河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。
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1466- ワーグナー「リング・サイクル」とタランティーノ「ジャンゴ 繋がれざる者」の関連

2013-03-14 23:34:05 | NYT

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ジャンゴ 繋がれざる者」にワーグナーの指環を絡めた批評がニューヨーク・タイムズに載ったのは先月2月のことで、日本ではこの映画の封切前でした。
3月1日公開となりましたので、この批評を意訳してみました。
(映画はまだ見ていないので細かいニュアンスのところはわかりませんが)
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ニューヨーク・タイムズの記事オリジナルはここ
こちらにもあります。
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2013年2月21日 ニューヨーク・タイムズ
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批評家ノートブック
ワーグナーのサイクル以前に、その伝説にはよく知られたリングあり
By ZACHARY WOOLFE

クエンティン・タランティーノの「ジャンゴ 繋がれざる者」、この映画のサウンドトラックにはエンニオ・モリコーネや、リック・ロスといったワイドビスタな響きがこだまする。
この映画の中で最も重要な音楽セレクションのひとつであるはずのものは決して聴こえてこない。それはワーグナーの「リング」サイクルである。
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五つのアカデミー賞にノミネートされたこの映画、ある晩二人の主役がキャンプファイヤーをしながら、ワーグナーの「サイクル」にもとづく昔話をしている。黒人の解放奴隷のジャンゴ(ジェイミー・フォックス)の妻はいまだに捕虜になっている。彼女の子供の頃の先生はドイツ人でブリュンヒルデと呼ばれていたとジャンゴは明かす。正確には、ブルームヒルダ・フォン・シャフトと言い、意味深い神話と漫画チックな陽気で現代的なブラックスプロイテーションを足し合わせたものだ。
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ジャンゴの新たな友、賞金稼ぎになったドイツ人の歯医者キング・シュルツ(クリストフ・ヴァルツ)は、ブルームヒルダを救う行動はより大きな文化様式への適合であると即座に気がついた。というのも、かつてブリュンヒルデと呼ばれていた囚われの身の女性を救った恐れを知らない若いヒーローがいたからだ。その名はジークフリート。
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シュルツは語る。「ドイツ人なら誰でも知っているよ」
神々の王を父にもつブリュンヒルデが反抗し、火の中に眠らされ、最も勇敢なものだけが彼女を救える、という物語のことを。これはサイクルの2番目のオペラ「ワルキューレ」の終結部、そして3番目のオペラ「ジークフリート」の始まりに位置している。この魔の炎の音楽は、このオペラで最も頻繁に取り上げられるところ。
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「ジャンゴ、繋がれざる者」では、今年の5月22日に生誕200年を迎えるワーグナーを明示的に示すのではなく、「ドイツ神話」の物語の源を示すだけだ。ワーグナーの「リング」を表立って出すのは時代錯誤だろう。ジャンゴの時代設定は1850年代後半で南北戦争前、1869年にミュンヘンで初演された「ラインゴールド」よりもずっと前。言うまでもなく1870年にミュンヘンで初演された「ワルキューレ」、1876年バイロイトで初演された「ジークフリート」はずっとそのあと。
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しかし、タランティーノはこの映画や作品のもとになっている時代錯誤的なものをほとんど切り捨てていない。今日、多くの聴衆がジークフリートとブリュンヒルデの物語を知っているとするなら、それはワーグナーへの熱烈な支持によるもの。つまり、「リング」神話を持ち込んでくるということは「リング」を持ち込んでくるということである。「ジャンゴ」にワーグナーを持ってくる理由は一体なんなのか?
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クリストファー・ベンフェイはニューヨーク書評のウェブサイトで次のように示唆している。在庫処分のビールを浴びせられているような「プロットの中に拡散しているように見える」シュルツ(すなわちヴァルツ)のドイツ語のアクセント、それを説明する試みとして始まったものであることを示唆している。「リング」物語はジャンゴの物語に、叙事詩のメモを加えたもので、クライマックスの大火災を予期させる。
