河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

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2482- メシアン、トゥーランガリラ、大野和士、都響、2018.1.20、アゲイン

2018-01-20 18:31:20 | コンサート

2018年1月20日(土) 2:00pm 東京芸術劇場

ミュライユ 告別の鐘と微笑み~オリヴィエ・メシアンの追憶に(1992)  5′
 ピアノ・ソロ、ヤン・ミヒールス

メシアン トゥーランガリラ交響曲  6-8-5-11-6-11+4-12-4-8
 オンド・マルトノ、原田節
 ピアノ、ヤン・ミヒールス
大野和士 指揮 東京都交響楽団


18日に続き2回目。
2481- メシアン、トゥーランガリラ、大野和士、都響、2018.1.18

大野の解釈と都響の鳴りは、何か埋もれていた作品を発掘でもしたかのような蘇生感満載の演奏で、その意気込みが時代錯誤を感じさせるところは一昨日と変わらないが、それでもオケのほうはきっちり調整してくるあたりそれなりにプロの面目躍如たるところはあった。
愛の眠りの庭(第6楽章)をはじめとしてたっぷりと音楽が鳴るようなって、逆に2楽章のようにシャープさが一気に増したところもあった。

クライマックス第8,9楽章は手応えありました。第5楽章作曲家自らが言うペルソナージュ・リトミック、それをさらに拡大したような4主題同時錯綜の第8楽章が圧巻。交錯する主題群、目くるめく技、これらを同時認識して聴くことになる。聴き手としても腕まくりしたくなるようなところがありますね。音の彫琢は現音オーソリティとかスペシャリストのほうが一層精度の高い磨かれた切れ技と因数分解をオケに託すことが出来ると思うものの、ぶ厚さを前面に出した錯綜はそれなりに聴きごたえあり。大時代的な煽りとはこういうものだったなと、なにやら色々とフラッシュバックモードのパフォーマンス。
後方チェロプルトのかたがベース2本の譜めくりする、息の長い13弦のアンサンブルがお見事な第9楽章。17種のリズムモードの同時進行を、ウィンドを含め割とスタティックな装いで聴くことが出来る。ここは全曲中一番短い楽章と思われるが精度の高い演奏を展開してくれました。これら8,9楽章が良かったせいか終楽章はもう終わりという感じで軽め。大野棒はさらに作り過ぎの世界に過度没入でまるでスクリャービンの3,4番あたりの大げさなロマンティシズムに向かって行った。

一昨日のブラスセクションはメシアン呼吸が無くぎこちない吹きだったが、今日はかなり揃ってきていて、自由度が高まった演奏を展開してくれた。空虚な空鳴り、それは少し減った。作品への共感をプレイヤーに植え付けるのは指揮者の役目と思うところもある。

ミヒールスのピアノはさらにシャープさが増し、研磨されたような研ぎ澄まされた音。指揮者の振りを凝視しているが、都響の音の出るポイントと彼のポイントは大いに違う。都響の音の出が遅れている。峻烈なピアノ、彼のような時代ですよ今は。

全体にオールドムーヴィー的な演奏表現は今の時代に合うものではないと思うところが大きいが、それなりに楽しめました。
原田マントは今日は短めでひざ上まで。

最初に演奏されたミュライユの作品。一昨日と同じ印象。最後は冒頭に回帰するように聴こえた。弾き終えた後の空間は静かさを湛えたものでメシアンの広がりを感じる。いい演奏でした。

おわり

PS
ここのオケは定刻過ぎても演奏会がなかなかはじまらない。定刻5分後が定刻の様で、今日もウィンドの束、そして最後までフルート1本しつこく、5分近くオーヴァーして音出し。ようやくひっこんで照明が落ちピアニスト登場でミュライユが始まる。
毎度、モタモタしたタイムチャートに辟易。都響の遅刻開始は要改善。こんなことで時間つぶしをしないで演奏時間をもっと多めにしてくださいね。あと、ベルリン・フィルなどのようなオケを見習って、入場行進をもっとスピードアップして。歩く速度が全く違いますよ。事務局のかたは他オケ、特に来日オケの作法を見たほうが良いと思います。と、アンケートに何回かいても無駄骨のようだわ。



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2481- メシアン、トゥーランガリラ、大野和士、都響、2018.1.18

2018-01-18 23:23:22 | コンサート

2018年1月18日(木) 7:00pm 東京文化会館

ミュライユ 告別の鐘と微笑み~オリヴィエ・メシアンの追憶に(1992)  5′
 ピアノ・ソロ、ヤン・ミヒールス

メシアン トゥーランガリラ交響曲  6-9-5-11-6-9+4+12-3-8
 オンド・マルトノ、原田節
 ピアノ、ヤン・ミヒールス
大野和士 指揮 東京都交響楽団


トゥーランガリラはたくさん聴いてきました。昨年はたしかなかったと思うが、最近だと2016年の大友、群響。2015年の鈴木息子、東響。年に1回ペースかな。1990年代からこの作品の演奏会にはなるべく顔を出すようにしてきました。今日の演奏会も楽しみにしていました。結果は残念なものとなりましたけれども、20日にもう一度あるので、解釈の修正はかなわなくてもせめて演奏のほうはきっちりと整えたものを聴きたいです。わけてもいかにもやり慣れていなくてぎこちない、足元のおぼつかないブラスセクションとパーカスには奮起を望む。なんかあってビビっているように見えたのだがどうなんだろう。譜面の音をただ置きにいっているだけのように見えた。

この作品に対する大野の解釈というのは、この作品が完成した時代に流行っていたベートーヴェン以降ロマン派あたりまでの作品を演奏するときのスタイルを思い出させる大時代的なもので、当時のいわゆる現音作品をその当時まで遡って振ったような目まいの錯覚を起こさせる。まして、そこに遡ったとしても当時の現音指揮者ならおそらくしないような時代棒であって、そういう意味では当時でもおそらく聴いたことが無いようなお品解釈で、びっくり、唖然。
一言で言うとギアチェンジ箇所でのアゴーギクの多用。直列になっている毛色の違う主題、リズミックであったり、ハーモニー主体の息の長い主題であったり、そういったものの扱い。アチェルランド、大げさなリタルダンド。一気に昔に戻ったような目まい。マーラーの歌い節ならあのような伸縮性もさまにはなる。ブルックナーだと今どきあのやりかただとかなりの疑問符。今日のトゥーランガリラはブルックナーをそれでやってしまったと言うに相似。いわゆる現代音楽へのアプローチとしては異質で、今時あのようなアゴーギクで現音を振る人はいない。メシアンのこの作品を冒頭に書いたシチュエーションにおける時代に即した作品の範疇にいれているという本人理解での表現棒ならわからなくはないが、それなら、他の同時代作品も同様なスタイルで振るのが普通だと思うのだが、これまで色々と聴いてきて、現実にそのような演奏は無い。
等々、書いているほうも釈然としない。

