atelierの昨日は、まるで夏の気温です。緑いっぱいの山麓は快い風が吹いています。
この間まで鳴いていた鶯も、今日は声を聞きません。
新しい20号の作品に着手して見ました。
昨日もBGMに玄侑宗久のCDを流しています。
「時間」の概念が「空」の中でどのような位置づけになるかの説明も、禅宗の僧らしい分析が出来ていて、ニュートリノや、宇宙論などと交錯する部分に、共感を覚えながら丁寧に反聴しているのです。
作家としてだけではなく、哲学者の域にある彼の思考に惹かれるようになったのは、ごく最近です。
小説を通して一つの領域を獲得した宗教人を見て、何事によらず自分の想いに傾倒していった人は、やはり凄いと感心してしまうのです。
一昨日の横尾忠則さんの記者会見でも、記者からの質問「どんな展開になるのでしょう。具体的に教えて下さい。」と云う質問に答えて≪自分でも解らない。どうなるのでしょう?学芸担当に聴いて下さい≫と云う答弁にも、同感したのです。
昨日は、そんなやり取りを想い起しながら、ただ筆をとりました。
1時間ばかりで疲れ切って、筆を置きましたが、この前と同じことをやっていながら、狙いと同じように表現出来ないのです。 つまり、無意識のうちに表現が進み、描く刻々毎に描いた画面に反応して、どんどん狙いが変化して行くのです。 昨日貰ったコメント「孫悟空さん」の鑑賞者としての分析通り、「空」に近い作業になっていっているようですね。
頭を切り替えるために、「ハガキ絵」を何点か掲載することにします。
息が抜けましたね。
さあ、今日も一日!