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19世紀来、「リング」神話に関しては特別なアメリカ人がいると思われていた。アメリカの批評家ヘンリー・クレビールはかつて次のように書いた。
あたかもタランティーノを予期するかのように、アメリカ人は「これまでジークフリートのような人気ヒーローのキャラクターはもってなかった。祖先の故郷、家を奪った民族、たしかに男らしくて強くて、少し無鉄砲ではあるが、そんな伝説のヒーローの人気キャラクターは持ち合わせていなかった。」
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しかし、アメリカ南部の農場での反抗的な奴隷や激しい暴力行為の映画が、「リング」からの神話的な背景があるというのは、民族に関するワーグナーの見解が辛辣で反動主義的傾向にあることを考えると、少なからず奇妙なことではある。「ジャンゴ」におけるワーグナーの隠れた存在は、このワーグナー生誕年において、ワーグナーと民族に関する諸問題を余儀なく浮かび上がらせることになる。
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それらの見解にはいくつかの曖昧なところがある。ワーグナーは自著のなかで、自分の愛するドイツ人でさえ、複数の人種からなっていると認めている。彼は人種が「取り返しのつかないほどに異なる」と認めているが、白人の為に黒人を押さえておくといったメキシコの地における黒人認可のような平等の主張を嘲笑した。
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ワーグナーは1883年に亡くなっているので、彼の音楽がナチによって利用されるところを見たわけではないが、「リング」、「ニュルンベルクのマイスタージンガー」といったオペラは、ユダヤ人をモデルにしたように見える哀れみの泣きや執念深いキャラクターの描写があり、それはワーグナーの個人的所信の表れでもあるため、その暗い流れから逃れられるものではない。
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今、メトロポリタン・オペラで上演されている卓抜な新演出のワーグナー、気高い告別であるパルジファルでさえ、腐敗や堕落がないわけではない。音楽歴史家ジョゼフ・ホロヴィッツはこう書いている「要求される種の保存というのは「パルジファル」がもつれていく混乱のテーマで形成されている。」
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それでは、タランティーノによるワーグナーのこのかすかな気配は冷酷で無慈悲なジョークなのか。彼はそのイデオロギーの側面を無視して、単に物語に引き付けられただけなのか?たしかなところはよくわからないが、「ジャンゴ」は、今日ワーグナーに関する考察という観点でこの重要な役を演ずるべきだ。
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ある友が指摘していたが、ヴァルツは「ジャンゴ」で演じているのと同じくタランティーノの「イングロリアス・バスターズ」に同じような役で出ていると。格式マナーを持ったクレバーで多言語を話す殺人ハンターだ。
全く異なるのは、「バスターズ」ではナチの悪漢役、「ジャンゴ」では、我々がルーツと思っている誰か、我々サイドの誰かであるということ。
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激烈な奴隷反乱の物語に「リング」を絡めるのは、ヴァルツを円滑に奴隷廃止論者に変えていく前に、彼にナチの役を与えるのに似ている。
これらの並置は、我々が奴隷廃止論者と「グッドガイ」を見ているときにナチが映像にでてきて、ナチを呼び起こすため、両者をより深く考えさせることになる。
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同じ方法で、「ジャンゴ」は新たな予期しないアメリカ奴隷制度の文脈に「リング」を、この二つが不可分になるよう、入れさせることになる。
私たちは、ワーグナーの外国人嫌いの著書や、彼の作品の問題面等を忘れてはいけない。しかし、私たちは彼の音楽を回避するべきでないし、それを楽しむことが出来ければならない。
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タランティーノのこの映画は、意識しなくてもこのようなことを思い出させるので、我々がするべきことはというのは、気づくままにあれ、ということ。ワーグナーのオペラは歴史や政治の外に存在するものではない。レパージュの「リング」・サイクルのプロダクションは政治には無関心なものだが、4月にメトロポリタン・オペラにリングが戻ってきて、たくましいブロンドのジークフリート、ジェイ・ハンター・モリスが魔の炎にはいりブロンドのブリュンヒルデ、デボラ・ボイトを目覚めさせるとき、聴衆は自分たちの中に「ジャンゴ」を想起することになるだろう。

