河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

PC版に一覧等リンクあり。
OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

1101- アーノンクール CMW ハイドン 天地創造2010.10.30

2010-10-31 22:13:11 | インポート

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2010-2011シーズン聴いたコンサート観たオペラはこちらから
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2010年10月30日(土)6:00pm
サントリーホール
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ハイドン 天地創造
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ⅠⅡ:40分、40分
天使ガブリエル(S)、ドロテア・レッシュマン
天使ウリエル(T)、ミヒャエル・シャーデ
天使ラファエル(Br)、フローリアン・ベッシュ

Ⅲ:30分
天使ウリエル(T)、ミヒャエル・シャーデ
イヴ(S)、ドロテア・レッシュマン
アダム(Br)、フローリアン・ベッシュ
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アルノルト・シェーンベルク合唱団
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ニコラウス・アーノンクール指揮
ウィーン・コンツェントゥス・ムジクス
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人生肯定というかいいことずくめの曲ではある。創世記は都合が良すぎると言ってしまえば身も蓋もないけれど、神が主語で受動態で語られる創造され方、神と言葉とどっちが先だったのか知らないが、敬語は受け身になる理由はこのようにしてつくられたのかな。
そんな変なことが次から次と浮かんできたのは、それもこれも、今日は字幕があったからの話。10/24のバッハのミサ曲ではなかったのであの理解不足とはもともと無知とはいえ聴く方としては雲泥の差があるのも明確な事実。
字幕があるとないでは理解の深度がまるで違う。こんなにも違うのかとあらためて実感したしだい。
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天地創造は「独唱、合唱と管弦楽の為のオラトリオ」である。冒頭はハイドンのたくさんある交響曲のうち序奏付のもの、まるでそんな感じで始まる。
第一部は創世記一日から四日まで、第二部は五日、六日を追う。ハイドンによるほぼ描写音楽の様相を呈している。インストゥルメントが歌を奏で、独唱がストーリーを追い、そして合唱でまとめあげる。これの繰り返しだ。わかりやす過ぎるので、聴く方も思わず安定の微笑みが湧くし、独唱者の方もなんだか楽しそうだ。天使も楽しむ。
四日の日に天体ができてここまでで40分。
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オーケストラと合唱は響きが一体化しており、非常に柔らかい。台風接近で、空席が目立ったがこのくらいのほうがこのホールは柔らかい音になるのではないのかと勘繰りたくなった。それに10/24のNHKホールでの演奏会のときより全体にコンディションが良いように見えた。特に独唱の3人は躍動感があり表現、音量ともに素晴らしかった。レッシュマンは絶好調とみた。素晴らしいソプラノがホールいっぱいに響き渡る。バッハのミサのときより、このハイドンの方が自分のものとしているように見え。曲の理解がすっかりみについてしまっており、余裕でさらにその上をいつでも目指せるような表現であり、字幕のフォローのこともあり非常に楽しめた。
オーケストラ規模がバッハのときより大きく、音楽の作りも劇的なものから細かいところまで多彩な表現であり、完全に音楽が先に進んでおりやはり手応え聴き応えがある。換言すると、音楽があまりにも多くのことを表現するようになっていると言えるかもしれない。ハイドン自身は知らなかったかもしれないが、音楽表現はこのあととてつもなく進歩というかまるで別物の個体のようになっていくわけですし。
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第二部は五日と六日だが、四部ある第一部とのバランスの整合性は良く取れていると思う。特に人類創世の六日目は静かな部分も常に明るく、強奏の響きの美しさも見事だ。合唱とオーケストラのサウンドが非常に柔らかく、角が取れていてかつダイナミックに響く。先にどんどん進む音楽が美しい。
アーノンクールの叩きつけるようなバーのフレーズでもなんと柔らかい音楽が奏でられることか。
何もかも出来上がりここまで二部40分。
第一部が40分、第二部も40分。あわせて1時間20分。上々のコンディションで音楽をじっくり楽しむことが出来ました。
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休憩後の第三部は、30分ほどだが大半がアダムとイヴの会話だ。人生肯定デュエットで、このシーンは楽園でのいいところのみ描いている。悩みとかが発生する前の話で前向きなストーリー展開でこれはこれでいいもんだ。グレ・リーダーの終結部を聴くような錯覚に陥る。
ティンパニが粗野な感じがまるでなく、アクセントはそれなりに馬力のあるものなのだが全体の響きを誘導するというよりも同時多発的に響き、深みが一気に表現される。秀逸オーケストラでした。
アーノンクールの合唱への指示は非常に小さく、見逃しかねないが、ここらあたりのコントロールも普段からの吐息の合い方というものがわかろうというものだ。
見事なアーノンクールの棒でした。
熱烈な拍手とブラボーが続き、カーテンコールも2度ほどありました。
サインの行列が異常に長かったですね。
おわり

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1100- オール・ベートーヴェン・プロ ネルロ・サンティ N響2010.10.28

