都内近郊の美術館や博物館を巡り歩く週末。展覧会の感想などを書いています。
はろるど
「戦後日本住宅伝説」 埼玉県立近代美術館
埼玉県立近代美術館
「戦後日本住宅伝説ー挑発する家・内省する家」
7/5-8/31
埼玉県立近代美術館で開催中の「戦後日本住宅伝説ー挑発する家・内省する家」を見て来ました。
戦後日本、50年代から70年代における住宅建築を追いかける展覧会。特に住まいにおける個人的な内部空間に着目します。出展は16名の建築家による16の住宅です。写真パネルに模型、図面、そして一部映像を交えて見せる。シンプルな構成ではありましたが、なかなか見応えがありました。
会場内、大判の写真パネルの撮影が可能でした。
さて一口に住宅と言っても多様。出展で最も古いのは冒頭の丹下健三、「住居」(1953)です。自邸ながらも四方に開かれた構えはどこか迎賓館のようでもある。一階はピロティでしょうか。かの広島の平和記念資料館を思わせるものがあります。
増沢洵「コアのあるH氏の住まい」(居間より庭をみる) 1953年
増沢洵の「コアのあるH氏の住まい」(1953)は平屋の簡素な住宅です。内部は回遊性をもたせる工夫をしているとか。興味深いのがブロック積みです。内部にブロックを積み上げ空間を仕切る。トイレまでが内側(壁に沿っていない)にあるのも目を引きました。
清家清「私の家」(居間) 1954年
清家清の「私の家」(1954)も自邸です。10m×3mの住まい。いわゆる単室で部屋が一つしかありません。奥の壁は作り付けの書棚でしょうか。一面に本が積まれています。床材が趣き深く感じました。と言うのも不揃いの石が敷き詰められているのです。そして大きく開かれた窓から望む庭にも同じように石が敷かれている。庭との連続性を考えてのことかもしれません。木々の緑が目に染みました。
東孝光「塔の家」(竣工当時の外観) 1966年
「70坪よりも6坪が良い」。狭くとも都市に住むことを提案したのは東孝光です。住宅は「塔の家」(1966)、狭い敷地に2階、3階と積みあがる。まるで階段そのものを家にしたかのような建物です。ただ吹き抜けが功を奏しているからなのでしょうか。案外見通しが良い。上階には子供部屋もあります。全5階、上下の行き来は階段です。バリアフリーといった概念はおそらくありません。
菊竹清訓「スカイハウス」(改修後の写真。2階部分は現在ではゲストルームとして使われている。) 1958年
立地もあるのか写真でも居心地良さそうに見えます。菊竹清訓の「スカイハウス」(1958)、これも自邸です。トイレもユニット化して外部に配置されるように設計されたとか。1本の柱もないリビング。見晴らしが良い。広々としています。
坂本一成「水無瀬の町家」(外観) 1970年
一転して重々しく映るのが、坂本一成の「水無瀬の町家」(1970)。まるで閉ざされた箱のような住宅です。鉄筋コンクリートながらも屋根は木造。2階の天井高が低いゆえか腰が低くどっしりと構えているように見える。この住居も吹き抜けが用いられています。それにしても吹き抜けのある住宅が多い。殆どと言って良いのではないでしょうか。何かと空間に制約のある住居。吹き抜けで表情や空間に変化を付けているのかもしれません。
磯崎新「新宿ホワイトハウス」(3間立方吹抜けのアトリエ) 1957年
新宿でネオダダの本拠地だったそうです。磯崎新の「新宿ホワイトハウス」(1957)です。外観はやや洋風で小屋、ホワイトキューブ3間立方のアトリエです。当時は多くのアーティストらが集い、その様子も写真で紹介されていましたが、現在は様変わり。カフェとして利用されているそうです。
安藤忠雄「住吉の長屋」(西側外観) 1976年
長くなってきました。少し先を急ぎます。安藤忠雄の「住吉の長屋」(1976)です。おそらくは16名の建築家の住宅の中でも特に知られた作品、トレードマークというべきコンクリート打ちっ放しの箱が長屋の立ち並ぶエリアに半ば挿入されている。間口が驚くほど狭く、そもそも周囲に開かれた部分が少ない。その意味では内省と言えるのかもしれませんが、内部空間に驚くべき仕掛けがあります。吹き抜けに屋根がありません。ようは雨の日に左右の部屋を行き来するためには傘をささなくてはいけないわけです。ともするとこれこそ住民を挑発している住宅と言えるのかもしれません。
石山修武「幻庵」(南側より内部を見る) 1975年