以上、河童の意訳。
おわり

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1457- Defying Wagner With Buckets of Blood メトのパルジフ

2013-02-14 22:45:20 | NYT

ニューヨーク・タイムズ2013年2月7日(木)の記事です。
メトの新演出パルジファルの初日は2月8日でしたので、記事はリハーサル等についての内容となります。
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NYTの2013.2.7オリジナル記事はこちら→ここ
ここにもあります→ここ

Par

左から、カウフマン、ダライマン、パペ、マッテイ

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大量の血でワーグナーに立ち向かう
CORINNA da FONSECA-WOLLHEIM 記
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月曜(2013.2.4)の午後、ヨナス・カウフマンは真っ赤に汚れた手で、メトロポリタン・オペラハウスの楽屋に立っていた。彼がタイトルロールを歌う新演出のパルジファル第2幕のリハーサル。メーキャップなしでジーンズによれたシャツという格好で、肌には舞台の上の血がついたままだった。
この演出には大量の血がでてくる。映画監督フランソワ・ジラールによるものでこの金曜日(2013.2.8)にメト初演出となるものです。(これはリヨン・オペラと共同制作になるもので既に3月に当地で初演済み)
第1幕では舞台を二分する乾いた河床を血で満たす。第2幕では床全体が、水とグリセリンと食品着色料で作られた偽の血、1600ガロンでおおわれる。
「このオペラはいたるところ血だらけだな。」ドイツのテノール歌手カウフマンは続けて、「これは治らない傷に関係してるんだから、この傷の中で第2幕をやればいいんじゃないかな。」
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1882年に初演されたパルジファルはワーグナーの最後の舞台芸術作品。寓話、儀式、哲学的な遺言でもある。ワーグナーは紫色のインクで書いたパルジファルを舞台神聖祝典劇Buhnenweihspielとしました。
ワーグナーはバイロイト以外でパルジファルを上演しないよう言い残した。バイロイト祝祭歌劇場は、オーケストラピットを覆い隠し、聴衆を暗さの中に陥れることにより、これまでにない没入と敬意を持った聴き方を作り上げた。今日まで、バイロイトにおけるパルジファル上演では最後に拍手はありません。(*そんなことはない。河童)
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スコアのコピーが密輸され、1903年にバイロイト以外ではメトで初めてパルジファルが上演されました。それ以来、誘惑に抵抗し聖杯騎士のパワーを手に入れる幕で、知識というものを得る「無垢の愚者」のドラマには解釈が要求されるようになった。
「パルジファルは監督してうまくいくようなもんじゃないんだな。」レッド・ヴァイオリンといった映画等で知れ渡るカナダの映画監督ジラールは言う。「5年間パルジファルの仕事をしてきたんで、今ならシアタースクールの連中に、なんで不可能な作品なのか講義できるようになったよ。」
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ジラールのパルジファルのビジョンでは、地球温暖化によって不毛になった世紀末後の世界を描いている。マイケル・レヴァインのセットについてカウフマンはこう言っている。「長年雨が降らず、地表に割れ目ができているアフリカのイメージなんだ、まさに。」
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前奏曲の間、聴衆がみるものは反射するカーテンに映し出される自分自身です。「レディース・アンド・ジェントルマン、さあ、あなた方自身の物語の始まり始まり。」ジラールは続ける。「これは自分自身の、哀れみと誘惑の根本原理、それに精神性を探すことに関するものなんだよ。」
ほとんどのパートはワーグナーのテクストに近いとジラールはさらに付け加える。「白鳥もいれば、槍もあれば、聖杯もある。」「第2幕はいつだって抽象的。暗黒の王子クリングゾルについては、それは意識下のものとして明らかにされる。アンフォルタスの深い傷の中に分け入れば、それは奥底の人間の血のなかにあって、結局は重心部分なのです。」
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第3幕でアンフォルタスの傷が癒え、パルジファルが聖杯の槍で国を再統一。そのアンフォルタスを歌うのはピーター・マッテイ。グルネマンツはルネ・パペ、十字架のキリストを笑った罰、幾世にわたる苦痛の輪廻から救済されたい誘惑女クンドリをカタリーナ・ダライマン、クリングゾルはエフゲニ・ニキーチン。
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ジラールによると、輪廻、自己犠牲、哀れみの啓発といったオペラのテーマはワーグナーの仏教的な魅力であるのは明らかである。ショーペンハウエルの著述を通して東洋の精神様式をワーグナーは知った。特に自己犠牲という仏教の理想はワーグナーの女神であるマティルデ・ヴェーゼンドンクへの手紙や、彼の妻コジマの日記の中に出てくる。
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ジラールのビジョンでは仏教徒の法輪は聖杯騎士により表現される。彼らは完全円の片側に座る。前のオットー・シェンクのメト演出でグルネマンツを歌ったパペは次のようの言っている。「閉じた円、騎士たちが打ち破りたいが出来ない、そんな円。」
パペはさらに言う。「それは、男の世界、喪失の感覚、希望、不連続の感覚。そういったものを表現している。他方、排除された女性の社会がある。彼女たちは絶えず新たな星座を作り続ける。男性の配置は安定したものであるけれど、貧弱なもの。4時間半後全てのものが一緒になり、人間的な音符で終わることになる。」
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このオペラは長大で、また180人におよぶ歌い手、ダンサー、エキストラが必要で、やむを得ずディテール部分の扱いをちょっとはしょった。とジラールは言っている。合唱メンバーにはステップごとに合図を送るのではなく、自発的な動きが出来るようにした。
テクストの詳細部分はそれぞれの役の間でやりとりをし、熱がはいった。古いドイツ語っぽくてなんだか曖昧な感じだったけどね。とカウフマン。
ト書きに関しては、指揮者のダニエル・ガッティがト書きの位置をうまく調整できるようにした。
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「この作品はみなさんより偉大なんだ。」とジラール。「それはエゴをみんな一様なものにしてしまうんだ。なんでかというとそれは残存する巨大な作品の中にくっつける以外選択肢が無いからさ。」(*意味不明。河童)

