河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

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サイモン・ラトル29才のマーラー10番1985.1.18 -2-

2006-07-30 16:15:38 | インポート

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相変わらずわかりにくいドナル・ヘナハンの評

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有能な若手指揮者たちにとって、オーケストラの世界は今世紀のどのようなときよりも、今日のほうがおそらく貧弱である。
それは、金曜日夜カーネギーホールでロスアンジェルス・フィルを率いたサイモン・ラトルのニューヨーク・デビューに特別な関心をはらうような状況であっても。
オーケストラがひどく増え続ける一方で、このような飢えが起きるというのは複雑な問題だ。
しかし、最近のシーズンにおいて傑出したサイモン・ラトルの着実な台頭を理解するのは難しくない。
この若者はこれまで的確にキャリアを積んできたし、当然のごとく順調にすすんできた。
どのようにうまくいっているのか?それを見つけるには時間がかかる。
しかしながら、非常な困難を伴った問題作デリック・クック版によるマーラーの未完成交響曲第10番の指揮に関して言えば、彼はオーケストラを自信をもって操縦出来ることを示した。
さらに、満足のいく楽譜の再現という領域を超えて、真の解釈という領域にはいることが出来ている。
ラトルはイギリス人で、まだ30才にもなっていない。
今はロス・フィルの首席客演指揮者であり、またバーミンガム交響楽団の音楽監督である。
彼はハンサムであり、それは客に対し自信に優越感を与える。
彼は信頼のおけるテクニシャンであり、それはオーケストラ員にアピールするものである。
彼のバトンは、奇妙に歯切れのいい楽章やギクシャクした楽章でときどき拍を細切れにする。
それは、長いメロディー・ラインのフレーズの流れを抑制する。演奏者にとっては慣れているのかもしれない。
彼はスコアを見ること無しに指揮をしたし、重要な合図が必要になったときは、余計な身振りをすることなくそれをした。

このマーラーの作品は、マーラー自身の作品として演奏されることは決してありえない。
クック版は賞賛すべきものではあるが、しばしば偽のマーラーのように響く。
精神が錯乱した時代のマーラーの最後の作品は、彼のほとんどの交響曲よりもさらに物語の筋を逸脱し喪失するような傾向にある。
最初の方の楽章において、ラトルは次から次へと進んでいくような感覚を与え、断片的なアイディアが集積し筋が通るよう方向性を示した。
最初のアンダンテとアダージョは、当然のごとく憂鬱に響かせるが、老練な指揮者によるもっと深刻で内省的な読みが聴こえてくるようなナイフによる鋭い痛みが無い。
ロスアンジェルスのヴァイオリンは特に豊潤な音とはいえなかった。
また、マーラー・サウンドに影響を与えるような音符に対する慣習的なポルタメントで演奏するようにしたわけでもなかった。
二つ目のスケルツォとバスドラムの一連の病的な音で始まる苦悩の終楽章というマーラーの構想が最も暗くなるところで演奏は凝縮し始め想像を掻き立てはじめた。
ラトルはゆっくりと時間をかけ、根気強く暗い雰囲気を作り、音楽が落ち込むような雰囲気を作った。
演奏後のピンと張りつめた長い空白が、マーラーの絶望の雰囲気への聴衆のかかわりを証明した。
演奏会はもう一曲あった。武満徹のピアノとオーケストラの為の”リヴァーラン”。
ピアノ・ソロはピーター・ゼルキンでこの曲は彼のためのロスアンジェルス・フィル委嘱作品である。
このタイトルはもちろん、ジェイムズ・ジョイスの小説フィネガンズ・ウェイクの有名な最初の文のことを言っている。
それは文章の途中から始まり、途中で終わる。
その川はダブリンのリフィー川のことであり、この小品における武満の意図は宇宙に内在する”終わりなき円環”とジョイスが呼んだものを呼び起こすことにあるように思える。
音楽のアイディアは偉大な印象主義的な力を持っていた。
それはこの演奏においてもときおり認められたり、しばしばそうでなかったりした。
ゼルキンによっていつもどおり手際よく、献身と誠実さをもって演奏されたこの作品は過酷なものを要求するものではない。演奏者や聴衆にとっても同じである。
約14分の単一楽章の作品は時折柔らかな不協和音を取り入れている。
また、少なからず微分音的なところもあるが、むしろ我々が聴いたことのある武満のほかの作品(“ノヴェンバー・ステップ”、”グリーン”)のような決定的な効果という点において、同じように気持ちよく音のシャワーに浸ることになる。
ピアノ・パートとオーケストラの双方において、あちこちでドビュッシーを思い起こすが、びっくりするほどラフマニノフが現れたりもする。
そのタイトルが暗示するように、リフィーそのもののようだけれども、連続する流動的な動きがあった。それはむしろ拡張されていて理解するには簡単だった。

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ヘナハンは聞きなれない単語の連発。
慣習的な単語の使い方をわざと避けているようにも思える。
また、熟語使用が多く、ワンセンテンスも長く根気がいる。
河童 VS ヘナハン の評は奇妙に酷似している。
マーラーの10番はたくさんの録音が出ているが、演奏会で取り上げられることはいまでもあまりない。
未完成の加筆版であるということもあるし、あの9番のあとにもう一度同じような精神集中というのは、聴く方としてもどっちにいれこんでいいのかわからなくなる。
ブルックナーの9番のように、せめて第3楽章あたりまでいっていれば気持ちの整理もつくというものだ。
マーラーの評は河童・ヘナハンともに現場で見たこと・聴こえたこと・感じたこと、内容がよく似ているわけで、ほぼ決まりの演奏内容だった。
ヘナハンは武満の評にかなりのスペースを割いている。評というよりも水先案内だったりして、彼なりに武満に対する思い入れがあるのかもしれない。
おわり

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サイモン・ラトル29才のマーラー10番1985.1.18 -1-

2006-07-30 15:45:33 | インポート

1

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ラトルは29才のときニューヨークにデビューした。
オケはロスアンジェルス・フィル。
このプログラムで乗り込んできて、一晩だけの勝負の結末は。
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1985年1月18日(金)20時
カーネギー・ホール
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武満徹 リヴァーラン
   ピーター・ゼルキン、ピアノ

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マーラー 交響曲第10番(クック版)
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サイモン・ラトル指揮
ロスアンジェルス・フィル
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河童レビューと、例によって限りなくわかりづらい文章の音楽評論家ドナル・ヘナハンのレビューもかいつまんでみた。

