さすらい人の独り言

山登り、日々の独り言。
「新潟からの山旅」別館
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さすらいの風景 ネウム

2014年06月30日 | 海外旅行
ドブロヴニク目指してアドリア海に沿って南下していくと、クロアチアとボスニア・ヘルツェゴヴィナとの国境に出ました。ドブロヴニクは、クロアチアの飛び地になっています。 ここの国境の出入手続きは簡略化されています。 ボスニア・ヘルツェゴヴィナに入るとネウムの街です。ネウムの街の幅21kmだけが、ボスニア・ヘルツェゴヴィナの海岸線になっています。ネウムの街の内陸部は山地になっており、細い道しか通じ . . . 本文を読む

さすらいの風景 トロギールからネウム

2014年06月26日 | 海外旅行
スプリット見学の後に、この日の宿泊地のトロギールに向かいました。 トロギールは、スプリットから27kmのそう遠くない距離にあり、城壁に囲まれた小さな街で、世界遺産に選ばれています。ツアーの見学地には含まれていないので仕方のないことですが、ホテルはチオヴォ島の北海岸にあって旧市街地からは離れており、歩いていける距離ではありません。 それでも、夕暮れ近くなってトロギールの旧市街地をかすめて通り過ぎ . . . 本文を読む

さすらいの風景 スプリット その3

2014年06月25日 | 海外旅行
スプリットの中心地のペリスティルにある大聖堂は、ディオクレティアヌス帝の霊廟として造られたものですが、後の8世紀に教会に改築されました。安置されていたディオクレティアヌス帝の遺体も行方が判らなくなっています。キリストk教迫害者への報復とも考えられますね。 入り口に置かれたスフィンクスは、ディオクレティアヌス帝がエジプト遠征から持ち帰った物とのこと。 ライオン像も置かれていました。唐獅子 . . . 本文を読む

さすらいの風景 スプリット その2

2014年06月24日 | 海外旅行
ディオクレティアヌス宮殿の中心地のペリスティルには、宮殿前庭の他に大聖堂が建っていますが、ここの見学の前に、まずは宮殿内をひと回りしました。 まずは、北にある金の門に向かいました。細い路地が続いています。 脇道の先には、由緒ありげな小広場がありましたが、洗濯ものが干してあるのも、生活の場になっていることが判ります。 金の門に到着し、城外にでました。 金の門の前の広場には、グ . . . 本文を読む

さすらいの風景 スプリット その1

2014年06月23日 | 海外旅行
クルカ国立公園の見学を終えてスプリットを目指しました。高原地帯から海岸部へ下っていくと、岩山の上に建つ要塞が見えました。 眺め続けていくと、かなり大規模の要塞であることが判りました。 帰国後にネットで調べると、クリスの要塞のようです。 クリス要塞は、ローマ時代の砦として築かれたのが始まりで、7世紀初頭からはクロアチアの重要な城となって、16世紀末のオスマントルコ軍の侵入に際しては、こ . . . 本文を読む

さすらいの風景 クルカ国立公園

2014年06月20日 | 海外旅行
昼食をとったスクラディンを出発してから尾根越えをすると、クルカ川が見えてきました。クルカ川は、クロアチアとボスニア・ヘルツェゴビナの国境の近くのディナル・アルプス山脈から流れ出ています。 見学するスクラディンスキー・ブグは、写真の左手にあたる下流部にあります。 バスを降りて公園内に進むと、水の流れの中に木道が巡らされていました。 ここの滝は、日本で見られる深い渓谷の中で高みから流れ落 . . . 本文を読む

さすらいの風景 リエカからスクラディン

2014年06月19日 | 海外旅行
旅の4日目は、オパティアからクルカ国立公園までおよそ300kmの長距離移動になります。バスの中では寝ている者も多くいましたが、車窓から眺めるアドリア海の眺めは楽しめました。 オパティアを出発すると、ほどなくリエカの街を通過しました。リエカはクロアチア最大の貿易港で、ビルも立ち並んでいました。 高台を通過していくと、リエカの旧市街地を見下ろすことができました。 街を見下ろす高台にトルサ . . . 本文を読む

