風の樹人日記

写真付きで日記や趣味を書く

「元気ですね」の言葉。複雑な気持ちになります。

2013年04月30日 | アート・文化

そうだ、元気に歩いている。そんなことを感謝しながら、毎日をatelier通い。

掛りつけdoctor・天野先生は、「生活を見ていますよ」との診断感想です。

 問診と数字が判断の診断の基準です。話の様子や声の張りなども基準になるのでしょうね。

知人や友人が「元気ですね」と声を懸け合うのは「おはようございます」の代わりの掛け声でしょう。  老齢者の基準です。

 おおむね6月の展覧会の作品はチェックできました。

 あとは額装と、入れ替えをして整理が出来ればそれでよし、と言うことになるのです。

  当日配布用の簡単なリーフレットの文章をどのように書くか?  短文で、構えなく、思いつくままの短観をいくつか描いて見ようとも・・。

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   展示予定のない作品「風景スケッチ」の内から何点かをupしてみます。

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  大らかな鉛筆のタッチが、のびのびとパルプ工場の活気を伝えてきDsc_3189_2ます。

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   里山の風情は、街のあちこちに残っています。

   入母屋造りの家を建て替える現場に出会うことがありませんね。

   こんな家並みも間もなく消えて行くでしょう。

  




 小生の住まいも、旧い形の入母屋造り、「辰巳・戌亥」の方向が玄関と蔵の位置なのです。

   離れの間は、蔵よりも低く東に延びています。

   棟梁たちの「知恵」が生きていた時の約束なのでしょう。  関西では、そんな佇まいが、緩やかな山並みによく似合っているようにも思います。

 

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尾崎豊のBSに青春を想い起しました。

2013年04月29日 | アート・文化

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    今更(尾崎豊)じゃないでしょう、と言われそうです。

  「自分を自分に正直に生きる」 解決しそうにないことを自分に問いかけ続けた尾崎豊。

  大人になるまでそのことだけを追い続けたそのころの青年たちの偶像。

  同じ時代を生きた子供たちを沢山預かってきました。「子どものアトリエ」で。

  その尾崎に傾倒した人たちの多くが、教室卒業以来今でも交流があります。 教室で出会った子供たちでした。

  みんな今では社会の中堅として活躍しています。その卒業生たちも。

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何処までも自分を追い続ける青春を、社会とどこで融合させていくかを、だれもが悩みます。
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 彼が今生きて居れば47歳になっているそうです。  丁度愚息と同じ世代です。

   愚息も自分の世界にいつの間にか耽溺しているほど、精一杯の生活を続けているようです。

   納得の世界を続けているのです。

 尾崎が生きたのは、私がこれらのスケッチを追っていた時代です。

 でも私はすでに当時、壮年真っ只中でした。

    現代の若者たちも同じように自分を追っているのでしょうね。

 私たちの時代はロカビリーでしたし、クラシック音楽は「フェスティバルホール」でした。

  「佐村河内 守」の「シンフォニー№1・ヒロシマ」の放映にこれまた心を奪われてしまいました。

  日本的なそれでいてどこまでも静かに浸透していく重厚な詩情に「背筋が凍りつく想い」の感銘を受けたのです。  CDももう12万枚も売れている交響曲ではベストセラーだそうです。

  門外漢の私と言えども気付かないでいたことに反省です。

  ベートベンと通じるような演奏です。早速注文して置こうと思ったのです。

凄い「音」や心をえぐる「想い」に出会ったのでした。

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1971年。何があった年だったんでしょうね。

2013年04月28日 | アート・文化

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   大昔の作品を1枚。

   「位相」をテーマにしたころの作品です。






  時間をかけて探究しようとの「思考の時間」が覗いているようですね。

                        30号の作品。

 

     こんな時の作品が何点か生まれました。  会社勤めを終えた中で、何十時間も1点に懸けて作り続けた頃。    津高和一先生に審査を受け続けた頃でもありました。

     好い評を頂き「さらに深めたい」と思ううちに、どんどん無機的な形に収斂されていきます。   「飄々とした津高作品」が、一瞬に生まれながら「世間に反応しながら透明な詩が流れてくる」のが羨ましくも思い、彼に傾倒して行ったのです。



