河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

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1118- マーラー 復活 シュテンツ N響2010.11.20

2010-11-21 11:19:08 | コンサート

2010年11月20日(土) 3:00pm NHKホール

マーラー 交響曲第2番 復活

ソプラノ、クリスティアーネ・リボーア
アルト、アンケ・フォンドゥング
合唱、東京音楽大学

マルクス・シュテンツ 指揮  NHK交響楽団
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自分ももうすぐああゆうふうになるのかもしれないが、加齢臭のジジババ・スローモーションだらけの渋谷NHKホール、土曜日の午後三時、お茶をしにきてるだけのばね仕掛けのスピーカーか電源切ってもしゃべりまくり、始まって1分で気絶状態の昏睡状態、過去の栄光だけがもぬけの殻のように横柄な態度、いろんな加齢臭だらけ。跳ねて外に出たら救急車が待機、ほんとに笑えない冗談だなぁ。
終わりかかっている人たち、今から始まろうとする人たち、コミュニケーションはあるのだろうか、もっともこの日、若者はあまりいないのはいつものこと。

それで、今日もマーラー。復活です。
シュテンツは、簡単に言ってしまうと、テンポの拡大解釈が顕著。これを時代遅れととるか様式の復活ととるか、それによって評価が分かれるところだ。
第5楽章をソナタ形式というならば、展開部に入るところの、ティンパニーのクレッシェンドを異常にのばす、これは昔バーンスタインも同じようにしていたが、今日のものものしさも双璧ではある。ここが一番目立つ個所ではあったが、それ以外にも第1楽章の再現部に入る下降音フレーズ、同じ楽章のエンディングも同様。なぜここまでテンポを落とさなければならないのか。おしなべてフレーズのまとめ方、楽章のまとめ方、ぐっとテンポを落とし切る。なにを主張したいのかよくわからないのは、緊張感はかなり持続はするものの、彫の深さや音楽のしなやかさが今一つ稀薄で、その主張が明確に伝わってこないからだ。
個人的には、このような解釈は現代の乱立するマーラー解釈のなかでは比較的異質、だからどうだというところはあるが、くさるほど聴いてきたものからしたらやはりトレンドとして、意識された拡大解釈は、あまり賛成するものではない。このての曲にこだわりがあるのだろうが、意識された音楽演奏様式が、音楽の内面からのもではなく本当の心情告白になっていないもどかしさが見え隠れする。残念ながら。
この曲に関していえば、今のインバルよりは上、ゲルギエフにはかなわない、といったところですね。


タイミング合計は約90分。第1楽章終了後、ほぼ5分ほどきっちりと置いたので、演奏時間としては、だいたい85分ぐらい。あれだけ濃い演奏すればこんな感じになるんでしょう。

N響は非常に優秀で、ウィンドの美しさはいつも通り、ブラスの正確性がこの曲では際どく求められるのだがきっちり決めました。それにもまして弦のみずみずしい透明感が負けず美しく響きました。
二人のソリストは活躍の場はそんなに多くないが、アルトのフォンドゥングは柔らかさが印象に残りました。ソプラノのリボーアはオペラ馬力ありそうですね。
合唱はそこそこ。指揮のシュテンツの棒が、かなり間を置くので集中して凝視しないと弛緩してしまう。練習の成果が出てましたね。



ところでこの日のホルンのトップは松崎裕さんでしたが、NHKの小冊子フィルハーモニー10月号の38ページによると、10月21日付で退団、と明記されてます。団友のリストにもないのでなにか契約の関係でやってたのかな。だれかおしえて。
おわり