河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

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365- フィガロの結婚 コーミッシェ3 1991-14

2007-07-31 20:04:00 | 音楽

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1991年の生聴きしたコンサートからピックアップして書いてます。

網羅的な記録ではありません。

.

ベルリン・コーミッシェ・オーパーの1991年来日公演では、フィガロの結婚の公演は4回行われました。

3回目の公演に顔を出しました。

.

1991623()3:00pm

神奈川県民ホール

.

モーツァルト作曲

フィガロの結婚

(ドイツ語による公演)

.

伯爵/ロジャー・スメーツ

伯爵夫人/ゲルトルート・オッテンタール

スザンナ/イヴォンヌ・ヴィートシュトゥルック

フィガロ/エルマー・アンドレー

ケルビーノ/クリスチアーネ・エルテル

マルチェリーナ/クリスチアーネ・バッハ=レーア

.

ハーリー・クプファー・プロダクション

(19881212日プレミエ)

.

ロルフ・ロイター指揮

ベルリン・コーミッシェ・オーパー

.

フィガロのプロダクションもクプファーによるもの。

これはフェルゼンシュタインのプロダクションに続くものである。

踏襲しているところ、影響を与えているところなどがあるらしいのだが、肝心のフェルゼンシュタインのプロダクションを観たことがない。

クプファーの演出に集中しよう。

.

序曲-なにやら幕の向こうにシルエット。

始まる前から混乱しているのか。

.

1幕-これからフィガロとスザンナのものとなる部屋はボロボロ。

伯爵とケルビーノも何やら怪しい。

.

2幕-伯爵夫人はほぼおてんば娘状態。

好きなことを寝そべってクッチャネ。

しかし部屋の作りは完ぺき。

.

3幕-従来の演出の矛盾点を解決した通路口の広間。

ただ、そこで伯爵夫人の偽のつけ文の口述筆記を通路でするために机を運び出す。

.

4幕-伯爵は出番を間違えた大岡越前とは解説がうまい。

フィガロの結婚(たわけた一日)はクプファーの魔術によりエンディング。

.

クプファー・マジックはここでも素晴らしい。

1988年プレミエであるから、この1991年当時まだ3年しかたっていない。

上演回数も47回ということでまだ少ない。

フィガロの結婚はストーリーが複雑で、まずは内容をよく理解していなければならない。

何度かこのオペラに足を運んでいなければその妙味はわからない。

その上でのクプファーの演出を理解しなければならない。

つまりはわかっていればさらに面白い演出なわけである。

.

フィガロの結婚の演出はあまり重くならないような配慮がうかがえるが、クプファーの演出ということだけでなんとなく重くなる。

重いというよりも、一つ一つの動きに何か全て意味があるように思えてきて始終舞台を見て考え込まなければならないのだ。

その4時間は別に長いものでもなくむしろ充実した時間と感じるから、これはこれでいい。

.

コーミッシェ・オーパーの音はどうだろう。

どちらかとスイトナー時代のベルリン・シュターカペレに似てなくもない。

黒い艶が妖しく光る。舞台の色彩がそうなのでさらにそのように感じてしまうのかもしれない。

シュターツカペレよりは線が細い。

大編成のオーケストラで来ているが線が細いとかんじるのはアンサンブルが見事で統率がとれているから。

歌の線ともうまく絡み合っており、指揮者の腕達者がよくわかる。

日常ルーチンワークでのレベルの高さがわかるというもの。

それに合唱が前面に出ており、オーケストラと同じぐらいの強度でもの言う声である。ハイレベルな合唱も聴きもの。

また彼らの動きの演劇性もソロ歌手たちと同じく見事なもの。

フィガロの結婚における歌い手は一言でいってスタイリッシュ。

オペラ歌手にありがちな贅肉ブヨブヨの歌い手はおらず、スタイルがよく動きも敏捷で機敏。観ていて気持ちがいい。

これだけそろった連中なので、低次元のレベル事項は最初からクリアされていて、聴衆はそのあとのことだけ、つまり内容のことだけ集中して見ていればいい。

クプファーの演出はそのような観点では逆に安心して新解釈に没頭できる側面もある。

歌い手の粒は見事にそろい、一人だけ目立つ存在もないかわり、均質な歌技術は気持ちいい。演劇性の強い演出には必須な要件だ。

.

このプロダクションをウィーンとかメトとか別の地にもっていくことはできると思うが、このような演劇性の強い演出の場合、歌い手も同じでなければならない。

演出だけ持っていって別の慣れていない(または慣れていないブヨブヨの)歌い手にまかせても、歌は歌えるが動きは無理。

ロシアのキーロフの歌劇場の公演でも同じようなことを感じたことがある。

本当の引っ越し公演というのはこのようなことを言うのであろう。

つづく

.

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364- ラ・ボエーム、ベルリン・コーミシェ・オーパー、クプファー・プロダクション、1991.6.13 (1991-13)

2007-07-30 20:27:01 | オペラ

1991年の生聴きしたコンサートからピックアップして書いてます。
網羅的な記録ではありません。

1991年も中盤6月です。
この時期、ベルリン・コーミッシェ・オーパーが初来日しました。
400人の引っ越し公演です。
この劇場はフェルゼンシュタインが戦後作り上げた劇場で、旧東ドイツにありました。
1989年のベルリンの壁崩壊、1990年のドイツ統合、そのあと1年も経ずに日本に初来日しました。
まるで何事もなかったかのようなドイツのハイレベルな結束力、優秀な民族であることの証でした。

この劇場の当時の首席演出家はハーリー・クプファー。
クプファーの演出はバイロイトでは1970年代後半から、さまよえるオランダ人、で見ることができましたが、そのバイロイトに関して言うと何と言っても1988年を開始年とするダニエル・バレンボイム指揮によるレーザー光線のリングサイクルの大ブーイング。
初年はみんなあんなものさ、とはいうけれどね。
5年間で音楽は丸みをおび、演出は斬新さから陳腐へと様変わり。
いや、聴衆の方が変わっただけなのかもしれない。
日本で2002年に行われたクプファー演出のリングサイクルの3連発はバイロイトの後の新演出であったと記憶する。
飽くなき挑戦です。

1991年というとクプファー演出のバイロイトのリングサイクルの4年目にあたりますが、この来日の折、クプファーが日本に同行してステージに顔を出したのかどうか、もう記憶にありません。
6月はバイロイトの演出、マイナーチェンジに忙しかったのではないでしょうか。

それで、ベルリン・コーミッシェ・オーパーの方はどうだったの?

