平御幸(Miyuki.Taira)の鳥瞰図

古代史において夥しい新事実を公開する平御幸(Miyuki.Taira)が、独自の視点を日常に向けたものを書いています。

クフのピラミッドに刻まれた三浦氏の家紋

2006-05-31 12:43:24 | 古代史と聖書
 今年のダービーは完璧な予想でしたが、実はこれには訳があります。

 古代史の方で、クフのピラミッドの通称「女王の間」に刻まれた謎の凹みを解明したのですが、ここには26センチの倍数がキーワードとして登場します。具体的には、凹みの奥行きが二倍の52センチ、幅が6倍の156センチです。それで、僕の古代史は神により競馬からもヒントをもらっているので、今回は馬番が2番メイショウサムソンと6番アドマイヤメインに絞れたのです。ですから、古代史と関係のない予想は外れます。ちなみに、73回目のダービーですから、冬至の南中高度の二倍が73度になるエジプト・ギザ、すなわち九州をアフリカに見立てた場合の小倉でデビューしたサムソンが勝つのは理に適っています。

 さて、肝心の「女王の間」の凹みの謎ですが、これは出エジプトの時期を預言として刻んだものです。刻んだのはヨセフでしょう。また、出エジプトを記念した過越の時期も、冬至から52日後と分かります。これは、現在のユダヤ教の四月頃とは異なります。本当の過越は、日本で太陽暦を用いていた前7世紀以前の旧正月なのです。詳しくは『私だけの古代史・第二部エジプト編』追加のエピソード~その1をご覧下さい。

 ところで、クフのピラミッドの入り口には、謎の図形と呼ばれる4文字があります。これも解読されていないのですが、僕は最後の文字(図形)は平家傍流の家紋だと思います。なぜならば、アメン・ラーのアテフ冠は平家の家紋の蝶であり、ヨセフの息子のエフライム系を指すからです。そして、エフライムこそ最初のイエスの雛形なのです。もちろん、アテフのテフはテフテフ(蝶の古語)です。では、平家傍流とは何という氏族か?それは、相模を根城にした三浦なのです。三浦の家紋は三つ引両ですが、これを縦にすると竪三つ引両となり、謎の図形の4文字目に一致します。4文字で示される神の奥義とは、これも本編をご覧下さい。

     エフライム工房 平御幸
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ダービー馬は

2006-05-26 17:47:03 | Weblog
 今年のダービーは人気が割れそうですが、素直にメイショウサムソンから入ります。同じ瀬戸口厩舎だった二冠馬ネオユニバースと臨戦過程が同じで、しかも雨の予想。因縁を感じます。対抗は、青葉賞の勝ち馬アドマイヤメイン。逃げに転じてから安定しています。

 黒三角は、馬体の維持が問題ですが、当日に減っていなかったらトーホーアラン。セントポーリア賞の勝ちっぷりが良く、スプリングステークスはマイナス体重が敗因。

 サムソンと同厩のマルカシェンクは最強かもしれませんが、骨折明けで馬体が減っていた前走の反動が出そう。フサイチジャンクは武豊騎手が選ばなかった時点でパンチ不足。ジャリスコライトとドリームパスポートも2400mに疑問は付くが、以上4頭が白三角。アドマイヤムーンは距離に疑問で、思い切って消し。

 大雨の場合はナイアガラの複勝。遊びとしてエルコンドルパサー産駒の二頭、パッシングマークとアペリティフの複勝、あるいは押さえ。

 いずれにしても、何が勝っても地味なダービーという印象は免れませんね。昔のサクラチヨノオーやトウカイテイオーみたいに、デビュー戦でダービー馬を印象付けた馬はマルカシェンクだけですから。骨折が返す返すも残念です。


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生ぬるいダ・ヴィンチ・コード

2006-05-21 09:01:10 | 古代史と聖書
 映画の『ダ・ヴィンチ・コード』が封切られ、テレビでも特集が組まれているようです。でも、個人的には『ダ・ヴィンチ・コード』に期待していません。というのも、イエス・キリストに関しては、もっと凄いタブーが存在する可能性が高いからです。

 『ダ・ヴィンチ・コード』でも用いられている死海文書ですが、新約聖書を補完する資料として注目され、多くの研究家が解読の成果を発表しています。しかし、死海文書で公開されているのは極一部分に過ぎず、大半は秘匿されたままなのです。ですから、公開されている範囲でも大変なのですから、非公開の部分に何が書かれてあるかは想像も付きません。

 さて、死海文書の研究家で最も優れているのはバーバラ・スィーリングという女性です。NHKブックスから『イエスのミステリー』という本が出されていて、この内容は衝撃的なものです。なにしろ、イエスの磔刑の場所はエルサレムではなく、またイエスは死んだのではなく仮死であったなど、驚くべき事が書かれています。しかし、一番驚くのはイエスの結婚と再婚と二人の子供です。この内容に比べると、『ダ・ヴィンチ・コード』のイエス像はまだ生ぬるいと言わざるを得ません。

