄の生涯、2013.6.26

2013-07-05 20:02:00 | インポート

2012-2013シーズン聴いたコンサート観たオペラはこちらから
2012-2013シーズン
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2013年6月26日(水)7:00pm
サントリーホール
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ショパン ピアノ協奏曲第2番
 ピアノ、ヤン・リシエツキ
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(アンコール)ショパン
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シュトラウス アルプス交響曲
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ヤクブ・フルシャ 指揮 東京都交響楽団
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(本文一部割愛してます)
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ただ、このトラブルのためその日の集中力が一気にどこかへ消えた。不思議なことにそのトラブル以降のことだけでなく演奏会全体まで意識が波及してしまい、何をどう聴いたのかわからなくなってしまった。不思議と言えば不思議、ほんの最後の出来事が全体に影響を与えた。音楽とはときとして時間軸を取り払ったイメージ上の出来事のときもある。
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この指揮者はお初です。
そういえば、もう一つありました。隣の席に隣の大国の成金2人組が横柄に場所を占有で反り返っている。演奏が始まったら寝ていたので、かなりひどい行儀以外は問題ありませんでした。こんな日でした。指揮者の事はあまり見ておりません。
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ショパンの2番コンチェルトは、滴る情緒なのか、とまりそうな停滞音楽なのか、それぞれギリギリのところで踏みとどまっているような、あとは聴き手にゆだねられているような不思議な曲。肩入れの具合によりだいぶ違った曲に聴こえるかもしれない。オーケストラが輪郭を明確にプレイしてくれているのでかろうじて持ちこたえている伴奏。それでもキビシイ。
ピアニストはやたらと若い。1995年生まれというから18才。
この曲を自然な鳴りで弾き切るのはとても難しいと思う。全体バランスを崩すことなく歌いきるには相当な練習量が必要と思われます。歌の間(ま)に不自然さがなく自分のものになっている。こなれている。素晴らしい演奏でした。
ショパンの音楽は日常的に聴くことはほとんどない。昔買ったLPは少しあるけどCD時代になってからショパンを買った記憶がない。まぁ、買うつもりで買ったものはない。ピアノ曲はもっと劇的な方が好み。この曲自体は知っているのでいつかまた聴きたいと思う時があるかもしれない。嗜好が総花的で個別の思い入れは特になし。
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後半のアルプス交響曲は、トラブルが最後にあって、全体印象はあまりいいとは言えない。もちろんオーケストラや指揮者がどうだというわけではなく、飽くまでもこちらの問題。
とはいっても聴いている途中で思ったこと。それはこの絶好調オケのサウンド構成は録音むきじゃないかなということ。マイクが拾いやすい音。
オーケストラが一つの楽器としてマスで鳴るというよりも、アンサンブルや同一楽器群が一つの個体としてまとまって素晴らしい響きとなっている。ややメタリックな感じがしないでもないが、例えばあまり目立たないヴィオラなんかも、その楽器群だけで一つのマスサウンドとして、髪を梳かす様な趣きで滔々と流れていく。
ウィンドなんかもその楽器の束で、ウェットなマシンでもあるかのように響きが流れる。ウィンド特有のメタル・ハードウエアの響き、ときとして人工美の極に聴こえてくる。
マイクがつかみやすいサウンド。ざらつかず隙間なくよく拾える響き。
分解能に優れたデヴァイス向き。これはまさに現代向き。時代のフィーリングと合っている。今の好みを反映している。
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このアルプス交響曲は、登りも下りも下降音が主フレーズをなしているこれまた不思議な曲と思える。登りの時もフレーズが下に突き刺さる。分解能に優れたオーケストラならモヤモヤ感無く、サウンド、クリアにして明瞭なフレーム感覚。だいたい誰が振っても曲の立体感を高性能オケである程度までは達成させてしまうに違いない。山のかたちをした音場の広がりを求めない向きにはジャスト・フィットな演奏であったと思います。
この指揮者との組み合わせは再度聴いてみたいですね。
おわり

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