「川俣正 通路」 東京都現代美術館

東京都現代美術館江東区三好4-1-1
「川俣正 通路」
2/9-4/13



もし表題の通路を『作品』とするなら、そこに殆ど見入るべき点がないという、言ってしまえば大変に奇異な展覧会です。東京都現代美術館で開催中の「川俣正 通路」へ行ってきました。

MOTに着いた途端、真っ先に目に飛び込んでくるのは、何ら彩色もされることなく、またそれ自体に特段の仕掛けもない単なるベニヤ板の通路です。それは通路というよりも、むしろ壁のようにして至る所に林立していますが、入り口から館内、さらには屋外展示室にまで、一見、何らかの動線を描くかのようにして緩やかに繋がっています。そして来場者は、途切れ途切れのベニヤ板の隙間を縫うように、それこそ一種の迷路を彷徨うようにして歩くわけですが、それは決して迷路としても、また通路として捉えても、確固たる完成した事物として存在しているわけではありません。つまり通路としても甚だ物足りない、そしてもちろん作品としての美感もあるはずのない、ようは単なるベニヤ板の集合体だけが、殆ど雑然として群れているようにしか見えないわけです。展示室全体を何らかの生き物と喩えれば、このベニヤ板の通路はその中の各細胞をつなげる膜とも言えるのではないでしょうか。ともかく、右を向いても左を向いてもベニヤ板です。しばらく居ると、どことない圧迫感と閉塞感すら覚えます。

はじめに見入るべき点がないとしたのは、このベニヤ通路だけ見ても、またもちろん歩いても、何ら興味の引かれる部分がないからです。一部、例えばバックヤードを通過して屋外へと誘導されるルートなどには、まだ知らない場を行くことが出来るという意味での新鮮さを感じましたが、他は歩いていても疲れるばかりで、また逆に足早に歩いてしまえば、ものの10分も経たないうちに出口まで到達してしまいます。私にはこのベニヤ通路自体を良い、または面白い、さらには当然ながら美しいと言えるような感性はありません。もしこれを一種のランドアートとして見るなら、尚更よりつまらない物として、苛立ちを感じながら会場を後にしていたことでしょう。そして結論から言うと、この通路は作品ではなく、単なる川俣の活動の象徴にない過ぎないことが、この展覧会の存在意義を危うい場所にて辛うじて成り立たせています。だからこそチープなベニヤという素材が用いられているのでしょう。作品であることを強く主張しないのであれば、特にそこには強度も必要としないからです。(そしてそれは、図版を見る限りにおいて、川俣の過去の作品としての通路よりも顕著です。)

ということで、今回関心を持ったのは、通路上に存在する川俣の各プロジェクトを紹介、さらには会期中、現在進行形で活動する、ラボと名づけられた一種の組織でした。そこでは、各種ワークショップ、また私も聞いてきた川俣を交えたトークセッションの他、彼がこれまでに手がけている様々なフィールドワークなどが随時展開、また展示されています。実際、来場者の殆ども各通路を通過して、このラボにたどり着いていたようでしたが、もし展示を見るという行為をするのではれば、このラボ関連の企画以外に見るべきものは一切ないとしても過言ではありません。だからこそこの展示は、単に見るだけではなくその活動、つまりはラボやワークショップに何らかの形で関わることが非常に穏やかに要請されている、とも言えるのではないでしょうか。その点この展覧会は、一見作品に思える極めて『ゆるい』ベニヤをまず提示し、その先にある部分、つまりは川俣のプロジェクトが埋め込まれたラボへと来場者の関心を誘っていくという、実に巧妙な形態が用意されていることにもなります。そしてさらにお世辞にも充実しているとは言えない、実に不完全なラボの展示も、その完成を見ることを思うという受け手の素直な願望、ようは関与の動きを引き出すことにもつながっています。この通路は、単に通り過ぎるためにあるわけでなく、その中に埋め込まれた諸活動へ来場者を引き込んでいくような、ある巨大な装置の入口であるのかもしれません。

ベニヤを用いたインスタレーションも期待するならば、これほど肩透かしを食らう展示もそうないでしょう。結果出来上がったモノを見せることに、私の目からすると殆どこだわっているようには思えませんでした。またどこか川俣正のオフィスを覗いているような、どことない居心地の悪さを覚えたのも事実です。オフィス内成員(=ラボのメンバー)と外部の人間(=来場者)の協同が必ずしも求められていないのが、またこの展示の特異な点でもあるのではないでしょうか。(だからこそ「穏やかに要請されている。」と感じたわけです。)そういう意味では、川俣の活動が社会的なものであれ、この展示はどこか個人的なそれにも見えました。

 

『作品』を見る、もしくは楽しむつもりで出かけられるのなら、まずは到底おすすめ出来ない展覧会です。4月13日まで開催されています。

*関連エントリ(川俣正のトークセッション)
「美術館は『通路』である」 東京都現代美術館・川俣正 通路トーク(Cafe Talk65)
コメント ( 13 ) | Trackback ( 0 )
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コメント
 