ブラスセクションにメシアン呼吸は無くて、譜面の音をただそこに置いていっている。貧弱な表現で、メシアンサウンドが生き生きと中空を帯のように飛び回る響きの世界が皆無。自信無げで板についていない。躍動するプレイになっていなかったのは残念。壮観であるはずのパーカス群の攻めない叩きに響きの饗宴は無い。総じて薄めの分解サウンドはオケとしてのこの作品にトライする姿勢が真剣に、あるのかどうか疑わしいとまでは言わなくともかなりあやしいものであった。

ピアノのミヒールスは困難なパッセージを跳ねるような若々しい弾きスタイルで、やや細めの鋭利なサウンドが魅力的。なのだが、オーケストラの目まぐるしく変わる主題がいちいち大時代的なリタルダンドになって延びていって主題チェンジ、といったやり方には慣れていないと見え、指揮者凝視多く、よく見ているのだが、ついていけない箇所が散見。ついていけないというよりも相対的に前のめりに音が出るように聴こえてしまう。彼の相対性原理のほうが今の時代、正しいものだろうとは思う。リハを重ね指揮者の振りスタイルをかみ砕けばこうはならなかったと思う。時すでに遅し、ではない。20日にもう一度あるので。
まぁ、個人的にはミヒールスのスタイルを貫き通してほしい思いのほうが強い。

この作品を330回以上演奏してきたというハイヒールにマント姿の原田には今日の大野解釈でもなんでも朝飯前に違いない。

プログラムの最初に5分ほどの作品がミヒールスのソロで弾かれた。一瞬にしてメシアンの世界に引き込まれる。ミュライユというよりメシアンそのもの。点と響き、研ぎ澄まされた響きが空間を感じさせる。最後の長い空白で感じるメシアンの微笑み。

おわり

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2480- ブリテン、PG4、ヴィトマン、クラ協、ブルックナー6番、カンブルラン、読響、2018.1.13

2018-01-13 23:13:50 | コンサート

2018年1月13日(土) 6:00pm サントリー

ブリテン ピーター・グライムズより、4つの海の間奏曲  4-4-4-5

ヴィトマン クラリネット協奏曲 エコー=フラグメンテ (jp)  19
 クラリネット、イェルク・ヴィトマン

Int

ブルックナー:交響曲 第6番 イ長調 op.106  15-15-8-15

シルヴァン・カンブルラン 指揮 読売日本交響楽団

音楽のスタイルが自然に厳格さを感じさせるものとなっていて、換言すると、それはカンブルランのスタイルは必ずしも厳格さを求めるものではないのに、出てきた音は厳格な作りの様相を呈した演奏に聴こえてくる。はまり過ぎているともいえるが、その微妙なすれ違いみたいなものが、風の入り込む隙間となっている。

開始楽章と終楽章それにアダージョ楽章もソナタで、その演奏は平均台が3個、3列平行に並びその台も延長線上の線もまじわることの無いもの、ブルックナーの演奏スタイルとしては動かぬ型、それを表現してくれたカンブルラン。彼が意図したものかわからぬがこの型は動かない。ブルックナーの方針としては一つの方向性を示してくれている。
ソナタ楽章三つとも第1,2主題は中庸な流れ、第3主題でアクセルをいれるやり方で、展開部でのブレンドは第1,2主題の絡みが多いから、3主題というよりも1と2に対比する3といった趣き。このバランス感覚はこの指揮者独特のものだと思う。第1主題の蹴るようなこの曲独特のカタルシス的推進力はあまり出て来ない。第3主題は遠いですね。それにアダージョ楽章にクライマックスは見えずの作品、そういったこともあって、主題陳列のバランスがツボ。ソナタ三つともタイミングは15分。おそろしいと言えばおそろしい。
蹴り上げるようなチリチリしたヒート感が欲しい。動かぬものとして表現したわけではないと思うが、それであれば静の推進力みたいな時間の推移によって音層が心理的に積み重なっていくようなブルックナー独特の力学にカタルシスを求めても良かった気がする。まぁ、彼の方針ではないと思うが。
読響はブルックナーの響きを手に入れていると思うので、そういった意味での説得力は絶大。ブルックナー演奏に慣れていて、その分、指揮者の意図するところを深く理解表現できるオケ。自然にさまになる。
カンブルランは7番の終楽章が現音風な大胆な響きを作るのに向いている気がする。この楽章は短すぎて作品全体から見ると構成がアンバランスな楽章ではあるのだが、そこにうまみ成分を盛り込むと、たぶん面白い。


前半の1曲目がPG4インタールード。4ピースともにダイナミックなもので、4曲目の嵐より前に既に激しさがある。オペラで観たらカンブルランの棒はきっと面白いものになるだろうね。

2曲目は日本初演の作品。


モダンピッチとバロックピッチのグループが左右対するフォーメーション。音高の位相の差異が過去から今へのエコーのフラグメントなのだろうか。出てくる楽器も色々と多彩。殊更なぶつかり合いは無くてむしろ融和プレイ。きしんでいく音は無い。唯一、ナチュラルホルンがしなるように咆える個所が散見。ソロクラの主張はそれほど濃くない。総じて、個別の線がそれぞれ繊細に主張。今風な細いアンサンブル音楽。
何にどうインスパイアされた作品なのだろう。それともそんなこととは全く関係ない世界なのか。カラフルな音色は近くにあるように思えるが音楽は遠のいていくように見える。


クラつながりで、ブーレーズのドメイン(ドメーヌ)は昔見たことがります。
動き回るドラッカー ホライゾン-11- 1984.6.6

おわり

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2479- ラヴェル、シュトラウス一家、上岡、新日フィル、2018.1.13

2018-01-13 22:51:35 | コンサート

2018年1月13日(土) 2:00-4:15pm トリフォニー

ラヴェル 高雅で感傷的なワルツ  2-3-2-1-2-1-3-5′

ヨーゼフ・シュトラウス ポルカ・マズルカ「踊るミューズ」op. 266  4′

J.シュトラウス2世 ポルカ・シュネル「狩り」op. 373  2′

J.シュトラウス2世 ワルツ「東方のおとぎ話」op. 444  8′

J.シュトラウス2世 歌劇『騎士パズマン』op. 441 よりチャルダッシュ  6′

Int

J.シュトラウス2世 ロシアの行進曲風幻想曲 op. 353  5′

J.シュトラウス2世 ワルツ「加速度」 op. 234  8′

エドゥアルト・シュトラウス ポルカ・シュネル「電気的」  2′

J.シュトラウス2世 ポルカ・マズルカ「女性賛美」op. 315  4′

J.シュトラウス2世 新ピッツィカート・ポルカ op. 449  3′

J.シュトラウス2世 ワルツ『北海の絵』 op. 390  8′

ラヴェル 管弦楽のための舞踏詩 「ラ・ヴァルス」  13′

(encore)
J.シュトラウス2世 歌劇「こうもり」序曲  8′

上岡敏之 指揮 新日本フィルハーモニー交響楽団


ラヴェルのワルツ2曲でシュトラウス・ファミリー10曲をサンドウィッチ。ラヴェルの曲は知っているもの、ファミリーの作品はまるで知らないものばかり。ひねりの効いた選曲で、らしいと言えばそうかも。