1991年6月
6日(木)青ひげ 上野
7日(金)青ひげ 上野
9日(日)青ひげ 上野●
13日(木)ラ・ボエーム 上野●
15日(土)ラ・ボエーム 上野
18日(火)ラ・ボエーム 相模大野
20日(木)フィガロの結婚 神奈川
21日(金)特別コンサート オーチャードホール
22日(土)フィガロの結婚 神奈川
23日(日)フィガロの結婚 神奈川●
27日(木)ラ・ボエーム 名古屋
7月
1日(月)フィガロの結婚 名古屋

●は河童潜入


11回公演と特別コンサートが1回。
指揮はヨアヒム・ヴィラート、ロルフ・ロイター。
青ひげはフェルゼンシュタインの演出。ラ・ボエームとフィガロの結婚はクプファーの演出。
特別コンサートには、カウンター・テノールのヨッヘン・コワルスキーが出ております。

1991年当時でこの来日公演の最高席が2万7千円ということで、一流どころから見るとワンランク下の格付けだ。
日本人にはなじみがないとはいえ、なじみのないかたちが、「まぼろしのオペラハウス」というよりも「よくわからない2流どころのオペラハウス」の来日公演のように主催者も感じていたのかもしれない。
それはそれで客にとってはもっけの幸いであった。
これとは全くの逆の現象が今年2007年のついこのあいだあった。
イタリアのスポレート歌劇場とパレルモ・マッシモ歌劇場の来日公演。
海のものとも山のものともわからない歌劇場来日公演のベラボーなチケット代、一流どころなみにふっかけていて聴く前から怪しかった。
日本にわざわざ来てどうのこうというレベルではないと思う。
評論も地方の隠れた素朴な美点を探し出すのが精いっぱいだったのではないか。
主催者の「隠れた名門」「最後の名門」など、吹き出し、失笑してしまうが、本当の名門なら今頃まで日本に来たことがないというのはこの時代にあり得ない。
外国の演奏団体は日本に来てはじめて聴衆の恐ろしさ、商売のうまみを知る。
名門はとっくの昔からそんなことは百も承知。

それはそれとして、ベルリン・コーミッシェ・オーパーのこの公演の目玉は演出にありそうだということはなんとなくわかっていたが、それよりもなによりも、ラ・ボエーム見たさ、というのが一番。
公演は、青ひげ、ラ・ボエーム、フィガロの結婚、の順番だが、明日から書くブログの順番は、ラ・ボエーム、フィガロの結婚、青ひげ、となります。

ベルリン・コーミッシェ・オーパーの1991年来日公演では、ラ・ボエームの公演は4回行われました。
そのうち初日の公演をみた。

1991年6月13日(木) 6:30pm 東京文化会館
ハーリー・クプファー、プロダクション (1982年6月5日プレミエ)
プッチーニ作曲ラ・ボエーム  (ドイツ語による公演)

ミミ、ザビーネ・パッソウ
ムゼッタ、マグダ・ナドア
ロドルフォ、ギュンター・ノイマン
マルチェルロ、アンドラス・ダーヴィッド
ショナール、エルマー・アンドレイ
コルリーネ、ハンス=マーティン・ナウ

ヨアヒム・ヴィラート指揮
ベルリン・コーミッシェ・オーパー

強烈なインパクトであった。今まで見たこともないボエーム。音楽というよりは劇。旧東ドイツにおける演出色の前面に出た音楽劇。今でこそどこかしこで演出性の強いオペラばやりであるが、昔とは変われば変わるものだ。
クプファーのラ・ボエームは1982年のニュー・プロダクション。1991年当時でも9年経過、既に当地ではなじみのものであったに違いない。初めて観るというのは恐ろしいものだ。

ここに、クプファー演出の見どころというのがある。
第1幕-ミミとロドルフォは偶然ではなく故意に会う。
第2幕-群衆の騒ぎはムゼッタとマルチェルロの場に収斂する。ムゼッタはバルコニーからマルチェルロに天使のごとく舞い降りる。
第3幕-ガラスの天。舞台は二人掛けベンチだけ。うわべだけ切迫した苦痛。
第4幕-質屋にマントを出すコルリーネは外の階段で歌う。のろわれて果てるミミはベットではなく椅子で息絶える。周りの友人は恋人に死なれたロドルフォを相手にしない。

暗い舞台である。
実際のところ、暗闇に艶やかに光る舞台。そして衣裳。シンプルな装置。贅肉のない素早い動き。劇のような動き。動きながらばんばん歌う。
ウィーンでは1984年にこのプロダクションが大当たりをとってかなりのロングランを記録した。コーミッシェ・オーパーのヒット作となったわけだが、これだけインパクトの強い演出は観たことがない。
誰一人傑出した歌い手がいるわけではないし、特別にすごい演奏でもない。しかし歌い手の演劇性の強い表現を歌とともに動きで完璧にしめすにはこの組み合わせでなければならない。当然、自国語のドイツ語の方が余計な心配をすることなく舞台の進行がはかれるわけで、演劇性の観点からいっても適切なことである。コーミッシェ・オーパーでは全オペラがドイツ語だそうだ。
ウィーンでこのプロダクションが評判をとったとき歌い手は誰だったのだろう。

そういえば、鍵をなくし、火まで消えて、なにもかも作為的な出来事だったのかもしれない。作られた出会いは熱しやすく、醒めるのも早いのかもしれない。黒い鉄格子、パイプのような舞台が現代の非情さをあらわしているようで、艶やかな暗さがそれに輪をかける。アタッカで第2幕に進み、これでもクリスマス・イヴなのかと思わせる暗いにぎやかさがなにか不吉なものを感じさせる。ここの主役はムゼッタとマルチェルロである。全てが最後の引き延ばし音とそれにつづく急激なピアニシモ、そこで終わって十分。パレードは回帰。
第3幕に装置はいらない。静と動。ミミとロドルフォ、ムゼッタとマルチェルロ。音楽は2発の打撃音に始まり、しんしんと進む。流れる音楽と波打つ音楽。絡みもつれる音楽は息の長いフレーズが大団円を描き2発の打撃音で終わる。この第3幕で音楽は閉じない。見事な継続のエンディング。そして、死んでいくものにこれだけ冷たくていいのか、無関心とさえいえるかもしれない、その見放された死はなにを意味するのか。ラ・ボエームは交響曲である。第1幕の導入・展開に始まり、第2幕の行進曲とワルツはスケルツォ・トリオ、第3幕はアダージョで悲しみの極致を大きな弧で表現し、最終幕では第1幕が回帰されるが、全ての音楽の終結は悲劇でなければならない。

ハーリー・クプファーのプロダクションは来日公演の模様がテープ化されている。来日公演に限らず同プロダクションのDVDとかテープが市販されているのかどうか知らないが、来日公演の模様がテープとして残っているのは非常に興味深い。
残されているのは18日の相模大野での公演。
ラ・ボエーム
1991年6月18日(火) 6:30pm グリーンホール相模大野

ベルリン・コーミッシェ・オーパー初来日公演は主催が中部日本放送(CBC)で協賛が鹿島建設。このテープは鹿島建設のいわゆる、かんむり公演であると思われるのだが、この場合、鹿島には感謝しよう。
非売品のようだし、今後手にはいる可能性は皆無だろう。河童はどうやって手に入れたのだろうか。
おわり

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363- ベルリン・コミッシェ・オーパー1 1991-12

2007-07-29 23:00:00 | 音楽

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1991年の生聴きしたコンサートからピックアップして書いてます。