 バーバラ・スィーリングによると、イエスはマグダラのマリアと結婚し、男の子を得ています。しかし後に離婚し、イエスは若い女性と再婚し、また新たな子供を得ています。バーバラ・スィーリングの考証方法は、聖書のイエスに関する記録は暗号の一種であるペシェルで書かれいると判断し、独自の暗号解読を行ったものです。ペシェルが存在したのか、あるいは解読の方法が適切なのかは判断が難しいのですが、十字架刑の方法なども詳しく調べられており、読んで損はないものだと思います。

 映画の『ダ・ヴィンチ・コード』も『イエスのミステリー』も、カソリックに代表される白人系西方教会のタブーという程度で、本当のイスラエルである日本人にはタブーではありません。イエスの家族も、あるいは12使徒の大半も、西方教会ではなく東方教会に属したのです。彼らが、何時日本にやって来たのかは正確に分かっていませんが、飛鳥説のように十字架が伊勢神宮に保管されているのは間違いないでしょう。イエスに家族があったとしたら、その子孫が末の世である現代に技を行う可能性はあります。しかしそれは、サタンの教会のような方法では人を集めません。現世利益と、お金と、脅し、それから集団ナルシシズムにはくれぐれもご注意を。ちなみに、『ダ・ヴィンチ・コード』のような作品は、ブームが去ってから観た方が冷静に受け止めることが出来ると思います。まっ、僕は全く興味を持っていませんが。
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素直になることの難しさ

2006-05-15 19:54:08 | Weblog
 昨日(5.14)の、フィギュアスケートジャパンオープン2006という長ったらしいタイトルの大会で、真央ちゃん復活しましたね。体が大きくなって心配されたジャンプも高さがあり、これならもう少し身長が伸びても大丈夫でしょう。復活と言えば、ホッカイドウ競馬のコスモバルクがシンガポールのGⅠを勝って復活です。コスモバルクは、古代史(『私だけの古代史第二部・エジプト編』第11章7項~飛鳥の名前、その三)の方で謎解きのヒントとして登場します。その時に名馬と書いているのですが、実はまだGⅠを勝っていなかったので見切り発車の表現でした。これでようやく原稿の書き直しをしなくて済みそうです。


 話を真央ちゃんに戻すと、真央ちゃん関係の掲示板でこのブログが紹介されていました。それを見て訪れてくれた読者の中に、「真央ちゃんが好きでも嫌いでもなかったけど応援したくなった」という書き込みがありました。このような素直な反応を見ると、日本もまだまだ捨てたものではないと感じ、また書いて良かったと思うことが出来ます。

 素直と言えば、僕の独自の人相学では、素直と美人、あるいは純粋と美人は同じものを指します。また、絵を教えて分かるのですが、美人は概して絵の上達が早いのです。天は二物を与える傾向にあるのです。ところが、テレビでは滅多に美人が映りません。大半は整形したタレントや女子アナだし、整形していない人は素直と純粋から程遠い感じの人ばかりです。それで、もしかしたら、日本中の美人は僕が行く先々に備えられているのかもしれないと思うほどです。それだけ僕は美人と縁があるのですが、僕の行く先に美人が待っている理由は、僕が誰よりも素直で純粋だからということになります。花を花らしく描ける素直さと、スーパーコンピューターが発熱しても到達できないデッサン力を有する人間は、日本中=世界中探してもいないと断言できます。僕の古代史は、実はそういう資質から生み出されたものなのです。

 東京芸大の美術学部というと、何も知らない人は競争率で卒倒します。しかし、大半は受験しても無駄な、その他大勢に過ぎません。実質競争倍率は二倍程度でしょう。でも、教授陣に変な人がいると、その他大勢から合格者が大量に出ることになります。僕が入学した世代はまさにこれで、芸大史上最低のクロップと言われています。僕の目から見て、トップ10以内で合格すると思われていた美人も二人落ちました。

 芸大日本画の試験は、変な癖のない素直さが要求されると言われてますが、それも欺瞞でしか有りません。素直そうに見せるテクニックが有れば合格するのです。それは、教授陣に見る目がないのでなく、才能のない者が教授をする必然として、自分と同じように才能のない人間を無意識で選択するからです。そういう意味では、吉田善彦教授が良識の最後の砦ではなかったでしょうか。