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河童レビュー
最新鋭、29才のラトルが鮮烈に歌いあげたマーラーの10番であった。
クックによって完成されたマーラーの10番という最後のシンフォニーを、ラトルは「巨人」よりも若々しく演奏してしまった。
第5楽章後半部における歌は、学生のように若々しくはち切れんばかりであった。
久しぶりに音楽に感動が新たに呼び起こされたのかもしれない。珍しく興奮。
レコードもCBSOと出しているので得意な曲なのかもしれないが、よくスコアなしでこれだけ振れたと思う。
先シーズン、この曲をザンデルリンク指揮ニューヨーク・フィルで聴いたときは、ザンデルリンクはひたすら楽譜を見ながら振っていたように思う。
条件の特異なこの曲を得意にしているのは何か理由があるのかもしれない。
彼の談話などを雑誌で読んでみると、市井の世情に軽くは流されない、しっかりとした考えを持っているらしく好感が持てる。
また、演奏も誠実さを反映しているように思う。
自己暗示的にひたすら口ずさみながら棒を振る姿はやたらと若々しく、また燕尾服の下は真紅のカマーバンド。髪はクルクルと長髪。
いかにもと言ったブリティッシュな雰囲気は、聴衆に鮮烈な印象を与えるのにものの一分もかからなかった。(最初の登場ではおばさんたちからため息が漏れた。)
アメリカ人のヨーロッパ好きは、知的な憧れのようでもありこのような雰囲気が流行の先端のように映りまいってしまうようだ。
普通なら、かなり難解なプログラムであるはずの今晩の演奏も前人気があった。
ニューヨーク・タイムズも、もちあげていたので首尾は上々であったのだ。
ただ、カーネギーホールで一夜だけ、マーラーの10番をやるというのは、かなりのリスクがあるはずである。
おそらくロスアンジェルス現地の定期公演の曲を持ってきているとは思うのだが、それでもそれなりの覚悟、心づもりはしていたに違いない。
でも、ちょっと前に買ったラフマニノフの2番(同じくロスアンジェルス・フィル)のシンフォニーの素晴らしさから推し量って、この組合せが悪かろうはずがない。
このラフマニノフでも彼はリズミックにはつらつとするというよりも、どちらかというと若々しく歌いきるという印象の方が強かった。このラフマニノフは原典版で1時間を越えている。

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彼の棒は実際、リズミックにこまめに動くことは少なく、かなり大振りである。
下からしゃくりあげる姿は、チェリビダッケの若い頃のようでもあるが、もっと迫力があり大振りである。
その間のこまぎれなリズムは体全体がビートをとって表現されるので本当に若々しい。
また、このようなことが音楽の内容に、彼の場合は伴っていたと、声を大にして言いたい。
音楽を簡潔に規則正しく演奏するよりも、一つのドラマとして心の動きとしてとらえているように思える。
特に第5楽章は非常に印象的であった。
暗いバスドラムによる衝撃音の断続的な地獄の底からの叫びからしだいに高まり、音楽が高揚する姿はマーラーの世界が宇宙的に完結して、1番に戻ったような錯覚を呼び起こした。
生への執着が人一倍強かったマーラーが10番の第5楽章でよみがえり、1番の若々しい時代に戻ってきたのだ。ラトルの素晴らしい棒であった。
曲が終わってから拍手までの約30秒から1分近くもあったあの空白に聴衆は何を感じたか。あの静寂もまた得がたい体験の一つになりえた。
ロスアンジェルス・フィルもこの難曲をたくみにこなしていた。
金管が後半で少しばて気味になった以外はほとんど完璧といえた。
また、弦の高音部のつややかさも美しくみずみずしい。アメリカでもトップをいくオーケストラである。
彼らはジュリーニのもとで一段と音楽的に磨かれたのに違いない。(彼が去ったことは残念だが。)
本当に死ぬほど素晴らしいマーラーであった。

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最初の曲は、武満徹によるriverrunという曲。
ピーター・ゼルキンがピアノを弾いた。
ようやく武満の曲を聴くことが出来たという感じだが、時折日本楽器風の微分音的なハーモニーが流れてくるのが印象的。
しかしいまひとつ、吹きすさぶ小風の雰囲気がでない。
風ではなく川なのだといってしまえばそれまでなのだが、小川なのか大川なのか、いまひとつつかみきれないものがあった。
演奏時間約15分。演奏後、客席で聴いていた武満がステージに上がってきて挨拶をしていた。
おわり

河童の感想はこんな感じだったのだが、二日後の新聞にでたドナル・ヘナハンはこんな感じ。
(-2-へ続く)




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クレンペラーの指揮台叩き をリフレッシュ

2006-07-28 00:35:17 | 音楽

第1回目の映像を少し長めにしました。

ソフト改良で長くはいるようになりました。

スタート・ボタンを押すとそのままみれます。

音もでます。

(ネスケでは映像が見れないかもしれません。)

001 クレンペラーの指揮台叩き

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ジ・アンアンサード・クエスチョン

2006-07-27 00:59:22 | 音楽

答えのない質問。

この訳はいつも違和感がある。

いろいろ質問されたけど明確な答えがないままむやみに多弁な回答をした、というようなことだろうか。でもそうだったらジ・アンアンサード・アンサーになってしまうような。

答えられない質問。

答えるべきではない質問。

The unanswered question

アイヴスの音楽は他のアメリカン・コンポーザーの音楽とは一線を明確に隔する。

一言で言うと響きがウェット。

シンプルとコンプレックスの交差。

メロディーの複雑な綾模様。

いろいろあるがそれでも一番最初に感じるのはそのウェット。

交響曲第2番の驚愕のストップ・エンディングにたどり着く前に、この5分あまりの曲に耳を傾けてみよう。

確かに、耳を傾けないと音は聴こえてこない。

何故、このような音響になっているのか、というのはCDの曲の解説を。

初演を受け持ったバーンスタイン指揮ニューヨーク・フィルもいいが、ここは弟子のマイケル・ティルソン・トーマス指揮のサンフランシスコ響で。

襟を正して厳粛になりたくなる。

演奏はいろいろある。

バーンスタイン/ニューヨーク・フィル1964

バーンスタイン/ニューヨーク・フィル1988

ジョン・アダムス/セント・ルカ1989

シンクレア/ノーザン・シンフォニア2000

MTT/シカゴ響1986

MTT/サンフランシスコ響1999

オルフェウス室内O. 1993

フル編成のオケの演奏の場合、トランペット・ソロの名前が明記されているケースが多い。短いながら聴きものではある。

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0027- バボラーク イン 京成臼井

2006-07-26 00:00:18 | 音楽

 