網羅的な記録ではありません。

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1991年も中盤6月です。

この時期、ベルリン・コーミッシェ・オーパーが初来日しました。

400人の引っ越し公演です。

この劇場はフェルゼンシュタインが戦後作り上げた劇場で、旧東ドイツにありました。

1989年のベルリンの壁崩壊、1990年のドイツ統合、そのあと1年も経ずに日本に初来日しました。

まるで何事もなかったかのようなドイツのハイレベルな結束力、優秀な民族であることの証でした。

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この劇場の当時の主席演出家はハーリー・クプファー。

クプファーの演出はバイロイトでは1970年代後半から、さまよえるオランダ人、で見ることができましたが、そのバイロイトに関して言うと何と言っても1988年を開始年とするダニエル・バレンボイム指揮によるレーザー光線のリングサイクルの大ブーイング。

初年はみんなあんなものさ、とはいうけれどね。

5年間で音楽は丸みをおび、演出は斬新さから陳腐へと様変わり。

いや、聴衆の方が変わっただけなのかもしれない。

日本で2002年に行われたクプファー演出のリングサイクルの3連発はバイロイトの後の新演出であったと記憶する。

飽くなき挑戦です。

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1991年というとクプファー演出のバイロイトのリングサイクルの4年目にあたりますが、この来日の折、クプファーが日本に同行してステージに顔を出したのかどうか、もう記憶にありません。

6月はバイロイトの演出、マイナーチェンジに忙しかったのではないでしょうか。

.

それで、ベルリン・コーミッシェ・オーパーの方はどうだったの?

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19916

6()青ひげ 上野

7()青ひげ 上野

9()青ひげ 上野●

13()ラ・ボエーム 上野●

15()ラ・ボエーム 上野

18()ラ・ボエーム 相模大野

20()フィガロの結婚 神奈川

21()特別コンサート オーチャードホール

22()フィガロの結婚 神奈川

23()フィガロの結婚 神奈川●

27()ラ・ボエーム 名古屋

7

1()フィガロの結婚 名古屋

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●は河童潜入

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11回公演と特別コンサートが1回。

指揮はヨアヒム・ヴィラート、ロルフ・ロイター。

青ひげはフェルゼンシュタインの演出。ラ・ボエームとフィガロの結婚はクプファーの演出。

特別コンサートには、カウンター・テノールのヨッヘン・コワルスキーが出ております。

.

1991年当時でこの来日公演の最高席が27千円ということで、一流どころから見るとワンランク下の格付けだ。

日本人にはなじみがないとはいえ、なじみのないかたちが、「まぼろしのオペラハウス」というよりも「よくわからない2流どころのオペラハウス」の来日公演のように主催者も感じていたのかもしれない。

それはそれで客にとってはもっけの幸いであった。

これとは全くの逆の現象が今年2007年のついこのあいだあった。

イタリアのスポレート歌劇場とパレルモ・マッシモ歌劇場の来日公演。

海のものとも山のものともわからない歌劇場来日公演のベラボーなチケット代、一流どころなみにふっかけていて聴く前から怪しかった。

日本にわざわざ来てどうのこうというレベルではないと思う。

評論も地方の隠れた素朴な美点を探し出すのが精いっぱいだったのではないか。

主催者の「隠れた名門」「最後の名門」など、吹き出し、失笑してしまうが、本当の名門なら今頃まで日本に来たことがないというのはこの時代にあり得ない。

外国の演奏団体は日本に来てはじめて聴衆の恐ろしさ、商売のうまみを知る。

名門はとっくの昔からそんなことは百も承知。

.

それはそれとして、ベルリン・コーミッシェ・オーパーのこの公演の目玉は演出にありそうだということはなんとなくわかっていたが、それよりもなによりも、ラ・ボエーム見たさ、というのが一番。

公演は、青ひげ、ラ・ボエーム、フィガロの結婚、の順番だが、明日から書くブログの順番は、ラ・ボエーム、フィガロの結婚、青ひげ、となります。

つづく

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362- 伴奏だけでは気が済まないパッパーノのサロメ

2007-07-28 20:20:00 | 音楽

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日本ではまだ発売になっていないCDを聴いてみた。

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シュトラウス作曲

サロメ、ファイナル・シーン

カプリッチョ、ファイナル・シーン

4つの最後の歌

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ソプラノ、ニーナ・シュテンメ

アントニオ・パッパーノ指揮

コヴェント・ガーデン・オペラ

.

録音20069月、アビーロード

EMICLASSICS

.

国内向けにはレコ芸などに、デカデカとシュテンメの宣伝があるが、この輸入盤には、シュテンメをはじめ、指揮者、オーケストラの紹介は一行もない。

曲のこととリブレットだけ。

まるでイギリス国内のマニア向けのCDのように見える。

.

シュテンメは生聴きしたことがあるのかどうか記憶にない。

CDで聴くとよくわからないが、生ではたぶん声が大きいと思う。

ワルトラウト・マイヤーや、昔のシェリル・ミルンズなど、録音からはわかりにくいが、実際生で聴いてみると声がやたらとデカくびっくりすることがある。

地声がデカくて音程が安定している歌い手の場合、聴衆に訴えるものが段違いですぐに納得できてしまうのだ。シュテンメもそのような歌手の一人のような気がする。

.

しかし、このCD聴きどころは、パッパーノの棒によるサロメのファイナル・シーン。

シュトラウスの息の長い音楽を弛緩することなく、見事な緊張力で最後の爆発までもっていく手腕はすごい。

調が見えていながらなかなかたどりつかない、少しやきもきさせながら、それでも緊張感が継続し、ついには予定調和にたどり着くシュトラウスの客寄せ的な音楽を見事に振りぬく。

またシュテンメとの呼吸が合っていて、特にフレーズの頂点における音楽の到達点に共通するところがあり聴く方を納得させてくれる。

.

4つの最後の歌はどうだろうか。

シュテンメの歌は、一音ずつ、または一フレーズ、念押し的に区切るようなところがあり、音楽がそのつど少し停滞してしまう。

しかし、念押しは音楽を安定させようとする行為であり、どちらをとるかむずかしいところではある。

3曲における中間部のヴァイオリン・ソロに導かれたシュテンメ、そしてコヴェント・ガーデンの中声域の弦の充実した盛り上がり。実にすばらしいものがある。

終曲第4曲は音楽がもともと滑らかに進行しなくてもいい曲。

停滞しながら終わっていく感じはシュテンメにふさわしいかもしれない。

.

ただ、この第4曲ではパッパーノの特質がいま一つでていない。

カプリッチョのファイナル・シーンもそうだ。

もう少し起伏のある音楽のほうが彼には合っているのかもしれない。

それに、月光の音楽はオケがもう少しきちんとやる気を出した方がいい。といっても済んでしまった録音であるから、ここは次回のやる気にかけよう。

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ということで、国内盤は88日の発売のようです。

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361- この週末は誰に?

2007-07-27 21:21:00 | 音楽

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.

この週末は?

