都内近郊の美術館や博物館を巡り歩く週末。展覧会の感想などを書いています。
はろるど
「モダン・パラダイス」 東京国立近代美術館 9/23
東京国立近代美術館(千代田区北の丸公園3-1)
「モダン・パラダイス - 大原美術館+東京国立近代美術館 東西名画の響宴 - 」
8/15-10/15
竹橋にいながら、倉敷の大原美術館のコレクションを楽しめる展覧会です。展示作品の数は、東京国立近代美術館の所蔵品と合わせて約110点。日本画から西洋画、それに写真までの幅広いジャンルが一堂に介していました。なかなか欲張りな企画です。
サブタイトルには「名画の響宴」と書かれていますが、展覧会の体裁は単なる「名画展」をとっていません。それぞれの作品が「光あれ」や「心のかたち」、または「楽園へ」などという5つのテーマの元に配分され、様々に組み合わせることで見える魅力を探っています。また名画の「対決コーナー」も設けられ、ただ絵を見せることだけにとどまらない、企画者側の強い意図を感じる内容になっていました。しかし残念ながら、その試みがこれらの絵画の魅力を高め、さらにはその面白さを伝えていたかどうかはイマイチ良く分かりません。むしろ、ここは半ば衒学的とも言える構成を取り去り、一切無心で作品に接した方が面白いと思います。作品自体に力がある時は尚更です。
やや見慣れた感もある近代美術館の所蔵品よりは、どうしても殆ど未見の大原美術館の作品に目が向いてしまいます。今回、大原の所蔵品で特に感銘させられたのは、ポロックの「カット・アウト」(1948-58)と、モローの「雅歌」(1896)、それに関根正二の「信仰の悲しみ」(1918)の三点でした。どれも甲乙付け難いほどに魅力的な作品です。
ポロックは苦手だったのですが、この「カット・アウト」には驚くほど惹かれてしまいました。人型に切り抜かれたキャンバスに、まるで電子回路とも、はたまた迸る血潮とも言えるような絵具の群れ。赤や黄色の線が、時に断絶しながらも、恐ろしいスピードで縦横無尽に駆け巡っています。このキャンバスの人間は、その絵具に飛沫に閉じ込められ、また切り裂かれているのでしょうか。まるでダンスをするような格好をしていながら、あたかも辱めを受けた死体のように無惨な姿を見せつけています。息の詰まるような緊張感が内包された作品です。これはもはや抽象とは言えません。
水彩にこそモローの真髄がありますが、今回展示されていた「雅歌」(1893)もまた素晴らしい作品です。悩まし気に佇む一人の女性。その美しい体を包み込むローブには繊細な模様が施されています。全てがモロー一流の朧げな水彩の美感に纏われ、その艶やかさが儚く表現されていました。しかしそれでいながらも彼女の目だけは全く別物です。ここには見る者を誘い、また破滅させるような強い魔性の意思がこめられています。儚いどころか恐ろしい。彼女の美しさはサロメのように危険です。
関根正二の「信仰の悲しみ」(1918)は衝撃的でした。爛れた色彩に包まれ、既に生命を失っているような女性たちが連なりながら歩いています。暗鬱な雲の漂う空に、見渡す限り果てのない荒涼とした大地。彼女たちの寂寥感は尋常ではありません。ただこの作品に惹かれるのは、そういったペシミズム的な部分ではなく、むしろ女性たちのある意味での清純さにあるのではないかと思います。登場する彼女たちの表情を見ていただきたい。まるで聖女のように清らかです。それこそ冥界のような場所を歩いていながらも、彼女たちは確かに神性に守られている。ここには「悲しみ」よりも、むしろ彼女たちに託された「希望の光」があるように感じました。
展覧会の構成にはやや疑問も感じましたが、見るべき作品があるのも事実です。10月15日まで開催されています。
「モダン・パラダイス - 大原美術館+東京国立近代美術館 東西名画の響宴 - 」
8/15-10/15
竹橋にいながら、倉敷の大原美術館のコレクションを楽しめる展覧会です。展示作品の数は、東京国立近代美術館の所蔵品と合わせて約110点。日本画から西洋画、それに写真までの幅広いジャンルが一堂に介していました。なかなか欲張りな企画です。
サブタイトルには「名画の響宴」と書かれていますが、展覧会の体裁は単なる「名画展」をとっていません。それぞれの作品が「光あれ」や「心のかたち」、または「楽園へ」などという5つのテーマの元に配分され、様々に組み合わせることで見える魅力を探っています。また名画の「対決コーナー」も設けられ、ただ絵を見せることだけにとどまらない、企画者側の強い意図を感じる内容になっていました。しかし残念ながら、その試みがこれらの絵画の魅力を高め、さらにはその面白さを伝えていたかどうかはイマイチ良く分かりません。むしろ、ここは半ば衒学的とも言える構成を取り去り、一切無心で作品に接した方が面白いと思います。作品自体に力がある時は尚更です。
やや見慣れた感もある近代美術館の所蔵品よりは、どうしても殆ど未見の大原美術館の作品に目が向いてしまいます。今回、大原の所蔵品で特に感銘させられたのは、ポロックの「カット・アウト」(1948-58)と、モローの「雅歌」(1896)、それに関根正二の「信仰の悲しみ」(1918)の三点でした。どれも甲乙付け難いほどに魅力的な作品です。