 
 
穏やかに要請 (ogawama)
2008-03-01 23:12:01
あの通路は「罠」?
はろるどさんの考察、面白いです。
私が気になった通路展のレビューをご紹介します(ご存知でしょうか?)
http://d.hatena.ne.jp/LJU/20080221/p1
すごく寡黙なブロガーさんなのですが、いつも深いことおっしゃってます。
 
 
 
巨大な装置の入口 (テツ)
2008-03-02 07:56:08
あのベニヤは今秋の横トリの会場設営の部材として、
引き取られ再利用されるのだそうです。
「通路」そのものを造形的に造り込むことは、
あらかじめ放棄されているのですね。

私もこの展覧会は、様々なプロジェクトを進行させている
「ラボ」の展開に関与していくことにしか、興味がありません。

私は20年来炭鉱遺産を巡る旅を断続的に行っており、
コールマインラボはまさにツボでした。
ラボのメンバーとも行く度に、情報交換をするのですが、
はろるどさんのおっっしゃるとおり、
予備知識のない方が見ても充実した展示はなされていませんし、
観客に対して積極的に関与を促す開かれた場にもなっていません。
「穏やかな要請」とははろるどさんならではの表現ですね。
「来るものは拒まず・・・」といった距離感があります。

まさに川俣の言う「嗜好品」。
誰にでもおすすめできる展覧会ではありません。

私はまだ、通い続けるつもりです。
展覧会が運動体としていかに変化していくのか、
自分もその変化に関与しながら、
この場に参加し続けたいと思います。

蛇足ですが、私はこんな旅をしているのです。

北海道産業遺産ツアー(拙サイト)
http://homepage1.nifty.com/richsoul/kankou/hokkaido/hokkaido.htm

通路カフェで週末即興演奏をするグループにも、
私も参加しています。
美術館サイド公認の正式なイベントではありません。

「通路」展については折に触れて、レポートしていきたいと思っています。
 
 
 
またまたガッカリ (少年)
2008-03-02 16:01:57
‘アートとデザインの遺伝子を組み替える’でがっかり、今回もがっかり、本当に残念です。
川俣正のインスタレーションはその場所の力を吸収して作品へと昇華するのがことが醍醐味なのですが、現代美術館の場の力ないのでしょう。どなたの企画かわかりませんが、川俣に何をさせたかったのでしょうか、なぜ川俣は展覧会を引き受けたのでしょうか、きっと美術館での展示には興味があまりないのでしょう。
過去作品の説明であればカタログで十分です、ラボの存在も気になりました、なぜお金を払って彼らの仕事場を見学しなければならないのでしょうか。
 
 
 
Unknown (はろるど)
2008-03-03 01:13:16
@ogawamaさん

こんばんは。

>罠

確かに言葉を変えればそういうことかもしれません。
また川俣が、もしかしたら来場者を軽く「挑発」していた面もあったかもしれませんね。それに対してどう見るか、また応えるのかというのが、各来場者に問われていた部分もあったと思います。

>私が気になった通路展のレビューをご紹介します

素敵なブロクのご紹介をありがとうございます。のちほどじっくりと拝見させていただきます。


@テツさん

こんばんは。ご丁寧なコメントをどうもありがとうございます。
展示、もしくはあの一連の企画に何らかの形で実際に携わっておられる方の生の声が聞けるとは本当にありがたいです。

>あのベニヤは今秋の横トリの会場設営の部材として、
引き取られ再利用されるのだそうです。

そうでしたか。だとすると仰るように、もはや造形としての通路は放棄されていますね。また「ラボでさえ嗜好品。」というのは、川俣本人の話を聞いてとても深く感じるところでした。もちろんそれで良いのかという、私のような素人視点からの疑問もないわけではありませんが、少なくともあの美術館という場所をかりながら、それでいて絶妙な「距離感」で仕事をしてしまっている彼に対しては素直に羨ましいなという気持ちもあります。実際のところ、痛快な「やられた感」があったのは事実です。

>展覧会が運動体

通路が細胞の膜ではないかと書いたのも、全体が川俣の活動を象徴する一つの「生」ではないかと思ったからでした。確かに通路は動きませんが、意味的には終始可変の状態であるのでしょうね。

>週末即興演奏をするグループにも、私も参加しています。

そうでしたか!是非拝聴したかったです。これは失礼しました…。

炭坑のページのご紹介もありがとうございます。
テツさんのご活動にも少しでも接するため、もう少し時間をかけてゆっくり拝見させていただきますね。


@少年さん

こんばんは。コメントありがとうございます。

>その場所の力を吸収して作品へと昇華するのがことが醍醐味なのですが、現代美術館の場の力ないのでしょう。

実際のところ私は、川俣の以前のインスタレーションを見たことがありませんが、少なくとも図版等で見る限りでは確かに「作品へと昇華する力」は今回はなかったと思います。私がこの展示を見てまず戸惑ったのも、ベニヤ板という「作品であるべきもの」の通路があまりにも言ってしまえばチープに感じられたからでした。

