楽しんでこそ人生!ー「たった一度の人生 ほんとうに生かさなかったら人間生まれてきた甲斐がないじゃないか」山本有三

     ・日ごろ考えること
     ・日光奥州街道ひとり歩る記
     ・おくのほそ道を歩く

麒麟が来る

2020年10月07日 03時42分51秒 | 日記
NHK大河ドラマ「麒麟が来る」に触発されて、

その昔読んで、捨てられずに置いてあった本、

山岡荘八著「織田信長/全3巻」を読み始めた。


上巻は(新鷹の巻)中巻は(天下布武の巻)下巻が(本能寺の巻)。

上巻は、信長 青春の大うつけ時代、

中巻は、美濃の蝮の道三に圧倒し、

今川義元を桶狭間で討ち取った時代、

下巻が、天下布武を着々と進めて、

京の本能寺で明智光秀に襲われるまでを描く。

この三冊は、昭和37年発行であるだけに、

本の紙質も悪く、紙も変色して居り、読みにくいが、

なんとか二回目を読み切った。

光秀の謀反までの苦悩を、よく表現しており、

本人の性格からか緻密に計算された襲撃、

信長に「首謀者は誰か?」の問いに、

「惟任日向守(これとうひゅうがのかみ)光秀に御座ります」の回答に、

光秀では、討ち損じの無い周到さを予感して、

信長は絶体絶命を感じ、光秀が表れる前に切腹して果てた。

なお、上の写真の本は、

長年(56年間)本箱の肥やしになって居ましたが、

この期に及んでやっと捨てる覚悟が着きました。

所で、明智光秀は「三日天下」であったと言われて居ますが、

実際には10日あったのですが、

松山に出征していた秀吉に、

光秀の異変が何時どのように伝わり、

どのように合戦場の山崎まで、

秀吉が駆けつけたかが疑問になって居ます。

と言うのは、京から伝令とそれを伝え聞いた秀吉が、

合戦場の山崎に着くまで10日間で、

その距離が片道200kmあったからです。



コメント (10)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Potora!  NTTグループ運営!