河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

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1604- 本「万物は流転する」

2014-03-09 17:21:13 | 本と雑誌

B1
本「万物は流転する」
知識人から見た旧ソ連の思想
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ワシーリー・グロスマン著
齋藤紘一訳
亀山郁夫解説
みすず書房3800円
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 冬季五輪が開かれたソチは、元来はチェルケス人という少数民族の地であった。本書はスターリンの死後、30年の収容所生活から故郷ソチにもどってきた知識人イワン・グリゴーリエビッチからみたソ連をめぐる思想小説である。
 自家出版として書かれたが、日本では1972年にソ連抵抗文学として紹介された。反スターリン的な風潮の中で、一歩踏み込んだレーニン批判として評者は読んだが了解可能だった。中でも30年代飢饉(ききん)の鬼気迫る記述はその後の仕事にも参考になった。ちなみに本国で公開されたのは89年、レーニンを疑い始めたソ連崩壊直前であった。
 再読してレーニンの思想の根源にロシア独自の運命があったというグロスマンの省察までは読めていなかったと反省している。レーニンと正教異端派である古儀式派(アヴァクーム)の思想的関係までは日本では誰も理解しなかったのではないか。革命の帰結がなぜ収容所なのか。破壊と建設、専制と革命、欧州とアジア、ロシアは逆説の国である。だが自由だけはなかった歴史的運命から37年のテロルをも思索する。
 圧巻は密告と裏切り、そして倒錯としての同性愛まで生み出した収容所世界の記述である。同性愛を巡る今の欧米からのロシア批判がいかに的外れか。だが釈放され自由となったはずの市民生活でも人々は恐怖ゆえに自己規制したと、フルシチョフ自由化の逆説も示唆する。
 レーニンの中にあるロシアの正教と異端、歴史的な文脈の問題は、今ようやく理解されだした。ただ自由なきロシアの悲劇性に問題の根源があったという主題それ自体はソ連崩壊後は陳腐に響く。問題はレーニンやスターリンだけでなく、平凡な「ユダ」たちの保身と裏切りにもあった。ナチズムの基盤に獄吏アイヒマンのような凡庸さを見出したハンナ・アレントにも似たまなざし、「日常的なスターリニズム」の問題でもある。違っているのはその考察の行き着く先が「流転」という言葉が暗示する諦観なのか、それともロシア的悲劇への歴史的問いなのか、それへの解答は21世紀の今もない。
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・著者は05年生まれ。ウクライナ出身の作家。著書に『人生と運命』など。64年没。
・評 法政大学教授 下斗米伸夫

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1461-【本】ジャン=ジャック・ルソーと音楽 海老澤敏著 半世紀に及ぶ研究の集大成

