河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

PC版に一覧等リンクあり。
OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

2600- ウェーバーcl協1、クール、アゲイン、ヴィトマン、コン・ブリオ、幻想曲、VC2、カロリン、イェルク・ヴィトマン、都響、2018.8.31

2018-08-31 22:08:45 | コンサート

2018年8月31日(金) 7:00-9:10pm サントリー

ウェーバー クラリネット協奏曲第1番ヘ短調op.73 8-7-6
  クラリネット、イェルク・ヴィトマン

ヤン・エスラ・クール アゲイン(2018)  世界初演  7

イェルク・ヴィトマン オーケストラのための演奏会用序曲(2008) コン・ブリオ  11

Int

イェルク・ヴィトマン クラリネット独奏のための幻想曲(1993/2011)  7

イェルク・ヴィトマン ヴァイオリン協奏曲第2番(2018) 世界初演  9-21+5
  ヴァイオリン、カロリン・ヴィトマン

イェルク・ヴィトマン 指揮&クラリネット 東京都交響楽団


サントリーのサマーフェスティバル2018のテーマ作曲家イェルク・ヴィトマンに集中的にスポットを当てた当夜の企画。5作品のうち3曲がヴィトマン作品。ウェーバーではクラリネットの吹き振りも。

その最初のウェーバーは吹き振りと言いながらあまり指揮をするところは無い。小型編成のオケに任せきりと言ってもよい。
吹きながら非常に体が動くので音が一様に前に聴こえてこないもどかしさがある。まだら模様の音が流れてくる。
陰影のつけ方がうまくてウェーバーがのっぺりとせず、色彩を感じさせてくれる。余裕のプレイですね。

次のクールのアゲイン。大きな編成。出だしはフィリップ・グラスの波打つような雰囲気を少し醸し出すが、すぐにそういったものから離れていき、いわゆる現代音楽のほうへ向かう。バッハの引用が形を変えてあるようだがわからなかった。アゲインの意味合いもわからなかった。現代音楽は必然的に短くなるといったあたりのことを再認識させてくれるような作品でした。

前半最後、3曲目にテーマ作曲家の作品が出てきた。コン・ブリオというなんとなくベートーヴェンみたいなタイトルですが、初演時、ベートーヴェンの7番8番と一緒に奏されることがあらかじめ想定されていて、タイトルだけでなく曲の引用や全体の雰囲気もそのようなことが塗りこめられている。
曲は律動ワールドで、ひたすらリズムをきざむ。エネルギッシュなパワー、推進力もあって面白い。現代の演奏会序曲に相応しいものですね。オーケストラもお見事。

後半1曲目は、無伴奏でヴィトマンのクラリネット1本勝負。腕の魅せどころ。
技巧を駆使した作品がナチュラルに響いてくる。きわどい盛り上がりも大したもので、こうやって一人技を見ていると、ヴィトマンは基本的に明るいなあと思う、作品もプレイもね。

締めは、妹さんのヴァイオリンでコンチェルトの2番。
3楽章形式だというがちょっと境目がわからなかった。タイミングは起伏目安のものです。ロマンスと名付けられた中間楽章が非常に長い。
第1,2楽章はヴァイオリンの独奏で始まる。また、両端楽章は歌唱しながらの弾きが出てくる。色々な趣向、技巧を駆使したものでした。
ヴィトマンのこだわりというべき色彩や音の組み合わせはこの作品では一旦横に置き、簡素化、形式がポイントになる作品のようですね。異様に長い中間楽章も含め、そのようなことをあらかじめインプットしながら聴けば、割とシンプルに理解は進む。ヴァイオリンのためのコンチェルトとしてはこういった方針での作品は成功したように思える。オーケストラは繊細だったり大胆だったりするけれども、ここでは、伴奏という枠にきっちりおさまっているような全体感でしたね。
もう一度聴いてみたくなる。佳作、佳演。兄妹息の合ったところを、よく魅せてくれました。
おわり

サントリーサマーフェスティバル2018


2599- オスカー・レヴァント 8-CD WSJ 2018.8.21

2018-08-30 17:42:40 | 音楽

WSJ
Aug. 21, 2018
MUSIC REVIEW By Will Friedwald

‘A Rhapsody in Blue: The Extraordinary Life of Oscar Levant’ Review

The eight-CD set is an outstanding collection of epic showcases for classical keyboard and a celebration of the Gershwin canon.