 素直さという美徳は、現代の日本では受け入れられ難い資質なのです。もともと素直だった人も、それが通用しない世界に毒されると美徳を失います。また、もともと素直でない人は、命と引き換えるくらいの覚悟がないと、自分を変えることは出来ません。素直で純粋な人は、天然記念物のように貴重です。でも、そのような人でなくては神の国に入ることは出来ません。自分を変えることが出来ない人は、チャンスを来世に求めるため、生れ変わりという妄想を抱きます。でも、生れ変わりはありません。この世での人生は一度だけ。だからこそ神に選ばれるのは大変なのです。

     エフライム工房 平御幸

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ゴミ人間の心理学

2006-05-09 11:36:12 | Weblog
 最近ゴミ屋敷が増えていますね。どこの町にも一つ二つは必ず見かけます。屋敷でなくても、ゴミに埋もれたマンション生活者など、テレビでは話題に事欠かないようです。テレビの企画でゴミの山を片付けるというのがありますが、犯罪ではないですが再犯率は高いようです。せっかく片付けても元の木阿弥。何故この様になるのでしょう。

 ゴミ屋敷にも大別して、棄てられないタイプと集めてくるタイプがあります。わざわざゴミを集める心理は普通の人には理解できません。しかし、全てのものに理由があり、説明できないものは無いはずです。でも本人でないので憶測するしかないのですが、これは見捨てられ症候群だと考えられます。

 見捨てられ症候群というのは学名ではなく、ドクターではない僕が勝手に付けた分類です。それで、この症候群の特徴は、特に母親の愛情欠落によって生じた病的な習性と考えられます。マザコンの一種ですが、本人が見捨てられたと感じた経験がトラウマとなり、成長してから何かの出来事が発端となり、病的な行動に走らせるというものです。見捨てられた経験が原因なので、見捨てられ症候群と呼びます。

 では、具体的に見捨てるとはどのような行為なのか。それは些細なことで、「この子はダメだ」という視線です。期待しないとか、他の兄弟と差別するとか、世間では普通にある母親の態度です。ですから、母親(父親を含めた家族)には自覚がありませんし、同様の環境に置かれた人の大半は普通に育っています。意気地がないとか、意志が弱いとか、生まれついての本人の資質と重ならないと発症しないと考えられます。

 見捨てられ症候群は多くの人が潜在的に有しているものですが、それが失恋、離婚、友人との不和、などの原因で症状が顕在化します。ゴミ屋敷の人は総じて孤独で、訪れる人は皆無なのです。家族にも見捨てられ、それで捨てられたゴミを自分のように感じてしまう。あるいは、棄てることを避けてしまう。実際にはもっと複雑ですが、単純に説明するとこうなります。

 見捨てられ症候群の人は、自分を見捨てた人に対して恨み骨髄ですから、復讐心を満たそうという潜在的な欲求があります。それが自分よりも弱い者、あるいは先進国レベルで立ち後れている国の人に対する、尊敬を欠いた行為となって現れます。アジア諸国での買春ツアーや少女買春などはその典型です。この様な形で欲求不満を解消できない人は、ゴミ屋敷への道が待っています。ご丁寧に両方という人もいますが。

 ダメ人間は、ダメな自分を愛されたいという根元的な欲求を捨てられません。なぜならば、それが親の視線に対する復讐だからです。自分が努力して愛されようとしても無駄と思っていますから、必然的にケチになります。愛情は受けるもので、与えるものではないのです。ですから、打算のない金銭関係は考えられません。このような女々しい精神構造になりますから、ますます他人との関係が悪化します。

 人の心というのは、本人の自覚によってしか変えられません。家族を含めた他人に出来るものには限界があるのです。親に対する復讐心を抱いている人は、人類の本当の親である神からも自らの意志で遠離ります。また、普通の人でも一人につき10体の悪霊が付きまとっています。これが、神から離れた人になると、付きまとう悪霊が何倍にも増えているのです。もっとも、自分から進んで呼び集めたようなものですが。人間は、悪魔と戦うことをこの世で義務付けられ、その成果によって次の世界での住処が決まるのです。ゴミ屋敷は悪霊の巣窟であり、この世の地獄の一つの縮図なのです。
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世界史上最高の名宰相

2006-05-03 11:46:41 | 古代史と聖書
 小泉政権も残すところ数ヶ月に迫りましたが、首相としての評価が定まるのは何年も先のことでしょう。しかし、世界には何千年も正しい評価をされてこなかった名宰相がいます。その名はヨセフ。エジプト宰相として『創世記』の最後を飾る人ですが、彼が何を為したのかはほとんど知られていません。また、ヨセフが名宰相であった背景に、ヨセフを登用した名君が存在しました。今回は、この二人について書いてみたいと思います。


 ヨセフは、ヤコブが最も愛した妻ラケルの第一子でベニヤミンが弟です。ラケルの姉レアが産んだ6人の子供たち、双方の仕え女が生んだ二人ずつの息子と合わせ、ヤコブの12人の息子を構成します。後に、ヨセフが宰相に就いたエジプトに於いて、ヨセフの二人の息子、マナセとエフライムがヤコブの子供に数えられ、祭司のレビを除いたイスラエル12部族を形成します。しかし、ヨセフが宰相となるには物凄い苦難がありました。

