最近、精神的な疲れがひどくなっています。その理由は、主に読者のルール無視にあります。
午前二時過ぎに心配事を書き綴った長文メール(+添付文)があったり、一度で済む事務的な手続きに四回以上もかかったり、自分で調べれば分かることに質問があったり、僕は精神科の医者でもなく、暇な事務員でもなく、小学校の先生でもありません。掲示板で「ググレカス」と罵る気持ちが理解できる今日この頃ですね。
僕の頭の中は、聖書と教会と古代史、新作の『灰色の鳩』の構想、スピーカーの設計と製作、アンプの修理と製作、デッサンを学ぶ読者のためのガイドの制作、ブログの更新とコメント管理、などで一杯一杯です。その上で、一番苦手なメール管理などの事務的な仕事を行っているのです。長文のメールは読む気にさえなりません。
ということで、ガイドラインを作成します。
1.メールでの質問は古代史CDの読者に限らせていただきます。それも、代金は古代史のもので、あくまでもおまけです。当然、長文はご遠慮ください。
2.他の読者にも普遍的な質問(共有できるという意味)は特に、ブログのコメントでお願いします。何度も同じ質問されるのは効率が悪いし、第一に、自分だけの満足しか考えない人を尊敬できないからです。自分の質問が、他の読者との間にどのような効果や反応を起こすのか?そういう空気を読むコメントは歓迎です。
3.相談事も基本的に上記1と同じです。エクソシストなどに関しては、メールでは簡単な方法しか教えられません。それ以上を望むときは、往復交通費+宿泊費+αが必要となります。
4.弟子や一部の読者に対するような特別扱いについては、読者の実活動を見てこちらが判断しています。例えば、弟子のブログに対するコメントとか、企画ものへの参加呼びかけへの反応などで決めています。当然、支援金の額だけではなく定期制も判断材料になっています。長文のメールをよこしても特別扱いはしません。
5.上記に関して、弟子などの特別扱いは、新たな教会の隅の石として磨き育てている結果です。古代史や聖書の知識よりも、実活動での人間性に重きを置いています。知識は年数を重ねると自然に身に付きます。
これは経験値ですが、読者の心配の大きさと支援金は反比例します。コメントやメールで「シンパイダーシンパイダー」とお題目を唱えているかのような読者は、支援金への参加が極めて少ないのです。対して、古代史や聖書を勉強し、僕の苦労が少しでも理解できた読者は、貧しい中からも支援金を捻出してくれます。聖書では、収入の十分の一が神のものとされています。それから見ると、シンパイダーは何も分かっていない愚か者です。
心配ばかりする者は、信仰がないので心配ばかりし、実りがないので神に対する奉仕(奉納)がないのです。シンパイダーは役に立たないので、二年前に『真央ファンへの十懐疑』で選別したのですが、最近の読者は読んでいないのでしょう。無駄に心配することは、足を引っ張るだけで何の貢献にもなりません。
最後に、僕の古代史やブログの基本姿勢は、「読者に考えさせる」事にあります。考えることを放棄して脳の皺が足りないスベスベの読者は、「頭は生きているうちに使うもの」という原理原則を忘れないで、考えることの楽しさに目覚めてほしいですね。頭は使うほど良くなる。最近絶好調の弟子のブログが証明しています。これも僕の古代史の隠された効能ですけどね。メール一つで弟子の文才を見抜いた僕は、やはり自画自賛の天才です。
エフライム工房 平御幸
午前二時過ぎに心配事を書き綴った長文メール(+添付文)があったり、一度で済む事務的な手続きに四回以上もかかったり、自分で調べれば分かることに質問があったり、僕は精神科の医者でもなく、暇な事務員でもなく、小学校の先生でもありません。掲示板で「ググレカス」と罵る気持ちが理解できる今日この頃ですね。
僕の頭の中は、聖書と教会と古代史、新作の『灰色の鳩』の構想、スピーカーの設計と製作、アンプの修理と製作、デッサンを学ぶ読者のためのガイドの制作、ブログの更新とコメント管理、などで一杯一杯です。その上で、一番苦手なメール管理などの事務的な仕事を行っているのです。長文のメールは読む気にさえなりません。
ということで、ガイドラインを作成します。
1.メールでの質問は古代史CDの読者に限らせていただきます。それも、代金は古代史のもので、あくまでもおまけです。当然、長文はご遠慮ください。
2.他の読者にも普遍的な質問(共有できるという意味)は特に、ブログのコメントでお願いします。何度も同じ質問されるのは効率が悪いし、第一に、自分だけの満足しか考えない人を尊敬できないからです。自分の質問が、他の読者との間にどのような効果や反応を起こすのか?そういう空気を読むコメントは歓迎です。
3.相談事も基本的に上記1と同じです。エクソシストなどに関しては、メールでは簡単な方法しか教えられません。それ以上を望むときは、往復交通費+宿泊費+αが必要となります。
