風の樹人日記

写真付きで日記や趣味を書く

一見落書きですが、それでも何とか描いた「はがき絵」なのです。この暑さ。参ってしまいます。

2015年07月31日 | 日記

 「はな」や「むし」、「とり」等は、誰もがモチーフとして、描き続けています。

  「蝶」等は、変幻自在に描きつけると、どんな形態に描いても「蝶」になるのです。「人の顔」もデッサンで微妙な質感や陰影などを超えて、輪郭だけで描けます。  丁度子供の表現で充分形」なのです。描ける「形」なのです。

    逆に、そんなモチーフが描いて見ると、難しいものなのです。   北條の「五百羅漢」を良く観に行きますが、   いろんな表情になっているのも   何となく解ります。

 

           人それぞれを見たり感じたりする時に、作者の思いが反映されているのでしょうね。       でも、「羅漢の場合」、石彫の技量が、なかなか手強く、技量不足の中で彫っているものですから、却って、一人一人の違いが出ていて面白いのでしょうね。

 

      アトリエ入口の、レンガに掘り込んだ私の作品です。                      いまでは、陶の焼成に耐える体力がなく、その後は、殆ど「陶作品」は出来ていません。

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人間は「自然」そのものです。 当然自然の中が一番住み易いのです。「心」は…。

2015年07月30日 | 日記

 「地方」と言う言葉が「癒し」を包含する言葉で使われていたはずなのに、今では「忌避」の匂いを強く含む言葉になって仕舞ったのはどうしてでしょうね。

 賑やかな町の喧騒と隔離された、このatelierの地点も、街並みの密集する場所から、少し静かな場所の方が…、との思いで、広やかな山麓を選んで建てたのは、25年前の事でした。

 総合開発だって、こんな僻地で「田舎」を売りにして展開されるように思っていたのは、私だけではなかった筈なのです。               ほんの短い期間で、「限界集落」と言う言葉が「喧伝」され、便利さ最優先の「地方崩壊」の危機感をだれもが持つようになってきたのはどういうことなのでしょうね。

      確かに、この「庵」まで日参しているうちに、自動車の運転が出来なくなったらどうなるのだろうと心配になって来たのがこの何年かの、私の一番大きな「不安」です。          周辺友人たちだって、同じように齢を重ねています。      誰もが同じように、生活形態が変わって来て、コミュニティの形までかわっ来たこともあって、この静けさが、「空虚」にすら感じるようになりました。               明り取りの窓で、何年も、私といっよに暮らしてきた「造形達」も 同じように齢を重ねながら、atelierを守って呉れているようにさえ思います。 

  陶板たちは、この場所で出来たものですが、すっかり、もともとの住人に成り切っていて、昨日も私を見つめていました。                            

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この暑さの中、制作に取り組むでもなく、神戸市や加西市に出掛けています。

2015年07月29日 | 日記

  一週間ほと゛前の「かかりつけ医」のサジェッションで「暫らく、何もしないで、のんびりしなさいな」との言葉。     自分では、バタついているわけでもないのですが、矢張り、家事の一端も担当しないとやって行けない共助生活なのです。

            何年も前のサムホールが、そんな雰囲気を持ってい丸ようにも思えて、ブログにupしてみました。                        サムホールの油彩ですから、それなりに表情や雰囲気を醸し出しています。       

         26日に出掛けた神戸山手の官庁街にも、落ち着いた風が流れています。

 昨日も、またまた加西市の美術協会展まで足を伸ばしました。   

   竹内康行さん        西海晴子さん     中野一彦さん             後藤清美さんなどの作品の部分から、手慣れた技量の余裕のようなものを読み取ることが出来ました。

  何方も一生懸命です。

ドライバーをお願いしていたカメラマン・阪上さんと帰り道で、「多可町のエーデルササユリ」で昼食して歓談しました。  八千代区の門脇さんもお呼びして…。

 正に気儘な生活です。   

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体力が、大きく制作のためのモチベーションを支配することを、思い知りました。

2015年07月28日 | 日記

  やはり身体が健康でなければ、絵が描けません。

 このところ、いろんな事情もあるのですが、少しばかり体力の減退を意識し始めています。  でもだんだん馬力が出て来ました。  と言うのも、回復して行く体力に自覚が生まれたのです。  当然気力も充実しているような「幻想かもしれてない」とはいえ、肯定的に物事に取り組む大切さにも気付いて来たのです。

     玄関には、花が届けて頂けました。いつも「花好き」の私たちの事に気付いて下さっている方が、届けて下さるのです。 しかも、元気のいい花ばかりを無造作に「投げ入れして頂けた」のです。             そんな中、atelierでちょっと休もうと立ち寄ったのに、やはり筆を持ってしまうことに成りました。この「Don Quixote」も、この辺りで一先ず「未完の完成」として、筆を止めるところまで   進んだのです。 取り敢えず、captionを描きこんで、その勢いで、放置していた「知人カタログシリーズ」を描き進めるところまで…。意気が上がったことに感謝です。

       描き込みを少し進め続けるところで、一先ず休憩して、自宅のエレベーターの定期点検に立ち会いました。    次を描こうとする「顔」のどの表情にも、知人・友人への思いが重なり入り込んで来ます。   Aサンの筈で描いていて、Kサンの表情になってきたりして、大好きな人たちの「カタログ集」の感じにも…。楽しみながら見て頂く(顔カタログ)に展開出来そうにも思います。   出来上がりが楽しみですね。

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大企業に勤めていた頃に、スケッチブックを持って出かけた裏日本の入り江の港。懐かしい話です。

2015年07月27日 | 日記

  コンナに丁寧な「風景スケッチ」が何点もあったはずです。

   その頃からの親交がまだ続いている親友のお宅に架かっていました。         同じお宅の壁にF50号の神戸港が(油彩)で架かっています。

 懐かしいだけではなく、どれだけの時間を「描くという行為」に、時間を費やしたものだろうと、驚いています。

          この辺りからは、atelierでの制作を基盤に置いた作品たちです。                     画材が、何でも手元の周りにあるものですから、なんでも併用する【ミックスッド・メディア】作品が多くなっています。

 表現の幅が広くなる半面、微妙で繊細な表現に拘らないで、オートマティックな手法を「傍若無人」な表現を優先させるようなことに成って来ていることに気付きます。

  昨日の「兵庫県美術家同盟」総会などで沢山の方々に出会いましたが、どの作家も、そんな表現を選んでいないことに気がついて、矢張り、小生の作品作りのいまは、少数派の表現形式であることに改めて気づいて、ちょっと肩身の狭い気分にもなったのでした。

  と言うのも、「今年も日展に出し続けました」と言う、Sさんに、小野市まで車に同乗させて頂いて、cafeで小休止をした際の話が、その「日展」に話題が展開したものですから、いろいろ自問するひと時にもなったのです。     途中で、一寸立ち寄った、神戸・gallery嶋田の「ミニチュア展」に、私も出しています。8月5日までの会期です。150人のミニチュア作品の饗宴です。  ぜひ、ご覧になってみて下さい。 作家にとってはまたとない刺激が与えて頂ける展覧会でした。

 

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