平御幸(Miyuki.Taira)の鳥瞰図

古代史において夥しい新事実を公開する平御幸(Miyuki.Taira)が、独自の視点を日常に向けたものを書いています。

予測できた大地震

2007-04-02 11:21:31 | Weblog
 2004年の中越地震に引き続き、今年も能登半島沖地震が起こりました。阪神大震災もそうでしたが、これらの地震は未発見の活断層によって起こされたものです。大災害をもたらす活断層が、地震が起こるまでどうして未発見のままだったのか?それは、活断層かどうかの認定は、主にボーリング調査で行われているからです。

 ボーリング調査の限界は、極めて局地的な情報しか得られないという事が挙げられます。ボーリングした地点を繋ぎ合せて、活断層というラインが描かれるのです。ですから、海などでボーリングできない所は空白となります。必然的に活断層情報は細(コマ)切れとなります。

 ところで、国土地理院が公開している情報では、日本列島全体が東西に圧縮され続けています。日本列島そのものの形が変形し続けているのです。その量は国土全体から見ると些細なものですが、変動を拡大して見る地殻変動アニメーションでは、日本列島が東西に圧縮されているのが一目瞭然なのです。東西圧縮という現象は、正しくは北東から南西に引いた斜めの線に平行に圧縮されているのですが、実はこの何本もの平行線が巨大地震の大元なのです。

 阪神大震災の活断層も、この斜めの線の上にありました。国土地理院では、その膨大な地形データを有効利用し、地形をデータ化してシミュレートする事が出来ます。衛星画像では邪魔になる人工構造物や森林などの影響を無視できるのです。この結果、ボーリングしなくても、日本海から太平洋に抜ける巨大な活断層(仮想構造線)が観測できるのです。細切れではない巨大な活断層、それは日本人の想像を遙かに超えた大規模なものなのです。これは、日本列島が東西衝突で形成された事による必然なのですが、アカデミズムは東西衝突を否定しているので、巨大な活断層も目に入らないのです。ちなみに、邪馬台国は東西衝突の際にできた深さ6000mのフォッサマグナに飲み込まれて消滅した、というのが僕の説です。

 弥生時代の銅鐸分布を調べると、大半が活断層上に置かれている事が分かります。弥生時代末期に東西日本が衝突する前後、弥生の人達は度重なる地震に怯え、銅鐸を地中に埋める事で地震の被害から守られるように祈っていたのです。また、縄文時代の人口構成を調べると、西日本が異様に少なく、人が住むのをためらった形跡があります。これは、西日本が大地殻変動の最中で、人が住むには危険過ぎたためです。

 ボーリングという調査方法は局部的に有効ですが、点を集めて線を見つけるのではなく、仮想構造線という巨大な線を解析して危険な地点を特定するべきだと思いますよ。

 なお、地殻変動アニメーションは、国土地理院のサイトか、『私だけの古代史・第四部 邪馬台国編』第6章「唐古・鍵遺跡の謎」の最後でご覧下さい。

     エフライム工房 平御幸
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