空をみながら

 地球規模、宇宙規模で考える。死角のない視野の獲得。憲法9条を守ろう。平和のための最高の武器だと思う。

改竄も国会でのウソの証言も8億円の値引きも・・・不起訴だってよ

2018年05月31日 22時28分07秒 | 思考試行

決裁文書を改竄したり、資料はない、捨てた、と言っていたのが出てきたり、教育勅語を幼稚園児に暗唱させる教育方針にイタク感動した為政者の意向を忖度して、国の土地の値段を、8億円も値引きするなど、官僚組織は、滅茶苦茶、安倍首相に全面協力した。

国会の証人喚問では、刑事訴追の恐れがあるからと、核心部分の証言は拒否した。

そして、検察は、このすべてを、今日、不起訴にした。唖然とする。

これで、すべては闇の中へ行くこととなった。検察もやはり官僚組織で、権力が怖いのだろうか。起訴して裁判となれば、さまざまな資料をあきらかにしなければならない。そうなれば、隠していた問題の疑問点がすべてあきらかになる可能性があった。というのも、国会にだされたものは、黒塗りの肝心なところが見えないものしか出してこないからだ。

それができなくなった。まだ、方法があるのだろうか。「日大的体質」は、そう簡単には変わらないということだろうか。検察審査会という手段もあるが、どうなるか。

政治家は、いずれにしても、選挙の洗礼を受けなければならない。選挙で国民がチャント反応するかどうかが問題である。打てば響くような反応を期待したい。


朝ごはんはたべましたか。

2018年05月30日 11時08分36秒 | 思考試行

そうきかれて、パンを食べたとしても、「いえ、ご飯はたべていません。」と答える。

国会答弁の官僚、政治家の答え方である。あきらかに、権力者の意向に沿って、官僚が動き、首相のお友達の望みをかなえてあげ、よってもって、権力者に阿る(おもねる)。

権力者の覚えめでたく、出世街道を歩む。あるいは、左遷されないように、気を使っている。

およそ、国の動きは、政治家の意向に沿って動くわけで、その政治家は国民が選ぶのだから、国民の意向ということになる。だが、実態は、国民を騙し、政治家個人の思惑で、国を動かしていくことになる。

官僚は、おおむね、時の権力にしたがうが、従来は、人事権を自らもっていたために、政治家の意向どうりには動かない側面もあった。官僚の誇り高き時代である。あまり、やりすぎたために、政治家のご機嫌を損じたために、賢い官僚の人事権を、政治家が取り上げた。

効果は抜群である。政権が安定すれば、ますますその効果が顕著となってきた。そして、上のような、答弁を平気でやるようになる。マスコミは、野党の攻め方がまずいなどと、こういう答弁の肩をもったりする。

日大のアメフト監督ばかりではない、未成熟な、日本の現状である。

そのなかで、青山学院大学の監督がテレビに出ていたが、この人は箱根マラソンで4連覇している。それまで、弱いチームであったのが、変わった。どう変わったのか。これこそ、科学的な練習、選手の自主性をのばし、空気の通りのいい、人間関係、まさに日大アメフト部の真逆である。

政治の世界も、こうあってほしいものだ。


近畿財務局の職員の自殺

2018年05月29日 17時01分50秒 | 思考試行

近畿財務局の職員は、なぜ自殺しなければならなかったのだろうか。森友土地問題に関連して、不正に巻き込まれ、その当事者として罪をなすりつけられると思ったのか、それとも、公務員として自分の信念をこわされる仕事を押し付けられ、自殺したのか。その後のマスコミの取材が目立たない。その後どうなっているのだろうか。