>きっと美術館での展示には興味があまりないのでしょう。

これは同感です。本人のトークでも直接的には仰っておられませんでしたが、美術館には実際のところあまり関心がないようでした。むしろ彼は今回、美術館で一番美術館に相応しくないことをやる、というような意気込みさえあったかもしれません。

>なぜお金を払って彼らの仕事場を見学しなければならないのでしょうか。

川俣氏には大変失礼な言い方になるかもしれませんが、ご本人が「現代アートという『自己満足』に対してお金を払う社会が面白い。」と仰っておられる以上、ここにはそこへ足を払い、またお金を払った見る側一人一人の、言ってしまえば一種の責任が始めから負わされているのかもしれませんね。もちろんそれはそれで納得し難いものがありますが、一つの方法としてはもはや「あり」なのでしょうか。その辺は悩みます…。
 
 
 
とりあえず (Tak)
2008-03-04 21:42:08
TB送りますね。

展覧会?についてはまた飲んだ時にでも
lysanderさんもお呼びして。
 
 
 
Unknown (はろるど)
2008-03-05 00:50:34
takさんこんばんは。
TBありがとうございます。

>展覧会?についてはまた飲んだ時にでも
lysanderさんもお呼びして。

喧々諤々とやりましょう。
 
 
 
Unknown (lysander)
2008-03-06 01:07:59
はろるどさん
こんばんは
> > 展覧会?についてはまた飲んだ時にでも
> > lysanderさんもお呼びして。
> 喧々諤々とやりましょう。
戦々恐々...お手柔らかに...(^^;

今、川俣さんのアートレスという本を読んでいます。
過去の作品のコンセプトや、現代アートと都市のかかわり
のようなことも書かれていて、なかなか面白いです。
 
 
 
Unknown (はろるど)
2008-03-06 22:14:25
lysanderさんこんばんは。

>川俣さんのアートレス

ご紹介ありがとうございます。この本は知りませんでした。今度、早速書店であたってみたいと思います。(また出来ればレビューのほどを…。)

>お手柔らかに...

いえいえこちらこそ…。
 
 
 
[通路]は続く (テツ)
2008-04-16 05:36:39
最終日の集団即興パフォーマンスの映像、
トラックバックしました。

とらえ方は人様々でしょうが、
ラジカルな展覧会であったことは確かだと思います。
 
 
 
Unknown (はろるど)
2008-04-16 22:22:06
テツさんこんばんは。通路最終日の模様、TB先で拝見しました。どうもありがとうございます。

最終日でありながら、活動の殆どは「終らない」という部分に、またこの展覧会の特異性があったのかなと思います。

ベニヤに囚われない見方というのは、他のものを見つめる時にも応用がききそうですね。
 
 
 
少年さんの疑問について (じゃむ)
2008-04-16 23:07:19
>なぜお金を払って彼らの仕事場を見学しなければならないのでしょうか。

展示は見ていませんが、少年さんの疑問について少し考えてみました。
川俣さんの作品では鑑賞する際にお金がかからないものが沢山あると思います。
田川の作品、豊田の作品など野外に設置されているもの。
これらは、そこへ行けば無料で見ることが出来るはずです。
もしくはインターネットで観られる作品の写真も無料ですね。ブロバイダーにお金は払っているわけですが。
今回の作品が、なぜ無料ではないのか。
それは単純に、作品が美術館にあるからだと思います。美術館という環境が入場料というものが出てくるわけです。そして、作家がその入場料を定めているのではなく、美術館側が定めていると思いますし。
美術館に展示されている作品も、映画館で観る映画も、レストランで食べるものも全て一緒。つまり、自分がお金を払って鑑賞したもの、食べたものに、なんでこんなものにお金を・・・と腹を立てるのは自由ですが、結局は自分がお金を払ってまで観に行った、食べた責任でしかないのではないでしょうか?
興味があって自身で選んで展示会へ行ったんですよね?
誰かに強制されて行ったのとは違いますよね。
そうであれば、私の言いたい事が伝わるかと思います。

最後に、何事も万人に好かれるというものは存在しないと思います。
 
 
 
Unknown (lysander)
2008-04-17 01:51:41
私なりのまとめをTBさせてもらいました...(^^;
 
 
 
Unknown (はろるど)
2008-04-18 00:45:09
@じゃむさん

こんばんは。
展示に対する正当な対価というか、いったいどれほどのお金が適正だと感じるかは本当に個人個人の問題かもしれませんね。
都内では一般的に1000円から1500円程度に設定されることが多いですが、私はもっとフレキシブルに対応しても良いのではないかなと思います。元々入場料ではペイ出来ませんし…。

見る側に責任云々という行は私も肝に銘じたいものです。
コメントありがとうございました。


@lysanderさん

こんばんは。まとめ記事のTBをありがとうございます。
後ほどじっくり拝見させていただきますね!
 
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