ファミリーの作品はどれも味なもので上岡も譜面不要のこなれた指揮。こうゆうコンサートって譜面台が取り払われているというのも雰囲気を醸し出していていいですね。

締めのラ・ヴァルス。上岡の意図した音色変化の表現が多彩。アンサンブルの色彩が豊か、肌触りが良くてなまめかしいツヤも出る。ストリングから奥のパーカスまで行き届いたコントロールは自然な歌いくちで、伸縮も自在に動き回るヴァルス。夢見るような演奏でした。ビューティフルでエキサイティング、マーベラス。

結局、全部こんな感じだったんだよね。と、あとからじわじわくる。ラヴェルの最初の曲から最後までね。色彩美に溢れた内容の濃いニューイヤーコンサート。
ファミリーの10曲は全部マイナーキーの作品のように聴こえましたけれども、どれもこれも光りあり影ありで素敵でしたね。
おわり


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2478- プロコフィエフ古典、PC1、ガヴリリュク、展覧会の絵、飯森範親、東響、2018.1.12

2018-01-12 23:18:23 | コンサート

2018年1月12日(金) 7:00pm サントリー

プロコフィエフ 交響曲第1番ニ長調op.25  4-5-2-3

プロコフィエフ ピアノ協奏曲第1番変ニ長調op.10  7+4+4
 ピアノ、アレクサンダー・ガヴリリュク
(encore)
ムソルグスキー 展覧会の絵よりキエフの大門  4
モーツァルト ピアノ・ソナタ第10番K.330 第2楽章  6

Int

ムソルグスキー/ラヴェル編曲  展覧会の絵  36

飯森範親 指揮 東京交響楽団


ガヴリリュクの生ではプロコフィエフPC2、PC3は聴いたことがあって今日はPC1、ラッキーなことに毎回違うコンチェルト。展覧会の絵は2016年にリサイタルで聴いていて、今日はアンコールでキエフの大門を演奏しましたが、後半プロの前だしというよりも、あの時のプレイを思いだした。

PC1はあっという間に終わってしまったがなにやら巨大な作品を聴いた心地となる。
エネルギッシュな演奏ではあるのだがその前に音色の美しさ、素晴らしくきれいな音ですね。そして研ぎ澄まされた技巧。両腕がまるで4本あるかのような動き、鍵盤を押し付けるような圧力は皆無に見える。次の音の鍵盤への動きが速くてどんなに細かいパッセージでも垂直な押しがフェザータッチのようにサラリと弾かれる。凄いもんだ。正確だから音も美しくなるんだろうなあ。
透明でぶ厚い、肌触りよく流れていく急流、激流なれど安定感は大海のよう。プロコフィエフを満喫。ガヴリリュクを堪能。
アンコールでまさかの展覧会。後半プロがわかっていながらの強烈な意志表示か。どうしても弾きたかったのかもしれない。キエフのピースなれど全体イメージが完全に頭の中にあって最高の雰囲気がのっけから醸し出される。スバラシイ。
もう1曲、がらりと変わりモツソナのアンダンテ・カンタービレ。よくスイッチをこんなにも簡単に変えることが出来るものだなあとまずはびっくり。精神の落ち着きが目に見えるよう。端正でブレのないプレイ。これでホールがすっかり静かになるんだから凄いもんだ。長い楽章、終わるのが惜しいほどに。
今度はモツソナ全部聴きたくなりました。ガヴリリュクさん、今回もありがとうございました。

ということで、PC1に先立ち、1曲目の古典シンフォニー。そもそもこれが良かった。東響独特の明るくイエローなサウンド。それに厚みのある響き。やや硬質にしてしなやかで柔軟性に富むプロコフィエフ。本格的な演奏で強烈にしてわかりやすい。オーケストラの醍醐味を満喫。このモードでPC1に移っていき伴奏越えの丁々発止のスリルを味わえたのでした。ノリチカ棒がいい。

後半の展覧会の絵。オーケストラ版、
前半のプログラムとアンコールで、もう、十分満足。だったけれども、休憩時間に外で頭を冷やして、聴いてよかった。
イエローな響きがマスできれいにのびていく。明るいラヴェルサウンド、それに厚みとコクのあるムソルグスキーサウンドが見事にブレンド。上から下まで同じ幅での動きは俊敏で正確、爽快な展覧会。ノリチカ棒に余裕を持って応える東響。なかなかの迫力、いけますね。立ち位置とは別の対等な世界を感じる両者、これも、いいものですね。
おわり


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2477- ブルックナー全曲演奏 バレンボイム シュターツカペレ・ベルリン 2016年来日公演

2018-01-11 23:11:20 | コンサート

2016年2月、日本で行われたダニエル・バレンボイム、シュターツカペレ・ベルリンによるブルックナー全曲演奏会のメモです。

2053- モーツァルトPfcon27、ブルックナー1番、バレンボイム、シュターツカペレ・ベルリン、2016.2.9

2054- モーツァルトPfcon20、ブルックナー2番、バレンボイム、シュターツカペレ・ベルリン、2016.2.10

2055- モーツァルトPfcon24、ブルックナー3番、バレンボイム、シュターツカペレ・ベルリン、2016.2.11

2057- モーツァルトPfcon26、ブルックナー4番、バレンボイム、シュターツカペレ・ベルリン、2016.2.13

2058- ブルックナー5番、バレンボイム、シュターツカペレ・ベルリン、2016.2.14

2059- モーツァルトPfcon22、ブルックナー6番、バレンボイム、シュターツカペレ・ベルリン、2016.2.15

2060- ブルックナー7番、バレンボイム、シュターツカペレ・ベルリン、2016.2.16

2063- ブルックナー8番、バレンボイム、シュターツカペレ・ベルリン、2016.2.18

2064- ブルックナー8番、バレンボイム、シュターツカペレ・ベルリン、2016.2.19

2065- モーツァルトPfcon23、ブルックナー9番、バレンボイム、シュターツカペレ・ベルリン、2016.2.20

以上




 

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2476- 町人貴族、人魚姫、大野和士、都響、2018.1.10

2018-01-10 23:06:24 | コンサート
2018年1月10日(水) 7:00pm サントリー

シュトラウス 町人貴族  4-2-2-4-2-2-4-3-9

Int

ツェムリンスキー 人魚姫  15-12-13
(アントニー・ボーモント校訂版(第2楽章カット有りの改訂稿))