ここに、この事件の本質があるのではないか。徹底的に取材し、これを報道してほしいものだ。一人の人間が死をもって、意見表明をしている。抗議しているのである。

これをスルーし、軽く扱うようでは、なにが報道機関か。社会の改善スベキ課題、問題がここに凝縮しているとみる。また、これはドラマ作りの作家の仕事でもある。

あるいは、小説、ドキュメンタリーの題材でもある。社会を変える大きなきっかけとなる。さまざまな要因が集まっているに違いない。

政権を狙う野党は、もちろんだが、本当に世の中をよくしようとしている政党、政治家ならば、独自に調査し、政策に反映すべきである。これを、スルーして風化させるようでは、政治家としての問題意識が欠如していると見られても致し方ない。


潮流は変わるだろうか

2018年05月28日 16時22分51秒 | 思考試行

たてまえや、力関係、筋などどうでも良い、強いものが勝つのだ。強いものが正しいのだ。そうやって人間は生きてきた。人道や道徳や、あれこれいっても、最終的には、ちからこそすべてだ。

本音のところ、役所でいえば、下級役人など、上司は屁とも思っていない。出世しなければ、トコトン落ちるほかない。大企業、大組織など、例外なしにそうだろう。日大は、別段特殊ではない。どこの組織も日本の場合は、似たり寄ったりの可能性がある。

日本は、それほど、すばらしくないのだと思う。安倍首相しかり、籠池氏だって、時代錯誤の教育者だ。こんな人が権勢をふるえば、戦前の日本社会が普通となる。

日大の監督、コーチのやり方は、何日も前から、「工作」をしている。これだけバレバレになっても、アンケートをすると1パーセントの人は、監督側が正しいという人がいるそうだ。82パーセントは、監督側のウソとしている。で、捜査機関に任せるとどうなるのか。

ここもたぶんに、日大的体質があるのではないか。正しいことが、力を持つ、というようになればいいのだが、そうはいかない。要領のいいもの、うまくたちまわるもの、現世では、そういうことになる実態がある。

大きな変換が始まるのか、始まらないのか、潮流はどうなっていくのだろう。


理想と現実

2018年05月27日 00時15分41秒 | 思考試行

現実論を振りかざして、現在の困難を是認するヤカラがいる。現実論は声高に言う事ではない。恥ずかしかったり、うしろめたかったりするものだと思う。沖縄の基地問題で、戦争反対、基地反対、平和を訴えている人がいる。座り込み運動までやっている。

そこを訪れた辛坊某氏は、通りすがりの人に議論をもちかけ、基地問題について、普天間から辺野古への移転を現実論として展開した。平和をいう人を理想論であるとし、自分の意見について、自信をみせていた。だが、それは、ご立派に胸を張って、主張するようなものではない。

体制派の傲慢と決して弾圧を受けることのない、権力に阿る発言である。そこには、人類の行く末や、あるべき姿など、まるで眼中にない。沖縄について、心を痛めているという風でもない。当面の利益のみ関心があるのだろう。

だが、理想は持っていなくてはならないだろう。それを胸に秘めながら、現実の社会に立ち向かっていくようでなければ、情けない人生ではないか。


いじめておいて・・条件提示の指示・・実行・・指示などしていない

2018年05月26日 15時55分52秒 | 思考試行

日大のタックル事件は見事にその真相が衆人の目に明らかとなった。実にはっきりと明らかとなった。にも関わらず、指示していない、聞いていない、無残な言い訳をする監督、コーチ。民主主義とか正義とか、日本はまだまだ発展途上の国だなと思わされた。

支配層のお粗末さが、露呈した。これは、本当にいいことだ。こういうことがどんどん出てこなければ、問題点が浮かび上がってこない。日本の現状が、はっきりしてきた。

救いは、直接の加害者学生の率直な記者会見である。このおかげで、まだまだ日本は捨てたものではないと、人々は思ったのではないか。爽やかであり、清々しい。加害行為の直接実行者でありながら、彼は立派な若者として、日大をも救った。