2010-10-29 14:48:45 | インポート


2010-2011聴いたコンサート観たオペラはこちらから
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2010年10月28日(木)7:00pm
サントリーホール
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ベートーヴェン 交響曲第8番
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ベートーヴェン レオノーレ序曲第3番
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ベートーヴェン 交響曲第5番
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ネルロ・サンティ 指揮
NHK交響楽団
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この10月はアイーダから始まって、オペラの達人ネルロ・サンティのN響3プログラム全てを聴きました。
この日はオール・ベートーヴェン・プロで、レオノーレのものすごい入りの部分など音楽とは呼吸ということを再認識させられた夜でした。ただ、後半N響のピッチに問題がでてきて、全体としては若干尻つぼみ的な印象は否めない結果となりました。サンティはもう一度とは言わず何度でもこのオーケストラを振りに来てほしいと思います。
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8番の第一楽章はこの前聴いたアルミンクの棒とは異なりきっちり3拍振り。解釈の相違ということだと思います。前進性やベートーヴェン特有のどつきのアウフタクト部分の強烈なアクセントをきっちり揃えるには3拍振りがいいと思いますね。
サンティはエンド・フレーズにけれんみを持たせることなく明確に、まるで何かを切り捨てるように左腕で取り払う。先だし棒であれだけおくれて音が出てくるこのN響というオーケストラのメンバーは各自完全にサンティの意を汲みとっていて、かつ共感のアインザッツとしか言いようがありません。
8番の第一楽章っていつきいても変で面白い曲ですね。アクセントの塊。オーケストラとか指揮者とか聴衆とかがなんだか試されているような気がしてきます。ゴツゴツしてて転びながらも前に進んでいるような感じ。
サンティはこの日は当然全て暗譜棒なんですが、特筆すべきは、このオケの特に優秀なウィンドへの指示ですね。特定セクションにだけでなく、特定インストゥルメントのトップ、セカンドに指を一本、二本分けて指示をする。昔、ミトロプーロスはオタマが写真のように全部一緒に目裏に見えていたそうですが、サンティもそんな感じなんですかね。音楽の流れの中で次への明確な指示棒、素晴らしいですね。全てを理解、吸収していったん自分のものとして分解したのち、再創造する。曲の再創造とはやっぱり演奏による再創造にほかならないということがよくわかりました。
そんなわけで、第二楽章の粒立ちの良さ、際立ってました。まだ第三楽章中間部のホルンの息を飲む強奏バランスの美しさ。むしろ粗野とさえ言いたくなるようなベートーヴェンの本質に迫る、忘れていたことを思い出させるに足る見事な解釈。
第四楽章のどつきは相も変わらずベートーヴェンそのものなんですけれど、第一楽章と拍子が違いますから、こちらは肘鉄を連発で喰らっているような感じ。地べたを這うコオロギみたいな音の行方。
8番はまた、ホルン含むウィンドの横の流れが非常に美しい。それと対比するかのような粒立ちのいいオタマの垂直性。そして指揮者独特の先へ進む棒。整理整頓、意識されたつんのめり、ぎこちなさが、あやしく響く。
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劇場の人は序曲で既に才を発する。サンティがどれほどフィデリオを振っていたのかは知りませんし、またそのオペラの中に3番を挿入していたのかどうかも、闇。
でもオペラ感覚というのがあって暗闇の劇場のオケピットに埋没するところから音楽が始まる。イタオペの達人にとって、一般的によくある序曲の立ち上がりの悪さ、エンジンがかかるまで音の方がかなり先に進んでしまう、このようなこととは無縁なんでしょう。レオノーレの第一音は息を飲む瞬間となりました。先だし棒なんだがあれだけ音が遅れてでてくるのにきっちり縦線がそろっているというのは、オケメンバー全員が同じ呼吸をしているということであって、指揮者への共感以外のなにものでもない。見事な空白と入り。
暗闇のオペラハウスでオケピットからもしあの第一音が出てきたら聴く方としても襟を正したくなります。ただしフィデリオの第一音は別の序曲ですけど。
オペラ公演などではわりとよくある開始前のブラボー。この日も8番の前にブラボーが飛びかってました。普通の演奏会ではめったにありませんが前日までのフリークがたくさんいたのでしょうね。劇場的な雰囲気と畏敬の眼差し、そのようなものが入り混じった緊張感ある音がこの序曲の第一音でした。
ベートーヴェンの横の流れが美しい曲、そして激しさ。どっちにしろピッチをきっちりそろえて当たり前の曲ではあります。最初の打撃音の後、ハーモニーを圧縮したような手応え。音に内在する緊張感に揺り動かされます。トロンボーンは運命の第4楽章まですることがありませんけど、この日の2管のトランペット。ここらあたりからでしょうか、強奏するあたりからピッチがちょっとくるいだす局面が散見されました。ただすぐに持ち直して、影のファンファーレから劇的な音楽がコーダまで鳴り渡りました。
初めてフィデリオをみたのはテンシュテットの棒、メトロポリタン・オペラハウスでのもの。このときはレオノーレ3番が奏されました。第2幕の第一場と第二場の間です。長さが第二場と同じぐらいあるというのと、ハッピーエンディングを先取りしてしまっている為、苦労の多いところではあったかと思います。単独の演奏会ではむしろストーリー全体を感じる為にはいい曲だと思います。サンティの棒も劇的で良かったと思います。
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プログラム後半の第5番。
第一楽章の入りは、N響はこの曲が一番得意に違いないと思わせる理論整然としたもの。理系派向きの整然とした響きに心を奪われる。数学的快感。
この曲も他の誰も作曲出来ないだろうなぁとあらためて感心。サンティの棒が光る。
この運命は結果的にこの第一楽章が一番いい出来でした。
アンサンブルに乱れはない。光り輝く運命ではあったのだけれど、第二楽章のトランペットのファンファーレの伸ばし音のピッチが少し、合わない。ホルンもちょっと乱れた。ホルンは1番2番と3番4番が少し音色が異なる。レベルの相違に直結しているといいかえてもいい。クラリネットのピッチはきわどかった。断片的ながらピッチの不揃いが気に鳴り始めた。そうなるとこっちの気のせいばかりでなく、演奏全体の緊張感がやや色あせてきた。第四楽章になるとそのようなことだけが気に鳴り始め、聴く方としてもちょっと余計なことを考え始めた。いわゆる雑念が入ってしまい、やや、演奏に集中できなくなった。
席が2階センター中央奥ということもあり、ブラスのデッドな音がむき出しで聴こえてくる。ホルンも朝顔が後方向きな分、反射音が直接あらい音で聴こえてくる。このような雑念が入ってしまったのは自分だけかもしれないので特にどうだということはありません。感覚的には第四楽章の第三楽章想起から続くファンファーレのあたりから持ち直したと思います。最後は機関車的大団円で見事に締めくくってくれました。
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不発とは言えないまでも、演奏内容が尻切れトンボ的なところを曲でカバーした部分もあったと思います。この日はサンティ客演の最終日でしたので、花束がありましたがそれを制止して、セクション毎にスタンディング・オベーションさせてました。飽くまでもこのオーケストラあっての自分だということだったのでしょう。
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おわり

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1099- 大和めぐり柿千両 お土産いただきました。

2010-10-28 00:10:00 | おみやげ

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常しえの、
奈良の都の、
咲けしみやげ、
もろびとの情は、
厚きに熱し
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ということで若干字あまりになりました。
お土産をいただきましてありがとうございました。
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奈良は以前頻繁に出入りしていたということもあり、奈良漬と春鹿にはそれ相応にうるさい。部分があります。
柿の奈良漬は今まで食したことがありませんので、楽しみに週末を待ちたいと思います。
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週末と言えば、今度の日曜日は全日本吹奏楽コンクール高校の部があります。どうしようか迷ってます。
一昨年は朝から晩まで29校全部聴きましたが、ヘトヘト。吹いてもいないのに体重が3キロぐらい減った感じでした。
それで、その前日の土曜日の晩はアーノンクールの天地創造。18時スタートです。しんどいなぁ。
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それから、ハロウィンなどという日本には全く無関係なお祭り騒ぎもあったりして、ここらへんギロッポンの西欧人に任せておけばいいのでしょうが、変に日本人もつるむ。田舎人に限ってトウキョウで仕事を始めると、ギロッポンで遊んだだけで、国際化したような錯覚に陥ってしまうアホな連中が多い。特に女。ろくな餌もないのにすぐ釣られてしまう。この偽国際化錯覚から覚醒するには個人が何をして遊んだのか、によりますけれど、それ相応の時間が必要です。1年とか2年とかといったスパンです。何しろ人間は楽に流されやすい生物ですからね。
遊ぶのは勝手です。自由とは違います。自由を得るにはそれ相応の努力が必要。そこらへん勘違いしないよう、努力して得た自由で遊んでください。
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それで、今年はどうしましょうか。柿千両かブラバンか。

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1098- Trick or Treat in Mnhttn nite (改・再掲)

2010-10-27 00:10:00 | マンハッタン

2006.10.31Trick or treatの再掲です(改変有り)
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河童
「日本人にはハロウィンなんて関係ないんじゃないか。」
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静かな悪友S
「いやいや、日本人は西欧のありとあらゆるイヴェントを組み込まないと気が済まないのさ。彼らが右を向けば、右に行列をなすわけさ。その先になにがあるかわからんが、とりあえず並んでみようと。」
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河童
「なんでかね。そうゆう特質なのか。河童界では理解できんな。」
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S「最近は商売便乗みたいなところもあるみたいだ。小金あまり、時間あまり、平和ボケ、無いのは、何だろう。パンプキンの中身みたいなもんだ。」
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河童
「人間界だとこの前夜祭、外国かぶれした人間どもが余計な仮装をして暴れまくり地下鉄も時間によってはうようよしているな。ウィークデイの何でもない日でもおめでたいことだ。今年は日曜日にぶちあたっているが後先見ずに遊びまくりだろう、きっと。」
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S「そうだな。おめでたい。ところでアメリカあたりでもそんな騒ぎが大きかったのかね。」
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河童
「どうかな。アメリカ人のすることはたまにわからないこともあるし。」
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S「河童さんが棲息していた摩天楼ではガキどもも入ってこれなかったんだろう。」
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河童
「それがそうでもないんだ。ドアマンがいて、セキュリティも厳重で普段なら絶対に誰も侵入できないはずなのにだ、ドンドンとドアをたたく音がする。」
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S「それで。」
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河童
「誰だ。不埒な闖入者は。といっても反応がない。誰だ誰だ。こんな21階まで上がってくる奴は。名を名乗れ。」
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S「マンハッタンでは何がおきても不思議はない。」
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河童
「ドアの覗き穴から恐る恐る廊下をみても誰も視界にはいらない。それなのにドンドンたたく音だけはやまない。」
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S「なるほど。ガキども視界にはいらないはずだな。」
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河童
「3~4人でドアの外でわめいている。なんかくれないとワルするぞ。ってね。はは、これは外で騒いでいる連中のガキどもが、ドアマンに言って催促にきてるんだな。というのはわかった。」
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S「でもあげるお菓子なんか部屋にないだろ。」
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河童
「そうだ。毎晩飲みふけって皿にもアルコールが充満しているし、いま皿、何もない。」
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S「でも何かあげないとあの子たち帰らない。」
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河童
「最後の手段さ。おかね。お小遣い気味のおかねを渡すと割とおとなしく退散するんだな。利口な子たちだよ。」
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S「毎年そんなことしてたのか。」
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河童
「いや、運悪くニューヨーク・フィルの定期のない月曜とか水曜にあたると居留守を使うわけにもいかないが、それ以外は毎晩エイヴリーフィッシャーホールかメトロポリタンオペラハウスかはたまたカーネギーホールだな。だからもぬけのからというわけさ。でも後で考えると、外からの侵入というのはやはり考えにくい。同じビルの他の住人の子供たちの悪ふざけということだったのかもしれない。」
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S「なるほどね。それはそうとお河童さんの21階のお部屋の番号はSuite何番だったんだい。」
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河童「#21BBだね。」
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S「そうか。それで、Bad Boy だったのかね。Best Boy だったのかね。」
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1097- バッハ ミサ曲ロ短調 アーノンクール 渋谷・日曜・夜・雨・超満員2010.10.24

