タシュクルガンの町を出発し、カシュガルに向かいました。道路は良く整備されており、快適なドライブが続きました。
パミール高原をゆったりと川が流れています。
雪山の眺めが広がっていますが、パキスタン側と違って穏やかな姿をしています。
中国に入ると普通のトラックが走っており、パキスタンのデコ・トラが懐かしくなります。
原野の中に、時折り民家が現れます。
走るうちにムスタ . . . 本文を読む
タシュクルガンの宿は、天縁国際大酒店でした。パキスタンのホテルと比べると、新しく設備が整っていました。
部屋に入ったのは夜中の12時ですが、昼まで使っていたパキスタン時間ではまだ9時です。外に出てみました。
ホテルの周囲は造成地で、立派な道路が延びている割には、人家や店はありませんでした。
第9日目は、朝食9時、出発10時という、やけにゆっくりとした時間配分です。少し早めに起きても真 . . . 本文を読む
クンジュラブ峠は、標高4693mの台地になっています。
峠を走るパキスタン・中国の国境部は緩衝地帯が設けられており、中国側にはゲートが設けられています。中国側の国境付近は写真撮影禁止ということで、バスの車窓から撮影したこの写真のみになりました。入国審査の際に、カメラの撮影画像がチェックされることもあるともいわれました。
クンジュラブ峠付近は草原になっており、パキスタン側ではヤクの放牧も行わ . . . 本文を読む
第8日目は、パスーを出発し、クンジュラブ峠を越えてタシュクルガンまでの移動になります。パスーの標高は2600mで、クンジュラブ峠は4733m、タシュクルガンは3100mなので、体験したことのない標高の体験になります。
クンジュラブ峠越えは、今回の旅のハイライトではありますが、陸路でのパキスタンから中国への国境越えということで、最大級の難関が待ち構えています。
朝日に輝くシスパーレ峰を後にして、 . . . 本文を読む
グルミット村から凸凹道を少し走ると、良く整備されたカラコルム・ハイウェイに乗ることができ、風景を眺めながらの快適なドライブになりました。
背後にグルミット・タワーの属する山塊が遠ざかっていきました。
川の上流部に、鋸刃のような鋭峰を連ねた岩山が見えてきました。トポップ・ダン(カテドラル)の西に回り込んだようです。標高6106mの主峰は背後に隠されています。
カラコルム・ハイウェイ . . . 本文を読む
アッタバード湖を渡り、再びバスの旅を再開しました。
トポップダン(6106m)が、カテドラルという別名に相応しい姿を見せていました。
ようやく水が引いて現れた河畔には、水没した家屋や立ち枯れした木を見ることができました。仮設道路のため、砂埃の酷い大揺れの道が続きました。
それほどの距離を走らないうちにグルミット村に到着しました。村の背後には、グルミットタワーと呼ばれる岩山が聳えていま . . . 本文を読む
アッタバード湖の湖畔には、水没した家屋が見られ、道路の付け替え工事も行われています。
支流の谷奥には、雪を頂いた山を望むことができます。
湖面が急に広がりました。
船が進むにつれて、トポップダン・ピーク(6106m)が少しづつ姿を見せてきました。この山は、イギリス人によって、カテドラル・ピークスと呼ばれましたが、まさに言い当てています。
この形に一番合うのはミラノのカテドラ . . . 本文を読む
カリマバードを後にして、カラコルム・ハイウェイを北上しました。これから向かう地域は、上フンザあるいはゴザール地方と呼ばれます。
カラコルムハイウェイは、切り立った崖の間を進んでいきます。路面はきれいに舗装されて快適な道ですが、土砂崩れでトンネルごと埋まってしまい、迂回路が設けられているところも出てきます。道路脇の斜面には、今にも崩れそうな土砂が溜まっています。日本の山岳道路だと法面をコンクリ . . . 本文を読む
旅の第7日目、フンザでの滞在を終え、再びカラコルム・ハイウェイのバス移動を再開しました。
ウルタルⅠ峰(左)とウルタルⅡ峰が見送るように紺色の空に聳えていました。
移動するうちにフンザピークやレディースフィンガーも姿を見せて、車窓から目を離せなくなりました。
フンザピークを背景に、岩山のアルティット・フォートが姿を現しました。
それほど走らないうちに、バスストップになって、 . . . 本文を読む
ハセガワ・メモリアル・パブリック・スクールの見学を終えてからは、カリマバードの上に聳えるバルティック・フォートの見学を行いました。
バザールに戻り、坂道を登っていきます。
息を切らして急坂を登っていくと、バルティック・フォートが見えてきました。
バルティック・フォートは、フンザのミール(藩主)の居城として長年にわたって用いられてきたものです。近年は荒廃していましたが、イスマイール派の . . . 本文を読む
第6日目は、まず、ハセガワ・メモリアル・パブリック・スクールの見学を行いました。
学生が次から次に登校してきていました。
立派な校舎が設けられていました。
入り口の壁には、ハセガワ・メモリアル・パブリック・スクール創設の由来を記したプレートが飾られています。
ハセガワ・メモリアル・パブリック・スクールは、フンザの裏手に聳えるウルタルⅡ峰で雪崩によって亡くなった登山家長谷川恒夫氏 . . . 本文を読む
第5日目の夜は、ホテルで、フンザの伝統料理を食べながらのフンザの踊りの見学になりました。
フンザダンスは、兵が王様に自分の勇気を踊って見せる事が起源といわれています。
フンザのそれぞれの家族や民族等が自分の特別なメロディや踊りを持っており、踊りが盛り上がると、飛び入りがそれぞれの踊りを披露することになりました。
楽器は、左からトゥテク(笛)、ダーマル(小太鼓)、ダーダン(大太鼓)の三人編成で . . . 本文を読む
アルチット村見学の後は自由時間となり、水路沿いの散策に出かけました。この水路沿いの散策は、第6日目の午後にも行われたのですが、山の展望は第5日目の方が良かったので、無駄にはなりませんでした。
ホテルを出てひと登りして車道に出ると、水路が左に分かれます。
水路の入り口からは、ウルタル谷を望むことができます。この水路も、ウルタル谷の氷河からの水を引いたものです。
ホテルからでは半分隠され . . . 本文を読む
ホーパル氷河から戻ってホテルで昼食をとり、午後はアルチット村の見学を行いました。
アルチット村は、カリマバード村の東にあり、フンザで2番目に古い歴史を持っています。村は城壁に囲まれ、フンザと谷を隔てて対峙するナガール王国からフンザを防衛するために築かれた城砦、アルティット・フォートが建ちます。城壁内部はさながら迷路のようになっており、外部からの侵入を防いできました。
村の観光料として100ルピ . . . 本文を読む
ドゥイカルの丘での夜明け見物を終えからホテルに戻って朝食をとり、改めてホーパル氷河の観光に出発しました。
ドゥイカルの丘と同じく、細い山道が続くため、四輪駆動車に分乗して向かいます。
ホテルのあるカリマバードの村から一旦山を下ります。
フンザ川を渡ります。左岸に続く道は、第7日目に進むことになるカラコルム・ハイウェイです。
河原には、砂金採りのテントが張られていました。
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