一連の事件は、見事に安倍政権の森友、加計問題につながる。官僚が、人事権をもつ安倍首相の意向を忖度した。周辺事情は、国政を歪めた勢力の実態があきらかになったことである。いくら、言い逃れをしようとも、図式が次々と明らかとなって、言い訳が、ますますウソだと、誰の目にも明らかとなってきた。

それで国民が、権力者にどういう回答をするかということである。


日大監督、コーチ、安倍首相、首相秘書官、官房長官、・・・官僚・・・、大資本・・・

2018年05月24日 11時23分54秒 | 思考試行

似たものがズラズラと並ぶ。戦前の軍部、日本の体質?いろいろ問題点があきらかになってきている。明らかなことがあっても、真顔で否定してみせる。記憶にない、覚えがない、・・・言う台詞も同じようなものがでてくる。

日大の加害学生の記者会見は、それこそ真実を語る人の顔であった。これこそ、希望を感じさせる表情であり、誰もが納得したのではないだろうか。清涼感が満ち溢れている。加害者としての辛い会見にも関わらず、である。

そして、日大の監督、コーチの記者会見は、選手に今回の事件の原因を擦り付けた。はっきりと逃げた。今後の日大の先行きが注目される。そして、安倍内閣、自民党政権の行く末もダブってくる。

税制から、なにからなにまで、日本の現状を、よくよく知らなければならない。このまま、すべてを現政権に任すのか、それとも、きちんと将来展望を示し、実行力のある政治勢力を国民が作り出すことができるのか。長いものには巻かれろ、であったり、面倒なことは、他人まかせでいい、という姿勢では、よくならないことは、はっきりしている。

はたして、日本はどういう道筋をたどったいくだろうか。なにもかも、国民次第である。


罠、穴ぼこも必要なのかもしれない

2018年05月23日 22時04分13秒 | 思考試行

どうしても、ケッタイな人がいる。権力を持つと、勘違いするのだろうか。何が正しいか、わかっていることまで、否認してしまう。トコトン言い訳をする。逃げられる可能性があれば、それを貫徹する。

日大の例や安倍内閣の動向は、まさにその典型例ではないか。おかしいことを、ヤってマッタ。これをどう決着していくのか、マスコミの扱い、あれこれの人々の発言、ヘンテコなことが続いている。

日本社会の成熟していない側面が、モロに顕になってきた。生きていた古さ、もう死んでいたと思っていたバイ菌が、実は生きていたという事実。

次から次と、事象が出てきて、これがどういう結果になっていくのか、いま、日本社会の新しい展開が始まろうとしているのかもしれない。

罠や穴ぼこに誰が捕まるのか、誰もが、それは違うだろうというところに落ち込んでいながら、本人はそうとは気づいていない。完全に落ち込んでいるのに、本人の自白がなければいつまでも、ペンディングの扱いにする。ヘンならヘンだと言わなきゃ。

庇い立てすると、余計に傷が深くなる。ホンマにどないする気なんやろう。罠も穴ぼこも、なければ世の中単純すぎて面白くないということか、それにしても、見事に落ち込むもんだ。罠と穴ぼこに。


正直ということ

2018年05月20日 00時13分51秒 | 思考試行

正直は、みていて気持ちがいい。タテマエの言い方、一応説明できている格好にはなっているが、真相は誰にもバレてしまっている言い方は、実に気持ちが悪い。

出世が一番という価値観ならば、自分の人事権を持っている「モノ」を主人として、気に入られるように尽力する、それが当然だと思っているのだろう。

だが、事実は、人間の感情に影響を与える。表情に現れるのではないだろうか。本当に正しいことを話すのではなく、作為があったりすれば、それが表情にあらわれる。

感情を押し殺して、ものをいえば、そのような表情になる。人を馬鹿にしたり、眼中にないとすれば、そんな態度となる。

うそかそうでないか、見る目があれば、たちどころにバレバレとなる。そのようになっているのではないか。人間社会の実態は、実はシンプルであり、見ている人には、すべてお見通しの世界ではないだろうか。恥ずかしい生き方は、しないようにしたいものだ。