2010-10-26 11:15:27 | インポート


2010-2011シーズン聴いたコンサート観たオペラはこちら
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2010年10月24日(日)6:00pm
NHKホール
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NHK音楽祭2010
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バッハ ミサ曲ロ短調
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ソプラノⅠ、ドロテア・レシュマン
ソプラノⅡ、エリザベート・フォン・マグヌス
アルト、ベルナルダ・フィンク
テノール、ミヒャエル・シャーデ
バス、フロリアン・ベッシュ
合唱、アルノルト・シェーンベルク合唱団
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ニコラウス・アーノンクール 指揮
ウィーン・コンツェントゥス・ムジクス
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===タイミング===
Ⅰミサ
 キリエ
 グローリア
以上53分
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休憩20分
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Ⅱクレド
Ⅲサンクトゥス
Ⅳオザンナ、ベネディクトゥス
 アニュス・デイとドナ・ノビス・パーチェム
以上53分
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アーノンクールはたぶん初めてみました。昔のことはこうやってブログに書くという行為をトリガーにして整理中ですので、単に忘れているだけでもしかすると聴いたことがあるかもしれません。
バッハのミサ曲も以前聴いたことがあるのかどうか、節(ふし)を覚えるとかそういったことよりもっとプリミティヴな要素が多く、何度か聴いてもよくわからないでしょう。それよりもミサの中身をまずもっては先に理解が必要で、宗教関係に全く興味のないものとしては、この日の演奏をどう受けとめていいのか分からない以前に、テクストの日常的な理解が必須なわけです。
両方ともクリアしていないので語る資格があるのかどうかそんな前提ですね。
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前半のキリエ、グローリア、長い演奏でした。テクストに沿った長さに当然なるわけで、知らない者にとって字幕があればよかったと思います。千円で売られていたNHK音楽祭の一環としてのプログラムの内容では不十分です。
字幕があると、言葉と音楽の進行が、両方同じ方向を見ながら観聴きできるのでテクストを完全に理解している人でも、やっぱり字幕欲しいのでは。
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最初にプリミティヴと書きましたがちょっと誤解を招くかもしれませんね。その後の音楽の発芽萌芽の全てがここにあると感じました。これでもまだ誤解を招きます。バッハ以降の音楽は果たして前進であったのか。そのようなクエスチョンさえ感じさせるもので、発芽萌芽はこれまた正しい表現ではありませんね。ビッグバンの瞬間と今となにが進化しているのでしょうか。そんな感じ。
音楽表現のテクニック、楽器の古さ新しさを近代作曲家やインストゥルメント性能と比較論じてもあまり意味がないということがわかりました。このテクストに最高の宗教音楽をつけていると見た方がいい。
それにしても前半のキリエ、グローリア。なんと重くて暗い音楽なんだろう。アルノルト・シェーンベルク合唱団はたぶん何度か聴いたことがある。単独の公演ではなくどこかの来日オーケストラ公演の合唱として聴いているはず。この前半の重い音楽の主役はこの合唱団。いまさらなんですが、四部のピッチが素晴らしく、ステージの音場がグーンと上に持ち上げられたようになる。下が空白になり、舞台上部に均整のとれた声が引き締まって響く。昔、今でも鳴らせますがオープンリールデッキで上質のオープンテープを鳴らしたときこのような、持ち上げられ感覚、を味わうことが出来ます。音場が定位する、そんな感覚をこの日味わいました。
テクストに関して言えば、音楽をいくら真剣に深く聴いても、テクストの理解は深まりません。音楽以前の話です。その意味でオペラ同様、字幕必須でした。オペラのようなエンタメではない内容なので字幕で表現することは出来ず従って字幕なし、もしくは予算の関係で字幕なし、どっちにしろ、エンタメと同じように、このご時世、知らない人たちのことを前提にした取り組みが必要でしょう。
ワーグナーのパルジファルのファンは字幕がいらないかもしれません、また舞台も不要かもしれません、イメージが想起されるなにかがあれば済むだけです。でも、やっぱり字幕があるのとないのではイメージの膨らみ方やことの再認識が全然違う。それと同じです。
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後半も長い。でも前半と対照的で、音楽の動き、盛り上がり、が顕著です。ソロ楽器やアンサンブルとテクストの歌唱、そして合唱を含めた全奏全唱、それの繰り返し、リピートが音楽の熱を徐々に高めていくのは周知。テクストに沿い音楽の動きが速くなり昇華されて終わる。
たぶん、テクストの内容が音楽と一致、それも大雑把なものではなく、きっとオタマ一つの動きがテクストの一言ずつに精緻に絡み合っていると思われるが、個人的には楽譜もなければテクストももっていない。これってこの日、もったいない経験をしたということなのかな。
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アーノンクールの作り出すモーツァルトのオペラは好きではありませんでした。1990年代前半のことですね。没後200年のあたりにさかんに上演が盛り上がりました。NHK-FMなどでも集中的に流していた頃。それまでの流れるような演奏形式に慣れていたものにとって、アーノンクールのそれはかなりどぎつく、ピリオド楽器、古楽器、奏法、スタイル、でも、アーノンクールって突然出てきたわけではなくて、その頃日本に良く知られるようになっただけなんだと思います。だからよく知られ始めたのがモーツァルトで良かったのかなぁ、という感慨はあります。かなり個人的な思いではありますけれど。
この時期、トン・コープマンなどもダブります。バブリンのあたりに来日公演でモーツァルトの交響曲全部(?)を演奏したりしてました。バブリンだったので、全曲を何日かに分けて公演し確か全部、生中継された記憶があります。
ですので、どっちがどっちみたいなところもありましたけれどいずれにしろアーノンクールのスタイルはあまり好きではありませんでした。今考えると歴史の踏襲を実践していたことになるのでしょう。印象としてはコープマンはより時代考証的だったような気がしますが、実践していた音楽の種類の違いもあって簡単に決めつけるような話でもありません。
その後アーノンクールを避けて通っていたわけではなく、関心をしめさなかっただけです。他人事のような話ですけど。
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百聞は一見に如かず、なので、また今回の来日公演のキャッチコピーが「日本最終公演」とう変なもので、確かにご本人もプログラムにはそのように書いてありますけれども、それをわざわざ売りにするのもどうかと思います。そんなこんなでいろいろなことがあって、ようやく重い腰をアーノンクールの為にあげました。
この日は日曜日。渋谷の日曜夜、あいにく雨の中、客としてはあまりいい条件ではありませんが吃驚しました。NHKホールは立錐の余地もない、席が決まっているので表現だけにとどめますが、超満員、そんな感じの熱い夜でした。ブラボーコールも尋常ではなく、いくらNHK音楽祭の生中継とは言え、ブラボー声を録音に収める記念に来た人たちではないなぁとつくづく思ったのは、やはり鬼才ギョロ目のアーノンクールのピュアで説得力ありあまるバッハのミサ曲ロ短調を聴きに来た人たちなんだろう、それを目の当たりに観聴きしたいのだろうそのような熱い聴衆たちだということが肌から伝わってきたからです。
アーノンクールは80歳越えました。しかしそんなことは感じさせない余裕の音楽伝道師。大柄であのギョロ目で睨まれたら蛙でなくてもすくむのではないかそんなすさまじい目。
それよりもなによりも驚いたのはしなやかな両手の動きです。
棒はもってません。しゃくりあげスタイルですがあまり下まで深く落とさず、音の流れにウエイトを置いたものとみました。やわらかい。
それになによりも安定感がピカイチだと思います。書き込みだらけの譜面をいちいち噛みしめながら、でも全ては知っているような、あのような的確で柔らかい指示はあまりみたことがない。合唱、ソリストへの方向感が中心で、合唱ではほとんど一緒に歌っていたと思います。これが、バッハへの共感というものなんでしょう。ロ短調、淡くも暗い、それでいてしなやかな、多用される三拍子、最後の吹き上げ感、きっちりまとめ上げる全体俯瞰の構成感。どれもこれも素晴らしい。どのようなお客に何を伝えたかったのか、個人的には対象外だったかもしれませんが、その場にいて、そのようなお客たちとなにかを共有できた渋谷日曜夜雨ナイトでした。
最初に宗教に全く興味がないと書きましたが、では何故聴きに来たのか、と問われれば、やっぱり音楽が好きだから、としか言えませんね。
おわり