4.弟子や一部の読者に対するような特別扱いについては、読者の実活動を見てこちらが判断しています。例えば、弟子のブログに対するコメントとか、企画ものへの参加呼びかけへの反応などで決めています。当然、支援金の額だけではなく定期制も判断材料になっています。長文のメールをよこしても特別扱いはしません。
5.上記に関して、弟子などの特別扱いは、新たな教会の隅の石として磨き育てている結果です。古代史や聖書の知識よりも、実活動での人間性に重きを置いています。知識は年数を重ねると自然に身に付きます。
これは経験値ですが、読者の心配の大きさと支援金は反比例します。コメントやメールで「シンパイダーシンパイダー」とお題目を唱えているかのような読者は、支援金への参加が極めて少ないのです。対して、古代史や聖書を勉強し、僕の苦労が少しでも理解できた読者は、貧しい中からも支援金を捻出してくれます。聖書では、収入の十分の一が神のものとされています。それから見ると、シンパイダーは何も分かっていない愚か者です。
心配ばかりする者は、信仰がないので心配ばかりし、実りがないので神に対する奉仕(奉納)がないのです。シンパイダーは役に立たないので、二年前に『真央ファンへの十懐疑』で選別したのですが、最近の読者は読んでいないのでしょう。無駄に心配することは、足を引っ張るだけで何の貢献にもなりません。
最後に、僕の古代史やブログの基本姿勢は、「読者に考えさせる」事にあります。考えることを放棄して脳の皺が足りないスベスベの読者は、「頭は生きているうちに使うもの」という原理原則を忘れないで、考えることの楽しさに目覚めてほしいですね。頭は使うほど良くなる。最近絶好調の弟子のブログが証明しています。これも僕の古代史の隠された効能ですけどね。メール一つで弟子の文才を見抜いた僕は、やはり自画自賛の天才です。
エフライム工房 平御幸
最近ハイペースの更新が続いているようなので、さすがに体調は大丈夫か?と、少しばかり。。。
現在の義務教育制度は、
1.自力学習のために必要な基礎を身につける(=基礎学力&工夫の能力)
2.自力で問題の解答を生み出す(=最初は真似から始めるが、論理組み立て力・応用思考技術の重視。受験問題への対応力も含む)
3.多様な人間関係を学ぶ(=カルト組織以外の人間関係、人の本質を見抜く直観力)
という大切な部分に力を割いていないという事が大きな問題となっているのですが、方々の教育関係者や日教組はそれに気づいていないようなので、大変気を揉んでいます。カルト組織に適したロボット的な人材しか育たないです。あれでは…
このままだと、世間一般で努力している普通の会社や役所に必要な、自立性と組織的観点を兼ね備えた人材が居なくなってしまうので、なんとも情けない事ですが、市井の人材教育(=市井セミナー等)の可能性に頼りつつあるのが現状のようです。
平様のご意見・方法はかなり「風変わり」に見受けられますが、人材教育の基本を押さえていらっしゃるようなので、改めて感心しております。日本のような資源弱小国では、やはり「人材教育が重要」ですね。
日教組自体がカルトですから、亡国のロボットしか産み出しませんね。
僕は物を作る人間を尊敬しています。自分では作れないからです。学校で教わるようなことは独学でも十分ですから、農工芸術をもっと教えるべきだと思います。
古代史も非常に興味深く読ませて頂いております。
大学在学中に洗礼を受けクリスチャンです。
きっかけは高校在学中のアメリカ留学先の
家庭がモルモン教徒!、モルモン経典の矛盾に気がついた頃、帰国。その後、宗教って?
という探究心から 創価学会、統一教会等転々。特に統一教会は平様のおっしゃる通りにサタンの仕業としか言えませんでした。
今は亡き父も日本画家でしたので、真央ちゃんの大大ファンでたどり着いた平様の考えさせられるブログの内容や、以前から興味があった
古代史などシンクロする事があり
僭越ながらコメントさせて頂きました。
『光は正しい人のために現れ、喜びは正しい者のためにあらわれる』詩篇97・11
真央ちゃん,日本人選手達を悪の手から
守れるよう、祈って行きたいと思っています。
モルモンの矛盾に気が付かれたのなら、アメリカの抱える深刻な問題にも気が付かれたと思います。それは、テレビも新聞も、何もかも作為的に作られた嘘の世界ということです。
アメリカに自由があるというのも幻想で、アメリカに都合の良い自由は認められるという程度です。今回のNBCの韓国マンセー放送は、自由のないアメリカの象徴的な出来事でした。
なお、日本画というのは西洋画よりもデッサンがリアルなのです。レオナルドレベルでも、花の質感はプラスチックですから、そこには論理的な技法の限界があるのです。
もっとも、芸大の油絵のトップ連中よりも、僕は石膏デッサンが上でしたら言えることですけど。白百合の女子高生が白亜のマルスと形容した作品は失われましたが…。芸大油絵科の過半数を占めた新美の絶頂期に、油絵科デッサンコンクールで一番になったのも良い思い出です。