空をみながら

 地球規模、宇宙規模で考える。死角のない視野の獲得。憲法9条を守ろう。平和のための最高の武器だと思う。

G20が終わった

2019年06月30日 01時02分42秒 | 思考試行

 地球上の有力国が集まって、話し合う。やはり、なかなかの行事であるなあという感想が素直なところである。報道陣、記者らも多く来ていて、国際交流が活発にされていた。

 結局、何かドラマチックなことが決まった、ということではないが、それでも、各首脳の姿が一堂に会して話し合うということは、意味があると思う。いいものだ。

 一応、にこやかに挨拶をかわし、個人的に、みるからに悪人というような人物はいないようにみえる。表面上はそうであっても、実際の人物はどうなのかそれはわからないけれども。

 だが、トランプ氏のばあい、イランが無人飛行機を撃墜したことで、攻撃を決定し、その10分前に中止したという。その感覚は、常人ではない。恐ろしい人物のようにみえる。

 国を背負った場合、戦争もやむを得ないと考えている人びとだとすれば、あの笑顔はなんだろうか。恐るべきことである。会議の内容は、冒頭だけで、公開されないが、実際にどのように議論しているのか知りたいとおもった。人物の人となりがわかるのではないか。

 特別な人達だということで、大阪の日常生活は、完全に止まった感じがあった。小生の場合も、完全に動きをとめた。

 やはり非日常だったのだといえる。それでも首脳の夫人たちが、観光している姿をみれば、なごやかで、楽しそうで、なんで戦争なんか起こるのかと、思う。

 大阪でのこんな大きな会議は初めてで、記者たちのために、たこ焼きなどがふるまわれたり、大阪らしいおもてなしがあったようだが、こういう会議とは別の、庶民の暮らしぶりが、世界に知られるということは、よかったと思う。ナイスアイデアだ。

 韓国の大統領との話し合いは、結局なかったが、経緯からみて、日本としてはそうせざるを得なかったと思う。韓国は、あまりに非常識であり、明白な事実も認めようとしない頑迷な姿勢は、どうしても、受け入れられない。それは、非難されて当然のことだと思う。反省がないところが致命的である。

 なんでそうなったのか、経緯の報道がキチンとなされて、真実が知らされなければならない。隠ぺいだとか、事実を否定するとかは、見ておれないぐらいの低レベルである。

 日本のばあいも、最近は、忖度がはびこったり、平気でうそをつくような傾向がでてきている。ゆゆしきことである。正しいことは正しいと指導者がちゃんとしないと、世界はへんな方向へと向かうことになる。

 さすが、外交の安部首相だ。議長ぶりは堂々としていて、いい人にみえていた。それが危ないのだが、安保廃棄が日程に上がってきたりすれば、憲法改悪が現実のものになりかねない。だんだん世の中変な方向へ向かわないように監視しなければならない。


韓国だけが日本とバイの首脳会談なしのこと

2019年06月29日 00時02分25秒 | 思考試行

 二国間で、決着済であると思っていた、徴用工問題を、むしかえし、攻撃寸前のレーダー照射事件があり、朝日新聞も誤報と認めた慰安婦問題を世界各国に宣伝し、天皇に謝罪を要求するなど、このところの韓国のやり方は、普通に考えてどう取り扱っていいかわからないほど異常とみるほかない。

 文政権は、北朝鮮との統一を目指し、日本はともかく大嫌いのようで、にこやかな顔とは裏腹に、日本としてもどう取り扱っていいかわからない存在となっている。

 韓国国民は、反日の気運が強く、日本を嫌う傾向が強いと言われている。その割に、訪日観光客は多いようであるが、反日の傾向が続くこの状態はいかにもまずいと思われる。

 感覚的に、韓国のやり方は、どうみてもおかしいとしか思えない。こんなことで、もめる国ならば、付き合いようもないので、今回のG20サミットでの首脳会談を見送りにしているのは、仕方がないことのようにみえる。

 韓国関係のニュースをみると、秀吉のこと、朝鮮併合のこと、慰安婦、徴用工のこと、竹島のこと、などが反日のおもな理由となっているようだが、第二次世界大戦後のことについては、すでに国家間で法的手続きが済んでいるが、それは以前の政権の話だから無効だというのは、いかにも無理筋だ。

 それでは、国家間の取り決めが、なんの意味もないことになってしまう。取り決めをしてもひっくり返すのであれば、何のための取り決めなのか。

 それらの記事のなかで出ていたが、1945年以降、日本がなにか韓国に「悪いこと」をしたのかと質問すればいいというのがあった。そのように問われば、何もないはずだ。韓国は、74年前のことを、それも決着済みのことを、蒸し返して、それを理由に今現在の反日教育の理由としているのである。

