都内近郊の美術館や博物館を巡り歩く週末。展覧会の感想などを書いています。
はろるど
「ビュフェとアナベル - 愛と美の軌跡」 そごう美術館
そごう美術館(横浜市西区高島2-18-1 そごう横浜店6階)
「ビュフェとアナベル - 愛と美の軌跡」
7/29-8/31
世界一のコレクションを誇る、静岡のベルナール・ビュフェ美術館のビュフェ絵画、約60点を展観します。そごう美術館で開催中の「ビュフェとアナベル - 愛と美の軌跡」へ行ってきました。
私はともかくもビュフェが無条件に好きですが、この展示を見て、いつぞや静岡のビュフェ美術館で受けた時の感動が蘇ったのは言うまでもありません。デパート内の美術館ということで雰囲気こそ望めませんが、初期作から今回の中心となる妻アナベルのモチーフ、そして一部晩年の作品まで、時系列に揃ったビュフェの絵画群は相当に見応えがありました。以下、いつものように印象に残った作品を挙げてみます。
「村の通り」(1946)
セピア色に包まれたある村の一角。ユトリロの風景画を連想させるが、そこには誰一人歩いていない静寂の世界が広がっている。一体、画中の空間は昼なのか、それとも夜なのか。
「アトリエ」(1947)
パリのアパルトマンの一室を借りたアトリエの景色。大きな窓からパリの街を望み、椅子や自転車が無造作に置かれた室内にはキャンバスに向かい合うビュフェ自身の姿が描かれている。
「肉屋の少年」(1949)
肉を吊るして、それを見やる少年が登場する。モチーフ自体は世俗的なはずだが、絵から感じられる神秘的な様相は宗教画風でもある。若い頃のビュフェ作品に特徴的なグレーの寒々しいタッチ、またひっかき傷のような線、そしてやせ細った少年の姿などが、肉屋の日常に強い不安感を呼び込んでいた。
「ナンスの農場」(1951)
深い曇り空の下には、薄い芝色で示されたナントの田園が広がっている。大地に立つ三本の木の他、ぽつんと一軒だけ建つ家など、どことない虚無感が漂っていた。ナントはこれほどまでに荒涼としているのだろうか。
「キリストの十字架からの降下」(1948)
十字架に架けられたイエスと、それを降ろして運ぶ姿が描かれている。前景でその様を嘆くスーツ姿の男性と女性は、ヨハネと聖母マリアを示しているとのこと。現代に置き換えられたイエスの受難は、一人の人間のリアルな死の光景へと置き換わっていた。床に散らばる工具は痛々しい。なおこの年、ビュフェは批評家賞を受賞し、画家としての地位を固めた。
「サーカス」(1955)
横幅5m近くはあろうかという本展でも最大の油彩作品。曲芸を繰り広げるサーカスの舞台が観客の頭越しに示されている。不機嫌な表情をした団員たちの姿は、いつもビュフェらしい暗鬱なものだが、どちらかと言うと全体の様相からはカリカチュア的な滑稽さを感じた。
「静物」(1955)
テーブルの上の瓶と蝋燭と手紙、そして銃が重々しいタッチで示されている。蝋燭や手紙だけであるなら、ごく普通の静物画にも見えるところだが、そこに銃が加わることによって、不穏なドラマを予兆させる作品へと変質していた。
「マンハッタン」(1958)
ビュフェのニューヨーク旅行の成果を示す一枚。極太の線が縦横に交わり、半ば一つの幾何学模様と化したマンハッタンのビル群が描かれている。人がいないせいか、そこにあるはずの賑わいが失われているのは興味深い。都会の中に一人放り込まれ、途方に暮れているような寂しさが伝わってきた。
「青い闘牛士」(1960)
1958年、アナベルと結婚したビュフェは、この頃から妻をモチーフとした作品を次々と手がけるようになる。この作品もアナベルをモデルに、スペインの闘牛士を描いたもの。足を少し曲げ、手を腰にやり、青い服に黄色のマントに身を纏ったその姿からは、逞しい闘牛士のイメージと合わせ重なったアナベルの強い意志が伝わってきた。
「狂女」(1970)
激しい黄色をバックにポーズをとる男女。骸骨をもった男は露骨に死を暗示するが、ベロを出してこちらを見やる姿は、死をパロディーとした道化のようにも見えた。
「死」(1999)