2年前(2004年)、京成臼井までバボラークを聴きに行ってきた。場所は千葉県の佐倉にある音楽ホール。
ここだけのオリジナル企画ということで河童の重い皿をあげて2時間かけてやってきた。
駅前の蕎麦花見屋で腹ごしらえをして歩いて5分ほどで着くホールにむかう。
なんとなく国道のバイパスぞいにあるような風景で、海山もなく平坦な街並みだ。
ホールに着くなり小さいホールながらフライヤーの中身を読んでみるとかなり充実した音楽の町であることがわかる。例えばその前の年はニューヨークフィルのブラスセクションがセミナーをひらいているようだ。
演奏の方はどうだったかというと、まずニューフィル千葉という千葉県で唯一のプロオーケストラが伴奏をした。かなり腕利きが多くなめてはいけないが、見栄えは「ニューフィル千葉・女性オーケストラ」といった感じ。50人ほどのオケであるが弦はほぼ全員女性。2~3人いる男性も女性化している。
別に悪いことではないがオタマジャクシの表面をなでる雰囲気でサラサラした音が古典にはかえってふさわしいといえなくもないが、それにしても音が少し臼井。女性団員が多いからだとは思いたくないが。
いずれにしても彼らの1985年からの歴史に対し、ただの一度のコンサートでどうこういうべきではない。と自分に言い聞かせた。
ホルン曲の間に1曲演奏するわけだが、演奏自体は当たり障りのない非常に良い演奏をしている。

バボラークはその前の来日のおり、渋谷のHMVでサイン会があり河童も200人の行列に潜入した。みてると年寄りに敬意をはらう非常に物腰の柔らかな青年であったと皿が記憶している。
そのときも少し演奏を披露したので聴いている。
あのような場所での音はデッドな響きとなり音色自体はそれほど魅力的ではないと感じたりしたものだが、この佐倉のホールは響きも良く非常に艶やかで滑らかな音色であった。
アレキサンダーを使っているとの事だが、あの音色はデッドな場所だと確かにあまり魅力的ではない。それにしてもテクニックを感じさせないあまりにも見事な演奏にはただ唖然とするばかりである。
6オクターブもありそうな高低の滑らかで見事な表現。フォルテはないが、強音から弱音まで変化しない音色。絶対にありえないミスタッチ。表現の振幅の背後にある確かな技術。
今後永年ベルリン・フィルにとどまるとはなんとなく思えない。
帰りに臼井のお土産でも買おうと思ったが、通勤圏内の近場でありそのようなものはない。駅のマクドナルドでコーヒーを飲んで気を静めてから帰路についた。

全然話しが違うけど、ベルリン・フィルはバボラークとドールが1番だと思うが、4番にいる河童が親近感を持ちたくなる名前サラ・ウィリスさん。映像でたまにみるけど、どこかで前みたことある。
たぶん、バレンボイム指揮のベルリン国立歌劇場来日公演のとき聴いたような気がする。
前々回来日のときかもしれない。オペラの終了後毎回オケ・メンバーがステージにそろって、いつも一番前に押し出されていたような。
おわり



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電気河童の夢 3

2006-07-25 00:45:41 | 音楽

カパコ「せっかく人間界にきたのだから、風流を味わいたいわ。」

河童「もうすぐ春だし。お花見でもしようか。」

カパコ「あら、いいわね。いつ頃がいいの?」

河童「もう少し先だね。」

カパコ「じゃぁ、あたし親戚の家に逗留する。」

河童「またしばらく会えなくなるのは辛いけど、耐えるよ。」

カパコ「4月1日なんてどう?桜ちょうどいいんじゃない。」

河童「了解。(ちょっと気になる日付だな。)」

カパコ「お花見コースはどうする。」

河童「そうだね。チドリガフチなんてどう、ワンパターンだけど。花見の前の腹ごしらえにちょうどいいパスタ屋さんがあるし。」

カパコ「わぉ、うれし、うれし。」

河童「半蔵門の駅出たところで12:30頃かな。」

カパコ「了解。それまで親戚の家で皿洗いしておく。」

河童・カパコ「グッナイ」

当日はエイプリルフール。パスタに釣られて。

半蔵門の駅をでて右にまがって50歩ぐらい歩くと、エリオ・ロカンダ・イタリアーナというお店がある。皿持参の客は珍しいらしく、みんなにじろじろ見られていい気持ちだ。

予約していったが、平日のお昼ということもあり、雑然と混んでいた。お店のハーフとおぼしき人間に、見下されながら通路に仮設のテーブルを作ってもらい座った。ひどい冷遇だと感じたが、河童は場所が変わるたびに、時間とともに人間らしくなってくるので、このお店でもだんだんと人間模様が出てきて、そしたらそのうち、ひどいことをしていると反省したらしく、一組の客がひけたら、席をセットアップしなおしてくれた。お昼にもかかわらずアラカルト、河童ワインなどを順番にオーダーし始めたら、仕舞には猫なで声、なんでもしてくれる、みたいな雰囲気になったけど、後の祭りよね。

でも、カパコといると河童は機嫌が悪くならないんだ。

河童「パスタもメインディッシュもかなりの量だ。ワインもたらふく飲んで、お花見どころではなくなってきそう。」

カパコ「そうね。あたしたち、いつもシェアするじゃない。カパコは少なめでいいの。それでもおなかいっぱい。」

河童「最初のバッド・サービスを挽回しようと、盛り付けが少し多いんじゃないかな。それと塩加減もかなりめりはりきいてるよね。今日はドルチェなしだね。」

カパコ「だーめ。ドルチェは別腹なーの。」

河童「....(聞いたことあるせりふだな。讃岐うどんみたいだ。)」

カパコ「はーい。マスター。ドルチェ全部持ってきて。欲しいの全部カットしてもらうわ。いいわね。」

お店の人間「はい。はい。承知しました。汚名挽回ですから。なんでもします。はい。」

河童「いろいろあったけど、お店は気にいったね。お客も人間界の日本人だけでなく多国籍模様で、だからボリュームが多いんだね。きっと。」

カパコ「あまり広くないけど、いい雰囲気のお店だったわ。お昼真っ只中にきたのはあたしたちのミス。」

河童「カパコはいつも冷静な判断が出来るからね。僕もこれからは見習って、もう少し緻密に計画立てるよ。」

カパコ「お花見忘れてしまいそう。」

河童「4月になったのにまだ2分咲きだね。あと一週間ぐらいずらせばよかったかもね。」

カパコ「だめよ、一週間後はあたし河童界の子供たちに勉強教えないといけないから。」

河童「そうだったね。2分咲きだけど心は散り気味。」

カパコ「そんなにおちこまないの。さぁ、桜と一緒に記念写真とりにいきましょ。」

河童「うん。わかった。」

花曇りのためフラッシュした光が、皿に反射したのが少し気になったけど、きっとよくとれているはずだ。

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0025- ジョン・コリリアーノの息子はジョン・コリリアーノ

2006-07-23 00:08:49 | 音楽

C1

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買ったCDはほとんど1,2回しか聴かないが、久しぶりに同じCDを10回ぐらい繰り返し聴いてしまった。

このCDには不思議な曲が4曲収録されている。


1.Phantasmagoria ファンタスマゴーリア走馬灯

2.To Music 音楽に寄せて

3.Fantasia on an Ostinato オスティナートによる幻想曲

4.3つの幻覚


Eri Klas指揮 Tampere po.