Beats there a heart so dead that it doesn’t love George Gershwin’s “Rhapsody in Blue”? This is one of those pinnacle achievements, a work that makes you feel good to be alive. Whose soul doesn’t soar at the sound of that remarkable opening, with its clarinet glissando? And even more so at the finale, with its fortissimo crashes, as Gershwin piles on the suspense and the drama with one great staccato burst of melodic energy after another? It’s hard to imagine any work of art—musical, visual, literary, theatrical, or even cinematic—that moves us and thrills us like this extraordinary piece of American music from 1924.
The closest thing this Gershwin classic has to a flaw is the middle; it simply can’t compete with the beginning or the ending. In the hands of most pianists, that middle section is merely a meandering placeholder, a respite between two colossal moments of musical brilliance. I personally prefer the first recording, a truncated 1924 performance with the composer himself and Paul Whiteman’s orchestra, because—at just nine minutes—it condenses the middle section. The only performance I’ve ever heard of the complete “Rhapsody” whose middle section justifies its existence is the brilliant 1945 recording by Oscar Levant, the highest-paid classical artist in America in the 1940s and 1950s.
Levant (1906-1972), whose recorded work is the subject of “A Rhapsody in Blue: The Extraordinary Life of Oscar Levant,” a new eight-CD boxed set from Sony Classical, impels the middle section with amazing force and feeling—his piano propelling the entire Philadelphia Orchestra the way that a great drummer drives a jazz band. Levant has all the technique and volume of an orchestra unto himself, and thus his pairing with conductor Eugene Ormandy often sounds like two full ensembles playing at once, both in cooperation and competition.
Making his work all the more remarkable, Oscar Levant wasn’t even best known as a musician. He was also a songwriter (whose best known number, “Blame It on My Youth,” was sung brilliantly by both Frank Sinatra and Nat King Cole) as well as an actor and TV personality. No less than his contemporary Dorothy Parker, Levant with his hundreds of brief, quotable quips foreshadowed Twitter. And he was ahead of his more buttoned-up times, as well, in talking openly about his neuroses on national television during talk-show interviews in the 1950s and 1960s.

The new set contains 109 tracks recorded between 1941 and 1958, the last sessions in stereo, and was produced by Robert Russ.Michael Feinstein supplied a biographical essay and many of the dozens of rare illustrations and photographs for the 124-page hardcover book that housesthe whole package. Levant is best remembered for his interpretations of the Gershwin canon, and the performances here of the “Piano Concerto in F Major,” “Second Rhapsody for Piano and Orchestra,” the “‘I Got Rhythm’ Variations,” and the three remarkable “Preludes” can all be considered definitive. (He also appeared as actor and performer in two classic Gershwin-centric movies, the “Rhapsody in Blue” biopic and “An American in Paris.”)
Yet well beyond the music of his close friend, this set is an outstanding collection of epic showcases for classical keyboard. The eight discs contain dozens of virtuoso pieces that would have been very familiar to mainstream listeners in the 1940s and 1950s, like de Falla’s “Ritual Fire Dance,” Lecuona’s “Malagueña,” and the number that launched a thousand plate-spinners on “The Ed Sullivan Show”: Khachaturian’s “Sabre Dance.” These works were ensured—as if by Lloyd’s of London—to generate a tumult whenever Levant played them, and he delivers them with maximum muscularity and irresistible, driving rhythm.
Still, Levant played in other styles as well. He renders the famous “Liebestod” from “Tristan und Isolde” in a rather dramatic adaptation by film composer Franz Waxman that makes it sound like a vintage Hollywood romance, or, as is Levant himself were playing the leading man in the opera. He plays Brahms’s “Waltz No. 15 in A-Flat Major, Op. 39” and Schumann’s “Träumerei” with uncommon tenderness. He’s no less adept at interpreting the Impressionists than the Romantics: Here’s a “Clair de lune” (Debussy) for the ages and two Ravel masterworks, “Sonatine” and parts of “Le Tombeau de Couperin.” These works were extremely influential among superior jazz and pop orchestrators of the 1950s, like Nelson Riddle, who were especially inspired by his use of polyphony.
Two works here, the Bach “Partita No. 1 in B-flat Major” and “Blue Plate Special,” are previously unreleased; the latter, by Levant himself, is particularly fascinating in the way it combines stride-like techniques, quixotically repetitive patterns and angular dissonances. In fact, they reveal nothing less than the same antic wit and humor as his talk-show appearances. As we hear on these discs, he channeled that energy into performances that changed the way we understand the classics. Levant famously said, “I don’t want to be known as a wag, I want to be known as a serious musician.” Any one of the performances on this set will leave the listener with no doubt as to what his most valuable legacy actually was.
—Mr. Friedwald writes about music and popular culture for the Journal.