 韓国サイドの考え方は、どうみても、無理があるといわざるを得ない。今の日本の状況から、反日教育をするというならわかるけれども、過去の決着済みのことを蒸し返して、反日教育をするのだから、これは異常としかいえない。

 日本は、冷静に、今の韓国は、相手にしてはならないこととするほかない。歴代大統領が、任期を終えると、必ず犯罪者になるような国情では、とても、国の体をなしているとはいえない。

 大統領権限が強く、現役時代はいいのだが、大統領をやめるとなると、任期中の権限の元、周囲の者が、大統領権限を悪用したり、乱用したことなどが暴かれることとなるのだろう。

 徴用工の判決も、文大統領が裁判官を差し替えて、その裁判官が出したものである。自分の思うような判決をださせるために、こんな人事をするのである。そして、判決がでれば、司法の尊重という。

 何が司法の尊重か。自分で作った判決ではないか。まさに無茶苦茶である。

 日本も安倍政権の長期化によって、忖度がはびこり、司法にもそんな傾向がみられはじめているが、韓国ほどではないとしておこう。

 韓国が、話のできる相手ではないことがはっきりした以上、しばらくは、そっとしておくほかない。これは個人間でもいえることである。つきあってはいけない人はいる。しばらくは、監獄に入ってもらわなくてはならない人もいる。

 


お笑い芸人のこれから

2019年06月28日 15時30分50秒 | 思考試行

 もちろん強くならなければならない。とても食べることができないような報酬であったり、売れるか売れないかは、本人しだいであって、売れたとしても、なかなか報酬をあげない芸能事務所のように、好き放題にやられっぱなしではいけない。

 そんな芸能事務所では、タレントの生活をどのように考えているのだろうか。芸人のことなど、そんな心配はしていないのだろう。売れなければ、淘汰されて、消えゆくのみとして、なんの心配もする必要はないと考えているのではないか。

 それで、お笑い芸人が真っ当に育つことができるだろうか。先輩が後輩の面倒をみてやる、といっても、それは先輩芸人の気の向くままであって、系統的なものではないだろう。

 そうしたなかで、反社会的集団の催しに参加したからと、芸能事務所から、無期限謹慎などの処分をうけている。彼らの生活をどのように考えているのだろうか。問題になったから、切り捨てでいいとしているのだろうか。

 芸能人は、個別に、収入に相当の格差があるのだろう。収入のある連中は、その財力を提供して、たとえば、互助会を作って、売れない芸人の援助活動をしたらどうだろうか。

 芸能事務所を上回るような理念をもって、芸能人の養成から、タレントの仕事の差配、営業活動もすべきである。既存の芸能事務所に対抗できる組織を作って、芸能人による芸能人のための組織が必要である。

 人々を感動させたり、生きがいを見出す機会をあたえたり、お笑いの世界には、大きな可能性がある。収入の確保と、現実の世界の分析、改革、政治的信条も磨くべきである。人前にたちパフォーマンスをするということは、単純に一時の慰めや、気晴らしだけではない。

 そこには、人間が人間にはたらきかける直接的な芸術であり、明らかに、普通の人びとにとって、リーダーたるべき人である。

 卓越した技をもって、人を慰め、高め、笑わせ、カタルシスを与え、もって、世の中に貢献し、変革していく強力な戦力を持つ人々である。

 そのために、芸能人は、哲学者であり、科学者であり、政治家であり。経済の専門家でなければならない。お笑いはすべての分野に関連する。徹底的な勉強が必要である。


政治はどこへ向かっているか

2019年06月27日 00時19分24秒 | 思考試行

 参議院選挙が7月4日公示、7月21日投票と決まった。そして、安倍首相の記者会見をみたが、彼は、下野した時代のことが脳裏から離れないようだ。

 何年も前の、民主党政権時代がひどくて、暗黒の時代であったと、あの時代に戻らないようにと、政治の安定をと述べた。彼は、一強時代と言われて、今や、自信満々なのかと思っていたが、どうもそうではなく、下野経験がトラウマになっているようだ。

 何年も前になる民主党政権時代をふりかえり、今まさに、選挙をしようというときに持ち出す話題だろうか。いわば、もう済んでしまった話である。問題は、これからどうするかということだ。

 世界を平和にとか、環境問題とか、少子高齢化のなかでどうするかということだ。経済が大事といいながら、貧富の格差を広げ、若者たちの結婚意欲さえうばうような劣悪な労働環境、異性さえ求めない男子青年など、世の中、富裕層優遇の、まったくおかしい状態になっている、ここをどうするかをいうべきだろうが。