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1096- サンティ 堤 N響 メン4 ドヴォコン 2010.10.23

2010-10-25 16:03:44 | インポート


2010-2011シーズン聴いたコンサート観たオペラはこちら
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2010年10月23日(土)3:00pm
NHKホール
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メンデルスゾーン 交響曲第4番イタリア
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ドヴォルザーク チェロ協奏曲
 チェロ、堤 剛
(アンコール)
バッハ 無伴奏チェロソナタよりガボット
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ネルロ・サンティ指揮
NHK交響楽団
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堤さんはかなりそうとうひさしぶりに聴く。今では大変に偉くなられてしまい、チェロどころではないと思うのだけれど、協奏曲を聴けるということでそれなりに楽しみにしておりました。
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一言で言って、
濃すぎ
です。
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一つ一つの音を噛みしめて弾き、顔の表情も昔よりかなり豊かになり、ご本人の中ではすべて同期がとれていると思います。原因と結果は連動しているし、そのプロセスも完璧という思考形成に至るまでの長い道のりが少なからず垣間見てとれるところもある、ある意味確信的な演奏で、全てが自己の中で完成している、もしくは、自己の中にあるものは完全である、そのような説得力のある余裕の熱演でした。
でも、このドヴォコンって協奏曲なんですよね。つまりオーケストラ伴奏を従えて弾くものなんです。
一つ一つを噛みしめ過ぎでテンポ感がぐっと落ちました。悪い話ではありませんけれども、オーケストラも含めドヴォルザークのわくわく感となにか郷愁をそそるような味わいと香りがきれいに消えました。ドヴォルザークの香りは消えましたが、かといって現代風なインターナショナルな感覚とも異なります。あえて言えば孤高の芸風。なにかバッハの無伴奏を楷書体と行書体の両方、ハイパーな感じで聴いているような錯覚に陥ってしまいました。
伴奏の方は、これぐらいの変動要素を全く問題としないオペラの達人の棒によるものですからクリアに響きました。
演奏後サンティは独奏者をたてるよりも、まず右側に位置したブラスセクションの方を向き喜んでいて、堤さんが左手からどうもどうもとせっつくまで気がつかない様子でしたから。この瞬間、微妙な空気感がありましたけど。なんというかソリストよりもサンティ自身が練習を重ねたオケの方をほめていて、その大気のバランスの居心地の変な雰囲気に少なからず聴衆から苦笑いが漏れました。老齢の天才指揮者の行動ですから全ては大きな目でみれますけれども。
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そんな具合でしたが、今日のドヴォコン、聴いて良かった。という感じはあります。
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前半のイタリアについては、例によってサンティの暗譜棒の完璧さに打ちのめされます。前の晩聴いたアルミンクとは棒のテクニックだけでなく、音楽の深度にも相当な開きがあります。年齢ダブルスコア以上の開きがありますね。オーケストラのメンバーもわかっているのではないでしょうか。
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それで、イタリアの表現ポイントは、リズム感と遠近感。サンティの暗譜棒は、インストゥルメントへの入りの指示だけでなく、このリズム感と遠近感まで示すもの。完全に身についてしまっているので、せわしないところが全くない自然な指示。全てを一度自分のものとして吸収し、そこから自分自身で再生成しているのでフリの為のフリに陥ることがなく、共感の先だし棒なんですね。圧倒的だと思いました。
冒頭からのリズミックで軽快なテンポ。そして音の出し入れ、めまぐるしいほどの遠近感。これ収録録音ではでませんね。第4楽章も同じ。リズムの塊の音楽に歌を絡めた奥行き感のあるもので、またN響の特にウィンドの粒立ちが小気味よい。
たしかに、サンティの作り出す音楽というのは小気味よい。けれんみがない。あっさりしているのではなく、さっと切り上げたり、さっと進んだり。もちろんイタオペではよく歌いますよ。でも歌う個所はソリストが歌っている伴奏個所です。オケで流すだけのところはあまり耽溺しない。これシンフォニックな作品にもあてはまると思います。録音になってしまうとここらへんの香りが消えてしまう。テンポの派手さとかに特徴のある指揮の場合残りますけれど。
録音に香りの足跡があまりつかない演奏をアルチザン的、職人的な芸風がすごかった、などと実演を聴いたこともないのに昔の棒振りを回顧したりしますけど、これ間違いかもしれないんですよ。やっぱりそのシーン、現場、時代、トレンド、そんな息吹をしっかり感じながらいれる場所から発信してほしい。誰に言っているというわけでもありませんけど、その時代の音楽シーンに居合わせるって大事なことですね。
だからかどうか、オペラハウスやコンサートホールがあって毎晩、火の吹くような演奏、オペラを聴いたり観たりできる土地の人たちって、いくら著名であっても歌わなくなったり振らなくなったり死んでしまったり他へ移ってしまったり、なんかするとあっというまに関心が無くなりますからね。飽くまでも自分たちの今の音楽シーンが大事というか、そこで生で観聴きできるものこそ一番大切なものなんですね。ある意味、聴衆は演奏家にとっては残酷な集団なのかもしれない。でも、そうすることによってしか先へ進むことが出来ない。そうゆうことだと思います。
サンティの棒はいろいろなことをおしえてくれます。
それと今日のプログラムは順序を変えた方が良かったと思います。
おわり

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1095- アルミンク レーゼル 新日フィル2010.10.22 リーム、ベトコン4、ベト8

2010-10-24 11:19:04 | インポート

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2010-2011聴いたコンサート観たオペラはこちら

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2010年10月22日(金)7:15pm
すみだトリフォニーホール
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ヴォルフガンク・リーム 変化2
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ベートーヴェン ピアノ協奏曲第4番
 ピアノ、ペーター・レーゼル
(アンコール)
ベートーヴェン 6つのバガテル作品126~第6曲
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ベートーヴェン 交響曲第8番
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クリスティアン・アルミンク指揮
新日本フィルハーモニー交響楽団
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このオーケストラの定期会員ですのでアルミンクの棒はよく見ますが、最近、ちょっと違うかな、と思い始めました。端的に言うと、指揮が板についていない、ということです。
いろいろな曲をやってくれるのでいいのですが、曲のことが身についているのか、一度頭の中で噛み砕き、それを再生成しているのか、その部分、疑問に感じるようになりました。
先週、ネルロ・サンティの天才的棒を観るにつけ、その違い、レベルの差に、さらに強く感じてしまいます。
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譜面を見ながらしっかりと振っていますが、特定楽器への指示はほとんどありません。別にそれが悪いわけではありませんが、なんだかフリで精いっぱい。曲を自分のものにしていないようにみえます。今日はベートーヴェンだからだったのかしら。
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後半の8番の第一楽章の一拍子振りはいいのですがこの三拍子、板についていないなぁ。あまりにもぎこちない。音は出てきます。プロのオケですのできっちりと踏み外すことなくでてきますよ。曲が曲なので大変なのでしょうけど、前進性がない。前に進む力が感じられない。垂直に立っている感じ。むしろ後ろに傾斜してのけぞっているイメージ。のけぞって前進。これはこれで面白いわけではありますが。
それにしてもこの8番、大変に面白い曲だとつくづく感じます。7番の次で9番の前。
7番までと明らかに違いますからね。フルヴェンがあまり振らなかったのもなんとなくわかりますね。喜遊曲みたいなところがありドラマがないというか、フルヴェンの表現に合わない曲、ベートーヴェンにしては。
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前半2曲目の協奏曲を弾いたレーゼルはルプーの代役。ルプーの集中度を聴きたかったのですがキャンセルとなり、この前紀尾井で聴いたばかりのレーゼル。曲も被っている。
レーゼルの印象は紀尾井のときと同じ。ここ
息をのむ瞬間が欲しい。
紀尾井のときと違うのは新日フィルのオケの充実度。はっきり言って紀尾井とはレベルが違う。アルミンクもこの曲は振りやすいのか、滑らかなで深い表現となっていたと思います。その意味においてコントロールは万全でした。
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一曲目のリームについては、詳しいところはわかりませんが、閃きのある曲だと思いました。光と影、盛り上げ、オーケストラの多彩性、はやる曲なのかどうかというところはありますが、今、はやる曲である必要があるのか、といった根源的な問題も現代の音楽にはありますので、とりあえず、見守り。
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書き忘れました。
8番の第2楽章などに見られるウィンドの太い帯のような流れるアンサンブルハーモニーは見事でした。細かい強弱のニュアンスも美しく、聴いていて気持ちが良かった。なにか洗い落とされるようないいアンサンブルだと感じました。
おわり

