老妻が、大腿骨の骨折で、53日間も「西脇病院」に入院していました。 「コロナ」のせいで、面会なしの53日間は、ちょっと高齢者には「焦りに潰れてしまいそうな自宅での生活」に、 「感謝」しながら、早くも、近くの割烹に足をまばしました。 坪庭の木々たちも、若葉で出迎えてくれました。
親友が多忙の中、いろんな果物を携えて激励にやって来てくださったのです。 床の間などの置物は、そのままです。 小さな空き地の羊歯なども、既に「夏の気配」を見せています。
親友の仲田さんだけではなく、高岡から「深田君」もやって来てくださったのです。 23日に出かける「明石市」への診療も、快く送迎を引き受けて下さったのです。 「俺が送る」と、こちらからお願いする前に・・。 親友と言うのは、そんなものなのでしょうね。 有難うございます。甘えることにさせていただきました。
江戸時代以前には、加古川の支流の杉原川沿いに住んでいたのだと子供のころに、祖父母から聞いたことがありました。
何かの縁があって、洪水で流れてしまった地点から、友人の好意に縋って、「仮の住い」を童子山のすそ野に建てたのでもあったのでしょう。 と言うような訳で、今の自宅にあるアトリエは、「納屋」を壊して私が建て替えたものです。
部屋の中は、がらくたばかりでいっぱいですが、少し空いている土地に「坪庭」を造ったり、「玄関先の少しの空き地」に、老妻が好きな草花などを植えています。
だから、羊歯なども自然な感じて、塀際に生えているのでしょう。
今日も、シルバー人材センターの方に、その庭の片づけをお願いしたのです。 ついでに、水場の掃除までして下さったのです。
そうしているうちに、少しは、すっきりした住まいになっていったように思います。