 民主党政権時代に、自民党時代の作った原発、不完全な安全対策、そのために起きた原発事故のために民主党は必死で対処した。自民党はなにをしたか、あろうことか、意地悪く、足を引っ張りまくった。あの時代、「決められない民主党」と悪罵をなげつけ、それを記者会見でも言っていた。事実は、自民党がことごとく邪魔をしまくり、当然協力すべきことも、一切やらない。「決めさせなかった」のである。ねじれ現象のなかで、徹底的に意地悪をした。当時の石原幹事長だったか。彼の汚さにはおどろいた。こんな人が政治家なのかと思った。

 トランプ大統領は、安保条約の廃棄を口にしたと報じられている。経済問題の取引材料にしてくるらしいことが予想されるといわれている。彼の感覚は、通常の政治家とは思えない。イランへの攻撃をするつもりだったが、10分前に、取りやめた、などという人物である。このトランプ氏に安部氏はウマがあうらしい。彼に、どこまでもついていくつもりだろう。

 安部氏の記者会見は、幹事社と、計4名の質問のみであった。質問はありきたりのもので、面白くもなんともない。出来レース、低レベルである。そして、自分の用意してきた、何年も前の民主党政権当時の悪口をいい、安定した政治をいい、しかも、戦争のできる国へと導く、憲法改悪を主張してみせた。

 マスコミは、野党がだらしない、の空気をまき散らし、戦争のできる国にしようとしている動きをちゃんと伝えない。記者会見でも記者の発言を制限している風がありありであり、新聞記者をおとしめ、まともな取材さえさせない空気を感ずる。

 安部氏は、議論がかみあわないようにして、あたかも議論しているかの風をする手法をマスターしたようで、こんな人物がはびこるようでは、民主主義を機能しなくなる。

 最高裁もへんな判決をだした。国側(検察)によりそってみせた。地裁、高裁の判断を覆して見せた。

 これでは、国民がよほどしっかりしないと、大変なことになる。その意味で、今度の参議院選挙は、重要だ。国民がしっかりしないと、権力層は、みんなおかしくなって、反省することもできないだろう。反省させないとエライことになりかねない。国民はしっかりしなければならない。正しいことは正しい。おかしいことはおかしいと判断しなければならない。それを選挙で表現することだ。


価値観が、どんどん変化している

2019年06月26日 00時05分01秒 | 思考試行

 敗戦時、小中学生は、昨日までの価値観が全く変わり、教科書を墨で塗りつぶす経験をした。小生は、それよりあとだから、そんな経験はない。だが、民主主義なんて言葉を聞いたのはずっとあとのことだ。

 小学生時点でも、軍隊上がりの教師がいて、運動会の隊列の練習などは、かなりの緊張を強いられた。体罰が横行していたというわけではないが、朝礼台の上で、号令をかける教師がまさに軍隊式であった。

 前の人間の後頭部を見ろ、といわれて、じっと見続ける。と、その教師が列の後ろのほうで、キョロキョロする者がいたのか、ものすごい勢いで、台を飛び降りて後ろに走る。

 なにがあったか、わからない。全体をとにかく緊張させる一瞬であった。その教師は、中年の丸刈りで、「わかれ!集まれ!」と号令をかけ、90度隊列を変える。

 急ぎ足で、新しい隊列を組む。これが、軍隊のやり方かと思った。その教師のことは、この場面しか覚えていない。そのやり方に、他の教師から、異論がでたのかもしれない。

 中学校も、民主主義がどうのこうのという話はなかった。ただ、エコひいきは、明らかにあった。教師にも、生徒の目からみても、異常な教師もいた。世の中、貧しかった。

 ませた生徒は、越境を考え、中学生の時から、出世を考えているものがいた。深く考えたことはなかったが、出世などに関心はなく、叔父の職業などをみて、漠然と将来を考えていた。

 いい高校へはいって、いい大学へいって、・・・という考え方はなかった。

 親をみていて、とにかく食えさえすればいい、としか考えてなかった。

 就職して、上下関係ということ、職務職階性が、徹底されていた。そのうちに労働運動が活発になってきた。職場の雰囲気が変わり始めた。世の中が変わるかもしれないという雰囲気さえ生まれた。