さすらいの風景 オパティア その2

2014年06月18日 | 海外旅行
イストラ半島の見学を終えてホテル・オパティアに戻ってきました。 この日最後の見学地のプーラではバスに乗るのと同時に雨が降り出しましたが、オパティアに戻ると晴れ空が広がっていました。 夕食前に、近くのスーパーマーケットにミネラルウォーターとビールを買いに出かけました。 夕暮れ時の海岸に出て、再び乙女とカモメの像を眺めました。 オパティアのシンボルといって良い眺めです。 夕食 . . . 本文を読む

さすらいの風景 プーラ

2014年06月17日 | 海外旅行
イストラ半島見学の最後にプーラにやってきました。 イストラ半島の南端にあるプーラは、ギリシャ神話のイアソンとメディアが奪った黄金の羊毛を取り返しにきたコルキスの民が築いたという伝説の残る町です。ローマ時代には交易の中継地として栄え、3000年の歴史を持つアドリア海東岸最古の町として古代から行政の中心地になってきました。 街に入ってまず目に飛び込んできたのはローマ時代の円形劇場です。 この . . . 本文を読む

さすらいの風景 ロヴィニ その2

2014年06月16日 | 海外旅行
ロヴィニの街の上に建つ聖エウフェミア教会に入場しました。 堂内には、様々な像が置かれていましたが、奉納された蝋燭に目が引き付けられました。 これは、マリア様というよりは、聖エウフェミアの像でしょうかね。 これは、右手に車輪を抑え持ち、足元にライオン像が置かれていることから聖エウフェミアの像だと思います。左手に持つ模型は、この教会を表しているのでしょう。 その奥に、聖エウフェミア . . . 本文を読む

さすらいの風景 ロヴィニ その1

2014年06月13日 | 海外旅行
ポレッチ見学の後は、ロヴィニにやってきました。 ロヴィニもアドリア海に臨む港町です。 旧市街は、元々は岬の先にある島に置かれていましたが、1763年に海峡は埋め立てられて地続きになりました。 丘の上には、聖エウフェミア教会が立って、独特の景観を形作っています。 中世にペストが流行した時には、島にあるロヴィニの街に人々が押しかけてきたため、旧市街地では海の際まで家が並ぶようになりまし . . . 本文を読む

さすらいの風景 ポレッチ その2

2014年06月12日 | 海外旅行
聖堂の裏に回ると、邸宅跡が残されていました。 昔は右端に聖堂に入る通りが設けられていたようです。 海からの入り口であったアーチが残されています。 保護のために金網で造られた通路が設けられていました。 通路からは、残されたモザイクの床を眺めることができました。 住居跡から鐘楼を振り返ったところ。 聖堂脇の建物内にも、モザイクの床が残されていました。 保存 . . . 本文を読む

さすらいの風景 ポレッチ その1

2014年06月11日 | 海外旅行
旅の三日目は、イストラ半島にある街の見学になりました。イストラ半島は、イタリアのトリエステの南に三角形にアドリア海に突き出た半島です。北の一部はスロヴェニア、南の大部分はクロアチアに属しています。宿泊地のオパティアは、南東の付け根に位置しています。 ナポレオン戦争終結後のヨーロッパの秩序再建と領土分割を目的とした1815年のウィーン会議によって、アドリア海沿岸部のヴェネツィア領を完全に併合する事 . . . 本文を読む

さすらいの風景 オパティア その1

2014年06月10日 | 海外旅行
ポストイナ鍾乳洞の見学を終えて南下すると、スロヴェニアとクロアチアの国境に到着しました。手前がスロヴェニアで奥がクロアチアの国境ゲートです。 クロアチアは、スロヴェニア、ハンガリー、セルビア、ボスニア・ヘルツェゴビナの間に広がる東西に広い内陸部と、北はイタリア、南はモンテネグロまでの長いアドリア海沿岸部からなります。 クロアチア人の主な宗教はローマカトリックで、文化的にはオーストリア・ハンガリ . . . 本文を読む

さすらいの風景 ボストイナ鍾乳洞

2014年06月09日 | 海外旅行
ブレッド湖の見学を終えて、次はボストイナ鍾乳洞に向かいました。 スロヴァニアのアドリア海から内陸に入った地域は、カルスト地方と呼ばれ、石灰岩が浸食されてできたカルスト地形の言葉の元になった地です。スロヴェニアには8500以上もの鍾乳洞があるといいますが、このボストイナ鍾乳洞はヨーロッパ最大の規模を有して、スロヴェニアの代表的観光地になっています。 入場は時間が指定されているため、3時過ぎに到着 . . . 本文を読む