やっぱり、

団子より花だね。

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2_42

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週末の花で酔った後は、

一人静かに反省さ。

でも、

3_18

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日曜になると

作曲したくなる

日曜作曲家

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360- 趣味のコピー? 本業のコピー?

2007-07-26 20:33:00 | 音楽

この前、仕事場でコピーの用事があり、コピー機のところに行ったら、オタマジャクシが落ちていた。

コピーをしようとしたら、コピー機に多量の楽譜が置いてあった。

誰かがスコアをコピーしてそのまま忘れたか、FAX出力したか、だな。

かなりの量(40ページぐらい?)でスコアの表の方が上を向いている。

ここはオタマジャクシとは無縁の職場のようなので、誰かが趣味でやってるのだろう。

好きものもいるものだ。

.

どれどれ、ところでこれは何のスコアだ。

ヴァイオリンのパート譜だな。

ドビュッシーの牧神の午後への前奏曲だな。

ヴァイオリンにしてはたいしたことのない譜面づらだな。

オタマジャクシが、ゆりかごのように下に向かったり上に向かったり。ブランコのような譜面づらだな。

仕事の片手間にやってるのだな。

それともヴァイオリンの片手間に仕事してるのかな。

どっちにしろ、中途半端はよくない。

両方とも100パーセントずつ、あわせて200パーセントやればいいわけだ。

.

この忘れた譜面を誰が取りに来るか興味のあるところであったが、なにしろ仕事が忙しい。

そんなことを見極めている暇があったら、もっと仕事の現状を見極めろ、と、自分の天の声がした。

.

いずれにしても、どこぞのオーケストラに属して、平日夜とか週末、練習に勤しんでいるのだろう。

そのパート譜、あまりにも目立ったので、裏返しに置きなおしてあげた。

思い当たる人がこのブログを読んでいる確率はほぼ0パーセントだとは思うが、エールを送る。

仕事も大事だが音楽はもっと大事だ。

フレーフレー、ガンバレ。

.

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359- パッサカリア ケーゲル SACD

2007-07-25 20:33:00 | 音楽

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愛聴盤の、

カラヤン/新ウィーン楽派管弦楽集

は、棚に置いたまま、名前だけ同じヘルベルト、実はフルネームをヘルベルト・ケーゲルという自殺一年前に生聴きしてしまったその人の棒を見たことがあるけれども、あまりさっぱりだったこの指揮者の魅力的な昔のCDもといSACDをお蔵から取り出して、じめじめした梅雨にふさわしいなどと独り言を言いながら聴き始めた。

.

アントン・ウェーベルン作曲

パッサカリア op1

5つの楽章 op5(弦楽合奏版)

6つの小品 op6

5つの小品 op10

交響曲 op21

.

ヘルベルト・ケーゲル指揮

ライプツィヒ放送交響楽団

.

録音:19771026-29

.

SACD ハイブリッド

(コピーコントロールCD)

2310

.

5曲も並べてあるけれども、トータルで50分弱だ。一番のお気に入りはパッサカリアかなぁ。やっぱり。

パッサカリア。古い音楽と決別し、無調、十二音階へと進んでいくのに、なぜか形式は陳腐なままだ。シェーンベルクもソナタ形式から抜けきれなかったのではないのか。

パッサカリア。形式はそのままだ。繰り返される音楽。

しかし、冒頭から揺れ動くウェーベルンのパッサカリアの音楽の魅力には抗しがたい。

ライプツィヒのやや埃っぽい中性能のオーケストラをうまく操っているとは思えないし、そのつもりもない棒から見事な音楽があふれ出てくるのはなぜなのか。

冒頭の秘密めいたピッチカートからクラリネットや他のウィンドが妖しげに揺れ動く見事な音楽。我々聴衆の、今いた時代的位置がこれほど明確に感じられる音楽も少ない。

あの揺らぎの音楽は、過去の伝統と未来の無調のがけっぷちでどちらに転んだら幸せなんだ、と言わせたがっているように思える。

.

音楽はアップテンポとなりかなり性急な感じになる。

こうなると音楽の少し大時代的な部分が出てきてしまい後戻りしたような錯覚にとらわれる。カラヤンはこのあたりうまくこなす。

いずれにしても、全体的に早い。作曲者指定15分のところ12分しかかかっていない。カラヤンも同じくらいだがあまり性急な感じはしない。

そして音楽は再び落ち着きを取り戻し、

最後は、

まるで、

マーラーの交響曲第6番第4楽章の終結部さながらの悲劇的な結びとなる。

なんと魅力的な音楽であることか。

.

このSACDの収録1曲目はパッサカリア、最後が交響曲。

結局、形式から抜け出せなかったヨーロッパの音楽を見事にあらわしている。

音楽とは面白いものだ。

このSACDの効果はいかばかりか。

ウェーベルンの秘密めいた音楽を非常によくとらえら素晴らしい音質で、1977年と今の違いがあまりわからないレベルに達している。技術的には機能的ではないが、たまに馬力をだすあたり、無調十二音音楽に熱を感じさせてくれるので、これはこれで白熱の演奏。

このケーゲルはSACDという相乗効果もありなかなかの値打ちものだ。おすすめ。

なお、カラヤンの有名な新ウィーン楽派管弦楽集にはシェーンベルク、ベルク、ウェーベルが収録されている(3枚もの)

ウェーベルンはほぼケーゲル盤とほぼ同じだが、カラヤン盤には、

5つの小品 op10

は、はいっていない。

おわり

.

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358- コリン・デイヴィス バイエルン 1991-11

2007-07-24 20:02:00 | 音楽

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1991年に聴いた演奏からピックアップして書いてます。

記録の網羅ではありません。

個人で生聴きしたものだけを書いてます。

.

この年、デイヴィスのバイエルン放送交響楽団とマゼールのピッツバーグはほとんど同じタイミングで来日しました。

ピッツバーグ1991.5.17~5.25

バイエルン 1991.5.16~5.27

.

ピッツバーグの公演については前回のブログで書きました。

バイエルンの1991年来日公演スケジュールはこんな感じ。

.

19915

16()オーチャードホール

17()オーチャードホール

18()聖徳学園川並記念講堂

19()千葉県文化会館

21()東京文化会館

22()昭和女子大学人見記念講堂

23()清水市民文化会館

24()ザ・シンフォニーホール

26()名古屋市民会館

27()サントリーホール●

.

●は河童潜入

.

バイエルン放送交響楽団というとどうしても1975年来日のおり、指揮者のクーベリックが、

こんなひでぇ音のホールでマーラーの9番なんか振れるわけねぇだろう、

と、演奏を拒絶された日比谷公会堂のことを思い浮かべるが、その昔はあすこしかなかったとはいえ、1975年にはいろいろあったわけだから、最初からどうにかしていればと思わなくもない。

ロリン・マゼール率いるクリーヴランド管弦楽団だってあすこで演奏したことあるもんね。

どうしようもなかったのかもしれない。

ホールが追いつかなかったというかなんというか。

.

それで27日の公演はどうだったの?

.

1991527()7:00pm

サントリーホール

.

