何日か前に、手掛け始めたままの小品が静かに、そのままイーゼルに懸かっています。
観て見ると、こんな明るい「絵」を描いたのは、随分久しぶりの事だなと、逆に新鮮な具象画を見つけた感じです。 「人」を描く事もあまりしていなかった気もします。
と思っていた時に、「教室生・かおりさん」が、仕事のシフトの関係で、時間が出来たと、小品を何点か持ち込んできました。
小さな作品を何点も描き始めています。 自分の世界を確実に創り上げて居る様に、嬉しくなりました。
そうなんですよね。 教室には、いろんな職業や、家庭を通して自分独自の「思考の形」を作り上げているものです。
つまり、意見の異なる人たちが、「絵」を媒体にして、自分を見つめることが、大切な意味なのでしょうかね。
みんなの見ている前で、 本の「ダレガ気」の感じで、風景と、花いっぱいの絵を描いたのです。
あらしの前の夜。(月下美人)が何輪か咲き始めたのです。 少しずつ、花弁を見せていきます。 教室生には、それぞれに、「マット紙」の切れ端の洋紙を配りました。 重い想いに花を描いて見ている様子です。 Doctorは、100号に対峙しながら、世間話に、話を併せる、普段にない会話の町政にも気配り頂いています。 真言宗の住職の奥方も、、俄然筆を加え続けました。
高校生のカナちゃんも、マット紙に筆を走らせました。 学校の課題があったようですが、この作業が何とか取り組めたようです。 ミドリちゃんの30号も、筆が進んでいます。 Doctorの100号も、何とか出口が見えてきたようです。マイペースの教室が、誰にとってもかけがえのない「居場所」なのです。
この日で、暫らく自分を見つめて、2-3か月お休みして、再起を期待する中学生が、doctorとの雑談を楽しんでいます。 今年は、「月下美人」 が、 次々に何輪も咲き続けました。 不思議な感じすらするこの夏です。