「いつでもこの音楽の美しさは圧倒的だよね。」とカウフマン。「これら全ての奇跡と全てのこの情熱が書かれているこの音楽はちょっと信じられないほどゴージャスで魅惑的だ。この音楽にみんな吸い込まれるよ。宗教に関心が無い人たちでさえ、この音楽を聴いている間は、なんだか宗教的になるんだよ。」

以上

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1449- A Foot-Stomping Night at Carnegie Hall ヤニック・

2013-01-24 19:49:00 | NYT

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そろそろ来日公演を行なうネゼ・セガン&ロッテルダム・フィル。注目の指揮者。
今日のブログはロッテルダムの話しではなくフィラデルフィア管のこと。前ブログの続きのようなものです。
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ネゼ・セガンは、音楽監督を務めるフィラデルフィア管とニューヨーク公演を行いました。
ちょっと昔話にそれますが、アメリカのビックファイブのうち、シカゴ響以外はニューヨークでも定期を行なっている。フィラデルフィア管、ボストン響、クリーヴランド管、ですね。
ニューヨーク・フィルは地元なのでエイヴリーフィッシャーで週4回の定期。シカゴ響は自分たちの特別意識があり、イベント的にニューヨークにくる感じ。
マンハッタンでこれらビッグファイブを聴いた場合、チケットが一番高かったのがシカゴ響、次が地元のニューヨーク・フィル、他3オケは結構安い。
それで今はどうか知りませんが、フィラデルフィア管はカーネギー・ホールで定期を行なった後、前にバスが待っていてそのバスで帰っていくのを何度かみたことがあります。ハードスケジュールというのもあるかもしれませんが、割と近い。
近いと言ってもそれは距離の話で、前ブログに書いたように、なんといってもカーネギー・ホールで指揮をする、それもこの光り輝くフィラデルフィア管を振って。これがほぼ究極の夢でなかったら何を夢というのだろうか。道のりは遠く、また、気の遠くなるような勉強と練習。
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1月18日(金)のニューヨーク・タイムズNYTに、前日のカーネギー・ホール定期の評が載りました。
携帯が鳴ったようです。
それから日本だと最近は全く普通になってしまったオケ連中による指揮者への足の踏み鳴らし。NYTの評では、学生オケを振った指揮者に対する感謝みたいなことを、このカーネギー・ホールで見たと書いています。Foot-Stomping
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オリジナル記事はここ
ここにもおいてあります。
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以下、河童の意訳
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ニューヨーク・タイムズ
2013年1月18日(金)版
カーネギー・ホールで足の踏み鳴らしが起きた夜。
アンソニー・トンマシーニ 記
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優秀な学生オーケストラ・メンバーが、霊感を与えてくれた指揮者に対し、コンサートの終わりに特別に敬意を払いたいとき、オベーションで足を踏み鳴らします。
木曜(2013.1.17)のカーネギー・ホールでのコンサートでそれと同じことが起きたが、相手は優秀な学生オーケストラではなく、フィラデルフィア管のベテラン・プレイヤーからであった。フィラデルフィア管の音楽監督1シーズン目のヤニック・ネゼ・セガン、この37才のカナダ指揮者に対する踏み鳴らしであった。
昨年10月(2012.10)にカーネギー・ホール・デビューをした際、大喝采を受けた演奏会は異常ともいえるものだったから、驚く様な話ではない。しかし、強烈な弦、均質で豊かなアンサンブルは決していいとは言えなかった。