2598- 野平一郎、自作自演、オペラ亡命、松平敬、幸田浩子、鈴木准、山下浩司、小野美咲、6 instrument-players、2018.8.23

2018-08-23 23:27:35 | オペラ

2018年8月23日(木) 7:00-9:25pm ブルーローズ、サントリーホール

野平一郎  オペラ「亡命」(2018)  (世界初演)  65+52

キャスト
作曲家、ベルケシュ・ベーラ、松平敬(Br)
ベーラの妻、ベルケシュ・ソーニャ、幸田浩子(S)

ソーニャの父、オリヴァー、鈴木准(T)

友、カトナ・ゾルタン、山下浩司(BsBr)
ゾルタンの妻、カトナ・エスター、小野美咲(Ms)

指揮、野平一郎
フルート、高木綾子
クラリネット、山根孝司
ホルン、福川伸陽
ピアノ、藤原亜美
ヴァイオリン、川田知子
チェロ、向山佳絵子
指揮、野平一郎


イントロダクション  10
第1場  9
挿入部  6
第2場  3
第3場  12
挿入部2  4
第4番  12
第5番  7
挿入部3  2
Int
第6番  5
第7番  11
第8番  9
第9番  8
第10番  4
第11番  5
エピローグ  10

全配役
作曲家、ベルケシュ・ベーラ、松平敬(Br)
ベーラの妻、ベルケシュ・ソーニャ、幸田浩子(S)
ソーニャの父、オリヴァー、鈴木准(T)
友、カトナ・ゾルタン、山下浩司(BsBr)
ゾルタンの妻、カトナ・エスター、小野美咲(Ms)

精神科に通う男1、山下浩司
精神科に通う男2、鈴木准
精神科に通う男3、松平敬
ベーラの父、鈴木准
ベルケシュ・ベーラ子供時代、松平敬
ベルケシュ・ミーシャ、小野美咲
カトナ・ロースロー、幸田浩子

マウリツィオ・カーゲル、鈴木准
カールハインツ・シュトックハウゼン、山下浩司

郵便配達夫、鈴木准
車掌、山下浩司
看護師ナターシャ、小野美咲
女、小野美咲

語り手(第5場)、小野美咲
語り手(第6、11場)、鈴木准
語り手(第7場)、松平敬
語り手(第8場)、
声、幸田浩子


原作・台本・日本語字幕、野平多美
英語翻訳、ロナルド・カヴァイエ
英語上演、日本語字幕付き


室内オペラの演奏会形式上演。歌手は5人、インストゥルメントは6人。精鋭による世界初演。オリジナル英語上演。日本語字幕付き。
歌手は5人だが配役としてはざっと18人、語り4人、声1人。と、実際のところは大規模なもの。歌い手が色々と兼務していて、コンサートスタイルとはいえ、役によってポジション替えをおこなっているのでわかりやすさはある。ただ、ワールドプレミエのイヴェントであることも踏まえ、プログラム冊子には、歌い手5人がどの役を歌うかという限りなくわかりにくい正規化をおこなってしまっているものを載せるのではなくて、登場人物に主眼を置いたものを書くべきだった。正規化は処理を行う上では便利だが、読み手には理解しづらいことが度々あるのであって、記載の筆を執った方の脳内回路を押し付けても、いいわけではない。とりあえず、上記に分解しておきました。18人4人1人、計23人の大規模なものでした。書くスペースは節約するのではなく、視覚からのインプットも含め、大きく取ったほうが良い。

ストーリーは、ざっくり、東側の二組の夫婦が、片方は西側に亡命成功、もう一方は亡命失敗、彼らの人生の機微を描いたもの。亡命失敗夫婦は失敗しそうというのが分かった時点で亡命をやめているので東側での生活は通常のもの、という点が、世界は違うけれども同じものさしで異種ワールドの対峙を可能にしている。

この日は休憩1回10分あったが、見たところぶっ続けのオペラですね。全11場、それにイントロダクションとエピローグ、それと挿入部が3つある。イントロダクションや第3場のように長いシーンは数セクションの集合体のようです。軽く2時間越えと思ったのですが、上記に書いたようにマイ腹時計だと正味2時間に少し満たないものでした。