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1094- 六本木古参鮨めぐり 桝よし はまもと 蔵六 脱線昔話

2010-10-23 12:02:26 | 六本木にて

この8月は六本木の寿司屋を歩いてまわりました。
金額は二人分です。
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●8/4(水)お寿司処 桝よし 19000
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●8/10(火)鮨 はまもと 21000
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●8/30(月)蔵六鮨 42000
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この3軒で一番食べ応えがあったのは桝よしです。
話を聞いたら、お河童さんが六本木で遊び始めた頃よりずーっと前からやっているみたいです。昭和四十何年からって言ってましたから。
雰囲気、賃料のかからない、お寿司の事だけに集中できていそうなお店でした。
おつくりからいただきましたが、とにかくデカイ。
ザク、ザク、ドカ、ドカ、です。
どこのオヤジも美人には弱いのでそのせいもあるでしょうけど。
それと、味も、そのまんま、という感じ。
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最近のラーメンってトッピングだらけ、やたらと値段が高いですよね。
お飾りだらけのラーメンはあんまり食いたいと思いません。
そんなときは、無地の東京ラーメンが一番。
そんな感じの寿司屋さんです。
昔話、といっても20~25年ぐらい前の話ですが、花が咲きました。
楽しかったですねぇ。ネット、食べログ、ほぼ無縁の世界です。
場所は俳優座裏通りです。
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はまもとは、2~3ヶ月に一度、行き当たりばったりで顔をだします。
夜中までというか朝までやっているので、使い勝手がいいですね。安心して夜中に顔を出せる雰囲気もありますし。ここも古くからあります。
ここ、昔、はまよし、って言ってた?
ビル階上にたしかシャンソンのお店があって一度拝聴した記憶があります。ごく昔、会社の部長と。
手前の小道を挟んだところに今はない大八ラーメン、向いが深淵の、纏鮨。
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このはまもとも永い。
四五年前に一度だけ、先代の女将?と、昔話で盛り上がったことがある。かなり古かった。
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ちなみにこの通りは
自称、お河童通り、
と言って、バブルのころは毎晩地固めしてました。
遠につぶれた山●証券の愚息と毎晩よく遊びました。
そのうちその息子はまた海外出張となり、それで晴れてお河童天下で、やっぱり一人で遊んでいたような記憶。
今思い出すと、なんで一人で遊んでいたのかな。よくわからない。
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このお河童通り、ハリントンとかニューヨーク・チェンバーって、いまだ健在ですよね。昔からありました。
バブリンの頃、ハリントンの一階のバーにウィスキーを4種キープしていたことがあったのですけれど、あれって、私ばかよね。
一番気に入っていたのが、スキットルのような形をしたグレイなエルジン。セメダインかコンクリートを飲んでいる感じで良かったですね。この当時、既に脳みそは溶解していたのかも。
ここのお店発のスタッフは今でもお付き合いさせていただいております。客は殺さず生かさずの典型的な良い事例でしょう。
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あと、一頃、魚芳というお店がビルの一階にありました。このビルはもっと前、確か一軒家の魚屋さんの残像があるのだが。
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一昔前には、ビルの二階にリンガフランカというイタリアンのお店がありました。半分、サッカーレストランみたいなところもありましたが、せわしなくないときは、小味のきいたイタリアンをしっかり食べましたね。ここ結構通いました。誰と?
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あと、お水の花道で使ったタトゥー東京は、全然その後の話です。どっちにしろ今はありませんけど。
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今はミッドタウンになっている防衛庁の正門には、深夜になればなるほど、タクシーの山でしたね。
電話で呼んでもかなり難しかったので、お店の人にブランド会社の名前でとってもらってました。
今は夜中にあくびして背伸びをするとタクシーが3台ぐらい寄ってきますからね。変われば変わるもんです。
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このお河童通り、閑散としていた時期もあったのですが、最近、また少しずつお店が出来てきました。
よく、隠れ家、などと言いますけれど、お河童さんにとっては暗闇に目隠しをされても言い当てられますゎ。
ここらへんの隠れ家食いもの屋さん、味的にはどうってことありませんので、隠れて悪いことをしたい人にはいいかもしれません。
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蔵六鮨も古いお店でたぶん三十年前後やっていると思います。ここの難点はいつ行っても高すぎること。纏鮨ほどではないと思いますけれど。
早い時間帯は同伴が多いですね。六本木の同伴族は、♂♀ともに鮨とかはあまり詳しくなくて、とにかく、いいものは高い、もっともそれも一理ありますので、そんな感じで楽しんでいるのでしょうか。
ボーナス時期になれば、同伴の♂が札を♀に散らかしていたのをみたこともあります。(千円札でしたけど)
カウンターが2個あるので、盛り上がりの時期もありますね。今はほんとたまにしか敷居を跨ぎません。
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その昔、ふった女がふるずっと前に、日本で子供の頃のどぐろを初めて食べたのがここの店だったの、みたいなお河童さんの弱点をまるで知っているかのような仕草でクロスされ、そのとき初めて入ったのですがあれは何年前だったのでしょうか。確かにうまくておいしくて、バリエーションに富み、いろいろと食しましたね。二人分で五万円オーバーでしたけど。
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結局のところ、ふったのは女の方ですよ。
お河童さんからふるなんてぇのはありえない。
いずれにしても昔話です。
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今、何の話を書いているのかわからなくなりました。
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六本木の続き話はまたいつかということで、
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(注:昔話は記憶だけで書いてます)

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1093- 華金 華土 華日

2010-10-22 11:31:19 | インポート

先週は濃すぎで、9日間で9公演行きまくり。
オペラ5個。オーケストラ4個。
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今週は今日の華金から3連続です。
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●10/22(華金)19:15 アルミンク 新日フィル
ルプーがキャンセルのようで、この前、紀尾井で聴いたレーゼルが弾くみたいです。
曲も同じでベトコン4。
紀尾井のときの演奏はあまり感心しませんでした。
ネットでは賞賛の嵐ですが。
みなさんもお河童さん同様、別のところにも耳がついているのでしょうか。
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一曲目がリームで、後半はベト8ですので、今日はちょっと弱い。
飲み会があればそれを優先してもいいかなという感じ。錦糸町ではなく。
定期会員ですので、席が欲しい人がいれば差し上げます。
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●10/23(華土)15:00 N響定期
先週のアイーダの公演に続きサンティがタクトを袖の中から出します。
メン4とドヴォコン。チェロは堤剛です。聴きどころは前半のような気がしますけど。
それと、来週のサントリーのオール・ベートーヴェン・プロは聴きものでしょうね。
N響の定期は二本もっているのですが、サントリーだけもってません。でも手に入れました。
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●10/24(華日)18:00 アーノンクール
この指揮者はかれこれ20年ぐらい前に突然日本で名前が売れ始めたと思うのですけれど、
モーツァルトのオペラを古楽器で蹴あげる感じで、最初からタイプではなくで、CDはたぶん1枚持っているかもしれない。
1/20000 枚です。
指揮者の事を知る前の1980年代、フリードリッヒ・グルダの伴奏指揮だったと思います。
今回、「最終来日」という変なキャッチコピーにつられました。
10/24がバッハのミサ、10/30が天地創造、とりあえず両方聴きます。
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ということで、まぁ、コンサートも楽しいのですが、「その後」の「考察」が欠かせません。
「その後」というのは、もちろん演奏が跳ねた後の同じ日です。
どこで「考察」をするのか、それを考えただけでも浮足立ってきますね。
やっぱり、バーとかで一人静かに浸る。それか連れと鮨屋で引き攣る。どっちかでしょうが。
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昨日のブログにバーを少し新規開拓したのものを載せてます。
クラキチ
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ザギンだけだと、ジジババになりかねませんから、アタラシモノズキの河童メソッドとしてはもっと動きまわる必要もありますが、