正直に、真っ当に話をしている人の話は、聞いていて心地よい。心地のよくない話ばかり聞かされると、特にそう思う。元文科省事務次官の前川さんの話は、まさに、心地よい。表情、声、これが正直な人の見事なサンプルである。


忖度はあったかも?と言い出した。

2018年05月16日 19時58分26秒 | 思考試行

ついに安倍首相は、忖度について触れた。周囲の状況がはっきりしてくるなかで、自分は関係ない、と言い続けてきたのだが、どうみても、森友、加計問題は、特殊であり、エコヒイキを絵に書いたような、画面が出てくる。忖度はあったかも、と言うほかなくなったということか。

言抜けしようとすればするだけ、その状況が浮かび上がってくる。首相秘書官が通常は会うことのない、地方の役員と3度もあったり、首相案件だから云々など、ありえない話がでてきた。

こうしたなかで、自分は知らないが、周囲が忖度したかもね、とい言い出したのだから、少しは良心があるということなのか。

問題は、国政を首相個人の思惑で、思うとおりにするというところにある。こんなことが当然のごとく行われるようになれば、まさに独裁である。

時代遅れの価値観、教育勅語に感動する首相夫妻、それを実行しようとする者に援助する、そればバレたら一転して、罪人として拘禁し、釈放せず、喋らせない。今度は切り捨てにかかる。

バレバレの猿芝居。それでも自民党の支持率は下がらない。なんでか。他に政治をまかせる受け皿が見当たらない。という図式にみえる。

野党は、政権の受け皿を準備し、堅実な理念、方策、展望を示すべきだ。確固とした展望を示し、将来展望を示すべきだ。

敵失の追及だけをやっていることは、現体制を是認していることにつながるのみである。どこをどう変えるのか、どんな国にしていくのか、大胆な提言が必要である。


現実の終活

2018年05月14日 10時43分42秒 | 思考試行

体が動かなくなり、一人ではどうしようも亡くなった時にどうするのか。そして、死んだ身柄の後始末をどうするのか。もはや、現実のこととして、考えなければならない年齢になった。

育てる子供や、仕事や、やるべきことがあるうちは、それに集中していればいいが、そうでなくなれば、ただちに、我が身の始末について考えて方策を立てていかなければならない。

そういった対策の施設や仕組みがどうなっているか、できれば身内でない第三者にそうしたことを依頼しようとも思うが、はたして適当なところがあるだろうか。

まあ、どうなろうと仕方がないとして、ただただ生きているうちは、生きて、死んでしまえば、どうとでもなるだろうと、腹を括るのも一策である。

動かなくなった体は、如何ともしがたく、なすがまま、あるがままでいく。外部からの支援もある程度は、期待できるようになってきている。それほど、おおごとではないような気もする。

後始末の費用ぐらいおいておけばいいのではないか、ぐらいの考えである。


あたりまえのこととして実行されるのか

2018年05月13日 20時42分01秒 | 思考試行

拉致なんてやっておいて、それが取引材料になるなんて、普通は考えられないことだけれども、しかしながら事実であるから、現実には、これに対応しなければならない。

長年にわたって、理不尽に誘拐拉致された家族にとって、この長い年月はどういう年月だったろうか。北朝鮮の拉致事件は、金銭の対象となり、さまざまな価値をもたらすカードとなっている。まったく信じられない理不尽なことであるが、それが実態である。

北朝鮮は、伝えられるところ、国民は自由なく支配者側の命令のままに生きるほかなく、反抗すれば直ちに粛清される状況下にあると言われている。それはほとんど正しいと思われる。

それが来月、あのトランプ大統領と金正恩委員長の首脳会談が実行されることとなり、ドラマティックな展開が予想される。北朝鮮には、国際的な包囲網のなかで、いよいよそれしか道がなくなったという、いわば完全に降伏したとしか思えない展開である。