この日、ネゼ・セガンが選んだプログラムは、ラヴェル、シマノフスキー、ショスタコーヴィッチ。1919年から1937年の作品で、騒然とした音楽の時代に、モダニズムへの取り組みを示すもの。ネゼ・セガンはまばゆいラ・ヴァルスから始めた。しかし実際はその冒頭部分を2回演奏するはめとなった。指揮者のキューで低弦がまさに演奏を行なおうとしたとき、携帯の着メロが鳴り響いた。着メロはヴァイオリンの演奏だった。ネゼ・セガンは演奏をとめた。一呼吸あり軽い笑いが起き、再度棒を振りなおした。しかし荒々しくステージから消えた彼を誰が責めることができるというのか?
ラヴェルはこの曲を「ウィンナ・ワルツの神格化」と見なし、雲がちりじりになるまで踊ろうとするカップルが、最初に「渦巻く雲」を見るように始めると書いている。ネゼ・セガンは、この日の演奏ではその雲はワルツを踊るようなカップルのものではなく、まるで「春の祭典」でさまようダンサーが踊るような、音楽の原始的なものを引き出した。ラジカルな破壊とバックで起こる不吉な出来事、その両方をラヴェルは表現しようとしている。演奏はスコアの華麗さと奇妙さその両方を鮮明に表現していた。
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ポーランドの作曲家カロル・シマノフスキーの作品は近年、一流どころの演奏家がますます庇護している。この日演奏された1933年作のヴァイオリン協奏曲第2番を弾いたレオニダス・カヴァコスのような優れた演奏家もそうである。シマノフスキーのほかの作品と同じように切れ目のない音楽が20分の間続く。フランス印象主義、ストラヴィンスキーのモダニズム、スクリャービンの神秘主義といった異なった音楽の趣向を誘う。そこにはポーランドの民族音楽の跡だけではなく、東洋の異国風なものへのヒントもある。
甘い音と暗い色彩の素晴らしいコンビネーションで弾くカヴァコスは、秋のような温かみと絶え間ないエネルギー双方をうまく表現した。
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休憩の後はショスタコーヴィッチの5番。この大胆で曖昧な作品は「長調の主題の提示(注)」を叫び続ける。だから一般的に指揮者はそれについて何か言うべきものを持っておいた方がよい。ネゼ・セガンはそうした。
第1楽章では、ネオクラシック風な構造の中に悲しみの感情を与えた。しかしそれはほぼ表現主義的に見える音楽から強力なものを引き出すことであった。第2楽章スケルツォは重い靴を履いて威嚇するような踊り。第3楽章では葬式のようなラルゴを表現、フィラデルフィアの弦はその墓のような美しさをコラールのハーモニーであらわした。第4楽章フィナーレは容赦ない鋭利な力と波打つようなリズミカルな強さをもってオーケストラを猛然と引っ張った。最後の誇らしげな(極端に誇らしげな?)エピソードは、ショスタコーヴィッチの音楽を退廃的なモダニズムと非難したソ連の政府当局に対する皮肉な回答であったのか?この日の演奏は非常にドライブされていてかつ壮麗であり、そんなことは気にするようなことではなかった。
ものすごいオベーション。オーケストラは財政危機、リーダー不在という苦難の時代を切り抜けた。フィラデルフィア管は今、理想的な音楽監督を見つけたところだが、ネゼ・セガンは国際的な野心とフィラデルフィアに対するコミットメントをバランス取りしなければならなくなるでしょう。
ヤニック・ネゼ・セガン&フィラデルフィア管のカーネギー・ホール次回公演は2月22日です。
終わり
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(注)英文では、major statementとなっている。音楽的には「長調の主題提示」とでもなるのだろうが、政治的色彩を配慮すると「おおっぴらな声明」とでもなるのかもしれない。もしかすると、洒落かもしれない。よくわからず。
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1448- Maestro With the Turtle Tattoo!! もうすぐ来日、絶好調男、ヤニック・ネゼ・セガン

