ねじ花が美術館の芝のあちこちで咲き始めました。
芝の間から茎をのばし、ピンクの花を茎の捻じれに合わせて付けて行きます。
小さな花ですが、何となく勢いを感じて、雑草とは言え捨て難い花です。
庭などにも移植して見たことが何度かあるのですが、根付きません。
もちろん酸性度とか、土質の違いで、適地かどうかが決まるのでしょうね。
そう云えば、人間だって、今住んでいる土地に住み続けているのですから。
何代も同じ所に近隣の人たちも同じように住み続けている私の家のある付近は、町の形が昔のまま残っています。
きっと、昔は住みやすかってのでしょうね。
長屋や、路地を縫った突き当たりに駐在所と今でも読んでいる交番があったり、土塀が所々に残っていたりします。
家族工業として営まれていた織物工場のノコギリ屋根もたくさん残っています。
梅雨の合間の露地に、光が差し込んできます。
子供たちの声も珍しくなっています。あの喧噪の満ちていた家並は、すっかり静かな昔を蓄えています。
「住んで良かったこの町」が、市が提唱した、コミュニティを大切にした町づくりのコンセプトでしたが、グローバル化が浸透した今では、単なる「キャッチフレーズ」になってしまいました。
でも、私は、このgemeinschaft社会で暮らし続けてきました。 この風情を自分の棲み処としてじっくり生活を続けて行こうと、今更ながら心しているのです。
atelierの100号カンバスは、大きく変化してしまいました。
これで好いか と思っていながらどんどん変わっていく画面が、私の心の居場所の推移なのです。