配置は中央からしもてにインストゥルメントがセット、中央からかみてに歌い手たちが動き回ったり出入りを繰り返す。一部、ピアノ蓋に頭を突っ込んでの歌唱もありました。

ピアノの音から始まったオペラは、まるで、ブーレーズの自作自演のボックスセットをCDチェンジャーにかけて、シームレスに、限りなくエンドレスにフォーエヴァーに連続して聴いていく、そんな趣きが。
ブーレーズの響きに聴きなれたものにとって割と心地よいものであった。失礼な話かもしれないが、あながち失礼でも無いような気がするのは、劇中、ブーレーズの名前も出てくるからかもしれない。

プログラム冊子に各シーンをかいつまんだ文があるのでそれと字幕に出てくる第何場というあたりを合わせて読みながら舞台に目をやる。ですので、ストーリーを追っていくのは容易。
短いシーンはあまりなくて各10分前後で展開される。シーンとシーンの間の場面転換の音楽が割と濃くて味わい深い。上記の腹時計はシーンが終わって次に移るまでの場面転換を含んだものです。ト書き替わりの歌い手による動きといった味わいは無いものの、これら場面転換ミュージックは充実していたと思います。エピローグの終結部は得てしてコッテリしていて、余韻を含んだテイストを満喫できるもの、このオペラもそうで、このような深い余韻に準じるようにあった各場での場面転換の響きはなかなか聴きごたえのあるものでした。

コッテリなブーレーズが始終、はじけ飛んでいる。徹頭徹尾的と言えるかもしれない。
インストゥルメントは短めのフレーズをボキャボキャと繰り返し、変節しながら進行。ユニゾンのような響きから露骨な不協和音まで、空恐ろしいまで合っているアタックに耳が震える。

「亡命」時代の歌、「現在」における対話。歌と語りが錯綜する。
インストゥルメントの主張が歌と同じウェイトと感じる。音をかき分け耳を歌にスポットしてみると、あまりドラマチックな歌い口のもではなくて、淡々と進む。のは、歌い手にシーンに即した動きがないからなのかもしれないというところはある。
亡命失敗夫婦の声は成功夫婦より一段下げて設定していて、なにやら予定的ではある。

場に即した擬音効果的なものも交えつつの進行は、やっぱりインストゥルメントの雄弁さが前面に出てくるなあ。と。

歌により場が進む。滑らかとさえ言えそうな歌が続く。聴き心地が良い。なにか、劇的なものは排しているのだろうか。歌は耳心地よい。第6,7場で運命の分かれ道、第8場の西側シーン。音楽はこれまでと変わり、ゆっくりとした流れとなる。ここの描きは西側夫婦それに作曲者自身の心象風景のようなものが伝わってきましたね。
そのあとは西側メインのストーリー展開で、作曲家が職を得るまでの事を、色々と馴染みのある作曲家やオーケストラなどのネイムをだしながら。まあ、馴染みがあるといえばそれはそうだが、作曲家が音楽家を語るオペラ展開に、ちょっと、こそばゆくなるところもないではない。作曲家の名前が出てくるたびに、彼らの作品の引用があるような気がしたけれども、そもそもシュトックハウゼンなどの作品を口笛で吹けるほどのものは持ち合わせているわけでもなくて、きっと、錯覚なのかもしれない。
エピローグ前の第9,10,11場は音楽が少し緩んだようになるのは、西側の安堵の中での出来事だからか。
数セクションに分かれたエピローグの展開は歌がお見事でした。そして消え入るインストゥルメント、照明が落とされ音が消えていく。そこはかとなく漂うそれぞれの思い。

作曲者ご本人が言っているように、歌が突出しているというものではなくて、むしろ、室内楽の世界を指向している、その世界に納得の作品でした。

日常的なイタオペ、ドイオペの、いわゆる、オペララヴァーは、急激な場面展開、割愛されることによる効果的な激性、などといった展開を受け止めるリキがあって、想像力をガリガリと駆り立ててくれたりするもの。亡命オペラは状況や背景説明の語りが多くて、たしかにその事によって理解は増すが、ありていに言って余計なものと感じる。語りは取り去って、必要に応じて歌の歌詞の中にある程度織り込むといった形のほうがより効果的と率直なところ感じました。
観るほうが理解してくれるかなという心配が原作者のほうに先に立っている。どうだろうか。