大野和士 指揮 東京都交響楽団

2016年2017年と1回ずつ人魚姫を聴いて今年2018年お正月にこうやってまた聴ける。ツェムリンスキールネッサンスにはほど遠い状況ながらポツポツと聴けるようになったのはうれしい。この作品の生演奏に接するのは4回目だと思う。記録の整理がついていなくてもしかするとほかにも聴いているかもしれない。
神経過敏なロマンティシズムが漂う作品、どっぷりと浸かったものではなくて細やかな回路が集積していくような味わい。標題とそのストーリーから思い浮かべる色模様はそれはそれとしてイメージされて聴くのも良し。シンフォニックな聴きこみも良し。色々と楽しみ方はある。繊細なデリカシーと絵模様が綯い交ぜになりながらも交響的な様相も大きく魅せてくれる。魅惑的な作品。
冒頭、シリアスな序奏風進行にはやや力みがあると感じるが、聴き進むにつれその後の展開は冒頭りきみを納得させるだけの楽章規模とも思えてくる。大きな線よりも繊細で淡い響きが徐々積み重なっていき聴き手を離さなくなる。作曲家の標題表現が見事にちりばめられたもので大きな楽章ですね。
中間楽章はスケルツォ的なざわめき、それも長続きはしない。断続的なもの。泡のようだ。解説によると今日の演奏は初演時と同じく「海の魔女の地」をカットしてある改訂稿での演奏との事。初稿はカット無し。改訂稿はカット有り。
これでも十分な規模で、これでカットが無かったらそうとうな膨らみとなっていることだろう。3楽章形式の中間楽章として相応な重みを感じる。反面、終楽章にやや尻つぼみ的なバランスを感じさせる要因となっているのも否めない。
その終楽章はドラマチックな装いを魅せながらも最後は静かなエンディングをむかえる。素晴らしい。
指揮の大野は譜面不要、渾身の棒。彼は1995年に同曲をN響で振っており、また、先立つ1992には東フィルと、フィレンツェの悲劇の日本初演をしている。まぁ、作曲家そして作品と、共感の棒ですな。
細やかなことが積み重なってくる作品、大野棒は肩肘張らず同じく小さなところから始め、気がつくといつの間にか巨大なものが姿を現している。そんな感じのシンクロ棒で全くもって鮮やかでお見事というしかない。惚れ惚れするものでした。
オケの響きがそれらに寄与していたのは多分にあり、都響のクリアで明瞭、曇りのないリアルサウンド。ツェムリンスキーのナイーヴなロマンティシズムの表現にはまことにふさわしいもの。3者の一体感。素晴らしい。
これでティンパニが歌いアンサンブルすればさらに良くなることだろう。騒々しい太鼓。
ツェムリンスキーの作品には管弦楽やオペラをはじめとして歌曲まであるので色々と聴いてみたい。

人魚姫
1995年7月29日 サントリー
バッハ(マーラー) 組曲 第2番より序曲
マーラー 亡き子をしのぶ歌 Br小松英典
ツェムリンスキー 人魚姫
大野和士 N響


抒情交響曲(ここ何年かに聴いたもの)



大野和士による他作品の演奏ライブ

1992年9月18日 オーチャード
フィレンツェの悲劇 (日本初演)
大野和士 東フィル
伊原直子、若本明志、多田羅迪夫


前半のシュトラウスの町人貴族、これも佳演でした。小編成で上て半分に管3列、その後ろパーカス。下てに弦。楽器によるサウンド特質が見た目聴いた耳にも明確に分離。二つの色模様を同時に聴いているような趣向で面白い。管2列目は手前バスーン、奥フルート。バスーンの響きがホルンのように響いてきましたね。3列目のホルン2本と合わせ下吹き上吹きのような具合。時折分離プレイになったりする弦の線は一本ずつが見えるよう。
これも楽しめました。
おわり

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2475- ニューイヤーコンサート、三浦文彰、カンブルラン、読響、2018.1.6

2018-01-06 20:19:15 | コンサート

2018年1月6日(土) 2:00-4:20pm 東京芸術劇場

J.シュトラウスⅡ こうもり、序曲  9
J.シュトラウスⅡ 南国のバラ  7
ラヴェル 亡き王女のためのパヴァーヌ  7
ヴィエニャフスキ 華麗なるポロネーズ第1番op.4  6
 ヴァイオリン、三浦文彰
デュカス 魔法使いの弟子  12
Int
オッフェンバック 天国と地獄、序曲  10
サン=サーンス サムソンとデリラ、バッカナール  8
ワックスマン カルメン幻想曲  10
 ヴァイオリン、三浦文彰
J.シュトラウスⅡ トリッチ・トラッチ・ポルカ  2
J.シュトラウスⅡ 雷鳴と電光  3
J.シュトラウスⅡ 美しく青きドナウ  9

(encore)
服部隆之 真田丸、メインテーマ  2
 ヴァイオリン、三浦文彰
J.シュトラウスⅠ ラデッキー行進曲  2

シルヴァン・カンブルラン 指揮 読売日本交響楽団

こうもりから始まったニューイヤーコンサート。序奏の後のトロンボーン3本のハモり、アクセントは頭の1回こっきり。あとはピアニシモで滑らかに均質に奏でられるもので、どぎつさやドロドロ感が皆無。粋で品があってなによりもわざとらしさが無い。作為は無くてカンブルランのタクトとはこういうものなんだろうという説得力が大きい、納得のパフォーム(トロンボーンへのこだわりではないでしょ)。ここだけでなくこのあとも色々と出し入れが自然に湧く。中間部のワルツ、ナチュラル。弦の遠近彫りは充実した垂直的な深さだし、まぁ、弦主体ですね。なによりもパーカッションセクションの鳴りが他セクと同等であり、弦、ブラスと同じようにアンサンブルをしている。これなら、アンサンブルとは周りのインストゥルメントを聴いてプレイすることなり、が全く完全に理解できるものだ。パーカスアンサンブルは秀逸な抑制コントロールの美学で奏でられていました。五月蠅くないないパーカスは完全に溶け込んでいる。
ということで、これがカンブルランの自然体フレンチスタイルだろうなぁと、すーっと腑に落ちるところ満載な演奏。いつのまにか新年の賑やかさは忘れ去り、味な演奏に舌鼓。

ずっとこんな感じで進む。手ごたえ十分、充実感溢れる演奏。
ウィットに富んだ流れるような南国のバラ。
雰囲気的に、もう、自然にフランスものを聴きたくなったところでラヴェル。ホルン1本の線は厳しいものがあって指揮者はさらなる高みを望んでいるとは思うけれども、際どいラインをコクのある演奏に変えていく。カンブルラン・マジックなのだろう。分解された線が進むにつれて絡まっていくその様が美しい。
ここでヴァイオリン独奏がはいったヴィエニャフスキ。三浦さんの弾きがいい。切れ味鋭く膨らみがある。水銀の粒を見ているようだ。美しい音色で奏でられる。下弦の月のようなたっぷりとした鳴りが鮮やかだ。三浦さんは何度か聴いている。今日はリラックスしていていい感じ。
フランスものに戻り魔法使いの弟子。小ピースが羅列になっていない今日のコンサート。カンブルランの棒はますます冴え、聴くほうも前のめりに本腰。もはや、微塵も聴きのがせない。さらっとしたシンフォニック。標題の中身にとらわれることなく指揮者自身の頭の中を描く。そんな感じかな。これも素敵な演奏。

