平御幸(Miyuki.Taira)の鳥瞰図

古代史において夥しい新事実を公開する平御幸(Miyuki.Taira)が、独自の視点を日常に向けたものを書いています。

浅田真央に見る教訓~隣人を貪ってはならない

2007-02-06 14:09:23 | Weblog
 真央ちゃんの粗(あら)探しをする人は、芸術性や表現力がないと力説します。海外での評価も表現力に優れていると一致しているのに、なぜに執拗に拘(こだわ)るのでしょうか。

 真央ちゃんのスケーティングは、そのフワフワ感からエッジが浅いと揶揄(やゆ)されて来ました。けれど、優勝した全日本のSPを解説したナンシー・ケリガンは、ステップの所でディープ・エッジでラブリーで美しいと評していました。それも当然です。なぜならば、浅いエッジのスケーティングでは、真央ちゃんのように二三漕ぎでトップスピードに乗せる事は出来ないからです。ジャンプだけでなく、スピン、ステップ、スパイラルなどの完璧さに、毒舌と言われるケリガンも呆れて笑い出すしかなかったようです。

 僕はボリショイ・バレエの大阪公演を見に行った事がありますが、実際のダンサーは結構重々しくて、ジャンプの度に床が大きな音を立てます。真央ちゃんの見かけ上のフワフワ感は、物凄く強い筋力が備わっていて初めて可能なものなんですね。そう言えば、声楽の女子学生で握力が70㎏という人がいました(僕は45㎏)。見かけはガリガリで、どこにそんな力がと思うのですが、どことなく黒人の特徴を有するのは真央ちゃんと同じでした。

 真央ちゃんはこのような技術面だけでなく、芸術性や表現力も、子供の頃から評価されています。日本の解説者では一番辛口の伊藤みどりさんが褒めるのですから、間違いはありません。表現力の本質とは、表現したいものが出来るのが表現力なのです。芸術性に関しては、芸術の定義は神を証しすること。観る人が幸福になる真央ちゃんの演技は、神の存在を証ししているのです。ですから、真央ちゃんのファンも必然的に神の側に位置します。

 ところが、その反対に位置する人は、アンチ真央として神に逆らう事しか考えません。反対のための反対は、実は地獄に堕ちている事の証左なのです。それで根掘り葉掘り粗探しに終始する訳です。また、モーセの『十戒』の最後に「隣人を貪(むさぼ)ってはならない=隣人のものを欲してはならない~『出エジプト記』20章」とあります。実はこれ、韓国とその選手に対する言葉なのです。


 05年度のグランプリシリーズで真央ちゃんが最初に勝ったフランス大会。韓国のキム選手は翌年に同じ大会にエントリーしてきて勝ちました。要するに、真央ちゃんと同じ勲章が欲しかったのです。それで毒物事件でファイナルも勝ち、何も知らない人には真央ちゃんと同じようなデビューの年に見えるのです。ですが、神様から見るとモーセの『十戒』に反した行為なのです。日本と真央ちゃんから何もかも奪ってしまおうという悪魔の策略でしかないのです。

 韓国とキム選手は、自分の分に合った目標を立てて正々堂々とチャレンジしなくてはならなかったのに、真央ちゃんと同等の栄光を欲したために堕ちる所に堕ちたのです。キム選手は氷上の貞子(ホラー『リング』の幽霊)とか、韓国のハーディング(ケリガン殴打事件)と陰口を叩かれています。真央菩薩とはエライ違いです。真央ちゃんの弥勒半跏像(中宮寺の国宝・如意輪観音像)のようなスピンを、僕はカノン・スピンと呼んでいます。カメラのCanonは観音から来ていますが、観音スピンでカノン・スピンとなるのです。真央ちゃんが神様からどれだけ愛されているか分かりますね。

       エフライム工房 平御幸

 ナンシー・ケリガンの解説 http://www.youtube.com/watch?v=2ZvLCZ9FWH0
 真央ちゃんにそっくりな、国立博物館で特別公開の中宮寺の半跏像   
コメント
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