2013-01-24 01:00:00 | NYT

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2013年1月31日からロッテルダム・フィルと日本公演を行なうヤニック・ネゼ・セガン。
フィラデルフィア管に軸足を移しつつ二股三股と引っ張りだこの絶好調男。

1月11日のニューヨーク・タイムズに記事が掲載されました。長すぎる熱文ですが、なんといってもタイトルから面白く読めます。生まれたモントリオールでの出来事からその熱文が始まってます。
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オリジナル記事はNYTのここ
翻訳用にここにもあります。
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以下、河童、意訳。
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2013年1月11日
亀の入れ墨をしたマエストロ
ダニエル・J・ウォキン 記
モントリオールから
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先月(2012.12)、マエストロはモントリオール郊外のブルーカラーが多い地区の文化センターで聴衆を前にブルックナーを演奏した。ホールはコンクリートの壁で乾いて埃っぽい音響の地元高校の講堂。それにもかかわらず、400の席は家族やカップル、それに定年退職連中などでいっぱいだった。
マエストロ、ヤニック・ネゼ・セガンはマイクを持ち、英語から流暢にフランス語に変え、聴衆に話しかけた。当日の最初の曲バッハの組曲のときステージ上の椅子にまだ誰も座っていないことについて、彼は後半のブルックナーでは「全ての椅子に人が座るよ。」と約束した。
そしてその通りになった。
均整のとれたバッハの管弦楽組曲第2番とブルックナーの6番にすぐにスタンディング・オベーションが起こった。彼ら聴衆は、12年間モントリオールのメトロポリタン管弦楽団のアンサンブルの舵取りをしてきた地元の指揮者ネゼ・セガンが来たことを非常に喜んだ。
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そのような12月の出来事は、この木曜日(2013.1.10)にカーネギー・ホールでネゼ・セガンが体験するであろうことからすれば、遠くの叫び声のようなものだった。
なぜって?舞台はカーネギー・ホール、オーケストラは超有名なフィラデルフィア管弦楽団の音楽家集団。1900年の創立来、もっとも荒い対応(破産処理)の後、昨年2012年の秋に彼が音楽監督になったオーケストラなんだから。
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ネザ・セガンはオーケストラ・ゲームのトップに立った。(彼の名前の発音は、ネイ・ゼイ セイ・ゲン)
フィラデルフィア管に加えて、オランダのロッテルダム・フィルの音楽監督、それにロンドン・フィルの客演指揮者。
世界中の一流どころのオーケストラが彼を客演指揮者として招いている。同時に地元ではオケピットで活躍。さらにメトとの長期的な関係もある。レヴァインが彼を次期音楽監督として推した話もある。
そのような推測について訊かれたとき、ネザ・セガンはいつか一流のオペラハウスの音楽監督になることができたら、と言っている。
彼は続けてこう言っている。「今はまだ早すぎる、俺はまだ37だよ。今は何でもうまく進むし、この瞬間を大切にしたいんだ。」
ネザ・セガンは、普段オーケストラ界が絶望視している若くて、カリスマ的な指揮者なのだ。オーケストラの白髪のベテランからさえ称賛を勝ち取り、聴衆の熱狂を得る、そしてちょっと有頂天気味の批評家のお褒めも勝ち取っている。そんな指揮者なんだ。
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タヒチで休暇を取ったときに右肩に亀の入れ墨をし、皮のジーンズと深いVネックのセーターが気に入っているネザ・セガン、彼は完成されたマエストロとして技術的な表現や音楽的知識を持っている。
さらに普通では考えられないようなたくさんのエネルギーを自由自在に使いこなす。破けそうなぐらいの力でスコアをめくるとか、長時間にわたるリハーサルのあとでさえ湧き立つような感情を保っているとか、セッションとの写真取り、インタビュー、音楽業界連中とのミーティングのあとでも同じようにすごい。10月(2012.10)にはフィラデルフィア管を率い強烈なカーネギー・ホール・デビューをしたが、翌日、フィラデルフィアに戻りブラームスの4番の初演奏のリハーサル、でも椅子から飛び跳ねてました。
「俺は今はそうゆうことに釘づけ状態になっているべきなんだよ。」と彼は言う。
ネザ・セガンは音楽の流れに自分の型を押し付けていく指揮者のようには見えない。彼の動きは上半身の広がりが大きく、ときに背を曲げて獲物を待つピューマのように見える。
身長は5フィート5インチ(165センチぐらい)、鍛え抜かれた上半身。ソプラノのジョイス・ディドナートは彼のことをマイティー・マウスとよんでいる。
ネザ・セガンは大きな力で明確に、確実にオーケストラをリードする。また曲のクライマックスや終結部における鋭いセンス。しっかりと掌握し、のがれられない雰囲気を作り出す。オーケストラから不要なものは一掃し柔軟性を引き出す。
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また歌い手との仕事もこなす。
