都内近郊の美術館や博物館を巡り歩く週末。展覧会の感想などを書いています。
はろるど
「建築の記憶」 東京都庭園美術館
東京都庭園美術館(港区白金台5-21-9)
「建築の記憶 - 写真と建築の近現代 - 」
1/26-3/31
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/5e/437dd5506f2d0c606d8eb41a43ddfc3e.jpg)
日本の建築物を、写真表現との関わりにおいて概観します。庭園美術館で開催中の「建築の記憶」へ行ってきました。
構成は7章立てです。建築写真、約400点ほどが出品されています。
1.「建築と写真の出会い」:日本の建築写真の原初。冨重利平「熊本城」(1872)。
2.「近代建築へのまなざし」:帝国議事堂、東京駅などの洋風建築。小川一眞「竹田宮邸」(1911)など。
3.「建築史学構築のための写真」:伊東忠太による建築調査。「北京宮城建築装飾」など。
4.「写真がとらえたモダンの相貌」:1930年以降、モダニズム建築を自由な写真表現で捉える。「現代住宅」(1933-40)。
5.「写真家の目、建築家の仕事」:前川國男と渡辺義雄、丹下健三と村井修。建築写真の確立。村井修「東京カテドラル」(1964)。
6.「日本建築の美」:桂離宮と伊勢神宮。石元泰博「桂離宮」(1981-82)。
7.「現代写真の建築」:杉本博司、畠山直哉、鈴木理策。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/60/3a/6610950fb740b8ca22a4a17606af6c21.jpg)
建築と写真の両表現を半ばクロスさせて見ていく展覧会です。幕末明治期、写真技術が流入するにあたって捉えられた江戸城の記録写真から、いつしか写真自体の表現に自主性が生まれ、例えば最近では杉本や理策など、対象を通した独自の美意識の露出する建築写真までの流れを見ることが出来ます。また、このような写真の立場ではなく、あくまでも建築の側、つまりは桂離宮から明治の洋風建築、そしてモダニズムから丹下、さらには青木淳の「青森県立美術館」というような、非常に大まかな一種の建築史を辿ることも可能です。もちろん展示物はあくまでも写真であるので、建築と写真とが客体と主体の関係にならざるを得ない部分はありますが、それでもその両者のスリリングなせめぎ合いを肌で感じることが出来ました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2d/20/8f6c113a77722b1e4b68a2fe29ab2da2.jpg)
興味深いのは、『建築のための写真』、例えば伊東忠太の調査取材や、前川建築の模型を捉えた渡辺の作品などです。どうも建築写真というと、例えば杉本作品の光の教会や、雪を驚くほど美しい質感で表現する理策などをイメージしてしまいますが、上に挙げた例の写真は、言わばその場の記憶をダイレクトに伝えています。北京城を写真におさめた伊東忠太は後、その詳細な意匠を木版に表して図版とした「北京宮城建築装飾」を手がけました。また前川のコンペ応募案の模型を捉えた「東京カテドラル応募案模型」(1962)は、実現し得なかったその空間を臨場感のある形で見るのに相応しい写真です。模型と写真とが共同して、まだ見ぬ建築物をそこに建てています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/2a/79013827995340e34e4e8acd4e6d6df3.jpg)
時間差で桂離宮を捉えた二つのシリーズ、石元泰博の「桂」と「桂離宮」にも見応えがありました。まず50年代に写された「桂」では、全てモノクロームに還元された対象がさながら線と面とになって幾何学模様を描くのに対し、約30年の時を経て、修復後に撮影された「桂離宮」では、石畳や苔を含む趣き深い木造建築の気配が表されています。いつかは現地でじっくりと建物を拝見してみたいところです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2c/88/97d9ec5d2822143cc060cb054eb59005.jpg)
建築の展示は時に専門的過ぎて、私のような素人には難しいこともありますが、写真表現というフィルターを通すことでそうした要素を言わば低減させていました。構成は非常に意欲的なものですが、肩肘凝らずに楽しめます。
庭の梅もほころんでいました。3月末までの開催です。おすすめです。
「建築の記憶 - 写真と建築の近現代 - 」
1/26-3/31
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/5e/437dd5506f2d0c606d8eb41a43ddfc3e.jpg)
日本の建築物を、写真表現との関わりにおいて概観します。庭園美術館で開催中の「建築の記憶」へ行ってきました。
構成は7章立てです。建築写真、約400点ほどが出品されています。
1.「建築と写真の出会い」:日本の建築写真の原初。冨重利平「熊本城」(1872)。
2.「近代建築へのまなざし」:帝国議事堂、東京駅などの洋風建築。小川一眞「竹田宮邸」(1911)など。
3.「建築史学構築のための写真」:伊東忠太による建築調査。「北京宮城建築装飾」など。
4.「写真がとらえたモダンの相貌」:1930年以降、モダニズム建築を自由な写真表現で捉える。「現代住宅」(1933-40)。