 だが、その後ソ連が倒れ、社会主義国の実態が知られるにつれ、労働運動は壊滅的になった。

 今や、男の若者は、「3次元には、興味は惹かれない。2次元の女性に惹かれる」などという時代となった。

 生物としての生命力が、相当落ちているとしか見えない。人口がどんどん減り続ける。人間の質が、どんどん変化してきている。

 人類の将来は、どうなっていくか。いよいよ末期的症状を呈し始めているのかもしれない。


何を大事にするか

2019年06月25日 00時05分57秒 | 思考試行

 金儲けをなにより大事だと考えるか、地位か名誉か、それとも家族なかよく暮らすことか、友人か、自分自身なのか、夫婦なのか、恋人なのか、親兄弟なのか。

 あるいは、もっと広く、国民、民族、人類、生きとし生けるもの、どれを大事だと考えても、どこか無理があるようで、すべてではないようで、具体的に考えると、途方に暮れる。

 結局は、結論の出ぬまま、なんとなく、近くにいる人間が大事として、何とか生きているような気がする。

 その場その場では、おそらく、人間は自己の生命を守るために自動的に、反射的に反応するのではないかと思う。小生の貧しい体験から、そういう風に動く自分自身を自覚することがある。理屈でいくらきれいごとを言っていても、犠牲的なふるまいをする貫徹することに確信はもてなかった。

 突発的には、間違いなく、利己主義的な、そういう行動をとるに違いない。それほどなきれいな人間ではないのだ。では、ゆっくりと考えたときに、利他的な行動がとれるだろうか、それも、恥ずかしながら、怪しいと言わざるをえない。

 さんざんええカッコしてきたのに、自分自身を考えたときに、そんなにきれいごとではすまないような自身の本質に気付いている。気付いているにもかかわらず、大きな口をたたいてきた。

 そんな、小汚い自分だから、では、どうするのかと言えば、開き直って本当に利己主義で行くのかと言えば、そういうわけにもいかない。それほど、度胸がないというか、そこまでの覚悟もない。世間の目が怖く、また、自身も、教育の影響か、何かに呪縛されて、そう簡単に、そんなことはできない精神構造もある。

 今は、そういう場面になったときに、ウジウジしながらも、なんとか人間らしい行動ができるように心がけるしかない。

 明るく堂々と、そんなときがあれば、自らの利益を考えることなく、行動すると覚悟しなければ、この世では、そんなに大きな顔をして生きてはいけない。もう少し、謙虚でなければ、いざというときに逃げ出すかもしれない自分であることを知っている者の、態度とはいえないだろう。だから、謙虚にしているかといえば、それも卑屈に過ぎる。だが、そうせざるを得ないのかもしれない。

 だから、謙虚であって、なおかつ、腹ができている人こそ、すばらしいのであってその人のカッコウだけ真似たとしても、見る人が見たらわかることなのかもしれない。

 というのは、建前の話であって、実は、もう何も守るべきものもないし、思ったとおりの行動ができるのだと思っているとしたらどうする。


世の中とどまっているものは何もない

2019年06月24日 10時47分49秒 | 思考試行

 すべては変化し続けて、とどまることはない。一見、何も変わらぬような日常生活だけど、やはり変化している。

 近所の犬が、いつものように、意味もなく吠え続けている。いつもの日常のbgmである。

 そのなかで、家がとりこわされたり、なにかのモノを撤去するというのは、明らかに日常とは違っているはずなのに、それほどの変化とは思わない。

 モノとして考えるならば、それは、大変化であり、景観が変わり、存在そのものがなくなるのだから、大事件であるはずなのだが、周囲の全部が変わるわけではないので、全体としては、大きな変化はない、と感じている。

 100年とか、150年とかの時代を過ごしてきたモノがあっけなく取り壊されていく。いろんな時代を潜り抜けてきたが、昨年の台風で、一部が損壊して、周囲の影響を与えるとして、このモノはとりこわされることになった。

 これは、モノに限らず、人間もまた、もっと短い時間で変化を受け入れることとなる。人間の一生も長いようで、短く、もはや、小生も、日暮れ時をむかえようとしている。

 終わりよければすべてよし、とはよく言ったものだ。どんなに、大変な人生であったにしても、その最後が、本人にとって、よければ、すべては、この日のための試練であり、この日を迎えるための、条件であるとみることができる。そう考えると、すべてに、満足できるのではないだろうか。

 最後をつつがなく終えるための準備が、超高齢化社会のなかで、活発なようである。いわば、自然の流れであるが、対象者が多ければ当然に起こる現象であり、みんな似たようなことを考えるのだなあという感慨を覚える。

 当方も、ぼちぼちと具体的なことを考えていこうと思う。どんなプランになるのか、いまのところは白紙であるが、これこそ、生涯の総決算として、大事な仕事を位置付けたい。


ユニバーサルデザイン

2019年06月23日 22時50分59秒 | 思考試行

 放送大学の科目に「情報社会のユニバーサルデザイン」という科目がある。

 この科目のまえがきから、引用したい。

「ユニバーサルデザインとは、年齢や性別、能力や背景にかかわらず、できるだけ多くの人が使えるよう、最初から考慮して、まちやもの、情報やサービスを作るという考え方であり、そのプロセスです。」

