モハスタン遺跡の見学後、パハルプール遺跡に向かいました。
交代した警備の警官を見ると、女性警官が乗っていました。なかなかの美人で、皆が写真撮影をしていました。
バナナを積み上げて運んでいました。
パハルプール遺跡の大塔が見えてきました。
パハルプール遺跡に入場。
付属の博物館。後で見学しました。発掘された仏像などが展示されていましたが、内部は撮影禁止でした。
8世紀 . . . 本文を読む
ボグラの市場見学の後、仏教都市遺跡モハスタンを訪れました。バングラディシュ最古で最大の仏教遺跡で、紀元前3世紀マウリヤ朝アショカ王の時代の街のブンドナガルに相当するといいます。7世紀頃にはヒンドゥー教の興隆とともにインドでは仏教が廃れていくものの、バングラディシュではパーラ朝(8~11世紀)のもとで仏教が栄えました。
まずは付属の博物館を見学しました。
小銃を持った警察官が警備にあたってく . . . 本文を読む
ボグラには、夜になって到着。ナズガーデンに泊りました。
客室。
ここにもキブラシールが張られていました。
ホテルのテラスからは、田圃の眺めが広がっていました。
モスク。
ここで気になるニュースが入ってきました。サイクロンが発生し、ベンガル湾を進んでくるといいます。ボグラからは、観光しながら南下してベンガル湾に向かっていくことになります。サイクロンの状況によっては、 . . . 本文を読む
ダッカからボグラに向こう途中、タンガイル村に立ち寄りました。
まずは、タンガイル村に拠点を置くNGO「UBINIG」の種子保存バンクを訪れました。
バングラディシュは、近年国際支援の試験場と呼ばれるようになっています。収穫増加のための外来種が導入されましたが、これらは化学肥料が必要なため、健康被害が蔓延し、無農薬・固有種による伝統的農業が見直されはじめてきました。
ここでは約2500種の . . . 本文を読む
ダッカの宿は、リージェンシー ホテル&リゾート。
部屋は、普通の造りでした。
壁にはメッカの方向を示すキブラシールが張られていました。
キブラシールのアップ。
バングラディシュがイスラム教の国であることが判ります。
部屋に置かれていたカレンダーを見ると、日曜日の代わりに金曜日が休日になっていました。
部屋には、電気蚊取りが置かれていました。臭いのでスイッチは切りました . . . 本文を読む
トルクメニスタンに続いてバングラディシュに出かけました。バングラディシュは、インドの東に隣接し、ガンジス川の河口部デルタ地帯が広がっています。
選んだの以下のツアー。バングラディシュへは秘境系の会社しかツアーを催してはいません。
「黄金のベンガル・バングラディシュ 10日間」(西遊旅行社)
この日出発のツアーは、「シュンドルボンの祭り」を見学できるものでしたが、台風によって祭りは中止になり、 . . . 本文を読む
トルクメニスタンでは観光客向けの土産物屋は全く見当たりませんでしたが、珍しくメルブからトルクメナバートに向かう途中の露店で手作りの土産物を売っていました。
これは、現地ガイドからのプレゼント。
これも現地旅行会社からのプレゼント。
ハチミツ。
アシガバードのスーパーで買ったビスケット。
香辛料の効いたポテトチップ。
干しアンズ。
ピーナツ入り黒糖。
干し . . . 本文を読む
トルクメンバシの海辺のレストランでの昼食。
サラダ。
パン。
スープ。
茹でエビ。
茹で小エビ。ちょっと塩気が強すぎました。これらのエビは、旅行会社がバザールで買って差し入れてくれたもの。
カスピ海の魚。
デザートの果物。
最後にお茶。
アシガバードのレストランでの夕食。
スープ。
サラダ。
プロフ。
マリのホテルでの夕食。
. . . 本文を読む
トルクメニスタン旅行の食のまとめです。地獄の門とヤンギ・カラでのキャンプ時の食事は別項目にて。
タシケントのホテルでの朝食。飛行機に乗るための早朝であったため、料理が一部しか出ていませんでした。
トルクメニスタン入国後のクニャ・ウルゲンチでの昼食。一般的なレストランはないので、民宿のような家で食事をとりました。まずはナン。
サラダ。
ラグマン。
肉の煮込み。
デザー . . . 本文を読む
サマルカンドに到着して、レギスタン広場で写真ストップしました。残念ながら、入場はせずに入り口からの見学のみでした。
レギスタンとは砂場という意味で、チンギス・ハーンの来襲以降サマルカンドの中心地になって市場やキャラバンサライが造られていましたが、現在では、広場を囲んで三つのメドレセが並んで巨大な空間を形作っています。サマルカンドのみならずウズベキスタンを代表する風景です。
左は、1420年 . . . 本文を読む
トルクメニスタンからウズベキスタンへ入国し、バスに再び乗車すると、ほどなく日が暮れてきました。
国境からこの日の宿泊地のブハラはそう遠くない距離にあります。
この日のブハラの宿は、GRAND BUKHARAでした。(写真は、朝になってから撮影)
客室は簡素。日本ジの団体も多く利用するホテルのようです。
他に日本人の団体もいて、トルクメニスタンと違って急に観光地にやってきた感じがしま . . . 本文を読む
メルブ遺跡でトルクメニスタンでの観光は無事に終了し、この日は国境を越えてウズベキスタンのブハラへと北上することになりました。
運河を渡りました。カラクーム運河の本流か支流かは判りませんが、水量豊富に流れています。
カラクーム運河は、アムダリヤ川から取水してトルクメニスタンのカラクム砂漠を横断するソ連時代に造られた世界最大の灌漑および水道用の運河です。これによって綿花の大規模栽培が可能になりまし . . . 本文を読む
遺跡内を一周して、先ほどは前を素通りしたスルタン・サンジャール廟に戻ってきました。
スルタン・サンジャール廟は、トルコ系のセルジューク朝の最後の王の墓が祀られている廟です。セルジューク朝は、11~12世紀に現在のイラン、イラク、トルクメニスタンを中心に支配し、メルブに都を置きました。
廟はきれいに修復されていますが、偉大なる祖先の偉大なる王の墓ということで、現在のトルコ共和国が大々的な援助 . . . 本文を読む
グヤウル・カラを移動していると、氷室が見えてきました。12世紀に造られたもののようです。雪で冷やしたといいますが、どこで雪を手に入れたのでしょう。素焼きの容器に入れた水の蒸発熱を利用して冷やしていたのではないでしょうか。
スルタン・カラ地区に入ると、アスハブ廟が見えてきました。
7世紀にイスラム教を広めた聖人の廟で、15世紀のティムール帝国時代に建てられました。イスラム教徒にとって聖地 . . . 本文を読む