最近は飲むと、
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すぐ帰りたくなるシンドローム、です。
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バーは動き回っても二軒はしごするのが、関の山。
ハードリカーのオーダーも小難しいことは言わず、
「生かさず殺さずレベルでマスターお勧めをください。」
といった感じ。
おかね的にも、からだ的にも、自分ながら的を射ている注文だと思うのですけれど。
同じお店に足繁く通わせる為には、こうでなければなりませぬ。
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あまり遠出のバーめぐりはしませんし。
一回こっきりだと味気ないですし。
まぁ、ほどほどに毎晩殺されていただいている、そんな感じですかね。
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そうなると「考察」、演奏レビューはなかなかできません。
アルコールとともに頭は溶解していきますので。
でも、これは四半世紀前に思って実行していることなんですが、
その日のうちに演奏の感想は書かない。
ブログにもたくさん載せてますが、その日のうちの感想はありません。
頭の中で、一二日ぐらい熟成させる。そうすると割と冷めてきて感情のみの美文に走らず書くことが出来ますから。
ですから、当日は考察を頭の中でして、口はアルコール漬け、しばらくしてノリのいいときに一気に書きまくる。そんな感じ。
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それと、書くときは、物を見ません。
ネット検索でも事典でもいいのですがまぁしませんね。
調べて書き始めると、非常にノリの悪い文章ができあがってしまい、子供の論文みたいになってしまいかねません。ので。
ですのでブログの駄文以上のものはお河童さんは書けません。これで精いっぱい。です。
昔の堆積物を同時に頭の中から掘り起しながら書くのは、これはこれで楽しいものに違いありません。間違いない。
おわり


1092- ネプラスウルトラ  ミッドナイト

2010-10-21 22:57:05 | 六本木にて

あれ、クラキチさん、やっぱり、六本木が落ち着きますかぁ

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たぶん、今年は、二回目、ぐらい。
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男二人で、バーはしご、2軒目でした。
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ブルータスの掲載記事を見て来た、と言っても、
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笑われてしまうぐらいですけれど、
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でも、あのグラビアサイズの吉高さん、タイプ。
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吉高さんの席には座りませんでしたけれど、雰囲気あり。
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軽く、2杯ずつ飲んで、おひとり様五千円也。
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でも、なんで、赤坂の、ホワイト・ラベル、のスタッフもいたのかな。
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ミッドナイトはエニシング・ハプン?
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1091- 重くも広い ル・パラン

2010-10-21 22:38:32 | 新宿にて

あれ、クラキチさん、また新宿三丁目のバーですか?

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ブルータスに掲載された「20年通えるバー」を探して2010年10月中旬、
オペラパレスでアラベッラを堪能したあとうかがいました。
初台からは地下鉄一本ですね。

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新宿三丁目駅のC5出口を出て2ブロック目ですので近いのですが、
末広亭の隣とはいっても肝心の入口のエレベーターがよくわからない。
一回行ってしまえば問題ありませんけれど。

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三丁目はどうも外の猥雑さが、好きな人は好きなんでしょうけれど
お店以前に、この街嫌い、という人がいてもおかしくありません。

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街は好きなんだけど、
二次会はタイプの女性と二人でタイムスリップしたい、なんていう人もいると思います。

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子供たちがいなくなった夜中にお店だけ目当てに溶け込みたい、そんな人もいるに違いありません。

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いろんな人がいると思いますけれど、とにかく行ってみなければ話にならない。間違いない。

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割と大箱で、なによりも空間に余裕があるところがいい。
カウンターでゆっくり飲める。
全てのサイズがひと回り大きい感じ。いいですね。

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ハードリカーは少し無理があります。ローマはローマ、で。

カクテルを3杯とウィスキーストレート半分特盛り?

例によって、並行オーダー、並行飲み。7千円弱也。

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今度は音楽のお話でもしようかな。

連れと二人でおいしいお酒を飲みながら埋没するのが一番、みたいな感じ。

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カップルや男どうしでもいいのですが、何人か集まると大概、
食べるのが好きな人がいるもので、そんなとき、カルーソーなんかもそうですけれど、
食べるものがないとあまり長居はしない傾向にあるかと思います。
ここらへん、お店お客双方ともにいいことなのかもしれませんね。

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バーの選択って、状況によって変わるしそのバリエーションを自分で楽しめばいいわけですね。

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ここはもしかして、BGMに、

シェーンベルクの弦楽四重奏曲第2番、とか、ツェムリンスキーの抒情交響曲、あいそうな感じ。

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1090- 神楽坂 サンルーカル・バー

2010-10-21 22:14:52 | 神楽坂にて

あれ、クラキチさん今度は神楽坂に神出鬼没ですか。

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銀座テンダーつながりで、久しぶりの神楽坂へ。
2010年10月中旬、初台のオペラパレスでフィガロの結婚を観劇した後、初めてうかがいました。

初台とは直接線路つながりがありませんけど、東西線神楽坂駅1番出口をでて早稲田通り跨げばすぐです。駅を出て10歩ぐらいのところにあります。
ここらあたりは住所番地のプレートが家々に貼りついておりませんので土地勘、大切ですね。

この日の一カ月ぐらい前にテンダーにうかがったのですけれど、上田マスターは心なしか以前より元気が減っていると感じたのは、サンルーカルに少しアドレナリンをとられたからかな、などと余計なお節介の邪念は横に置き、それでもサンルーカル初席で注文し少しトークをしていても、新橋マスターがかなり遠慮気味というか、まだ地に足が十分にはついていないようなそのようなアトモスも感じられ、やっぱり独力で全ての事に配慮しながら物事を進めていくのはそんなに生易しいものではないのだろうということを感じた神楽坂イヴニングではありました。
気を抜きたくなる瞬間瞬間が何事につけでてくるものですが、でも、イージーに流れてはいけないと思います。今の緊張感に、ある種大胆さ、自信というものがつけば鬼金棒、これからそのような躍動感ある姿を見れる日も近いことでしょう。

ということで、カクテル3杯とウィスキーストレートハーフ特盛り?。
お河童さん特技の並行オーダー、並行飲みで、約7千円也。

入店したときインディーなお客が別々に2名。
お河童入れて3名になったわけですけれど、カウンター席は7席ほどで、ほどなく埋まりました。
男二人組客とあとは男インディー客が5人でフル。
ちょっと別な空気が流れましたが、徐々に退け、
お河童さんが帰るころには女性のおひとりインディー客も姿をあらわしたりして、
まもなくディープな神楽坂ナイトが明けてくるのでしょう。

フィガロの結婚がまるくおさまったあとはこのようなお店がいいのかもしれません。
おわり

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1089- エンリコ・カルーソー 新宿カルーソー Caruso

2010-10-20 22:56:57 | 新宿にて

おや、タベログのクラキチさんが、新宿方面のバーにも神出鬼没し始めた模様。

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ブルータスに掲載された「20年通えるバー」を探して2010年10月初旬の土曜日に初めてうかがいました。
この日はコンサートを二つはしごしてそのあとの闖入です。
地下鉄新宿三丁目駅のC5出口を出てすぐですので迷うこともありません。

2階の濃い入口をあけるとこれまたかなり濃い作りで暗さに溶け込みます。
店長は、雑誌の説明からもわかる通り、濃いイタオペ・ファン。

シャンパン、カクテルがメインのお店だと思います。
ウィスキーはストレートで飲む人にとってどこで飲んでも同じであり、だから品数、バリエーションをそろえるか、わざと偏りをみせてコアな感じを作るなど、手だては味以外の事のウエイトが高くなりがち。
カクテルは、腕が勝負ですね。お店ごと、作り手ごとの味の違いや硬さ柔らかさ、奥行き感などいろいろな味わいを楽しめます。