最近DGにドン・ジョバンニのドンナ・エルヴィラをネザ・セガンの棒で録音したディドナートはこう言っている。「彼は歌い手にうまく調和することと、オーケストラの指揮者として自分のビジョンを貫くこと、その双方をうまく両立することができるんだわ。確信、安心、その二つを両立できるっていうことよ。」
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2004年にヨーロッパで指揮デビュー、2009年のモーストリー・モーツァルトでニューヨーク・デビューした昔の少年聖歌隊員だったネザ・セガンにとって、当然とはいえ目の覚めるような成長がある。
しかし世界的に注目されるようになる前に、ネザ・セガンはカナダのいろんなところで年季奉公をしていた。マニトバのウィニペグ、オンタリオのキッチナー、それにヴィクトリア、ブリティッシュ・コロンビアといったあたりで。とりわけ、彼が今あるのは地元ケベックにおいてクラシック音楽への限りなく豊かな体験があったから。
彼が住んでいるモントリオールの家族、友達と過ごした時間は、彼の力強い解釈や、ケベックの音楽家たちのために1981年に創設されたメトロポリタン管弦楽団との長い結びつきのルーツであった。20年の間ここの首席オーボエ奏者をつとめているリーゼ・ボーシャンの言葉「スリッパをはく」これは「私たちは家族のようなもんなのよ」、それはオーケストラとともにいるということである。
ネザ・セガンは音楽学校時代一緒だったメンバーもよく知っている。16年間このオーケストラの準首席に座るヴァイオリニストのピエール・トゥルヴィル。オーケストラ付きピアニストで最も古くからの親しい友、ジェニファー・ボデージ。もちろん、核心となるマーラー、ベートーヴェン、ブルックナーなどのシンフォニック・レパートリーをこつこつとやってきたメトロポリタン管弦楽団の団員全て。
26才になるまでにマーラーの復活やヴェルレクのようなでかい作品を振っているし、このコンビで13のレコーディングをしている。
ネザ・セガンの経歴はもはや国際レベルである今、どっかほかのところに就任しないのか繰り返しきかれる。そのたんびに彼はこう言う。「どっかほかのところに行ってほしいわけ?」
あるとき、オーケストラ委員会が同じ質問を彼にした。爆発しました。
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ケベック州のとびぬけて豊かなクラシック音楽文化は、芸術それに教会の合唱やオルガニストらの強い要求による強固なローマンカトリックの伝統、それらに対する財政支出があるからである。
ここには800万人の人々が住み、12のオーケストラ、7つの音楽学校(それに音楽クラスがある大学もある)、それにクラシック音楽メディアの売上も大変なもの。
「ケベックでは、ヨーロッパとフランスの精神が近くにあり過ぎなんだ、」とネゼ・セガンは言う。同時にケベック州民は「この旧世代の負担」から開放されているとも言う。二つの文化と二つの言葉は「沸き立つるつぼを作るんだ。我らがここにいていつでもその存在の証明をする根源的なエネルギーだけではなくね。」「二つのことが同時にあること、生産的で、創造的だとおもうよ。」
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ネザ・セガンは、国際的な音楽シーンにあるケベック州の小さな流れをくむ指揮者です。ケベック市のLes Violons du Roy(フランス-カナダ室内管弦楽団)の創設者バーナード・ラバディーや、ニュージャージー交響楽団の音楽監督ジャック・ラコンブ、それに、オハイオ州にあるコロンバス交響楽団の音楽監督ジーン・マリー・ザイトーニ、などと同じように。
「うちら、今、あきらかに、黄金時代にいるよな。」オーストラリア、メルボルン交響楽団の最高責任者であるアンドレ・グレミルはeメールでつぶやいた。彼自身ケベック生まれで、ニュージャージー交響楽団の代表で最高経営責任者。ランコンブは2010年そこで音楽監督になった。(雇われた)
ケベックで一番有名な指揮者ネザ・セガンが、ケベックのトップアンサンブル、カナダで一番のオーケストラ、モントリオール交響楽団を振らないのは一見奇妙だが、メトロポリタン管弦楽団との対抗意識があるせいかもしれない。彼が若い頃は客演指揮をしていたが、2004年が最後のお招きだったらしい。
恩着せがましい音のように思えると断った。「俺がこのオケを必要としてるわけじゃあるまいし。」普通の外交的感覚ではなかったかもしれないけれど。
モントリオール交響楽団の最高経営責任者マドレーヌ・カルーは毎年彼を招待したけれど、拒否されるのであきらめた。「たぶん、このもう一個のモントリオールのオーケストラ(モントリオール交響楽団)は振りたくないんだわ。どうしても彼が欲しいのに。」
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メトロポリタン管弦楽団を振るためにモントリオールに戻ることはネゼ・セガンにとって、今でもとっても大事なこと。12月(2012.12)にはメイソン・シンフォニーク及びその近隣で二つのプログラムを振った。一つは、バッハとブルックナー、もう一つはバッハのカンタータとマーラーの4番でした。
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ネゼ・セガンは1975年、モントリオール生まれで、三人兄弟の末っ子。両親は大学で教鞭をとっていた。5才の時にピアノをはじめ、すぐにレパートリーを拡大、9才の時には有名なモントリオール・ポリフォニック合唱に参加。10才のときに指揮者になりたいと言った。「息子の遊び仲間は木の枝でヴァイオリンを弾く真似をしてたわ、でもうちの息子はステッキで指揮の真似をしてたの。」母親クロード・ネゼはそう言う。そして今は息子の個人秘書。