 ヨセフは夢見る人と言われ、両親に特別扱いされて育てられたこともあり、他の兄弟の恨みを買っていました。それで、ドタンという場所で涸れ井戸に落とされて殺されそうになります。これが土壇場の語源ですが、結果的に助けられてエジプトへ売られしまいます。エジプトでもヨセフは苦難の連続で、買われて先で容貌の美しいことから主人の妻に言い寄られ、断るとセクハラの濡れ衣で投獄されます。この時、ヨセフは主人の妻から逃げる際に着物を剥ぎ取られ、それを証拠として提出されました。どうも、これが濡れ衣の語源のようです。多分、ヨセフの着物は濡らされていたのでしょう。

 獄中でのヨセフは獄卒に特別扱いされますが、それでも物が無い時代の獄では、ろくな物しか口に出来ません。ヨセフは13年の獄中で歯が抜け、髪も抜けたと考えられます。こんな過酷な状況の中、時の王が見た夢の解き明かしをヨセフに命じます。王に仕えていた給仕長が無実で投獄され、ヨセフのことを夢の解き明かしが出来る者と知っていたからです。この時の王は、聖書には名前すら書かれていませんが、僕は第2王朝最後のカセケムイであると考えています。その理由は、次の第3王朝からイスラエル王朝になるからです。詳しくは、『私だけの古代史第二部・エジプト編』第9章をお読み下さい。

 さて、エジプト王の見た夢は、7頭の肥えた牝牛と7頭の痩せた牝牛というものでした。ヨセフはこれを、エジプトに起こる7年の豊作と7年の飢饉と解き明かし、神がなさることを王に現されたのだと告げました。カセケムイ王は、ヨセフの知恵に感嘆し、その場で宰相に取り立て、エジプト全土を監督するように命じます。この時のヨセフは30才で、110才まで生きていたと記されています。しかし、アカデミズムはヨセフの実在もヨセフの功績も立証できずにいて、ヨセフの物語の大半は架空とされています。

 けれど、僕はヨセフが実在し、しかも全世界の文化の根幹を築いたことを知っています。正確には、妻のアセナテと共に築いたのですが、アセナテはオン(ヘリオポリス)の祭司ポテペラの娘です。では、ヨセフはエジプトで何を為したのか?聖書には全く記されていない功績を、ヨセフと似ている僕が解き証しをしましょう。

 まず、ヨセフのエジプト名パネアが世界中に広まります。パネアのパは、空飛ぶアヒルのヒエログリフで表わされますが、これが「パッとする」の語源となります。ヨセフは食糧を管理したので、パネアからパンの語源となります。パンをパネと呼ぶ国もあるのです。さらに、7年の飢饉の時には、獄中で磨いた粗食の知恵を生かします。要するに食べられるものは何でも食べたのですが、ヨセフは鳥で象徴されていたので隹(とり)を旁に持つ雑の一文字で表わされます。これが雑穀の語源です。

 ヨセフは他に、パピルス、ピラミッド、彫刻、なども創りましたが、エジプトの絵文字ヒエログリフもヨセフが考案したと考えられます。ヨセフ以前は、公用語は楔形文字であり、ヒエログリフは文字体系としてはお粗末なものだったのです。これをヨセフが表意と表音の双方を兼ね備えた文字体系とし、後の漢字のルーツとなります。漢字といえば、七夕もヨセフを記念した行事です。しかし、ヨセフが開発したもので最も重要なのは行政システムです。それは、地方に分割して統治するというもので、ヨセフの名前から取ってセパトと呼ばれました。これがセパレートの語源です。

 このように、ヨセフの功績は夥しいものがあるのですが、13年も獄中にありながら、その期間を無為に過ごさず、後の宰相としての資質を磨いていたのですから、本当に偉大です。エジプト7年の飢饉を救えたのは、獄中のヨセフが何でも食べることを考えたからです。稗や粟など、それまで見向きもされなかった雑穀を、ヨセフは食べ物として広めたのです。その遺産は、アフリカで主食とする人々によって守られています。でも、ヨセフを取り立てたカセケムイも偉大です。獄中にあり、しかもまだ若いのに、いきなりの宰相ですからね、カセケムイの器も相当に大きかったと理解されます。これからの日本に、ヨセフのような神の霊を持つ宰相が登場するのか。それとも、私利私欲を代弁する政治倫理がこのまま横行するのか。日本は、ヨセフを祖先とする多くの国の宗家として、世界に規範を示すことが出来るのか。日本はこれから大変な時代を迎えますよ。

     エフライム工房 平御幸

 
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