2013-02-24 10:43:10 | 本と雑誌

 
本紹介です。
ジャン=ジャック・ルソーと音楽 海老澤敏著 半世紀に及ぶ研究の集大成
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 本書はルソーと音楽を巡る著者の半世紀に及ぶ研究をルソー生誕300年に当たって集大成したものである。すでに『ルソーと音楽』(1981年)他によって「音楽者ルソー」について世界に例を見ない業績をあげ、ルソー研究の一翼を担ってきた著者は、旧著に種々の書きものを加えて新たな一冊とした。
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 ジュネーヴ生まれの共和主義の政治哲学者ルソーが書簡体小説や自伝的作品を残した文学者でありまた教育思想家でもあったことはよく知られているが、作曲家で音楽理論家でもあったことは周知のことではない。「ルソーはまず音楽家だった」と著者が言うのは決して誇張でない。新記譜法の成功を夢見て30歳でパリに上り、『百科全書』に多数の音楽項目を寄稿し、幕間(まくあい)劇「村の占い師」がルイ15世の前で上演されて大成功を収め、『音楽辞典』を刊行し、「オテロ」の「柳の歌」を作曲しつつ死を迎えたルソーにとって、音楽は生涯の情熱だった。
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 本書の内容はルソーの音楽体験から、その音楽上の創案、「魂の表白」としての音楽思想、旋律の統一性や和声に対する旋律の優位等の音楽理論、声楽曲を中心とした120曲もの作品中の主要作解説、「むすんでひらいて」の「原曲」探しまで、多岐に亘(わた)る。イタリア音楽への愛からラモーに代表されるフランス音楽を根源的に批判したルソーとラモーの論争やモーツァルトとルソーの「親近性」もさることながら、音楽とは本来何かを問い音楽の本源に常に立ち返るルソーの姿を描くのが本書の眼目であり、最大の魅力でもあろう。こうしたルソー=音楽家観が本書の通奏低音をなしており、著者のルソー理解の真髄(しんずい)でもあるのだが、繰り返しが多いのが多少気にならなくもない。しかしこれもそれだけ著者の思い入れが深いということなのであろう。
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 残された課題はルソーの音楽思想と彼の文学・哲学・人間学・政治思想との架橋ということになるが、これはそう簡単ではない。まずはルソーの音楽作品の目録完成を期待したい。
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〈評〉中央大学教授 永見文雄(ぺりかん社・5800円)
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著者:
えびさわ・びん 31年生まれ。国立音楽大学長・理事長・学園長、新国立劇場副理事長・同劇場オペラ研修所所長を経て、国立音楽大名誉教授。著書に『音楽の思想』『モーツァルトの生涯』など。

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1443- 【本】ヴァーグナー試論

2013-01-13 12:35:53 | 本と雑誌

20120429

ヴァーグナー試論
テオドール・W・アドルノ著
高橋順一訳
作品社・4000円

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評>音楽学者 岡田暁生

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起爆力を秘めた現代社会批判
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待望の訳書である。日本では意外に隠れ人気があるのか、アドルノの主要著書のほとんどは訳されている。だが彼の著作の中でもとりわけ難解で知られるこの記念碑的なワーグナー論だけは、なかなか翻訳が出なかった。ワーグナーのスコアと台本のあらゆる細部に通じつつ、同時にマルクスやフロイトやベンヤミンの思想にも明るい――そんな途轍(とてつ)もなく高いハードルを訳者/読者に課してくるのが、本書なのである。
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これはワーグナーを切り口にした19/20世紀社会論である。ワーグナーをハイアートと思うな。むしろ彼こそは近現代のあらゆるマスカルチャーの源流であり、独裁者とそれに吸い寄せられる大衆、プロパガンダ芸術、映像を駆使した広告産業などのルーツは、すべてワーグナーに遡ることが出来る。アドルノはそう考える。1930年代後半に書かれたこのワーグナー論は、暗黙の激越なファシズム批判でもある。
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本書における最も重要な概念は「ファンタスマゴリー」だろう。幻灯機のことである。これは映画の前身ともいうべき光学装置で、19世紀に大変人気があった。どこにも実体がない不可思議な光景が、光の戯れによって幕の上に虚構され、人々の目を眩(くら)ませ、脳髄の中で次第に実体となっていき、無意識の欲望を自在にコントロールしていく。ショーウィンドーの商品や映画やCMがそうであるのと同じように、ワーグナーの音楽もまた、ハイテクによって演出される現代の魔術の一つである。
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簡単に読める本ではない。だが、これだけ強烈な起爆力を秘める現代社会批判は、ざらにあるものではない。頭が割れそうな文章を、それでも何度も反芻(はんすう)して読んでいるうちに、突如として眩暈(めまい)がするような啓示が降ってくるだろう。訳文は極めて手堅く明瞭。これ以上分かりやすくしてしまったら、それはもうアドルノではなくなる。
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ちなみに舌を巻くアドルノのワーグナー通ぶりから察するに、本当のところ彼は熱狂的なワグネリアンだったのだろう。
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1442- 【本】音楽と感情

2013-01-13 12:35:05 | 本と雑誌

20120205

音楽と感情
チャールズ・ローゼン著

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出版:みすず書房
価格:2,940円(税込み)