それに挑発という点では石山修武の「幻庵」(1975)も同様ではないでしょうか。奇異な外観、昆虫かなにかのイメージでしょうか。オレンジの半円ドームとコンクリートの組み合わせ。さながら飛行機のコックピットのようでもある。また原広司の「原邸」(1974)の内部も変わっています。公共建築をそのまま取り込んだかのような空間。オペラシティ(初台)のコンサートホール前の階段状のエントランスを思い出しました。
白井晟一「虚白庵」(客室、仕事室。薄暗い空間の中にブラジリアンローズウッドの壁が浮かび上がる) 1970年
「内省する家」の代表格と言えるのではないでしょうか。白井晟一の「虚白庵」(1970)です。石の壁が建物を囲み、重々しい金属製の玄関はまるで金庫の扉のようでもある。シェルターと称されたそうです。そして内部も薄暗い。ただ白砂の敷かれた庭もあるのか、見開かれる景色は息をのむほどに美しい。白井と言えばともかく松濤美術館の空間を連想しますが、人を優しく包み込んでは守り、さらに瞑想を誘うかのような住宅。私は惹かれるものを感じました。
伊東豊雄「中野本町の家」(居間) 1976年
スリット状のトップライトが効果的です。伊藤豊雄の「中野本町の家」(1976)です。U字型で一見、外には閉ざされた空間。ただし内部は光に満ちています。何でも寡婦となった姉とその娘のための住宅だとか。おそらく光はいわゆる癒しを求めてのことなのでしょう。居間は延々とカーブを描く空間。両サイドにキッチンや寝室がある。残念ながら後に取り壊されてしまったそうです。
建築の中でも住宅という身近な素材の展示だからでしょうか。自らの生活体験に引き寄せられる展覧会です。また家具などの配置などでも印象の変化する住宅。ともすると家を捉える際に建物や環境を重視し過ぎてはいなかったか。主役は建物ではなく内部での人間の生活そのものです。それに家に馴染むということもあります。展示は1950~1970年前後と、かなり時代を遡りますが、まずはそれらの住宅に住みたいか否か、そしてどう住むのかということを考えながら見るのも楽しいかもしれません。
毛綱毅曠「反住器」 1972年
映像に関しての情報です。簡単に建物を紹介する2~3分程度の作品も目立ちますが、中には建築家のインタビューなどを交えての長編、25分程度のものもありました。(長い方から25分1本、16分1本、11分3本など。)全部追うとゆうに1時間はかかるのではないでしょうか。時間に余裕をもっての観覧をおすすめします。
企画展に続く常設のMOMASコレクション、特に「リサーチ・プログラム 小村雪岱」が充実していました。よく知られた「青柳」に「落葉」、また「おせん」の挿絵原画をはじめ、「お傳地獄」に「山海評判記」の複製資料、さらには「雪兎模様着物」などの染織まで、出品は50点ほどです。新たに寄贈された書籍や資料を含みます。これほどのスケールで雪岱作品を見たのは久しぶりです。2010年に同館で行われた回顧展のことを思い出しました。
ところで今回出展のあった黒川紀章は言うまでもなく本美術館の設計者。中銀カプセルタワーの住宅カプセルも隣接する北浦和公園内に設置されています。
黒川紀章「中銀カプセルタワー」内部 (北浦和公園内)
既にご覧になった方も多いかと思いますが、展示とあわせて見るとまた面白いのではないでしょうか。そちらもお見逃しなきようご注意下さい。
[戦後日本住宅伝説展 巡回予定]
広島市現代美術館:2014年10月4日(土)~12月7日(日)
松本市美術館:2015年4月18日(土)~6月7日(日)
八王子市夢美術館:2015年6月~7月(予定)
なお埼玉県立近代美術館は本展終了後、第2期改修工事のため9月1日より来年4月10日まで休館します。(ちなみに第1期改修工事を終えたからでしょうか。お手洗いが見違えるほど綺麗になっていました。)
「戦後日本住宅伝説―挑発する家・内省する家/新建築社」
8月31日まで開催されています。これはおすすめします。
「戦後日本住宅伝説ー挑発する家・内省する家」 埼玉県立近代美術館(@momas_kouhou)
会期:7月5日(土)~8月31日(日)
休館:月曜日。但し7月21日は開館。
時間:10:00~17:30 入館は閉館の30分前まで。
料金:一般1100(880)円 、大高生880(710)円、中学生以下、65歳以上無料。
*( )内は20名以上の団体料金。
*MOMASコレクションも観覧可。
住所:さいたま市浦和区常盤9-30-1
交通:JR線北浦和駅西口より徒歩5分。北浦和公園内。
