さすらい人の独り言

山登り、日々の独り言。
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さすらいの風景 エスファハーン その1

2014年02月04日 | 海外旅行
エスファハーンには夕暮れ時に到着し、翌日の予定であったマスジェデ・ジャーメ(金曜日のモスク)をまず見学しました。

エスファハーンは、古くからの政治・文化・交通の拠点として栄えました。8世紀にマスジェデ・ジャーメ(金曜日のモスク)の基となった大モスクが建立され、町はこれを中心に発展していきました。11世紀にセルジューク朝のスルターン・マリク・シャーが、国の都に定めると、エスファハーンは最初の隆盛期を迎えることになりました。セルジューク朝が衰退した後は、モンゴル軍の進攻やティムールの破壊によってエスファハーンは停滞期に入りますが、1597年にアッバース1世によって、エスファハーンはサファヴィー朝の新首都に定められました。アッバース1世は、マスジェデ・ジャーメ(金曜日のモスク)のある旧市街地に対し、アッバース1世はエマーム広場を中心とする新市街地を再開発し、エスファハーンは第二の隆盛期に入りました。

マスジェデ・ジャーメ(金曜日のモスク)は、一度焼失しましたが、12~14世紀に再建されて、増改築が繰り返されましたが、当時の建造物が多く残されています。



マスジェデ・ジャーメ(金曜日のモスク)の門前はバザールが広がっていました。





チャドルを着たマネキンが並んでいました。



入った所の小部屋にマスジェデ・ジャーメ(金曜日のモスク)の模型が置いてありました。中庭の周囲に、多くの建物が取り巻いています。入場は、左下の入り口からになります。



入り口左手の礼拝堂に入ると、アーチを支える柱が何本も並んでいました。スペイン・コルドバのメスキータと似た雰囲気があります。





レンガ造りで小さなドームを柱が支えていますが、多くの建築様式が見られるようです。



礼拝のための絨毯が敷かれているところもありました。





天井の高い部屋に出てきました。



大きなドームに覆われた礼拝堂。



ここのミフラーブは、年代を経て痛んでいました。



中庭に一旦出ました。広場を囲む四方の建物には、エイヴァーンが造られていました。

正面の北東のエイヴァーンは、托鉢僧のテラス。



北西のエイヴァーンは、師のテラス。



南東のエイヴァーンは、弟子のテラス。



南西のエイヴァーンは、主のテラスと呼ばれています。



中庭の中央には壇が設けられていました。



北西のエイヴァーンの脇から入ると、小さな礼拝堂があります。



ここのメフラーブは、漆喰細工で造られています。



コーランの一節や唐草模様が、細かく描かれています。





古いメンバル(説教台)が二つ置かれていました。





その奥には、冬の礼拝室があります。日が暮れて気温も下がってきており、暖かいこの部屋は居心地良く感じました。



エイヴァーンの壁を飾るモザイクタイル装飾も見事でした。



青のタイルが主に用いられています。





壁には、イランの最高指導者であるイスラム聖職者の絵が飾られていました。これはイラン革命の指導者のホメイニ師。



こちらは、現職のハーメネイー師。

この二人の肖像画は、イランの街中で数多く見られました。イスラム教では偶像崇拝を禁止しているので、聖職者の肖像画も禁止なのかなと思っていたのですが、イランでは考え方が少し違っているようです。



ミナレットの上には、手の飾りが置かれていました。

日も沈んできましたが、もうひと頑張りしてヴァーンク教会に向かいました。
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