さすらい人の独り言

山登り、日々の独り言。
「新潟からの山旅」別館
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さすらいの風景 エスファハーン その6

2014年02月14日 | 海外旅行
チェヘル・ソトゥーン宮殿の中に入ると、壁を埋め尽くす絵に目を奪われました。



天井の装飾も見事です。



部屋には、宴会の絵が三枚掛けられています。17世紀の著名な細密画師レザー・アッバースィによって描かれたものです。アッパース1世がアシュタルハーン朝のヴァリ・モハンマド・ハーンをもてなす宴、タフマースブ1世がムガール朝の王子フマーユーンをもてなす宴、アッパース2世がアシュタルハーン朝のナーデル・モハンマド・ハンをもてなす宴とのことですが、どれがどれかは判りません。



宴のさまが生き生きと描かれています。踊り手の姿には、東洋的なものが感じられます。

ペルシア細密画(ミニアチュール)は壁画や写本の挿絵として発達してきました。イランの詩文学は10~13世紀にその絶頂期を向かえて数々の傑作が生まれましたが、絵画は、少し遅れた13世紀後半のモンゴル支配下のイル・ハン朝の頃からで、ティムール朝を経て16世紀、サファヴィー朝期に全盛期を迎えました。イル・ハン国を建てたモンゴル人が、中国絵画の技法をイスラーム世界に伝えたといいます。



細かい所を見ていくと、興味が尽きません。





踊り手が増えています。



酔いつぶれている人。



女性だけで酒盛り。



宴会の参列者。







お客が年少のようなので、これが「タフマースブ1世がムガール朝の王子フマーユーンをもてなす宴」の絵のように思えます。

細密画というとインドのムガル絵画も有名です。第2代皇帝フマーユーンは、一時期、サファヴィー朝のタフマースプ1世の宮廷に身を寄せていた事があり、その折に、フマーユーンは、ペルシャ細密画に触れる事となりました。フマーユーンはインドに戻る際に、2人の絵師を連れ帰り、そこからムガル絵画が始まりました。

この宴会の絵は、ムガル絵画誕生の場面を描いているともいえます。



民族楽器の演奏者





宴会の絵と並んで、戦いの絵が飾られていました。

イスマイール1世とオスマン軍の戦い、イスマイール1世の軍勢がターヘルアバードでシャイバーニー朝軍を打ち負かす様子、インドのカルナルでの戦いの三枚の絵が飾られていました。



像が描かれているので、インドでの戦いでしょうか。



首が飛ぶ殺戮のさまが描かれていますが、宴会の絵の方が生き生きとしていますね。











壁の下部には、男女を描いた小ぶりな絵が飾られていました。ペルシャ細密画ならではの趣があります。



誘うような姿にエロチシズムを感じます。



絵に描かれている赤い飲み物は、葡萄酒のように思えます。

漢詩なら「酔臥沙場君莫笑」といった場面ですが、ペルシャの詩でも同じような酔いどれの詩があるのでしょうね。























これらのペルシャ細密画を見ていると、二人の画家が思い浮かんできます。

一人は、この「千夜一夜物語」を描いたカイ・ニールセン。

カイ・ニールセン(1886~1957年)は、デンマークのイラストレーターで舞台美術も手がけました。この絵は、コンドラシン&コンセルトヘボウ管弦楽団によるリムスキー・コルサコフ作曲の交響組曲「シェエラザード」のCDジャケットに使われていましたね。



エルテ作 ファイヤーフライ

もう一人は、エルテ(本名ロマン・ド・ティルトフ 1892~1990年)。ロシア生まれで、オリエンタリズムとロシア文化を取り入れ、さらにペルシャの色彩やビザンチンの華麗さを加味したアール・デコの画家で、数々の舞台衣装やヴォーグ等のファッション雑誌の挿絵を手がけました。リトグラフ「数字」シリーズが最も知られていますね。

この二人の絵が好きなので、時代を遡ってペルシャ細密画に親しみを覚えるのかもしれません。
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