このうち一番衝撃的なのが3番目の「オスティナートによる幻想曲」である。解説などを見る前にまずは聴いてほしい。

河童がこの曲を聴いて即座に思い出したのが、ヘンツェのトリスタン。

天才的なひらめきを感じさせてくれる曲だ。この幻想曲は15分ほどの曲であるが、これよりは長く出来ないだろう。

この種の音楽をはじめて聴く人にとってはかなりのインパクトのある曲だ。

オケの響きがまた素晴らしく、録音の良さとあいまってかなり印象に残る曲である。繰り返し聴きたくなる。


次が4番目の「3つの幻覚」。これはある映画に関する曲だが、そんなことはまず横に置き、曲に耳を傾けて欲しい。

激しい音楽とメランコリック、そして不思議なマンダリンを想起させるこれまた忘れがたい曲。これも15分ほど。


1番目のファンタスマゴーリアはオペラ「ヴェルサイユの亡霊」からの走馬灯。2番目の曲は、またヒントなし。


ところで、この1938年生まれのジョン・コリリアーノはジュニアである。

ジョン・コリリアーノ・シニアはニューヨーク・フィルのコンマスだった。

1943年-1966年の間だから、ロジンスキー、ワルター、ストコフスキー、ミトロプーロス、そしてバーンスタインの棒の下で毎日演奏していた。そして奥さんはアカンパニスト。この両親にしてこの子あり。

コリリアーノの曲が日本で広く受け入れられるようになるのはいつ頃になるのだろうか。

コリリアーノの紹介(シャーマーミュージック)

 

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0024- エヴァ・マルトンのあご -3-

2006-07-22 16:03:06 | met

一般紙を意識した興味を抱かせる内容、また品位と節度のあるショーンバークに対して、ドミンゴやゼッフレルリをばっさり切りつけてみせる手厳しい評論のヘナハン。それでも過去や現在から何かを学び、将来の指針を示してくれているようでもある。

エヴァ・マルトンは幸せであると、河童は思う。そして、ニューヨーク・タイムズの第一面に別にどうってこともなく芸術論評を載せ、彼らの記事を読める人たちはやはり幸せであると思う。これがマンハッタンの素直な日常であるとともに、芸術のことも素直に前面に押し出され、文化がはぐくまれる素地となっている。

アメリカの芸術の場は基本的にフランチャイズである。MLBと同じである。各都市にそれぞれ素晴らしいオケとコンサート・ホール、オペラ・ハウスがある。豊かな国である。その頂点がメットやニューヨーク・フィルであることは事実だが、他の都市の実力も看過してはいけない。どこか一つの都市に着目し追いかけてみることを是非勧める。アメリカ音楽、ヨーロッパ音楽に対する間口の広さ、オケの腕、高レベルのオペラ、に驚くはずだ。世界観、視野、が大きく広がる。ヨーロッパ偏向でもよい。でもアメリカを知ることにより音楽の世界観が圧倒的に広がる。広がれば、価値判断基準が多様化し、結果として選択肢が広がり、自分なりの豊かな文化を享受できる。

日本人、日本の評論家、はいまでもヨーロッパ大好きである。別にヨーロッパを否定はしない。クラシック音楽はヨーロッパ・オンリー。テレビ、エンタメはアメリカのパクリ。といった構図は過去の遺物というわけでもない。

亡国の、ときのエンタメ総理の目を覆いたくなる下品な振る舞い、公私混同、プロデューサーに支配された喜劇のプロダクションのタイトルロール。支持率の高さは、曲が終わる前に拍手を始める人たちのその行為とオーバーラップする。音楽的側面からこの誤謬を指摘できる文化的節度をもった評論家などいない。評論家の創造性とは?

 

 

1986-10-20()

トスカ:エヴァ・マルトン

カヴァラドッシ:プラシード・ドミンゴ

スカルピア:ファン・ポンス

サクリスタン:イタロ・ターヨ

 

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0023- エヴァ・マルトンのあご -2-

2006-07-21 00:00:15 | met

Forup2_1








ヘナハンはいつもどおりの冷静な論評である。文章は限りなくわかりづらい。

THE NEW YORK TIMES  19861022()

インサイド・ページ

Opera:Marton Sings‘Tosca’ With Domingo

By DONAL HENAHAN

どのような状況においても、トスカは最も暴力的なオペラの一つである。しかし、メトロポリタン・オペラ今シーズン最初のトスカの公演がおこなわれた月曜日夜は特に過激なものであった。ハンガリーのソプラノ、エヴァ・マルトンが第2歌に生き、恋に生きを歌う直前のところで、彼女にとって強姦犯である極悪スカルピアから逃げようともみ合ううち、あごにひじを受けてしまった。休憩時間に、マルトンのあごがはずれていると舞台裏で声があがった。アクシデントは第2幕でマルトンが、このヴェリズモ・オペラで不誠実なローマの警視総監の役を演じているがっしりしたバリトンのファン・ポンスともみ合いになったときにおきた。手抜きなしの力で床に投げつけられたあと、マルトンはそこに横たわりおなかをつけたまま、トスカの有名な信念と絶望のアリア 歌に生き、恋に生き をむせび泣くように歌い始めた。実際のところ、このアリアのための伏せた形と言うのは、このオペラの歴史の初期段階でマリア・エリッチアがそのようにして以来、多くのトスカによって採用されてきた。おそらく、マルトンはエリッチアのように歌うつもりであった。いやたぶん違う。ポンスのひじが論点を未解決にした。歌のナンバーの途中、トスカが重要な局面で見捨てないよう神に祈るためにひざをあげた。アリアが終わり、自分の足を元の位置に戻そうとした。うっかりして見落としてしまい「オペラティック・カラテ」をしてしまったことを悔やんだのは疑う余地は無いが、そこでポンスは彼女にたくましい腕を差し出した。

終幕の前、舞台からのアナウンスが不安感を和らげた。いや、それは正しくない。あとで怪我であったことが判明したが、それでも彼女の独特なエキサイティングな衣装の計画を止めることは出来なかった。サン・アンジェロの城壁からの投身自殺の場面、いつもやられているような単に手すりを越えていくことをしなかった。壁の一番高いところに登り、明らかに楽しそうに身を投げた。これがこのオペラハウスが初めてのマルトンのトスカであった。この役が彼女にとって理想的であることを証明し、さらに純粋な歌唱力と燃えるような気質と言う点で最も顕著であると証明した。彼女の演技は信頼できるし、いつみても素晴らしい。知ってのとおりプッチーニのヒロインはローマの偉大な女優であり、マルトンのこの華々しい方法は誰も疑いを持たなかった。