「戦後日本住宅伝説ー挑発する家・内省する家」
7/5-8/31
埼玉県立近代美術館で開催中の「戦後日本住宅伝説ー挑発する家・内省する家」を見て来ました。
戦後日本、50年代から70年代における住宅建築を追いかける展覧会。特に住まいにおける個人的な内部空間に着目します。出展は16名の建築家による16の住宅です。写真パネルに模型、図面、そして一部映像を交えて見せる。シンプルな構成ではありましたが、なかなか見応えがありました。
会場内、大判の写真パネルの撮影が可能でした。
さて一口に住宅と言っても多様。出展で最も古いのは冒頭の丹下健三、「住居」(1953)です。自邸ながらも四方に開かれた構えはどこか迎賓館のようでもある。一階はピロティでしょうか。かの広島の平和記念資料館を思わせるものがあります。
増沢洵「コアのあるH氏の住まい」(居間より庭をみる) 1953年
増沢洵の「コアのあるH氏の住まい」(1953)は平屋の簡素な住宅です。内部は回遊性をもたせる工夫をしているとか。興味深いのがブロック積みです。内部にブロックを積み上げ空間を仕切る。トイレまでが内側(壁に沿っていない)にあるのも目を引きました。
清家清「私の家」(居間) 1954年
清家清の「私の家」(1954)も自邸です。10m×3mの住まい。いわゆる単室で部屋が一つしかありません。奥の壁は作り付けの書棚でしょうか。一面に本が積まれています。床材が趣き深く感じました。と言うのも不揃いの石が敷き詰められているのです。そして大きく開かれた窓から望む庭にも同じように石が敷かれている。庭との連続性を考えてのことかもしれません。木々の緑が目に染みました。
東孝光「塔の家」(竣工当時の外観) 1966年
「70坪よりも6坪が良い」。狭くとも都市に住むことを提案したのは東孝光です。住宅は「塔の家」(1966)、狭い敷地に2階、3階と積みあがる。まるで階段そのものを家にしたかのような建物です。ただ吹き抜けが功を奏しているからなのでしょうか。案外見通しが良い。上階には子供部屋もあります。全5階、上下の行き来は階段です。バリアフリーといった概念はおそらくありません。
菊竹清訓「スカイハウス」(改修後の写真。2階部分は現在ではゲストルームとして使われている。) 1958年
立地もあるのか写真でも居心地良さそうに見えます。菊竹清訓の「スカイハウス」(1958)、これも自邸です。トイレもユニット化して外部に配置されるように設計されたとか。1本の柱もないリビング。見晴らしが良い。広々としています。
坂本一成「水無瀬の町家」(外観) 1970年
一転して重々しく映るのが、坂本一成の「水無瀬の町家」(1970)。まるで閉ざされた箱のような住宅です。鉄筋コンクリートながらも屋根は木造。2階の天井高が低いゆえか腰が低くどっしりと構えているように見える。この住居も吹き抜けが用いられています。それにしても吹き抜けのある住宅が多い。殆どと言って良いのではないでしょうか。何かと空間に制約のある住居。吹き抜けで表情や空間に変化を付けているのかもしれません。
磯崎新「新宿ホワイトハウス」(3間立方吹抜けのアトリエ) 1957年
新宿でネオダダの本拠地だったそうです。磯崎新の「新宿ホワイトハウス」(1957)です。外観はやや洋風で小屋、ホワイトキューブ3間立方のアトリエです。当時は多くのアーティストらが集い、その様子も写真で紹介されていましたが、現在は様変わり。カフェとして利用されているそうです。
安藤忠雄「住吉の長屋」(西側外観) 1976年
長くなってきました。少し先を急ぎます。安藤忠雄の「住吉の長屋」(1976)です。おそらくは16名の建築家の住宅の中でも特に知られた作品、トレードマークというべきコンクリート打ちっ放しの箱が長屋の立ち並ぶエリアに半ば挿入されている。間口が驚くほど狭く、そもそも周囲に開かれた部分が少ない。その意味では内省と言えるのかもしれませんが、内部空間に驚くべき仕掛けがあります。吹き抜けに屋根がありません。ようは雨の日に左右の部屋を行き来するためには傘をささなくてはいけないわけです。ともするとこれこそ住民を挑発している住宅と言えるのかもしれません。
石山修武「幻庵」(南側より内部を見る) 1975年