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評>音楽学者 岡田暁生
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豊富な作品例と緻密な楽曲分析
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「音楽と感情」といえば多くの人は次のように考えるだろう。まず作曲家には何か表現したい気持ちがある。それを彼は音楽に託す。これが音楽を通して私たちに伝わる。聴き手も作曲家と同じ気持ちに染められる。従って作曲家がどんな感情を表現しようとしたかを知れば、もっと深く音楽に感動することが出来る、と。対するにこの種の「音楽における感情崇拝」を、素朴すぎるアマチュアリズムとして退ける人々も、もちろんいるだろう。音楽は何の感情も表現しない、作曲家がどんな気持ちを曲に込めたかなど、そもそも誰にも分からないし、分かる必要もない……。
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 本書の著者チャールズ・ローゼンは、どちらの立場にも少し距離を置く。まずセンチメンタルな感情移入型に対して、彼は実に素っ気無い。感動だの作曲家の苦悩だのといった話は、ここにはまったく出てこない。ただし彼は、感情がそれでもなお音楽の理解にとって必須だという立場を、決して譲りはしない。ローゼンが本書で追求するのは、いわば音楽作品における「感情の力学」とでもいうべきものである。
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 文芸批評家が詩の内容に分け入ろうとし、対するに言語学者が特定の感情がどのような言語構造によって生み出されるかに注目するとする。ローゼンの立場は間違いなく後者である。その作品において表現されている感情は単一か、それとも複数の感情の対立が問題になっているのか。感情の強度レベルは時代によってどう違うか。一つの感情がどれくらい持続するか。ある感情を表現するために、どのような構造が用いられているか。次々に譜例が登場し、緻密な楽曲分析が繰り広げられる。
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 決して読みやすい本ではない。だが感情に距離をとり、しかし決して感情を否定はせず、それに構造的にアプローチするという点にこそ、ローゼンの意図はあったはずだ。恐らく名の知れたピアニストでもあるローゼンは、多数の譜例を自分で弾いてみせたかったに違いない。いつかローゼン自身による譜例演奏のCDが発売されたらどんなにいいだろう。
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1441- 【本】隠れた音楽家たち: イングランドの町の音楽作り

2013-01-13 12:33:59 | 本と雑誌

20111211_2

隠れた音楽家たち: イングランドの町の音楽作り
ルース・フィネガン著
湯川新訳、法政大学出版局・6600円
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評>音楽学者 岡田暁生

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英国にみる市民生活の豊かさ
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学生時代は別として、どれだけ音楽が好きでも、社会人になってなお音楽活動を継続するのは難しい。もはや音楽といえば、CDやコンサートを聴くばかり。高校時代に使っていた楽器は埃(ほこり)をかぶり、自分でする音楽はせいぜいカラオケ。こんな人は少なくあるまい。またサラリーマンなどをやりながら、頑張ってアマチュア・オーケストラでヴァイオリンを弾き続けていたとしても、自らの活動を「所詮素人芸ですから……」と謙遜する人は多かろう。それに対して本書の著者は、「プロの演奏を聴く」のではない、「アマチュアが自分でする」形にこそ、音楽の本来のありようを見出(みいだ)そうとする。
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もともとルース・フィネガンはアフリカをフィールドとする社会人類学者である。だが彼女がこの本でフィールドワークの対象とするのは、ロンドン近くの新興都市の音楽活動だ。例えばロンドンと比べるなら、こんな小さな町のコンサートライフは、取るに足らないものとも見えよう。クラシックのメジャー・オーケストラの来演もなければ、ポップスのスターがやってくることもない。そういうものが聴きたいなら、ロンドンに出かけていかねばならない……。だが目を凝らせば、そんな地方都市でも、決して大都会に遜色ない音楽活動が繰り広げられている。パブで行われるポップスやジャズのライブ、アマチュアの合唱団やオーケストラ、ブラスバンドや教会音楽。中には精肉店をやりながらプロよりうまい歌手がいたりする。しかし彼らの本業は、ミュージシャンではないのだ。
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こうした豊穣(ほうじょう)なるアマチュアの音楽文化は恐らく、19世紀以来のイギリスにおける「アソシエーション」の伝統と無関係ではあるまい。普段の職業とは関係なく、サッカーや合唱や詩の朗読やアンティークなどあらゆる趣味の領域で、大人のためのクラブともいうべき社交組織が活動してきたのである。音楽論というにとどまらず、豊かな市民生活とは一体何か考えるうえでも、とても示唆に富んだ本である。
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1440- 【本】ホロコーストの音楽