24点の骸骨をモチーフとした最晩年の連作のうちの一つ。まさにビュフェの死神。鮮烈な色彩はもはや汚れ、タッチは狂ったように乱雑となり、またポーズは滑稽さを通り越して破滅的な様相をとっている。ビュフェはこの年の5月、71歳で自殺した。この作品の図像は一度見たらしばらくは頭を離れない。
モノクロームから一転して鮮烈となった色遣いなど、画業を通してのビュフェの評価は必ずしも一定ではありませんが、妻アナベルとの関係を中核に、彼の生涯を簡潔に追うには最適な展覧会だったのではないでしょうか。
出品リストはありませんが、大人も参加可能な簡単なワークシートも用意されていました。なおそちらに参加すると次回展のチケットまでいただけました。太っ腹です。
「ビュフェとアナベル/ベルナールビュフェ美術館/フォイル」
今月末日、31日までの開催です。(連日20時までオープン。最終日は17時閉館。)ひいきの引き倒しではありますが、今更ながらも強くおすすめします。
「ビュフェとアナベル - 愛と美の軌跡」
7/29-8/31
世界一のコレクションを誇る、静岡のベルナール・ビュフェ美術館のビュフェ絵画、約60点を展観します。そごう美術館で開催中の「ビュフェとアナベル - 愛と美の軌跡」へ行ってきました。
私はともかくもビュフェが無条件に好きですが、この展示を見て、いつぞや静岡のビュフェ美術館で受けた時の感動が蘇ったのは言うまでもありません。デパート内の美術館ということで雰囲気こそ望めませんが、初期作から今回の中心となる妻アナベルのモチーフ、そして一部晩年の作品まで、時系列に揃ったビュフェの絵画群は相当に見応えがありました。以下、いつものように印象に残った作品を挙げてみます。
「村の通り」(1946)
セピア色に包まれたある村の一角。ユトリロの風景画を連想させるが、そこには誰一人歩いていない静寂の世界が広がっている。一体、画中の空間は昼なのか、それとも夜なのか。
「アトリエ」(1947)
パリのアパルトマンの一室を借りたアトリエの景色。大きな窓からパリの街を望み、椅子や自転車が無造作に置かれた室内にはキャンバスに向かい合うビュフェ自身の姿が描かれている。
「肉屋の少年」(1949)
肉を吊るして、それを見やる少年が登場する。モチーフ自体は世俗的なはずだが、絵から感じられる神秘的な様相は宗教画風でもある。若い頃のビュフェ作品に特徴的なグレーの寒々しいタッチ、またひっかき傷のような線、そしてやせ細った少年の姿などが、肉屋の日常に強い不安感を呼び込んでいた。
「ナンスの農場」(1951)
深い曇り空の下には、薄い芝色で示されたナントの田園が広がっている。大地に立つ三本の木の他、ぽつんと一軒だけ建つ家など、どことない虚無感が漂っていた。ナントはこれほどまでに荒涼としているのだろうか。
「キリストの十字架からの降下」(1948)
十字架に架けられたイエスと、それを降ろして運ぶ姿が描かれている。前景でその様を嘆くスーツ姿の男性と女性は、ヨハネと聖母マリアを示しているとのこと。現代に置き換えられたイエスの受難は、一人の人間のリアルな死の光景へと置き換わっていた。床に散らばる工具は痛々しい。なおこの年、ビュフェは批評家賞を受賞し、画家としての地位を固めた。
「サーカス」(1955)
横幅5m近くはあろうかという本展でも最大の油彩作品。曲芸を繰り広げるサーカスの舞台が観客の頭越しに示されている。不機嫌な表情をした団員たちの姿は、いつもビュフェらしい暗鬱なものだが、どちらかと言うと全体の様相からはカリカチュア的な滑稽さを感じた。
「静物」(1955)
テーブルの上の瓶と蝋燭と手紙、そして銃が重々しいタッチで示されている。蝋燭や手紙だけであるなら、ごく普通の静物画にも見えるところだが、そこに銃が加わることによって、不穏なドラマを予兆させる作品へと変質していた。
「マンハッタン」(1958)
ビュフェのニューヨーク旅行の成果を示す一枚。極太の線が縦横に交わり、半ば一つの幾何学模様と化したマンハッタンのビル群が描かれている。人がいないせいか、そこにあるはずの賑わいが失われているのは興味深い。都会の中に一人放り込まれ、途方に暮れているような寂しさが伝わってきた。
「青い闘牛士」(1960)
