保育園は、私たちが子育てをしたころから見ると、吃驚するほど整備されています。
勿論、遊具や、運動場や、周囲の環境も完ぺきと思うほどです。
高みにある保育園からは、自分の住む町も見下ろせるのです。
元気いっぱい(運動場)を駆けっていました。
市内の郷土資料館は、本当に久しぶりに出かけて見ました。 街の合併が何度も繰り返されたこともあって、守備範囲が、ひろくなっています。 そんなこともあって、展示品も随分変わっています。
どの地方でもそうなんでしょうが、古墳時代の遺跡も沢山あります。
そんな時代にも、既に人々が集落をこの地方でも形成していたということに成るのですね。
明治時代のパノラマも作られています。 この付近に私の家もあったのだと、昔から祖父から聞いていたこともあって、何となくのその頃の様子が、髣髴と浮かび上がってくるのです。 と言うのも、「大水」が出て、家も何もかもが流れて仕舞ったとの話が語り継がれているのです。 だから、心持ち高みのいまの地点に「仮の家」を建てたとも、、、。 そういえば今の自宅も、何となくこんな佇まいですし、「仮の家」だから土地も少し狭い感じで設えているのです。
この記録長は、私の家も参加していた「西の講」の伊勢詣での記録です。 10軒ばかりで組んでいた「伊勢講のメンバー」の動きが丁寧に記録されています。 と言うのも、私の代でも若い頃にこの記録を繰ってみたことがあって、つい最近まで、年に何度かの集まりが続いていて、宴も続いていたのでした。 この狛犬は、始めて見ました。 木造の「新しく10年前」に合併した「黒田庄町」の神社に保存されているものでした。 それなりの、立派な狛犬です。
やはり地域には、地方独特の歴史が続けられていたのですね。
今日は珍しく20号ぐらいの作品の仕上げに向けての作業に懸りました。
思考が凝縮されていたのでしょうかね。 取り掛かってみると此処をこのようにと色を乗せて行こうなどと即座に、しかも難なく筆が進みます。 「よろしい」感触が…。 何色か重ねているうちに余計な主張が見える画面に成ってきました。 「こりゃー一寸押さえないと」 強制乾燥した上を黒に近い色で加減を付けながら消し込んでいったのです。 この程度で好いか? 全体の感触を頭に入れて、今度は、シャープな、しかも鋭い線をいくらか入れて見ようと、時間を蓄えることにしました。
いい線いっているようだと、筆を加えようとしました。 と、既に、なんとサインを済ませています。
しかも2014.oct.と年月まで入っているのです。 出来上がったとした作品だったのです。
どちらもA2の大きさ、20号ぐらいのデッサン縁用の大きさです。 額縁も「大判」が必要です。
出来上がった作品は、水張りしているので、 既に、切り離しているはずなのに…と、未だ加筆する積りだったのかもと、今のところそのままにしています。
このスケッチは、寒いこの気候の時期に、どうでも見て頂きたい雪景色です。 こんな雰囲気の絵は、私もめったに出来上がりません。 つい描き過ぎて仕舞うのです。 作品にしようと、描き込めば描き込むほど重い感じになって終って、空気の中に身を寄せて居る想いが伝わってこないのです。
画面をクリックして(拡大)してみて下さい。
東京へ転居するという、信美さんが、スタッフの有美子さんを連れて西脇までやって来ました。 コンサートのプロデュースをしている神戸在住の知友・高島仟さんと一緒に、何度かatelierへやって来て戴いたのが縁で、親交が続いている人です。
もともとウィーンに居を構えていた音楽活動家の高島さんは、いろんな方をお連れ頂いたのでしたが、中でも、実業界で活動している信美さんは、ほかの知人たちとは、一味異なる世界観を持っている人て、興味深く何時も話題が展開していたのです。
唐突な来訪でしたが、矢張りその雰囲気に調子があって、はじめてであった看護師の有美子さんを交えて「生き方」についての議論が深まったのです。 何となく、小生も心が解放されて、かなり深い話まで交換できたような気がしました。
なのに、話題は現代の複雑な社会の話にまで話が出来るのは、彼女自身も同じだったのでしょうね。 ご一緒の看護師さんも、公立病院に籍を置きながら、彼女の仕事に興味を持って、スタッフの一人で、明石での活動に加担しているようです。
新しい生き方の一つの形なのでしょう。 東京に居を移すのも信美さん自身もパートナーとの生活に、歩調を合わせようとの意気込みでした。
他人の関わりは、得がたいものですし、覚悟のいることです。 素敵な展開が約束されています。 思う存分の展開を期待します。