モーツァルト/交響曲第38番「プラハ」

ベートーヴェン/交響曲第3番「英雄」

.

コリン・デイヴィス指揮

バイエルン放送交響楽団

.

性能が素晴らしく、ややメタリックで、黒光りする音色がフレーズ毎に楽器を変え絡み合ってくる様は、昔からブラスが少し弱いなどといわれたりしたものの、そのようなことは微塵も感じさせぬ迫力ある演奏であった。

他日のプログラムではマーラーの4番、ブラームスの1番の日もあったが、久しぶりに聴くこのオーケストラはこの曲で聴きたい。

前半のモーツァルトは重い曲でそれにふさわしい本格的な演奏であったが、そのままの雰囲気が休憩後のエロイカまで緊張感として継続した。

.

ベルリン・フィルとかウィーン・フィルだと演奏に余裕があるというか、アンサンブルの総体としての鳴り、のようなものがあり、個々人の技術的な余裕がオーケストラという総体にそのまま表れるようなところがあり、一つの生き物のように聴こえてくることがある。

バイエルン放送交響楽団の音というのは、技術的にはもちろん素晴らしいのだが、個人の総体が全体として一つの方向性を100パーセント示しているかというと、そうでもなくて、そうでもないということではないが、もう一つ別の表現としての多様性のようなものに特徴があるような気がする。

バイエルンのエロイカは一聴すると細くスタイリッシュな風に聴こえてくるフレーズがあったりする。

それがなんだか現代音楽風にさわやかに聴こえたりして、もしかしてエロイカも巷ではすでに陳腐な曲で流される演奏が多いからかもしれない、などといったことを想起させてくれる。クーベリックが指揮したマーラーなどもそのように聴こえてくる箇所がある。

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この日はエロイカが新鮮に聴こえてくる演奏であった。

切れ味鋭くダイナミックで、強音よりも弱音にウエイトをおいた演奏。これはデイヴィスの策でもあるのだろう。

静かな箇所は味わうべきだ、という風に聴こえる。

その意味では、最近(21世紀)の若手指揮者にはやっているような解釈だ。

スローなテンポで味わい深く、その表現に耐えうる技術をもつオーケストラ。今のオケは技術レベルが昔とは段違いにうまくなっているので若い指揮者も好きなよう曲を解釈することができ、オケも自由自在に演奏表現ができるようになってしまった。

昔のレベルとは基準点が異なるような気がしないでもないが、そんなことを今頃になって思い起こさせてくれるようなデイヴィスの棒だった。

おわり

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357- アラン・ギルバート ストックホルム・フィル a3

2007-07-23 20:24:00 | 音楽

昨日と一昨日のブログで、アラン・ギルバートが2009-2010シーズンからニューヨーク・フィルハーモニックの新たな音楽監督になることを書いた。


355- ニュース鈍報 ニューヨーク・フィル 新たなシェフ アラン・ギルバート a1 


356- アランはマムと叫んだか。 a2 


今日は、アラン・ギルバートが2004年に手兵のオーケストラを連れて来日した時の感想をひとつ。

2004年9月24日(金)7:00pm
サントリーホール

ロルフ・マーティソン  弦楽のためのA.S.インメモリアム
シベリウス  ヴァイオリン協奏曲
ヴァイオリン、ワディム・レーピン
チャイコフスキー  交響曲第5番

アラン・ギルバート 指揮 ロイヤル・ストックホルム・フィル

一昨晩に続く、秋の芸術強化週間第二弾(個人的には)。
本日の白眉はなんといってもワディム・レーピンの弾くシベリウス。
明確なテクニック、のばしても全くぶれない均質な音、正確な音価の長さ、等々。
そして、この夏の暑さを忘れさせてくれる、凍てつくような感情の表出。
全てが自然と同化したようなうち震える音楽の魂。
全くすばらしいの一言に尽きます。

この曲はクーレンカンプフのヴァイオリン、フルトヴェングラー指揮ベルリンPo.の演奏が忘れがたく頭にこびりついています。
あの破滅的な録音から奇跡的とさえ言える音楽が流れてくるさまは、本当にミラクル。
あれはヴァイオリンとオーケストラが技術を超えていた。
さらに言うならば録音技術さえ超えていた。
今日の演奏は大概あれの対極にあるのだろうと思うのです。
今晩のレーピンの演奏は正確であればあるほど上を行く技術が全てを征服してしまう。
まわりにものを言わせない圧倒的な説得力。
しかし、たどり着く先は同じなのではないでしょうか。
オーケストラも技術的なところは横において、ダイナミックに響き渡るシベリウスサウンドを満喫させてくれました。
やはりこの曲自体の異様な素晴らしさが全宇宙を黙らせる。
レーピンがアンコールを2曲。
極限の技術は日常の中にこそある!といった感じ。

マーティソンのA.S.というのはアーノルド・シェーンベルクの略。
浄夜から一小節借りてきて作ったらしいが、聴いている方にとっては、全部が、浄夜、のように聴こえてしょうがない。

チャイコフスキーは、オーケストラとホールの問題点が浮き彫りとなってしまったようです。
まず、オーケストラですが1.8流です。
第2楽章のホルンのソロに見られるように個々のレベルはそんなに高くない。
アンサンブルもアインザッツが不揃いで、弱音のフレーズの最初の音がばらけてしまっている。
下手のごまかし戦法で、音を強く奏するが、今度はピッチが合わず汚れた音となる。悪循環ということです。
一流どころとは比べものにならないほど音がふやけてしまっている。
それでも何故、2流ではなく1.8流かというと、ブラスがいくら大きい音で吹いても弦の音が決してかき消されないからなのです。
これは大事なポイント。
つまりみんなアンサンブルをしているのです。
アンサンブルというのは、相手の音を聴くという事です。
双方とも相手の音を聴きながら演奏するから生きた音楽表現が出来るのです。
ここが2流どころと違うところです。ストックホルムにはそれがある。

しかし、問題はこのホールにもあります。
一階席で聴いていると音が頭の上を通過してしまうようなところがあります。
一昨晩のハルサイがそうでした。
今晩は二階席の良席で聴いたため音を真正面で受け止めることが出来それなりのサウンドであった。
それでも問題は残ります。
このホールは大きなサウンドには入れ物が小さすぎるのではないでしょうか。
オーケストラの音像がハーモニーとしてブレンドする距離に至る前にホールの壁がきてしまう、ということでしょうか。
大きなサウンドをもつオーケストラには不向きなホールなのかもしれません。
これが例えばニューヨーク・フィルとかベルリン・フィルのような一流どころだと、各音たちは指揮者の直近で音像がブレンドし、そのブレンドした音が響きとして聴衆に伝わってくるので、彼らはそんなに大きな音を必要としないのです。
いや逆です。
各プレーヤーがうまければ、そんなに大きな音を出さなくても素晴らしいピッチでホールが鳴り響くのです。
ストックホルムはそこまでは至っていない。
両親ともニューヨーク・フィルの現役弦奏者であるジャパニーズハーフのアラン・ギルバートはもう少し修行が必要だ。
オーケストラに苦言を言うことができるような指揮者になってもらいたい。
アンコール1曲あり。
おしまい。