2013-01-13 11:09:47 | 本と雑誌

20121021

ホロコーストの音楽
シルリ・ギルバート著
二階宗人訳、みすず書房・4500円

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評>音楽学者 岡田暁生

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収容所の極限状態での歌と演奏

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「アウシュヴィッツ以後、詩を書くことは野蛮である」とは、アドルノの有名な言葉である。あらゆる表象=「思いやること」を拒絶する地獄絵。そういうものを「歌う」空虚と欺瞞(ぎまん)。このような世界は、それを体験しなかった者に対して、詩や音楽を厳しく禁じる。深海のような音のない世界としてしか、私たちはそれを思い描くことが出来ない。にもかかわらず――実際のアウシュヴィッツにはいつも音楽があった。絶対の沈黙としてしか表象できないはずのものが、本当は様々な響きで彩られていた。恐ろしいことだ。収容所の中の音楽生活を描く本書が突きつけるのは、この二重に反転した逆説である。
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 アウシュヴィッツにはいくつもオーケストラがあった。収容所には当然ながらユダヤ人が圧倒的に多く、その中には優秀な職業音楽家も稀(まれ)ではなかった。グスタフ・マーラーの姪(めい)のヴァイオリニストもまた、アウシュヴィッツの指揮者をしていた(彼女はそこで病死した)。ナチス親衛隊の中には洗練された音楽趣味を持つ人もいて、彼らは収容者たちのオーケストラに耳を傾け、そのメンバーと室内楽に興じたりもした。そんなとき親衛隊員は意外にも「人間らしく」なることが出来た。また新たな収容者が列車で到着すると、怯(おび)えきっている彼らを落ち着かせるために、ここでも音楽が演奏された。そしてガス室送りになることが決まった人々が、誰に言われることもなく声を合わせて歌を歌い始めることすらあった。彼らは激しく親衛隊員に殴りつけられた……。
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 本書の淡々とした記述を前にしては、ただ絶句するしかない。極限状態にあってなお人は、収容者も親衛隊員も等しく、音楽を求める。それはきっと人間的な感情の最後の砦(とりで)なのである。絶対の沈黙に耐えられる人はいない。だが同時にアウシュヴィッツにおいて音楽は、本書の著者いわく、極めて合理的に「絶滅の工程に利用された」。本書を読んだ後ではもはや、「人々を音楽で癒(いや)す」などと軽々しく口には出来ない。音楽がもたらすものの美しさは、通常の世界でのみ許されている贅沢(ぜいたく)品なのである。
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1439- 【本】モーツァルトとナチス