ポロックは苦手だったのですが、この「カット・アウト」には驚くほど惹かれてしまいました。人型に切り抜かれたキャンバスに、まるで電子回路とも、はたまた迸る血潮とも言えるような絵具の群れ。赤や黄色の線が、時に断絶しながらも、恐ろしいスピードで縦横無尽に駆け巡っています。このキャンバスの人間は、その絵具に飛沫に閉じ込められ、また切り裂かれているのでしょうか。まるでダンスをするような格好をしていながら、あたかも辱めを受けた死体のように無惨な姿を見せつけています。息の詰まるような緊張感が内包された作品です。これはもはや抽象とは言えません。
水彩にこそモローの真髄がありますが、今回展示されていた「雅歌」(1893)もまた素晴らしい作品です。悩まし気に佇む一人の女性。その美しい体を包み込むローブには繊細な模様が施されています。全てがモロー一流の朧げな水彩の美感に纏われ、その艶やかさが儚く表現されていました。しかしそれでいながらも彼女の目だけは全く別物です。ここには見る者を誘い、また破滅させるような強い魔性の意思がこめられています。儚いどころか恐ろしい。彼女の美しさはサロメのように危険です。
関根正二の「信仰の悲しみ」(1918)は衝撃的でした。爛れた色彩に包まれ、既に生命を失っているような女性たちが連なりながら歩いています。暗鬱な雲の漂う空に、見渡す限り果てのない荒涼とした大地。彼女たちの寂寥感は尋常ではありません。ただこの作品に惹かれるのは、そういったペシミズム的な部分ではなく、むしろ女性たちのある意味での清純さにあるのではないかと思います。登場する彼女たちの表情を見ていただきたい。まるで聖女のように清らかです。それこそ冥界のような場所を歩いていながらも、彼女たちは確かに神性に守られている。ここには「悲しみ」よりも、むしろ彼女たちに託された「希望の光」があるように感じました。
展覧会の構成にはやや疑問も感じましたが、見るべき作品があるのも事実です。10月15日まで開催されています。
コメント ( 8 ) | Trackback ( 0 )
« ヴォルフガン... | 「ギョッとす... » |
見ることができて嬉しかったです。
私もやはり「信仰の悲しみ」がいちばんでした。
私がこの絵から感じたのは「葬列」、あるいは
「犠牲」というイメージなのですが、
そうですね。ほろるどさんのおっしゃられる
とおり「希望」のイメージも感じられますね。
コメントありがとうございます。
>「信仰の悲しみ」がいちばんでした。
そうですよね。初めて拝見したのですが、
この絵画で心を動かされないはずがありません。
>「葬列」、あるいは「犠牲」というイメージ
殉教するキリストのイメージでしょうか。
そしてそこに希望が託されている。
私はそう感じました。
若冲が終わってから、すっかり気が抜けておりました~。
久しぶりに行ったのが「モダン・パラダイス展」です。
確かにコンセプトが「?」なところありますが、
いろんな作品に触れることができて、よかったです。
トラックバックさせていただきました。
わ~、でも今回ははろるどさんの気に入った作品群とは
だいぶ違うものばかりに目をひかれました。
これまで読ませていただいたのでは、割と好きな傾向が似てると思ってたのですが・・
>展覧会の構成にはやや疑問も感じましたが
イマイチ意図が伝わってきませんでしたね。
珍しくあまりよく書かなかったせいか
TB受け付けてもらえませんでした
こんばんは。コメントとTBをありがとうございます。
>確かにコンセプトが「?」なところありますが、
いろんな作品に触れること
コンセプトはもうほとんど無視してしまいました…。
近美はいつも切り口鋭く展示をしていただけるのですが、
今回はちょっとどうかなと思います。
>これまで読ませていただいたのでは、割と好きな傾向が似てると思ってた
そ、そうでしたか…。
どうも私は変な作品を一生懸命に褒める傾向があるようなので…。申し訳ありません。
@takさん
こんばんは。こちらにもありがとうございます。
>TB受け付けてもらえません
すみません…。
どうもgooとjugemは相性がイマイチのようです…。
早く仲良くなって欲しいですね。
>どうも私は変な作品を一生懸命に褒める傾向があるようなので…。申し訳ありません。
いえいえ!そんなことはないです、モローなどは大好きですし。
私が今回はへそ曲がり?なのか
マイナーなもののほうに目が行ってしまって。
ただ「信仰の悲しみ」については、けっこうみなさんの評判はいいのに、
私にはまだまだ良さが感じ取れません・・
おこちゃまなのかもしれません(泣)
ひとり旅した倉敷で大原美術館を訪れ、
ポロックのカット・アウトに出会ったのが、
私の現代美術好きの始まりでした。
今回東京で再会できたことに
「時空を超えた響き合い」を感じました。
展覧会全体の印象は、なんだか
美術の教科書を見せられてるような
感じでしたが・・・
こんばんは。再度ご丁寧にありがとうございます!
>ただ「信仰の悲しみ」については、けっこうみなさんの評判はいいのに、私にはまだまだ良さが感じ取れません
皆さん感じた方は本当に人それぞれですよね。
だからこそ皆さんのブログを拝見するのが面白いわけで…。
>おこちゃまなのかもしれません(泣)
そんなことを仰らずに!
@テツさん
こんばんは。
コメントとTBをありがとうございます。
>ひとり旅した倉敷で大原美術館を訪れ、
ポロックのカット・アウトに出会ったのが、
私の現代美術好きの始まり
何とも素敵な出会いでいらっしゃいますね!
ポロックは少し苦手だったのですが、
この作品で一気に引き込まれました。見事です!
>美術の教科書を見せられてる
そうですね。意欲はOKなのですが、
少々その幅広いコレクションに戸惑った感もありました。
いっそ大原美術館展でも良かったような…。