 この方向は、徐々に広がりつつあるように見える。バスの形が変わり、低床になり、車いすの人も問題なく乗れるようになっている。まだまだ十分とはいえないが、こうした動きはまだまだ続いていくだろうし、もっと徹底されなければならない。

 そして、印刷教材のなかに、2015年の国連で持続可能な開発サミットで、193の参加国により全会一致で採択された2030年アジェンダが掲載されている。

 2030年までに国際社会が持続可能な社会を実現するための重要な指針として、次の17の目標(ゴール)が設定されている。

 持続可能な開発目標(SDGs)-Sustainable Development Goals

1.貧困をなくそう

2.飢饉をゼロに

3.すべての人に健康と福祉を

4.質の高い教育をみんなに

5.ジェンダー平等を実現しよう

6.安全な水とトイレを世界中に

7.エネルギーをみんなにそしてクリーンに

8.働きがいも経済成長も

9.産業と技術革新の基礎をつくろう

10.人や国の不平等をなくそう

11.住みつ続けられるまちづくりを

12.つくる責任つかう責任

13.気候変動に具体的な対策を

14.海の豊かさを守ろう

15.陸の豊かさも守ろう

16.平和と公正をすべての人に

17.パートナーシップで目標を達成しよう

 

 為政者、官僚、富裕層、すべての人が、この理念をもって、行動するならば、世の中,本当に住みやすくなるだろう。

 国連でこんなことを採択しているとは、まったく知らなかった。これは是非実行していきたいものだ。

 

 

 


ホンコンの無茶苦茶年金論から・・・

2019年06月22日 11時52分37秒 | 思考試行

 まじめに、勉強しているのかと思えば、やはり、どこかで教わったことを言っている。「土曜のミカタ」は、結構面白いのだが、いま放送中の番組のなかで、年金問題を扱っている。そして、政権側に立った評論家に話をさせ、それにみんなが同調するカッコウとなっている。

 ホンコンも、堀江クンと同じようなことをいっている。こんな御用番組なら、時間の無駄だ。年金問題は、消えた年金もそうだが、ずさんな運用も問題になった。安倍首相は、40数兆円の運用利益を出している、と自慢するが、この運用こそリスクだらけで、先の見通しが万全とはいいがたい。年金資産を株にぶち込んで、株価を支えているキライもある。年金資金は、安全運用が基本なのに、外れている。

 今後どのように変化するか、余談を許さない。いわば大博打を打っているのである。ホンコン氏は、党首討論で、野党は年金ばかりいって、他の問題を取り上げないと偉そうにモンクをいった。もっと分担しろと。

 彼は相当エライようだ。実態を知っているのか。党首討論の時間は、滅茶苦茶短い。共産党の場合、5分数十秒である。

 なんだこの時間の短さは。しかし、この短い時間で具体的に財源を、富裕層からとるようにと提案している。例によって、安部さんは、何にもこたえない。マスコミも反応しない。

 ホンコン氏は、保険なんだから、掛け金の半額もどれはいいとせよ、などと暴論をぶった。国から税金をいれて年金制度をまわしているのだから、民間の保険とゴッチャにするわけにはいかないし、そんなにもどりが悪いわけはないのだが、そんなことも知らないようだ。

 わかったフリをして、一人前に発言する姿は、まことに不細工だ。

 この番組は、ナマ放送だといっている。どこまで、本気の報道番組か知らないが、最近は、テレビも面白くなくなってきた。なにが面白いかといえば、真実があきらかにされ、世の中をよくする方向へ動いていくサマを作り出すきっかけとなることではないか。

 現政権に媚をうり、野党をたたき、弱者たる国民のサイドにたたない、富裕層の代弁者、あるいは、タレントそのものも庶民からすれば、相当な年収をとっているのだろうから、いかにも庶民の側にたったかのごとくの芝居をみせられるのであれば、この番組も終わりかなといささか悲しくなる。

 報道番組ではなく、バラエティなのだというかもしれないが、そうとはみえない。真面目に、真相を追求する姿勢をつらぬくならば、もっといい番組にすることも可能だろう。

 どういう立場で、意見を述べるのか、それが庶民にとって、どう役に立つのか。マスコミは、今や、資本に牛耳られ、どこかのご機嫌を損なえば、タレントも、直ちに消されてしまうご時世である。もっとも、昔からそうであるが。