2013-01-13 10:54:41 | 本と雑誌

Mozart20130113

モーツァルトとナチス

エリック・リーヴィー著
高橋宣也訳、白水社・4000円

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評>音楽学者 岡田暁生

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戦中・戦後の音楽の政治利用
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ナチス・ドイツによるワーグナーの政治利用はよく知られている。そもそもマッチョなヒロイズムを果てしなく煽(あお)るワーグナーの音楽こそ、ナチズムの原型そのものですらあるだろう。だがモーツァルトはどうか? そのロココ風の優美と官能と戯れとコスモポリタニズムは、一見ナチス的なものの対極にあると見える。そもそもザルツブルク生まれの彼はドイツ人ですらない。本来なら不道徳かつ不健全な退廃芸術の烙印(らくいん)を押されて上演禁止になっても不思議ではないところだ。だがナチスはなぜかモーツァルトを発禁処分にはしなかった。それどころか戦中の彼は、まるで「名誉ナチ党員のように持ち上げられた」。
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 モーツァルトのゲルマン化に嬉々(きき)と馳(は)せ参じたのが音楽学者たちである。大研究者たちの名前が次々に出てくる。彼らは戦中、至極真面目に「モーツァルトの音楽におけるドイツ性」を立証しようとした。またオペラの上演においては、ユダヤ人であるダ・ポンテのイタリア語の歌詞は、すべてドイツ語に翻訳されて歌われた。モーツァルト映画も作られた。とはいえベートーヴェンやワーグナーと違いモーツァルトは、どう小細工しようが、愛国心高揚には利用しようのないところがある。ナチスによるモーツァルトのアーリア化は、どことなく中途半端に終わった印象だ。
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 興味深いのはむしろ、戦後オーストリアによるモーツァルトの、ほとんど恥知らずな政治利用である。戦後のオーストリアが、あたかも自分たちはナチスの被害者であったような顔をし、戦後決算を曖昧なままにしてきたことは、よく知られている。ザルツブルクも含めオーストリアの多くの都市が、実際はナチズムの巣窟であったにもかかわらず、である。そしてモーツァルトの音楽は、まさにそのコスモポリタニズムの故に、戦後オーストリアが「自分たちはナチスとは違う」というポーズをとるための金看板として、利用された。国境を超えたオーストリア的友愛のシンボルへと、奉られ始めたのである。まったく政治による文化利用ほど度し難いものはない。
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1399- ホロコーストの音楽 シルリ・ギルバート著 収容所の極限状態での歌と演奏 〈評〉音楽学者 岡田暁生

2012-10-23 21:33:00 | 本と雑誌

紹介のみ。

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ホロコーストの音楽 シルリ・ギルバート著 収容所の極限状態での歌と演奏
 〈評〉音楽学者 岡田暁生

 「アウシュヴィッツ以後、詩を書くことは野蛮である」とは、アドルノの有名な言葉である。あらゆる表象=「思いやること」を拒絶する地獄絵。そういうものを「歌う」空虚と欺瞞(ぎまん)。このような世界は、それを体験しなかった者に対して、詩や音楽を厳しく禁じる。深海のような音のない世界としてしか、私たちはそれを思い描くことが出来ない。にもかかわらず――実際のアウシュヴィッツにはいつも音楽があった。絶対の沈黙としてしか表象できないはずのものが、本当は様々な響きで彩られていた。恐ろしいことだ。収容所の中の音楽生活を描く本書が突きつけるのは、この二重に反転した逆説である。

 アウシュヴィッツにはいくつもオーケストラがあった。収容所には当然ながらユダヤ人が圧倒的に多く、その中には優秀な職業音楽家も稀(まれ)ではなかった。グスタフ・マーラーの姪(めい)のヴァイオリニストもまた、アウシュヴィッツの指揮者をしていた(彼女はそこで病死した)。ナチス親衛隊の中には洗練された音楽趣味を持つ人もいて、彼らは収容者たちのオーケストラに耳を傾け、そのメンバーと室内楽に興じたりもした。そんなとき親衛隊員は意外にも「人間らしく」なることが出来た。また新たな収容者が列車で到着すると、怯(おび)えきっている彼らを落ち着かせるために、ここでも音楽が演奏された。そしてガス室送りになることが決まった人々が、誰に言われることもなく声を合わせて歌を歌い始めることすらあった。彼らは激しく親衛隊員に殴りつけられた……。

 本書の淡々とした記述を前にしては、ただ絶句するしかない。極限状態にあってなお人は、収容者も親衛隊員も等しく、音楽を求める。それはきっと人間的な感情の最後の砦(とりで)なのである。絶対の沈黙に耐えられる人はいない。だが同時にアウシュヴィッツにおいて音楽は、本書の著者いわく、極めて合理的に「絶滅の工程に利用された」。本書を読んだ後ではもはや、「人々を音楽で癒(いや)す」などと軽々しく口には出来ない。音楽がもたらすものの美しさは、通常の世界でのみ許されている贅沢(ぜいたく)品なのである。

