「企画」がしたいという願望は誰にでもあります」
だれでも「企画」に夢を抱くのは当たり前です。
と言うのも、「企画」は新しい前に見えないものを求めて行く作業なのですから。
絵を描くことも、企画に似た作業だな、と良く思います。 目の前に白いカンバスがあって、さて、何をどのように主張して行こうか、どのように画面を構成して行くかと考えることから始まるのですから・・。
その上「抽象」を領域にしているものですから、形やパターンだって、何も目当てが無いのです。 などと考えてるうちに、この厄介な「企画」は、「色を塗ったり」「線を描いたり」「形を探したり」「点を入れたり」を沢山の時間をかけて沢山の量(経験)を積み上げたうえでなければ出来ることではないのだな、とも気付きます。
さりとて、ずるずる作業を続ける訳でもないのですね。
つい、こんなに時間をかけてしまったと思う時があります。 効率を考えると、こんなにロスをしないで、ストレートに結論に到達したものです。
そうなんです。この効率の悪い時間が、「絵を描き続ける」本意なのですから・・。
昨日の段階のM100号は、ここまで進みました。「この爽やかさを醸すパターン」に何となく捨て難い愛着を覚えています。 忘れかけていた。「軽快」「爽快」「軽妙」など、軽い感じで描いて見る時間も必要なのでしょうか。
何冊か出版した「風景スケッチ」の技法書では、そんな部分に触れることが多かった気もします。
atelierの足元にSMの途中までのカンバスが何点か拡がっています。