もう、前半だけでおなかいっぱいの大満足。

後半は最初の3曲で一通り締めのモード。この3曲だけで30分かかるものでかなり本格的。前半プロ同様、堪能しました。カルメン幻想曲は天国と地獄の第3部からの続きですねほぼ。これも三浦さんの美演にうっとり。いいノリでしたね。

残り3曲。ここで新年モードに。カンブルランの方針は変わらないけれども選曲、並べ具合、まぁ、楽しめた。オケメンの振りつけもあったりして。

結局、今日の作曲家たち全員、フランスに引っ越したような演奏、エスプリの効いた味わいを感じさせるもの。お見事。
読響は昨年のアッシジから解放されたのか普段なら重い腰も軽みを帯びなかなか洒落たプレイ。カンブルランの意を汲む。彼が棒を振るときはだいたい素晴らしい演奏となる。さすが常任指揮者という話し。今日来て1週間も経たずに帰ってしまう常任とはわけが違う。

満席のホール。騒がしいブラボーも無くて温かい拍手が続いた新年のコンサート、堪能しました。ありがとうございました。
おわり

 



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2473- 第九、小林研一郎、日フィル、2017.12.23

2017-12-23 22:38:09 | コンサート

2017年12月23日(土) 6:00pm みなとみらいホール

バッハ 汝のうちに喜びありBWV615  3′
バッハ 古き年は過ぎ去りBWV614  3′
バッハ トッカータとフーガニ短調BWV565  9′
 パイプオルガン、石丸由佳

Int

ベートーヴェン 交響曲第9番ニ短調Op.125  18-10-16+27
ソプラノ、増田のり子
アルト、林美智子
テノール、錦織健
バリトン、ジョン・ハオ
合唱、東京音楽大学

小林研一郎 指揮 日本フィルハーモニー交響楽団


沢山の演奏会をこなしている炎の小林。芸風が一段と深みを増してきて、存在が場の空気を変えていく、真摯で精力的、炎のカリスマは静かさを湛えた満潮のような美しさだ。

今日の第九は定期公演の一環。
日フィルの合奏というのは、多くの人たちが弾いたり吹いたり叩いたりしているというのがよくわかる。合奏アンサンブルに生命力が有り活き活きしている。小林芸風と一体化していてシナジー効果も大きい。
炎の右腕棒、これ一本で振っているのではないかと思えてくる。時折やや聴衆席に向かい頂点を示し静止した棒の中、ひたすら流れていく歓喜の歌は、もはや、それだけで美しい、感動の頂点棒。
左手の芸風も見事だ。小さなアクションひと動きは全て納得できるものだ。オケの反応も素晴らしく良い。意図する音楽が流れる。
第1楽章提示部リピートするかどうか聴いているほうはギリギリまでわからない。この緊張感。同楽章コーダ終結少し前に延ばしてタメを作り激性を増す怒涛表現。
終楽章ベースから始まる歓喜のモノローグの前のパウゼをフルトヴェングラーの並盛モードで完全空白を作るこの緊張感。他にも色々と趣向を凝らしていて、その内容はこのベートーヴェンにふさわしいもので、納得するところが多い。芸の細かさを越えたカリスマ棒で、それらはこれまで数々振ってきたことの集大成という行為を毎日毎日精力的にこなしているといった様相で、そういう思いで観る指揮はこれから益々聴きのがせないものになるだろうね。

ハオの一声は素晴らしく良く通る。いい声。これまでオペラの脇役等で聴くことがあったがこうやって聴くとなめし皮のような質感で改めて良さがわかった。ソリスト4人衆の流れがいい。
小林のコーラススタンディング指示の鮮やかさ、ソリストと一緒に歌うことをしていなかった小林がここでコーラスと一緒に歌い棒。歌える指揮者極まれりの感がある。
見事な棒で定期の第九、満喫できました。16型、200人規模の合唱は圧巻。

前半のオルガン独奏3曲。やや乾いたサウンドが心地よく響く。席が席で、脳天とお尻にズシンズシンとくる迫力あるもので、これも楽しめた。
おわり



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2471- ウィーン=ベルリン ブラス・クインテット、下野竜也、新日フィル、2017.12.21

2017-12-21 23:51:11 | コンサート

2017年12月21日(木) 7:00-9:15pm トリフォニー

ヤン・クーツィール 金管五重奏のための協奏曲Op.133 7-6-4

モーツァルト ホルン協奏曲第4番変ホ長調K.495  7-4-4
 ホルン、トーマス・イェプストル

ハイドン トランペット協奏曲変ホ長調Hob.Ⅶe:1  6-4-5
 トランペット、ギヨーム・ジェル

Int

ラウニ・グレンダール トロンボーン協奏曲  4-4-3
 トロンボーン、ディートマル・キューブルベック

アルチュニアン トランペット協奏曲変イ長調  8+4+3
 トランペット、ガボール・タルケヴィ

(encore 3曲ともに五重奏)
J.スタイン レット・イット・スノー  2
J.ホロヴィッツ ミュージックホール組曲より Les Girls  2
オーストリア民謡  3


ウィーン=ベルリン ブラス・クインテット
トランペット、ガボール・タルケヴィ、ベルリン・フィル首席
トランペット、ギヨーム・ジェル、ベルリン・フィル
ホルン、トーマス・イェプストル、ウィーン・フィル
トロンボーン、ディートマル・キューブルベック、ウィーン・フィル首席
テューバ、アレクサンダー・フォン・プットカマー、ベルリン・フィル

下野竜也 指揮 新日本フィルハーモニー交響楽団


ブラスの魅力を満喫しました。
アンサンブルでの立ち位置を感じさせるもので華麗なスタープレイヤーの饗宴という趣きはありません。決して踏み外さない、手堅いもので品があって、作品の良さが浮かび上がる。

プログラム後半、グレンダール、アルチュニアン、なかなか面白い曲で楽しめました。ソリストもこの2曲はプリンシパルが吹いていて、余裕というか芸の深さを感じさせる見事なものでしたね。
前半のホルンはやや細めでデリカシーに富む、トランペットは柔らかいもの。それぞれ楽しめました。

冒頭のクーツィールの作品、オケ伴つきの金管五重奏コンチェルトというから恐れ入る。
全体にそうとうやにっこい。中間楽章の中ほどではジャズっぽさも出てくる。全体に斜めに構えた作品のようにも聴こえてくる。オーケストラの引き締まった運び、下野の棒のコントロール具合がいい。

盛況でした。ブラスの響きを満喫。
おわり









 

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2470- 第九、サッシャ・ゲッツェル、読響、2017.12.20