お店の内部のつくりが凝っていて、暗い光とよく合う。シックな趣です。
そんなに大きなお店ではありませんが、隣との間隔をつくってくれるようなところがあると感じました。
また、流れている音楽は当然イタオペ。お客さんも愛好家が多いに違いありませんね。いい時間を過ごすことが出来ました。

カクテル3杯とウィスキー1杯で6~7千円ぐらい。

クラシック音楽を好きな人には店長が優しく寄り添ってくれます。
アフターエンタメでみんなで、今日の演奏はどうだったこうだったという盛り上がりが欲しいときはこのお店で。

間違ってもシェーンベルクの弦楽四重奏曲第2番が流れてくるようなことはありませんので。

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1088- 頂点の棒ミスターS シュベ8 ブル7 読響2010.10.16

2010-10-19 00:05:20 | インポート

101016_200501


2010-2011シーズン聴いたコンサート観たオペラはこちら
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連日連夜ほぼ9連ちゃんのトリはミスターSです。
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2010年10月16日(土)6:00pm
サントリーホール
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シューベルト 未完成
ブルックナー 交響曲第7番
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スタニスラフ・スクロヴァチェフスキ指揮
読売日本交響楽団
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大変に緊張感のある見事な演奏でした。
まず、指揮者の登場前から空気が変わりつつあった。ミスターSの登場でホールの空気感がまるで変わってしまった。
それまでも彼の棒のときはこのような傾向があったわけだが今回はさらに著しい。
空気が変わるというのは一体どういうことなのか。緊張感があるというのはどういうことなのか。
結局のところ、演奏者も聴衆もみんな一人の個々になって自分を認識するということではないのか。
100人のプレイヤーが全員じーっと指揮者を凝視している。一番長く凝視していたのはシンバルとトライアングルで間違いのないところではあるが、他の人たちも雑念をぬぐい去り静かに指揮者を凝視している。一人ひとりが見つめることによって自分自身と対峙している。まことにもって不思議で浄い瞬間の連続であったと思います。
果たしてアンサンブルというものは、まず個々の清らかな澄みきった無意識の心の自律から始まる。自己を見つめて透明度を増した音たちを起点として絶妙なアンサンブルの集積として構築されていく。美しい演奏でした。
聴衆も同じです。みんな個々になった。一人ひとりが曲の表現者の真髄に静かに対面する。余計なものは忘れ去られ何かピュアなものが意識するしないにかかわらずさらに浄化されて心の耳に響いてくる。音楽作品の共有以上の、ある意味共同化作業の一役を担っているような不思議な体験となる。
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これ以上美しいプログラムがあるでしょうか。未完成の美しい響き。ブルックナーの圧倒的な極限美。ミスターSが全てを成し遂げたと思います。
前日のサンティ、N響による過酷な練習成果のアイーダ。まさに双璧のような演奏がこの日繰り広げられました。
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ちょっと記憶が飛んでますが、ミスターSの棒によるブルックナーの7番を聴いたのは今回たぶん3回目だと思います。前回は2005.4.18でした。
印象は前回と同じ方向です。今回のタイミングはだいたいこんなところ。
第一楽章:21分
第二楽章:23分
第三楽章:9分
第四楽章:13分
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タイミングは横に置いて、この日の演奏でまた強く感じてしまったのが曲の問題点。つまり第四楽章の弱さ、です。この点は前回の演奏でも同じく感じましたが、今回はより強く感じました。ミスターSが曲の構造をあまりにも見事に彫り起こす為、そうすればするほど第四楽章のアンバランスが浮き彫りになる。
第四楽章は展開部における深彫りが少し足りない。第一楽章の展開部と比べれば一耳瞭然。
提示部第三主題までと展開部、それに再現部コーダ前まで、この三つの要素が同じような比率の長さで、測ってませんので耳測になるんですけれど、そのように感じます。もう一回展開して十分な音楽の万華鏡を魅せてから再現部で第三主題まで再生成、熟成した方が第一楽章第二楽章との釣り合いが取れると思います。
第三楽章で動きをみせて、第四楽章でも第一楽章とは異なる動きが活発になるのでこの後半2楽章のアンバランスはミスターSの棒によりさらに明確になってしまう。但し第三楽章のスケルツォ、トリオの展開はこれで十分だとは思いますけれども。
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とどのつまり、演奏が曲を超えてしまっているというのはこのようなことを言うのでしょう。
ムラヴィンスキーでも同じような現象をみてとれます。ここ
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タイミングは合計で約六十五六分です。
老齢になってテンポが遅くなった、等という言葉はミスターSの場合87才にしていまだ無意味なところではありますけれど、今回聴いた感じではかなりスローテンポになったように聴こえました。未完成でも同じです。どうしてかというと、
音が敷き詰められているんですね。
第一楽章の3個の主題を聴いただけでよくわかりました。ボーイングとかそのようなことではなく、オタマが譜面のバーギリギリまでおろそかになることなくきっちりと均等のまま弾かれていると思いました。ブラス、ウィンドも押し並べて同じです。空気が変わる、というのは厳しいトレーナーの耳のおかげなんですが、それだけでなく指揮者に対する敬意、尊敬の眼差しがなければこのような一体化したサウンドは出てこないわけでして。
それで、この均質な滑らかさが端々まで十分に音楽を聴かせてくれるためスローに感じたに違いありません。
ここでのテンポ設定もあまりにも見事でした。第一楽章は序奏もなにもなく霧の中から第一主題が現れます。緊張感をはらんだ見事なしなやかさなんですが、このテンポを基底として第二主題はやや速めにこれまた柳のしなやかさで歌います。ここもお見事。そして動きの激しい第三主題はさらに速度を速めたブラスの爆発。この3個の主題の特性の把握、お見事ですね。
今回、より強く感じたのはそれぞれの主題へ推移する際の経過句の味わいの深さ。主題変遷をいきなりテンポ変化させるのではなく、この異常に味わい深い経過句の敷き詰められた流れ。ワーグナーのオペラでは間奏曲や場面転換の音楽に味わいがありますが、それをいかにうまく表現するか。このブルックナーにおいてはミスターSがこれ以上ないお手本を示してくれたわけです。
このようにして名演奏は出来上がるのか、といったところですけれど、このような空気感はその場にいなければわかりません。音楽の色つや、響きの出し入れ、最新のメディアでもとらえきれないものですね。
経過句の白眉の頂点が第一楽章結尾で完璧な姿で出てきます。つまり再現部を経てコーダに突入する直前の入念な入り。あまりの美しさに息を飲みこみました。このような美しい演奏は聴いたことがない。
コーダそのものの一番美しかった演奏体験は、カルロ・マリア・ジュリーニの棒、ロスアンジェルス・フィルのものです。ブラスと地響きする弦の中、これ以上ない高潔なトランペットサウンドが短いアウフタクトで3度4度奏されるあの響きは天国か。この日のミスターSのこの経過句の美しさはジュリーニに匹敵するものであったと確信しました。
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ということで、他の楽章も美しさの極致ですので押し並べて同じということで軽く。
第二楽章のアダージョも緊張は持続します。第一主題第二主題ともに味わいが深すぎる。全く弛緩しない。このような美しく再現された音楽表情を聴けるチャンスはあんまりないと思います。
第一楽章から舟を漕ぎっぱなしの定期会員が第二楽章のシンバルとトライアングルで目覚めましたが、何しに来たのかという愚問よりも今後、心の耳が早めに目覚めることを祈っております。
念には念を入れたワーグナーチューバが最後に長調で解決するとき、ぶ厚く敷き詰められたホルンの深い響きの中、弦がコクのあるピチカートでこの楽章を閉じます。厳かな瞬間でしたね。
第三楽章はハンコ状態なんですが、トリオのあとの2回目のスケルツォの方が若干スローな感じがしました。ハンコではなかったと思います。最初のスケルツォでピアニシモのトランペットがちょっとミスりましたが、ラッパをいくら睨めてもそこにいるのは一人の自分なのです。
この楽章のトリオは弦が本当に敷き詰められたようなフレーズを繰り返します。ボリューム感がありウィンドとの対比を明確に再現します。いつまでも続いてほしかったトリオということになります。
第四楽章は最初に書いたとおりで、構造を追えば追うほど物足りなさが露呈します。同じソナタ形式の第一楽章との大幅なタイミング相違は音楽の動く表情の相違だけでなくやはり内部の展開がもうひとつ欲しいと強く感じさせます。
第四楽章のコーダで一番見事な演奏というのはフルトヴェングラーの棒のもの。個人的には。
あっという間に昇天します。この音楽のあるべき姿のような気がします。
ミスターSの演奏は飽くまでもインテンポで押し切る。これです。最後の最後で彼の昔からの特性を思い出させてくれました。
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前半の未完成。当日はこの曲から始まったわけなんですが、インテンポだが柔らかい。インテンポの方針の指揮者としてはギュンター・ヴァントの剛直なまでの演奏が忘れられませんが、ミスターSはそれに柔軟な響きを付け加えている。柔らかくなりました。前後しますがブルックナーの演奏スタイルと同じです。
第一楽章の提示部はリピートします。美しさの深淵がさらに深まります。第二主題冒頭をメゾピアノぐらいほどで歌わせるのが印象的です。抑制の美学とでもいいますか。
敷き詰められた音がしなやかに歌います。
第一楽章、第二楽章ともに三拍子系。第三楽章があればスケルツォ、トリオの三拍子系になっていたはずで、第四楽章は神のみぞ知るということなんでしょうが、第一、第二楽章だけでこの交響曲の美しさを堪能できます。三拍子でなければならなかったんでしょう。この美しさはたしかに三拍子の世界だけのような気もしますね。微妙にコクのある味わいの深いもので、全てのことをひとつずつかみしめました。
愁いを含んだ第二楽章の結尾の見事な表現はテンポ設定も万全。なにか田舎の夕暮れ時、うらぶれた中にもスタイリッシュな感覚をフィーリングするのでした。
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今日の空気感ではフライングブラボーもフライング拍手もありえません。みんなでその空気をつくっていたのですから。
未完成もブルックナーも余韻の端まで十分に堪能できた夜となりました。ブラボー。
おわり