心理的に複雑な研究があったわけではないが、このアクションは人の心をつかむ劇場においては役にたった。トスカたちの生涯において、例えば、私たちはまっすぐ突進して残忍に突き刺されるスカルピアを決してみることはないと思う。なぜなら、この暴力を受けたトスカは自分の犠牲者となるポンスに、トスカ自身がその舞台に夢中になることが出来るということを知らせたかったからに違いないからだ。確かに、彼女の印象的な歌に生き、恋に生きには、負傷している、というヒントになるものはなかった。(おそらく、メットは今後のトスカに、あごがはずれるという契約条項を明記することを考えなければならない。) 葬式の最後の場面を終わって何か制約があったようにも見えなかった。おそらく、トスカの彼の前で、全てのローマが震えるは、大雑把で浅はかというのではなくむしろ単調に唱えられた。しかし、それはマルトンの演技と調和しないというものではなかった。

トスカはしばしば、ふさわしい力量に欠けるソプラノにより試みられることがある。しかし、この夜はそのような問題はなかった。先シーズンのオープニング・ナイトのこの壮大なフランコ・ゼッフレルリのプロダクションの公演は劇的な失敗であった。しかし、多数のキャストの変更が、トスカが生きるか死ぬかといったある種粗野で荒れるようなエネルギーをもたらしてくれたことに感謝する。プラシード・ドミンゴの良く知られた声の大きなカヴァラドッシはしっかりと人をひきつけるものというわけではないが、いまだ聴衆を刺激する。もし彼が最近の星は光ぬで歌にツヤがなく、詩的なものが欠けているというのなら、アリアを昔のように普通でないドラマティックな悲嘆なものに変えることにより、今回は部分的に補った。終幕でゼッフレルリの空中に浮く地下牢に閉じ込められている一方で、以前のように星空を省略した。この幕は風景がまるでエレベーターのように上がったり下がったりするので、聴衆は楽しみを継続できる。しかしながら、プッチーニのオペラで最も感情を喚起させる間奏曲において、自分のために拍手を欲しがる人間というのはどのような種類の監督なのか?(河童注:舞台が上下するとき、誰も歌を歌っていないのに、その装置のすごさに聴衆から自然に拍手が湧くことを皮肉って言っていると思われる。)

メットで初めてスカルピアの役を演じたポンスは、もの柔らかに、力強く歌った。そしてマルトンのトスカに勇敢に立ち向かった。警視総監にふさわしく見える堂々とした紳士で、役にふさわしく決して残忍さや脂ぎった邪悪さを表に出さない。第一幕フィナーレでは他のスカルピア役よりも、オーケストラに負けず頑張っていた。しかしながら、ここは優秀な当公演の指揮者ガルシア・ナヴァーロがスコアをもう少し巧みなペース配分でやることが出来たはずだ。教会の移動のクライマックスで(スカルピアの後ろの行列のなかで、回転するセンサーがテンポを示している。)、ナヴァーロはゆっくり着実に移動させることをせず、あまりに早く盛り上げた。その結果、歌手たちは引き揚げること以外何もすることがなかった。Michael Smarttは他のアンジェロッティ役よりも朗々と歌った。イタロ・ターヨは再び軽妙なサクリスタンであった。アンドレア・ヴェリスは抑制のきいた、しかしはっきりとした卑劣なスポレッタ役をこなした。Matthew Dobkinは羊飼いの歌を甘く流した。舞台進行中エキストラを前屈みになったりまっすぐにさせたりするゼッフレルリの主張によってその効果は弱められてはいたが。事実いたるところで、このプロダクションは歌のない配役がドラマから気を散らさせる。第一幕の典礼の群集の場面は単に無駄使いだ。このプッチーニのスコアは、十分にぎやかで野卑なものが潜在しているので、監督は自分自身の主張に入れ込む必要はない。

 

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0022- エヴァ・マルトンのあご -1-

2006-07-19 00:45:14 | met

Forup1_1






19861020()

メトロポリタン・オペラ・ハウス

トスカの公演で事件は起きた。

タイトルロールのエヴァ・マルトンが第2幕で、スカルピア役のファン・ポンスにひじうちをくらいあごがはずれた。それでも歌い続けた。

22()のニューヨーク・タイムズは、フロントページにハロルド・ショーンバークの記事を載せ、音楽面にドナル・ヘナハンの論評を載せた。

ショーンバークは、この夜のことや過去の同じような事例、思い出話を書いてある。ヘナハンは通常通りのレビューである。

それにしてもショーンバークの読みやすい言葉に比べて、ヘナハンのはかなり疲れが出る硬い文体・表現だ。吉田秀和 対 吉井亜彦 みたいだ。

河童は月曜シリーズは持っておらず、あごのはずれる瞬間は見逃してしまった。この二人の論評に耳を傾けてみよう。

THE NEW YORK TIMES  1986
1022() フロント・ページ

Marton’s Tosca Down but Not Out at the Met

ノックダウンしたがノックアウトはしなかった。

By HAROLD C.SCHONBERG
 

「今はじめて。」エヴァ・マルトンは言った。「ボクサーがノックアウトされたときどう感じたかわかったわ。」

月曜夜、メットのトスカに出演中の国際的に有名なドラマティック・ソプラノはあごをはずされグロッギー状態になったが、彼女は’show-must-go-on’という伝統にそって、その役をうまくやり終えた。

バリトンのファン・ポンスのひじがマルトンのあごをとらえたのは、劇中の彼らの小競り合いのときだった。彼らは二人ともに大きい。マルトンは172センチ7.2ミリで強固。ファン・ポンスは195センチ5.8ミリでかなり重い。舞台でフロリア・トスカを追い回すスカルピア役のファン・ポンスのアクションは少し過剰であった。彼らは自分たちの役どころをかなりシリアスにとらえていたようだ。

‘A New Way of Singing’

「殴られたとき、なにかが起きたことはわかったわ。何か音をたてて割れたように思えました。」昨日の午後マルトンが話した。「(オー・マイ・グッドネス。) 独り言を言った。(口の開閉が出来ないわ。) しばらくの間は痛くもなかったの。でも、唇と口が反応しなかったのです。」

彼女の大変なアリア“歌に生き、恋に生き”が迫っていた。彼女はその歌を慣習通り床にうつぶせになりながら歌った。「母音の言葉づかいが良くなりました。」と彼女は言った。「それで、急に新しい歌唱法を考えつかなければならなかったのです。」

休憩時間に、彼女はこのまま続けるかどうか訊かれた。「わからないわ。わからない。」彼女は自暴自棄的に言い続けた。外科医である彼女の夫は診断をして、おそらく小骨が折れているだろうと思った。夫は彼女に演技を続けることに反対するようアドヴァイスした。指揮者のガルシア・ナヴァーロはそこではじめて彼女に何があったのかを知った。彼は2年前に車庫のドアが顔に当たってあごを怪我したことがあったのだ。