となれば、北と南は統一し、北朝鮮と韓国の統一も夢ではない。同じ民族であり、別れている理由は特にない。そうなれば、統一韓国朝鮮は、日本にどう向かってくるだろうか。かつての戦争のツケが、いよいよはっきりと回ってくることになりそうだ。


今日の国会参考人問答

2018年05月10日 20時16分22秒 | 思考試行

ああいえば、こういう、入念に準備された参考人の答弁。マスコミは例によって、野党の「質問力」に疑問をなげかけ、ゴジャゴジャをめざす。また、タレントが、そういう風に言わされている。

すなおにみれば、十分に、答弁の無理、「おかしさ」がでている。それはそうなるだろう。気持ちのいい問答でないことは、当事者の本人の口ぶり、表情にでる。バーベキューをしたり、総理の私的な別荘にもいって、交流している間柄である。便宜をはかるのは、自然の流れである。

獣医科が、今の時代に必要なのかどうか、感染症対策で必要なのかどうなのかは知らないが、少なくとも、既得権益を持つ獣医師の団体があったり、結構むずかしい案件であることは、わかった。

それで、安倍総理と長年の親友である加計氏が、アッサリと手を組んだということでもなさそうだが、それでも、長年の加計側の願いを、時の総理、しかも親友といってよい友人が、まったく、手を貸さないというのも、いささか不自然である。官僚も忖度しないわけにはいかないだろう。

森友問題も、時代錯誤の教育を志向する教育方針に共鳴した安倍夫妻の姿が顕になっている。安倍一強体制のもとで、官僚たちが忖度する姿が顕になったということである。

どう言い繕うとも、ミエミエの話になってしまった。権力というのは、そうなるのだという一つの典型例となっている。


人間関係は淡く

2018年05月05日 01時00分55秒 | 思考試行

付き合う人間関係によって、人生の質は大きく影響を受ける。広島でつかまった脱獄犯人は、人間関係が嫌で、逃げ出したという。あとわずかで刑期が終ることはわかっていたというのにである。

人生が、豊かなものになるか、そうでないか、すべては、人間関係といえるかもしれない。しかし、相手は、自分の思う通りにはいかない。自分を通せば、相手との関係が壊れるかもしれないし、かといって、相手にあわせるばかりでいると、自分にストレスとなってかえってくる。

となれば、なるべく、他人との付き合いなどはしない方が、賢いといえるかもしれない。だが、そういうわけにはいかない。なにしろ人は、一人では生きてはいけない。どうしても、他者との関係を無視するわけにはいかない。

富や地位が、生きやすさを作ると、一般に思われている。だが、そのことで、さらに苦しみを増すこともある。要するに、沢山なものはいらない。

他人との付き合いも、結局は淡交が、いいのではないだろうか。


時は過ぎ人は入れ替わる

2018年05月03日 23時14分10秒 | 思考試行

いつまでも変わらず、世の中が進行するわけではない。どんどん入れ替わり、人は死に、生まれ、世の中は変わっていく。自分の時代だけ良くても、それがどうなのだ。自分も必ず死を迎えて、やがて、その生存したことさえ、忘れられる。

たとえ、名前が残ったとしても、それがどうした。莫大な財産を残したとして、それがなんなのか。名誉ある地位についたとして、それがどうしたというのか。

しかし、人間の世の、少しでも進歩するべく、尽力することは、個としての人間のもっとも、やりがいのあることだし、それしかないような気もする。

動機がいかに利己主義的であっても、それが世のため人のためになっていることもある。逆に、世のため人のためと思いつつ、むしろ、助けられてばかりというケースもある。だが、助けられるということは、助けた人に喜びと、達成感を与えたということで役に立っているともいえる。

どうしても、人間は、相互関係から逃げるわけにはいかず、一方的に助けられているばかりでもなく、助けるばかりではないのである。