なぜ今、亡命なのか、エピローグは雄弁だが物語の余韻。
ソ連崩壊前と後、両方の時代をまたにかけて書き続けているブライアン・フリーマントルのチャーリー・マフィンのシリーズもの。亡命と同じような構図の中の世界、崩壊後も同じ構図の小説を書き続けるのは並大抵のことではないと感じる。それでも面白さは続いていっている。そんなことを思い浮かべながら、野平さんの精力的な指揮愛も次の展開をねらっているように見受けられました。

問題提起とわかりやすい音楽、グロテスクなものは一滴も感じなかった正面突破のフレッシュな響き。野平ワールド、響きを満喫。
歌とインストゥルメントは悶絶レベルのハイレベルで、そのこと自体がテンションの高さを、軽く、示している。惚れ惚れするプレイに我を忘れる。こんな響きなら何時間でも聴いていたいわ。
ありがとうございました。
おわり

サマーフェスティバル2018









 

 

 


2597- 日フィル・アメリカ公演1964年、渡邉暁雄、日フィル、フィルハーモニック・ホール、リンカンセンター、1964.10.11 

2018-08-12 11:42:15 | コンサート

1964年10月11日(日)  3:00pm(たぶん) 
フィルハーモニック・ホール、リンカンセンター

ウィリアム・シューマン アメリカ祝典序曲

黛敏郎 弦楽のためのエッセイ

メンデルスゾーン ヴァイオリン協奏曲ホ短調Op.64
 ヴァイオリン、江藤俊哉

シベリウス 交響曲第2番ニ長調Op.43

渡邉暁雄 指揮 日本フィルハーモニー交響楽団

JAPAN PHILHARMONIC, Akeo Watanabe, conductor; Toshiyo Eto, violinist. At Philharmonic Hall.

American Festival Overture
William Schuman

Essay for Strings
Toshiro Mayuzumi

Violin Concerto in E Minor (Op. 64)
Mendelssohn

Symphony No. 2 in D (Op. 43).
Sibelius


Japanese Philharmonic Arrives; Group, Although Young, Is Cosmopolitan; Toshiya Eto is Soloist at Lincoln Center

THE unfamiliar strains of the Japanese national anthem were heard last night in Philharmonic Hall, and on stage was the equally strange presence of 85 Japanese faces. All of which meant that the Japan Philharmonic Symphony Orchestra, under the direction of Akeo Watanabe, was making its debut here.
Of the 88 members, only 3 are Westerners. One of them, the concertmaster, is well-known in local musical circles. He is Louis Graeler, formerly with the Symphony of the Air and the Kroll Quartet. The first cellist and first horn are also foreigners. Otherwise the players are Japanese, the great majority of them seemingly in their early thirties.

Mr. Watanabe, the conductor, is a Juilliard product. Most of the other players were trained in their homeland, and their work last night attested to the popularity of Western music in Japan that one has been reading about.
There was nothing provincial about the playing — nothing Japanese provincial, that is. It would be idle to pretend that the Japan Philharmonic is one of the world's leading ensembles, but it is an expert group and a cosmopolitan one. In the Mendelssohn Violin Concerto and the Sibelius Second Symphony, the tempos, phrasings, ensemble and entire approach were that of any corresponding orchestra anywhere in the world.
Where the relative inexperience of the orchestra is exposed it was created by Mr. Watanabe in 1956—is in such difficult pieces as the finale of the Mendelssohn Concerto. It takes a very experienced conductor and orchestra to ride along with the violinist; and in Mendelssohn's delicate scoring, the least slip is exposed. Last night, there were sections where soloist and ensemble were running along different streets.
But elsewhere there were some fine things to point out. William Schuman's “American Festival” Overture received a. perky, alert reading. The Sibelius Second went along smoothly and with a good deal of power. There was nothing in the least bashful about the sonorities evoked by the Japan Philharmonic to the work. In addition, some of the solo playing was of a thoroughly professional order. Mr. Watanabe is a Sibelius specialist, and his orchestra played the Second as a group that obviously has a great deal of familiarity with the work.

Mr. Watanabe also conducted a work by Toshiro Mayuzumi, the young Japanese avant‐garde composer who recently has been active in this city. It was named “Essay for Strings,” was composed last year and is an. exercise in unusual string sonorities—glissandos for the most part, interspersed with varieties of pizzicato sounds. It is not only an unorthodox work; it is also, in its way, a very imaginative one, creating a whirlpool of tone that goes round and round with a nearly hypnotic effect.

