旅の第7日目、いよいよこの日の夜にはイランを去ることになりました。
エスファハーンからテヘランに向かいますが、その途中、アブヤーネ村とカシャーンを訪れることになります。
バスは、乾燥地を北に向かいますが、車窓からは雪を頂いた山が見えてきました。これらの山は、イランの西部に南北に連なるザグロス山脈に属しています。なお、果物のザクロの名前は、このザクロス山脈の名に由来するといいます。
ハ . . . 本文を読む
エマーム広場の見学の最後は、自由行動となって買い物タイムになりました。
長方形のエマーム広場の北には、ゲイサリーイェ門があります。
ゲイサリーイェ門の先はバザールになっており、マスジェデ・エマームのある南側と違って庶民的な領域になっています。
ゲイサリーイェ門近くでは、車道が横断しています。
エマーム広場を囲む回廊は商店になっていますが、ゲイサリーイェ門側は、庶民的な店が並んで . . . 本文を読む
昼食を終えてから再びエマーム広場に戻ってきました。広場を囲む建物で残っていたマスジェデ・シェイフ・ロトゥフォッラーを見学しました。
アッパース1世によって造られた王族専用の礼拝堂です。レバノンの有名な説教師シェイフ・ロトゥフォッラーを迎えるために造られました。後に、アッパース1世は、彼の娘と結婚しました。
マスジェデ・エマームと並んで、サファビー朝建築の最高傑作とされています。
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アーリー・ガープ宮殿の見学の後、昼食のためにエマーム広場を離れました。午後に戻ってきてからマスジェデ・シェイフ・ロトゥフォッラーの見学と買い物をすることになりました。
昼食後に、ザーヤンデ川に架かるハージュ橋を見学しました。
ハージュ橋は、アッパース2世時代の1666年に完成しました。2層構造で、上層部のテラスでは、夏の夜に王が宴を張ったといいます。
現在では、歩行者専用の橋になって . . . 本文を読む
マスジェデ・エマームに続いてエマーム広場にあるアーリー・ガープ宮殿を見学しました。
1~2階はアッパース1世の時代、バルコニーと3~7階はアッパース2世の時代に造られました。イランで最初の高層建築で、かつてエマーム広場で行われたポロ競技を観戦したといいます。
バルコニーは修復工事中でしたが、内部は見学できました。
宮殿内に入る前に、裏手に回りました。建物を見上げると、前方と後方からでは階 . . . 本文を読む
マスジェデ・エマームの見学を続け、中央礼拝堂に入りました。
小さな円蓋を柱の列が支えています。
タイル装飾が天井一面を飾っています。
青だけでなく、黄色のタイルを使った絵も見られました。
高いドームの下に出ました。このドームは、外側は高さ54m、内側は38mと二重構造になっています。
ドームの天井から光が差し込んでいるように見えましたが、ドームの上部に穴が開いている訳 . . . 本文を読む
チェヘル・ソトゥーン庭園の見学を終えて、隣接するエマーム広場にやってきました。前日に夜景を見学しましたが、昼間はまた違った雰囲気です。
エマーム広場は、別名でナグシェ・ジャハーン広場と呼ばれ、これは「全世界の図」という意味です。サファヴィー朝のアッパース1世の命によって1598年に着工され、完成までには数十年かかりました。この広場に付けられた「エスファハーンは世界の半分」という言葉が良く知られて . . . 本文を読む
チェヘル・ソトゥーン宮殿の入り口の大ホールの奥に進むと小部屋が現れました。
この部屋の壁も細密画で飾られていました。
あいかわらず酒盛りの絵です。イスラム教に反するということで消されなかったことは幸いです。
壁も美しい装飾で飾られています。
小部屋を抜けると、再び大部屋に出ました。
細密画も見られましたが、この部屋は資料の展示室になっていました。
古いペ . . . 本文を読む
チェヘル・ソトゥーン宮殿の中に入ると、壁を埋め尽くす絵に目を奪われました。
天井の装飾も見事です。
部屋には、宴会の絵が三枚掛けられています。17世紀の著名な細密画師レザー・アッバースィによって描かれたものです。アッパース1世がアシュタルハーン朝のヴァリ・モハンマド・ハーンをもてなす宴、タフマースブ1世がムガール朝の王子フマーユーンをもてなす宴、アッパース2世がアシュタルハーン朝のナー . . . 本文を読む
六日目の観光は、チェヘル・ソトゥーン庭園の見学から始まりました。
バスを下りて歩いていくと、ペルシャ風の建物が現れました。
良く見ると、建物の前にあるのは、トリケラトプスの像。
頭に?マークが浮かびましたが、これは自然史博物館でした。
チェヘル・ソトゥーン庭園に入ると、池と宮殿の眺めが広がりました。
チェヘル・ソトゥーンとは、「40本の柱」という意味です。実際の柱は20本ですが、 . . . 本文を読む
エスファハーンでは、KOWSAR ISFAHANホテルに泊まりました。写真は、翌朝に撮影したもの。
このホテルの部屋もきれいでしたが、部屋が上階にあったためか、トイレで紙を流すのは禁止でした。これは海外では良くあることですが、水の流れをみていると、大をすると流せなくて大変なことになりそうでした。幸い、部屋の前に、アラブ式の共用トイレがあったのでこちらを使うことにしました。
通常なら、ク . . . 本文を読む
この日の最後の観光として、イラン観光の最大の見どころに挙げられるエマーム広場を訪れました。翌日の昼間に詳しく見学することになりますが、まずは夜景観察ということです。
バスを下りて、小路を通り抜けていきます。
エマーム広場に出ると、まずマスジェデ・シェイフ・ロトゥフォッラーが目に飛び込んできました。
右手には、マスジェデ・エマーム。
エマーム広場は、長方形の広場で、北端にはゲイサ . . . 本文を読む
夕暮れ迫る中、ヴァーンク教会にやってきました。
ヴァーンク教会は、ザーヤンデ川の南のジョルファー地区にあるアルメニア教会です。モスクを思わせるドームの上には十字架が置かれています。
アッバース1世によって、エスファハーンはサファヴィー朝の新首都に定められましたが、当時絹の国際交易で活躍していたアルメニア人が移住させられ、新・旧の市街地の対岸にあたるジョルファー地区に居住することになりました . . . 本文を読む
エスファハーンには夕暮れ時に到着し、翌日の予定であったマスジェデ・ジャーメ(金曜日のモスク)をまず見学しました。
エスファハーンは、古くからの政治・文化・交通の拠点として栄えました。8世紀にマスジェデ・ジャーメ(金曜日のモスク)の基となった大モスクが建立され、町はこれを中心に発展していきました。11世紀にセルジューク朝のスルターン・マリク・シャーが、国の都に定めると、エスファハーンは最初の隆盛期 . . . 本文を読む
ヤズドで最後の見学場所になるマスジェデ・ジャーメのため、時計台の脇でバスを下りました。
商店の並ぶ通りを少し歩くと、マスジェデ・ジャーメが見えてきました。
マスジェデ・ジャーメは、ササーン朝時代のゾロアスター教の神殿跡地に、14~15世紀に建てられました。金曜日のモスクとも呼ばれ、ヤズドのシンボル的存在になっています。
二本並ぶミナーレは、イランで一番の52mの高さを誇っています。
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