(二階宗人訳、みすず書房・4500円)

▼著者は英サウサンプトン大上級専任講師。

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1353-  レコ芸読まず開かず。

2012-04-10 02:22:38 | 本と雑誌

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レコ芸を読まなくなってから10年ぐらい経つ。読まないといっても宣伝、広告ページは割と見ていて情報を得ていた。でもここ2年ぐらいはそれも含め読まなどころか開かない。開くことが無くなってしまった。唯一、付録のCDを燃えないゴミに捨てる為に取り出す行為だけは毎月一回する。
もう、買わなければいいのかもしれないのだが、何十年もお世話になっているし、昔のレコ芸は今でいうポータルサイトと詳細情報の両方載っているそれこそ総花的な万能音楽雑誌だったのだ。情報発信と知識発信が旨くブレンドされていて影響力の大きい雑誌だった。
宇野コウホウ、三浦淳史、福永陽一郎、吉田秀和、石井観に雰囲気似ていた大木正興、思わず出を外したくなる出谷啓、畑中良輔、黒田恭一、最初から難しかった吉井亜彦、・・・・、
みんな自分の字を持っていて、音楽の中身のことだけでなく書き方のスタイルとかそういったものにも影響された時代もありましたね。途中から、なんとかあまって憎さ百倍、みたいになっちまった人もおりましたが、それもこれも今は昔。今となってみれば全て、昔の話しよ。最後の一人以外は文面も惹きつけるものがありましたね。この方の初出版の本を買って読みましたがわかりませんでした。
大木さんはメディアによく出ておりました。アナログ的な評はフルヴェンの表現に対する妙な理論形成までいっちまったこともありましたが、基本的には好きな評論家でした。60前に早すぎる旅立ちとなってしまったのは残念。
吉田さんは例の全集の第1版初稿(ブルックナーみたいな表現ですね)を第1冊目から丹念に買いむさぼるように読みました。第10冊まで。そのあと確か時間をおいて11,12,13あたりが出た記憶がありそこまでは読み続けましたが、それ以降は編集が切り貼り的な要素が大きくなり、まぁ、ご本人は悪くないとは思いますけれど、脈絡のないショートな文と、何度も同じ話が出てきて、そろそろ賞味期限かなと思って、関心が薄らいでいきました。全集自体は本棚に不死鳥のように鎮座してます。
宇野さんはいまだ現役ですが、三浦さんとは180度ぐらい違ってどちらも面白かったですね。自分の皮膚感覚を大事にする宇野、かたや欧米紙を訳しまくって情報を発信、この太平洋の海原ごとき異なるアンプリチュードの広さ、これらが一冊の本の中に並列掲載。御両名ともに妄想といったら身もふたもありませんが、とにかくおもしろかったなぁ。
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もうひとつ昔話。
河童ステューディオは57丁目にあって同じ通りに日本クラブとか東京書店とかありました。
東京書店ではレコ芸を毎月、日本から取り寄せてもらってました。レコ芸の価格は、たしか、800円台ぐらいと記憶します。東京書店には日本人向け現地向け両方の本をひょろ長い店舗の中に結構たくさんおいてあって重宝していた記憶があります。値段は例えば日本で1,000円の本だと10ドル強、つまり100円を1ドル感覚で販売していたと思います、たしか。それに8.25%のタックスが付きますので、1,000円の本は10ドル82セントです。いま10ドルで1000円の本を買えるなら80円換算で200円ほど得した気持ちになりますけれど、当時はプラザ合意の前後ですので1ドル230円ぐらいの頃なんですね、だから当時10ドルの支払いだと2300円感覚。800円のレコ芸だと8ドルで1840円。今より高い。
それでも取り寄せて買って読まなければという催眠術にかかっていたんですね、最初の頃は。でもよく考えると、エンタメの街マンハッタンに音楽雑誌は溢れておりました。
Ovation, Keynote, opera news, stereo review, New York times Sunday版、・・・・
因みにOvationにはWQXRの番組表、KeynoteにはWNCNの番組表が載っておりました。
Opera newsはメトの毎週の公演情報を乗せて週一で。オフシーズンは月一。
それからもうひとつそれますが、例の日本クラブには床屋がありました。男のヘアカットがたしか30ドルぐらい。一回だけ行ったことがありますが、高すぎでした。30ドルあれば、河童ステューディオの隣のダゴスティーノで2週間分の買いだめが出来た時代。
床屋も現地調達、「ジャスト・ア・トリム」これでチップ込で5ドル。古き良きマンハッタンかもしれないけれど、昔の現実。
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それでレコ芸を読まなくなってしまったのは、透けて見えるようになってしまったということのような気がする。
おわり