休憩で、予備出演者のパトリシア・クレイグが準備をした方が良いかもしれないと言われるまで、ナヴァーロは何が起きたかわからなかったわけだ。彼はマルトンのドレッシング・ルームに行った。「歌うわ。」マルトンはナヴァーロに言った。「もし私が歌うことをやめたとしても、指揮はとにかく続けて下さい。」彼女はやり終えた。ナヴァーロは敬意を表して言った。「私は彼女のことをとても賞賛する。」彼は続けて言った。「彼女は最後の幕はとても素晴らしかった。」

ナヴァーロが言うには、ポンスはかなり動揺していて、終わってからマルトンに遺憾の意を表した。

何故、マルトンは続けようとしたのか。

「私はこの役を2年間待ったの。」マルトンは言った。「私はトスカを世界中でたぶん140回ぐらい歌ったの。だからメトロポリタン・オペラでのトスカを諦めるわけにはいかなかったのです。それは、私が何年も望んでいたことだったし、全ての準備は出来ており待っている、今がそのとき。続けなければならない。馬鹿なことですが、続けなければならないのです。」

彼女は自分のキャリアでチャンスをつかんでいることを知っていた。もし骨が折れ、腱が伸びてしまっていたら、取り返しのつかないダメージが結果として残ったであろう。しかし、終幕ではハイCと声量を魅せつけた。

「全てが緊張しているときこそ、そこに大事なことがあるの。」彼女は言った。「痛みは必ずしも否定的なものではなくて、エリキサのように刺激的に振舞うことも出来るのよ。」

昨日の朝、マルトンはX線検査を受けた。骨折はなかった。医師にあごがはずれていると言われたが、自然にもとの位置に戻っていた。彼女が言うには、一晩中激痛が走っていて、起きたとき固形物は噛むことが出来なかった。午後、だるくてずきずき痛みがあった。

マルトンは土曜日にトスカを歌うことになっている。「夫が言うには、顔はたぶんそれまでに元通りになっているはずだ。しかし、私たちは見守る。金曜日まで歌唱はしない。歌うことが出来ると感じたらそうする。ですって。」

うつぶせの位置から歌う歌に生き、恋に生きのスタイルは、第一次世界大戦少し前、マリア・エリッチアのはじめてのウィーンでの歌から始まっている。プッチーニ自身そのプロダクションを見ている。ドレス・リハーサルでエリッチアは自分のガウンにつまづき床に転んだ。指揮者は既に拍をとっていたので、彼女はその伏せた位置から歌った。彼女が歌い終えたとき、プッチーニは舞台に駆け登り、「素晴らしい。素晴らしい。神からの授かりものだ。ここはいつもこのようにあるべきだ。」と言った。それ以来、ほとんどのソプラノはそのようにして歌う。

Sang in a Sling

マルトンの災難な出来事はどこのオペラ・ハウスでもたびたびおきている。以前、ばらの騎士において、不器用なオックス男爵への苛立ちでリーゼ・スティーヴンスがワイングラスを割る場面で、破片が目につきささったことがあった。それを取り除くためにルーズベルト病院へ駆け込んだ。うつ伏せのアクシデントほど目立ったものではなかったが、スティーヴンスは肩をはずしたこともあるし、カルメンのテノール役に押されて手を捻挫したこともある。スティーヴンスがビゼーのオペラで怪我をした唯一の歌手ではない。第一次世界大戦期のある公演の終幕で、カルーソがGeraldine Farrarを乱暴に扱ったため、彼女はカルーソを激しく叱りつけた。普段彼らはいい友達であったが、この出来事では、幕が降りたあと聴衆は彼らが大声で怒鳴りあっているのを聞いた。

Breath Control

公演が不快な方へ向かい、またコメディのようになってしまうのは、双方の歌い手がお互いに嫌がっているときである。ビルギット・ニルソンとフランコ・コレルリがプッチーニのトゥーランドットで一緒になったとき、彼らは決まってハイCユニゾンの長さを競い合った。コレルリはいつもニルソンより早く息が切れてしまっていた。ある公演でコレルリは激情にかられてニルソンをつかみ耳を噛んだ。

ニルソンは翌日、ルドルフ・ビンクに電話をして、今後の公演の歌は歌うことが出来ないと言った。「何故?」と、ショックを受けた興行主は訊いた。そして、「狂犬め。」

コレルリはいつも気が短かった。1958年ローマでヴェルディのドン・カルロのリハーサル中、コレルリは、ボリス・クリストフが自分に背を向けるようなアイデアが浮かんだ。彼は自分の剣を抜き、狂気の目でこのバス歌手に向かった。クリストフは身を守る為に自分の剣を抜いた。舞台係が彼らを分けるまで、本当に突き刺し、攻撃を交わすようであった。クリストフは指を怪我し出演から降りた。彼は戻るよう頼まれなかった。バス歌手は偉大なテノールより簡単に代替がきく。

メトロポリタン・オペラの記録で一番有名な平手打ち事件は1905ローエングリンでおこった。偉大なEmma Eamesとオルトルード役のKathie Sanger-Bettaque が第2幕で両翼に登場して言い合う場面である。Eamesは特に冷静であり、演技面で決して過剰な振りをしないコントロールのきいた歌い手であった。彼女には激情が欠けていたと想像される。しかし、Sanger-Bettaqueが言うには、何かが彼女を激怒させ、平手打ちをくらった。そのあと突然Sanger-Bettaqueを訪れたレポーターたちに言葉が行きかった。だがレポーターたちの期待にそう言葉ではなかった。彼女が言うには、「でも、私はマダムEamesから激情の名残を見てうれしかったわ。」

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カラヤン ブル8 上野 1966

2006-07-18 00:00:07 | 音楽

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0020- スタンリー・ドラッカー with フィルハーモニック

2006-07-16 01:10:02 | 音楽




 

河童は日曜日の午後、河童洞窟と同じ通り57丁目にあるカーネギー・ホールをめざしている。歩いて5分ほど。今日もいつものようにブロードキャスト用の日曜午後のフィルハーモニック・コンサートが3時からある。コンサートは長いプログラムの日もあれば短ときもある。長い日は、そのうちから選曲して放送、みたいな日もあれば、今日のように短い日はまるごと放送かな。そろそろ着いたようだ。1948-1949シーズンも佳境にはいりつつある。

ニューヨーク・フィルハーモニック
CBS全米ネットワーク放送
第4645回演奏会
1948年11月28日(日) 3時 カーネギー・ホール
ディミトリー・ミトロプーロス 指揮
ジーノ・フランチェスカッティ、ヴァイオリン
パガニーニ ヴァイオリン協奏曲、OP.6
ブラームス 交響曲第2番