ということで、当時の感想をブログ用に改行のみ変更を加えあとはそのまま書いてみました。
いまこうやって読んでみると、アラン・ギルバートのことは最後の4行ぐらいに書いてあるだけ。
柄が大きく大ぶりのような気がしたが、鳴る音楽は繊細というか遠慮気味のような感じ。それにオーケストラ・ビルダーではない。
今までの経歴、経験からいうと有り余るものだらけで、あとはどう駆使していくかということだろうが、例えば、毛並みのいいアンドリュー・リットン、昔のレナード・スラットキンのような、一流オーケストラが与えられて当然、みたいなところから出発した方が、案外うまくいくと思うのだ。
オーケストラに新たな活力をいれていくのは当然のことながら、曲種の幅も広げてほしいし、録音も積極的に行って欲しい。
録音では一つ聴きたいものがある。それはブルックナーの交響曲全集。ニューヨーク・フィルの単一指揮者による全集。そこに到達するには契約任期の5シーズンでは無理だろう。

これからの活躍に期待したい。
おわり

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356- アランはマムと叫んだか。 a2

2007-07-22 20:01:00 | 音楽



昨日のブログでかなりおそめのお知らせをしました。

355- ニュース鈍報 ニューヨーク・フィル 新たなシェフ アラン・ギルバート a1 


2009-2010シーズンからニューヨーク・フィルの音楽監督になるアラン・ギルバートは1967年生まれのただいま40才。
一方、今の音楽監督のロリン・マゼールは1930年生まれの77才。ほぼダブルスコア。
河童念願の指揮者の若返りがようやく実現しそうだ。
マゼールが79才になる頃、42才ぐらいになるギルバートが新シェフになるわけだ。
1918年生まれのレナード・バーンスタインがニューヨーク・フィルの音楽監督になったのが1958年だから、そのとき40才。ギルバートは少しだけ年がいってしまうが、バーンスタインよりは健康的で節制しているように見えるので大丈夫だろう。
とりあえずは5年契約ということだが、リッカルド・ムーティがその時期、共同戦線のようにだいぶ回数を振るらしいので、二人体制のように見えてしまう。ムーティには悪いが、ギルバートが完膚なきまで徹底的に振りぬいてほしいというのが個人的な願望だ。
バーンスタインがニューヨーク・フィルの常任であった12年間がいかにすごかったか。それは定期公演への出演回数のみならず、膨大な録音を含め、あまりにもエネルギッシュであったあの燦然と輝く素晴らしい演奏の数々。そのようなめくるめく時代は過ぎ去って久しいが、アランには若さにまかせた無謀な回数を振りまくってほしいというかすかな希望もあるのだ。
ストックホルム・フィルのチェロ奏者と結婚して二人の子供がいるアランだが、2000年に同オケのシェフになって2008年に後任のサカリ・オラモに職を譲るらしい。アランにはニューヨーク・フィルに集中してほしい。

お父さんのマイケル・ギルバートはニューヨーク・フィルのヴァイオリン奏者(既にリタイア)、日本人のお母さんヨウコ・タケベさんは同じくニューヨーク・フィルのヴァイオリン奏者(現役)。
彼らの愛の結晶のアラン・ギルバートも、もとはといえばヴァイオリン奏者。みんなヴァイオリン。
アラン・ギルバートはニューヨークに生まれた。
ほぼ自然に、両親がやっていた楽器をやりはじめた。
マンハッタンのアッパーウエストで育ったアランは高校のときジュリアードの予科などにも参加した。
ヴァイオリンだけではなく指揮者としても手広く活躍。
フィラデルフィア管弦楽団で2シーズンヴァイオリンを弾いたこともあるし、サンタ・フェの歌劇場のアシスタント・コンサートマスターをしたこともある。
ハーバード大学時代は作曲を学んでいる。
また同時期に周辺のオーケストラで棒を振っている。
ヴァイオリンも引き続き練習している。
ハーバードでは学位、賞などたくさんゲット。
ジュリアードでもいろいろと活躍。
1994年には指揮者の賞もたくさんゲット。ジュネーヴ国際音楽コンクールで優勝したりと、才能を証明するような出来事ばかりたくさん。
1995-1997クリーヴランド管弦楽団の副指揮者。などなど。
ニューヨーク・フィルを最初に振ったのは2001年10月。
リハーサルでお母さんのヨウコ・タケベさんがミスったとき、「マーム、どうしたの」と言ったとか言わなかったとか。

2度目のニューヨーク・フィル登場は2004年。その後も出演しており、チェロの工藤すみれさんのブログでもいい評価ですね。(河童も思わずコメントしているようです。)
おわり

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355- ニュース鈍報 ニューヨーク・フィル 新たなシェフ アラン・ギルバート a1

2007-07-21 20:18:00 | 音楽

 

2007.7.19

親愛なるニューヨーク・フィルハーモニック・サポーターさま

今日、ニューヨーク・フィルハーモニックは2009-2010シーズンからの、エキサイティングな新音楽監督を発表しました。
皆様方はフィルハーモニックのサポーター、そして、私たちファミリーのメンバーですので、私は、このニュースを皆様方に直接お知らせしたいと思いました。

ニューヨーク・フィルハーモニックの次の音楽監督は、今の世代で最も素晴らしい若手指揮者のひとりであるアラン・ギルバート氏です。
ニューヨーク生まれで40才になるアランは、当地さらには国際的に非常に多くの素晴らしい演奏を行っており、世界的な名声を勝ち得ております。
先シーズン、ベルナルト・ハイティンクの代役としてギリギリのタイミングでベルリン・フィルにデビューしたことにより、我らニューヨーカー以外の人たちが、我々が既に知っていること‐並ではない才能、燃え盛る輝き‐を、ようやく理解することになりました。
私は、この才能がニューヨーク・フィルハーモニックを栄光の未来に導くことを思い、心からゾクゾクするものであります。

加えて、リッカルド・ムーティ氏がフィルハーモニックとの契約が引き延ばされることをうれしく思います。
ムーティ氏は、2009-2010シーズンからギルバート氏とともに、毎シーズン数週間の定期公演に出演します。また国外ツアーにも同行します。

私たちは、皆様方にこれからのアラン・ギルバート氏を知ってもらうために多くの機会を提供します。はじめに、来年の3月に客演指揮者として登場します。これはニューヨーク・フィルハーモニックとつながりをもついい機会です。アラン・ギルバート氏、そして皆様方が私たちと喜びを分かち合えることを大変に嬉しく思います。
敬具

ザリン・メータ
プレジデント兼エグゼクティヴ・ディレクター

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354- XRCD24で聴くプレヴィンの熊蜂

2007-07-20 20:18:00 | 音楽

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またまた出ましたXRCD24フォーマット驚異のCD

これを聴いていると、オーケストラの腕も、録音マシンも、録音技術も、なにもかも全部、昔の方が優れていたのではないのか。そのような気持ちにさせられる。

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リムスキー=コルサコフ作曲

・交響組曲「シェヘラザード」

・歌劇「サルタン皇帝の物語」より

  行進曲、熊蜂の飛行

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アンドレ・プレヴィン指揮

ロンドン交響楽団

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録音1968

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XRCD24

24ビット・スーパー・アナログ

(CDプレイヤーで再生)