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1352- 「指揮者マーラー」、「日本の作曲家と吹奏楽の世界」

2012-04-07 17:03:29 | 本と雑誌

華金のお昼にランチの後、本屋さんで久しぶりに音楽関係2冊買いました。
「指揮者マーラー」それに「日本の作曲家と吹奏楽の世界」、ちょっと立ち読みして中身を覗いてみましたが、力作と感じ買ってみました。本腰を入れて読むのはこれからとなります。

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「指揮者マーラー」中川右介著
書き下ろしの著で、縦書き久しぶりに読むような気がします。一番先に目をひくのが後書きにある、カラヤンは実働62年で約3400回棒を振った、マーラーは実働がその半分ぐらいなのに2400回ぐらい振っている、と。
なにやら4桁オーダーなのでとんでもないような気がしますが、絶対数としてはカラヤンもマーラーもそれほど異常に多かったとは思いません。カラヤン以上に指揮が好きだったような気はします。それを踏まえてのブレークした作曲作品があるわけですからやっぱりすごかったんだろうなと。
とりあえず興味のある後半の方のメト、ニューヨーク・フィルのあたりから読み始めてます。
以前ニューヨーク・フィルのマーラー作品自主制作盤のぶあつい解説を勝手に訳してメモしておいたことがあって、それと一緒に読んでます。ここらへん昔、ブログにも断片をアップしてありますので合わせて読んでもらえればと思います。
これからじっくりと腰を落ち着けて読んでみます。

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「日本の作曲家と吹奏楽の世界」福田滋著
バンド・ジャーナルに掲載していたものをまとめたもののようですけれど、面白いタイトルの本ですね。でもなんとなく気持ちわかります。だいたい切っても切れない縁のようなものを感じますし。
日本人作曲家一人ずつだいたい4ページさいて紹介。白黒ですが写真がかなり掲載されていてこれをみているだけでも全然、飽きない。プロフィール欄にも写真が載っていてわかりやすい。折りたたみの座椅子の右側に置いていたいですね。
日本の作曲家の作品はもっともっと掘り起こしてほしいですね。いい作品がたくさんあります。例えば、最近はあまりぱっとしませんが柴田南雄の作品で、合唱もの邦楽ものはちょっと横に置いといて、ブラス系だと「金管六重奏のためのエッセイ」これなんかすごい作品ですね。輝かしい作品で、何をおいても閃きを感じる、努力より天才、みたいな作品だと思いますね。
現存する作曲家は恒例サントリー夏の現代音楽フェスでもよく見れますから時代を共有していることを実感できます。あとはソフト、それにコンサートの企画ですね。工房的な演奏会やホールが通年であればファン層も広がると思いますが、なかなか簡単ではない。ひところはやった現代音楽ですけれど、もろに風にあたったような作品も多数ありますから、それはそれで面白いのですが、やっぱりひいてしまう人の方が多いのも事実。CDの企画も簡単ではないでしょう。なにしろ音にしなければ話にならないわけで、そのためには演奏者が必要。昔の音源掘りおこしに視点がいってしまうのも残念ながらいたしかたないところもあります。
この本のすごいところは、作曲者本人、関係者に直に足を運んでいろいろと聞きだしているところ。興味は尽きませんね。おすすめです。
おわり