The soloist of the evening was the popular Japanese violinist Toshiya Eto. He is a skillful player with a rather small tone, and Mr. Watanabe helped him along by reducing the number of the orchestra's strings. Mr. Eto presented a delicate, small‐scaled but well‐proportioned Mendelssohn. After the heavy howitzer approach of the international violinistic set, this Mendelssohn came as an agreeable present from Japan.

End

Harold Schonberg


2596- ラフマニノフPC5、日本初演、反田、シベリウス1番、藤岡、日フィル、2018.8.9

2018-08-09 23:41:24 | コンサート

2018年8月9日(木) 7:00pm ミューザ川崎

ラフマニノフ(ヴァレンベルク編) ピアノ協奏曲第5番ホ短調 (日本初演) 20-8+6-10
  ピアノ、反田恭平

Int

シベリウス 交響曲第1番ホ短調Op.39  12-9-5-13

(encore)
エルガー 夕べの歌  4

藤岡幸夫 指揮 日本フィルハーモニー交響楽団



4番で終わりのはずのラフマニノフのピアノコンチェルト。ところがどっこい、今日は日本初演の5番!
ということで2番シンフォニーの編曲版を5番コンチェルトとして日本初演。ピアノは飛ぶ鳥を落とす勢いの絶好調ヤングガイ、反田。申し分ない取り組みですね。
曲はシンフォニーの2,3楽章をつないで計3楽章のコンチェルト形式としている。出てくる音もシンフォニーモードでそれの上にピアノが複雑に乗っかってくる。
ピアノの猛速パッセージは速すぎて反田さんの地を這うような指の動きが見えない。また、左手で拍子を取りながら入りをうまく決めている。大変そうだ。
指揮の藤岡さんは譜面ほぼにらめっこ状態。双方のアイコンタクトが良好で、かつ、反田さんは藤岡さんのタクトの呼吸を感じながらの息の合った好演。
オーケストラのラフマニノフサウンドは一滴も緩んでいないので、全体的にかなりデカい音でピアノが埋もれてしまうところがたびたび。このシンフォニーを薄く編曲するのは難しそう。副主題など元々静かなところでのピアノはよく聴こえてくるけれども、そういったところは必要以上に技巧を凝らすようなところでもなくて、徹底的に完膚なきまでに考え抜かれた編曲だったのかと、少しばかり吹っ切れないところがありました。
華麗な作品の編曲ものを絶好調のピアニストで聴く醍醐味を味わい尽くしました。

マイクが乱立していましたので、いつか録音を聴けるかと思います。

後半はシベリウス。

シベリウスをよく知るオーケストラは恐くもあり愛に溢れているようでもある。
藤岡さんの一見ストレートで端正に見えた指揮ぶりではあるのですが、よく見ると、やっぱり、愛に溢れている。思いが棒に乗っている。
感情の罠に陥らず、端正な熱意で全体像を作り上げていく指揮っぷりはお見事でした。日フィルの圧倒的な弦サウンドが大海のようでそのまま潜り込んでしまいたくなる。また、1番シンフォニー独特の背筋がぞくぞくする雰囲気よく出ていましたね。充実の演奏でした。
おわり






 










2595- チャイコフスキー、くるみ割り人形、全曲、ミンコフスキ、都響、2018.8.5

2018-08-05 23:02:34 | コンサート

2018年8月5日(日) 3:00pm ミューザ川崎

チャイコフスキー くるみ割り人形 全曲  44 int 40

合唱、TOKYO FM 少年合唱団

マルク・ミンコフスキ 指揮 東京都交響楽団


1,2幕からの抜粋を休憩無しでやる予定が変更になって、休憩付きの全曲演奏となった。喜ばしい。作曲家大詰めの大作、素晴らしい作品ですからね。このように本腰を入れてやってくれるのはいいことですね。

チャイコフスキーの流れるような珠玉のピースの数々、とめどなく溢れてくる。思いっきり浸かる。

ミンコフスキの棒も徐々に加熱してくる。
ミンコフスキの身体の揺れが止まらなくなる。絶え間なく前進する奔流に淀み無し。潔癖なフレージング。都響のいつもの鉄板に壁ドンのブラスの音は一掃され、弦とウィンドの濃くも清い清々とした清流と美しく交わる。絶妙な音作り、ミンコフスキの腕がさえわたった。