12才になり、ケベック音楽院で音楽理論の勉強を開始。一年後リハーサル等で合唱指揮を始めた。18才のときにモントリオール・チャペルというオーケストラと合唱を創設し、指揮者となった。
その頃、彼はヒーロー(ジュリーニのこと)に手紙を書いた。少年ヤニックはレコード店に出没し、教会の歌い手として、CDのほこり取りのアルバイトをしていた。あるときたまたまブラームスの1番をピックアップ、それはジュリーニが指揮しているもので、彼はその演奏にぶちのめされ、ジュリーニの録音をたくさん買った。
「それは音楽の創造の明確さだった。」彼は言う。「俺はスコアを見ているように感じたのさ。すべのものがあるべきところにあったっていうわけ。それで結局、精神性や人間性の理解ということが俺の中で形成されていったんだ。」
音楽の高僧のような雰囲気がある尊敬すべきイタリアのマエストロ、ジュリーニに会いたいと2度手紙を書いた。そしてついに1997年の夏、トリエステでの4手のピアノ・コンペティションの間に、マエストロ(ジュリーニ)とともにこのコンペの聴衆としてミラノでどう?と言われました。
二人は結局、ジュリーニが最後に指揮をした年まで6回会いました。ネザ・セガンは、師のリハーサルに参加し、コンサートを聴きに行きました。ジュリーニは決して彼を見ることはなく、また棒の動きに関するレッスンもしませんでした。しかし、ネザ・セガンは重要なレッスンを受けたと言っている。
「ジュリーニは全ての人たちに敬意をもって接している。」と彼は言う。「ジュリーニは、俺自身のアイデアをさらに確信が持てるように自分に感じさせてくれるキャパを持っていたんだ。結果、それが、指揮することの最高のレッスンだった。俺が彼に尋ねたどのような質問に対しても全てこう戻ってくるのさ。『私がどう感じたかだって?私がどのように歌うかだって?あなたがどのように物事をシンプルにしているかだって?』」
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ネザ・セガンはほかにもう二人、個人的に影響を受ける出会いがあった。一人はアルフレッド・コルトーの弟子で、音楽院でピアノの先生だったアニシア・カンポス、もう一人はニュージャージーのウエストミンスター・コアー・カレッジで夏のセミナーで一週間にわたる指揮をしたジョゼフ・フラマーフェルト。ネザ・セガンがこの二人に教えてもらったのは10代のとき。
ネザ・セガンに最初にでかいアポイントがあったのは2000年、メトロポリタン管弦楽団の音楽監督。当時、状況は良くなかったが、いかなる腐敗も退けた。彼の前任者でニューヨークから来ていたジョゼフ・レシーニョはネザ・セガンを客演指揮者として迎え入れた。そして、オーケストラのチェアマンと前の大臣ジャン・ピエール・ガヴァーは不意に、レシーニョの後任としてネザ・セガンを指名する、と宣言。
レシーニョはその後、契約違反であるとして損害賠償を勝ち取った。
レシーニョはインタビューに応えて言っている。「ネザ・セガンが陰謀に気づいていたとは俺は思っていないぜ。」
ネザ・セガンは自身のアポイントを「完全な驚きとして受けとめた。」と言っている。
(ガヴァーは2011年に死んだ。)
彼が言っているもう一つのサプライズ、それは2008年12月、チャイコフスキー悲愴を振ってフィラデルフィア管のオーケストラ・デビューをした1年半後に音楽監督の話があったとき。
彼は最初のリハーサルのときフィラデルフィア管のメンバーに、パーフェクト・ピッチでw、こう伝えた。自分は何度もユージン・オーマンディ、フィラデルフィア管の録音を聴いてきている。それは彼がしばしば見せる音楽の伝統に関する類いのものであった。ネザ・セガンは言う。「最初の出会いのときから、我々は前世からお互い知っていたかのようだった。」
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長年モントリオール交響楽団の音楽監督をしていたシャルル・デュトワの暫定的なリーダーシップにより掌握されていたフィラデルフィア管はその時、漂流気味。
フィラデルフィア管は昨年、破産手続きから抜け出したアメリカの最初のメジャーオーケストラだし。
ネザ・セガンは、フィラデルフィア管の俺自身のゴールは、「フィラデルフィア市がこのオーケストラに、もっともっと前向きなプライドや真の情熱、そして自分たちのものという感覚、こういったものを示してくれるようにすること、フィラデルフィアをもう一度つかみとることなんだ。」
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10月にカーネギー・ホールでヴェルレクをやったとき、最後の音の後、20秒の間、腕を上げたまま。そしてようやく腕をおろした。彼はオベーションに茫然としているようだった。
人だかりの楽屋で仲間内の拍手を受けた。彼らはシャンパンをあけた。ネザ・セガンはトゥルヴィルを抱きかかえ目を見て「ウィ?」と言った。
「ウィ」トゥルヴィルは応えた。
戴冠式のような空気の中、オーケストラとカーネギー・ホール役員たちはネザ・セガンに乾杯をした。
「ここカーネギー・ホールで指揮をすることが私の最も望みあこがれていたものでした。」ネザ・セガンは「それがかなった。」

おわり
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