それに挑発という点では石山修武の「幻庵」(1975)も同様ではないでしょうか。奇異な外観、昆虫かなにかのイメージでしょうか。オレンジの半円ドームとコンクリートの組み合わせ。さながら飛行機のコックピットのようでもある。また原広司の「原邸」(1974)の内部も変わっています。公共建築をそのまま取り込んだかのような空間。オペラシティ(初台)のコンサートホール前の階段状のエントランスを思い出しました。
白井晟一「虚白庵」(客室、仕事室。薄暗い空間の中にブラジリアンローズウッドの壁が浮かび上がる) 1970年
「内省する家」の代表格と言えるのではないでしょうか。白井晟一の「虚白庵」(1970)です。石の壁が建物を囲み、重々しい金属製の玄関はまるで金庫の扉のようでもある。シェルターと称されたそうです。そして内部も薄暗い。ただ白砂の敷かれた庭もあるのか、見開かれる景色は息をのむほどに美しい。白井と言えばともかく松濤美術館の空間を連想しますが、人を優しく包み込んでは守り、さらに瞑想を誘うかのような住宅。私は惹かれるものを感じました。
伊東豊雄「中野本町の家」(居間) 1976年
スリット状のトップライトが効果的です。伊藤豊雄の「中野本町の家」(1976)です。U字型で一見、外には閉ざされた空間。ただし内部は光に満ちています。何でも寡婦となった姉とその娘のための住宅だとか。おそらく光はいわゆる癒しを求めてのことなのでしょう。居間は延々とカーブを描く空間。両サイドにキッチンや寝室がある。残念ながら後に取り壊されてしまったそうです。
建築の中でも住宅という身近な素材の展示だからでしょうか。自らの生活体験に引き寄せられる展覧会です。また家具などの配置などでも印象の変化する住宅。ともすると家を捉える際に建物や環境を重視し過ぎてはいなかったか。主役は建物ではなく内部での人間の生活そのものです。それに家に馴染むということもあります。展示は1950~1970年前後と、かなり時代を遡りますが、まずはそれらの住宅に住みたいか否か、そしてどう住むのかということを考えながら見るのも楽しいかもしれません。
毛綱毅曠「反住器」 1972年
映像に関しての情報です。簡単に建物を紹介する2~3分程度の作品も目立ちますが、中には建築家のインタビューなどを交えての長編、25分程度のものもありました。(長い方から25分1本、16分1本、11分3本など。)全部追うとゆうに1時間はかかるのではないでしょうか。時間に余裕をもっての観覧をおすすめします。
企画展に続く常設のMOMASコレクション、特に「リサーチ・プログラム 小村雪岱」が充実していました。よく知られた「青柳」に「落葉」、また「おせん」の挿絵原画をはじめ、「お傳地獄」に「山海評判記」の複製資料、さらには「雪兎模様着物」などの染織まで、出品は50点ほどです。新たに寄贈された書籍や資料を含みます。これほどのスケールで雪岱作品を見たのは久しぶりです。2010年に同館で行われた回顧展のことを思い出しました。
ところで今回出展のあった黒川紀章は言うまでもなく本美術館の設計者。中銀カプセルタワーの住宅カプセルも隣接する北浦和公園内に設置されています。
黒川紀章「中銀カプセルタワー」内部 (北浦和公園内)
既にご覧になった方も多いかと思いますが、展示とあわせて見るとまた面白いのではないでしょうか。そちらもお見逃しなきようご注意下さい。
[戦後日本住宅伝説展 巡回予定]
広島市現代美術館:2014年10月4日(土)~12月7日(日)
松本市美術館:2015年4月18日(土)~6月7日(日)
八王子市夢美術館:2015年6月~7月(予定)
なお埼玉県立近代美術館は本展終了後、第2期改修工事のため9月1日より来年4月10日まで休館します。(ちなみに第1期改修工事を終えたからでしょうか。お手洗いが見違えるほど綺麗になっていました。)
「戦後日本住宅伝説―挑発する家・内省する家/新建築社」
8月31日まで開催されています。これはおすすめします。
「戦後日本住宅伝説ー挑発する家・内省する家」 埼玉県立近代美術館(@momas_kouhou)
会期:7月5日(土)~8月31日(日)
休館:月曜日。但し7月21日は開館。
時間:10:00~17:30 入館は閉館の30分前まで。
料金:一般1100(880)円 、大高生880(710)円、中学生以下、65歳以上無料。
*( )内は20名以上の団体料金。
*MOMASコレクションも観覧可。
住所:さいたま市浦和区常盤9-30-1
交通:JR線北浦和駅西口より徒歩5分。北浦和公園内。
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