美術史博物館の一階部の見学を終え、続いて二階に向かいました。
階段の踊り場に置かれているのは、イタリアの彫刻家アントニオ・カノーヴァ製作(1782年)の「ケンタウロスを殺害するテセウス」像です。ラピタイ族の王ぺイリトオスの結婚式で、花嫁に襲いかかったケンタロウスをテセウスが殺害する場面です。
ルーブル美術館の階段に置かれたサモトラケのニケと同じ感じですが、美術史博物館では豪華な建物自体にも . . . 本文を読む
二日目の終わりに、ようやく美術史博物館にやってきました。
入り口のテレジア広場は、クリスマスマーケットで賑わっていました。
美術史博物館の中も大賑わいでした。
一般的には、正面の階段を上がって、二階に展示されている絵画部門を見るのですが、今回は、一階部分も見学することにしました。美術史博物館には、これまで二回訪れてはいるのですが、一階部分は見学しないでいました。
一階部分には、エジ . . . 本文を読む
新王宮を出て、次は国立図書館プルンクザールを訪れました。入り口は、朝方通ったヨーゼフ広場に面しており、道順としては無駄な歩きになりました。
入り口から入って古びた階段を上がっていくと、国立図書館プルンクザールのホールに出ました。
思わず見とれて、足が止まってしまう空間です。
18世紀前半に建設されたバロック建築の傑作で、かつては国立図書館として用いられ、プルンクザール(豪華なホール) . . . 本文を読む
新宮殿の古楽器コレクションのあるフロアーの半分が狩猟・武器コレクションの展示場になっています。
回廊部には、馬上槍試合の展示が置かれており、目が引き付けられます。
馬上槍試合は、中世からルネサンス(12世紀 - 16世紀)にかけて西欧で流行した、騎士の技量を争う競技会または模擬戦争です。馬上槍試合では、団体戦のトゥルネイと個人戦のジョストが行われていました。スポーツ競技で一般的に使われるト . . . 本文を読む
宝物館に続いて、新王宮にやってきました。新宮殿は、 フランツ・ヨーゼフ1世によって建築が命じられましたが、工事が完了したのは 1923年で、すでにハプスブルク帝国は1918年に終焉を迎えていました。
1938年3月15日に、アドルフ・ヒトラーは、この新王宮のバルコニーに立ち、広場を埋め尽くす民衆に向かって「ドイツによるオーストリア併合」の演説を行ったとのことです。
現在、新宮殿には、エフェソス . . . 本文を読む
カプツィーナ皇帝納骨堂の見学を終えて、次は王宮の宝物館に向かうことにしましたが、その前にすぐ近くのノイアー・マルクト広場にある宝石店のケッヒャートのショーウィンドーを見ていくことにしました。
ケッヒャート宝石店は、ウィーン会議の開かれた1814年の設立。1868年には皇帝フランツ・ヨーゼフによって宮中御用達宝石商に指名されました。
買い物の対象にはならないお高い宝石が並んでいますが、右下の星形 . . . 本文を読む
シシー博物館と王宮を見学した後、ザッハーでケーキを食べてひと息いれた後に、カプツィーナ皇帝納骨堂を訪れました。
ここには、1633年以降のハプスブルク家の皇帝及びゆかりの人物の棺が納められています。
ここに安置されている人から、ハプスブルク家の栄光と没落の歴史を振り返ることにしましょう。
地下に入ると、創設者納骨堂と呼ばれる奥まった小部屋があります。ここには、納骨堂の建設を命じたマティア . . . 本文を読む