今日はどんな演奏を繰り広げるのだろうか。ミトプーのことだ。スコアなんか邪魔なだけだし、きっと滑り込みセーフみたいな演奏になる予感。
今シーズンも指揮者は混成だ。ディミトリー・ミトロプーロス。ブルーノ・ワルター。レオポルド・ストコフスキー。シャルル・ミュンシュ。ウォルター・ヘンドル。58年後の人たちがみたら目もくらむ様な指揮者たちばかりだ。
プレーヤーのほうもよくもまあこれだけ超一流の人たちが揃いも揃ったもんだ。ジョン・コリリアーノ。ウィリアム・リンサー。レナード・ローズ。ハロルド・ゴンバーク。ジェームス・チェンバース。ヨゼフ・シンガー。ウィリアム・ヴァッキアーノ。これが日常なんだから開いた口がふさがらない。

おや、演奏中なのにヴァッキアーノとチェンバースが小声ではなしをしてるぞ。

ヴァッキアーノ「この間はいってきたクラリネット。なかなかやるじゃないか。」
チェンバース「どれどれ。おぉ。なかなかいい音だな。俺のホルンのほうが素晴らしいけどな。」
V「いやいや、僕のトランペットにかなう人はいないー。」
C「あまり話ししてる暇はなくなってきた。ブラ2はホルンの出番が多いからな。」
V「トランペットの出番はまだ回ってこないから、ちょっとコンサートのブロシュアーでも読んでるよ。なになに。」

クラリネット3番及びエスクラはS.DRUCKER。(アップしてあるプログラム参照)
スタンリー・ドラッカー。
ニューヨークのブルックリン生まれ。
フィラデルフィアのカーティス音楽院卒業。
16才。インディアナポリス交響楽団の首席クラリネット。
17才。アドルフ・ブッシュ・チェンバー・プレーヤーズ。
18才。バッファロー・フィル。
19才。1948年ニューヨーク・フィル。

その後のお話は河童が引き継ぐ。
58年後の2006年現在、ドラッカーは現役のニューヨークフィル首席をはり続けている。
フィルハーモニック・ソロ・デビューは1961年ドビュッシーのクラリネット・ラプソディー。指揮レナード・バーンスタイン。
その後、ニューヨーク・フィルと150回以上のソロを行っている。
(河童注:ニューヨーク・フィルはトップレベルの演奏家が多い為、自分のオーケストラの中からソリストを出すケースが多い。普段は首席として演奏している。)
最近のレコーディングはElysium レーベルへのブラームス。
ニューヨーク・フィルとのレコーディングとしては次のようなものがある。
・ドビュッシー:クラリネット・ラプソディー。
・ニールセン:クラリネット協奏曲。
・ジョン・コリリアーノ:クラリネット協奏曲(ニューヨーク・フィル委嘱)。
・コープランド:クラリネット協奏曲。
・ウィリアム・ボルコム:クラリネット協奏曲(ニューヨーク・フィル150年記念委嘱)。


Q&A with スタンリー・ドラッカー

子供の頃の音楽の記憶は?
「裏庭でクレッツマーの曲を移り気なクラリネット奏者が演奏しているのを聴いたことを覚えている。」

楽器を始めた年齢は?
「10才。」

何故クラリネットを選んだのか?
「両親が選んだ。私への10才の誕生祝でした。」

あなたがプロの音楽家になりたいと思ったのはいつか?
「後戻りできない段階を越えたときだと思う。おそらく12才。」

50年以上に及ぶフィルハーモニックのなかで一番記憶に残る瞬間というのは?
「1977年にバーンスタインの指揮のもと、ジョン・コリリアーノのクラリネット協奏曲の世界初演を行ったとき。」

最も触発される作曲家は?
「クラリネットに関しては、おそらくモーツァルト。」

コンサートの前にナーバスになることはありましたか?
「全ての演奏が新しい体験。ひとつひとつがどきどきさせる。」

もしあなたが他の楽器を演奏できるとしたら、なにをしたいか?
「指揮者になりたい。」

コンサートにそなえどんな準備をしているのか?
「あなたこそつねに準備の状態ですよね。」

他のグループと演奏しておりますか?
「室内楽や、他のオーケストラのもとソロ演奏など。」

あなたの家族はなにをしてますか?
「妻のナオミ・ドラッカーはクラリネット奏者です。娘のロザンヌは歌手、ソングライターです。息子レオン(リー・ロッカーとして知られている)はベースプレーヤー、歌手、ソングライターです。」

今、あなたのCDプレーヤーには何がはいってますか?
「息子の新しいCD”Racin’ the Devil”と、妻ナオミがアメリカン・チェンバー・アンサンブルと一緒に演奏しているCDです。」

ツアーではなにを楽しみにしてますか?
「新しくて親しめる場所、それに、そこの聴衆になにか思い出になることを与えること。」

夏休みはどのように過ごしますか?
「30フィートのキャビン・クルーザーを操縦してNuntucketとブロック島へ。」
おわり
(後半部分Philharmonic Web-site河童意訳)

今年2006年秋のニューヨーク・フィルの来日公演を楽しみに待ちましょう。

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みんな昔は若かった。

2006-07-14 00:05:37 | 音楽

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METの興行は、月火水木金土土。週7回。

土曜日はマチネー(broadcast)と夜。

日曜日はお休み。

今は重そうなレヴァインだが、彼にも39才の頃はあった。

ある週のレヴァイン。

火:ラ・ボエーム

水:ドン・カルロ

木:ローゼンカヴァリエ

土マチネー:ラ・ボエーム

土夜:ドン・カルロ

ほとばしる激流。やれる環境があればあとは力を思う存分だすだけ。

この前後2ヵ月間で、

ラ・ボエーム9回

ドン・カルロ8回

ローゼンカヴァリエ3回

パルジファル5回

日曜日は同じMETで歌のリサイタルのピアノ伴奏。

ざっとこんなもん。

バレンボイム。1981年トリスタンから始めたバイロイト。

それ以来バイロイトのステージの底で沸騰に沸騰を重ねた。

1996年の超高速で始まるマイスタージンガーはあまり評判がよくなかったが、河童は自由自在になった指揮者を感じた。もちろん、ベルリンでの活躍は想像を超えている。

1997年日本公演。

オペラ4演目8公演。

ベートーベン交響曲全集。ピアノ協奏曲全集。

ピアノと指揮。

これを約20日で。駆け抜ける嵐。

2002年リング3回転と演奏会の圧倒的な質量はそれに輪をかけた。

キーロフを短期間で復活させたゲルギエフ。

今年のリング公演の前の来日公演で見せたのたうち回るボリスをみれば納得がいく。

復活といえば7,8年前の日本公演における阿鼻叫喚とでもいうべきマーラーの復活。

一階席にいた河童はまるで自分もラッパを吹かされているような錯覚に陥った。

小指をたててひらひらさせる手のひらが、突然空手チョップのごとき嵐をよぶ。ひらひらチョップ。

彼らの地中からめくれあがってくるマグマの勢い。彼らから外部に放射される強烈なエネルギーを目の前にし、河童は言葉を失う。彼ら30~40代の絶好調期を目の当たりにして羨望の眼差しを抑えきれなくなる。彼らの旬のとき。若い時の爆発的なエネルギー。彼らを聴くと人生肯定の気持ちになる。我々は音だけ聴いているわけではない。彼らの姿に自分を重ねている。