 庶民は、自力で、自分の目と頭をきたえ、選挙の際にその力を発揮すべきだが、国民は賢そうで、アホなところもある。自覚しながら、世の中を見なければならない。

 ヒットラーは、革命政権ではない。選挙で、着々と力を蓄え、極悪非道な虐殺を実行するまでに至ったのである。民主的な手続きを積み重ねて、実現したのである。

 戦争を絶対にさせないために、憲法9条こそ、宝物である。絶対に戦争はできない構造になっている。

 それを安部さんは、変えようとする。自衛隊の合法化である。文言にいれるということである。これは、憲法9条に矛盾を持ち込み、つまり、戦争を堂々とできる国にしたいということである。素直によめば、現行憲法9条があるかぎり、自衛戦争だって、やれないとみるよみかたもできる。

 戦争をしないという以上は、自衛はいいが、その他はダメということはない。戦争の理由は、たいてい、みんな自衛から始まるのだ。自衛のために、海外へもいくし、先制攻撃だってやるのである。

 では、日本に具体的に外国の軍隊がきたらどうするか。自衛隊で戦うか、それとも 戦わずして、その国の支配に従うしかなく、そしてあらゆる手段で、抵抗するしかない。

 外国がそれをみていて、どうするかであるが、日本にこの憲法を勧めてくれた国が、見捨てるかどうかである。

 その国だって、自国ファーストと言っているから、あまり頼りにできないけれども、武器を売りつけ、なんとか自前で戦えよというぐらいのことか。


できるのかできないのか

2019年06月21日 12時40分25秒 | 思考試行

 パソコンが急に起動できなくなって、マイクロソフトに相談した。症状を聞いて、これは、どうしようもない状況です。壊れています。と言われてしまった。

 手の施しようがない、という結論を言われて、暗澹たる気持ちになった。データを取り出す方法など、詳しく教わったけれども、それも大変そうで、とてもやる気には、ならない。

 電話を切ったあと、不意に、スピーカーを取り換えていたことを思い出した。いままでは、イヤホンジャックにスピーカーケーブルをつないでいたのだが、長年の使用により、断線したのか、音がとぎれるようになった。

 何とか修理をと思ったが、スピーカー本体はまだまだ使えるにも関わらず、部品など売っていないとパソコンショップの店員。

 なんと本体ごと取り換えても、そんなに高い金額ではないとわかり、今までより一段小柄のスピーカを付けた。

 このスピーカは、電源を取る必要もなく、USB端子につなぐだけである。なんの問題もなく音がなって、デスクまわりもスッキリした。

 ところで、パソコンを終了させるとき、いつもはスリープにして電源を切ったことにしていたのだが、あるとき、電源を完全に落とすシャットダウンにしたところ、起動できず、ロゴだけでそれ以上は動かない現象となって、相談したのであった。

 ひょっとしたら、これかもしれないと、USB端子につないでいたスピーカを外して、起動してみたところ、なんと無事に起動し、そのあとにスピーカをつなぐと、なんの支障もないことが分かった。

 なくした物がでてくると、非常にうれしいとされるが、今回はまさにその通りであった。

 ただ、突然にパソコンがつかえなくなると、面倒な設定や、まだ少し現役としてしている仕事に支障が生ずる。対処の方法をキチンと考えておかなければと,にわかに、バックアップのことを考えるようになった。

 ネットでしらべると、パソコンの丸ごとバックアップの方法がでている。早速外付けの機械を購入すべくショップに行ったところ、店員は、それはできないという。

 不安になり、結局何も買わずに帰宅して、再度ネットを検索すると、なるほど店員がいうようなことを書いているものもあるが、はっきりとパソコン買い換えのときの対処として、のバックアップとして書かれていて、できそうなのである。

 ネットの記事を店員にみせて、再度聞いてみたいと思っているのだが、はたして、できるのか、できないのか、当面の課題である。


紅白かクラス対抗か

2019年06月20日 20時47分27秒 | 思考試行

 全学年を紅組と白組に分ける。そして、学年毎にクラス対抗のレースを別にする。さて、選手をどう決めるかという話し合いをクラスでする。

 わたくしは、紅組、白組に分ける方が、単位としては大きいから、そちらに、より早い人を送るべきではないかといった。クラスのみんなは、クラス対抗こそ、一番早い人をもってくるべきだという意見であった。

 そんな主張をしたものだから、君は、だったら、紅白の選手になれと言われた。運動会当日、紅白どちらの選手だったか忘れたが、なんとなく、乗り気になれないままに、紅白の代表として走った経験がある。