価格3,300

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40年前の演奏だが、オリジナルマスターテープを使用している強みがある。

このシリーズはXRCD24という24ビット相当の音が普通のCDプレイヤーで再生可能ということで、今まで何点か紹介してきたが、このプレヴィンにも圧倒される。

オーケストラのサウンドは言うにおよばず、空気感、ホール感がやたらとしばらしい。

この音が、この空間で鳴っているのだ、という実感が耳に取るようにわかるのだ。

シェヘラザードの光輝くサウンドの素晴らしさは、ピアニシモで音が消えいるように終わると、その録音テープも終わるわけだが、そこではじめて空気が切れる。妙な言い方だが、オリジナルテープに収録されていた空気感というものがあり、それが音楽の間、ずっと漂っている。空気に乗って音楽が鳴っていた。それがテープの終わり、または編集の終わりのところですっと消える。そのときはじめて音楽は空気に共鳴していたのだ、といまさらながら認識するのである。ふう、思わずため息が漏れる。

当時のプレヴィンの音楽的解釈はどのようなものであったのか知らないが、シェヘラザードという曲を観念的に解釈し表現するのではなく、光輝く音にするにはオケ・バランスをどのようにすればよいのか。あえていうとそれが当時のプレヴィンのこの曲に対する解釈ではなかったのか。

驚異的なサウンドは満潮のようだ。月の光にキラキラと照らされた海の波がおもてうらになりながらたわむれている。なんと素晴らしいサウンド、そして音楽。

サルタンの熊蜂の飛行がまたすごい。やっぱり昔のオケの方がうまかった。作為的でない音楽の陰影が自然な形で表現出来ている。だからこんな一分半の曲でさえ珠玉のような何ものにもかえがたい音楽になっている。

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SACDXRCD24で聴いてしまうと、同じソースの普通のCDは聴けなくなる。あまりに音が違い過ぎる。CDの進化ととらえるか、このメディアの究極のあたりに近づいてしまったのか。

昔、カセットテープは高性能を目指し、20年ぐらい前に最高品質のテープが出来上がってしまったと思う。あの頃の頂点時代のカセットテープというのは今でも劣化することなく平然と聴いていられる。SACDXRCD24は録音メディアではないが、なんだかあの頃のカセットテープを思い出してしまう。CD形態の究極のサウンドに近づいてきたのだろうか。

おわり

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353- ピッツバーグのマゼール 1991-10

2007-07-19 20:11:00 | 音楽

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1991年に日本で行われた来日公演から生聴きしたものをピックアップして書いてます。

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1991年にピッツバーグ交響楽団は、

1973年、1987年に続いて3度目の来日公演を行った。

今回と前回はマゼールの棒。

初来日のときの棒はウィリアム・スタインバーク。

1984年から濃い関係にあるマゼールとピッツバーグ。

機もだいぶ熟してきた。

.

19915

17()大宮ソニックシティ

18()昭和女子大学人見記念講堂

19()オーチャードホール

20()サントリーホール●

22()ザ・シンフォニーホール

23()聖徳学園川並記念講堂

24()武蔵野市民文化会館

25()サントリーホール

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●は河童潜入

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8回公演である。

この年1991年の来日公演日程はコリン・デイヴィスのバイエルン放送交響楽団とほぼだぶっている。(516-27)

バイエルンの方は527日に聴いたので、次回のブログで書こうと思う。

今日はピッツバーグ。

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1991520()7:00pm

サントリーホール

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ブルックナー/交響曲第8

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ロリン・マゼール指揮

ピッツバーグ交響楽団

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8回公演のうちブル8をやるのはこの日一回だけ。

それにつられてこの日を選んでしまったが、今思うと、ほかの日のプログラムにもいいのがあった。

チャイコフスキーの交響曲第3番とか、マゼールが再構成したワーグナーのリング(管弦楽版)など。今頃になって反省している。

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この日のプログラムはブル8だけ。

版のこともなにも書いていないプログラムで、マゼールやピッツバーグのほめ言葉や、知りあい自慢だけの話が多くあまり使えないプログラムだ。

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ピッツバーグの音は硬い。

黄色く金属的に光輝く音色がピッチの正確性を探られないよう包み隠す。

素晴らしくアメリカ的な音色と腕前だが総じて1.5流だ。

アンサンブルが室内楽的。室内楽的に高レベルのアンサンブル、というのとは少し違って人数が少ない薄いサウンドに聴こえてくるのだ。むろん見た目は100パーセント、フルオーケストラなのだが。

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ブルックナーの8番は難曲であり、来日公演で一回だけの演奏であり意欲的ではある。

でもなんだかガラスの破片が飛び散るような演奏だった。

ブルックナーに特別な情念やデモーニッシュなものを求めるものではないが、それでも第1楽章から次々と出てくる主題をすべて把握しておき、最後の第4楽章コーダでそれら全部が突如並列して現われるとき、いやがうえにも音楽の響きだけではなく、知識・記憶の集積物が積み重なったものとして精神の響きを感じるわけだが、そのような精神の構築物の表現はピッツバーグのオケにはちょっと負担が大きいのかもしれない。

マゼールはベルリン・フィルとのブル8もあるが、あれもさえない。音響どまりというか、あまり目立つことにない演奏だ。

マゼールは一見レパートリーがものすごく広く思えるが、それは勘違いで、振るオーケストラが膨大なだけで、好きな曲はわりと限られている。彼のブルックナー全集なんてありえないと思う。やっぱり別の日に聴きにくればよかった。

おわり

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352- ベレゾフスキー&モスクワ・フィル 1991-9

2007-07-18 20:29:00 | コンサート・オペラ

1_1241991年の来日演奏会のことを書いています。
生で聴いたものからピックアップしています。
記録的な網羅ではありません。

1990年のチャイコフスキー国際コンクールの優勝者はこんな感じ。
ピアノ、ボリス・ベレゾフスキー
ヴァイオリン、諏訪内晶子
チェロ、グスタフ・リヴィニウス
声楽(女性)、デボラ・ヴォイト
声楽(男性)、ハンス・チョイ

ということで、今も盛りの人、知らなくなってしまった人、などいるわけだが、このうちピアノのベレゾフスキーと、チェロのリヴィニウスが1991年モスクワ・フィルのソリストとして来日同行した。
リヴィニウスはモスクワ・フィルとは1回しか演奏していないので、単につじつま合わせのような感じだ。
ヴァイオリンは諏訪内ではなく、なぜか、アン・アキコ・マイヤースが協演。結局、ベレゾフスキーとマイヤースが精力的に協演した。