美しく跳ねて滔々と流れるナッツクラッカー、ミンコフスキのマジック棒。一体全体どうやってあんなサウンドを作り出すのか。軽いさばきに見えるがコクのあるリハがあってのことだろう。

なにか大きな一つのワルツが舞っていた聴後感が漂う。くるみ満喫。
ありがとうございました。
おわり

フェスタサマーミューザ2018

 


2594- ブリテン、青少年、グラズノフAsx協、上野、ショスタコーヴィチ10番、熊倉、N響、2018.8.4

2018-08-04 23:52:49 | コンサート

2018年8月4日(土) 4:00pm ミューザ川崎

ブリテン 青少年のための管弦楽入門  18

グラズノフ アルト・サクソフォンと弦楽オーケストラのための協奏曲  15
  アルト・サクソフォン、上野耕平

Int

ショスタコーヴィチ 交響曲第10番ホ短調Op.93  25-4-12+13

熊倉優 指揮 NHK交響楽団


指揮者ほぼデビュー振り。
かなり硬い振り。ブリテンは出てくる音と棒が今一つ馴染んでいない。音が身体に巻きついてこない。
グラズノフは余裕の上野さんのプレイという事もあってか、指揮者の自由度が高まり空気の流れがよくなった。
最後のショスタコーヴィチはオケメンの技が冴え、より自由度高く。演奏はかなりスタティックであまり動くことが無い。まあ、静かな演奏でした。

もっと引っ張っていく小気味良さがあっても良いと思う。N響のツルピカサウンド振れる指揮者はうらやましい。
コンマスの指揮者をたてる、たて過ぎが、違和感ありまくり。何か貸しでも作りたいのか。ステージの上の連中だけで色々とやるのを、ははと下々がおそれ多く見ている構図にしか見えない。やめてくれ。お祭りなのかもしれないが、音楽の本質がまるで見えてこないものであった。

フェスタサマーミューザ2018
おわり


2593- =女と男の愛の生涯= アラベスク、女の愛と生涯、テレーゼ、アデライーデ、エリーゼのために、遥かなる恋人に、中嶋彰子、小菅優、2018.8.2

2018-08-02 23:46:12 | リサイタル

今宵は、女性・男性、それぞれを通して恋人への想いや愛に想いを馳せます。シューマンは、「女の愛と生涯」という歌曲集を通して、女性(妻)が夫(未来、空想)と出会い、結婚し、最後に死別するまでのことを想い描き、ベートーヴェンは、「遥かなる恋人に」を通して、ベートーヴェン自身が死ぬまで愛した女性へのラブレターを想い描いたと言われています。
時代を経ても変わらない、「女と男」の「移ろいゆく恋」、「変わらない愛」をお聴きください。
中嶋彰子


2018年8月2日(木) 7:00pm ヤマハホール

シューマン

アラベスクハ長調Op.18  7
  ピアノ、小菅優

女の愛と生涯op.42 (字幕付き)  3-3-2-3-2-4-2-5
  ソプラノ、中嶋彰子  ピアノ、小菅優

Int

ベートーヴェン

ピアノ・ソナタ第24番ヘ長調op.78テレーゼ  5-3
  ピアノ、小菅優

アデライーデop.46 (字幕付き)  7
  ソプラノ、中嶋彰子  ピアノ、小菅優

バガテル エリーゼのためにイ長調WoO.59  3
  ピアノ、小菅優

連作歌曲 遥かなる恋人にop.98 (字幕付き)  15
  ソプラノ、中嶋彰子  ピアノ、小菅優

(encore)
シューベルト 野ばらop.3-3 D257
ソプラノ、中嶋彰子  ピアノ、小菅優

恋心、お互いの人生、メッセージが素敵な中嶋さんプロデュース、女と男の愛と生涯、と銘打ったリサイタルは、この洒落た副題に2曲目のシューマンにおのずと重心がいくかと思いきや、それはリサイタル全編に塗りこめられたものだったなあと、終わってふーと一息つきながら顧みる。


前半シューマン、後半ベートーヴェン。1曲目、何は無くともまずはプレイ。小菅さんの弾くアラベスク。今晩の作品の副題を眺めてみるとこの曲だけ副題に中嶋さんのメッセージが表にあらわれていないけれども、ヴィークへの思いが伝わるものなのだろう。
小菅さんのコンセントレーションは第1音の前に既に曲が始まっているかのようだ。始まる前のざわついた心を一気に鎮めてくれる。素晴らしい集中力でいつものピアノのさばきがとっても素敵。曲想の変化はメリハリ有り、強く透明。