2017-12-20 22:17:47 | コンサート

2017年12月20日(水) 7:00pm サントリー

ベートーヴェン 交響曲第9番ニ短調Op.125  16-14-15+24

ソプラノ、インガー・ダム=イェンセン
メッゾ、清水華澄
テノール、ドミニク・ヴォルティヒ
バス、妻屋秀和
合唱、新国立劇場合唱団

サッシャ・ゲッツェル 指揮 読売日本交響楽団


年末のお祭り騒ぎの第九とは明らかに一線を画す屈指の充実公演。
指揮者はクリヴィヌからゲッツェルに変更。編成は目視で、12-12-8-8-6の対向配置。プリンシパル陣勢ぞろいの感がある。コンパクトな編成ながらダイナミックで引き締まった演奏。

ベートーヴェン・インスピレーションの塊のような冒頭、ホルンが見事な序盤、空虚なハーモニーを鳴らす。
フルオケが、ピアニシモからフォルテへ、ひたすら下降する音型。この諦めの混沌からフィナーレでは人類愛まで登りきるベートーヴェン作品の凄まじき内容。
ぎっしりと引き締まった弦、メリハリの効いたティンパニ、そして演奏を終始リードするウィンドとブラスセクション。無駄のない動きのゲッツェルの振り、そのままの音が出てくる。弦への指示はさほど大きくならずとも反応が圧倒的。これだけのレスポンスで返ってくるところを見るとプレイヤーたちのやる気度も完全に本気度100パーセントと見た。
ウィーンフィルのヴァイオリン奏者だった人の指揮と反応は出来て当たり前のデフォなのかもしれないという安心感有り。つまり今日の特筆すべきド反応はウィンドとブラス。ザッツが強くならずとも、すーっと弦をリードしていくような吹き具合で、これは指揮者の技のなすところだと思うのだが、このスタイル、本当に音楽を生き生きしたものにしていて、カツ、前のめりにならない読響セッションのプリンシパルたちをはじめとする技量の高さもあり、騒ぎの無い、静かな快活さのようなものがうまく出ていた。読響の正三角錐ベートーヴェン、と、アルブレヒトのベト全CDを思い起こすのに時間がかからない。ベートーヴェンの本格的な演奏ここに極まれり。

管のリードする中、指揮者のワンモーションで歌い揺蕩うベース、チェロと同じ数のヴィオラの弾きの頑張り、対向の妙がくっきりとしたヴァイオリン群。ゲッツェル圧巻の指揮。
惚れ惚れとする見事な第1楽章はあっという間に過ぎ去りし。

次のスケルツォは第1楽章を凝縮したものでオケの鳴りが何かの塊のよう。ゲッツェルの振りは身体の内面から湧き出るものを表現していてごく自然、納得するところが多いですね。ご自分のベートーヴェンのイメージがあるというのをしっかりと感じることが出来るもの。作為が無い。

ここまでで約30分、充実の内容。ソリストが入場。位置は合唱の手前、オケの奥。

第3楽章は変奏曲の趣きで聴く。型の事は忘れてしまっていて、ゲッツェル棒から繰り出される充実サウンドにばかり目がいく耳がいく。
何杯もの極上ウィスキーの上澄みが次から次へと出てくる。いい香りが漂う。美味しい。うまい。リードする管が川面にあちこちと浮いている。いつの間にか同じ方向に流れ出す。弦の静かな物腰がもう一つの流れを作り出す。やがてこれらがブレンドし、見事な一致ストリームを奏でる。出色の演奏。マーベラス。

間をちょっとだけおいて終楽章へ。
音楽作品の感興によりそったゲッツェル棒は自然、エキサイティングな展開なれど小節をきっちりとひとつずつ自覚、認識しながらの振りで、音楽はこのバーからでてくるんだ、オレはそれをしているんだ。読響さんも今日は素晴らしすぎるぜ。そう言っているようだな。
モチーフの打ち消し、曲想の発展、歓喜の歌、全てが自然。
管のリードによるやや硬めな疾風怒濤の同楽章冒頭回帰、そして妻屋さんの一声、輝いている。彫りが深くてエナメルのような質感、克明な縁取り、惚れ惚れとする声。おお、今日も好調だ。この決まり具合に初台の合唱のテンションも歌う前から上がっている。少人数のコーラスはオーケストラのサイズと同等、そしてダイナミックで緊張感あふれる歌う口までオケと一体。凄い。遅れない歌い口というのは歌う前から今日の進行がわかっているからだと何も言わずとも感じる。オケ、合唱、共に素晴らしい同一性を感じさせてくれるこのブリッジとなった妻屋バス。

シンフォニックだった。
やや硬質の力感溢れる見事な演奏はゲッツェルの望むところだったのかどうかはわからない。
でも、
限りを尽くす、これに尽きる。平衡感覚に優れた棒は高濃度で大好感。読響が水を得た魚のような演奏をしたではないか。
最後の一音の結末まで、こよなく満喫できたシンフォニー9番ワールド。指揮者とオーケストラ、ソリスト、合唱に、心の底から、ありがとう。
おわり

 








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2468- マルティヌー1番、ブラームス1番、フルシャ、都響、2017.12.16

2017-12-16 23:53:57 | コンサート

2468- マルティヌー1番、ブラームス1番、フルシャ、都響、2017.12.16

2017年12月16日(土) 7:00pm サントリー

マルティヌー 交響曲第1番  10-7-10-9
Int
ブラームス 交響曲第1番ハ短調Op.68  16-9-5-17

ヤクブ・フルシャ 指揮 東京都交響楽団


一言で言うと重い解釈。ご本人のスタイルが相応な熟成を魅せつつあるのだと思う。
この前のマル2、ブラ2をさらに推し進めたような響き具合。
2466- ドヴォルザーク、オセロ、マルティヌー2番、ブラームス2番、ヤクブ・フルシャ、都響、2017.12.11

正面突破スタイルで、提示部いくら長くてもリピート、弦楽合奏のような鬱蒼とした森のハーモニー、時折ほっかりと浮かぶウィンドセクション、抑えたブラス。
ブラームスに本格的な響きの快感をもたらす。ここにティンパニの強打は不要。都響のティンパニのバランスと音色はいつもよくない。これを除けば、最高のブラームスで聴きごたえありました。
スケールの大きさはこの前の2番が格別なものがあった。今日の1番はフレーム感覚をさらに推し進めてはいるもののびったり決まったかというといまいち感がある。合奏アンサンブルは濃いけれど、ホルンセクションなどは守りに入らずもっと攻めてくれと言いたくなる特に一番は。こじんまりしていて内声の響き具合は、支えているねとは思うがさえない。コーダソロでの1,2番の音色違いも気になる。どっちにしても線を大胆に浮き上がらせてほしいというところがたびたびある。
フルシャはいわゆるヨーロッパスタイルの正三角錐な音場進行を取っていると思うので、これなら読響のほうがしっくりきそうな気もする。バンベルクもオリジナリーなものを感じさせる方向へ変わりそうな気配濃厚。