   この頃の作品は殆ど何方かが持ち帰って頂いたり、散ってしまっています。

   もう無くなってしまっているかも・・。


 出会ってみたいと「何点」かの作品を思い浮かべています。

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倉庫で半日過ごしました。

2013年04月27日 | アート・文化

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 突然、夏の驟雨のような夕立に近い雨が降ります。

 すぐ太陽が顔を出して、晩春らしい気候に還ります。

 寒気?が急に入る気圧配置だというのです。

 この頃の気候は、どうも不安定で、歳時記が用をなさないような「日本の気候」に変化してしまったのかしら?







 倉庫の作品を何度も繰り返して確認しています。  ほとんどが未発表の作品で、まるで「ゴミ」のように積み上げられている感じすらしてしまって淋しくなってしまいます。  まあ、日記を画面に定着させているだけですので、それでいいのでしょうが、機会があれば陽の目を見せたい作品ばかりです。   そんな気持ちが働くために、体力が足りないのに、過剰に「お声掛かりに」反応をし過ぎてしまったのでした。

 何の気無しに繰っていた 棚から、   Dsc_3878積み重ねられて、何枚かの白紙のケント紙のに挟まって、繊細なカット風の作品らしきものが出てきました。

 フロッタージュ(こすり出し)と言う技法です。

 今では規制かあって、薬局でも使用用途がはっきりしていなければ販売して頂けない「トルエン」の駅で、印刷インクを写し取る手法です。

 雑誌の「カット」などに何点か掲載されたのを思い出します。

 この頃には、自分の思いが伝えられそうなものは制作に取り入れたのでした。何でもやって見たいことを即座に施策に取り入れたのです。

 いま玄関に100号2点で屏風に仕立てて、玄関の雰囲気を高めています。

 掲示板の役割も果たしていますが。 Dsc_3919
  その部分です。Dsc_3920  Dsc_3922_3

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     生意気にも「書」も半紙で何枚かが出てきました

  もちろん誰が気のものですが、矢張り捨てがたいのです。Dsc_3877

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「宇宙はどこまでわかったんですか。村山斉さん」を読み始めました。

2013年04月26日 | アート・文化

親友・Mさんと話がしたくなって、外出を控えているというので自宅を訪ねた。

それでも「書」に関する話になると、矢張り重い言葉がたくさん出てくる。

物を創り続けた人の「身体に染みついた洞察感」がひりひり伝わってきて、つい話が長引いてしまった。 「疲れが出なかっただろうか?」  息子が近くに住んでいることもあって、安心だとも。

  奥さんとも久しぶりの交歓だった。

 体力が失調した制作者が社会と距離を置くことの残念さが伝わって来る。 「まあ、済みました。」と言う言葉の含む意味をどのように判断すればいいのかと戸惑いながら、私自身を見つめなおすひと時でもあった。  そういえば、今年の「三木市立美術館」での個展の後の展開を進めようとしている自分が恥ずかしくもなってくる。  いろんな人の思惑に触れるたびに、当地での展示は勇んですることも無いかな、と思うに至っている。

 仲間たちとの距離は大切にして、ほんのお付き合いの作品発表程度に展示はさせて頂いて、 距離を置きながら、健康な私と思えるような作品を遠目て見て頂く程度の活動が好いなと。

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 懲りることなく、10年間も拙作を使って頂いた「ウニスガ印刷の今年のカレンダー」の今月号の原画です。

M100号「寓話ー語り継ぐべきもの」シリーズの一点。

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                      同じ時期の作品です。

 今回の展示からは外すことに・・。

   






      やはり、「風景スケッチ」は、何の拘りもなく筆を走らせたもの。

 爽やかな風を感じて、蟠りのない純な自分の顔が見えてきて気持ちが好い。

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    Dsc_2947

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