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1345- ネット・バカ ~ネット脳の恐怖

2012-02-07 00:11:05 | 本と雑誌

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1157- 華金の勉強はシューマンのバー・ブックで。 

2011-01-07 01:54:35 | 本と雑誌

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チャールズ・シューマン
バー・ブック
です。

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1156- これはなんだ。13.5バーブック。

2011-01-06 00:30:58 | 本と雑誌

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Scan10062


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13回転半の法則。

13.5バーの特長。

healing

price

quality

variation

だそうです。

この本では7店紹介されているようです。

mizume sakura  13.5 bar

日南

THE BAR並木

BAR銀座6丁目

お茶屋Bar楓

+air

13.5bar MARGE

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一番下が渋谷のお店、他は銀座。

このうち一店は、たまにいったりしてます。ごく、たまに。

調査不足ですのでもうちょっと力を入れて、パトロールを継続しておきますね。

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911- 最も遠い銀河

2009-09-23 16:45:33 | 本と雑誌

タイトルに惹かれて買いました。

(読んだ感想ですので、これから読もうとしている人はこのブログはスキップして)

「最も遠い銀河」上下

白川道 著

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535ページ

470ページ

かなりへヴィー級の厚さです。

ハードボイルドというより純愛小説のようなピュアなもの。元刑事のしつこさが違和感があるがこれがなければストーリーは進まない。

キーにしたいと思われる「詩」は全くインパクトがない。もう少しいい詩が出来なかったものか。

また、会話が独白のように異様に長く、喋りというよりも展開そのものを作者が語っているようでもある。

エンディングは、「最も遠い銀河2」がこのあと書かれても不思議はない。ただ、最後は急ぎすぎた感がなくもない。

どんでん返しはない。

ブライアン・フリーマントルの奇天烈な面白さは無く、内田百閒のような学びたくなる日本語や言い回しはない。ひたすら先に進めていくストーリーが魅力的とはいえる。

下巻の318ページ目、上段左から2行目、

「美里に近づく」

という文は正しくは

「茜に近づく」

だと思われる。

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上下計1000ページの読み物を読み終えた達成感は無い。どっしりとくる手ごたえ感が無かった。

.

それでこれがクラシック音楽とどういう関係があるかというと、無い。

マルタ・アルゲリッチの弾くシューマンのクライスレリアーナが車の中で流れる場面があるだけだ。

おわり

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432- The Long Goodbye

2007-10-06 22:51:00 | 本と雑誌

Longgoodbye

久しぶりに本の紹介です。音楽関係ではありませんが。

たまに音楽の話も出たりしますが、カクテルの味わいの比ではありません。

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ロング・グッドバイ

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著者:レイモンド・チャンドラー

翻訳:村上春樹

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早川書房

\1,905

初版2007310

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本文533ページ

村上春樹によるあとがき:46ページ

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村上さんによる新訳です。

清水俊二訳の、長いお別れ、と同じものですが、村上さんのあとがきを読むとその熱さにやられる。

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はじめて読む人は、533ページというボリューム感に圧倒されるが、それよりもチャンドラーの精緻さにやられることだろう。

あとがきには思いのたけを書いているようだ。

内容については買ってのお楽しみ。

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訳について一つだけ気になることがある。それは、

「というか」

という訳。

例えば、

「もう一枚の紙はごみ箱に捨てられていました。というか、ごみ箱の端にひっかかって、中には落ちていなかったのですが。」

というくだりがある。どうもこの「というか」接続詞みたいなものが気に障る。

今風の訳というよりも、今のはやり言葉をそのまま使っているようで、このチャンドラーの小説にそんなもの不要だろう。

オリジナルでは、おそらく何か単語がそこにあるのだろうが、日本語ではこの際、思いきって割愛、つまり削除してもよいのではないか。気にならない人もいると思うが、どうも不自然で唐突な言葉だ。

本文533ページ中、10回程度しか出てこない単語だが、角のとれた訳がその単語の箇所にくると冷水を浴びせられたように我に返りしらける。

別の時代であれば気にならなかった言葉かも知れないが、今の若者言葉であるだけに気になってしょうがない。

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