5.「写真家の目、建築家の仕事」:前川國男と渡辺義雄、丹下健三と村井修。建築写真の確立。村井修「東京カテドラル」(1964)。
6.「日本建築の美」:桂離宮と伊勢神宮。石元泰博「桂離宮」(1981-82)。
7.「現代写真の建築」:杉本博司、畠山直哉、鈴木理策。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/60/3a/6610950fb740b8ca22a4a17606af6c21.jpg)
建築と写真の両表現を半ばクロスさせて見ていく展覧会です。幕末明治期、写真技術が流入するにあたって捉えられた江戸城の記録写真から、いつしか写真自体の表現に自主性が生まれ、例えば最近では杉本や理策など、対象を通した独自の美意識の露出する建築写真までの流れを見ることが出来ます。また、このような写真の立場ではなく、あくまでも建築の側、つまりは桂離宮から明治の洋風建築、そしてモダニズムから丹下、さらには青木淳の「青森県立美術館」というような、非常に大まかな一種の建築史を辿ることも可能です。もちろん展示物はあくまでも写真であるので、建築と写真とが客体と主体の関係にならざるを得ない部分はありますが、それでもその両者のスリリングなせめぎ合いを肌で感じることが出来ました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2d/20/8f6c113a77722b1e4b68a2fe29ab2da2.jpg)
興味深いのは、『建築のための写真』、例えば伊東忠太の調査取材や、前川建築の模型を捉えた渡辺の作品などです。どうも建築写真というと、例えば杉本作品の光の教会や、雪を驚くほど美しい質感で表現する理策などをイメージしてしまいますが、上に挙げた例の写真は、言わばその場の記憶をダイレクトに伝えています。北京城を写真におさめた伊東忠太は後、その詳細な意匠を木版に表して図版とした「北京宮城建築装飾」を手がけました。また前川のコンペ応募案の模型を捉えた「東京カテドラル応募案模型」(1962)は、実現し得なかったその空間を臨場感のある形で見るのに相応しい写真です。模型と写真とが共同して、まだ見ぬ建築物をそこに建てています。
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/2a/79013827995340e34e4e8acd4e6d6df3.jpg)
時間差で桂離宮を捉えた二つのシリーズ、石元泰博の「桂」と「桂離宮」にも見応えがありました。まず50年代に写された「桂」では、全てモノクロームに還元された対象がさながら線と面とになって幾何学模様を描くのに対し、約30年の時を経て、修復後に撮影された「桂離宮」では、石畳や苔を含む趣き深い木造建築の気配が表されています。いつかは現地でじっくりと建物を拝見してみたいところです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2c/88/97d9ec5d2822143cc060cb054eb59005.jpg)
建築の展示は時に専門的過ぎて、私のような素人には難しいこともありますが、写真表現というフィルターを通すことでそうした要素を言わば低減させていました。構成は非常に意欲的なものですが、肩肘凝らずに楽しめます。
庭の梅もほころんでいました。3月末までの開催です。おすすめです。
コメント ( 7 ) | Trackback ( 0 )
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これはとても楽しい展覧会でした。
あの場所でこの展覧会が観られたことを、
とても幸せに思います。
閉館一時間前に行き、最後まで居残りしていました。
わたしは70年以前の建築が好きなので、現代のそれはあまり関心が湧かなくて前半と後半とでは『見方』が変わりました。
前半は建築を見て、後半は写真を見る、そんな感じです。
しかしいい展覧会でした。
こんにちは。
>あの場所でこの展覧会が観られたことを、
とても幸せに思います。
全く同感です。あの空間でこそ魅せるものがたくさんありましたよね。
杉本の展示の仕方にはうならされました。
@遊行さん
こんにちは。
>わたしは70年以前の建築が好きなので、現代のそれはあまり関心が湧かなくて前半と後半とでは『見方』が変わりました。
最後の三名は、確かにそれまでの流れからすると異質な感じはありましたね。
ともに好きな作家だったので私は楽しめましたが、
建築史方面に関心の強い方には少し違和感が残ったかもしれません。
>前半は建築を見て、後半は写真を見る、そんな感じです。
なるほどそうですね。
そのせめぎ合いというのがまた面白かったです。
はろるどさんの取り上げられた見所、
私のブログでは触れられなかったのですが、
とても共感します。
ただあまりにも多くの要素を概観した展覧会で、
深みにかけるきらいは感じたのですが。
>あまりにも多くの要素を概観した展覧会で、
深みにかけるきらいは感じた
建築と写真という両ジャンルをクロスさせたような展示だったので、やや試行錯誤の印象は否めませんでしたね。建物の力で押し切ってしまっている部分もあったかもしれません。
桂離宮は意外と現物みるとがっかりするかもしれません。
期待値が高すぎて。いかに「建築写真」がうまいこと
撮っているかも分かるかも。
>いかに「建築写真」がうまいこと撮っている
この展示では仰るように建築写真の巧さというのか、その被写体をも超えた芸術性(?)をいくつか見ることが出来たような気もします。桂もそういった傾向がありましたか。一度はと思うのですが…。