風の樹人日記

写真付きで日記や趣味を書く

おはようございます。

2013年03月31日 | アート・文化


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   この一見不釣り合いな色彩のバランスが、いかにも「磯崎新」らしい美感です。

  現在でも厳然と新鮮な刺激を主張しています。

  世界の磯崎新の真骨頂だったでしょうね。

  同じころ世界一大きいロスアンジェルス現代美術館の工事が進んでいました。

  アメリカの契約社会での工事を進めることが大変だったとのエピソードを本人から聞いたころでした。

   美術館前室です。

   この空間も暫らくで形が変わるでしょうね。

 

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 新西脇駅への旧橋です。

 堀町から、比延地区への街道に沿って、まだ、うっそうと茂っていた雑木林。

 

 
 時間の経過の証人です。

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いよいよやって来たか。老齢の兆し。

2013年03月30日 | アート・文化

 知っている人の名前や、読んだ本の名前などとっさに思い出せないことが多くなっています。

 ごく日常的な生活の中で、いろんなことを忘れ始めたのです。

 友人などと話をしていますと、だれもが顕著にそのことを自覚し始めていると言います。

 それに何より困るのは、このブログを書きながら、漢字が当て字になったり、間違った漢字転換や、文体などの不具合に、とっさに気付かないことです。 

 時々ブログのバックナンバーを読み返すことがあって、恥ずかしくなって3年も前のブログの修正をして、恥をかいた後に読み返してももらえない文章を入れ替えることもあるのです。

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外観はこんな感じでした。お世話を30年以上させて頂いた美術館です。

  内部も1-2点だけ・・。

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   美術館をサポートいただいてきた下さったいくこさん、八重咲の真紅の椿が一輪大きく開いています。

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   明日離任することになりました。私にとっての住み慣れた「離れ」のような感じてした。

    私にとっては、何方も

    




 ご協力いただいた方ばかりでお礼の伝え方すら思いつきません。

    退任後も、どこかでお出会いできることを楽しみにしている方々も、私にとっては沢山あります。

  今後とも今までどおりに、この美術館への愛着を持ち続けて頂くことを祈って、この美術館の「第一ステージ」の担当を明日で閉じたいと思います。

 西脇市岡之山美術館も、新しい体制で4月からの飛躍企画を計画検討されています。

   きっと、素敵な事業展開がなされるはずです。  ご期待ください。

      本当にご協力ありがとうございました。

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絵が描き続けているうちに随分変わりました?

2013年03月29日 | アート・文化

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  丁寧に色を付けている風景スケッチ。

 こんなスケッチをしていた頃もあったのですね。  裏の小山の「童子山」の中腹から西脇の市街を見晴らされた頃です。  7月16日のサインが入っています。  真夏の緑です。

 構図なども「近景」「中景」「遠景」の原則を守り、セオリーどおりに「遠景を柔らかく着彩」「近景はまさに真夏を感じさせる強い木々の色」。     織物工場の煙突や点在する電柱などが縦の線で画面を引き締める様に描いています。

    風景スケッチに限らず、絵を描くときの「構図の摂り方」にも、「空が頭上まで広がっていること」を見ても、 きっちり風景を映してみたいとの、基本に忠実に描き続けた時代の作品なのでしょう。

 唐突ですが、このころに、初めて渡欧の機会があったのでした。

 もちろん物見遊山の旅でしたが、初めての海外が、ギリシャ「パルテノン」「ミケーネ」「コリントス」などの旧跡を。  イタリア「ピサ」「フィレンツェ」「ローマ」「ポンペイ」「ナポリ」、さらにドイツ「ハイデルベルク」・・、フランス「パリ・サクレクール」 などとバンコク、ハイチなど南回りで。 帰路は「アラスカ」廻りで、20時間ばかりの時間をかけた長い搭乗だったのでした。

 

    旅の話を書こうとしたのは、この旅行が、大きく私の生活の価値観を変えたように思うからです。

 生活の仕方が、全く異なる(先進の国々)の暮らしに、今までの生活が何となく仕事に明け暮れているように思ってしまった記憶です。

 単なるお遊びでの渡欧が、自分の「生き方」にまで影響を与えたようなその後の転身。

     とうとう絵を深めようと職業まで離れてしまったのでした。

     という訳の絵描き三昧なのでもあったのかも知れません。

 その後のスケッチは、「省略」で成り立つ「風景スケッチ」が軽いタッチで、数限りなく続いたという次第です。

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一つの区切りを自分が付けようとする時。

2013年03月28日 | アート・文化

 人の出会いとは不思議なものだと、毎日の人との関係を、私は日常生活の中でどのようにしていたのだろうと反芻しています。

 というのは、昨日も思いもしなかった人が、挨拶をしてくださったのです。 「ご苦労様でした」と。

 そんな何気無い挨拶のようなものにすら、その人が挨拶に込めた微妙なニュアンスが伝わって来るのですね。 心入れの違いがそのままに。     そんな配意が私は出来ていたのだろうか。