例によってソ連のオーケストラの公演回数はとんでもない。

1991年5月
10日(金)ザ・シンフォニーホール
11日(土)名古屋市民会館
12日(日)東京芸術劇場
13日(月)聖徳学園川並記念講堂
15日(水)オーチャードホール
16日(木)上越文化会館
17日(金)伊勢原市民文化会館
18日(土)東京芸術劇場 ●
19日(日)常陸大田パルティホール
22日(水)山梨県立県民文化ホール
24日(木)東京芸術劇場
27日(月)鳥栖市民文化会館
28日(火)熊本県立劇場
29日(水)新居浜市民文化センター
30日(木)松山市民会館
31日(金)徳島市文化センター

●は河童潜入

16回公演。よりどりみどりといった感じ。
ベレゾフスキーが7回協演。
マイヤースが7回協演している。

指揮は、
マルク・エルムレルが12回
マリス・ヤンソンスが4回

どれを聴こうか。どれを聴いても、当たりはずれ、といったレベルの話ではなく、聴いた聴かなかった、という違いだけのような感じ。それなら場所日程で選ぼう。


第9回チャイコフスキー
国際コンクール記念
スペシャル・コンサート

1991年5月18日(土)18:00
東京芸術劇場

ショスタコーヴィッチ/祝典序曲
ラフマニノフ/ピアノ協奏曲第3番
チャイコフスキー/交響曲第6番

ピアノ、ボリス・ベレゾフスキー
マリス・ヤンソンス指揮
モスクワ・フィル


ベレゾフスキーはチャイコフスキーコンクールで汗だくになって演奏していた姿が、当時NHKかどっかで映像が流れて、その真摯な姿勢にいたくうたれたものだ。
あまり器用ではないけれども、音楽に対するひたむきさに心をうたれたものだ。
今日は聴く方としては満を持してのラフマニノフだ。それも3番だ。
ラフマニノフの揺れる船のような入りのフレーズがベレゾフスキーのピアノを待つ。
ベレゾフスキーの音は太い。マッチョな太さではなく、骨太な感じ。それが無骨な雰囲気を醸し出すのかもしれないが、鍵盤の押しが深い感じで一つずつの音がしっかりと響く。
透明感というよりもグレーで太くてマフラーのようなサウンドが着実な足踏みでホール全体を包む。いい感じだ。
音楽の作りは第1,2楽章ともにあっさりしたものだ。特別な思い入れはなく、作為的な表現は全く感じられない。変な作りがないので、聴く方としてもラフマニノフの音楽に集中することができる。この新人の腕を心配しながら聴く、などという配慮は全く不要。音楽を聴かせてくれる新人だと思った。
第3楽章にはいり、モスクワ・フィルはジャンプするマリスとともに伴奏とは思えない迫力と音圧でホールを鳴らすが、ボリスのピアノはそれに負けることなく究極のエンディングをむかえた。ド迫力。

悲愴の第3楽章が終わったところで誰一人拍手をせず、シーンとしていられるのは、この世で日本人だけと今でも信じている。そしてそれはいつも証明される。
アメリカだと拍手ですめばいいほう。曲が終わったと思って帰る人もいる。
いまもそうだが、当時、マリス・ヤンソンスは元気でアクションが大きく、それでいてオーケストラ全体を見渡して棒を振るようなところがあり、あれはあれで納得できるものだった。
ジャンピングしてオケを左右見渡す余裕があり、見られているメンバーとしてはこれまた思いっきり演奏しなければならなかったことだろう。
モスクワ・フィルの悲愴は、らしからぬ線の細さというか肉太のロシアというよりも、線は細くはないのだが、きっちり線をそろえてくるしたたかさがある。悲愴のふくらみは音圧によるものというよりもむしろ、少し作為が感じられるものの線をそろえたフレーズがふくよかに歌われるためであると思われる。
第3楽章にしても爆発的なブラスの盛り上がりもあるが、全奏が見事に決まっている結果である。ヤンソンスはアンサンブル重視のタイプだと思う。ジャンプのなりとはちょっと異なる作りだ。人は見かけによらない。
.
昔はブラバン定番のショスタコーヴィッチの祝典序曲は、オーケストラの生演奏ではやられていそうでそんなにたくさん演奏されているわけでもなさそうだ。すっきりしたいときはこれを聴くに限る。なにも考えず音を浴びる。
ヤンソンスの場合、序奏の3拍子は、ブラスがブラバンみたいに太くうるさく鳴らすこともなく、いたって遠慮気味に細くアンサンブルされる。あとは、モスクワ・フィルの腕達者な連中のブルンブルンとうなる腕にまかせておけばよい。聴く方もそれで満足だ。
ということで、ソ連のオーケストラは外貨稼ぎのためか、いつも異常に演奏会の回数が多いが、好不調といったあたりはずれの部分であまり心配することもなく聴くことが出来て安心だ。純粋にロシア音楽、音の響きを楽しみたいものだ。
おわり

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351- ニューヨークのエーリッヒ

2007-07-17 20:04:00 | 音楽

1_123

19309月のある日、お昼休みをセントラルパークで過ごした彼は夕方からニューヨーク・フィルとの練習を終え、やれやれこのオーケストラは定期公演よりもその前の練習の方が疲れるなぁ、などと愚痴をこぼしながらカーネギーホールの近くの、暗いバー、で一人でバーボンで喉を潤していた。

1928-1936のシーズンはアルトゥーロ・トスカニーニの時代だが、1930-1931シーズンは、エーリッヒ・クライバーの棒で始まった。

クライバーにとっては102日から119日までの長丁場だ。

エーリッヒが酒飲みだったかどうか知らないが、当時は今と違い交通手段がそんなに便利ではないから移動が大変で、一か所で何ヶ月かすごさなければならない。

ニューヨーク・フィルが相手だと、公演そのものは楽だと思う。しかし、オケが棒振りになじむまで、言うことをきくようになるまでが大変だと思う。特に、指揮者より我々の方がうまいのだ、と思っている連中が相手だ。酒でも飲まないとやってられない。

自信過剰なだけで力がないオケならすぐに見抜かれて、黙りこませるまでに時間はかからないが、ベラボーな腕前の連中なだけに手におえない。

まぁ、しょうがいない。一流オケをドライブ出来てはじめて一流の棒振りということになるわけだし。

今回は一か月強でどのくらい振らなければならないのか。

.

クライバーの棒のプログラム

1930-1931シーズン

カーネギーホール

10.2 プロA

10.3 プロA

10.4 プロA

10.5 プロB

10.9 プロC

10.10 プロC

10.11 プロC

10.12 プロD

10.16 プロE

10.17 プロE

10.18 プロE

10.19 プロD (ブルックリン)

10.23 プロF

10.24 プロF

10.26 プロG

10.30 プロH

10.31 プロH

11.2 プロI (メト)

11.6 プロJ

11.7 プロJ

11.9 プロJ

.

あぁ、数えたくもない。

21回も振らなければならない。

それでも旅行日程はないので楽だ。

プログラムは当時だいたい3回でワンセット。

棒もこの先一か月もあるのかと思うと気が重いが、目先の一つ一つをこなしていくにつれ段々と乗ってくるものだ。

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