作品作りは、言うまでもなく、生活の中で培われていった想いや、自分の生活の見直し、生活の時間の一部を頭の中で泳がせ種と言うような、まさに生きていることのあかしとしての「心の推移」を画面上に定着させる作業です。
そんな訳ですから、社会生活の中での自分=「生きいいること」を一人だけの時間を通して定着させる作業だということに他ならないようです。
50年以上もの時間がそんな中でくすぶらせたり、燃やしたり、沈み込んだりしながら、「手法」として「絵」を選んだのもなぜだったのかすら自問してしまうことが多いのです。
今朝から、居宅の部屋の「人の歩行導線」を確保するための改修工事のために、昔からの繰らり中へ荷物を運ぶべく、私の旧作をatelierへ運び込む作業を工事業者の方々に依頼しました。
その作品に出会えるのが楽しみですが、あまりの量に驚いていて、果たして今日1日で運び込み切れるのかと、さぎょうのりょうに心配心配してしまいます。
明日からは、その作品たちの一部を大きな画面で掲載できるかもしれませんね。
1974年のサインが同じように入っています。
その後に左側のような微妙な色の構成の作品が続いたのですね。
この絵などは、鉄板を磨いて「はんだ付け」を施してています。
ここまで来ると、絵と言うより、工芸に近い作業を「長時間」を費やしながら、その「作業のために重ねる時間」こそ作品だと思うようになってきたのでした。
ドラマ「東京物語」を観たり、NHKの「ごちそうさま」を のごく日常を、ドラマ化した物語の中に、ごく平凡な暮らしの中で「幸せ」をどのように考えるのがを静かに考えさせるシーンが充満していました。
どの時代でも、「死生観」が深められる時期や時代があります。 曽野綾子、鎌田実、五木寛之などがベストセラーになっているのも、言うまでもなく私たちのような高齢者がどんどん増えて行っていることにもよるのでしょうが、言ってみれば、ごく当たり前のことをどのように考えるかを日常的に思う時代に、社会がなって仕舞ったのです。
「絵」はそんな観点から見ても、実に忠実に自分を主張しているものだと、私の場合の「作品群」は伝えてくれるのです。 もちろん私の個人的な「絵描き生活を考えて見ると」、と言うことでしょうね。