中嶋さんが登場して小菅さんとトーク。そのあと、女の愛と生涯。
全8曲約25分。ステージ後方に字幕が出るので、ジックリと詩を眺めながら中嶋さんの歌に浸る。
この歌詞の意味合いや色合いを思い浮かべながら、だからこそできる歌による人生の一面を心底描写、歌と想いとテクストが一体化したもので深い。声色が自在に変化、そしてパースペクティヴの効いた彫りの深い歌い口が味わい深い。深いに過ぎる。
若いときの心ときめく、デリカシー滴るシューマンの音楽のアヤ。中嶋さん歌は端々まで神経がゆきわたっていて、シューマンの細胞が透けて見えるようだ。
7曲目まで暗さは無いテクストにもかかわらず、独特の憂いのようなものが全体にそこはかとなく漂う。
苦しみは最後の8曲目だけにあらわれる。それまでは終わりの始まりではなかった、人生を過ごしてきたのだと、過ごす人生を描いたものだと知る。心を込めた最終ピースにはなにか、こう、明るさのようなものが漂った。歌い終えて目に手がいった中嶋さんの、苦しくも、少し先が見えてくるような歌だった。
伴奏の小菅さんはいつもよりやや引き気味モードの伴奏。中嶋さんの歌に寄り添うプレイ。歌によく絡まる。そして各ピース、中嶋さんが歌い終えた後のエンディングまでのピアノ。これが実に味わい深い。なにひとつおざなりにせずじっくりと余韻を聴かせてくれる。これもまた素晴らしい。
いやあ、シューマンの神髄を見たような気がした。


後半はベートーヴェン。まず小菅さん十八番のベトソナから。
熱情と告別に挟まれたうちの一つ、テレーゼ。オンリー2楽章の10分に満たないソナタ。まずはいきなり小菅さんの本領発揮。頭4小節のアダージョカンタービレ序奏を始める前の深くて長い間。合わせて10小節分もあったのではないか。長い序奏だった。この序奏が効きました。作品の全体像がものすごく大きく見えた。
序奏から気分は流れるような第1主題と3連符の第2主題。自在なアゴーギク、ベートーヴェンだ。さばきが鮮やかで美しい。惚れ惚れするプレイだ。
第2楽章は練習曲のような雰囲気は一切なくて前楽章の第2主題のモードをさらに高揚させていく。休符の間と、細かい音符の動きの息づかいが素敵でした。
聴けば聴くほどに深いテレーゼ、良かったですね。

また、二人でちょっとしたトークがあって、次はアデライーデ。
男声がアデライーデに呼びかける歌。中嶋さんの一色の声色で通したモースト・ビューティフル・ベートーヴェン、ややキーンな中にザラリとした肌触りの質感を漂わせて歌う絶品の歌唱。ベートーヴェンのアデライーデは、もはや、ワーグナーの源流を聴く思い。本日の白眉。なんて素晴らしいんだ、アデライーデ。
小菅さんの伴奏はベートーヴェンになってややエキサイティングになりつつも、ここは飽くまでも中嶋さんの歌唱と心得ていましたね。
本当にいい演奏だった!!

コクのあるエリーゼのために。均質で情に流されない。譜面の中からベートーヴェンの情感がにじみ出てくる。溢れ出るメロディーメーカー・ベートーヴェン。

遥かなる恋人に。
連続歌唱の6ピース。なにかちょっと身体か軽くなり浮いたような気持ちとなる。ワーグナーの源流節はアデライーデほどには無い。諦めの昇華なのだろうか。いつでもベートーヴェンはその時々の悟りのようなものを感じさせてくれるものだ。
中嶋さんの入念な歌唱にはしびれましたね。小菅さんは演奏の間のトークよりも早く弾きたいという気持ちがアリアリと。ピアノでトークしたいんです、そんな感じが溢れていましたね。

とっても素敵なリサイタルの夕べ、満喫。
満を持して、色紙とCDを持ってうかがいましたが、サイン会は無いとの事で空振り。女の愛を語りにギンブラだったのかしら。ご一緒したかったわ。

好企画、素敵な佳演、ありがとうございました。
おわり