プログラム1曲目はマルティヌーの1番。最後に1番。
冒頭から頻発するシンコペーションや快活な刻みをフルシャはほとんど振らない。この音楽には見えざる大きな縁取りがあるのだよ、それを振っているんだ。そんな感じ。それだけを見ているとメータの棒と似ているかもしれない。メータ棒はよく見ると細かいところまで振っているのだがフルシャは本当に大枠を振る動き。
殊更にリズミックなところを強調するものではなくて、流れ重視なのかもしれない。マルティヌーの音楽は、自分の聴き方はミニマル元祖という聴き方なのだが、ここはライヒではなくグラスモードのストリーム展開。
1番は巨大編成で色彩豊かな作品。都響のややドライで分解能に優れた演奏がフルシャの重くしたい(かもしれない)棒が双方の生きざまを見せてくれているようで、一度に二つのものを見ているような面白さがあった。
都響首席客演指揮者離任演奏会。
フルシャのこれからの活躍が楽しみです。
おわり

 

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2467- マーラー3番、コルネリウス・マイスター、読響、2017.12.12

2017-12-12 23:09:24 | コンサート

2017年12月12日(火) 7:00pm サントリー

マーラー 交響曲第3番ニ短調  32、9-16-8+4+23
 メッゾ、藤村実穂子


新国立劇場合唱団(女声)
TOKYO FM少年合唱団、フレーベル少年合唱団

コルネリウス・マイスター 指揮 読売日本交響楽団


このコンビを聴くのは今日で3回目。3回ともに同じような印象。リハーサル不足ではないのかなということ。バックステージストーリーには興味のない人間ですけれども、どうも、アンサンブルの合わせが時間不足で、済んでいないような気がする。まぁ、ざっくりとした印象ですけれども。首席客演指揮者になったツボがありながら、そういったことが十分生かせていないのではないか。アンサンブルの妙を聴く楽しみは無かったすね。

マイスターGM3仕様はクレシェンドの歌い節が無いこと。マーラーの歌にありがちなねばっこいクレシェンドとか、削ぐようなスフォルツァンドといったものを駆使してネバネバやる演奏とはかなり違う。ドイツ音楽表現の力学を感じさせてくれる。フォルムで音楽を作るにはこうしていく、というのを、意識することなくDNA的感覚で進めている、そういった印象が強い。ときに薄味に聴こえたりするのは作品のせいかとも思う。

合唱とソロは長大な第1楽章が済んだところで入場。それでもソロの一声まで30分近く待つことになる。歌の前にペットボトルのストローに口をつけてうるおし4楽章へ。
指揮者の譜面台を覗き込むような近さにポジショニング。何か問題があったのか。あまりに近すぎてびっくり。第一声、二声あたりはピッチが不安定。ぶら下がる歌いくちのかたではないのでストレートにいくがずれ気味。ブラスセクションの吹奏の後は安定してきて、コクのある歌唱を楽しめました。次楽章の、新国立の女声、それに少年!合唱団、ともどもいきのいい歌唱。終楽章の見事な入りはマイスターのもの。演奏後の完全空白は聴衆のもの。
色々とありましたが、品性、知性といった言葉が明るく作品を照らした。
おわり

 

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2466- ドヴォルザーク、オセロ、マルティヌー2番、ブラームス2番、ヤクブ・フルシャ、都響、2017.12.11

2017-12-11 23:05:05 | コンサート

2017年12月11日(月) 7:00pm 東京文化会館

ドヴォルザーク オセロ   16
マルティヌー 交響曲第2番  8-6-4-5
Int
ブラームス 交響曲第2番ニ長調  21-10-5-10

ヤクブ・フルシャ 指揮 東京都交響楽団


今日のフルシャのブラ2、第2楽章までで曲としても指揮者としても言いたいことを言い尽くした感があって、そのあとの展開も含めて誠に素晴らしい内容で、とりわけブラームスのハーモニーの充実度もさることながら弧を描いて進行するストリングの線が極めて美しいものであった。全曲通してホルンはもっと膨らみのあるサウンドが欲しいところだが、他のブラスセクションとティンパニは抑制されていて鉄板太鼓ブラスが鳴りを潜めいつもこうならいいのに、と思うところもあれど、パッションを殊更にフィナーレ楽章に求めることをしないクールで熱い二律背反シャッフル、フルシャの作り出すブラームスの懐の深さにうなるばかりのマーベラスな演奏で、秋の夜長ならぬ初冬の味わいを満喫しました。
第1楽章の提示部リピートなどはコクが増すばかりで、もう一度リピートしてもいいなあ、あらぬことさえ思わせてくれる。都響の緊張感漂う折り目正しき美演。凛としたブラームス。
やや明るめで終楽章コーダを冒頭から感じさせてくれる第1楽章のメロディーラインに比して2楽章は下降ラインからの開始。前楽章からの雰囲気のモードが漂いながらも別な表情を色濃く魅せてくれる。スバラシイ。なんでこんなに短いんだ。もっと長くてもいい、もっと味わいたい2楽章。ここでも全員シンクロした折り目正しき演奏にはふさわしい曲想でブラームス自身さんの満足度も高いことだろうと推測される。いい演奏ですね。
ここまで、静謐で精神の落ち着きを味わう。

もう、こうなると、第1,2楽章で大半を言い尽くしたあとの後半もなにやら同じモードが全体を覆い尽くすような気配が濃厚。フルシャの味付けが全面を覆う。3楽章の短さなど、ベートーヴェンのハンマークラーヴィアや31番といったあたりのことを掻き立てさせてくれる。終楽章は騒がしくなくて、なによりも唐突感が無いのがいい。4楽章は派手な違和感がなくて曲全体、同質性があってこれが指揮者の意図するところだったようにも思える。
聴きごたえのあるブラームス2番でした。

1曲目は3部作の中で一番長いオセロ。副題にとらわれることは無くても線が悲劇性を感じさせる。都響のアウトラインは水際立って美しく緊張感あふれてサラサラと流れていく。三つまとめて聴きたくもなる。

前半2曲目のマル2。
2番はドラマチックな激しさが無くて、先取りしたミニマル風味のきざみがフシをつけながらこぎみよく進行。都響の得意とするところで、モダンな作品であることを教えてくれる。
このコンビのマルティヌーは何度か接していてどれも素晴らしい。オーケストラの機動力がこの作曲家作品によくマッチして毎度完璧。
フルシャのマルティヌーの印象はこれまでと同じで、なにか、こう、もう少し抑えたものを望んでいるようにも思えるのだがどうだろうか。自国オケのデフォな質感を前提にして微細なニュアンスを求めているような気がする。都響に高みの要求をしているようにも思えるのだけれども、そうであってもなくても、ここはセッションでのマルティヌー交響曲全集を望んでやまない。すっとんで買いに行きますわ。

いい演奏会でした。ありがとうございました。
おわり

 

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2465- ラフマニノフ、ピアノ協奏曲第3番第4番、マツーエフ、シンフォニックダンス、ゲルギエフ、マリインスキー、2017.12.10

2017-12-10 23:24:03 | コンサート

2017年12月10日(日) 6:00-8:45pmサントリー

ラフマニノフ ピアノ協奏曲第3番ニ短調op.30  18+9+12
 ピアノ、デニス・マツーエフ

Int

ラフマニノフ ピアノ協奏曲第4番ト短調op.40  9-8+8
 ピアノ、デニス・マツーエフ
(encore)
ラフマニノフ 練習曲『音の絵』op.39-2  6′