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1087- アイーダ 神さま棒ネルロ・サンティ N響2010.10.15

2010-10-18 00:25:06 | インポート

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2010-2011シーズン聴いたコンサート観たオペラはこちら
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連日連夜のオペラ三昧。今日はアイーダ。
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2010年10月15日(金)6:00pm
NHKホール
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ヴェルディ アイーダ(演奏会形式)
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エジプト王、フラノ・ルーフィ(Bs)
アムネリス、セレーナ・パスクアリーニ(Ms)
アイーダ、アドリアーナ・マルフィージ(S)
ラダメス、サンドロ・パーク(T)
ランフィス、グレゴル・ルジツキ(Bs)
アモナズロ、パオロ・ルメッツ(Br)
使者、松村英行(T)
女司祭長、大隅智佳子(S)
合唱、二期会合唱団
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ネルロ・サンティ指揮
NHK交響楽団
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まずは耳が洗われた。この10日からトリスタン、アラベッラ、フィガロ、アラベッラと聴いてきて今日がアイーダ。オーケストラの水準がかなり違っており今日のN響には遠く及ばない。今日のN響は定期ですので演奏会形式のもの。舞台とは違いコンディションもよく音楽のみに集中できる強みがある。それにしてもこんなに違うのか。整理整頓以上のものがあります。またかなり入念で過酷な練習があったのは茂木さんのツイッターからも垣間見ることが出来ます。
神さまサンティだけがなせるきつい練習だったと思いますが、結果イタリアオペラの神髄をN響に移植したということなった。
膨大なイタリアオペラを暗譜でこなすサンティ。この日のアイーダも舞台の上に譜面台は無い。これからアイーダ全曲を譜面なしで振るなんて素人にはおよびもつかない。信じられませんね。サンティはほかの演奏会でもほとんど譜面はありませんので、音楽の天才にふさわしい指揮者であることは間違いのないところ。昔のジュゼッペ・パタネみたいな存在なんでしょう。
そのサンティが満を持してN響でのアイーダ公演。アイーダトランペットは左右3本ずつでしたが指揮者の意向により1本バルブのものを取り寄せたもの。歌い手についても好指揮者に好歌手が集まるということで間違いのないところでしょう。バンダは舞台左側。新日フィルのホルンの方もおりましたのでこちらは混成ということになると思います。
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それにしても高性能のN響サウンドは昨晩までの連日連夜のオペラ公演聴きまくりのオケとは明らかに異なり光り輝くイタオペサウンドがあまりに素晴らしくサンティも聴衆も大満足。拍手ブラボーが鳴りやまない一夜となりました。
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サンティの指揮するヴェルディのアイーダ。イタリアのアクセントというかイデオムというか、例えば強烈な突き上げのフォルテシモでフィニッシュするときテンポをせり上げる。ブラスのフォルテが鮮烈。ひきずらないフレーズ。サンティの特徴なのかもれしないが、そのままイタオペのイディオムといっていいのではないのかしら。普段、シンフォニックなイタオペを多く聴いてしまっているのかもしれない。
そのようなことを非常に強く考えさせてくれるコントロールの効いたもの、つまりこれがイタオペ権威の棒による日本の演奏団体への文化の移植にほかならない。
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アイーダの前奏曲は椿姫のようなわかりやすいものとは少し異なる。幕構成は4幕7場。
第一幕2場面と第二幕2場面を続けて演奏。90分ほどの長丁場。
歌い手はばらつきがなく満足のいくもの。アムネリス役のパスクアリーニは割と幅のあるメゾで存在感が大きく、アイーダのマルフィージと対峙するにはちょうどよい。
ランフィス役のルジツキは深みのある声で浮つかず正確な歌が好感。ラダメス役のパークは強烈なインパクトはもたないがイタオペ向きのテノールの響き。第一幕第一場から鳴りはサンティの棒のもと劇的緊張感を帯び最初からヒート。
第二場はなんだかあっという間に終わる。どの場面も緊張感があり一瞬たりとも弛緩しない。
第二幕第一場のアイーダ、アムネリス二重唱はどちらも素晴らしい。歌い手のコンディションも演奏会形式だと安定している。なんだかCD作りでいうところのライブ取りとセッション録音との違いのような雰囲気だ。
第二場の迫力はものすごかった。この第二場は全7場のうちちょうど真ん中の節目にある。サンティの棒は後ろから観ていてもその明確さがよくわかるのだが、この場の壮麗な響きにはやられました。全ての音がピットからではなく舞台の上からストレートに響いてくるわけで、舞台オペラとは違う音の華麗さを見せつけられました。N響のサウンドもいつもの比較的重い腰の動きがまるでなく、明るい響きで見ちがえるよう。
ここまででいったん休憩。途中の拍手、ブラボーは演奏会形式でも舞台のときと同じようにそれぞれの絶唱のあとで盛んに鳴り渡りましたが、一人か二人か知ったかぶりのフライング気味のブラボーがいちいち煩わしい。どこにでもあらわれるやからなんだね。
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第三幕のアモナズロ役のルメッツも負けず劣らず良い。結局ソリスト全員いい歌い手ばかりで全体バランスが非常に良い。サンティのものだろう。
アイーダとオーボエの絡みが美しい。ここのサンティはややもするとだんだんとおそくなってしまいそうな音楽をきっちりとインテンポで締めようとしている。感情に極度に流されないようしっかりと手綱を引いている。
第四幕にはいり一気に悲劇性を高める音楽。忍び寄るようなサンティの絶妙な棒。もつれる歌の間を隙間を埋めるようにすり抜ける。最後のアイーダとラダメスの二重唱も美しいものなのだがここだけは舞台で観てみたい。贅沢を言い出せばきりがない。
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結局、この巨大編成のアイーダをコントロールしていたのはサンティ一人であって、演奏者たち全員が各々サンティの棒をみている。茂木さんがツイッターで、練習のとききつくてよく死者がでなかったと自嘲気味に吐いている言葉からもうかがわれる通り、そうとうきつい練習だったんだろうね。今のサラサラした棒振りのうわべだけの演奏とは明らかに異なっていましたし。音の締りが違う。うねりが違う。
ヴェルディの移植には大変な練習だったんでしょうが、成功裏に終えたと思います。
トップのオーケストラが十分な練習を積み、悪コンディションのない演奏会形式で演奏に集中。歌い手も同様。オペラ公演とノリが違うとかどうとかいう前にこのような優秀な演奏会はめったにあるものではない。セッション録音と同じようなコンディションでやったものでメディア収録で繰り返し観聴きする価値が十分すぎるほどある公演でした。
おわり

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