 確かに美術館運営にも、全体的に「家族的な」運営を提案してきたようです。しかも日常も・・。

・分掌を処理するときは主担当が仕上げを確認する。・仕事をいつも気に懸けながら、4.6時中、心を傾けながら過ごす。・ニュースや、微妙な経過を出来るだけ共有する。・自分の周辺をその中でお互いに紹介して思いの共有を図る。  などを、当たり前に確認しあってきたはずです。      つまり、最終的に「今やるべきことが、全体で協力して仕上がるように」との美術館家族として処理する手法をとってきたのでした。  やや、非現代風の運営形態を目指したのです。

 「迷った時には、家庭ではどう判断しますか?」が、運営のコンセプトでもあったのでした。

4月に入ると、新しい形でスタートします。  それを機会に、少ないスタッフとサポーターが新しい展開を作り上げて頂くことを願うのです。   ただね従来しいてきた手法を見直しながら、当面はよく似た運営になるはずです。   ぜひ、地域の美術館を愛情を持って、訪ねてほしいと願います。

  私は、atelierへは午後になって「キャンバスの下地づくり」に出掛けました。

 コラージュに近い薄手の布をベースに、厚紙や、印刷物を張っていく手順で、仕上がりをイメージしながら2時間ばかり続けました。

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   その部分を同時にupしてみます。

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 Dsc_3533
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  もう1点のm100号は、

  おおむね地塗りの終わった制作緒端の作品です。

  その部分もアップしてみます。  まるで皆さんと一緒に制作して行っていくような手順ですね。Dsc_3550  Dsc_3549
  Dsc_3548
  Dsc_3539

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  制作の過程で、いつもこのatelierや、「田舎絵描き」を取材撮影して頂いているsさんのシャッター音が続いています。   この音も何となく馴染んできました。

  帰路に糜粥間に立ち寄ると、館の学芸担当のK君の現場実習を指導して頂いたというWさんと妹さんが鑑賞に見えていました。

  折角でしたので、珈琲を一緒に飲みながら、話がついつい佳境に入って仕舞ったのです。

  この出会いも、ひょっとして長いお付き合いになるやも…。

  

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一昨日の丹波行は、自分自信を反芻するいい機会になりました。

2013年03月27日 | アート・文化

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  空をじっと見ることの多い日が習慣になっています。

 昨日は、春の晴れ空でした。

 「空」は何もない空っぽの意。

 空には空空しい、空涙、絵空事など、嘘や中身がないという意味もある。

 「空悋気」(そらりんき)は根拠もないのに嫉妬することを表す言葉です。近松門在門の中にも時々出てくる言葉です。

 好い言葉だけではないのですね。  一昨日は、2人の身内のような仲間が、花見に誘ってくださって、ドライブかたがた丹波路を北に向かって走りました。

 その車を待つ間に太陽に向けてシャッターを切りました。  空に浮かぶ雲の塊が、他人の横顔を感じさせる形で変化して行くことが多いのですが、その顔は、いつもデッサンをしていた石膏のような「目や頬の窪みや顎鬚まで醸し出す形で変化を繰り返すのです。

 一昨日の夕刻の太陽は、電柱を照らして、画面の構成を教えてくれる「絵」そのものの表情を見せて呉れました。

   風景スケッチに何度も出掛けた時の思いが重なります。  たまたま退任していく「美術館の身の周り」を片づけているうちに、40年前のスケッチブックが出てきました。

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 横尾忠則さんも卒業した小学校の、40年前の運動場と藤棚ですね。

 タイヤを運動場に立てかけて、とび馬の遊びに興じた子供たちが瞼に浮かびます。

 

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 小高い丘のような「童子山」の中腹から南側の眺望も、今でも大きく変わっていません。

 

 40年以上も前に、今のスケッチに近い表現形式を自分のものにしていたようです。

 でも、ほんの5年も経った頃のスケッチは、技法だけではなく、「スケッチする対象物」への関心が、大きく変わっていたり、描きたいことが微妙に変わっていくのが見えてきます。



   まさに生きてきた証なのでしょう。その足跡を自分で見ることの出来る「視覚」からの緒の役割も果たしてくれるのです。

   沢山の方々に「影響だけではなく、深い思い入れを頂いたこと」に、時間が許す限りお答えしなくてはと思う日々が続いています。
 

 

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