なんとか高齢者の仲間入りをしたが、振り返ってみれば、危ない時期があった。鈍感だったり、自ら壊れてみせて、窮地を脱したこともあった。そのことが、次の危機をよんだりした。結果的には、なんとか、ここまで、くぐり抜けてきたといえるかもしれない。
人の世のなかで、誤解や思い込み、考え方、無視やいじめ、などなど、さまざまな原因で辛い人生になってしまうことがある。
自暴自棄になって、無茶苦茶な行動をおこし、そのために何の関係もない人が、犠牲になったりする。この世に生をうけることなく、終える命もある。希望を持っている若い命が奪われる。
現在の今、理屈ですべてを、解決できるわけではないが、そこで解決不能とはしないという意志を人類は持っている、と思いたい。
本当に困った状況に追い込まれとき、社会的に、救われる手段があるのか、ないのか、その実態もすぐにはわからなくて、その困った状況にどっぷりとつかったママになっている人もいる。
介護問題である。同時に、親族間の事情もある。助けられる人、助ける人、周囲の親族、人間関係の濃淡があり、相性があり、制度のわかりにくさ、窓口対応の適切さも問題があるかもしれない。
困難になったときに、どこに相談すればいいのか、その手立てを見つけることができず、困難な状況から抜け出せない。どこが、手をあげて活動しているのだろうか。わかりやすく、手を上げて欲しい。
ネットでもいいし、張り出されたポスターでもいい。そういう困難な状況からどうやって、救い出すために活動をしているのであれば、野党であれば、政権をとってからやる、というのではなく、今の今、関係先への折衝や、制度の手続きについて、ノウハウを提供し、援助するなど具体的な行動を展開してほしい。
それは与野党を問わない。誰だっていい。誰がやれば一番効率がいいか、誰が一番熱心か、その最も熱心な組織が、集まりが力を持つことになる。紙に書かれた方針だけではなく、具体的に、そういう行動、活動を展開してほしい。
資本主義社会のなかで、富裕層の寄付が話題になっている。系統的な再分配がうまくなされないと今の悲劇が、解決される可能性は低い。頭のいい連中よ。力のある連中よ。うまいシステムを作って、助けることの喜びを知ってほしい。