少し心配なのは、彼らの沸騰した頭からは湯気が立ち込め、髪の毛なんか摂氏100度のイオンにやられてかなり消滅しているということぐらい。これも余計な心配かもしれない。なにもかもはげみになる。

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季節はずれのラ・ボエーム

2006-07-13 00:01:06 | 音楽

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暑い夏のさなか、ラ・ボエームとかフレダーマウスなどは季節はずれかなと思う。

クリスマス・イブに厚着で絶唱する姿を今の時期あまり見たいと思わない。また、フレダーマウスの日めくりカレンダーが32日になるのも大晦日まではその雰囲気を楽しめるが、それを過ぎるとどうかなと思ってしまう。

それじゃ、交響曲ラ・ボエームというのはどうだろうか。河童の耳には、このボエーム、交響曲のような形式感を感じてしまう。ソナタ、スケルツォ、アダージョ、再帰のソナタ。スケルツォとアダージョの逆転は、ベト9、ブル8なみだし、再帰のソナタはブル5を想起させる。プッチーニは擬音効果がうまくリアルな表現もあるが、それでも全体的には表現的なものより構成感を感じてしまう。第1、4幕の入れ替えはベノアとムゼッタだけだし、導入部はほぼ同じだ。一方は出会いと感情の発露だし、もう一方は悲劇の終末となる。この対比的な緊張度と構成感はすごい。

あかりを借りにきたミミは、その火を失い、部屋のマイ・キーまで落としてしまう。あやしいものだ。自分のあかりをふっと消して一緒にキーを探すロドルフォとミミはすでに同化している。そしてキーではなくミミの手に触れる。

テノールの絶唱。なんという冷たい手。チェ ジェリダ マニーナ。

みんな私のことをミミとよんでいるの。ミ チアマーノ ミミ。

そして続く、真の愛の二重唱。これぞまさしくイタリア・オペラの醍醐味。

この約20分の歌だけでラ・ボエームは十分だと思う。

しかし、これでもかと第2幕にアタッカで突入し、イブ・ナイトを、例えばフランコ・ゼッフレルリのプロダクションでは豪華を極める。これは日本の舞台では再現不可能だ。物量の多さがある種の感動を呼び起こす稀有の例。マーチのスケルツォ、ムゼッタのワルツのトリオ、という具合で拍子は交響曲の場合といささか逆転しているが雰囲気は曲想にあっている。

そして、’対’の表現を極めたアダージョ楽章。この第3幕は、ロドルフォとミミ。マルチェルロとムゼッタ。息の長いフレーズと交差するアップテンポの曲想の対比。深々と雪の降る静かな背景。二つの打撃音で冒頭と結尾を締めくくる単純だが構成感が曲を締める。実に素晴らしい対比と完結。さらにこの打撃音は第2幕までの出来事まで想起させる説得力をもつ。

そして、再帰したソナタ第4幕で、悲劇の終末は予想したとおりにやってくる。コラージョ。悲しい解決というのはその先が不要なわけで一理あるが、ボヘミアンの生活がいろんなところで営まれているのだろう。これが人生。何度見ても泣ける。この2時間にかけてもいい。と思えてくる。

推薦できるような録音はない。河童ボエームは山のようにある音源からどれ一つ満足できるものがない。どうしても生でこの2時間にかけてほしいと思うからだ。

あえてあげるとすると、1991年に来日したベルリン・コミーシェ・オーパのハーリー・クプファー・プロダクションによる非常に演劇性の強いドラマチックな公演。あのとき、河童は誰一人として知っている歌い手はいなかった。でもハイレベルで緻密な演技と歌に、まるで劇でも観ているような錯覚に陥ってしまった。クプファーの有無を言わせない強烈な説得力。重箱の隅々まで完璧に意識された演技。これはどこかにヴィデオがあるはずだ。

CDでは、モンセラ・カバリエの全てを黙らせてしまうピアニッシモ。天井桟敷まで納得させてしまう超離れ業ピアニッシモのあまりに遠くまで透き通る声。それを少しだけ感じさせてくれるCDがある。ドミンゴ。ミルンズ。ブレゲン。ライモンディ。指揮はショルティ。間延びか、美しさの極限か、ギリギリの線で踏みとどまっている。ドミンゴはどちらかと言うとカヴァラドッシが似合っている感じもあるが、ここでは若々しい声質を聴くことが出来る。

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電気河童の夢 2

2006-07-12 00:12:53 | 音楽

カパコ「パスタが食べたい。」

河童「ガットパルドへ行こうか。」

カパコ「イル・ガットパルド? 54丁目の?

河童「あすこの〆鯖はうまいんだ。」

カパコ「あら、私の好物はドルチェの薄作りよ。」

河童「5番街とアベニュー・オブ・ジ・アメリカスの間は割りといいとこ沢山あるからね。腹が減ってきた。」

カパコ「じゃ、アペタイザーは〆鯖と、あたしはヴェジーでいいわ。」

河童「それでは週一回の待ちきれない食事に乾杯!」

カパコ「パスタは何にする。」

河童「そうだね。太麺の讃岐系にするよ。カパコは?

カパコ「あたしは、フラット系のきし麺にする。」

河童「スプマンテだけじゃつまんないから、せっかくイタリアも勝ったことだしワイン飲もうか。」

カパコ「白の”Nozze di Figaro”なんて素敵だわ。」

河童「(世の中そんなに簡単にことが運ぶかな)よし、そうしよう。」

カパコ「メインディッシュはお魚よね。」

河童「僕はたまにはお肉を食べるよ。」

カパコ「じゃ、シェアしましょ。」

河童「おいしいね。今日はあまり音楽の話はでないね。」

カパコ「花より団子。」

河童「おなかがいっぱいになってきた。僕はドルチェの薄作りは遠慮するよ。」

カパコ「あらここのケーキの薄作りは12種類もスライスしてくれるのよ。」

河童「(なんだ、キスの薄作りだと思ったのに)ぼくは、あれだね。マイ・グラッパはバローロで。」

カパコ「今日も楽しかったわ。ここのお店、なんか通奏低音のようにオリエンタルな音楽が流れてると思わない?

河童「そういわれてみればそうだな。」

カパコ「なんか、歌、歌いたくなったわ。」

河童「えっ、よしてくれよ。僕はカパコみたいに歌の専門家じゃないから、苦手だよ。」

カパコ「なんか、喉が求めているの。」

河童「しょうがないなぁ。でもマンハッタンじゃ歌えないよ。」

カパコ「日本に飛ぼうよ。皿力で。」

河童「わかった。じゃつかまって、飛ぶよ。カラオケでいいよね。」

カパコ「うん。六本木へ行こう。」

河童「OK。めざすは、アリアブルかラブネットだぁ~。」

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