1958年、アナベルと結婚したビュフェは、この頃から妻をモチーフとした作品を次々と手がけるようになる。この作品もアナベルをモデルに、スペインの闘牛士を描いたもの。足を少し曲げ、手を腰にやり、青い服に黄色のマントに身を纏ったその姿からは、逞しい闘牛士のイメージと合わせ重なったアナベルの強い意志が伝わってきた。
「狂女」(1970)
激しい黄色をバックにポーズをとる男女。骸骨をもった男は露骨に死を暗示するが、ベロを出してこちらを見やる姿は、死をパロディーとした道化のようにも見えた。
「死」(1999)
24点の骸骨をモチーフとした最晩年の連作のうちの一つ。まさにビュフェの死神。鮮烈な色彩はもはや汚れ、タッチは狂ったように乱雑となり、またポーズは滑稽さを通り越して破滅的な様相をとっている。ビュフェはこの年の5月、71歳で自殺した。この作品の図像は一度見たらしばらくは頭を離れない。
モノクロームから一転して鮮烈となった色遣いなど、画業を通してのビュフェの評価は必ずしも一定ではありませんが、妻アナベルとの関係を中核に、彼の生涯を簡潔に追うには最適な展覧会だったのではないでしょうか。
出品リストはありませんが、大人も参加可能な簡単なワークシートも用意されていました。なおそちらに参加すると次回展のチケットまでいただけました。太っ腹です。
「ビュフェとアナベル/ベルナールビュフェ美術館/フォイル」
今月末日、31日までの開催です。(連日20時までオープン。最終日は17時閉館。)ひいきの引き倒しではありますが、今更ながらも強くおすすめします。
コメント ( 5 ) | Trackback ( 0 )
« 「ユーラシア... | 「都市的知覚... » |
つい先月、ビュフェ美術館に行ってきたので、記事をTBさせていただきました。モノローグみたいなものですが。
ビュフェ作品に初めて触れた10歳くらいのときに、無条件にこっちの世界に引きずり込まれました。
彼は私が美術史に進むきっかけとなった画家であり、わたしの倫理基準が「美しいかどうか」になってしまったきっかけでした。
そして、あの駿河平の美術館は、私が『住みたい』と思ってしまう美術館が自分が善しとする美術館のありかただ、という思い込みのきっかけでもありました。
ビュフェの絵のなかの死はどこかいとおしくて、だからこそ彼の死への突入の仕方には、唇を噛みながらもなんの否定の言葉も発することはできませんでした。
若いころ、発表した当初から人気があったのもうなずけます。
こんばんは。こちらこそご無沙汰しております。TBありがとうございます。
>私が美術史に進むきっかけとなった画家
まさに特別な画家というわけですね。
私も以前は「何となく好き」だったのが、駿河平へ行ってから「偏愛の画家」という位置づけになりました。
確かに好きな作品がある美術館は、そこに住みたいと思う要素はありますね。ただビュフェの場合はやや影も強くて、その辺を日常で受け入れられるのかなという贅沢(?)な悩みもありますが…。
>死はどこかいとおしくて、だからこそ彼の死への突入の仕方
晩年の連作を見ていると覚悟どころか、
それこそ死ぬために絵を描いていたというように思えてなりません。あれほど直裁的に死を呼び込んだ画家というのも他にいないのではないでしょうか。
@みゆ@毛穴の吸引大好きです。様
こんばんは。
>ちょっとグロテスクでありながら、シックでしゃれている
確かにその辺のせめぎ合いもまた魅力的ですよね。
フランス的、なるほどそうもとれるのかもしれません。
>発表した当初から人気
画家としての成功は揺るぎないものがありましたね。
その部分と死がなかなか結びつかない面はありますが…。
コメントありがとうございました。
私は、一部のバリ(インドネシア)絵画を思い起こしました。また、マンハッタンや闘牛士の構図は勉強になりましたし、なんのかんの言っても、知識ゼロの私のような人間でも何かしら楽しめる所があり、それがとっても良かったです。
そごう美術館はなかなか侮れませんよね。
こうした画家を取り上げる百貨店は他にそうありません。大丸くらいでしょうか。
>一部のバリ(インドネシア)絵画を思い起こしました
興味深いです。
ちょっとエキゾチックな印象もあるのですが、
そうした視点から見るとまた画家の違った面が開けてきそうです。