 今考えれば、クラスのみんなは、自分たちのクラスこそ、もっとも身近であり、国民の前に家族だという普通の感覚であったことを痛感する。

 家には、教師をしていた叔母がいて、教訓めいた小冊子が残されていた。話は、全体主義的な教訓話がほとんどだったように思う。それを時々読んでいた。

 いつの間にか、全体か個人か、という価値観が明確に自身のなかに芽生えていたように思う。クラス会議でも、どちらが大きいか、という見方から出発していたことを覚えている。

 戦時中の軍国少年のような、考え方をしていたのであった。紅白もクラスも、不滅ではないし、どちらでもいいことなのだが、より、身近な存在に愛着をもち、判断基準がそこにある方が、やりがいがあり、意欲もそちらの方が強いという事実を知って、走りながら、もうひとつ乗り切れない自分がいた。

 人類は、広く世界に存在する。しかし、国、地域、家族と単位が小さくなるほど、身近となり、自分の守備範囲も、小さいほうが、より、自分が関心をもち、なすべきことをなさなければならない対象であることを、いつも感じている。

 だが、その単位もまた、絶対ではなく、いつかは、ばらけてしまい、なにがあったかも定かではなくなる。なににこだわろうとも、それは守り切れないし、人類は、そういう存在であるということだ。


神秘とか宗教とか・・・

2019年06月19日 20時20分23秒 | 思考試行

 神秘な現象は、現代科学の知識ではまだわかっていないような現象を目のあたりにしたとか、ありえないような事象が起きたとき、とても助かりようもない状況から、無事助かったとか、そのような時にいう。

 宗教も、ダブル部分があるようで、信仰のおかげで、助かったとか、奇跡が起きたなどと言ったりする。

 全部、現代の科学技術の知識で、解決がつくならば、神秘も宗教も必要ないように思うが、人間の力ですべてを解決するのは、至難のことであるから、当分わからないことは、なくなりそうにはない。

 確たる証明ができないのだから、それは、わからないこととして、いわば宙ぶらりんにしておくことが、適当というか、そうするよりほかには方法がないと思われるのだが、人類の圧倒的多数は、宗教を信じ、神秘も認めているかのようだ。認めて、とりあえず解決とする。

 宗教心を持つことで、人間としての振る舞いが、謙虚であったり、他者との関係において、奉仕的であったり、思いやりがあったり、素晴らしい面があることは否定できないし、むしろ、社会的に善行を率先して実行する人々だったりする。

 反対に迷信、あるいは、狂信とでもいうか、宗教心が人類にとって、有害な事象を起こす根源になったり、また、宗教心を悪用する連中がいたりする。また、これを道具として、人をたぶらかし、自らの利益とする輩もいる。

 また、国際紛争の根源にかかわって、いつまでも、決着がつかず、悲惨な事象が終息する気配をみせない。

 このような現状から、人類はどのようにして、脱却できるかは、人類の歴史にとって、いまだに重要な課題である。人間を大事にし、人類が、すこやかに、楽しく暮らすことができる時代を迎えることができるだろうか。

 富裕層がいて、貧困層があって、権力があって、支配、被支配があって、これらのことが、どのように解決されていくか、それとも、これは、必然的なものなのか、ともかく、世の中に、不都合なことがあって、不合理なことがあって、これらがどうなっていくのか、それは、我々一人ひとりの人間の考え方によって解決されると考えたい。

 どんな方向にすすんでいくのか、それは我々次第である。


機械の進歩はすごいけれでも使う人間の程度はどうなのか

2019年06月18日 23時21分45秒 | 思考試行

 パソコンと付き合うようになって、もう何年になるだろう。高校生時代にトランジスタが登場して、真空管時代が終わろうとしていた。それから、50年と少し経過して、世の中すっかり変わった。

 もはや、人間の手で電子回路をいじることもない。大型コンピュータよりすごい機能をもったパソコンを、いまこうして操っている。夢のような世界となった。

 文章を手書きではなく、あこがれの活字のスタイルで表現できるようになった。そればかりでなく、広く自分の意見を発表できるようになっているのだ。

 ただ、書き手の水準が、これに応じて高まっているわけではなく、人類の健全な発展のために、資することができる情報を表現したくとも、能力は追い付かず、思うようにはなっていない。

