ごく軽作業を手馴れた作業としてやっていても、一寸重い感じの疲れが出るのです。
紙片なども、作品作りの基礎パターンを考えながらの作業ですので、手助けを願ってもほんの一寸感じが違って来るものですから、作家の筆遣いと同じ感覚の作業になるのです。
昨日もM100号のパネル1枚にその作業をしました。
作業をしながら出来上がりのパターンをイメージしています。
さて20号の途中まで描いてきた制作途上の画面は、少し緊張感が生まれてきました。重い、それでいてシャープな≪マッス(塊)≫と、ほんの部分に思考の発信をするような線か点を加えようとしています。 もう一歩です。
深呼吸をしながら、もう1日時間を稼ごうと筆を止めました。
いつものように「ハガキ絵」の何枚かを「手慰み」に・・・。
今日はもう6月7日。 どんどん時間が経過して行きます。
玄侑宗久のCDが「禅」の神髄に触れています。 「時間」の概念。幾重もの時間が混在する≪経過≫を超えた時空。 村山斉の宇宙の話となぜまでに、毎日の生活の不思議を想ってしまったり・・。 こんな時間も好いですよ。