ラフマニノフ 交響的舞曲op.45  12+9+13
(encore)
メンデルスゾーン 『真夏の夜の夢』よりスケルツォ  4′

ワレリー・ゲルギエフ 指揮 マリインスキー歌劇場管弦楽団


ゲルギエフ、サンクトペテルブルク・キーロフ歌劇場管弦楽団はNHKのスタジオで録音したことがあり放送もされた。

グリンカ ルスランとリュドミラ、序曲
ボロディン ダッタン人の踊り
チャイコフスキー ナッツクラッカーより、花のワルツ
ムソルグスキー 展覧会の絵
指揮 ワレリー・ゲルギエフ
サンクトペテルブルク・キーロフ歌劇場管弦楽団
収録 1993年11月27日 NHK509ステューディオ
放送日 1994年3月7日  air NHK-FM


何度も来日していて、昨年2016年も3回聴いた。オペラ公演ふたつと演奏会をひとつ。
2202- ロメジュリ、オネーギン、イーゴリ公、十月革命、ゲルギエフ、マリインスキー、2016.10.11
2203- ヴェルディ、ドン・カルロ、ゲルギエフ、マリインスキ―、2016.10.12
2205- エフゲニー・オネーギン、ゲルギエフ、マリインスキー、2016.10.15

1993年の来日公演記録はブログへのポストが済んでなくて整理できていない。ゲルギエフは単身来日も含めたくさん聴いてきた。
ゲルギエフとマリインスキー。とりわけゲルギエフの指揮回数が毎シーズン多すぎてどうなんだろうと思うが、今日のような演奏を聴いていると、オーケストラの水準が日常から相応な高みに達していれば、リハの多寡にかかわらず、指揮者共々、毎度、素晴らしい演奏を繰り広げることは可能なんだろうなとある部分納得するところが多い。
ソ連崩壊後、1993年の来日頃はオーケストラ団員の目の色が違って見えるほどで、やれば楽になる。つまり、仕事をこなすほどに生活が裕福になる。それにはこの指揮者についていくのが正しい道だと。演奏は気力充実、それによって生活も充実したものになる。そういったことを、皮膚感覚でひたひたと感じたことを思い出す。当時も今もスキルはハイで、一定のレヴェルを保持している。総裁指揮者の手の込んだ良しき画策も色々とあるのだろう。
当時から指揮者とオケは完全に一体化していて、どんな小さな動きにも見事な反応を示していた。長い休止でピクリともせず指揮者を凝視し続ける団員。それだけでもド迫力。
あの当時は演奏後、オーケストラ全体でスタンディング、個々のプレイヤーにスタンディング指示をだしていなかった記憶なのだが、その後、立たせるようになってプレイヤーの反応が凄い。ムラヴィンスキーの指使いかと見まごうプレイヤーたちの見事なド反応。あれを見ただけでもわかることはたくさんありましたね。今日の演奏会でもそれは変わらず。相変わらず見事な反応スタンディング。
指揮者がコロコロかわり、スタンディングも、オレ?オマエ?ダレ?立つの?みたいなみっともない日本のオケの風景には失笑する。コンマスがスタープレイヤーになって色々と掛け持ちしている姿もどうかと思う。団員と日常的に本当に連携が取れているのか。阿も吽もなくて、リハ作業効率も良くないのではないかとこっちは心配になる。


ということで、
長大なプログラム。始まる前から長くなるとゲルギエフの公演ではわかっている。それにしても凄いプログラム。お昼にラフマニノフPC1と2、それにシンフォニーの2番やって、夜はこの公演。マツーエフも凄いもんだ。昨日は三鷹でリサイタルをしている。
2464- ベトソナ、テンペスト、31、チャイコフスキー、ドゥムカ、大ソナタ、デニス・マツーエフ、2017.12.9

圧倒的ピアニズムの神髄、圧巻の3番コンチェルト。マツーエフは昨日のリサイタルでも感じたが、静かな運びに長けている。殊の外デリカシーに富む。馬力腕力はそうとうなものだが、むしろ耳をそばだてるべきはそういったあたり。魅惑的に始まる冒頭から聴きどころ満載。アダージョ楽章の光るサウンド、したたる音の粒、ゆっくりと噛み締めるフレーズ。ラフマニノフの3番は極みの美しさ。
終楽章の技の恐さは知らなくて幸い。鮮やかなラフマニノフの妙技を堪能。マツーエフが先かラフマニノフが先か。
鳴りを潜めていたブラスセクションが断片的に活躍。アタックというか束になってスフォルツァンド気味に鳴らして進行するあたり、あまりの輝きにクラクラする。
ピアノが3連符の下降形進行。後打ちを絡めたブラス伴奏、派手なシンコペーション。そしてラフマニノフ終止。スッキリ。
振幅感情の大きい曲で聴く思いを込め過ぎて、すでに1曲目で満足過ぎる。

休憩を取り、後半へ。次もメインディッシュ、4番コンチェルト。
これまでやにっこい曲のように感じていたのだが、今日のような才気爆発オケと絡まってやると面白い。このメリハリ感!ピアノとオケが丁々発止。迫力と美しさ、両方来ました。ゲルギエフのブルブルコントロールもお見事で。伴奏ツボよくはまります。
2楽章のラルゴは作曲家がアメリカを体験していないと浮かばないようなフシだと思う。マツーエフの昨日のリサイタルのアンコール5曲目の自作自演曲「即興」の出だしを思い出す。ちょっと斜めに構えたような具合で深い沈み込みとはまた別な風情を感じさせるものがある。
絞り出すような終楽章、圧巻。ピアノ、オーケストラ、圧倒的過ぎて異次元ワールドを満喫出来ました。破天荒の力感。もう、ため息も押し殺す凄い演奏でしたね。ラフマニノフ終止も異次元か。

この日の最後の曲、シンフォニックダンス。ここでオーケストラは思う存分、力を発揮。
ギラギラした感じは無くて抑えた中に作品の美しさが浮かび上がる。
第1楽章静謐な演奏。サックスは惚れ惚れする響き。2楽章のワルツは縁どりが鮮やかカーヴィング明るくなり切らない切なさが気持ちを晴れやかなものにしない。終楽章、怒りの日を含めた旋律の交錯。オーケストラの妙技とパワーを満遍なく惜しみなく出し切る。凄味のあるもの。巨大な作品でした。

以上3曲、ピアノアンコール、オーケストラアンコール含め2時間45分。もっと長くかかるかと思ったけれどもそうでもなかった。日本式のダラダラ入退場、繰り返し拍手によるダラダラ立ち座り、オケの遅い入場、そういったものがなくてシャキッとしていて時間の使い方がうまい。ベルリン・フィルも同じ。テキパキしている。
こういったところは関係者とかお偉いさんがお金払って見に来て吸収して欲しいところですね。
おわり

























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