 人類そのものは、こうした機械の進歩にふさわしい進歩を遂げているだろうか。

 うかうかしていると、機械の進歩が、人類の進歩を追い越し、ために人類の絶滅につながりはしないかと危ぶまれる。

 それでも、若い人々の活躍ぶりをみていて、しっかりしたふるまいをみることも多い。人類は、着実に進歩のプロセスを歩んでいるようにも見える。

 世界は狭くなり、情報は一瞬にして世界を駆け巡る。その中で、人為的に情報を遮断する国もあり、人民にその事実を知らせず、為政者の都合のいい操作もなされている。

 こうしたなかで、低レベルの対立があり、戦争をするためだけに作られた船や、航空機や、戦争専門の人間、つまり兵士が移動している。

 何か問題を作り出し、いつでも、火花を立ち上がらせるかもしれないような状況を作っている。どこで、どのような接触が生ずるか、わからない状況である。

 戦争が起こるかどうか。これを避けようとしている人間の姿よりも、非難の応酬をしている人間の表情や、ふるまいは、実際に権力をもっており、彼らの姿の方が、はるかに大きくみえる。

 本当に、彼らが、決断しさえすれば、戦争ができる状態になっている。いつでも、なにかやらかすことができそうな雰囲気である。これだけ歴史を重ねてきても、人類社会の状況は、この程度である。暗澹たる思いを拭い去ることができない。


「物事を捌くための秘訣」・・・加藤周一

2019年06月17日 16時42分06秒 | 思考試行

 尊敬する評論家で故人だが、表題の一文を残している。物事を捌くための秘訣である。論議したり、物を考えたりするときに、参考になると思う。

 以下、引用である。古いメモで、どこに書いてあったか、不明である。

 

物事を捌くための「秘訣」・・・加藤周一

1.因果関係を短絡的に結論するな。

2.二者の関係を論ずるときは、双方とも概念規定を明確にせよ。

3.主観的願望と客観的○○を峻別せよ。(○○は、メモが不鮮明な部分で、スマン。)

4.検討すべき命題は枝葉を省いて単純化せよ。

5.事実との照合が可能な事象とそうでない事象とを区別し、前者は真偽を調べ、後者は真偽を確定できない問題として扱え。

 

 あたりまえのようで、これができていない。結構、思い込みや、信念で押しまくる向きがあって、簡単な思考形式で、なんの迷いもない、といった人もいるようである。

 議論するにしても、考えるにしても、このような「秘訣」を持っていれば、大きく間違えたりはしないのではないだろうか。

 

 

 


一言の声掛けで

2019年06月16日 00時11分28秒 | 思考試行

 探偵ナイトスクープは、最近でこそ、必ずというほどではないが、以前は欠かさず見ていた。一昨日の金曜日、久しぶりに探偵ナイトスクープを見た。

 夫婦の問題で、奥さんからの依頼で、もう7か月も目もあわせないし、会話もしないという。大きな子供が二人いるのだが、二人とも、夫婦別れも仕方ないか、と思い始めているという。

 依頼を受けた探偵は、自ら離婚経験者のタムケン探偵である。依頼者の妻の話をきき、子供らの話も聞く。そして、一言かけること、そして、夫の好物である海老フライを作ることにして、夫の帰りを待つ。

 奥さんは、海老フライの準備をしながら、何度も、声掛けの練習をする。子供たち二人と探偵は、別室で夫の帰りを待っている。そんな状況のなか、夫の帰宅。

 妻は、「お帰り」と声をかける。そして「海老フライ・・・」という。が、画面の夫は、これを無視して、何の反応もないようにみえた。別室の3人は、ショックを隠せない。

 そこで、3人は、奥さんを呼び、次の対策を立てようとするのだが、聞いてみると、反応がないとみていたのだったが、奥さんは、「おっ」という反応があったという。3人は、まったく反応がないと思っていたので、びっくりして、これは脈ありとなった。

 当の奥さんは、その反応を重視してはいず、むしろ、不十分とみて不満そうだったのだが、3人の反応に驚いた様子であった。

 これは、直接話し合おうとなって、夫のところへ、3人と奥さんが顔をあわす。夫の驚いた様子。だが、そこからの話は早かった。夫は、離婚を切り出されたら、仕方がないと思っていたとか、本人としては、自分から、わかれる気持ちは全然なかったという。

 子供たちは、母親が頑固であること、どちらかといえば、母親が悪いとはっきり言う場面もあった。夫婦の話は、結構ギクシャクした面もあった。妻が「離婚か、別居か、保留か」というなど、はっきりと仲直りを提案したわけではない場面もあったりした。保留ってなんや、の声をあがる。

 それでも、夫婦で、本音を話せるようになって、仲直りが成立したのであった。例によって、西川局長の目には、いっぱいの涙であった。この番組のいいところである。

 演技ではないから、ハラハラさせられるが、素直であることの大事なことや、いろいろ教訓的な要素があって、この番組は素晴らしいと思う。

 思いやりとか、「一言」とか、仲直りのきっかけとなるちょっとした事の大事さを教えてくれる。

 アメリカ、イランもこういう具合にいかないものか。